夏祭浪花鑑 八段目 田島町団七内

 

読んだ本 http://www.enpaku.waseda.ac.jp/db/ ニ10-01283 

 


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第八 友達に心を砕た 石割雪踏の合印

日数さへ早一七日田嶋町魚屋商売ひれの有 主は團七九郎兵衛迚昔と今
の名を合せ 手強き業も五人前高津祭の其夜より 内へ帰りてゆつくりと何知ぬ
顔 せぬふりに 人は夫レぞと気も付ず油断枕の高鼾 子は友達と悪あがき切つつはつつ
も親ににて 負ぬ性根ぞたくましき 妻のおかちはてゝ親の あへなきさいご常からの 心故
とは云ながら悲しさ余りけふも又 墓参りして立帰る 子供遊びのわやゝ同士 アレ市松
のたゝきつた わしもぶたれた切れたと泣々表へかけ出れば おかちはやがて抱とゞめ 又こりや

市松がせふらかしたか 堪忍しや/\ エゝ憎いやつじやの わしが擲(たゝき)かへしてやろとなだめすかせば
子供共 こちの町へきおつたら寄ておつてしはつてやろと 口々云て帰るのも物がしらすか気
にかゝる おどれ其口とめてやろと竹ひつ提げて市松が おつかけ出るをおかちは押とめ ヤこな子よ 杖
棒持てあの子供に けがさしたら何とする 本に/\親ににぬ子は鬼子と 九郎兵衛殿のいつてつ
によふにたなァ 祖父様が七日後に 長町裏で殺され其切人を御せんぎ 意趣有者の
覚はないと 嬶は毎日御前へ呼れ 心も心ならぬに いかに子供しやといふてあんまりな あおあいて
マアとつ様は そなた斗を置てとこぞへぞござつたか よもやそふでも有まいが るすかや イヤあの


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屏風の内にとつ様はねてじや おれは敵討の芝居事していたればあいつらが親の敵といふて
擲きおつたによつて 祖父様の敵といふて擲かやした かゝ様祖父様を切たやつが知れたらおれが殺して
やるぞやと 云をねて居た九郎兵衛は 聞に付ても胸ふさがり是非も 涙にくれ居たり おかちは
せきくる涙を押へ そなたさへ夫レ程に祖父の事思やるに わしは常からあいそがつき 畳の上では
エ死にはさつしやるまい ひよんな死をする人と思ふた故 切たやつを金輪際共思はなんだ 思へ
ばわしは不孝な者 悪い人ても親は親 沢山さふに思たのが今ではくやしい 悲しいとくごき涙の折
からに 心の合た友烏(からす) なきに立寄一寸徳兵衛かたに貫銭ひつかけて 九郎兵衛内にか 玉

嶋へ下る故暇乞にちよつときたと菅笠取て内に入 おかちはちやつと泣顔隠し ホこりや
今下らんすか あつい自分に大義な事や したが日和つゞきもよござんしよ コレお辰様へよう
心得て下さんせ イヤモウ言伝(ことづけ)受取ても死人同前 ついにいふた事がない ヤ其死人で思ひ
出した 親仁を殺した者はまだ知れぬか サお上にも御せんぎがつよいけれどまだ知れませぬ そふ
であろ/\ あれが殺して物を取たといふか 其晩に大きな出入でも有たら詮議の手がゝり
も有ふ あの親父に意趣有者といへば 大坂中に残り者がないすりや知れぬ筈 定めて
其事で九郎兵衛も心遣いで御ざらふ 推量して下さんせ ぬしのほつとしたかしてねて斗


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居れます どふで切た者は知れまいしいとしや犬死で御ざんしよ ア又泣しやる 犬死でも馬
死でも時刻じや/\ モウあきらめたがよいわいの おれも九郎兵衛にちよつと逢ていきたい
物じやが ほんにおこしませう アコレ/\もふよござるは おかはいそふによふねて居る物を イヤ又後で叱ら
れましよ ソレ市松おこしましやと いはれ立寄屏風押明け コレとゝ様 伯父様が逢にきて
じや コレノウこれなふと ゆすりおこされ目をすり/\ 伯父様とは エ徳兵衛か 旅立のなりで
舩にでも乗のか ハレおこさずと置きはせいで ヤ此間の取込て嘸草臥で有ふ 推量し
てたも 舅太夫が悪死をしられた故 マツ身中がぶき/\いふ程草臥た ヲゝ道理/\ イヤモウ

