楠昔噺 徳太夫住家の段

 

というわけで『楠昔噺』の「砧拍子の段」だけ読んで、続く「徳太夫住家の段」を楽しみに文楽劇場で見たらばあーた、まさかの予想を上回る展開に客席で現実に「え゛~~」と声を出して驚く嵌めになったのでありました。だってさ時代物だから誰か死ぬのだろうとは思ってたけどいっぺんに二人も手負いになって出てくるんだもんそれも主役が。

 

そもそもこのお話全体には五つのお節句が盛り込まれており、天皇側楠正成vs幕府側六波羅軍率いる宇都宮公綱との攻防、そして翻弄される周縁の人々の物語が、季節の移ろいとともに再現されるのがまた魅力だと思うのだけれど、現在上演されるのは三段目のみということで、プログラムに解説してあるとおりに五節句を述べますと、

 

初段は正月七日の人日、

二段目は三月三日の上巳、雛祭りだね、

そして三段目「砧拍子・徳太夫住家」の舞台は五月五日の端午の節句に因む菖蒲が軒先に、

たしか屋内には刀・兜の飾りが施され、科白に粽なども登場し、

四段目は七月七日の七夕、

五段目は九月九日の重陽節句の風物が、それぞれ背景に描かれるのだそうです。粋だなあ。

 

で、「徳太夫住家」の最後は時代物らしく商人が衣装引き抜きで一瞬で武士にぶっかえり、それがまたキレッキレの玉志さんなこともあって清々しくもダイナミックに客にカタルシスを齎してくれ、幕を閉じるのでありました。

 

わたくしの見どころは、たったさっきまで松王丸と武部源蔵の息も詰まるような緊迫感を演じていた玉男さんと和生さんが仲良く「じいさんは山へ芝刈りへ、ばあさんは川へ洗濯へ」出かけ、若葉の匂うような野山でおおどかに夫婦喧嘩って趣向。もーねーお二人共ぜんっぜん別人28号だもんね。プログラムの過去の上演写真を見ればなんとじじとばばは初代玉男さんと文雀さんで、それだけでもグッと胸に来るのに、それに加えてニワカ文楽初心者のあたしが言うのもなんだが目の前のじじばばもそりゃあうまいもんで、ただただ感嘆するばかり。こーゆー見事な演じ分けや技術の使い分けを見聴きするのも堪らん。文楽すげー。

 

そして障子にばばっと飛び散る血飛沫。なんちゅう演出!あ~これには『名月八幡祭』の修羅場を思い出し、すると自動的に三津五郎=新助の名演技の一部始終が思い出されるわけでして、生身であれ人形を通してであれ役者とは凄まじきもの、と、文字通り役者が揃ったオールスター「菅原」と、東京に続きすっかりお役が手の内に入ったこれまた役者揃いの「曽根崎心中」を堪能したことも相まって、満たされた一日はあっという間に過ぎ、劇場を追い出されながら感慨も一入であった次第。ほんと凄かった。千代は聖母、お初は菩薩。どちらも神懸っていて自ら発光しているように見えたし。

 

 

 

徳太夫住家の段 

読んだ本 http://www.enpaku.waseda.ac.jp/db/joururibon/index_j.php (ニ10-01626) 

      読めない漢字は4月文楽公演プログラム付属床本集を参照しました。

 

55 右頁 六行目最下~

「立帰
軒のあやめに 蓬草端午の節句門口に建てる幟は鶴亀の齢を

我子へ鑓長刀 母は粽の粉(こ)をひけば 臼より廻るおさな子の千太は傍に真
菰草 むしる悪さも時に連 よし芦の草のかただすけ 手助けすると心では
ほめるも親の欲目かや 商売じゃ箔の長刀箔の鑓 一荷にしやんと打
かたげ槍や長刀菖蒲刀と売りあるき 幟を当てて荷をおろし サアきたり
/\ 買ふたり/\ お子達の祝儀物 雲に羽をのす大鳥毛 赤熊(しやぐま)に白髪
の交つたはわけてめでたいおばゝの毛槍 大身の槍の長いのが祝ふて親父の持ち
道具 素鑓管鑓込で代物わづか十文字 安売めせやめせ/\と 口


