仮想空間

趣味の変体仮名

平家女護島 鬼界が島の段

 

読んだ本 http://www.enpaku.waseda.ac.jp/db/index.html イ14-00002-724 

参照した本 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/970018/239?viewMode=

 

 

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 第二


我門に千尋有陰と詠ぜしも 平家に繁る園の竹 入道相国
の御娘中宮御産のあたり月 御産所は六らの池殿にて 豫兼ての御祈
祷御室東寺天台座主を始 御願寺十六ヶ寺 いせ住吉加茂厳島
七十余ヶ所の御奉幣 中にも能登の守教経は石清水御代参 駒をはやめ
て下向有 鳥羽のつくり道 丹左衛門の尉基康瀬尾の太郎兼康 雑式
供人相具し旅出立にて参り合 われ/\は中宮御庭あたり月様々の


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御願に付 今日獄屋をひらき罪科人共残らず御免是によつて 鬼
界ヶ島の流人をも召かへさるヽゆるし文の御使 両人承り候なりとぞ
申ける 能登殿やがており立給ひ ムヽ流人御免とは尤の善根然らば
勿論俊寛僧都 丹波の少将成経平判官康頼 三人尤の御しや
めんであらふずなとの給へば イヤ御ゆるし文の名付は丹波の少将
平判官二人斗 俊寛は殊に御にくしみふかく 一人島に残し捨よとの
御諚と聞もあへず扨こそ/\是に付ても小松殿は三世を見ぬく

末代の県人(賢人) 入道殿じひ心なく 意地づよき気質を今病中
にも一つの悔 鬼界ヶ島の流人共赦免の時 俊寛はにくしみふかく
一人島に残さるゝ事有共 一つ達ていさめ申せ 重盛ひとりいふ
にもあらず 忝も鳥羽の法皇かね/\゛の御嘆 彼是院宣と思ひ
一人も島に残すな それにも入道殿承引なくば一つの心得にて 中
備前の辺迄呼のほせ時節を見よ 我死後迄も遺言と
思ひ忘るゝなと かく云教経一つ残らず病床に呼あつめての詞 一つは皆忘


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れしか覚えても守らぬか エヽいひ甲斐なき者共かな イヤ/\人は
ともあれ此教経は 小松殿の詞あだにはせじ入道殿へ申間 両人
暫く是にまてと馬引よせのあrんとし給へは瀬尾太郎つヽと寄
アヽ申々いはれざる御取もちやせ坊主一人たすけし迚 定業の御
難産が変成男子の御平産も候まし 惣して俊寛当家御取立の
身にて恩しらずの畜生 女房あづまやが御馳走答拝請ながら
御心にしたがはず慮外の自害 第一に家来有王といふ小せがれ

御前に切入らうぜき者推参者 かヽる不当の俊寛を召かへし あたを
求れんは狼の子飼する同然 今をもしらぬ大病の小松殿御付
たヽぬとて なんのとがめもなき事と 申内より能登殿気色損じ 
だまれ瀬尾ことばおほし 汝が様成不実者に問答むやく しよせん後
免が赦文は教経かいて渡さん硯料紙との給へは イヤ申我らは少将
平判官二人斗御ゆるしに 入道相国公の御使外の義は存ぜず 急きの
公用御暇とずんと立ば丹左衛門とゞめ 是々御辺斗がお使か 両


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人承る上は万端相談入懇も有べき所 いかめしげに先立独りぬきん
出何とする 何事も御産安徳の為ならずや 祈誓も立願も
慈悲心なくてかなふべきか 別紙に俊寛のゆるし文持参して 使の
越度に成とても御辺に科はかけまい 此丹左衛門基康が腹切
迄と申詞に一致して 俊寛がゆるし文能登の守教経と 在判して
渡さるゝ丹左衛門重て 赦免状は済候へ共海上改めの関所/\通り切手
鬼界ヶ島の流人只二人と斗かヽれたり 是ぞ難義と出せば取

て披見有 ヲヽ是ぞ猶心安し 二の字の上に能登の守が一点くはへて る
にん三人関所が意義なら通すべき者なりと読上て 渡し給へば丹左衛門請
取此上もなき善根 関所もやす/\御産もやす/\ 瑞相よき門
出いざたヽれよ兼康と いへ共瀬尾しぶ/\顔 女わらべのする外に
じひ善根などで子が生るゝ程ならば 世に難産はあるまいか
産の道は離れ物此うへに中宮の 御身にけがの有た時能登
守教経と申弓取 ぐちもんもうのお名がながれん笑止/\と 舌も