主のいかい気あつかひわしにかつて ハテそりや其筈の事 舅は親 九郎兵衛が世話仕内
の事 したがそんな事はいかふ気がもめる物じや 何と気休めにいつそおれと連立て下
へいきやらぬか イヤ何のいの ハテそふでないぞや そんなもや/\した事の有た上では 必大煩ひが
出る物 おれがいふ様におじや下(シモ)へいこ 何をやくたいもない備中さんがい何しに行物で イヤまんざ
ら用がないでも有まい おれが女房に磯之丞殿を預けてやつたれば 見舞がてら下つても大
事有まい ホ顔に焼鉄迄当てて預つていんだ内儀 覚束なそふに見舞にもいかれまい
コレそりや大事ない イヤ殊におれは海舩は嫌いじや 板一枚下は 地獄 今年は取分け川舩さへ


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怪我するに 海上おりやおうあじやこはい ムウスリヤあり様は海舩がこはいか アノ海舩が ハゝゝゝゝ
こりやおかしい イヤこりやこはかろ 道理じや/\ ハテ人といふは物見かけによらぬ命は惜い物じや
の ヲ取分け此九郎兵衛は男じやによつて命が惜い 大悪受けた兵太夫様がよそながら 頼むと云れ
た一言 磯之丞殿の帰参が叶ひ 親御の手へ戻す迄は大事の命 サア其大事の命じやによつて
彼の大病のおこらぬ中に下りやらぬかといふ事 ノウお内儀 そふで御さんす共 主が煩はれ
ますと わたしや市松がうつたへますか こりや徳兵衛様のいはんす通りに 何ぬかす 大坂離
れては和泉の様子 磯之丞殿の帰参の程がしられぬ 女の出過たすつこんでけつかれと 叱飛

せは徳兵衛はひつとり アコレお内儀 お茶一つ下されと茶で紛かす主の機嫌 アクィと返事を
立しほの 常の辛いを呑込で 勝手へとそは汲に行 徳兵衛重ねてあたりをながめ 舅が最
後の端に有し雪踏かたし腰より出し コレ此山形に丸印の雪踏 見知りが有かと指し出す
きよつとせしが ヲ是はおれが雪踏 夫レが何とぞしたか サア是がそなたの雪踏じやに
よつて 下へいきやらぬかといふ事 ムウ夫レがおれが雪踏なれば 何で下へ行事ぞ イヤコレ九郎兵衛
此雪踏をあぢな所でひろふたの 長町裏の畠中で じやによつて下へいきやらいでといふ事
ムウイヤ其雪踏は 此中ねり物見よふと思ひ 小間物や店へ上つたればかたし犬に取れた 定


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て夫レを畠中へくはへていた物であろ きやう/\しい何ぞ事も有る様にと けんもほろゝに顔色
も人を殺せし体もなし 徳兵衛は目もうるみ流るゝ汗と供にふき取 ヘエゝ聞へぬぞや九郎兵衛
そなたとは住吉で 腕引かはりじや 片腕じやと取かはした片袖 おりや大事にかけて持て居ぞや
あり様はぞうきんにかなしたであろ 是迄兄弟同前に心底あかす友達中 なせ物を隠して
たもる そなたには市松といふ子も有 しかもいたいけざかり 伯父様/\といへば 追従でないおれ
も不便な もしもの事が有たらば女房子迄引出され どんなうきめに逢ふもしれず そなた
一人の命は三人にかゝると思ひ コレ是を見や おれが雪踏も山形に丸印 かたし見へぬがお上へ

廻り詮議の程に成た時 此徳兵衛でござると見に引受る覚悟 是程迄に思ふおれに 隠し
包は曲はない なぜあかして供々に相談してたもらぬ 但此徳兵衛が性根魂が気遣な か
腮(?ほうげた)たゝくと思ふていはぬか そりやあんまり聞へぬ おれも男じや /\/\/\と 肩ふりいがめひぢ
はつて 親の時さへ泣ぬ目に恨みの涙 はら/\とやもち 兼たる殊勝さよ 九郎兵衛も身の大事
粗忽にもあかされず指しうつむいて居たりしが 段々の志 わるふは受ぬ過分な/\ そふいやれば其
雪踏は悪い所に有た物でかなあろ マアよふ思ふて見や なくとくはふといふ子は有 女房は若し
身を仕廻様な事仕出してよい物かいの サアそこが有によつて 身に引受る覚悟の雪踏


