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菅原伝授手習鑑 四段目 天拝山の段

 

読んだ本 http://www.enpaku.waseda.ac.jp/db/index.html

     (イ14-00002-890 2冊目 p26~)

 


26 
四段目

君思へばよやヨホイホ結ぼれ糸のハリナ とけぬ心がつろ
ござるいよつろござる つらき筑紫に立つ年月 御いたはしや管丞
相 讒者の業に罪せられ 埴生の小屋の起臥しも きのふと
暮れけふは早 延喜三年如月半ば 空も春めく野山のながめ

野飼に 召せ奉り 我が楽しみは在郷歌 君を思へばよやヨホイホ
ハゝゝハア何をがなお気晴し しはらくさいどつてう聲 牛殿の手前も
面目ない エゝ見れば見る程見事な毛並 角の構へ眼の備へ 頭持(づもち)
の様子骨組肉あい 惣毛一色真っ黒黒牛 渡り繻子も及ばぬ色つ
や 天角地眼一黒直頭耳小歯違天晴御丑候よちよ/\らのちよ
せいと 誉めにける 管丞相はめづらかに 聞き馴れ給はぬ誉め詞 ヤイ白太夫
春は耕へし 秋は刈り穂の稲を負ほせ 耕作の助けと成り牛の善悪能
知る筈 天角地眼と申せしは 角と眼の備への事 一石六斗二升


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とは 牛を買取る其値ひ升目に積る物やらん 語れ聞かんと仰せける
さつてもしたり 天下に有るとあらゆる事共 余さず漏らさず知ってござる
丞相様 牛の事は御存知なく お尋ね預るは 百姓に生まれた一徳お慮外
ながら? 牛の講釈聞かしやりませ 一黒と申すは 俵物の石目ではござりま
せぬ 色を吟味する時は 黒いが極上それで一黒 訳に直頭とは天窓(あたま)の見所
頭(とう)とは頭ら どつちへも傾かず まんろくなが能さかいで直頭と申します 耳小の
耳(に)は耳(みみ)小はちいさし 随分耳はちいさいを好みます 扨歯違ふとは きやつ
がかね/\にれを噛む 上下の歯先揃ふは悪し 五一に生えたが歯違ふの歯

の見所 次第を上から云立つれば 一石六斗二升八合 牛の講釈もう
仕廻いでござまする 誠に性は道によつて賢し 白太夫が咄を聞き一つの
徳を得たるはと仰せにひよこ/\小踊りして こりやマアあんたる仰せぞい 親の
代から御領分の百姓 三つ子の事迄お世話になされ 御恩に御おん有りがたふて寝
た間も忘れぬ此親と違ふて 三人の躮共 一人は似ぬる 後二人は気も揃はず
面倒なやつら打ちほうつて 此太宰府へ参つたは去年の三月 うそ淋しい
不自由なお住居 一年の日数は立てど 月見花見に出もなされず けふは何と
思し召し 牛引けと有る御意が出て 私が皺も腰も 延びやかな春の野面 安楽寺


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御参詣は 御帰洛の御立願でかなござりませふ いやとよ我に科なけ
れば 仏に苦労かけ奉り 身の上祈る心はなし 讒者の業としろし召ば
罪なき事も世に顕はれ 帰洛の勅諚下るべし それ迄は管丞相 月にも花
にも目はふれず 仏なき臣が心帝はしろし召されず共 天の照覧明らか
なり 安楽寺へ志すは此の暁ふしぎの霊夢 管丞相が愛樹の梅
今如月の花盛り 都の住居思ひ寝の枕の硯引寄せて 筆に任
せてかく斗り 東風吹かば匂いをこせよ梅の花 主なしとて 春な忘れ
そと 心をのべて 睡眠(まどろみ)しに 妙なる天童我が枕に立たせ給ひ 汝憐愍の

