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仮名手本忠臣蔵 九段目 山科の雪転

 

九段目 雪転しの段

    山科閑居の段

 

読んだ本 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/856214

 

 

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仮名手本忠臣蔵 九段目

風雅でもなく しゃれでもなく   (雪転しの段
しょう事なしの山科に由良助
が侘住居祇園の茶やに
きのうから雪の夜更かし朝戻り

 

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3
牽頭(たいこ)仲居に送られて酒が
ほたへる雪こかし雪はこけいで
雪こかされ 仁体(じんたい)捨てし遊び
なり 旦那申し旦那 お屋敷の
景よふござりますお庭の藪

に雪持ってトなった所 とんと
絵に書いた通り けうといじゃ
ないかいのふお品 サア此景を
見て外かはどっちへもいき
たうはござりますまいがナ ヘッ

 

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4
朝夕に見ればこそ有る住吉
の 岸の向かいの淡路島山と
いふ事しらぬか 自慢の庭で
も内の酒は呑めぬ/\ エヽ通らぬ
やつ/\ サア/\奥へ/\はどこにぞ

お客が有ると 先に立って飛び石
の 詞もしどろ足取りもしどろ
に 見ゆる酒機嫌 お戻りそふ
なと女房のお石が軽ふ汲んで
出る茶屋の茶よりも気の

5
花香 お寒かろうと悋気せ
ぬ詞の塩茶酔い醒まし 一口呑んで
後打ち明け アヽ奥無粋なぞや/\
折角面白う酔(えひ)た酒(ささ)醒ませとは
アヽアヽ降ったる雪かな いかふ余所

のわろ達が嘸悋気とや見
給ふらん それ雪は裲襠に
似て飛んで中入りと成る 奥はかゝ
さまといへばとつと世帯じむ
といへり 加賀の二布へお見込み

6
の遅いはご用捨(やうしゃ)伊勢海老
と盃穴の稲荷の玉垣朱ふ
なれば信がさめるといふ様な
物かい ヲイこれ/\/\こぶら返りじゃ
足の大指折ったり/\ おっとよし/\

次手にこうじゃと足先で
これほたへさしゃんな嗜ま
しゃんせ 酒が過ぎるとたはいが
ない ほんに世話でござらふのと
物やはらかにあいしらふ 力弥心得

7
奥より立ち出で 申し/\母人 親父様は
御寝(ぎょし)なったか 是上げられいと指し
出す親子が所作を塗り分けても
下地は同じ桐松 ヲヽヲヽ応は夢現
イヤもう皆いにやれ ハイ/\/\そんならば

旦那へ宜しう 若旦那ちと御出で
を目づかひて逝際(いにぎわ)わるふ帰り
けり 声聞えぬ迄行き過ぎさせ
由良之助枕を上 ヤア力弥遊
興に事よせ丸めた此雪 所存

8
有っての事じゃが何と心得たぞ
ハッ雪と申す物は 振る時には少しの
風にも散り 軽い身でござりませふ
共 あの如く一致して丸まった時は
嶺の吹雪に磐をも砕く大石

同然重いは忠義 其重い忠
義を思ひ丸めた雪も余り日
数を延過ぎてはと思し召しての イヤ/\
由良之助親子原郷右衛門など
四十七人連判の人数(じゅ)はな 皆

 

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9
主なしの日かげ者 かげにさへ
置かば解けぬ雪 せく事はないと云ふ
事 爰は日当たり奥の小庭へ入れて
置く 蛍を集め雪を積むも学
者の心長き例し 女共切り戸内から

明けてやりゃれ 堺への状認(したた)めん
飛脚が来たらばしらせいよ
アイ/\間の切り戸内 雪こかし
込み戸を立てる襖引立て「入りにける (山科閑居の段
人の心の奥深き山科の隠れ

 

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10
家を 尋ねて爰に来る人は
加古川本蔵行国が女房とな
せ 道の案内の乗り物をかたへ
に待たせ只一人 刀脇差さすが
げに行儀見棚図庵の戸口