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サア其引受さして 見て居るよふな九郎兵衛でもないわいの 元より身に覚のない事 必ず気
遣せずともふ舩も出る自分 早ふ下つて磯殿の事世話してたも 夫レがほんの命を貰ふた同
前 スリヤどふいふてもあかして云ぬの ハテ何にもいふ事はないてや 日のたけぬ中早ふいきや おれ
も見さした夢見ると 入んとするを思ひがけなく 九郎兵衛とつたと声かくる はつと目をすへ見
廻し/\ 徳兵衛何じや 何を取た イヤ今爰で蚤を取た ハテ仰山な コレ見や/\ 蚤といふ物は
愚かな物じや忽ち命を取るゝとしらいで 骸(からだ)の心を ノウコレ内を得放れぬ なんぼ飛程
の術を得ても 天下の息のかゝつた此指で ドフ押へられては叶はぬ/\ とらへられぬ内に此

蚤めも高飛しおつたらよかつたに ノウ九郎兵衛 何をいふやらきよろ/\と 其蚤もしつ
ぬい目の内におれば 捕へられる事もない なま中にうぢついて飛あるく故おさへられた 夫レも
又其蚤に コレ此釼の様な針有と 切て/\切はらひ 唐天竺へも一飛 一寸の虫にも五分の
魂 一寸の虫にも な 徳兵衛 其内逢ふさらば /\と いふてぞ入にける 茶を入かへて女房が 持
出るこなたは捨ぶちで いにかけるのをコレ茶を一つまいらぬか 端香一つと持出す イヤモウ茶
も水もアお内儀面白ふごんせぬ 我等がが志水のあはと成たじや せめてこなんなと悦
んで下んせ ヲゝ何じやしらぬが 常からおまへの志わしや嬉しう思ふて居わいな ハテ九郎兵衛


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と念頃するも 堺の戎嶋てこなさんと出合てからふつと其時 テモあの女房はかはいらし
い 夫レもなんの役に立ぬ事で有た いんできましよと立出る アこれ徳兵衛様 ソレおまへの
帷子は どこもかしこも綻びて裾廻りがばら/\ 夫レ着て舩へは乗れまいといふに身内を
ほんになァ 綻びた所をくゝつて置たが皆ほどけた 一針やつて下んせぬか ヲ安い事ちやつとぬ
がんせ イヤついかふして ヲしんき そふして夫レがぬはれる物か テモ内証北国じや ム自慢でかゞ
の下帯か イヤ其隣の越中じやと 帷子なし襦袢一つに成 ぬいで引渡せば針さしの糸の結
ぼれ縁のはし もつれかゝるや咽の下 穴のあく程顔打ながめ いつ見ても/\美しい御面像

九郎兵衛が大坂を離ぬも道理 憎い程えくぼが有る ヲ何じやいのじやら/\と 国へいんでお
辰様にそふいふて悦ばさんせ イヤモウそげめが顔は見たふもない 下地のしやくしの焼鉄で
華足袋(かはたひ)のこげた様な デモ久しぶりでしつぽりと面白かろ ムウ面白けりや何とぞ思ふ気
か アノ爰なすつとのかはめが ヲゝ何さんすいたいわいな 何のいたかろ おりやこなんのふくろべた所が
ぬふてやりたい コレ悪い事さんすと針で突くぞ アゝあぶない/\ ひきやうな男で有と あ
しやらこふじる其中に 表へは釣船の三婦が来かゝり内よりは 夫が出かけて見る共しらず 有やう
は九郎兵衛を下へくだした後での事と 思ふたが図へいかぬ ワレ戎嶋で頼だ時の約束 サア其


