仮想空間

趣味の変体仮名

戯場楽屋図会拾遺 下之巻 コマ66~75

 

 読んだ本 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2554349

 

66
○操人形細工人

 ○笹屋佐助 八まんすじさのや橋ひがしへ入北かわ
 ○冨田屋福蔵 新地黒門南へ入ひがしかわ

○幕引 大歌舞伎などは両方へ引わけなければ楽屋番 道具方 是をつとむるなり
    操芝居は床山此やくをなすなり 此幕引には諸事(ばんじ)心をくばりて大
事(たいせつ)の役なり 別して歌舞伎などにては幕の引きやうにて其場のよしあしあり

○拍子木 いづれも拍子木は狂げん方の役なり 此きやうげん方といふは作者
     のもの書く人なりといへども作者同やうにして狂言の作をなせり

附言
○世の中は色と欲とに染(そみ)安き人のごゝろは白絹におもひ合せば相同し
好みによりていろかはる 好いた目からはすぐちがえくぼ おもふて通へは
千里が壱里との古語もむべなるかな そも/\拍子木のはじは 壺を
打て?(ひやう)子となし 人を呼び施物(せもつ)などするにも 壺をうちて知らし
めしとかや 乞う人こゝに群がりよつてこれをうくる 施物なきたる時は
壺の底をたゝくならはしなり ゆへに今物の数つきたる事を 底を

たゝくと唱へ施もつをうけんとこゝに来り 施物つき壺のうつぶしに
なりたるを見てかしらをかき 嗚呼きつい壺じや と唱へしより今もなを
そのことの葉をのこせり 時に其頃釈迦と呼ばれ孔子の何がし老子のた
れと名付られし三人の智人(ちしや)あり 或日この壺の元に来りて曰 壺は
もと焼ものにして いたく是を打つにおいてはつるに打たらん事かた
かるべし さすれば板をもつて壺の形を作り是を打つねしと其品に
ことかわる 其後転変三年にいたりて温石(おんじやく)屋幸兵衛といふ人幼年より
智あること余人にこへたり 性を柴氏と号す 世の人柴温幸と呼べり
此家に伝ふる木魚あり そのかたち鯉ににたり これを打に鯉・来ひの音あれば
人を呼にくつきやうなりとて人みなこれに随身して 木魚をもつはら
世に行なふ されば木畚(もつこ)をもつて酒屋醤油屋の看板となしぬ
其家の子孫今も市中に見へたり 物も人こゝろはきのふの渕はけふの
瀬とかはり安きなるらせと飛鳥院の時にあたりて柏屋の杢(もく)兵衛
といふ人手拍子を打つ事に妙を得たり 裏表四八手を打つ 今いふ
宝永祭り狐狩人人の歯を手拍子にてぬき いはひの節(とき)祝ふて三度の
手拍子 手を打て人を呼び神に詣で柏手をうつ事みな此杢兵衛
よりおこるといへり この人剃髪してみづから柝庵(たくあん)と号す 一流をいたし
堅木をもつて角に長丈ものをこしらへ是を打つに其音妙なり 呼んで
拍子木といふ また柝庵が作れる所なれば柝木(たくぼく)のあり こゝにおいて木魚
は浮世のすたれものとはなれり 其節山城の国宇治のかた辺りに大嫡(?おほちやく)


67(絵図)
俳優(やくしや)似顔并に画讃

 市川市
蓮翹やかせの捌に績をなす(?)  三津人

 尾上 芙雀
静さや幾度あふきとり落し  尺艾

 芳澤巴江
あやめ草おとこもひけは女もひく  奇淵

 浅尾奥山
若葉青葉中に奥あふやまさくら  八千房


68(絵図)
 片岡我童
芭蕉曰く汁も鰆もさくらかなと  三四房

 藤川花友
百とせの馴こゝろなれはなのしも  丁江
 
 大谷此友
三月菜なか/\人に好れけり 竹男

 嵐璃寛
養父入の見るやき?の男ふり 銀獅


69(絵図)
 浅尾鬼丸 (略)

 關小太
かにかくにものにさはらす秋の松 芦村

 嵐雷子
ふりもよく?もまたよし玉椿 其?

