源平布引滝 四段目

 舞台はいよいよ京都伏見は鳥羽の離宮へ。宮中での風流、女の噂話、酒癖、身顕わし、立ち廻り。なかなかのスリルとサスペンスのうちに清盛の息子や二組の夫婦の思いが交錯する。その思いを最後に歌に詠み合って各々の行く末へと別れ行く。

 

読んだ本 http://www.enpaku.waseda.ac.jp/db/index.html

 イ14-00002-282   

 


72 左頁
第四
天をも計り地をも討つべし 量りがたきは人の心なるとかや 安芸守平の
清盛 しか/\の御企て有迚後白河の帝 大納言成忠卿を鳥羽の北
殿に押込置き 流石天理を恐れてや日毎/\の院参に 百姓共は田
畑を止め道に盛砂箒目入れ 敬ひ恐るゝ平家の威勢 上り下りの旅人
も道を横ぎる斗也 四つ塚東寺の社屋年寄袴羽織てかけ廻り 取
早あれへお乗物往来も先退けて 片寄/\下に居よと地に鼻付くれ


73
ば程もなく 先払ひの徒の者 二行に立て対の???(六尺・陸尺)揃へのかんばん 先乗
物は父の清盛 跡乗物は次男宗盛物見より顔指し出し しらぬ野山
を眺め行まだ児髷(ちこわげ)の公達姿 常の権威に事かはり 行粧かるき供廻り
鳥羽の御所より見送りの為に迚多田蔵人行綱 今は名もかへ姿さへかはり
果たる仕丁の藤作 布衣の出立りゝ敷も御乗物に引添たり 早夕暮
も程近くおぼろに見ゆる鳥羽大路の 並木のかげより誰共しれず 甲頭巾
に目斗出せし侍一人 出ると見へしが二人の先(さき)手を弓手馬手へ踏倒せば 数多

の家来徒若党 狼藉者遁さじと右往左往に追取まくを はり退け
ぶち退け取ては投げ掴では打付け 間もなくかゝるを宙に提(ひつさげ)がはと投 つゞいてかゝ
るを前後取右へ投付け/\ 投いらしたる手垂の曲者 稚けれ共宗盛乗物
よりおどり出 人はなきかあれ組留めよと下知給れば 跡に控へし仕丁の藤作たまり
兼て飛で出 儕何やつなれば 当時清盛公の御乗物先にて狼藉を働くは
命しらず 搦め捕るぞと布衣の袖まくり上げ 用意の早縄すびきしてずつと寄ると
寄付かぬ 白刃の切先藤作は 眉間を矩(かね)に切付るを引ぱづしかいくゞり 刀持つ手


74
をむずと取る とられながら後ろさまに突かゝるを身をひらき 横間(あい)より急所を一つ
真の当て うんとのるを引っかづきもんどり打せのつかゝり 両腕捻上早縄たぐつてぐつ
/\と くゝり上れば彼の曲者 エゝ無念口惜と立上るを引居(すへ)/\ おてがましう候へ共仰任
せ仕丁の藤作 搦め捕り候と御目通りへ引据れば 乗物の戸をひらき立出るは清
盛ならで 嫡子小松の重盛也藤作はつと驚けば しづ/\と囚人(めしうど)に打向ひ 儕
は正しく武士の浪人よな 其いやしき風体にて 重盛に向ひ意趣遺恨有べ
き様なし 察する所保元平治に討漏されたる 為義義朝が一類ならん 都へ引

せ一々に白状させんづ ヲゝ汝 仕丁には似合はざる武芸の鍛練でかしたりと 詞に
行綱身をへり下り コハ有がたき御仰 身不肖の藤作 狼藉者を搦しは全く
我が働ならず 平家の御威勢を頭に戴き ねんなう仕り終せし也 併今日の
御院参は我々迄も御父君とこそ存ぜしに 思ひ寄らざる重盛公と しさつて頭
を地に付くれば ヲゝ左思ふも理り 此度父清盛 帝を鳥羽の離宮に押込奉り
普(あまね)く天下に 悪逆不道の清盛といはるゝは平家の嘆 子として父の非を改め
逹て御教訓申したれ共 一国に承引なければ我密かに父にかはる 毎日/\鳥