56
早にとそ売にける 近所の子供千太郎供に立寄りあれこれと 見廻す顔を
じろ/\見て ハアこな子供衆はほしそふな顔 エゝ盗んできたのならたゞやつたい
な 何をいふてもたゞやつては 此方口が長刀反り 鑓おとがいに成る故にたゞといふては
マアならぬ 取分け爰なお子 可愛らしい利口そふな目元折れたが有るかやらふかと
口紅いへば千太郎 イヤ/\おりや人に只貰ふ事いや ほしけりや買ふと一本さゝれても
扨もきよふな息子殿 親御が見たいよい育ちと誉めそやsyのを母親は 聞く嬉し
さに臼の手とめ コレ鑓長刀買ませう 休んでござれと思はずとも 子にほださ

れて見ずしらぬ 人にもあいそこぼれける 是は忝い幸い雨もほろ付く濡し
てならぬ此代物 ちつとの間雨やどりと内へ入ば ヲゝ安い事/\ 庭はせはふはおか
れまいついそこな牛部屋へ其間に雨も晴ませう 茶でも参れと小やさ
敷詞にあまへ ナントお家様 とてもの事に五六本売り余りを上げましよかへ イヤ
なふ見やしやる通り表に飾てあれ共 祝ふて一本買かといふ事 マアたばこで
もまいれいの イヤ私はまだすき腹 茶が入たらつい茶漬 夫迄おたばこ申
請けさせるを借りて火を火を貰ひ一ふく致そといやが上 いふも厚皮牛部屋へ荷


57
をかたげてぞ入にける ヲゝあの人はおとましや おばの内へきた様にと いふ間も隔つ
一間より 娘々と徳太夫腰もふたへのやれ障子 押明けてそろ/\立出 なんとおとは
連合の正作から便りが有ったか替らずかと問われて何んにもしらぬふり さればいな
主(ぬし)は此春から大和通ひ 牛博労にいかれますでば まそつと定めて逗留でご
ざりませう ホヲ其牛博労も今は鎧の馬博労 楠正成と名のかはつた
事も知ってそ居る エゝそりやマアおまへはどふして イヤ隠しやんな 天しる地知るといふ
是ほどにない事さへ人の噂 まして大切思ふ聟の身の上 根ほり葉堀

聞かずに置ふか もとあのわろは橘氏 親御の代には八尾の別当といふ者と
国都を争ふた程の家柄 正作が稚い時果めされて夫れより乳母育ち こち
へ貰ふてそなたと夫婦にしたも おれもまんざら山賊(やまがつ)の物でもない 先祖の
事は婿も聞いて居られう 軍に立ふが合戦せうが何で未練に留めふぞ 殊
にわごりよは祖母の連子 義理有るおれに隠すのは 心が悪い聞へぬと恨みかけ
られおとはゝ気の毒 顔赤らめて居たりしが 此事お聞き遊ばしたら幾世のお案じ
お年寄の苦に成る事必ずいふな 咄すも折有らんと夫の口留 隔ていはぬと


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思し召すもお道理 春野飼いの牛を枕にし 転寝(うたたね)の枕元雲の上人のお越
有て 南へ繁り木のもとに休らふて居るおのこ 天子のお頼なりと有がたい勅諚
今では楠多門兵衛正成と申しまする ホヲ成程 常の孝行なら心からは苦にさす
まいと思ふて隠せといふたも尤も 夫れで何もかもおれが思ふた通り聞いた通り胸が晴た
去ながら心得ぬ事有れば 祖母へは此咄必ず無用 シテ天王寺軍に 宇都宮と云
者に楠が負けたといふ噂 何と夫れは真かと問れてうぢ/\ アイまあ其時は
ひかれました サテコソ へエゝ口惜や 二十若くば役に立ずとおれも ソレ其様に苦

