菅原伝授手習鑑 四段目 北嵯峨の段

 

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     (イ14-00002-890 2冊目 34p 5行目~)

 

34 5行目下
夢破る 門山伏が
螺の貝吹立/\北嵯峨の 在も山家もぬけめなく縁の行者の跡を
追い 朝夕してやる五器膳器 五器の実修行としられたり アゝやかまし
御奉礼殿貝吹いて下さんな 頼ふだ方のお気結ぼれ夜はろくに御寝

ならず 今とろ/\とお睡眠(まどろみ)ヤレまだいの断り云ふても聞入れぬ 無法らい殿
止めやらぬかそしてからふ遠慮な 笠も脱がずに内へ這入り うそ/\と何
見やる 女子斗りと思やつたら当ての槌が違ひましよ サア出やらぬか
いにやらぬかと 叱りこかされ御奉礼門へは出れど目は後に 心のこして
立帰る エゝどんなやつがうせおつて御機嫌はいかゞぞと 障子のこなた
に姿をつかへ 思ひがけない螺の貝お目もさめふ お痞(つかへ)はのぼらぬか
八重様いかゞと尋れば サレバイナ いつにない御痞様すや/\と寝入ばな
貝に驚きなされたか惣身に冷汗 思へば憎い山伏づら サアわしも


35
腹が立って 入る手の中もやらなんだと 二人が咄に御台所 イヤなふ山
伏の業ではない恐ろしい夢を見て 動気が今に納らぬ 其夢の
物語り 春も八重も聞てたも 所は宰府安楽寺 連れ合の御秘蔵
が筑紫へ飛び梅 梅王丸も一時に下り合せた御悦び 梅は飛び桜はかるゝ
世の中に何迚松のつれなかるらんと即座の御詠歌 一字も忘れず
覚へしは 物のしらせの正夢か まだ其上に時平の家来 丞相様を
殺す工み 事顕れて都の様子 王位を奪ふ敵の企て白状するを
お聞なされ 以ての外なお腹立 赦免なければ帰洛も叶はず 危うい

天皇のお身の上 帝釈天へ祈誓をかけ鳴る雷ちの神と成って 時平に
組せし同類共 蹴殺し捨てんと御憤り 其すさまじさ怖ろしさ 夢とは
さらに思はれずと悟り給へば二人の女房 お案じなさるは御尤去ながら
逆夢と申しますれば却ってめでたい御吉左右 なふ春様そふでない
か 成程そふじや 追っ付け御帰洛なされませふ したが今来た山ぶづら
編笠で顔も見せず物も云はず うそ/\覗いていにおつたがいかふして
も気にかゝる 夫梅王殿の指図にて此嵯峨に人しれず 御台様
のござりまするをかぎ出しに来た敵の犬 白太夫様梅王殿も


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筑紫へ下て我々ばかり もふ爰にも置かれませぬ 幸い此頃承れば 法性坊の
阿闍梨様 下嵯峨へ来てじやげな 丞相様とは師弟の約束 右の様子を
申上げ御台様の御事を お頼み申てけふ中に 早ふ所がかへましたい わいしゃ一走り
往て来やんしよ 八重様よろづに心を付け 油断して下さんすな ヲゝ春
さんのよふ気が付いた大義ながらいて下さんせ 後は気遣ひさしやn
すなと 男勝りのかい/\゛しさ 御台もことなふ御悦び コレ春 僧正様に逢つた
ら 夢の事もお咄し申し 善し悪しの訳聞てたも アイ/\何も角も心得ておしま
する 兎角はゆるりとして居られぬと抱へするやら笠取るやら 追付け吉左右

おしらせと こか/\してこそ急ぎ行 程も有らせず時平が家来星坂源吾
あれこそ丞相の御台よと手の者連れてかけ入るを 手早く八重は長押(なげし)
の長刀 御台を奥へと目で知せ 何者なれば踏ん込んで狼藉 目に物
見せんと振り廻す ヤア小ざかしい女め 時平公の仰せを請け御台を迎ひ
に来たつたり 邪魔ひろがば討取れと 下知に従ひつばなの穂先切立て/\ 
追いまくれど 多勢に無勢数ヶ所の疵 長刀杖に立帰り ノウ御台
様もふ叶はぬ 早ふ退いて下さりませ 春様はまだ帰らずか エゝ口惜し/\
無念/\と云い死に はかなき八重が最後の有り様 御台は前後も


37
弁へず死顔に取付き御嘆き 星坂透かさず走り寄り引立て行かんとせし
所に 以前の山伏のつさ/\と顕れ出 イデ其御台をとき料と 飛
かゝつて源吾が首筋 掴んで目より高く指し上げ 冥途の旅へうせ
おれと泥田の中へ頭傳倒 直ちに御台を引んだかへ 石原砂道きらいなく
飛ぶがごとくに 進み行く