75
羽の離宮へ院参して 父の不道をつくなふも宗盛が寸志の孝行 二つには
君の御憤りを晴し奉らん為なるぞや 下々なれ共心剛(かう)成藤作 父清盛に申上
武士に取立得させん 向後は心を配て帝の守護致すべし 罷立藤作 はつと
斗に平伏し冥加に余る身の面目 仰に従ひ是よりも罷り帰り候わんと 口には
いへど心には此体ならば帝をも 念なう奪ひ奉らんといさみ/\て藤作は 鳥羽の
離宮へ立帰る 重盛跡を見送り/\ 我推量にちつ共違はず きやつが今
の働き只者ならずと 囚人が縄切ほどき 甲頭巾取ければ 平家の侍飛騨左衛門

皆々はつと驚けばシイ音高し/\ 諸事は此重盛が胸中に有 家来共乗
物やれいざさらば宗盛と兄弟打連悠々と 歩をひらふて西八条の殿を
さして 「帰らるゝ  きのふ迄秋の雲井の御住居も けふは淋しき冬がれに
憂目は兼て後白河の帝を押籠め奉る 鳥羽の離宮の配所の軒 木
の葉を払ふとのもりの伴の 宮造はき掃除の仕丁ならで 御直宿(とのい)の武
士もなく 草木も靡かぬ世の中に 庭の紅葉のかっやふ斗慮外にした
がふ風情也 二人の仕丁共 帝さらふで頬杖つき はけは跡からちる木の葉に 手


76
も足も草臥果た アゝいやの掃除役 コレ又五郎そふいやんな 帝様さへもの
事が自由にならいで 成忠様と諸共に押込られてござるじやないか あなたか
ら見てはこちらからが術なみは何んでもない しんどい時は此?木(ぬるて)や紅葉を見て
草臥れを休ましゃいの ノウ平次そふじやないか エゝうまい事いふの藤作 花や?(もみち)
を楽しむは上つかた おいらは草臥休めにあつかんで一はい引請 此寒さが凌ぎたい
ほんにぬるでの次手に彼の 見事人のぬるでの局 いつも掃除する時はちよ
こ/\とわせて 侍従の紅葉のといふ外の女中を押退け あほうのたら/\

尽されてよい慰みじやに けふはなぜにわせぬぞい サアあのぬるで殿も
顔なら姿なら 云ふ所のない器量じやに あつたら事は水晶のけつり屑
で 役に立ぬはおぬく女郎 大切な帝様に あの様な足らぬわろを付て置く
清盛からしてうまいわろと 譏(そし)るかげ口あくた口 さらへ箒を取々に はけ共尽き
ずちる木の葉 風が持くる 衣の香に心ときめく 御所女中 名も時に合
紅葉の局 眉目(みめ)も姿も恥ね共 たらぬ心のぬかての扇 跡につゞいて
待宵姫 名も小侍従とかはり行 朝な夕なの御所勤 木々の錦を眺


77
めんと 縁先に打連出 アレ紅葉様ぬるで様 見る度々に梢の色も一
入まさり 今が紅葉の真盛り 何と見事じやないかへと 半分聞て指し出る
あほうの早合点 フウあの紅葉の赤いのを見事なといふじや迄 それで
よめた事が有 わしが名は備木(?ぬるで)の局 此様に真赤な緋の袴きて居る
故 夫レで見事といふであろ 紅葉様も同様にまつかいな物きてなれど 見
事なと云一かないはなぜにじやへ ヲゝもふよいわいな 毎日おまへの根とひ
はどひに わしもほつと草臥果る イエ/\夫レでも其様子 イヤ其訳は此

藤作が申て聞しませふ もとお前方の名は 帝様の御寵愛なさるゝ此
紅葉 備木の木に寄てお付なされたげな 取分構木様の色が
勝つた故 夫レでおまへを見事なと御所中で申ます サア其又色が勝
つたとは どふした事しやいふて聞じや イヤもふそふ問れては 此藤作もなが
さにやならぬ ヲゝ其事は此侍従が おまへにいふて聞しませう 色の勝ると
いふ歌に いかにせん 忍ぶの山の下栬 見る度ごとに色まさるとは 構木様
合点がいたか ナア 合点かと藤作 に 顔でしらする合図の歌 ヲゝ其歌