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時はそふ思ふたけれど けれどで済むかと抱付くを 九郎兵衛飛出取て引退け 女房が持たる
帷子もぎ取て どうと打付け中にすつくり ハツトおかちは気も上り 徳兵衛はうぢ/\もぢ/\
そつと帷子引取て 着中もまだへらず口 アゝいんでくりよ/\ 大坂にいた迚花実の咲く事
も有まい アゝいんで女房の顔など見て楽しまづはい エゝとふに舩に乗物を あたどんくさい ふくろべ一つぬふ
て貰ふて帯といた おれが着物おれがでにおれが着るからおれが次第じやと めつたむせうに帯
引廻し 舩が遅成るいんでくれうと行んとするをコリヤ待て徳兵衛 とつくりと帯しめて そこへ
直れと声かけられ 行くも行かれぬ命の際 やぶれかぶれと性根をすへ 何じや用が有か九郎

兵衛 内儀との事ならぐず/\云に及ぬ とfからおれが惚れていれ共 友達の義理を思ひ
歯ぶしへも出さなんだ 時節も有ふ物じや そちから隔てる様に成て今では義理も瓢
箪もない サアいつそ内義をおれにくれるか さもなくば胸に有る事そこへまき出せ ホゝゝ
頼もしそふにいふと思ふたが 女房はしがる根性で様子がならりとしれた ほしか女房もやらふ
聞たか大事も云て聞かそづ 見事われ聞たか貰ふたかせいよ ハテ二色共に望んだ事聞たり貰
たりせうはい ヲやろ ヲもらを いをはい 聞こわい サア サア さあといと身拵えする表にも 三婦も
身がまへまさかの時走り込んと控へいる 女房おかちははあ/\と気をもみあせれど女はざ


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何とせんかたなき内に 九郎兵衛は袂より 取かはしたる片袖出しずん/\に引さけば 徳兵衛も
持合せ供に引さき一度に投付け 互の固めを破たからは心は残らぬ ヲそれ/\ サア出い 出いとゆ
るぎ出ずつと立寄ひたいと額 目先三寸肩先四寸 じつと體を小帖(?たゝみ)に 帖んで互に
膝摺合 思へばちつとの間の懇(ねんごろ)で有たなァ徳兵衛 ヲ是迄はいかいせわ ソリヤ互に サア貰
かけふか どふして貰ふ ヲまづかうしてと切かける 丁ど受とめ受流しぱつ/\と討合ふ刃音 コレ
待ってと女房がさゝへる中に三婦はかけ入 コリヤ何々とせいしても はやり切たる二人が勢 どつ
こいさせぬはこりやさせぬと あちらを突退けこちらをはねしてこいまたと支へたり ヤア邪魔

せまいあぶない/\ 怪我せぬ中にのかれいと引退けてもかけ入/\ コリヤ切/\堪忍ならざお
れを切れ サア此三婦を切れ/\/\ コリヤ/\ 切/\/\/\と胸打叩き膝叩き抜身をひく共思はね共
思ひ切たる刃にあぐみ枕屏風を追取て 合せた釼の真中を押さへて直ぐに體をおもり どう
とすはれば二人もべつたり コレ親仁 邪魔仕やるのは徳兵衛が肩持心か サゝゝとふじや/\ 肩を
持つも背を持も様子しらぬ上の事 知て非道に組せうか 最前ひかへて居たも了簡
思案を見よふ斗 討果そふとは若い/\ ヤ女房を盗れ男が立ふか 若ふても年寄で
こなたは堪忍するか ヲ堪忍する共 コレ九郎兵衛 世界に堪忍のならぬといふは 腹さむいより外堪


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忍のならぬ事はない物じや 此三婦が此年迄見来てきた中 密夫のおこなひ様に上
中下三段有 若いによつて知まい/\ 先ず其中(うち)下の思案 なぜといへ 男らしい事をしたといは
れうとすると 盗れた鼻毛の尻が世間へぱつと立 そこを思ふて内証て耳をそぎ 鼻
をそぎ 坊主にするをよい様に思へ共是また第二番めの中の思案 極上々の思案と云
は 堪忍の胸をさすつて 世間へもしらさぬ様に内証で さらりつと隙やつて仕廻が 大
極上々箱入の思案といふ 元より不義が有たでなし口先のてんがう 夫レを云立討果す