に遊ばすによつて 何いやるぞいの いとしいわごれに添ふ聟の身の上 苦にせい
でよい物か まだ聞く事もいふ事も有る共 爰は端近孫連れて一間へおじや
粽も祝ふてまかふし 軍に菖蒲は祝ひ草 敵の芦の葉をむしり数
珠つなぎにしてやろと えんぎを胸に米の粉を引まつべ/\ 親子の者を伴ふて
一間へこそ入にけり 早夕陽(せきよう)に かたむく比表へびゝ敷女乗物 家来数多
歩行(かち)の者 先走りが門口より誰頼ふ 徳太夫殿お宅は是かと 尋ねに折よく祖母
は立出 成程是々 どなた様やと いふ声聞いて乗物より 出る女中の声花(はなやか)さ五つ


59
斗りな娘連れ 家来を後にと追い戻し しづ/\入るを祖母はふしぎと打ながめ 此程わ
びた荒家へ結構なお姿で どれからお出と饗宴(もてなせ)ば イヤ其様にうや/\しう
御意遊ばす者でなし 定めておまへが徳太夫様の奥様でございませう ハゝゝゝゝ御勿
体ない つい嬶とおつしやつて下さりませと も手をすればこなたの手をつき
私事は照葉と申しまして 徳太夫様のお子竹五郎が女房でござりますると
聞いて手を打ち是は/\ サア/\こちへマアこちへ 何からいふぞ咄さふぞ 文くる度に
念頃な入筆 逢ふたは始て 心は互いに嫁姑 竹五郎も替らず無事でござるかの

成程息災で常住おまへのお文を見ては真実の母様でも是程には有まい
と 押いたゞいて居られます 此度天王寺の合戦 敵を一戦に追退け 士卒も
帰さず主も逗留 勝ち軍とは申しながら心元なく 是成娘みとりを引つれ
密かの見舞 次手なれ共立寄って勘当のお侘言 孫娘の顔も見せたら
父御様のお心もやはらがふし 又一つには 此度天王寺での高名 宇都宮公綱と
武名を顕はし 楠を追ちらせしと申し上げなばよもや勘当お赦しない事は有まいと
いさみにいさんで参りしと 語れば祖母はあたりを見廻し コレ嫁女 親父殿に逢ふ


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たり共宇都宮といふ名はいふまいぞ まして楠に勝ったといふたら なみ大抵の事
じや有るまい 其訳密かに咄して聞かそふ みどりを連れてマア奥へと 心有けな指
図にはきゃといあはれす気も済めねど 然らば左様に致さんと 娘を連れて奥の
間へ 早入相の鐘の音も胸にひゞきて老いの身の思案取ゞ成る所へ 祖父は一
間を立出 なふお祖母 きのふ川端でいさかふてから おぬしも物云ず おれもいは
ぬがいかふ気詰り ちつと咄す事も有る 何ともふ中を直ろかい ヲゝおりやとふから
そふ思ふて居ます したがこなた何ぞききやせぬや イヤ何にも聞かぬが わごりや

はさつきに何ぞ聞たか イヤおれも何にも聞かぬ サそふやるて咄にくいkつそふた
りが胸の内一度に咄そちや有まいか ヲこりやよからふ まあ其咄の
発句はどふしやいの サア其発句といふは アノ昔々去所に祖父と祖母と有
たといの ホこりや珍しい咄じやわいの 大かた其祖父のの息子に勘当したの
が有たであろ ヲ有た 其倅が出世して 宇都宮の公綱といふたげな ムウ
それこなたしつているか そんならおれも咄そ 其又祖母の娘の聟に楠正成
といふのか有たといの ヤアそれをそなたもしつているか しつている/\ サそ


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こが咄のかんじん肝文 其勘当した伜と 大切に思ふ娘の聟と 釼を振り合
切つはつつ命をはたさんとするげな 其親の身に成ての心悲しい共情けない共胸
を刃でさはる思ひ 聟を思ふ父親も 息子をかばふ母親も 思ひはひとつ
たんまつま 供に悲しからふのと語れば祖母は涙出し なふ其事思ふては幾世の
案じ 義理と義理とに隔たれ 夫婦親子も敵味方 別れ/\にならふかと
それはつかりか悲しふござる いはゞ互いに意趣遺恨有って軍するでもなし 丸
ふするのが親の慈悲思案して見て下されとすがり嘆けば ヲゝそれを思はぬ