78
なら此備木がよう覚ている 皆も聞て下さんせと 声おかしくも拍子
とり 紅葉ふむ鹿憎いといへど 恋のふみかく筆となるよいやんな コレ
わしやよう諷をがの 何と見事か/\と いふ顔付に興さめて笑はれ
もせぬ配所の御所ふつと吹出す斗也 コレ皆何がおかしい フウ扨は歌諷
はして笑ふのしやな よう覚へて置しやんせ 帝様に申上勅勘を蒙ら
すと 顔をあからめ構木の局 ひんしやんとして入ければなふ紅葉様 あ
ほうなくせにむくろ腹何申あげふやら しれぬぞへ侍従様 此儘では置れ

まい サア/\お出と打連奥へ走行 何と又五郎 他人には様々の有る物じやの
されば/\ 平次もおれも見ていたが あほうをなぶると得て跡が喧嘩仕
廻ひ おいらも祟りのこぬ中に 仕残した掃除して仕廻ふ 日が短い精出
そと 箒さらへをてん手に提奥庭深く入にける 侍従は奥の透間
を窺ひ 庭におりしも人なきは 幸の上首尾と 紅葉の木陰隈々(くま/\゛)を
尋廻れば藤作も 忍べと有合図の歌に奥庭より引返 逢も妹
背の縁の網 のふ行綱様待宵かと 声をひそめて 首尾はとふしや


79
どうじやくじやの段かいな 毎日お顔は見るけれど 人目にせかれ云たい
事も得いはず心に思ふている斗 ほんに今の合図の歌 よう合点して
来て下さんした そりやしれた事 おれもやさ蔵人迚 歌の首もつら
ねた者 合点せいでよい物か ほんに仕馴もなされぬ業で 御苦労
にあろお寒かろ 此手の控へる事わいのと 仇に引入引しめて 是が多田
蔵人行綱様の形かいな いとをしの有様やと 声をも立ずむせ返り忍び
涙にくれければ アゝ声が高いひそかに/\ いふに及ばぬ事ながら 夫婦

此御所へ入込しは 帝を奪取為ならずや エゝ余(よ)の事いはずと叡慮具(つぶさ)
に物語れと 叱付られ涙をとゞめ 自ら迚も父上の末後の一句忘ら
れず 様々心を尽せ共 昼は重盛一度つら院参して 何事も心に
任せず 夜ば紅葉の局構木(ぬるで)の局 御座の間を離れねば 何を奏
する首尾もなし 此事お前に咄たさと 語るを聞て行綱も 暫し
思案にくれけるが ムウそうじや べん/\と首尾をはかり事 願はれては
無念の無念 もふ此上は蔵人が運を天に任せ さらへる者を切ちらし


80
帝を奪ひ取り夜に入て立ちのかん身拵へせよ女房と兼て用意の
懐刀沙汰せば受取脇鋏 せいては仕損じ給ふなとかい/\゛敷力を付け しめし
合せて待宵姫一間の内へ入にける 掃除仕廻て又五郎平次 奥庭
よりこがへ出 エゝ藤作悪いぞよ 平次ろおれに掃除をふり向爰に何しtれ
いやるぞ サイノ おれもあんまり寒さに 火なとたいてあたらそと思ふて
爰へ来れど 焚き物はなしふるひ上つているはいの ヲゝそりやおいらも一当り
あたりたい 幸いな此紅葉の枝 ぶち折て焚火にせうと 心なき仕丁共盛り

の紅葉をへし折り踏折る落花狼藉 木の葉かき寄せ摺り火燧(ひうち) ほく
ちにうつせは 秋の山のはけ敷嵐に付られ 感陽宮の煙の中
サア/\藤作来てあたれと 足を投出し尻もつ立て アゝ心地よや 是で惣
身が温り とんと寒さを忘れたと 暖気を衛士(えじ)の篝火ならで 三人
たき火に余念なく しらぬ小歌の折こそあれ 一間の内よりぬるでの局つか
/\と立出 ヤア大事の紅葉を たき木にしてぼつぽらぽ 主様の聞しやつたら
大抵や大かたの事じやないと いふに三人恟りはいもうたき火を打消踏


81
消て あんまり寒さに大事の紅葉共存ぜず 折てたいたは不調法
と侘云たら/\゛なる所へ侍従紅葉は銀(しろかね)の銚子土器(かはらけ)携へ しとやかに
立出 仕丁共御寵愛の紅葉をあらせしと 君ほのかに聞し召 中々御
怒りの色目なく 紅葉を折てたき火とせしは 狼藉に似て狼藉に
あらず 林間に酒を温めて 紅葉をたくといふ詩の心 下々には心ある
者共と叡感有 寒夜(かんや)には御衣を脱し帝も有 嘸寒からんと
君より九献を下さるゝ 皆有がたう思やいのと 聞より三人蘇生(よみかへり)たる

