仮想空間

趣味の変体仮名

大経師昔暦 中之の巻(岡崎村梅龍内の段)

 

二度目の観劇をしてきました。今度はブログラムの解説も読んで準備万端、何より前回とはうってかわって舞台全体がよく見える席だったこともあり、一度目とは随分と印象が違いました。この間は右寄りから見たのだけど、セットの家屋に視界を遮られ舞台の三分の一から半分近く見えていなかったようです。今回は上の巻では茂兵衛が屋根伝いに忍んでくる様子がよく見えて緊張感が増しましたし、中の巻では人形の芝居に助けられ親子の別れがより悲しく胸に堪え、別れの終盤では影の演出が初めてありありと見えました。この視覚に訴える悲劇の予兆は怖いくらいに効果覿面。運命からは逃れられぬ~なんぴとたりとも~by近松!です。事実は小説より奇なり、やはりこの作品も実際に起こった事件に基づいており、おさんと茂兵衛の過ちが偶然の行き違いによるものとした点が作者の工夫だそうです。上の巻の段切れについてはプログラムの解説では「斬新なもの」としていました。確かにイノベーションではあります。この中の巻(岡崎村梅龍内の段)で初めてキーマン梅龍が登場します。

 

前半に登場する3人の台詞をざっくりと色分けしてみました。合ってるかな?

助右衛門=水色 たま=ピンク 梅龍=

 

 本文の前に、3人が何を語っているかまとめてみた。合ってるかな?

助右衛門は、事件のあらましと、梅龍がたまの請け人になったことを梅龍に報告します。そして大経師(暦を作る仕事)は武士・侍同等の特権を持つのでお白洲の詮議にかける前に独断でたまに縄をかける権利があると主張します。これにより大経師の身分が武家並に高いことがわかると同時に、梅龍に叩く口実をもたらします。叩く理屈はなんでもよいのだ。助右衛門はしらじらしく連絡係に徹そうとしていますが。

たまは、唯一の身内伯父である梅龍に謝る一方で、こうなった原因がおさんの夫以春の女狂いにあること、実はおさんに横恋慕していたのは茂兵衛ではなく助右衛門であること、本来なら助右衛門と彼に利用されていた下女のかやが獄門になるところを、かやを庇って公けにしない内にこの度の行き違いが生じ、たま自身も仲立ちの冤罪を被ってしまったと真実を明らかにし、助右衛門に貶められたも同然と悔しさを訴える。

梅龍は、たまを心から哀れみ、たまの口から真実を聞くと助右衛門をさんざんにぶちのめし、せめてもの欝憤を晴らしてやろうとする。そしてたまとふたりきりになると、逃避行中のおさんと茂兵衛がもし訪ねて来ることがあっても、たまの罪が余計に重くなるだけだから心を鬼にして絶対に会うなと釘をさす。しかし冤罪とはいえ縄目を受けてしまったからには獄門もやむなし、そのときには梅龍の姪らしく潔く死んでほしいと諭します。たまは言われるまでも無く主人のために命を惜しまぬ覚悟であると言い、ひとり身の伯父の不便を思いやり、主人のおさんと自らが恋い慕う茂兵衛の身を案じて嘆き悲しみます。

大前提として、江戸時代の不義密通は市中引き回しの上磔獄門など死罪となるのがきまりでした。

 

 

読んだ本 https://archive.waseda.jp/archive/index.html
      イ14-00002-487

 

 
20(左頁)
   中之巻 (岡崎村梅龍内の段)
京ぢかき岡崎村にぶげんしやの 下やしきをば両隣中にはさまる
しよげ鳥の 牢人の巣のとりぶきやね 見るかげほそき釣あんどう太平記
講釈 赤松梅龍としるせしは玉がためには伯父ながら 奉公の請に立
他人むきにて暮しけり 講釈はつれは聞手の老若出家まじりに立
帰る なんと聞事な講釈五銭づゝにはやすい物 あの梅龍ももう七十で
も有ふが 一りくつが有顔付よい弁舌 楠湊川合戦おもしろいどう中

 
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仕方て講釈やられた所本の和田の新発意(しんぼち)を見る様な いかひ兵で
ござつたの いづれも明晩とちり/\「にこそ別れけれ 大経師助右衛門かごを
さきに押立 梅龍宿においやるかとあけんとすれば門の戸ははやしめたり
門しめたしめぬとて盗人に取らるゝ者も有まいがと わるゝ斗に戸を
たゝく梅龍内よりつこど声 かしましい何者じや 此家につんぼはない
講釈ならあすこい/\ イヤ講釈聞共ない 大経師以春手代助右衛門
じや 急にあはねば叶はぬとしきりにたゝけばせわしない あくる間も