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ひかぬに六はらよりはや使 中宮御平産王子御たん生赦し文のお使 よ
ろこんでいそがれよと呼はる声に瀬尾の太郎がむつと顔 是瀬尾女
わらべのする様な慈悲ぜんこんのきどくあれ聞いたるか 教経がもんもう
の名をながさんかとの気毒 汝らは智恵有て人の上迄心づかひ大儀
/\ 去ながらちゑも余り働けば 後には其智恵も落 つれて首
も落る物 用心して道いそげと詞も胸にはつしとあたり 小松殿
の大悲の弓 能登殿の義信の矢 海山こへて末遠きつくしの空や

もとよりも此島は鬼界ヶ島と聞なれば 鬼有所にて今生より(文楽公演鬼界ヶ島ここから
のめいどなり たとひいか成鬼なりと 此あはれなどかしらさかん
此島の鳥けた物もなくは我をとふやらん 昔かたるも忍ぶにも
都に似たる物とては 空に月日のかけ斗 花の木草も稀
なれば 耕し植ん五つのたなつ物もなく せめて命をつな
げとや 峯より硫黄の燃出るを 釣人の魚にかへ波のら
めやひかたの貝 見るめにかヽる露の身は憔悴枯槁のつく


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も髪 肩に木の葉の綴させてふ虫の音も かれ木
の枝に よろ/\ よろ/\と今は胡狄の一足とかこちしと
俊寛か身にしら雪の つもるを冬きゆるを夏風けしき
を暦にて 春ぞ秋ぞと手をおれば凡日数は三年の こと
とふ物は沖津波磯山おかつし濱鵆 涙をそへて古門(?ふるさと)へ
いつめくり行小車の わだちの鮒の水をこふうきめも中々
に くらべくるしき身の果の命 待まで哀成 おなじ

おもひに朽はてし鶉衣にこけふかき 岩のかけぢをつ
たひをりわつらふ有様 我もあの姿かや 諸阿修羅道
在大海辺 そも三悪四執は 深山海つらに有と御経に
とかれしが しらず我餓鬼道にや落けんと 能々見れば平判
官康頼 アヽ我も人もかくもおとろへ果しかと 心もさはぐ浜辺
のあし かきわけ/\くる人は丹波の少将成経 なふ少将殿なふ康頼
こは俊寛僧都かと招き合あゆみ寄 友なふ人とてはあけても


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やすより くれても少将 三人の外なき物を何とてか音づれたへ
山田もらねと世にあきし 僧都が身こそかなしけれと手を
取かはし泣給ふ かこちは道理去ながら 康頼は此僧に 熊野三
所を勧請し日参に暇なし 三人の友なひも此頃四人に成たるを
僧都はいまだ御存じなきか 何四人に成たるかとは 扨は又流人ばし
有ての事か イヤさやうではなし 少将殿こそやさしき海士の恋に
むすぼれ 妻を儲け給ひしといふより僧都莞?(爾)と 珍し/\

配所三とせが間人のうへにも我うへにも 恋といふ字の聞始笑ひ顔も
是始 殊更海士人の恋とは大職冠行平も 磯にみるめの汐なれ
衣 ぬれ始は何と/\ 俊寛も古?にあづまやといふ女房明くれ思ひ
したへば 夫婦の中も恋同然 かたるも恋聞も恋 聞たし/\語給へとせめ
られて 顔を赤むる丹波の少将 三人互の身の上をつヽむにはあらね
共 数ならぬ海士の茶舩押出して 恋と申も恥かしなから なふかヽる
辺国波島迄たがふみ分し恋の道 あの桐嶋の漁夫が娘千鳥


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といふ女 世のいとなみの汐衣 汲も焼もそれはまだ浜辺
のわざ そりや時ぞと夕時にかわいや女の丸裸 腰にうけ桶
手には鎌 千尋のそこの波間をわけて見つめかる わかめあら
めあられもない裸身に 鱧がぬら付ぼらがこそぐるがざみがつ
める 餌かと思ふて小鯛がちヽにくひ付くやら 腰の一重が波にひたれ
てはだゑも見えすく 壺かと心得蛸めが臍をうかゞふ うきぬ
しづみぬ浮世波か 人魚の泳ぐもかくやらん 汐干になれば洲崎

