菅原伝授手習鑑 初段 加茂堤の段

読んだ本 http://www.enpaku.waseda.ac.jp/db/index.html (イ14-00002-890)

 

p10左頁二行目中程~

 

引捨る車は松に輪を休め 舎人     
二人は肘枕 二輛ならべし御所車かたへは藤原かたへは菅原
道真公の名代は左中弁希世 時平公の代参は三善
清貫 加茂明神へ御脳の祈願 神子が湯浴(ゆたて)の其間
眠るむまさは加茂堤 夢に夢をや結ぶらん 松吹風に
菅原の舎人 梅王丸目を覚まし コリヤやい松王丸 そちが
主の時平公は短気者でも根が大鳥 名代にわせた


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清貫殿は短いくせに根が悪者 呼び使いを請けぬ内目を
覚まして行かいでな ホウ梅王の云はるゝ事はいの こなたの主の
名代に来た希世殿こそ大邪人 蓼喰ふ虫も好/\゛と
あのわろを弟子にしたり 代参におこしたりなさるゝ 管
丞相びお心がしりたい イヤそりやそち達が小さい了簡とは
違ふ 聖人の胸の広さは こちらが身にも覚への有る事 斎世
の宮様の車を引く 桜丸とわれとおれと三人は 世に稀な三つ
子 顔と心はかはつても着物は三人一所 ひよんな者うんだと

親仁が気の毒に思ふたをお聞きなされ 三つ子は天下泰
平の相 舎人にすれば天子の守りと成る 成人さして牛飼に指し
上げよと 管丞相様のお取成しで御扶持迄下され 親四郎
九郎殿は今佐太村の御領分に 御寵愛の梅桜松を
預り 安楽に暮らして居るゝ 其御寵愛の三木の名を我々
にお付なされおれを兄のお心でか梅王丸とお呼なされ
て召使はる 其方は松王丸桜丸は宮の舎人 えぼし親と云ふ
御恩のお方 家を隔てゝ奉公する共 必ず仇疎かに思はぬが


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よいぞよ アゝぐと/\/\と永談義説く人 もふ斎世の宮もお参り
なされ 牛休めに桜丸も来そふな物 何ぞ用が有るか ハテ
佐太村の親父殿から 来月は七十の賀を祝ふ程に 三(み)女夫
連でこいと人おこされた 其事云ふと思ふて ソリヤ銘々に人が来て
よふ知ている 思へば親父殿はおはずからずに子三人と 果報な
人では有るはいなァと 兄弟咄の其中へ 同じ胤腹一時に生れて
年もおないどし どれが兄共弟共梅と松とに桜丸 三幅対の
車引小かげに一輛引捨て 堤の上から是は/\ 二人共ゆつくりと

して居るゝ 御神事も早半ば過ぎ呼び立てられぬ中に行たら
よかろと 真顔でいへば梅王丸 御神事が済んだら宮様から
お立で有ろが そちや又爰へ何しに来た イヤこちの宮様は
神司の方で 御休足有る故お立の程がしれぬ こなた衆の
乗せて来た御名代の衆は 禁庭の御用が有迚立騒いで
居たぞや 油断して叱られまいと云ふに松王いか様 役なしの
宮様と時平公のおめがねで 御用繁き清貫様とは違ふ
何時忘れぬいざ行こと 車にかゝればヤレ待松王 清貫様がお立


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有れば 此梅王がお供した希世の卿も同然 万一お立でない
時は あの大勢の群集の中へ二輌の車を引ッかけて 怪我
さしてもそこねても 不調法は舎人の誤り 一走りいて様子
を見て取りに帰る迄の事 休んだかはりじやサアこいと 引つれ
立ッて両人は宮居の方へ走り行く 跡見送りて桜丸 ハゝゝ一ぱい
くふていたは/\と独り言して相図の手拍子 招けば招かれ恋薬
の 露ふみ分けて十五六 被きの風のやさしkは管丞相の御娘
かりや姫迚色も香も文は 父御のお家がら くどき落して

宮様に逢せませんと跡に付く供は八重迚花めきし 桜丸
が自慢の女房先へ廻りてコレこちのお人 首尾はよいかと
問へばうなづき よい共/\ けふ此加茂堤は御車の休所 人留め
して一人も通さぬ鼠の子もない所と思ひ 宮様をそび
き出して来た所に 梅王や松王がどんぐり目玉にほつと
草臥れ 一生につかぬ嘘を又ついてまんまとちらして仕まふた
姫君様恥しそふな顔せず共お出/\ ドリヤ開帳仕らふと
車の御簾を引上れば 斎世の宮は面はゆげに 姫は


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猶しも顔見合 につと笑ふて袖覆ふ サア爰らが下(した)々と
違ふて 飛付して軽業もさせにくい 女房共くらやみに
したいなァ 何のいな昼じや迚結構な車の内 エゝす
ばやいやつでは有るぞ 我らは暫しお暇と 小かげへはいれば
夫/\ こんな時には男は邪魔 サお姫様 申し上げたい事あらば
遠慮なしにおつしやれと つきやられて苅や姫 千束(ちつか)
の文のお返事に首尾有らばとの御すさみ 有がたいやら
嬉しいやらけふの此首尾待兼てお叱り受けに集りしと袂