有物とによつと出たる糟尾(かすお)の兀僧(がっそう)紙子の広袖革柄の大脇指 ヤ
助右殿夜中にけわしい何の用でござるといへば何の用とはおさめ
過た 此中毎日人を戴 そなたが請に立た玉が事に付用が有といへ共
酢のこんにやくのと我まゝいふて顔出しもせぬ請人が どこの国に有事 此月
朔日あくれば二日の暁 旦那外より帰りの門口 すりちがふて手代の茂兵衛めが
内義おさんじよろをそゝのかし走り出 やれ/\といふ内に行衛がしれぬ内を
詮索すれば 玉めがね所におさんじよろと茂兵衛めがねた体にて 玉めはお


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さんのねまに入かはつてねていた しかれは主人の内義の まおとこの中
立した玉めなれば同罪はのがれぬ おさん茂兵衛を尋出す迄請人と
いひ内証は伯父姪じやげな そなたに急度預けに来た ふたりの者がはり
付なれば玉はごくもん 慥に預けたそりやかご入と 舁込む所を梅龍棒はなつかんで二
三間押戻し 是お手代 此赤松梅龍が姪などを むさと前垂奉公な
どに出す物ではおりない 二親もないやつ漸伯父が太平紀の講釈 暮六つ
から四つ時分迄口をたゝいて一人に五銭つゝ十人で五十銭の席料をもつて

露命をつなく すらう人の伯父が力には絹気(け)をひつはらせて腰元奉公
に出す事もならぬ 大経師の家は常の町人とはちがひ 国王大臣も一年 
の鏡となさるゝ暦の商売 日月のめぐりを明らかにしるす物なれば ひつ
きやう月日に奉公さすると観念して 大経師御手代衆参る奉公人さま
請人赤松梅龍と判をすへたは姪が不便なればこそ 国本では人なみに武士
のまねをして 鉢坊主の手の内程米も取た此梅龍 預け者には請取渡しの
作法か有 此家わづか三間にたらぬ小借家 めくりにほそ溝ほるやほらず


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薄壁ひとへぬつたれ共 身が為の千早の城郭六はらの六万議にも落さ
れまいと思ふ所に とこへ見ぐるしいかご舁がとろすね サア改て渡せ弁舌は講
釈 事の道理は太平紀 かたちは安東入道が理屈をこねるもかくやらん あたしさい
らしいおどしだておいてもらを 武士でも侍でも此助右衛門はなん共ない あらためて
請とれとかご打明 高手小手のしばりなはひつ立て引出す 玉は涙にめも顔
も水より出たるごとくにて 伯父様めんぼくもござらぬとわつとさけびし
顔を見て 鬼の様成梅龍も涙を咽につまらせて歯がみを なすぞ

道理成 玉は恨みの身をふるはし是助右衛門 物には了簡品も有 おさんさま
茂兵衛殿一所にのいてのうへなれば まおとこでないといふ云わけはなけれ共
かう成くだつた始りは以春の悪性と そなたの心の佞人から おさん様に
ほれたまおとこといふはそなたじや 腰元のかやをだまして 何やかやとらせて
たのんだをしつている もういをふ/\と思ふたれどいや/\人のそこねる事
とかくおさん様に疵さへつけねばよいと思ふて 此玉が屹度めになつて おさん
さまのそばを一寸もはなれぬ様にしたによつて かやめもいひ出すおりがなかつ


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たやら わしをけぶたそうにして そなたのふみをやいて捨ておつたも見ている
それをねたに思ふて針を棒に取なして 此様にしなした おのれをはり
つけにかけ かやめがまつ此様にしばられ獄門にかゝるやつなれど 此玉がじひ
心ひとつでたすかつた 此頃是をいはふとすればいひけし/\人でなしめ
じひが仇になつたかとかつはとふして泣ければ ふんばりめ 血迷ふて何
ぬかす 請人慥に預けたといひ捨てて立帰る 梅龍とびかゝりぼんのくぼ
ひつつかんで引あくれば 足をつま立是なんとする 何とするとは