の砂の腰だけ 踵には蛤ふみ 太腿に蚶(赤貝)はさみ 指てあはび
おこせば爪は蛎がいばいのふた あまの逆手を打やすみつげの小櫛
も取間なく 螺のしりのぐる/\わげも縁あるめからは玉かづら
かゝる嶋へもいつの間に むすぶの神の影向か 馴そめなじみ
今は埴生の夫婦住 夫を思ふ真実の情ふかくしる 木の
葉をあつめ縫つゞり針手きヽ さ夜の寝覚は塩じむはだに
引よせ 声こそはさつまなまり世にむつましいむつ云


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うらが様なめら 歌連哥にべる都人夢にも見やしめすまい 縁
あれはこそだいてねてむぞうか者共おもしやつてたもりめす
と思へば 胸つぶしうほや/\しやりめす 親もない身大事のせ
なの友達 康頼様は兄丈俊寛様は爺(てヽ)様とおがみたい 娘よ
いもよとせかろかくせろときやつてりんによがつてくれめせかしと
ほろと泣たるかはいさ 都人のごさんほより ちんによきやつて
くれめすが 身にしみわたるとかたらるゝ 僧都聞入感にたへ

扨々おもしろふて哀でだてゞ殊勝でくわいひ恋 先其君に
見参いざ庵へ参らふか いや則あれ迄同道 千鳥/\と呼
れてあいとあしかきわけ 竹の?にめさし籠 かたげたふりも
小じほ らしげな見めがらよければ身に着たり つゞれも綾羅
錦繍を はじぬかたちはあたら物なぜに海士とは生れけん
僧都も会しやくの挨拶 やさしい噂承つて感心 康頼はとく
対面とな 俊寛はけふ始親と頼み度とや 此三人は親類同然


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別してけふより親子の約束我娘 あはれ御免かうふり四
人つれて都入 丹波の少将成経の 北の御方と緋の袴
着るを待斗 エヽ口おしい 岩をうがちちを堀ても一滴の酒は
なし盃なし めでたいといふ詞が三々九度じやといひければ ハア
此いやしい海士の身で緋の袴とはおやばちかぶること 都人に
縁をむすぶが身の大慶 七百年いきる千人の葉のさけとは
菊水のながれ とれをかたとり筒につめたも此嶋の山水

酒ぞと思ふ心が酒 此鰒かいのお盃いたゞき けふかたいよ/\親よ子よ
てヽ様よ姫よとむぞうか者とりんによきやつてくれめせと いへは各うち
笑ひげに尤と菊の酒盛 あはびはるりの玉の盃さいつさヽれつ飲
うたふ三人四人か身のうへをいはうが嶋もほうらいの嶋にたとへてくめども
つきぬいづみの酒とぞ楽しみける 康頼沖をきつと見て ハアヽれう
せん共覚えぬ大舩漕くるは心得ず あれよ/\といふ中に 程なく着
岸京家の武士の印をたて 汐の干潟に舩つながせ 両使汀(みぎわ)にあが


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つて松陰に床几立させ 流人丹波の少将 平判官康頼やおはする
と高らかに呼はる声 夢共わかず丹波の少将是に候 俊寛
頼候と 我さきにとふためき走二人が前にはつ/\と 手をつき頭をさ
げ蹲る 瀬尾太郎が首にかけたる赦文取出し 是々しやめんの
趣拝聴あれと押ひらき 中宮御産の御祈によつて非常の大赦
行はる 鬼界ヶ島の流人丹波の少将成経 平判官康頼二人赦免有
所 いそぎ帰洛せしむべきの条くだんのことしと 読もおはらず二人はつと

ひれふせば なふ俊寛は何とて読落し給ふぞ ヤア瀬尾程の者に
読落せしとは慮外至極 二人の外に名が有か是見よと指し出す 少
将判官もろ共に是はふしぎとよみ返しくり返し もしやと礼紙
を尋ても僧都俊寛共 書たる文字のあらばこそ入道殿の物
忘れか そも筆者の誤か おなし罪同し配所非常もおなじ大赦
の二人はゆかされ我独りちかひの網にもれ果し 菩(ほさつ)の大慈大悲にも
わけへだての有けるか とくに捨身し死したらば此悲しみは有まじき