心深く 仁義を守る忠臣の功(いさをし) 心なき草木迄情けを受けし主を慕ひ
花物いはねど其験(しるし)安楽寺へ詣で見よと 示現に依てとのたまふ所へ
安楽寺の住僧杖を頼りに老いの足 それぞと見奉りしより 小腰をかゞ
め立寄ば 丞相鞍よりおりさせ給ひ 住侶の歩行は何国へぞ 我は貴
院へ行く折から 是にて対面祝着/\ ハア愚僧義も外ならず 公のお目に
かゝりたく参る子細餘の義に有らず 夜前ふしぎの霊夢の告げ 御慈愛
の梅一と樹 配所の主に見せよと有る 示現にかはらぬ観音堂の左の
方 一夜に生ひ出るふしぎさよと 語るも聞くも正夢の割符を合せしごとくなり


29
是より寺へは程近しと住侶伴ひ御歩(かち)路 安楽寺へ入給へば それぞと
しるき梅花の薫り袖に留木の心地せり 暫く是にて御詠めと
床几直させ褥を設け 御菓子小竹筒(さゝゑ)と住寺の饗応(もてなし)白太夫はこつ
てこて梅の土際覗き廻り こりやふしぎ イヤ希代じや 申し丞相様 道す
がらお住寺の夢咄し へゝ何をやらるゝやら そんな事がよふ有ふと 誠ない事
疑ふておりましたが来て見てびっくり 此木の枝ぶり花の匂ひ 佐太のお下
屋敷に預ておりました それじや/\ 其梅にござりまする 神仏の告げ
は争はれぬ おらが爰へ来た後ては 水一ぱい飲し人(て)も有るまいに ぶき/\と

した木の色つや 芽立ちの気條(すあい・ずわえ)つういつい 花はうざる程付たれば 梅
漬の時分二三斗は慥にならふ 四五升は地を借た年貢代か 寺へも進
ぜます 後はこつちの実は入/\ 今は先づ腹の実入 御馳走酒下さりましよ
アゝ是お酌 白太夫が盃は いつつでも此天目 立酒は気にかゝると 床几の
傍にちよつつくばひ 口も心も有りの儘 見へた通りの律儀者 花の
眺めに一入の興を催しおはする所に そりや喧嘩よアリヤ抜いた 切合ふて
そりやくえるは 寺内へ入れな門打てといふ間あらせず踏み込/\ 打合戦ふ
侍二人 寺僧は驚き白太夫 御座を囲ふて アゝこれ/\ 見れば双方


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(挿絵)


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旅装束 喧嘩はふり物と有ってから 爰で仕廻いは付けさせぬ 出うあれ
/\といふをも聞かず 切合ふ一人は我子の梅王 コリヤまあそちは何とて
ハア/\ひあいな切れなと 気をもみあせる親心 声の助太刀相
人の刀 梅王に打落され逃ぐるを透かさず飛びかゝり 片手づかみに
もんどり打たせ 膝にかためし健気のふるまひ ヤレ/\出かした手がら/\
ヤ手柄はしたが喧嘩の兄弟 訳にはそちが下つた様子都の事を案じ
てござます 幸い是に丞相様やうす一々申し上げい ハツハア恐れながら梅王が
念願達し かはらせ給はぬ御尊体 見奉るは生涯の本望 都に御座ある

お二人様 世を忍ぶか身なれば一所には置きまされず 若君様は武部
源蔵に預け置き 私が妻 桜丸が女房 八重と春とは御台様の御介
抱 お身の上は指し置かれ 配所の様子見て参れと 仰せに幸い 出舩の手つがい
天運に叶ひ日和まん 千里一刎日数も込まず 夜前此地へ筑紫舩 乗
合の中に時平が家来鷲塚平馬 此梅王を見しらぬ馬鹿者 ふづくり
かけて様子を問へば 管丞相を殺しに来たと おのれが口から最後を急ぐ 寺に
ござるをよふ知て直ぐに仕かける不敵者 梅王が御土産と早縄かけてぐつ
としめ上げ 縁柱に猿つなぎ心地よくこそ見へにける 丞相御悦喜浅からず


