菅原伝授手習鑑 二段目 杖折檻の段 東天紅の段

読んだ本 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/856508

 

 

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224(表紙)

八時鶏(やごゑとり)の段 菅原伝授 弐段目の中  

 

 

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225
菅原伝授手習鑑 弐の中    (杖折檻の段

管丞相の御別れ対面ありたき
覚寿の願ひ 流人預かる判官代
輝国の用捨を以て 河内の屋敷へ
入給へば 老の悦び大かたならず馳走

 

 

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226
の役人夜昼のわかちもしらぬいそ
がしさ 立田の前は船場にて思はず逢ふ
たるかりや姫 密かに伴ひ帰れ共家来
も多くはしらぬがち 隠し置たる小座
敷の襖をそつと押開き さぞ淋し

からふ精もつけふ 顔見に来たいは
山々なれど 去迚は何やかや用事の
多さ母様の傍放されねば得参らぬ
今が能い透き誰も来ぬ 気晴らしに
サア爰へと 心づかひもはらからの姉の


227
情けをかりや姫 一間を出る目は涙
斎世様に別れてより段々お世話
に預かる上 父上様にもお目にかゝり
せめて不孝の申し訳 それも叶はぬ物ならば
と 我身の覚悟極めても 産みの母様

覚寿様 今の母様都の弟親王
の御事は 猶しも忘れぬ得忘れぬ
心を推量してたべと嘆けば 供に涙
ぐみ 悲しいは道理/\ さりながら
丞相様に逢へぬ迚 短気な事


228
などかんまへて思ひ出してもくだ
さんすな 母様のお願ひ立って此
屋敷に御逗留 どふぞ首尾を見
つくろひ母様のお耳へ入れ お差
図請けてと余所ながら 口むしり

かけて見たればな こちの思ふた
坪へはいかず 母様のかたくろしさ お果
なされた郡領様に少しもかはらぬ
行儀作法我産んだ子でも人に
やれば 先こそ親なれこちは他人 それを


229
親じやの娘じやと思ふは町人百姓
の 訳をばしらぬ子にあまさと 幸
先悪い訴訟もならず 外の事に
云い紛らし其場は済んでも始終が済ま
ぬ お宿申すもけふで三日 時気(しけ)空も

吹晴れて 下り日和に直つたと船場
から注進故 今宵八つがお立ちとて
輝国殿の旅宿よりしらせによつて
お立ちの用意 今やなんどゝ思ひの
外手詰に成ったがどふしてよからふ


230
膝共談合コレ泣かずと よい智恵出し
て下さんせと とつつ置いつの胸算
用 後ろにすつくと直ね(すくね)太郎 よい分
別者是に有り ヤア太郎様いつの間
に ムゝいつの間にとはコレ立田 連れ添ふ

男の眼をぬいてこつそりと取込んで 大
それた身の上咄し かりや姫はそならが
妹 藁の上から養子の子細 しつては
居れど京と河内 武家と公家とは
位も格別 管丞相の伯母風吹かし


231
聟めかしてもいつかなめかれぬ位
負け 名斗り聞いて逢ふたは今てんと御器
量 斎世とやら様とやらが現(うつゝ)様に
ならしやつたも道理じや/\ 姫の
顔見ぬ先はおれが女房は楊貴妃

じやと思ふたが くらべて見れば無
楊貴妃 そならの名もかへねばなら
ぬ ソリヤ又何とへ ハテ知れた次の前 エゝ
ずは/\と出ほうだい 母様へも隠して
居る 此訳何共云しやんすな それは


232
気づかひ仕給ふべからず 明日のお立ち
しらされし輝国の旅宿へ参り
此間御逗留心づかひの一礼申し
いよ/\刻限相違なく一番鳥の
鳴くのが合図 申し合せに往てこいと

覚寿の云付け 只今参る道でよい
思案が出たら コレ戻つて云ふか 次の
前 アレまだじやら/\転業口 ヲツト閉口
いてこふと表の方へ出て行く 後を
見やつてかりや姫 あなたがおまへの