でない とやかく思ひ廻した上 たつた一つの了簡いふて見よふ聞いてお見やれ 見れば
最前 宇都宮が娘みどりとやらを連れて来た 其緑と 聟の正成が子の
千太郎を 夫婦の縁を組おかば 子にほだされる親心 おのれと和睦の筋に
もならふか 是より外の思案はないと いふに涙の目を押ぬぐひ 面白い/\ いや
といはれぬ和睦のさし様 ヲゝ嬉しや夫れで落付た スリヤ此思案がよからふか よい
共/\上分別 善はいそげじや今爰で祝ふてちよつと盃事 ヲゝよかろふ おりや千
太郎を連れてこふ そなた緑を ヲ合点と 色も直つて気もいさみ祖父は勝手


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へ行く跡に 祖母は一間の方へ行き緑/\と呼び出せば アイと答へて出てくるを かたへに
連れて小声に成り おれがいふ事よふ聞きや 女の子といふ者はちいさい時から云号(いひなづけ)殿
御持たねば人があなづ(侮)る 祖母がよい殿持そぞと云含むる其内に 祖父は千太郎に
着初めの裃 吉野折敷に松と竹 徳利の口の引さき紙も蝶花形の心
にて いそ/\連出座に直し 何とめでたいでないか 孫と孫とが世一度の祝言
祝ふて立た松と竹 鶴亀は幟に有 尉と姥はそなたとおれ 道具が揃ふた
祝ふてうたを ヲゝ小声でたつた一口 ヲツト心得 扇をひらき 七つに成る子がいた

いけな事いふた 殿がほしとうたふた ハゝゝ是で祝儀は納つた サア盃を取上させ
さゝんとする後ろより 照葉は見付けて走り出かはらけ取て打われば おとはもかけ出我
子を取て引のくる おぢうばハツト気の毒の 胸撫でおろす斗りなり 照葉はもとより
張りつよく コレ申しお二人様始終の様子は聞きましたが よふ思ふても御らうじませ
夫公綱は六波羅方 楠殿は天皇方 敵と敵との子供等を 祝言さしては
お上へ立たず 申しにくいが此照葉も長崎四郎左衛門が娘 逃足早い楠の子と
縁組だといはれては子孫迄の家の名おれ 夫共に親かひてなさる事ならとて


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もの事 楠殿に降参させ和睦有った上の事 聞くよりおとはゝコレ照葉様
とやら 降参とは何の事 引も欠るも軍の習ひ 天王寺の合戦に連れ合正
成引たるは 五千余騎の軍勢を追ちらした其後へ 小勢で向ふ宇都宮天晴
の武士(もののふ)面目あたへてやるが武士の情けと わざと其場を引れました 逃足早
いとはエ舌長なとやり込れば イヤよい手な事おつりやんな 情けで軍に負ける法
有るか聞ふ ヲゝいをと 夫思ひの両人かひぢはりかくれば 祖父は手を上げ ヤレ其諍ひ
聞くに及ばぬ スリヤとふ有ても孫共に祝言さす事ならぬしや迄 アイ其義は御

免とふたり共詞揃へはもふよい/\ ナフ祖母日も暮た看経(かんきん)しませう
仏壇へ御明かし上げておくりやれ ヲゝ無明を払ふ燈明 胸の曇りをはらさせふこ
ざれと手を引あはばおぢうばは一間へこそ入にけり 跡打なかめ嫁娘 わけておと
はゝ気にかゝり コレ千太郎 そなたは祖父様のお傍に付添ひ 何ぞ替つた事有ば
声を上げておれをよびや 早ふ/\と追いやれば 照葉も娘引寄て そなたは祖母
様のお傍へいて 随分御機嫌とりや 祝言の事御意あろ共必ず合点せまいそ
ありや内証から手を廻し 頼んだお方が有ての事と 当てこすつて娘を奥へやる


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間も待ず コレ照葉様其頼み人は誰か事 ヲ外ならずおまへの事 お連れ合の楠
殿 負けに負けてお身の上気遣いさに子供同士縁組ませ 夫をおとりに此軍
引いて貰をといふ工みならぬ事/\ 天王寺にひかへた軍勢は 心一致に身を固め 楠討つたぬ
其内は たとへ唐天竺がひとつに成て責めても動かぬ 逃げる様な侍と金鉄武士
は夫程にちがひやんすとほのめかす声におとはゝ猶無念 とはいへ引たは逃げたなり なま
中夫の武の情け 今身の仇と成たかと 思へばくやしさ口惜しさ 歯の根をくたき
身をふるひ悔し 涙の折からに一間の内の小庭より ほつともえ立火焔はいか