心地にて おづ/\と這出 科を御赦さりさへ有るに 勿体ない我々にお
酒迄下さるゝは ナア又五郎平次 有がたいと申しませうか 忝いと申ませふ
か ぬるで様 侍従様 お礼おつしやつて下さりませ ヲゝそりや侍従がよい
様に 必々酒過して大事を忘れまいぞやと いふに構木がでかし顔 コリヤ
仕丁共 酒がきれたら長廊下の鈴をならしやかへにこふと 侍従紅葉
も諸共に打連奥に入にける アゝ大きなめに逢ふかと 案じたとは違
て忝い まあ/\一はい呑ふ/\ かん仕や藤作合点かと 外の葉落葉を


82
かき寄/\ 吹付けたき付け 是を見よ 綸言に酒を温め紅葉をたくしや
の 殿上から御赦された酒なれば 是がほんの天井ぬけ サアかんもよい又
五郎平次と 土器を取出し是で一つ宛(づゝ) マア/\藤作から ハテ年役に又五郎
初(はし)みや ヲゝそんならそう¥ふしやう 帝様から下された御酒なれば こちらが呑む
並酒と違ふて うまい/\と呑鼓 なるは瀧呑引受/\ 藤作おさ
ゑふ そんなら平次が間をせう でうど/\とさいつ さゝれつ数重つて と
ろ/\目 なんと藤作平次 忝い事じやないか さつきにはしばり首も討

れうと思ふたに 火いらずと下されて 此様にたべ酔といふは 誓文ぞ此又
五郎 有がたうて涙がこぼれる お慈悲ぶかうは有 御酒は結構也 是が
泣かずにいられうかと むせび入れば 藤作 ハツゝゝゝ ワハゝゝ泣くは/\ワツハゝゝ こりやお
かしい ねはん像にもわれ程泣く物はない おりや又われが笑ふので猶
悲しい/\と 霰の様な涙をこぼし しやくり上ればこりやたまらぬ ハアハゝゝ/\
臍がよれると打こけて 腹をかゝへる笑ひ上戸 中に平次かひつ
と顔 わいらは泣たり笑つたりするが 天子から下された酒か不足でそふ


83
するのか もふあなたには構はせぬ 平次が帝の尻持て びやくらい
此分け立ねば置かぬ ぐつとでもいふて見せよと 睨み廻す腹立上戸 二人は
只一心に乱れ 泣つ笑ふつ春かけるくだももつれて目もちろ/\ 何をいふ
のも夢半分将棋倒しにばた/\と 笑ひねいり泣ねいり 腹立ち
ねいるに正体なく 入相告ぐる鐘諸共 かう/\/\と高いびき御所も
「ひつそとしづまりぬ時も移さず 藤作は空寝入の頭を上げ 邊りを
見廻すはよき時節と 二人が寝息を窺ひ/\ してやつたりと小

踊りし 布衣ひらりとぬぎ捨れば 肌には兼て用意の着込 大
床の下に隠せし腰刀 おつ取て脇ばさみ いづくより入べきと たmら
ふ所へ妻の侍従 一腰ほつ込走り出 サア行綱様 君のお傍に人も
なうてよい時節 案内は此侍従サア/\早うと気をいらてば ヲゝ女房
でかした 何条刃向ふやつばらは 追まくり切ちらし帝を奪ひ奉らん
きやつらが目のさめぬ中と 夫婦諸共階(きざはし)を 上る足音しらさじと
ぬき足指し足女房しづかに ヲゝ合点ととぎつく胸を押しづめ 虎の


84
尾を踏み毒蛇の口なんなく奥へ忍び入る 二人の仕丁むつくと起 盛次
見たか ヲゝ忠光見付けた/\ 油断するなと布衣をぬげば同に着込み箒
さらへに仕込し刀ひつ提げ/\ 今や出ると待居たる かく共しらず蔵人は 帝
に薄衣着せまいらせ 背中にしつかと負い奉り 妻も跡に添ふて
天へも上る其勢ひいさみ/\て立出れば 庭にすつくと越中上総
行き先をさげぎつたり 行綱夫婦もはつと仰天 次郎兵衛すゝみ出 汝此
御所へ仕丁と成て入込しが只者ならずと見付し故 かくいふ越中次郎兵衛