くはへて宣へば斎世の宮も十七のいとまだ若き初恋に
何と云寄る品もなふ 桜丸がいかい世話 文見る度にいや
まさり逢いたかつたによふこそ/\ 嘸春風で寒かろと 仰
は姫の身にこたへ春風よりも恋風がぞつと身にしむ
斗りなり 車のかげより桜丸ぬつと首出しコリヤ女房 わが身
抓つて人の痛さ おりやさつきにから死脈が打つ 早ふ配剤
仕おらぬかとせり立られてヲ夫々 春風でお寒いとおつ
しやる 憚りながら御車を暫しの内の風凌ぎ 御免有ってと


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姫君を むりに抱上げ押入れば アコレ是は何しやる 勿体ないと云
つゝも車の内へ入給へば 指し心へて桜丸さらば閉帳と御簾おろす
内には宮の御声にて嬉しいぞやとのお詞と神詣での御車で
罰が当ろとシヤ儘よの睦言聞いて夫婦は飛退き 女房共 たまら
ぬ/\ 隣厳しうてひよんな宝を設けたと身もだへすれば
ヲゝ是聞へるはいな お二人共に御機嫌能(よう)うれしい事ではごんせんか
イヤもふ餘んまり御機嫌が能ふ過ぎて近所迄難義がかゝつた とは云ふ
物の有様ふはそちが働き よふマア尋ね逢ふたな こなさん教えの通り

内裏上臈の形(なり)にやつし 社家の内へずつといて姫君
のお傍へ通り 桜丸が女房八重でござりますると申し
上げたれば あなたにも待兼でござつたかして よふおじやつた
もふいこかと 嬪衆を待たして置いて裏道から忍んでお出
エゝ其筈/\ 此中から手耦(てぐはい)して 管丞相様の筆法伝授に
取籠つてござるを幸い お袋様へ神参りと願はせ お供の
衆には口薬水まく様に飲まして置いた ヤ其水で思ひ出し
た 追っ付けお手洗水がいろぞよ 何云はんすやらあのおぼ


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こなお二人 うまいやつでは有る 手洗(てうづ)はおろか行水が入
も知れぬ そんならつい此川水をアゝいやコリヤ 雨あがりで
堤がすべる 怪我さしては晩からおれが不自由な 神前
の水汲んでこい ソリヤマアどふやら勿体ない大事ない/\
王は十善神は九善 其王様の弟御九善かたしじやいて
こいと せり立てられて女房は神前さして汲みに行く 後は気
休め一休みと思ふ所へ三善の清貫 官人仕丁に十手持た
せ装束巻上げ欠け来たり ヤア夫れにおる桜丸 あのれ最前斎世の

宮を奉幣も済まぬ中連れ退いたとの風聞何国(いづく)へ供したサア
ぬかせとせちがひかゝれば存ぜぬ/\ 下として上の事 そつ
ちをとつくとお尋ねと云はせも立たずヤアぬかすまい 兼ておのれが
取持ちにて物ぐさい事聞いて居る 取り分け今日は御悩平癒の神
いさめ其場所へきて不浄が有ると 親王でも東宮でも屹度
捕へて罪に行ふ 有様ふにぬかさずば引っとらへて拷問するそれ
縄かけよと下知の下おつ取巻を身がまへし 知らぬといふたら
金輪際 ならくの底から天迄知らぬ 聊爾召さるとかたつぱし


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下手のお鞠の蹴て/\蹴踏む足の塩梅見せふかとぐつと
踏み出す両足は顔に似合ぬ古木なり シヤ下郎めがあぢを
やる 最前から見る所が車の内に人こそ有 御簾引っちぎり
改めよといふに従ひ立寄る前を首筋掴んで投げ退け/\ 車は
舎人が預り物 いのちが有らば寄って見よと かゝるを蹴飛ばし十手
もき取りかたつぱしなぎ立/\追ふて行く 其間に宮と姫君は人に
見られて叶はじと 車の内より飛おり/\遉(さすが)若気の一筋に遁れ
て旅のかり衣何国共なく落ち給ふ 隙間を見て清貫が取てかへして

車の内 引明け見れば内は明きから なむ三宝見ちがへた 舎人
めが戻つたら大抵では有まいと 下道さして逃ぐる跡 間もなく
欠けくる桜丸 御二方の見へぬにびっくり 車を見れば宮の書置
何々見付けられて辱めを受けふより立退くと有る文章に ハツト
驚き胸は板イデ 追付いて御供と欠け行く向ふへ女房八重 サア是
お手洗汲んで来たと見せるを刎退けナニ手洗所か 清貫めが
車の内詮議せんと来たりし故 見付られしと二方は何国共
なふ落ちなされた ヤアそりやマア本かと女房はびっくりうはつたり


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水桶落し シテまあこなたはこりやふぉこへ ヤア何所処か元姫君は
菅家の御養子 実母は河内土師の里 管丞相の御伯母君 先ず
此方へ心ざし後を慕ひ奉る 汝はあの御車を宮の御所へ引いて
行け 捨て置いては後日の咎め 成程そふじやこな様の 姿にやつし
て引いて行こ ドレ白張と請取て 後案じず共行かしやんせ ヲゝ合点と
白砂蹴り立て飛ぶがごとくに欠けり行く 八重は夫の姿白張肩に引
かけて 車の牛を引直し させいほうせい精一ぱい 引け共遅き牛の足
エどんくさいと後ろから おせば車もくる/\と 廻る月日は不成就日か お二人様

のくえ日か夫の為には十方暮れ 鬼宿車を押かけて 天赦天
一天上のお首尾もよかれ神よしと祈る心は八専の黒日に間日の斑牛
追立ててこそ 「立ち帰る