に蛇のまくごとく相図の火?(のろし) ひらりひら/\上る其儘秋篠外山生駒
山火の手を合す遠篝(かゞり)数千本の籏翻りときをとつとぞ上にける 見るに恟(びっくり)
中にも照葉に 是ぞ敵の隠し勢 味方の様子気遣いと かけ出すをおとはゝ飛
付ひつとらへ唐天竺が責めかけても びく共せぬとおつしやつた お口に似合わぬ何で
気遣い楠が妻とはかとめた お邪魔いたすとよは腰をしつかと取れば ホゝゝゝおしほ
らしや何遊ばす 野山に育て田がへしの 牛綱ひくとはお当てがちがを 宇都宮
か女房照葉ならば留めて御らんぜと 踏み出す足は柳の枝 柳の腰に雪折


65
はござんすまいと引て行くどつこい/\お笑止や 殿御とあいしたおなかをば ひやうたん形
にしめ切るか 御運がよくば唐織の二重廻りを引切るか二つに一つ定の物 と引
戻せばたち/\/\ 龍田の紅葉(もみぢ)顔にちり裾にちらつく斗りなり かゝる所へ公綱が物
見の者馬を飛して欠け来たり ヤア/\此家に宇都宮の御奥方やおはする 天王寺
にひかへし五百騎の軍勢 今見えし遠篝に恐れ皆ちり/\゛に逃失せたり 主
君の安否心元なし 急いでお帰り/\と云捨てて又引返す なむ三宝とかけ出すを
猶もおさへてせり合う中 一間に切り合う釼の音はつと立たる血煙に 二人ははつと   ←(血煙り)

胸さはぎ争ひ捨て走り寄り障子くはらりと引明くれば あけに染たる祖父祖母
の今を限りの其有様 コハ何事を云上り かく成給ふぞ浅ましやとすがり嘆
けば母親は 恥しや嫁女娘 かふ成るまいと思ふから孫と孫との取結び 和睦
のわなをかけそこなひ 死ぬるはいのと一言が 照葉が身には猶こたへ 左程に思し召
ならば連れ合にも云聞かせ 仕様もやうも有るべきに お心早き御さいごと悔み涙に親
父は起立ち イヤ嘆き遅い/\ そちが夫宇都宮は 取分け我づよき生れ付き 此
度の天王寺合戦 我武勇で勝ったと思ふ愚な事 天性さとき聟の


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正成 宇都宮は勘当の倅 竹五郎といふ事能しつて 一支えもさゝへす引退き
高名さしてくれたは親へ 悦ばさんとの孝行と思ひ当たれば忝なや おとは
よふ礼いふてたも そふ共しらいでせがれめは 五百騎の軍勢を天王寺に留め
楠を討たんと斗る せめては 返礼に追い退けんと思ふから 炭焼山籠りの衆を頼み 兼
ては聟の力にもと拵へ置いたる遠籠 しらせを見せたら刈り置いた柴薪に火を
かけ 鬨の声を上げてたべと 云合せたは爰ぞと思ひ 幸い祖母が洗濯の 布にしかけ
る合図の烽火 四方八方合す篝火 蒸し立てられて六はら勢 皆ちり/\゛に

逃げ失せたは 我智恵の様なれ共 日頃咄に聞置けば やつぱり聟の智恵成るぞや
末世末代楠が斗略(はかりごと)といはれん嬉しさ 是程の事にさへ聞きおぢする宇都宮
正成を討たんとは思ひもよらず 叶ぬ事と思へ共 勘当したれば意見もならず 行き先
思はぬ猪武者 向ふ度に恥辱を取り 犬死しおるを見る様で 不憫におしやると
しやくり上げ 嘆けば祖母も諸共に隔てたわしが義理有れば 烽火を上げて公綱に恥
辱をあたへる事ならぬと せり合釼の手が廻り 死ぬる覚悟と云ながら 悲しい事
としましたと すがり嘆けば何のいの おりやそなたの刃物でわざと わしもこなた