233
お連合身の上の事に取り紛れ 御挨
拶も得申さぬ アゝ是挨拶はいつでも
成る事 こちの願ひは延ばされぬ アゝ
どふがなと案じ煩ひヲゝそれ/\ 所詮
母様にいふた迚埒の明かぬは知れて有る

連れ合いも留主 母様もお傍にござらぬ
折からなればお前を私が連れていて
叱られふがどふならふが後はまゝいな
サアこなたへと姫の手を取るうしろより
不孝者どつちへ行くと襖ぐはらりと


234
母の覚寿 杖ふり上げて飛かゝるを 立田は
はつと抱き留め お前に明け云なんだ隠し
た お腹が立つならば此立田 打ちも擲き
もなされませ此中ものたまはぬか
人にやれば我子でないとおつしやつての

折檻は 母様共覚えませぬ 丞相様の
御秘蔵姫 杖棒当ててよい物か サア自らを
/\と姫にかはつて身をいとはず イヤお前に
科はない 不孝な自ら打ち給へと 立田を
押やる杖の下 いや/\お前は打たされぬ


235
イヤこな様はと折檻の杖をあらそふ
おとゝい思ひ 老母は猶もいかりの
顔色 コリヤ立田おりや他人には折檻
せぬ 養子にやつた丞相殿はおれが
為には甥の殿 子にやつた姫は甥

孫 親も赦さぬ徒して 大事の/\
甥の殿流され給ふは誰が業 憎ふ
て/\コレ此杖折る程擲かねば丞相殿へ
云訳立たぬ 六十に余つて白髪天窓(あたま)
連れ合に別れた時剃るをそらさぬ


236
立田の前 尼に成ては便りがない 力が
ないと留められて法名斗り覚寿と
呼ばれ 邪魔に思ふた此白髪けふと
云ふけふは役に立田 天窓を剃って衣を
着れば打擲の杖は持たれぬはい 傍杖

望む立田からと走り寄て 丁/\/\
打たるゝ姉妹(おとゝい)打つ母も供に涙の荒
折檻 アゝこれ/\伯母御前卒爾の
折檻仕給ふな 斎世の君の御不便
有る娘に疵ばし付け給ふな 父を床しと


237
慕ひくるかりや姫に対面せん 是へ
伴ひ給はれと障子の内より丞相の
御声高く聞ゆるにぞ 老母は杖を
からりと投げ捨て わつと叫んで臥し転び
暫し こたへもなかりしが 産みの親の打

擲は養ひ親へ立る義理 養ひ親
の慈悲心は産みの親へ立つる義理
あまた詞も打擲も 子に迷ふたる
親心 逢ふてやろとは姫よりも 母が悦び
詞には云尽されぬ 結構な親持った


238
持った/\と目に持った涙の限り声
限り 二人の娘は何事もお慈悲/\と
斗りにて泣くより外の事ぞなき コレのふ爰
から礼をいはふより こいと有ればいざ傍へ
と 隔ての襖押し明れば管丞相見へ

給はず 逗留中作られし主の
姿の木像斗り コハそもいかにとかりや
姫 逢ふてやらふと宣(のたま)ひしは母さまの
折檻をとゞめん為 とにかく不孝な
自ら故お逢いなされて下されぬか 今


239
物をおつしやつたは父上に違ひは
ないに 木で作りし父上様が但しは物を
宣ひしか 又は何所ぞへ隠れてかと
立って見居て見うろ/\ のふさは
がしやかりや姫 丞相の逗留中 御馳

走申すは奥座敷爰へ余程間数も
隔たり 先程声のかゝつた時爰へはどふ
してござつたと思ひながら 嬉しさ
わきまへなく 見れば此木像斗り 次手
ながらかりや姫咄して聞かさふ 逗留の