 中山南枝
ぬれ色や木すら鳥すら春の雨 羽寿軒三力


70(絵図)
 瀬川路考
そか菊にならふ色香はなかりけり 無太郎

 中村芝翫
いか栗はいらひてもなしさはりても 藍々

 澤村其莟
佐保姫とおもひしもまた龍田姫 友国

 中山美男
手?くも見ゆる男に奈良うちは 馬尺

こゝに出だせる役者衆中尤不同ありといへども其次第甲乙を定むるにあらず 又
此余の人々多ければこと/\゛くのせず なを附録の巻に委しく出だす


71(66の続き)
大徳寺といへる禅寺あり 住僧の名を欲心といへり 此僧木魚のすたれたる
よりおもひいでゝ木魚を寺に贈り 念仏供養するものならば 温幸が
菩提ならんとそふれにけり 元よりすたれる木魚なればみな此寺に
持ち行きしが欲心はこゝろに よろこひうなづき此木魚を堂のかたはらに
掛置き 残れるを下寺に贈りて 多くの金銀にありつきけるこそ不敵
なり 扨拍子木は日々流行して諸々の相図・曲打などに用ゆる 中にも
路次番の拍子木には夜歩行(よあるき)の足をはやめ 火事しらしめの拍子木には
早めるしづめるもつて遠近をはかり知る 時打つ木こそ江戸鹿の子かねがみ
さきにことかはり 客にうかれがかず/\ござる 初夜の木をば打つ頃は諸々の
客衆もひらくなり 後夜の木をば打つ時は身上めつほうかまひなく
のち 身上にひゞきてや じやくめつめつい落合は家没落となるとかや
きいておどろく茶屋知るべ壱文懸る人もなし されは後生の木と
なりて妙見講の拍子木は妙法蓮華の臺(うてな)に座し自我得仏の道に
入る ねりものまたは曽我祭り この拍子木は花やかにかねすりいだす
打いだす 太鼓尺八琴三味線は手もおもしろき新さらし 東登り客づくし
玉川三景道成寺 打そろふた?大手に笹瀬ふじ石さくらの手打組 飯
しらす拍子木に腹もふつてう角力の中入???がもちし拍子木
こそ四本はしらを打ち廻す幕にかたむく日影さす はや黄昏になる
太鼓 打つ夜廻りの拍子木のおともさみしく小夜更てひとり寝そうき
床にふるまくらの霜にかねひゞきしのゝめ近くなりわたる 矢倉太鼓の

とうから/\札売声のいさましく大木戸中木戸勘定場とも/\たるたる
蠟燭は目さむるばかり粧ひて北も南も新町も堀江馬場先小町人場とさん
じきに花くらべ家業くらべに曲くらべ ほうろく鞨鼓があらそひの脇狂
言も早すみて大序の幕あけ近づきて○楽屋にチヨン/\二つの拍子木は
是聞合せの木とそいふ 道具立の出来たり?楽屋に知らする相図なり
其後知らせの木いふて是も同じく二つにして役者衆中囃子方いづれも舞台
へ出るなり 打あけの木いふて舞台へいてゝ三つ打ち此時口上出づるなり 口上
おはればチヨン/\/\三つの拍子木にて囃子方はうたひ出す これ聞掛(きつかけ)の
木といふなり また幕明けに三つ打つ跡にて数をうつ事を刻みに打と申と
ぞ せりあげ廻り 引道具 右はチヨン/\二つなり 長き文句も御たいくつ こ
こらでチヨン/\留木(とめき)といふ事さとすべし