しばるさへ有に町人のぶんで なぜ本縄にしばつた 屹度うつたへて
あきめにするやつなれど 御免なれとぬかしてときおるか/\としめつくる
あいたゝ 只の町人とちがふて 禁中のお役をすれば本縄にかけても大じ
ない といてほしくばそつちでとけ ヤアうぬめは縄付て預るさへ 昔からない
作法に禁中の御用を聞町人は 本縄かけても大事ないとは どこから出た
掟じや 上をかろしめた慮外者 とふしても大事ないとかごの棒引ぬいて
力に任せ七つ八つかた息に成程ぶちのめされ おのれ助右衛門をぶつたぞ


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 ヲゝぶつた 身がぶつたがあやまりか 町人の分で本なはかけたがあや
まりか 御さばき所で埒あけう サアうせうとひつたつれば そんなら待おれ
といてくりよ ヲゝとかせいでおかふかまひとつ棒をくらふかと きめ付られ
てふしやう/\になはひつほどき こりや慥に預た 所の庄屋にもことはつて
帰るぞ 一寸でも取にがしたら請人共に首がとぶが合点か まだおとがひを
聞おるかとほうげた三つ四つくらはせて 玉が手を引内に入かけがねは
たとしめにける かごの者共笑止がり今のはいかふ痛みませう かごでお帰り

なされといへば 助右衛門顔をからへ 此はづ/\ 今年は爰が金神に当つた
それで是ほうだゝり 殊にけふは土用の入 それでか跡がきつうどよ
む 暦の事はおされぬとへらず「ぐちして帰りける むすぼれて なま
なかつらきみだけ佇(そ)の おさん茂兵衛は爰にだに 恋せぬ中の恋と成 つれ
て走りし其日しも 茂兵衛がはだの紙入にたつた三歩のかねてより 思ひ
もあへぬ旅の道 おさんの肌着しろなして 白むく一重けんばうにすそ
もやう有芦に鷺あしに任せて ならさかい 大津伏見をうか/\と 夫婦


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にあらぬ夫婦のさま神仏にも人間にも うとまれはてし身のうへやと
たがひの心恥しく顔打あげて顔とかほ 見合せ顔をあかめては 涙の 外
に詞なし なふ茂兵衛殿 とてもわしらはけふあつてあすない身 命を
命と思はね共 いとしや玉はどふなりやつたと 案ずるは是ばかり 只
ゆかしいはとつ様かゝ様 なんぼ思ひあきらめても あひたふござるとむせ
返りあゆみかねて泣ければ ヲゝあひたいはお道理我とても おめかけ
られしお主筋お名残おしさは同前 爰が彼の玉が在所岡崎 あれ

あの行燈の出た所が則伯父の宿 是にたよつてお里の便宜 玉が噂
も 聞ふと存参りしが 内の首尾を聞合せず案内するも麁相也
と 軒に立寄りうかゝへば 内には玉が泣く声のわけも聞ずくどき事 伯父
梅龍が声として ヤイ玉 此本は是伯父が毎夜講釈する 太平紀并一巻
目尊氏将軍の執権 高の師直といふ大名塩冶判官といふ これも
歴々の武士の妻に心をかけ 末代迄悪名を残し 塩冶判官もそれ
ゆへ命を失ふたは もと侍従といふ女が中立からおこつた事 おさん殿と


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茂兵衛と 真実のま男でないに極つても ふたりつれて欠落めさつ
たは定よ 此二人に いつ方であふたり共 万一爰へ尋てござつた共 かならず
/\物いふな 見ぬ顔せい かういへばつれない水くさい様なれどそうでない
ま男といふき名のたつた二人の中へ 中立といはるゝ其方と三人よつた
そふり成共人に見られてはそりや一つ穴のいたづら狐 一所によつたは
扨こそ玉が中立で おさん茂兵衛が不義は極つたと いひ立られては
弥科がおもふ成 爰をよふがてんせい つれなふあたるはおためじやぞ 此

事ゆへにそちもなはめの恥にあひ此ごとく預られた しかれば同罪は
のがれがたい 首を切られ手足をもがれためし物に成とても 主を
たのんだ人ゆへ命おしむな梅龍が姪じやぞ さいごをきよう死んで
くれと 聞ゆれば玉が声 それは気遣さしやんすなとうからかくご
極めている 伯父ひとり姪ひとりわしがしんだら伯父様の さぞ便なふ
おぼしめそ 茂兵衛殿はとふしてぞ いとしいはおさんさまどこにどふして
ござるやら 常がはかない正直な心をしつたわしなれば 何かに思ひ


