みせすがきの事 附く 引ケ四ツの事 咄の絵有多

 

読んだ本 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1242667

 

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みせすがゝきの事 附ク引ケ四ツの事
むかしは元吉わらに
「みちのちまたのふたもと
やなぎかぜにふかれて
とちらへなびこ おもふ
とのごのかたへなひこヨナ
といふうたはやりたり
これは大はし柳町の事
をうたひし也 又「春の日に
いといふわけて柳たをるは
たれ/\゛ぞ白き馬にめし
たるとのごヨナとかたふこれ
はそのころぶけの人々馬に
のりて吉わらへかよふあり
さまをえいじたり此時は
みな白きものをもつて
だてふうりうとせり
其ころ京都にふろやと
いふもの二百けんばかり有
かみ洗女と名付て
ゆふ女のことくなるものを
かゝへおききやくを
まねきけりこれも
よしはら町めんきよ
ありしせつ こと/\く
きんぜらるゝ今芝居にて

 

 見世すがきの事 付く 引け四つの事
昔は元吉原に
「道の巷の二本柳 風に吹かれてどちらへ靡こう 思う殿御の方へ靡こヨナ」
という歌流行りたり。これは大橋柳町の事を歌いしなり。又、
「春の日にいと言う分けて柳を手折るは誰々ぞ 白き馬に召したる殿御ヨナ」
と語う(歌う?)。これはその頃、武家の人々馬に乗りて吉原へ通う有様を
詠じたり。この時は皆白きものを持って伊達風流とせり。その頃京都に
風呂屋というもの二百軒ばかり有り。髪洗い女と名付けて遊女の如くなる者を
抱え置き、客を招きけり。これも吉原町免許有りし節、悉く禁ぜらるる。今、芝居にて、

 

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たんぜんといふきやう
けんは此事なり又新
吉原になりてよ見世
めんきよせらるゝ時「道の
ちまたのふたもとやなきならびに
「白き馬にめしたるとのご
といふうたをうたひ今の
手にすがゝきをひきしと
なり そのゝちうたはやみて
たゞすがゝきばかりひく事
になりぬまた夜みせ
はじまりしころのさだめに
ひるは九ツよし七ツまで
よるは六ツより四ツ半まで
なりしがよみせのひけ
はやきゆへ四ツのひやうしぎ
をうたず九ツのときに
四つのひやうしきを打けるを
いつとなくかね四つ
ひけ四つと
いひなら
わせし
となり

 

 「丹前」という狂言はこの事なり。又、新吉原になりて、夜店免許せらるる時、
「道の巷の二本柳」ならびに「白き馬に召したる殿御」という歌を歌い、今の
手に「清掻(すがき・三味線の手)」を弾きしとなり。その後歌は止みて、只清掻
ばかり弾く事になりぬ。又、夜店始まりし頃の定めに、昼は九つより七つまで、
夜は六つより四つ半までなりしが、夜店の引け早き故、四つの拍子木を打たず、
九つの時に四つの拍子木を打ちけるを、いつとなく「鐘四つ、引け四つ」と、
言い慣わせしとなり。

 

 

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