頼みませう/\と云ふ声に 襷はづし
て飛んで出る 昔の奏者今の
りん どうれといふもつかうど
成る ハッ大星由良之助様お宅は
是かな 左様ならば 加古川本蔵が

11
女房となせでござります 誠
に其の後は打ち絶えました ちとお目
にかかりたい様子に付き遙々参り
ましたと 伝えられて下されと
いひ入れさせて表の方 乗り物

是へと舁(かき)寄せさせ 娘爰へと
呼び出だせば 谷の戸明けて鶯の
梅見付けたるほほ笑み顔まぶか
に 着たる帽子の内 アノ力弥様
のお屋敷はもう爰かへ わしゃ

12
恥しいと媚(なまめ)かし 取り散らすを片
付けて 先ずお通りなされませと
下女が伝える口上に 駕の者
皆帰れ 御案内頼みますと
いふもいそ/\娘の小浪 母が

付き添い庭に直れば お石しと
やかに出でむかひ 是は/\お二方
共よふぞや御出で とくよりお目に
もかかる筈 お聞き及びの今の
身の上 お尋ねに預りお恥ずかしい

13
あの改まったお詞 お目にかかるは
今日始めなれど 先達て様子
息力弥殿に 娘小浪を云号
残したからは おまへなりわたしなり
?(あいやけ)同士御遠慮に及ばぬ事

是は/\痛み入る御挨拶 殊に御用
しげい本蔵様の奥方 寒空
といひ思いがけない御上京 とな
せ様はともわれ小浪御寮 さぞ
都めづらしからふ 祇園清水知恩

14
院大仏様御らうじたか 金閣
寺拝見あらばよい伝(つて)が有るぞえと
心置きなき挨拶に 只あい/\も
口の内 帽子まばゆき風情なり
となせは行儀改めて 今日参る

事余の義にあらず 是成る娘
小浪云号残して後御主人塩
冶殿に慮の義に付き由良之助様
力弥殿在所もさたかならず
移りかわるは世のならひ替らぬは

15
親心とやかくと聞き合せ 此の山
科にござる由承りましたゆえ
此方にも時分の娘早うお渡し
申したさ 近頃押し付けがましいが 夫
も参る筈なれど出仕に隙(ひま)の

ない身の上 此の二(ふた)腰は夫が魂
是をさせば則夫本蔵が名
代と わたしが役の二人前 由良
之助殿にも御意得まし 祝言
させて落ち付きたい 幸いけふは

16
日柄もよし 御用意なされ下
さりませと相述ぶる 是は思い
もよらぬ仰せ 折悪ふ夫由良
之助は他行(たぎょう)去りながら もし
宿におりましてお目にかかり

申さふならば 御親切の程千万
忝ふ存じまする 云号残した
時は 故殿様の御恩に預り
御知行頂戴致し罷りある故
本蔵様の娘御を貰ひませう

17
然らばくれうと 云い約束は申し
たれ共 只今は浪人人遣ひ迚も
ござらぬ内へ いかに約束なれば
迚 大身な加古川殿の御息
女 世話に申す提灯に釣鐘

つり合わぬは不縁の元ハテ結納(たのみ)を
遣わしたと申すではなしどれへなりと
外々へ 御遠慮なふ遣はされませ
と申さるるでござりませふと 聞いて
はっとは思ひながら アノまあお石

18
様のおっしゃる事 いかに卑下なさ
れう迚 本蔵と由良之助様身上(しんじょう)
が釣合わぬとな そんならば申しま
せう 手前の主人は小身者ゆへ
家老を勤むる本蔵は五百石

塩冶殿は大名 御家老の由良
助様は千五百石 すりゃ本蔵が
知行とは 千石違うを合点れ云
号はなされぬか 只今は御浪人
本蔵が知行は皆違ふてから

19
五百石 イヤ其お詞違いまする
五百石は扨置き 一万石違ふても
心と心が釣り合えば 大身(たいしん)の娘で
も嫁に取るまいでもない ムヽこりゃ
聞き所お石様心と心が釣り合わぬ

