仮想空間

趣味の変体仮名

菅原伝授手習鑑 三段目 車曳きの段

 

読んだ本 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/856508

 

 

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286
菅原伝授手習鑑 三の口  (車曳の段

鳥の子の巣にはなれ魚
陸(くが)に上がるとは 浪人の身の喩え
種(ぐさ) 管丞相の舎人梅王丸
主君流罪なされてより

 

 

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287
都の事共取賄ひ 御台の
お行方尋ねんと笠ふか/\゛と
深緑 土手の並木に差しかゝ
れば 向ふからも深編笠我
に違はぬ其出立 互ひに

それぞと近く寄 梅王丸が
コレハ/\桜丸 ヤレそちに逢た
かつた マア咄す事聞く事有りと 兄弟
こかげに笠傾け 扨先づ問はふ
其方は日外(いつぞや)加茂堤より 宮

 

 

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288
姫君の御後したひ尋ね行し
と 内宝八宝の物語り 何と
お二方に尋ね逢たか 成程
道にて追っ付奉り 管丞相
御流罪と聞くより対面なさし

め奉らんと 安居の岸まで
御供せしに 御対面かなはず
輝国殿の斗らひにて 御帰洛
願ひの妨げとお二方の御縁
も切れ 姫君は土師の里伯母


289
君の方へ御出 斎世の宮様は
法皇の御所へ供奉(ぐふ)し奉り事
治まりしといひながら 納まらぬは
我が身の上 冥加に叶ひお車を
引其有がたい事打ちわすれ

賤しい身にて恋の取持 終
には御身の仇と成り 宮御謀
叛と讒言の種拵へ 御恩
請けたる管丞相様流罪に
ならせ給ひしも 皆此桜丸が


290
なす業と思へば胸もはり
裂く如く けふや切腹 あすや
命を捨てふかと 思ひ詰めはつめ
たれど 佐太におはする一人の
親人 今年七十の賀を祝ひ

兄弟三人嫁三人並べて見る
と当春より悦び勇みおは
するに 我一人缺(かけ)るならば不忠
のうへに不老の罪 せめて御祝
儀祝ふた上と詮なき命けふ


291
迄も ながらへる面目なき推
量有れ梅王と 拳をにぎり
歯をくひしめ 先非を悔い
たる其有様 梅王も理りと
暫し詞もなかりしが ヲゝ道理

/\我迚も主君流罪に
逢ひ給ふ上は 都にとゞまる筈
なけれど 御館没落以後
御台様のお行方しれず
先ず此方を尋ねふか 筑紫の


292
配所へ行ふかと 取つ置いてつ心は
はやれど 其方がいふごとく
年寄った親人の七十の賀
の祝ひも此月 これも心に
かゝる故思はず延引 互に

思ひは須弥大海 ぜひもなき
世の有り様と 兄弟顔を見合
せて涙 催す折からに 鉄(かな)棒
引て先払ひ先退いて片寄れ
と雑式がいかつ声 梅王立寄り


293
どなたぞと尋ねれば 本院の
左大臣時平公吉田への御参
籠 出しやばつて鉄棒くらふ
なと いひ捨てて急ぎ行く 何と
聞いたか桜丸 斎世の宮管丞

相を憂き目に逢せし時平の
大臣 存分いはふじや有るまいか
成程/\ よい所で出つくはし
たと 兄弟道の左右に別れ
尻引っからげ身がまへし今や


294
来たると待居たる 程なく
轟く車の音 商人旅人(あきんど りょじん)も
道をよぎる時平の大臣が
路次の行粧(ぎょうそう)さながら天
子の御幸の如く 随身

侍前後に列し大路 せばしと
軋らせたり 両人こかげを
飛で出車やらぬと立ちふさ
がる ヤア何者なれば狼藉
すると 顔を見れば松王が

295
兄弟 梅王丸桜丸 ムゝ聞へた
主にはなれ扶持にはなれ
気が違ふての狼藉か 但しは
又此車時平公と知てとめ
たかしらいでとめたか 返答

次第迚用捨はせぬと 白張
の袖まくり上つかみひしがん