32
恋しき都の様子を知らず 忠義の花は有情の梅王 示現によつて飛来る
花は非情の此梅の木 有情非情も隔てなく管丞相を慕ひくる 梅に褒
美の御言の葉 梅は飛び桜は枯る世の中に 何とて松のつれなかるらん つれな
かるらん松王は時平が舎人 枯れし桜は宮の舎人梅王は我が舎人 花の栄へは安
楽寺其名も高き飛梅のふしぎ今に隠れなし ヤイ梅王 有がたい今の
御意 此梅に准へ其方をお誉めねばし 桜は枯る世の中とは 死だ躮を御悔み
つれなかるらんと有る松王めは 時平に追従しておろな ホゝ親人の推量違は
ず 兄弟といふも穢らはしい 畜生めは指し置いて さす敵は此鷲塚 サア時平が

工み白状せい いやといへば刀の引導どふじや/\と立かゝる アゝ是聊爾(れうじ)有るな
主従の義を立てぬき 命にかへて云ぬは古風 いはして置いて殺すも古風 あた
らしう助ける様に残らず申す 時平殿は王位の望邪魔になる管丞相首取って立
帰れ 軍陣の血祭して大望の旗を上げ 天皇親王院の御所 片はし仕廻ふて
天下を一呑み 身共も公家に成る楽しみ 空悦びの裏が来て 恥をさらす縛り
縄 早ふほどいて下さりませと 時平が叛逆一々残らず 聞し召されし管丞相
柔和の形相忽ちかはり 御眦(まなぢり)に血をそゝぎ 眉毛逆立ち御憤り 都の方を
睨み付け物ぐるはしく立ち給へり 白太夫びっくりし しれて有る時平の工み 今聞いたか


33
何ぞの様に ついど覚へぬこはいお顔 爰から睨みしやましても 都へはとゞき
ませぬ 御持病の痞が起れば セヘン悲しうござりますと老いのくど/\物
案じ やおれ梅王白太夫 時平の大臣(おとど)が謀反の企て 聞捨てられぬ御大事 赦免
なければ帰洛も叶はず 王位を望む朝敵と しろし召されぬ玉体危うし 臣が
忠義徒らに 此所に朽果つる 體は虚命被る共死したる後は憚りなし 霊魂
帝都に立帰り帝を守護し奉らん 天に誓ひの我願ひ験は目の
前白梅の ずあいぼつきと折取給ひ 朝敵一味の佞人(ねいじん)原 退治の
手始め是見よと 枝にて丁と打給へば平馬の首は飛梅の気條(ずあい)も花

の乱れ焼き 誠の釼も及びなき梅の名作御手の中(うち) 親子は恐るゝ斗りなり
ヤア汝等 かゝる大事を聞くからは 片時も早く都に登り時平が工みを奏問せよ
我は見上る此高山絶頂に三日三夜立ち行荒行根気を砕き梵天
帝釈閻羅王三天王に誓ひを立て 魂魄雲井に鳴る雷(いかづち)十六万八千の首領
と成って眷属引つれ都に登り 謀叛の奴原引裂き捨てん 現世の対面是迄なり
急ふれやつと御声も供に激しきはやち風 吹立/\本堂の甍破りて庫
裏方丈 蔀(しとみ)やり戸は木の葉のごとく 庭の立木も飛梅も 死も砂(いさご)も吹
しきる 親子も住寺も大きに驚き 後も来らさる御身を捨て 天帝へ


34
祈誓有る 御本意は達する共 御台姫君若君の御嘆きはいか斗り
とゞまり給へと御袖に 取付く梅王白太夫 弓手馬手へ刎ね飛ばし 住僧い
たくな留め給ひそ 早天帝の恵によつて 形は此儘鳴神の ふしぎを
見せんと散り残る 梅花を取って口に含み天に向かって白梅花 うづまく花ひら
火焔と成って 雲井はるかに行末は怪し恐ろし

 

 

 

天拝山山頂「天拝岩・お爪立ちの岩」

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