とおっしゃるは どの心じゃ サア
聞こう 主人塩冶判官さまの
御生害 御短慮とは云いながら
正直をもとヽするお心より發(おこ)りし
事 それに引きかえ師直に金銀

20
をもって媚び諂う追従武士
の禄を取る本蔵殿 二君に仕え
ぬ由良助筋が大事の子に釣り
合わぬ女房は持たされぬと聞くも
あへず膝立て直し 諂い武士とは

誰が事 様子によっては聞き捨て
られぬ そこを赦すが娘の
かわいさ 夫に負けるは女房の
常 祝言有ろうが有るまいが 云
号有るからは天下晴れての力弥が

21
女房 ムヽ面白い 女房ならば夫
がさる 力弥にかはって此母が
さった/\と言い放ち 心隔ての
唐紙をはたと 引立て入りにける
娘はわっと泣き出だし 折角思い

思われて云号した力弥様に
逢わせてやるとのお詞を便りに
思ふてきた物を 姑御の胴欲に
さられる覚えはわたしゃない 母御
どうぞ侘び言して 祝言させて

22
下さりませと縋り嘆けば母
親は 娘の顔をつく/\゛と 打ちn
がめ/\ 親の欲目かしらね共
ほんにそなたの器量なら 十
人並にもまさった娘 よい聟

をがなと詮議して云号(なづけ)した
力弥殿 尋ねてきたかいも
なう 聟にも知らさずさろた
とは 義理にも云われぬお石殿
姑去(ざり)は心得ぬ ムヽ扨は浪人の

23
身のよるべなう筋目といひ立て
有徳(うとく)な町人の聟になって
義理も 法も 忘れたな ナフ小浪
今いふ通りの男の性根 さつ
こといふを面当てにほしがる所は

山々 外かへ嫁入りする気はないか コレ
大事の所泣かず共しっかりと返事
しや コレどふじゃ/\と 尋ねる親の
気は張り弓 アノ母様のどうよくな
事おっしゃります 国を出る折

24
とと様のおっしゃったは浪人し
てもおおぼし力弥 行儀といひ
器量といひ 仕合せな婿を取った
貞女両夫にまみへず 譬え夫に
別れても又の夫を儲けなよ 主有る

女の不義同前必ず寝覚めにも
殿御大事を忘るるな 由良之助
夫婦の衆へ孝行尽くし夫婦
中 睦まじい迚あじゃらにも 悋気
ばししてさらるるな 案ぜうか

25
迚隠さずと懐妊(みもち)になったら
早速に知らせてくれとおっしゃっ
たをわたしゃよう覚えて居る
さられて逝んでとと様に苦に苦
をかけてふぉういうてふぉう云い訳が

有ろう共 力弥様よりほかに余(よ)の殿御
わしゃいや/\と一筋に恋をたて
ぬく心根を 聞くに堪え兼母親
の 涙一途に付き詰めし 覚悟の刀
抜き放せば 母様是は何事と押し留め

26
られて顔を上げ 何事とは曲がない
今もそなたがいふ通り一時も早う
祝言させ 初孫の顔見たいと娘
に甘いは爺のならひ悦んでご
ざる中へまだ祝言もせぬ先に

去られて戻りました迚どふ連れ
て逝なれふぞ といふてさきに
合点せにや仕様もやふもないわい
の 殊にそなたは先妻の子
わしとはなさぬ中じゃ故 およそ

27
にしたかと思われては どうも生き
ては居られぬ義理 此通りを
死んだ後で爺御へいひ訳して
たもや アノ勿体ない事おっしゃり
ます 殿御に嫌われわたしこそ

死ぬべき筈 生きてお世話になる
上に苦を見せまする不孝者
母様の手にかけてわたしを殺して
下さりませ さられても殿御の
内爰で死ぬれば本望じゃ 早う

28
殺して下さりませ ヲヽヲよういった
でかしゃった そなた斗り殺しは
せぬこの母も三途の供 そなた
をおれが手にかけて母も追っ付け
後から行く 覚悟はよいかと立派にも

涙とどめて立ちかかり コレ小浪 アレ
あれを聞きや 表に虚無僧
の尺八 靍の巣籠り 鳥類で
さえ子を思うに科もない子を
手にかけるは 因果と因果の

29
寄り合いと 思えば足も立ちかねて
ふるう拳を漸に降り上げる刃の
下 尋常に座をしめ手を合わせ
なむあみだ仏と 唱ふる中より
御無用と 声かけられて思わず

も たるみし拳尺八もともに
ひっそとしづまりしが ヲヽそうじゃ
今御無用と止(とどめ)たは虚無僧
の尺八よな 助けたいが山々で 無用
といふに気おくれし 未練なと