67
の釼をむりに 是も前世の約束かと 泣きしほるればおとはもせき上げ武士(もののふ)といふ
者は 親子兄弟引別れ軍をするも世のならひ なぜあきらめては下さんせぬ お前
方の有る内は公綱様へ我夫(つま)が 何の敵対致されましよ お嘆きは見せまいにと悔やめば
くるしき 手を合せ こなた迄が忝い有りよふは其志を請けまい為 二人の者は死にまする
孝行ふかい楠殿 宇都宮が向ふと聞かば 勝ちほこつた軍でも引退くは定の事 さすれは
一天の君への不忠 其不忠は此祖父祖母が 天照大神様へ敵するも同然 是迄
は聟殿にいかゐお邪魔に成りましたと 断りいふて下されといふも涙聞くも涙 せめ

て末後に千太郎にもお逢なされて下されと 呼に立を祖母はひきとめ
いやもふ孫には逢ますまい 馴染のないみどりでさへ 孫と名がつきや
心が残る まして千太郎は手しほにかけ育て上げたほんそ子 顔見る程迷ひの種
やつぱりねさして置いて下され 但し祖父様は逢心か あのお祖母のいやる事
わいの たゞさへ目の先にちらついて おりや云い出すも胸がさける様な おとは 随
分大事にかけて育ててたもれ 此秋から寺へもやつて いろは書たら清書を
仏壇へ供へてたも それが手向けの香花 死ぬる覚悟の其中でも朝ぶたも


68
焼て置 菖蒲刀も買ふて置いた 目がさめたらやつてたも おいら二人を尋る
なら 祖父は山へ芝刈に 祖母は川へ洗濯にと いふてすかしてたもいのと わつと
泣き出す心根を 思ひやりつゝ嫁娘かつぱと伏て 泣ゐたる 早臨終も近付けば
照葉には涙の手をつかへ 夫の我慢高慢も 先祖の名字引起こさんとの心の
はげみ 今お果て遊ばして誰に勘当ゆるして貰はん 親御のお慈悲お情けに
お赦し有て給はれと涙に沈むをつく/\゛見て 傍に有あふ石臼を爰へとおとは
に引よせさせ 我血を以て石の面 了雲信士と書き印し 一つの石には妙三信女

と書付けて コレ是を見よ 都間(すべて)此世に有る人の戒名は皆逆修 祖母もおれも生
ながらへて居ると思ひ 何時でも心を改め 天皇方へ味方せば 其時此石塔に墨
を入れよ それが勘当ゆるした印 それ迄は親はまつ此ことく切合て 修羅の衢(ちまた)に
迷ふて居ると 伝へてたも嫁女と いふが此世のいとま乞い 互ひに祖父祖母手を取り
合 思ひ合たる印には 命も息も一時に絶へてはかなく成にけり 二人は死がいに取り
付いて前後に くれし折からに 牛部屋より荷をかたげそろ/\出る以前の商人 扨も
草臥れてぐつたりと一寝入りやつてのけた 目覚しに何やらお笑止なる事を聞きまして


69
アゝ思はずも貰ひ泣を致しました ながうお悔みなされませと悔みをいふて出る
所に 一間の内より高声(かうしやう)に 宇都宮公綱待てと 呼ばはる声は耳に胴突き恟りし
て立留り何んじや なんの事 誰か事じやと行んとす ヤア卑怯なり公綱 楠多
門兵衛正成対面せんといふ声を 聞くより商人荷を投げ捨て上張りをとれば肌には
着鎧(きごみ)頭巾の下には鎖鉢巻 荷籠に仕込みし弓矢たづさへ踊り出 ヤアいしく
も留めたり出かしたり 我眼前に親のさいごよそに見るも 汝をば見出さん
為に堪へし不孝 たゞ物ぐさきは此内と思ふにたがはぬ我眼力 名乗つて出し