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もや/\とながらへて浅ましの命やと 声もおしまず泣給ふ 丹
左衛門懐中の一通出し とつく申聞せんずれ共 小松殿の仁心 骨すいに
しらせん為暫くはひかへたり 是聞れよと声を上 何々鬼界
ヶ島の流人俊寛僧都事 小松の内府重盛公のれんみんに
よつて 備前の国迄帰参すべきの条 能登の守教経承つて
件のことし 何三人共の御赦か 中々 ハアハアはあと俊寛は 真砂に額
をすり入/\三拝なして嬉し泣 少将ふう婦平判官夢ではないか

誠かと おどつまふつ悦は猛火にこげしがき道の仏の甘露にうる
おいて 如清涼池とうたひしもかくやと思ひやられたる 両使詞を
そろへ もはや嶋に用もなし 仕合と風もよしいざ御乗船尤と
四人舟にのらんとす 瀬尾千鳥を取て引のけ 見くるしい女め 見
おくりのやつならばそこ立されとねめ付るイヤくるしからず 此少将が配所
の中厚恩の情を請ふう婦と成 帰洛せば同道とかたく申かはせし
女 御両人の了見を以着船の津迄のせてたべ 子々孫々迄此御はしれし


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と手をすつて侘給へは 思ひもよらずやかましい女め 誰が有引ずりの
けよとひしめいたる ハテ了簡なければ力なし 此うへは少将も此島にとゞ
まつて都へは帰るまじ サア俊寛康頼舟にのれよ いや/\一人残し
本意でなし 流人は一致我々も帰まじと 三人浜べにどうど座を組
思ひ定し其顔色 丹左衛門心有侍にて是瀬尾殿 か様にては君
御大願の妨 女を舟にはのせず共一日二日も逗留し とつくとなだめ
得心させ 皆々心得てこそ御祈祷ならめと いひもきらせずヤア

そりや役人の我まゝ 船路関所の返り切手 二人と有二の字の上
に 能登殿が一点くはへて 三人とせられしさへ私成に 四人とはどなたの赦
所詮六はらの御やかたへ渡す迄は我々が預り 乗らぬ迚のせまいか 俊
寛が女房は清盛公の御意をそむき首討れた 有王が狼藉召人
同然の坊主 雑式共郎党共三人共にふなぞこに押込うごかすな 承ると
匹夫共千鳥をつきのけ三人の小がいな引たて/\狩人の餌畚に小
鳥をつむるがごとく捻付/\ きびしく守る瀬尾が下知 船出せ/\


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乗給へ左衛門殿 但御役の外私の用ばし候かと 理屈ばれば力なく
おなじく舟にのり移る 不憫や濱べに只独友なし千鳥泣わめき
武士(もののふ)はものゝあはれしるといふは偽りそらことよ 鬼界ヶ島に鬼は
なく鬼は都に有けるそや 馴そめし其日より御免の便聞せてたべ
と 月日に拝み龍神に願立いのりしは つれて都でゑよう栄華
の望でなし 簑むしの様なすがたをもとの花の姿にして せめて
一夜そひねして女ごに生れた名聞を 是一つのたのしみぞや


エヽむごい鬼よ 鬼神よ 女ご独のせた迚かるい舟がおもふか人々の
嘆を見るめはないか聞耳は持ぬか のせてたべなふのせおれと 声
を上打招き 足すりしては伏まろび人めも はちず嘆しか 海士の
身なれは一里や二里の海こはいてゃ思はね共 八百里百里
泳ぎも水練も叶はねば 此岩に頭を打当打砕き 今死ぬる少将さま
なごりおしいさらばや 念仏申むぞうか者 りんによぎやつてくれめせ
となく/\岩根に立よれは やれまて/\と俊寛よろぼひ/\