30
笑われな 娘覚悟よいかやと
又ふり上る又吹き出だすとたんの
拍子に又御無用 ムヽ又御無用
と止めたは修行者の手の内か
ふり上げた手の内の イヤお刀の手

の内御無用 ?力弥に祝言
させふ エヽそふいふ声はお石様
そりゃ真実か誠かと尋ぬる
襖の内よりも あひに相生の
松こそめでたかりけれと 祝儀

31
の小謡白木の小四方 目八分
に携え出で 義理有る中の一人娘
殺ささふと迄思い詰めたとなせ
様の心底 小浪殿の貞女 志が
いとおしさ させにくい祝言さす

其かわり余の道ならぬ嫁の盃
請け取るは此三方 御用意あらばと
さし置けば 少しは心休まって抜きたる
刀鞘に納め 世の道ならぬ盃
とは引出物の御所望ならん

32
此二腰は夫が重代刀 は政宗
指し添えは娘の平行安 家にも
身にもかへぬ重宝 是を引出と皆
迄云わさず 浪人と侮って 価の
高い二腰 まさかの時に売り払え

と云わぬ斗りの聟引出 御所望
申すは是ではない ムヽそんなら何が御所
望ぞ 此の三方へは加古川本蔵殿
の お首が乗せて貰いたい エヽそりゃ
又なぜな 御主人塩冶判官様 高

33
師直にお恨み有って 鎌倉殿で
一刀に切りかけ給う 其ときこなた
の夫加古川本蔵 其座に有って
抱き留め 殿を支えた斗りに本望も
とげられxず 敵は漸薄手斗り故は

やみ/\御切腹 口へこそ出し給はね
其時の御無念は本蔵殿に憎し
みがかかるまいか 有るまいか 家来
の身として其加古川が娘あん
かんと女房に持つ様な力弥じゃと

34
思ふての祝言ならば此三方へ
本蔵殿の白髪首 いやと有らば
どなたでも首を並べる尉と姥
それ見た上で盃させふ サヽサア
いやか おうかの返答を鋭き詞

の理屈詰め 親子はっとさし
俯き途方にくれし折からに
加古川本蔵が首進上申す お受け
取りなされよと 表に控えし虚無
僧の 笠ぬぎ捨ててしづ/\と内へ

35
はいるは ヤアお前はとと様 本蔵様
爰へはどふしてこの形(なり)は 合点がいか
ぬこりゃどふhたと咎むる女房
ヤアさは/\と見ぐるしい 始終の子
細皆聞いた そち達にしらさず

爰へきた様子は追って 先ずだまれ
其元が由良之助殿の御内証
お石殿よな 今日の時宜斯く給わらん
と思い 妻子にも知らせず様子を
窺う加古川本蔵 案に違がわず

36
拙者が首 聟引出にほしいとな
ハヽヽヽいやはやそりゃ侍のいふ事
主人の怨(あだ)を報わんという所存も
なく 遊興にふけり大酒に性根
を乱し 放埓成る身持ち日本一の

あほうの鏡 蛙の子は蛙に成る
親に劣らぬ力弥めが大だわけ
うろたえ武士のなまくらはがね
この本蔵が首は切らぬ 馬鹿つく
すなと踏み砕く 脇三方のふち

37
放れ こっちから聟には取らぬちょ
こざいな女めと云はせも果てず ヤア
過言なぞ本蔵殿 浪人の
錆刀切るか切らぬか塩梅見せふ
不祥ながら由良之助女房望む

相手じゃ サア勝負/\と裾引き
上げ 長押(なげし)にかけたる鑓追っ取って突
かからんず其気色 是は短気な
マア待ってととどめ隔つる女房娘
邪魔ひろぐなとあらけなく 右と