240
中に主の像(かたち) 画(えがい)て成り共作つて成りと
伯母が筐(かたみ)に下されと願ふた日から
取かゝり 初手に出来たは打わり捨て
二度目に作り立てられしを 同じく是も
打ち砕き 三度目に此木像作り上げて

おつしやるには 前の二つは形ばかり
勢魂もなき木偶人(もくしやるじん)是は又丞相が
魂残す筐迚下されし主の姿
物をいふまい共云はれず帝への恐れ
有れば 逢たふても逢れぬ親子 木


241
とな思ひぞかりや姫 物おつしやつた
父上に逢やつて嘸嬉しかろ母も本望
とげましたと親子三人悦びの 中へ
のさ/\立ち帰る太郎が爺親土師
の兵衛 覚寿これにおはするか

お客人のお立ちも明朝出立のこし
らへ嘸取廻 役に立たずとお見まひ
申し手伝ひでも仕らふと 参りがけに
輝国殿の旅宿へもちよと付け届け
躮が幸ひおり合せ 用意も大かた


242
出来たと聞く先は大慶 とかう
する内もふ暮れ相 一先ず帰つてお立
の時分又参るのも老足なれば
お邪魔ながら是におろ 心づかひ
なし下されな 兵衛殿の義理/\しい

嫁子の所は内同然断りに及ぶ
事か 様が有らば遠慮なくおつ
しやつたがよいわいの 刻限迄はコレ
立田 そなたの部屋にお寝間を
とりや 後程お目にかゝらんと姫を

 

 

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243
連れ立ち入給へば 後は親子が小声に
なり コリヤ道々しめし合はした通り太郎
ぬかるな 気遣ひなさるな親人と 奥
と部屋とへ別れ行く座敷/\は燭台
照らし 今宵限りの奔走とり/\゛騒ぐ


斗りなり 土師の兵衛は一間より   (東天紅の段
そつとぬけ出で前裁の 勝手覚えし
切戸口錠捻じ切て押ひらけば 外
から合図の挟み箱さし出す仲間(ちうげん)
徒若党 コリヤやい云付た人数の

 

 

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244
装束 丞相を迎ひのはり輿
スハといふ時 間に合わせと 家来共
先へ帰し挟み箱引だかへ 月かげもるゝ
木の間/\うそ/\窺ふ同腹中(どうぶくちう) 
親人お首尾は 件の物は参りしか

躮気づかひ仕るな コリヤ此中に計
略の彼の一物 大事の談合爰へ/\と
大庭の池の ほとりで囁く親子
宵からそぶりに気を付て 直ね(宿禰
太郎に目ばなしせず 立田の前が

 

 

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245
物かげより聞く共しらず宿禰太郎
先程お声なさる通り 判官代
輝国迎ひに参るは八つの上刻
時平公よりお頼みの 管丞相殺す
工面 偽物仕立てむかひと偽り

請取て途中でぐつとはいふ物の
一番鶏がうたはねば 姑の片意地
名残おしんで渡されまい 八つ鶏の
啼かぬ先に宵啼きする鶏 是に
有るかと挟み箱より取り出し ホゝ皮膚


246
のよい相国 とかふする内もう夜
半(よなか) 一調子はり上げ存分にうたふて
くれ 一声聞かねば落ち着かぬ親人なぜ
鳴きませぬの イヤ其分では鳴かぬ筈
宵鳴きは天然自然極めては鳴かぬ

物 それを鳴かすが秘密事 大竹
の中へ熱湯(にへゆ)を入れ 其上にとまかすれば
湯気の廻るを時節と心得時を
つくる とまり竹も挟み箱に入れて
来た 臺子(だいす)の湯もたぎつて有る


247
釜ぐちそつと取てこい ホゝ取って
くるは安い事 湯を仕かけても
明かぬ時は ハテぐど/\ 明かぬ時は又
分別と親子が工み なむ三宝
一大事 先へ廻つて母様へおしらせ

