二代尾上忠義伝 三段目つづき(その1)

 

読んだ本 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/10301710

 

f:id:tiiibikuro:20170619133210j:plain

 10
「つゞき」たづねてきたとうはさ
あつてはいかゞとぞんじかくは
はからひ候とごん上しければ
持氏卿きこしめしホゝしんびやう
なるはからひ見所ある源蔵
かれにさかづきくれいとあれば
「おそれおほきおんさかづき
すぐさまてうだい仕ると
おしいたゞいてくわい中なし
はるかさがつてへいふくす
持氏卿御きげんうるはしく
源蔵にはしはらく
それにひかへさせよと
おくのまへこそ
入り給ふ

 

 

f:id:tiiibikuro:20170619133230j:plain

 ほどもあらせずおく使の
士まかり出らうしんの
めん/\さがづき一つづゝ
三方にのせめい/\も
まへになほし「ごぜん
の御意には只今
御しゆえんの内
武門の大将つねに
たのしむべきものを
めん/\の心のほとを
此さかづきへかき
つけてさし出せ

 

 

f:id:tiiibikuro:20170619133251j:plain

 との事なりと
なぞをかけたる
君命に三人
おの/\ふで
とりて和田は
國の字これ
国ををさ
むる大将は
下をあはれむ
仁の道紙崎は
賢人とかき
たりしはかしこきを
あげて用いるは君子
の道といふこゝろ
仁木はがうよくの心より
金銀の二字を書付たり

 

 

f:id:tiiibikuro:20170619133305j:plain

 源蔵はのびあがり「はゞかり
ながら
わた
くしも
さいはひ
せんこく
ちやう
だいせし
御さかづきへ
ぐあんのむねをかきつけ
たし御とりなしをと
やたてとり出し酒と
いふ字をかきつけて

 

 

f:id:tiiibikuro:20170619133319j:plain

 おの/\三方にとりのせ
ごぜんへこそは出しける
ほどなく御きんじゆ立出て
「たゞ今のおさかづきこと/\゛く
御らんあり酒の字をかき
たるは御身のやうじやう
かんやうと源蔵がはつ
めいことのほか御かんあり
大小上ミ下モ下され今日
よりさむらひぶんに
おとり立としゆつ
せのはじめと
しられたり

 

 

f:id:tiiibikuro:20170619133333j:plain

 此時和田紙ざきの
両人ことばをあら
ため「とてもぬひ
の助様のがいに
なるけいせいめ
さつぱりと
切てしまふが
上ふん
べつと

 

 

f:id:tiiibikuro:20170619133354j:plain

 ふたりが
ことばに
源蔵
すゝみ
出て「イヤモシ
ころすのは
やすけれども
此ことせけんへ
るふして
縫の助
さまの
ほうらつが

 

 

f:id:tiiibikuro:20170619133410j:plain

 わが君の
不徳と
なり
京都の
きこえ
あし
かるべし
これは
わたくし
さう
おうの
やくめ
道芝をば
おんまかせ
下さるべし

 

 

f:id:tiiibikuro:20170619133427j:plain

 といふにそ
正げんよこでを
うち「源蔵のはか
らひもつともしごく
といふ所へ又々君より
上使として「源蔵の
はからひ忠義の心ざし
今にはじめずごかんあり
めうじをゆるし大杉
源蔵となのり評定
の間を相つとめ知行
座席おの/\とどう
かくとの事あさひの
のぼる出世のいきほひ

 

 

f:id:tiiibikuro:20170619133440j:plain

 和田かみさき仁木の
人々口をとぢ
あきれきりたる
ばかりなり
又もおそばづかひのさむらひ
まかり出「紙崎小善(?)事
さきだつて光明寺のふ
しんたゞくわびをおもてに
なしやくめじつぎをうし
なふのみならずそのうへ
今日けいせいをけいばつして
きみにちじよくをあたへん
とする不忠のしんてい「次へ」

 

 

f:id:tiiibikuro:20170619133457j:plain

「訪ねて来たと噂あっては如何と存じ、斯くは、計らい候。」と言上しければ持氏卿聞こし召し、「ホホ、神妙なる計らい、見所ある源蔵、彼に盃くれい」とあれば、「畏れ多き御盃、すぐさま頂戴仕る」と押戴いて懐中為し、遥か下がって平伏す。持氏卿御機嫌麗しく、「源蔵には暫くそれに控えさせよ」と奥の間へこそ入り給う。程も有らせず奥使いの侍罷り出で、老臣の面々へ盃一つずつ、三宝に載せ銘々の前に直し「午前の御意には只今御酒宴の内、武門の大将常に楽しむべきものを面々の心の程をこの盃へ書き付けて差し出せ、との事なり。」との謎かけたる君命に、三人各々筆取りて、和田は「国」の字、「これ国を治むる大将は下を憐れむ仁の道」。紙崎は「賢人、と書きたりしは、賢きを挙げて用いるは君子の道という心」。仁木は強欲の心より「金銀」の二字を書き付けたり。源蔵は延び上がり、「憚りながら私も采配先刻頂戴し、御盃へ愚案の旨を書き付けたし。御取り為しを」と矢立て取り出し「酒」という字を書き付けて、各々三宝へ取り載せ、御前へこそは出だしける。程なく御近習立ち出でて、「只今のお盃、悉く御覧あり。『酒』の字を書きたるは『御身の養生肝要』と源蔵が発明。殊の外御感あり。大庄裃下され、今日より士(さむらい)分にお取り立て」と出世の始めと知られたり。この時、和田、紙崎の両人、言葉を改め「とても縫之助様の害になる傾城め、さっぱりと切ってしまうが上分別」と二人が言葉に源蔵進み出でて「いやもし、殺すのは易けれども、この事世間へ流布して縫之助様の放埓が我君の不徳となり、京都の聞え悪しかるべし。これは私相応の役目、道芝をば御任せ下さるべし。」と言うにぞ。正げん横手を打ち「源蔵の計らい尤も至極」と言う所へ又々君より上使として、「源蔵の計らい、忠義の志、今に始めず御感あり。苗字を赦し大杉源蔵と名乗り、評定の間を相勤め、知行、座席、各々と同格」との事、朝日の昇る出世の勢い。和田、紙崎、仁木の人々、口を閉じ呆れきりたるばかりなり。又もお傍使いの侍罷り出で、「紙崎小膳事、先立って光明寺の普請、只華美を表に為し、役目実技を失うのみならず、その上今日形成を刑罰して君に恥辱を与えんとする不忠の心底「次へ」