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やりますと泣入れば梅龍も ヲゝそちがいとしいはおさん様 身は下立
売の親御達の 歎きが思ひやらるゝと 内に伯父姪くどき泣 外に二人が
立聞て 涙をもらす戸のすきま 声なき冬のきり/\゛す壁にすがりて
泣いたり 血筋がむすぶ親子の契り おさんの親道順夫婦娘のうき名
かくれなく 命がつらき老後の恥人に面もあはされず 月出ぬさきの
心のやみ 黒谷のぼだい所へかちの夜道のめうとづれ 小嬬(こめろ)がさげし風呂敷
やつゝむ涙にとぼ/\と行過つ軒の下二人しく/\泣声のみゝにとま

れば立とまり おばゝあれがてんのいかぬ何者やらと うとき老眼す
かして見る 行燈の影に茂兵衛見付 あれおさん様 下立売のおやぢ様
ナフとつさまかいのと走り寄 取付所をついとのき ヤイ畜生にとつ様と 云るゝ
覚えはないわいやと わつとなく/\ふりあげて うたんともがく杖の下 母は
あこがれ火を吹消し 娘を袖におしかこひ なふおやぢどの おさんめは逃
ました もうこらへて下されと顔をかくすは母のじひ 打杖は父の慈
悲心かはると子や思ふ 哀はおなじ涙のまよひのうへの迷ひ也


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道順ふかくの涙にくれ 道順がみらいもはやしれた ひとり娘のこと
なれば聟を取て家をつがする筈なれど 近年諸国の銀(かね)もすま
ず 家屋敷をも人手に預けるひつそくの身 此跡を娘に渡し くらう
さするかわいさに 一代切に家を捨て よめりさせた親心 さきとてもその
合点 道順が娘ならば 拵へいらぬみやげもいらぬ そだてた親に見こみが有
娘の心がみやげじやとしたはれた根性に ちく生の魂がいつのまに
入かはつた うらめしや情なや 地にすむ鴨や鴛(おし)を見よ 軒に巣をくむ

つばくらも雌(めんどり)一羽雄(おんどり)一羽 めうとづがひは生ある物のならひぞや てゝ親
さま/\゛の毛色をうむは犬猫ならでどこに有 親は犬にはうみ付ぬ 猫
になれとはたがそだてた ちく生に対して詞はかはさぬ 是は我ひとり
言とてもかう成からは山の奥にも身をかくし のがるゝたけはのがれも
せず京近辺をうろたへ 今のまにめしとられ洛中を引渡され 親が
大事にうみ付てなでそだてたからだを 鑓てつかれてしにたいか
からだにも恥がかきたいか いけうがしなふが此道順は 悲しい共思はねば


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涙一滴こぼれねど ばゝのなきやるが悲しいと わつと斗にこらへ
かね 余所をも恥す大声あげ めうとは老のいききれにむせ返り
てぞなげかるゝ 茂兵衛はひれふしてとかふの詞なく斗 おさんは母にいだき
付 ふたりに不義のあやまりは みぢん程もなけれ共ほんのいんぐはのまはり
あひ 云わけたゝぬ品と成京洛中に畜生の名をながし 罰(ばち)のあたつた
此上に せいもんたてん様もなし とつ様のお腹立かゝさまのお恨みも 私かは
いひうへなれば来世をかけて形見の詞 我々が天のあみとてものが

れぬ命の内 親達にあふからは木の空にさらされて かばねを鑓でつかれ
ても思ひ置く事ござらぬと くどき歎けばまだぬかすか 其鑓でつかせ
まひ 木の空へあげまいと 思ふてむねをこがすはやと又たへ入てなきしづ
む 母は涙の数珠袋ふくさ物取出し 是一歩二つ白銀もすおし有 いとしや
いかふ肌うすな 路銭につきてぬぎやつたの 是を茂兵衛に渡してかごに乗せ
て京の地を 一足もはやふ立のいて必ず/\悲しい事 きかせてなかせ
てたもんなと なく/\わたせばおしいだゞき 忝なふござんする 中に着た浅


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黄ちりめんは奈良の町でうりはなし 此うへに着た芦に鷺 此秋おまへ
の下されて みらい迄もかゝ様の形見と思ふて着ますれば 寒い共覚えず
見付らるゝをそれぎりの 命の内は袖乞でも頼ないは後生の事 これは
そのまゝとめ置てしんでの跡の弔ひにと 歎けば母もアゝ悲し また死
用意ばつかりをとつきぬ涙の露霜の しろきを見れば夜も更
て 出たる月はさへながら親子の袖ぞ時雨ける 茂兵衛はかきくれて物をも
いはずいたりしが 我ら男のつらをさげか様のわざを仕出し のめ/\ながらへ