は彼の極々悪い下の下の思案 そこを思ふて此出入貰いに出た サアおれにたも/\ 白髪たもと
ひたすらに 貰かけられ九郎兵衛も 思ひ廻せは我身にも 大事かゝへて是式に命を果す様
なしとかたへに立て 硯箱 さら/\さつと書き認め コレ三婦殿 こなたを立てて何も云ぬ 夫レ渡して下され
と云た一遍投付けて 一間へこそは入にける 女房取上開見て ヤアこりや去り状暇の状はつと斗に泣
しづむ 三婦はつつ立何めを/\ 覚が有ふが有まいが此家に置れず立った/\と 引立られてノウ悲しや
せめて別れに市松に 一目合せて下さんせ 市松どこにじや市松と呼ぶ声慕い走り来る めんどうなと突
退け/\ 一寸には此三婦が相手に成て存分いふ サアこいうせいと片手におかち 片手に徳兵衛引立て 九郎


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兵衛見てか 腹いせに顔(つら)恥かゝしてまつかうと 門へ投出し後ひつしやり ノウコレ嬶様/\と欠出る市松引
とらへ 畜生の親慕ふからはこいつが性根も見へた/\ 九郎兵衛が為には猶足手まとひ 犬の母めと一
所にうせい てゝ親とは縁切たと供に突出し門口引しめ 何と九郎兵衛腹かいたか 其代りおれは草臥た いつそ爰に
ねていのと 我身を横にやつころり 肘を枕の一休 表に親子は 泣たおれ 徳兵衛も打しほれしばし 詞も
なかりしが 思ひ合たか二人がじつと顔上げあたりをながめ 三婦がそろ/\立寄戸口 表におかちは涙声 ノフ
三婦様 徳兵衛様 お前方のいはんす通りに 連れ合をたまし暇の状を取たれば舅は親 九郎兵衛殿は親殺しに成た

時は市松とこなたが 竹鋸でひかねばならぬ 夫レが悲しいばつかりに徳兵衛に不義しかけさせ おれも
供々口叩き 暇の状をかくしました 此上に捕られ殺さるゝ共一思ひ 他人同士の喧嘩に成て 苦しい
死はせぬではあろが けふや顕れ捕にくるか あすや縄めに及ぶかと 案じて夜の目も逢いませぬ こん
な気ではなかつたが エゝ年寄たれば心迄 たゞの親父に成ましたとしゃくり上れば徳兵衛も とふぞ備
中へ連て行くが あかしていはゞ去り状も 相談つくで書くそふと 思ふてとへどねぶかふ隠す せんぽうつきて云合
せた通 心に思はぬ不義徒(いたづら) 嘸腹がたと 憎からふ どふした縁か兄弟よりしたしうしてたもつた人に 人
でなしと思はるゝおれも因果 内儀も因果 因果同士の寄集り 成程そふでござんす共


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取分け女子は去られまい 隙取るまいとする筈を あいそづかしは九郎兵衛殿 皆こなさんの情けじやぞや コレ
市松もよふ聞てたも わしは親を殺されても 憎い共聞へぬ共 思ふ心はみぢんもない よく/\腹の立
事が有っての事と思へ共 情ないはお上の咎め けふも御前てお袋様が コリヤ気遣するな 今の間に詮
議仕出してげしにんを 取てやるぞとおつしやつた 其時のわしが悲しさ 泣てばつかりいたればの お町衆が
腰おして有がたいとお礼申せとせり立られ 連れ添ふ夫を殺すと有を 有がたふ御さります
ると 云た時の其苦しさ 死れる物なら其場で直ぐに 死たかつたとせき上て嘆けば立寄九郎兵衛が
胸に盤石熱鉄を呑よりつらき血の涙 妻の心 三婦が情 徳兵衛が実気をも 聞て