 芝居のまくあけを 名所になそらへてよめる

 拍子木を打出の濱と聞からに人のこゝろいとゞうく浪


紅人芝居見語(おらんたしんしはいをみるはなし)
阿蘭陀は日本の地を去て海上壱万三千里にして西北に
当るとなり 此国ジヤガタラ國(日本より三千四百里あるよしなり)に出店を出し
こゝより舩をこしらへ日本の地にわたる其頃は毎年六月の末七月の初めなり 此
船中の長(かしら)たる人をカビタンといふ(これは船人にあらず紅毛の役人なり)此人五ヶ年に壱度江戸
拝礼として難波の津に足をとゞめこゝかしこ見物の折から道頓堀に来たつて


72
(右頁絵図)

(左頁)
竹田のからくりを見る事度々なり 中興大歌舞伎を見ることあり 此時役者
中へ種々の進物をおくりし事あり 其節一紙を出して鳥の羽根のごとき
筆出だし蘭書をかく 其十歩(ぶ)一を左(さ)に記す 其こゝろは此地にていはゞ当津の
芝居は三国一にして眼に見て言葉にのべがたしといふこゝろなりとかや 尚
紅人学(らんがく)好人(こうず)の知べし


○楽屋の占傍(せんぼう・さんせう)
 多くは操りの楽屋よりいでしものなり その外
 時々流行の言葉は定まりたる事なし
 こゝにあらはすはさだまりたる分なり

(以下「を」を「=」に代えて書きます)
男=しんてん 女=わこす 子供=えご 
娘=がり 年寄=よりと 後家=ちやうけい
てかけ=そくかけ 下女=たしわこと 惣髪=りやうたつ
おやま=やん 芸子=づるかぢり 牽頭持(たいこもち)=どん
顔=おかのしろ 鼻=しろざ 目=たつぱり
口=ちく 手=えんかう 足=すそく
不見(みけん)=ぜけん 大(おゝさひ)=やつかひ 坊主=しのき 又 いも
悪人(あほう)=金太郎 帯=ぐるり 脇差=かんど
鯛=にしのみや 酒肴=たつぽ 飯=西国
汁=ぢんだい 蛸=しのぎ 酒=赤むま 又 せいざ
香のもの=きら たいがらし=おしべすり 銭=しん太郎


73
着るもの=むき 物買う=たけ 泣く事=こだれる
借りる事=まかる 善事(よきこと)=助右衛門 悪事(あしきこと)=助四郎(は?ハ一?のことに
用ゆる たとへばみめよき女なれば助右衛門?ハことし云
又見くるしき男ならば駄田助四郎と云)かくのごとく言葉をとりあわせてつかふなり

○当時流行の言葉 ○あばづれ 是は伊勢の方言にして実は○阿波路(あはすれ)なり
阿州の人勢州に至り逗留の内古市にあそび酒興のたわむれもよく人にすれたるを
もつて此里にて阿波路(あはすれ)と呼しなり ○あばずれとはあやまり也 又○みそあける ○
身曽の文章にして東の言葉なり ○身曽(みかつて)也あへるはいふなり 此余略粋人の知るべし

 画工  松好斎半兵衛戯作
 筆工  浅野高蔵

 書林  大阪心斎橋通唐物町 河内屋太助蔵板

かざり竹 輿花の下道 桟敷のうら せり
上げ 万力 初午祭 とちり餅 小道具
壱之(?)ふろ ?る/\まて 是に芝居
穿郎の六韜三略とや有程に 跡書
なりとそのしりへに目出たいお立と
しるすものは本卦しまふる事 起き善に
なつたことし うまれの
 とりの初春       東西子馬


74(広告)
画工 浪華 松好高半兵衛著

劇場楽屋図会 後編 松好高 全二冊
(下)
此書はあやつり戯場(しばい)の楽屋こと/\゛くあらはし并に
南邊の名所名物茶屋おきやのありさま当時
流行なる事一切戯場によりたる事に狂歌をくわへ
猶委敷(しく)は文を以て分かつおもしろき書也 追刷
 絵本児手柏 同画 全二冊
(下)
此書は三ヶ津役者衆中似顔正写しになし其
狂言の前後を遠き風景にうつす 居ながら
しばいを見るよりも猶おもしろき絵本也 追刷