有る事も おさん様のお命を何とぞと存るゆへ お宿もとへおさん様を御同
道なされ お命たすけ下されば科を私ひとりに受け 物の見事に死ましたい
御了簡頼上ますと 手を合せ泣ければ アゝおろかしい事いふ人じや われ
ひとりいきながらへいひわけが立程なれば ふたりいきても同じ事 取ちがえう
がどふしやうが以春といふ男持ながら そなたと肌ふれねたは定(ぢやう)かたちは生れ
かはつても 此悪名は削られぬ そなたはいかふうろたへが来たそうなと 恥しめ
られて茂兵衛もアツアそうじや ハアあれ三条通の車の音 夜明といふて程


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もない 行さきあてどはなけれ共在所 丹波の柏原(かやばら)迄落て見る斗 サア
暇乞なされませと いへ共親子一生の生死(しやうじ)をあらそふ今はの別れ 月出ぬ先は
顔見えずいつそ思ひ切べきに 見かはす顔は見きられずなまなか月もうらめしく
母はもだへて是おやぢ殿 脉(みやく)のあがつた死に病ももしやと薬はもつて見る 天
にも地にもたつたひとりの大事の娘 見付らるゝと殺さるゝ手はなしてやら
れうか ござれおぢうばつきそふてしなば親子一時にと 気も狂乱の
くどきごと道順もたへかねて それはおしやる迄もない いか成大病難病で

もくすり一味の加減にて たすかるも有ならひ息のたへた死人でも廿四時
はまつて見る 唐天竺日本国の名医の薬を浴びせても 天下の法を
そむくといふ 大病には叶はぬぞや たった一つのたのみには以春の方へ手を入
て 心をなだめ見る斗 もし其内めしとられすはさいごといふ時は しらが
あたまを天地の底へすり付て 命乞も身がはりも願ふといふは其時
よ なまじい親がかくまふと聞てはさきに我が立て ゆるしたふても
ゆるされぬ親下人にも見はなされ うきめをすると聞えてはげにはさきに


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あはれみ有 ヤイおさん 畜生よ犬猫よとしかるとてうらむるな 願
かけぬ神もなくいのらずといふ仏もなく 三光天をおがむとて 七十
に成道順が朝毎垢離(こり)を取時は 惣身の骨はこほれ共娘がおきめに
あふならば 此くるしみを百千万かさねても物の数かはと こらへて月
日を拝するはあの月天子のせうらん有 利生は無下にはよも成まい 茂兵衛
たのむ煩すな 是爰に銀子壱貫目 家質の利息のたし銀に 黒谷
の和尚様よりかつたれ共 世間はつて何にせん家を町人へつき出し 寺へ帰す

此銀やるといふてはやられぬ もらふといふてはもらはれまい 道順が涙にく
れうろたへておといたぞ 落した物はひろい徳罰(ばち)があたれば落した者 ひろふ
た者に罰はないおばゝおじや帰ふと めうとせきあげむせび入二あし三足
立されば おさん茂兵衛はわつと泣銀取上てひたひに当て あんまりふかい親の慈
悲返つて冥加が恐ろしい なふとつ様かゝ様と呼かへせばふり返りなんにも云な
なんにもいふな さらば/\の泣き別れ父が帰れば母がとめ 母が帰れば父がとめ
おさん茂兵衛はあゆみかね 名残おしさに立とまり小だかき土手にのびあがり


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二人見送る影ぼうし賤が軒端の物ほしの 柱日本に月影の壁にあり
/\うつりしは うき身の果はとらはれてざいくは のがれぬ天のつげ 母は驚き
なふぢい様情なや爰にはりつけが 悲しやおばゝ おさん茂兵衛が影ぼうし 天道
の力にもかなふまいとのしらせかと 又絶かねて泣声に 内より玉はくゞり戸明け顔
指し出す其影の 同じく壁にうつりけるあれ又爰に獄門が 浅ましや此首の
其名は誰と白露の 玉ではないかおさん様さらば/\の声の中はや黒谷の後夜(ごや)
の鐘 消滅々とひゞきくる はてはじやくめついらくぞと名残 悲しき