38
左へ引き退くる間もあらせず突き
かくる 鑓のしほ首引っ掴み捩(もじ)って
払えば身を背け 諸足ぬはんとひら
めかす はむねを蹴って蹴上げれば
拳放れて取り落す 槍奪われじと

走り寄る腰際帯際引っつかみ
どふと打ち付け動かせず 膝にひっ
敷く強気(ごうき)の本蔵 しかれてお石が
無念の歯がみ 親子ははあ/\
あやぶむ中へ かけ出る大星力弥

39
捨てたる槍を取る手も見せず本
蔵が 馬手のあばら弓手へ通れと
突き通す うんと斗りにかっぱとふす
コレ情けなやと母娘取り付き 嘆くに目
もかけず とどめささんと取り直す

ヤア待て力弥早まるなと 槍引
とめて由良助手負いに向かい
一別(いちべつ)以来珍しし本蔵殿 御計
略の念願とどき 聟力弥が手
にかかって 嘸本望でござろう

40
のと 星をさいたる大星が 詞に
本蔵目を見開き 主人の欝
憤を晴らさんと此の程の心遣い
遊所の出合いに気をゆるませ
徒党の人数は揃いつらんと思えば

貴殿の身の上は 本蔵が身に
有るべき筈 当春靍が岡造
営の砌 主人桃井若狭之助
高師直に恥しめられ 以ての外憤り
某を密かに召され まつかう/\の物語

41
明くる日御殿にて出っくわせ 一刀に打
留めると思い詰めたる御顔色 とめ
てもとまらぬ若気の短慮
小身故に師直に 賄賂薄きを
根に持って恥しめたると知ったる故

主人に知らせずに相応の金銀
衣服臺の物 師直へ持参して
心に染まぬ諂いも主人の大事
と存ずるから 賄賂負わせあっち
から誤って出た故に 切られぬ

42
拍子ぬけ 主人が恨みもさらりと
晴れ 相手かわって塩冶殿の 難義
となったは則ち其日 相手死なずば切
腹にも及ぶまじと 抱き留めたは思い
過した本蔵が 一生の誤りは娘

が難儀と白髪の此首 聟殿
に進ぜたさ 女房娘を先へ登し
媚諂いしを身の科においとまを
願うてな 道をかへてそち達より
二日前に京着 若いおりの遊芸が

43
役にたった四日の内 こなたの所存
を見ぬいた本蔵 手かかれば恨みを
晴れ 約束の通り此娘 力弥に添わ
せて下さらば 未来永劫御恩は
忘れぬ コレ手を合して頼み入る忠義

にならでは捨てぬ命 子故に捨つる
親心推量有れ由良之助殿という
も涙にむせ返れば 妻や娘は
有るにもあられず ほんにかうとは
露しらず死におくれたばかりに

44
お命捨てるじゃあんまりな 冥加の
程が恐ろしい 赦して下され父上
とかっぱとふして泣きさけぶ親子
が心思いやり 大星親子三人も
供にしほれて居たりしが ヤア/\本蔵殿

君子は其罪を憎んで其人を
憎まずといへば 縁は縁恨みは
恨みと 格別の沙汰も有るべきに
と 嘸怨みに思われんが所詮此
世を去る人底意を明けて見せ

45
申さんと 未前を察して奥庭
の障子さらりと引明くれば 雪を
つかねて石塔の五輪の形を
二つ迄 造り立てしは大星が 成り
行き果てを現わせり となせはさかしく

ムヽ御主人の仇を討って後二君
に仕えず消えるというお心のあの
雪 力弥殿も其心で娘を去っ
たのどうよくは 御不便あまって
お石様恨んだ がわしゃ悲しいとなせ

46
様のおっしゃる事 玉椿の八千代迄
共祝われず 後家に成る嫁取った 此の
様なめでたい悲しい 事はない かふいう
事がいやさにむごふらふ云たのが
嘸憎かったでござんしょなふ イヽエイナ