寛政十二 庚申 年 八文字屋八左衛門

大坂書林 心斎橋通唐物町 河内屋太助


 築地庭造伝 全編 全三冊
山水造りやう并に法式石の据やう樹木(うへき)の植かた
名勝真景の写しやう泉水并に瀧の仕かけ
水吐かし魚の中しなひ杉苔植やう草木育て
やう石燈篭手水鉢の事品々其外庭造りの
秘伝心得をつまびらかに記し次に諸方の
名高き林泉を模して孝作の便りとす 実に
庭造りの全備の書なり

 石組八重垣伝  全二冊
此書は離島軒秋里主人著はし給ふ所にて垣はかき
りといふ略語にして清浄不浄の境をかぎり庭前の趣
を添るになくて叶はず其垣に品と色と数あまたあ
れば委しく絵図にあらはし其結ひ方をひとつ/\をしへ
奥には又庭に置くべき石のくみかた五行石のわけ真の石組
口伝の中にも極ひでんにして家元数代秘しおかるゝ
此書を見給はずんばあるべからす

(下)
 山水 庭造 諸国茶庭名跡図会 全二冊
駿州義元公路地庭同じく書院の庭聚楽法印の路
地数寄屋并に書院犯歐織部遠州
休その外名家の御作尊貴の御庭名石木
絵図正写し之山水作りやう石の直しやう続
石の仕やう路地たゝき土の仕やう橋柱の図
ぬき穴あえきゃう口伝建仁寺名石の図法隆
寺山水の図其外諸国茶方の庭名家の図数
多あつめ作り秘事口伝をくはしく記す書也

 築山庭作伝  全三冊
此書は庭の作りやう真草行の造りかたより
さま/\゛の変法面白き気色を見立て自然の作
意を以てつくりなせる法式数ヶ条図画にあらはし
此書を見て庭を造れば家相にも叶ひ其家栄ふ
べし新奇絶妙を知り給へるの書なるべし


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 築山庭造伝  後編全三冊
往昔(そのむかし)文武帝の御宇太政大臣良房公建てたまふ
処の庭相の法松雪斎相阿弥伝はり今の正阿
弥の家連綿たり離島軒秋里大人は其家元
の後見となること十右有余年に庭造りの法乱れ
たることをうれひ法の全きこと度にしたがふて流
行を造ることを示さんがため全図真行草を著
はし相印を以てくわしく石の置やう樹の植やう
泉水の象(かた)ち築山平庭山道飛石橋のかけ
やう前裁の趣向のこらず示し茶の間ひろ間
書院向きと庭の心得に変ることなしいかやうの
景色にても主人(あるじ)の好みによりて造るもの成れば
法といゝ式といふて何といふ石は爰に置かずば
ならぬと偏屈に心得たる人のために石あるひは血
割の方位心の儘にすることを図を以てわかつ 必ず
法に縛せらるゝ人は此條をよく意得して自由
を得るもの也 前編と合わし見給ふべし

(下)

 墨江武禅翁遺意
 占景盤図式 極彩色入 上仕立  全二冊
此書は武禅翁画事の余は常に景盤を占
ふて今其風世に専ら流行す こゝに翁の造
する占盤あるひは富家に所持の景盤を
図にあらはし附録占盤の造りやう諸国名
所類植物堂格人家人物置物るい掃除の
仕やう養ひやう抔をくわしくしるし富家の
諸君を造りし書なり

 花壇綱目  全三冊
樹木草花の育てやう実うえ接木の法花
壇培養(つちかいやしなひ)秘伝地こしらへ肥しの仕やうその
ほか口伝秘事抔こと/\゛く訳て玩木家必
覧の書なるべし

大阪心斎橋唐物町
 河内屋太助