申してイヤそふしては イヤいはいでは又
こちらが いふてはあちらがこちら
がと 心迷ひし胸なでおろし
宿禰様 太郎様は何処にと 尋ぬる
声にはつと二人がはいもうけでん


248
鶏隠す挟み箱 あたふたしめて
さあらぬ風情 ヤアこと/\しう
呼び立つるは何ぞ急な様でも有る
か さもない事なら無遠慮千
万 親人も此宿禰も 肝にこたへ

てびっくりしたといふ顔つれ/\゛
打ながめ おまへ方のびっくりより
わしにびっくりさゝしやんした 聞き入れ
ぬ連れ合舅君贋むかひを
こしらへて管丞相殺さふとは


249
あなたに何ぞ恨みが有るか 但しは
時平に頼まれし 欲には馴染みの
女房も捨て 母様の義理も思はず
か おまへは捨てる心でもわしや
得捨てぬ太郎様 コレ申し親父様

思ひとまつて下さりませと 舅を
拝み夫を拝み 声も得立てぬ貞
女の思ひ涙 操を顕せり 兵衛は
宿禰にめくばせし イヤハヤ真身の
意見にあふて親もせがれも


250
面目ない 向後(けうこう)心をあらためる
嫁女此事聞き流しに アゝ勿体
ない聞き流さいでよいものか 御得
心と有るからは 此の世ばかりか未
来までかはらぬ夫婦舅君

まだ如月の余寒もはげし 炬
燵に膚温め酒 一つ上げたいサア
お出と 先に立田がそれそこを
心得太郎が後ろげさ肩先四五
寸切られながら 振り返つてつかみ付


251
エゝこれ人でなし卑怯者 一人の
手にもたらぬ者 だまし殺しが
本望か 女の義理を立てすごし
悔しや無念とのゝしる声 おあと
ほね立てなと宿禰が下着 褄先

口へ押し込みねぢふせ肝先ぐつと
一えぐり 兵衛は前後に心を配り
躮息は絶えたか 気づかひめすな
只今とゞめ 扨死骸は 問ふに及ばぬ
此大池 體を浮かさぬ手ごろの


252
石袂や帯にくゝりそへ 深みへ
やれと二人して投げ込む死骸はくれ
ないの 血汐に染むる池迄も立田
が名をや流すらん コレ親人 是は
これでも染まぬは鶏 臺子の湯を

取って参らふ 太郎それにはもふ
及ばぬ 鳴かす仕様は身共に任せと
武士のたしなむ懐中松明手
ばしかくともし立て 池の中へあかりを
見せ 挟み箱のふた仰向(あおの)け鶏を上に


253
のせ浮かめる池の水の面(おも) 刀の鐺(こしり)
さし延す腕一ぱいに押やれば 動かぬ
水も夜嵐に立つや小波のうねりに
つれ半端(はんだん)斗りながれ行く 親人何を
なさるゝ事 挟み箱のふたを舩にして

子供のする業おとなげない あれが
何の役に立つハゝゝ 訳をしらずばいふ
て聞けふ 惣別淵川へ沈んで知れぬ
死骸は 鶏を船にのせて尋ぬれば
其死骸の有る所で時を作る 鶏の

 

 

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254
一億思ひ出し 池へしづめた立田が
死骸 今一役に立てて見せるうまい
手つがひ 拍子まんが直つてまた
あれ/\太郎羽(は)たゝきするは死骸
うへか そりやこそ鳴いたは東天

紅ソリヤまたうたふはとんてんかう
八つにもならぬ宵啼きの声
さえかへる春の夜や 庭木の
ねぐらに羽たゝきし一鶏(けい)鳴けば
万鶏うたふ 函谷関(かんこくくはん)の関の戸も

 

 

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255
ひらく心地に親子が悦び これ
から急ぐは管丞相 むかひの
こしらへ気がせくと 兵衛は出て
行 切戸口 宿禰太郎はたくみの
仕残しだめを「きかして入りにけり