わたしこそ腹立つまま 町人の聟
に成って義理も法も忘れたか
といふたのが 恥ずかしいやら悲しいやら
どふも顔が上げられぬお石様
となせ様 氏も器量も優れた

47
子何として此やうな果報拙い
生れやと声も 涙にせい上げる
本蔵あつき涙を押さえ ハッアヽ
嬉しや本望や 呉王(ごおう)を諌めて
誅せられ辱めをわらひし

呉子疋が忠義は取るに足らず
忠臣の鑑とは唐士の余譲
日本の大星 昔より今に至る
まで 唐と日本にたった二人
其一人を親に持つ 力弥が妻に

48
成たるは 女御更衣に備わる
より 百倍勝ってそちが身は
武士の娘の手柄者 手柄な
娘が聟殿へ お引の目録進
上と 懐中より取り出だすを 力弥

取って押し戴き開き見れば コハ
いかに 目録ならぬ師直が屋敷
の案内一々に玄関長屋侍
部家 水門物置柴部屋迄
絵図にくはしく書き付けやり 由良助

49
はっと押戴き ヘッエ有難し/\
徒党の人数は揃え共敵地
の案内知らざるゆえ発足も
延引せり此絵図こそは孫
呉が秘書我が為の六韜(りくとう)三略

兼て夜討と定めたれば 継梯子
にて塀を越え忍び入るには縁側
の 雨戸はづせば直ぐに居間 爰を
しさってかうせめてと親子が
悦び 手負ながらもぬからぬ

50
本蔵 イヤ/\それは僻事(ひがごと)ならん
用心きびしき高の師直障
子襖は皆尻ざし 雨戸に合
栓合枢(くるる) こぢてもはづれずかけ
やにてとほさば音して用意せん

がそれいかが ヲヽそれにこそ術(てだて)有り
凝っては思案にあたはずと 遊所
よりの帰るさ 思い寄ったる前
栽(せんざい)の雪持つ竹 雨戸をはづす
我が工夫仕やうを爰にて見せ

51
申さんと 庭に折しも雪深く
さしもにつよき大竹も雪の重
さに ひいわりとしはりし竹を 引
廻し鴨居にはめ 雪にたわ
むは弓同然 此如く弓をこしらえ

弦を張り鴨居と敷居にはめ
置いて 一度に切って放つ時はまつ
此やうにと積ったる枝うち
はらへば雪ちって のびるは置く
なる竹のちから 鴨居たわんで

52
みぞはづれ 障子残らず
ばた/\/\ 本蔵くるしさ打ち
忘れ アヽアしたり/\ 計略と
いひ義心といひかほどの
家来を持ちながら了見も有る

べきに あさきたくみの塩冶殿 ←
口惜しき振舞いやと 悔みを聞く
に御主人の御短慮成る御仕
業 今の忠義を戦場の御馬
先にて尽さばと 思えば無念に

53
とぢふさがる 胸は七重の門
の戸を漏るるは 涙ばかりなり
力弥はしづ/\おり立って父が
前に手をつかへ 本蔵殿の
御芳志により敵地の案内

知ったるうえは泉州堺の天河
屋義平方へも通達し荷
物の工面仕らんと聞きもあへず
何さ/\ 山科に有る事隠れなき
由良之助 人数あつめは人目有り

54
一先(ひとまず)堺へ下って後あれから直ぐに
発足せん 其方は母嫁となせ
殿諸共に 後の片付け諸事万事
何もかも 心残りのなき様に ナ ナ
コリャあすの夜船に下るべし 我は

幸い本蔵殿の忍びすがた
を我が姿と 袈裟打ちかけて
編笠に 恩を戴く報謝返し
未来の迷い晴らさん為 今宵
一夜は嫁御寮へ舅がなさけの

 

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55
れんぼ流し 哥口しめして立ちい出れば
かねて覚悟のお石がなげき
御本望と斗りにて名残惜しさの
山々を言わぬ心のいぢらしさ 手負いは
今を致死後時 とと様申しとと様と

よべど こたへぬ断末魔 親子
の縁も玉の緒も切れて一世の
憂きわかれ わっと泣く母泣く娘
供に死骸にむかひ地の 回
向念仏は恋無常 出行く足も

 

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56
立ちどまり 六字の御名を笛の
音に 南無阿弥陀仏 なむ
あみだ是や尺八ぼんのふの枕
ならぶる追善供養 閨の契は
一と夜ぎり心 残して 立出る

 

 十段目 天河屋の段につづく