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舷(ふなばた)を漸まろび立寄 是舩にのせて京へやる 今のを聞たり
我妻は入道殿の気にちがふてきられしとや 三世のちぎりの女房
しなせ 何たのしみに我独京の月花見たふもなし 二度の嘆を
見せんより 我を嶋に残しかはりにおことが乗てたべ 時には関所三
人の切手にも相違なくお使にも誤なし 世に便りなき俊寛我を
仏になすこと思ひ 捨置て船にのれ/\と なく/\手を取ひつ立
/\ 御両使頼存る此女のせてたべと よろぼひよれば瀬尾の太郎

大きにいかりとんでおり ヤア木菟入め さやうに自由に成ならば赦文も
お使も詮なし 女はとても叶はぬうぬめのれと啀(いがみ)かヽれば それは
余り了簡なしとかくおじひとだまし寄 瀬尾がさいたる腰刀ぬいて取
たるいな妻や 弓手のかたさき八寸斗切込んだり うんとのれ共さすが
の瀬尾指しぞへぬいて起なをり 打てかゝるもひょと/\柳 僧都は枯
木のいざり松両方気力渚の砂原ふんごみふみぬき息切声を
力にて 爰をせんといどみあふ 船中さはげば丹左衛門舳板にあがり 御


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帳面の流人と上使の喧嘩 落居の首尾を見とゞけて云上する
下人成共介太刀すな 脇より少もかまふなと眼もふらず見分す 千
鳥たへかね竹杖ふつて打かくる 僧都声をかけよるな/\ 杖でも出せば
相手の中科はのかれぬ さし出たらば恨むぞと いかれば千鳥もせん
方なく心斗に身をもんだり 血まぶれの手おいとうへにつかれしやせほうし
はつしと打てはたぢ/\/\ 刀につられ手はふら/\ 組はくんでもしめ
ねは取右へひょろりとはなれ 砂にむせんで片息の両方あやうく

見えけるが 瀬尾が心はうへ見ぬ鷲 つかみかヽるを俊寛が雲雀骨
にはつたとけられ かつはとふせば這寄て馬乗にどうど乗たる刀 とゞめ
をさヽんとふりあくる 船中より丹左衛門勝負は屹度見届た とゞめを
させば僧都の誤り咎かさ成 とヽめさす事無用/\ ヲヽ咎かさなつたる
俊寛嶋に其儘捨おかれよ いや/\御邊を嶋に残しては 小松どの
能登殿の御情もむそくし御意をそむく使の越度 殊に三人のかず
ふそくしては 関所の違論かなひがたしと呼はつたる されは/\ 康頼少将


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に此女をのすれは人数にも不足なく 関所の違論なき所 小松殿
能登殿の情にて 昔の咎はゆるされ帰洛に及ふ俊寛が 上使を
切たる咎によつて 改て今鬼界ヶ島の流人となれは 上御じひの筋
も立 お使の越度いさヽかなしと しゞうを我一心に思ひさだめし
とヽめの刀 瀬尾請とれ恨の刀 三かたな四かたなしらざる引きる
くびおし切て立あがれば 船中わつとかんるいに少将も康頼
も 手をあはせたたるばかりにて物をも いはず泣ゐたり 見るに付

聞に付千鳥ひとりがやる方なさ 夫婦は末世も有物 わしが
みれんて思ひ切のないゆへ嶋のうきめを人にかけ のめ/\舟に
のれうか皆さまさらばと立帰る すがりとゞめても是 我此嶋に
とゞまれば五穀に離しがき道に 今現在のしゆらだういわう
のもゆるは地獄道 三悪道を此世てはてし 後生をたすけてく
れぬか 俊寛が乗はぐぜいの船うき世の舟には望なし サア乗
てくれはやのれと 袖を引たて手を引たてやう/\にいだきのせ


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ければ せん方波に船人は纜(ともづな)といて漕出す 少将夫婦康頼も な
こりをしやさらばやといふより外は涙にて 船よりは扇を上げ陸(くが)よりは手
を上て 互に未来て/\と呼はる声も出舟に 追手のかせの心なく見
おくる陰も嶋かぐれ 見えつかくれつ汐ぐもり 思ひ切ても凡夫心 岸
の高見にかけあがり つま立て打招き浜のまさごに臥まろび
こかれてもさけびても 哀とふらふ人迚も 鳴音は鴎天津雁さ
そふは おもが友鵆(ちどり) 独を捨て沖津波いくゑの 袖やぬらすらん