は天晴健気 見参の引出物胴抜討ぬいて得させんと 弓弦をしめし
待ちかけたり ホヲゝいさぎよし面白しと 一間の障子さつとひらけば 床几にかゝ
つて楠正成 黒革威の胴丸に鍬形打たる甲をちやくし 勢ひこんだる
其形相 威有て猛きにびく共せず 三人張りに十三束引かため指し詰めひき
詰め射るこそあれ 鎧も兜もばら/\と落ちて姿は真菰草 わら人形と
ぞ成にけり なむ三宝たばかられしとあせるこなたに ヤア/\公綱娘が見へ
ぬかうろたへ者 楠正成是に有 定めて矢種は尽きつらん笑止/\と


70
踊り出るを見るや否やヤアおろか/\ 其方便(てだて)も有ふかと嗜み置たる鋒
矢(とがりや)二筋 請けて見よといふ儘に 切てはなせばあやまたず鎧甲が一時に 落ち
て同じく草の葉のよもぎつくねた人からに 二度恟りの無念の勢ひ
おとはゝおかしくコレおふたり様 けふの祝儀の幟に添へ いくつこしらへあらふも
しれず よい錺(かざり)のかぶとやと嘲弄せられ夫婦はしだんだ死物ぐる
ひとかけ行く向ふに すつくと立たる楠正成 公綱すかさず弓取のべ
てはつしと打 ひつぱづしはつたと蹴落し くはつとねめたる眼の光り

もとより猛き宇都宮たゞ一つかみとかけよりしが 天せいそなはる正成が
勇気に思はずすゝみ兼 五臓六腑をもみ上て にらみかへしねめ
戻し 龍に羽有勢ひなせば 虎に角ある勇気を顕はし 互いに
ほつとつく息は鯨の汐吹くごとくなり 二人の妻はあぶ/\と手にあせ
握る斗りにて詮方もなく見へたる所に 正成賢美の声を励まし 我
天皇に頼まれ奉り 命を戦場に擲(なげう)つ事 心有て舅に語らず 今
宵密かに伝へんと裏道より帰りし所 思はずも両親のさいご 急ぎ


71
御別れと思へ共 汝此家に忍ぶ事を知てわさとひかへ其心は 互いに励敷
戦ひ見せば 御臨終の情けと思ひ斗て延引せり 諒聞(もん)は天子に限らず
庶人に及ぶ 眼前二親さいごの場所で直に勝負も成まじ
時節もあらんといはせも立ず ヤアなまぬるこい一時を待ふか 女房照葉
を入込ませ 我は下賤に身を窶(やつす)も 汝が首を見よふ斗り そこを引くなといふ
こそ有れ 仕込みの槍を取るより早く 無二無三に突きかゝるを 持たる麾(ざい)にて
はつと刎ね 又つつかゝるを身をかはし ほどよくつかみし金剛力 こなたは我慢

の高慢力 持たる腕共引ぬかんと もみ合所に怪しやな 死たる父の亡
骸がむつくと起きて槍の柄を 中よりはつと切折て 仏たをしにどつ
さりとこけしはいかに コハいかにと 四人一同に顔見合せふしぎの 思ひも
魂魄の 此世をさらぬ子故の闇と 思ひつゞけて人々は わつと斗り
に泣きしづむ 二人の妻は涙と供に 夫おつとに取すがり 四十九日
が其間は魂其家をはなれずと 聞しに違はぬ今の有様 おいたはしきは
父御のお心思ひ斗りてせめてまあ 五十日の忌明迄 勝負を待て下さん


72
せと 嘆きも道理断りと 流石に猛き公綱も元より仁義の楠も にらみ合
たる目は涙互いに待つ共待たぬ共 いはで別るゝ猛将勇将 妻は子供を呼び
出して 死骸に逢すもかたはの芦の便りすくなき真菰草菖蒲勝負
は時の運 粽は軍の血祭と 思へば悲しき槍長刀建し幟は大籏小籏 めいど
へ靡く白旗も此世の名残りと 正成が 父の死骸をかき抱けば 公綱も母親
の死骸を抱き是迄の 義理の情けの一礼に 両将並て亡骸を 押戴きし
志 二人の妻はえかう文 となふる声が鯨波(ときのこへ) 互いに戦場/\と詞を 残別行