盛次 上総太郎兵衛忠光 重盛の仰によつて諸共に仕丁と成昼夜
付添ひはかる所に 主君の賢慮にちつ共違はず 帝を奪取立遁ん
とする曲者 必定源氏の残党ならん 越中上総か搦捕る 覚悟/\
といはせもあへずから/\と笑ひ ヲゝ子細有て帝を奪取此藤作遖
手柄に組留よと 庭にひらりとおり立たり 盛次えたりと飛かゝるをだふ
と踏すへ 向ふてかゝる上総が頭(かうべ) 刀の鍔にてはつしと打つ うたれてひるまず
左右より両人一度に取付けば 蔵人はびく共せず ヤア我を組とめんとはしほら


85
越中上総 サアならば見事搦めて見よと 二人が首筋ひつ掴み 弓手
馬手へ投げ退け/\ 阿修羅王の荒たるごとくふんぢかつてつつ立たり 帝は
侍従が膁(よはごし)掴んでどうど投げ 足下にふまへめしたる薄衣袍ぬぎ捨給へば
こはかふ 肌に着込の荒くれ武士 よく/\見れば布引にて 雷(らい)にうたれ
死たりし 難波太郎常俊也 はつと驚けば 難波太郎大音声 ヤア/\藤
作とやらよく聞け 此度君の御謀叛隠れなきによつて 清盛公の御憤り
ふかく帝并に成忠卿を 此御所へ押込置け共 手のうら返す清盛公

の御政道 万一帝に御誤ち有ては 平家の瑕瑾(かきん)一家の断絶と 主君
重盛此事を深く嘆き思召す是又一朝一夕ならず 去によつて 雷の発する
時刻を考へ 布引の瀧壺にて灵女に逢しと偽り 雷(いかづち)にうたれあへ
なく死にたる体に見せ 跡をくらまし女房紅葉諸共 此御所へ入込み帝に代り
奉り 誠の帝は主君の館へ 密かに供奉(ぐbヴ)し給ひし也 サア贋帝ても大
事なくば 藤作参つて奪取れと 侍従を足にてどうど蹴やりはつたと
睨んで立たりけり エゝ重盛が計略にはおとりしな 死物狂ひに藤作が 刀


86
の切れ味心見よと 切て出んとする所に いづくより共白羽の矢蔵人が 弓手
の袖を菱にぬふて 射通せばハゝゝはつと 驚く後ろに小松の重盛 重
藤の弓携へする/\と立出給ひ 藤作が義は追ての事と御殿に向ひ
父清盛の心和らぐ迄は 六郎則後白河院成るぞ ハアゝ恐れ多き帝
の出御 紅葉はなきか奥へ入御なし奉れと頭を さげて敬へば 辞するに及ず
太郎も一間の内へ入にける 重盛悠々と床几にかゝり ヤア/\行綱 重
盛が肺肝砕きし帝の尊顔とくと拝し奉りしか 今其方の弓

手の袖射通せしは此重盛 汝其矢をとつくと見よ 布引の瀧に
て其方が某に射付けし矢 其時即座に縛り首討つべきを 重
盛一心中に祈願有る故 白状に及ばず命を助けかへせしが 今にいたつて
其者の名もしらず 尤も面(つら)をよごしたれば 面体は猶見しらね共 桝花
女(しやうくはぢよ)より源の頼光に給はりし 水破兵破の矢(雷上動より引用)を取て 某に射付しからは源
氏の残党 多田蔵人行綱と見しはひが目か 今某が射かへしたる水
破の矢 わづかに袖を射通したれど 蔵人が肝のたばねを貫き命を


87
助けし大恩 五臓六腑にこたへ重盛に向ひ 一言の返答はよも有まい
と 未前をさゝれて遉の行綱黙せじが ホゝウ重盛の眼力に違
はず 我こそ多田蔵人行綱 木曾先生義賢と心を合せ 天晴
平家を亡ほさんとはかりしに 事ならずして義賢もあへなく生害
我是なる娘を娶って 舅先生が遺言を守り 帝を奪いひ取り
東国に赴き 兵衛佐(ひゃうえのすけ)と心を合さんとはかり 此離宮へ夫婦一所
に入込しに 布引にて其方に一命を助られし 情の恩にからめられ