はるかに手を合せ泣て 礼いふ斗也 つきぬ嘆きと三婦は手を取 こなたが此家に居ては 夫婦の縁の切ぬ
も同前 万一の時言訳もやかましい 兎角九郎兵衛が親殺しにならぬ様 夫に名残も惜かろけれど
おれが所へサアござれと 引立られておかちは猶しやくるに 嘆ば供に市松が かゝ様とこへも行く事いや 悪い
事もしますまい とゝ様と一所に内に居て下されと すがれば思はず声上てわつと斗に取乱す 三婦も
徳兵衛も諸共に ヲゝ道理じや/\道理/\と泣しづむ 罪科遁れぬ 天の網四方を取巻く人声足音
徳兵衛はつと三婦も恟り コリヤ泣て居る所でない アレ/\捕手と見へて大勢の人声 先づ九郎兵衛を落
そふか裏表をしめふかと さばきとれば女房も市松連て気もそゝろ 徳兵衛思案に暫し


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の間は隙どらん 其間に早ふ落した/\ 合点がてんと釣船は 親子の者を引連て奥へ行間に程
なく 所の代官捕手の大勢ばら/\と乱れ入 九郎兵衛はいつくにおる 舅義平次を殺したる科
明白に顕れたり 是へ出よと呼はつたり 徳兵衛やがて指し出 コハ思ひよらぬ仰 夫レに何そ慥
な証拠 ヤアぬかすまい 其節の中に 山形に丸の印の雪踏かたし残り有たを 段々詮議を
すれば九郎兵衛が雪踏成りよし 遁れぬ所是へ出せと仰の中より イヤ其印は私迚もかく
の通りとぬいで見せれば イヤサムゝ夫レ斗りでない 義平次九郎兵衛喧嘩の場所より 女を乗せるかご
の者 立帰るふりにて見届たとたゞ今役所へ訴へ 何と夫レでも諍ふかとのつびきならぬ訴人

には言句も出ず赤面しながら さほど慥な証拠御ざれば九郎兵衛は科人 しかしあら立てては
中々お手に廻りますまい 私に仰付られませうならば たまし捕に捕て上ませう 夫レ共
お疑ひあらば御勝手次第と云放せば ヲ聞及んだる強力(がうりき)者うかつには踏込れず 其方も
供々にお上の奉公働きと 云付けて奥に目を付け ヤア裏道へ行ば慥に九郎兵衛 夫レ逃すなと大勢
が捕た/\と乱れ入る ハツト徳兵衛見やる中三婦は妻子を引かゝへ 走出てモウ叶わぬ 若し此市松を
擒(?とりこ)にしられては 気がおくれて九郎兵衛が思ふ様に働き成るまい 親子の者をいづ方へぞ預てくる中後を
頼む 合点じやごされと二人を見送る中に奥の騒動 それ/\九郎兵衛がやねへ逃たぞ 突


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てとれまいてとれ つく俸よさすまたよとさはぎにつれて徳兵衛も 何とせんかとせん
と思ひ廻して表へかけ出 はしご追ッ取おたれに打かけ のぼるも心板屋ふき 重かさぬる
身の科も 爰ぞ絶対絶命と 九郎兵衛は屋根の上 力士のごとくぬき身をひつさげ
よらばきらんづ其いきほひ 捕手の人数後よりかけ上つて右左 捕たとかゝるをから竹梨
割車切はらり/\となぎたおす 徳兵衛が捕縛はかたげて来たる路銭の貫(?くわん)ざし たぐつ
て向ふへ立廻り ヤア卑怯也九郎兵衛迚も遁れぬ身の大罪 尋常に縄かゝれと高
声に呼はれば ホゝ徳兵衛か逢たかつた 何かの様子は皆聞た コリヤ何にもいはぬ 礼も云ぬ

サテならば随分捕て見よ ヲゝ捕て見しよとりや捕たと貫ざし肩へ打かけて 落よ逃
よと突やりねぢ合フ屋根の上 踏ぬく斗めり/\/\/\ どつこいさせぬとりやさせぬと
ぬき身を取たりとられたり 下には捕手が取まいて落ばくゝらんじつてい早縄 一トあし
突やり二足あゆみ にくればつかんで引戻し 又かけ行も七足八足 十あしの貫ざし首
にかけさせ せり合行も角屋敷 横町こしてとなり町 下は隠居の座敷さき
人なき所へコリヤ爰で 捕たはやいと九郎兵衛を おだれ(尾垂?)の上より突落し コリヤ/\
落付く所は備中の玉嶋合点か 合点じや過分と九郎兵衛は飛がごとくに遁れゆく

 

 

旧町名継承碑「田島町」(谷町七丁目)

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