其勢ひ 梅王丸えせ笑ひ
ヤアいふな/\ 気も違はねば
此車見ちかへのせぬ時平の


296
大臣 斎世親王管丞相
讒言によつて御沈落 其無
念骨髄に徹し 出合ふ所が
百年めと思ひもふけし
今日只今 桜丸と此梅王

牛になれし牛追竹 位
自慢でくらひ肥た時平殿
のしりこぶら 二つ三つ五六百
くらはさねば堪忍ならぬ
云はれぬ主の肩持顔出しや


297
ばつて怪我ひろぐな ヤア
法に過ぎた案外者 アレぶち
のめせ引くれと 供の侍
声々に前後左右に追取り
巻 兄弟は事共せず 取ては

投げ退けつかんではぶち付け/\
投げ付くればあたりに近付く
者もなし 松王いらつて ヤア
命しらずのあばれ者 いづれ
もはお構ひ有るな 御主人の


298
目通り御奉公は此時節 兄
弟と一つでない忠義の働き
お目にかけん コリヤやい 松王が
引きかけた此車 とめらるゝ
ならとめて見よと 鼻づら

取って引出す車 ホゝウ桜丸
梅王丸爰になくばいさ
しらず 一寸なりとやつて見
よと 両人轅(ながへ)に手をかけて
エイ/\/\とおし戻せば 牛も


299
四足を立てかねて後へ/\と
すさり行 松王車の後(しりえ)へ
廻り 両手をかけてちから足
やらんやらじのあらそひは 世
にも希なる三つ子の舎人

互ひにおとらぬ主思ひ 命
限り根かぎりやつつ戻しつ
引合ふ車 大地は薬研と堀
うがち土ににへ込む車の轍
ヤア面倒な畜生めと 軛(くびき)を


300
はなせば逸散に牛は離れ
てかけり行 車の内ゆるぐと
見へしが 御簾もかざりも踏み
折/\踏み破り 顕れ出たる
時平の大臣 金巾子の冠を

着し天子にかはらぬ其粧ひ
嚇々たる面色にて ヤア牛扶持
くらふ青蠅めら 轅にとまつて
邪魔ひろがば 轍にかけて敷き
殺せ ヤア左いふ大臣を敷殺


301
さんと 二人が力に車をちう
だめ 引くりかへすをかへされじ
と 捻じ合ふ松王右へ押せば左へ押
上げつおろしつ二三度四五度
爰をせんともみ合しは祭り

の神輿にことならず 時平は
上より金剛力 どうど踏だる其
響き 車も心木もこな微塵
砕けし轅を銘々提(ひっさげ)大臣を打たん
とふり上げる ヤア時平に向ひ推参


302
なりと くはつと睨みし眼の光り
千世界の千日月一度に照ら
すが如くにて遉の梅王桜
丸 思はず後へたぢ/\/\五体
すくんで働かず無念/\と斗り

なり 何と我君の御威勢見
たり 此上に手向ひすると御目
通りで一対と 刀の柄にてをかく
れば ヤア松王待て/\と 車より飛で
おり 金巾子の冠を着すれば

 

 

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303
天子同然 太政大臣となつて
天下の政を執り行ふ時平が 眼
前血をあへすは社参の穢れ
助けにくいやつなれ共 下郎に
似合わぬ松王が働き 忠義に

免じて助けてくれる ハレ命
冥加なうづ虫めらと辺りを
にrんですゝみ行く 振り返つて
松王丸 よい兄弟をもつて
両人共に仕合せ者 命を

 


304
(重複)

 

 

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305
拾ふた有りがたい忝いと三拝
せよと いはれて両人くはつ
とせき上げ エゝおのれにも云い
分有れ共 親人の七十の賀
祝儀済むまで ナフ梅王 ヲゝ

其上では松の枝々切り折って
かたきの根をたち葉を
枯らさん ヲゝそれは此松王も
親父の賀を祝ふた後で
梅も桜も落花微塵 足

 

 

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306
もとの明い中早く去れ/\ ヤア
推参な帰るをおのれになら
はふかと つめ寄/\兄弟
三人 互ひに残す意趣遺
恨にらんで 左右へ 別れ行

 

 

    茶筅酒の段 へつづく