刃もなまり刃向はれぬは蔵人が運の尽き 再び源氏の白旗を都
の空に靡かす時節 いつの世に有べきぞ エゝ無念口惜やと 五
臓をもみ上 血の涙 サア/\越中上総 一時の早く搦め捕れと 手を廻し
たる覚悟の体 早縄たぐつて盛次 づつと寄て行綱を高手小手
にいましむれば 侍従は夫にすがり付 浅ましき此縄目と人目も恥ず
泣居たる をゝ行綱健気の白状 平家に弓引き敵たふ者は 親でも
子でも赦さぬといふ 依怙贔屓なき政道を見すべし それ/\上総


88
越中 用意の物こなたへと 詞の下より下部共見るもいふせき牢輿
に ぬるでの局引添て御庭に舁すゆる 重盛輿に立寄て 此度
成忠卿の御科 父清盛へ様々と嘆きしによつて死罪をなだめ 備前
の小嶋へ流罪極る 必ず重盛が疎略と思召さるなと 聞くよりも成
忠卿物見より顔さし出し 是迄聟舅の深切忘れかたしと 涙に
むせび入給ふ こらへ兼てぬるでの局わつと斗に 泣ければ ヲゝみだい
は悲しい筈 目前親を擒(とりこ)にせられ あほうにならずば居られまいと

の給へば 園生の方涙をとゞめ ほんに世の中に自ら程 情けない身の上
が有べきか 此度君と諸共に此鳥羽の北殿に押込られてござる
は父上 押しこむるは自らが夫 中に立たる此園生 悲しい斗りかどふ心が済む
物ぞ せめて囚れの中なkりと孝行が尽したく 君の守護や父
上へ宮仕へやら何やらかやらに構木と名をかへ 常の気では居ら
れぬ故 あほう/\と指ざしせられ かた/\しう暮す中 重盛様
の執成しで 父のなんぎもけふやゆりるあすや赦(ゆり)ると 待暮したかい


89
もなう流し者に成給ふか 父上ひとり助け兼るふがいのない娘なれば
只いつ迄もあほう/\ あほう烏も 友ならばかはいと思ふてくれよ迚
夫を恨み身を恨みかつぱと伏て 泣給ふ 三世を見ぬく重盛に つれ
添ふ御台のあほうとは作りあほうの手本也 ヲゝ道理/\去ながら 天
下の政道を守る重盛なれば 聟舅迚用捨はならず 時節
を待て父清盛へ帰洛の願ひ申して見ん 夫レ迄は成忠も命目
出たうおはしませとはいふ物の定めがたきは世の有様 重盛此度

帝を入かへ置たるも 父の悪事をとゞむる術(てだて) 此術を行ふも一方
は君 一方は父 孝を立れば忠と成り忠を立れば孝と成る 忠孝
二つを全くせん為昼夜心を苦しむ重盛 果報は上なき身な
れ共 匹夫下郎におとつて情なき我身の上 父の悪逆やま
ずんば一命を取てたべと 熊野権現を祈り奉ればけふやあす
やとかげろふの 死を待つ斗の我命かほどに思ふ重盛が心の中
成忠卿 越中上総 蔵人も思ひやれやと斗にて 智勇を兼し


90
大将の世を恨み身を悔み悲しみの涙はら/\/\ とゞめ兼させ給ひ
ければ 越中上総諸共に 切なる心を感じ入目をしばたゝく斗也
早鶏鳴(けいめい)の時来れりと追立ての官人ばら/\と立出れば さら
ば/\と成忠卿 重盛に一礼述べ名残を惜しむ親子の別れ
御台所も尽せぬ嘆き 父の卿は行く嘆き あらけなき武士(ものゝふ)共輿の
前後を打かこめば 重盛公御声高く ヤア/\盛次行綱は此
小松がはからふ旨有 汝にとつくと預けたぞ 忠光は其侍従 女

なれば構ひなし しるべの方へ流し者 命まつたう時節を待てと 情の
詞に忝け涙はら/\鳥と諸共に 無常を告ぐる明の鐘 侍
従はいとゞ悲しくて かくこそ思ひ つゞけけり 待宵に ふけ行鐘の音
聞けば あかね別れの 鳥は物かは ヲゝしほらしき別れの詠歌 我も
返歌と立とゞまり 物かはと 君がいひけん 鳥の音の 此あつき
は悲しかるらんと 詠じ捨たる言の葉にて 待宵の小侍従物かは
の蔵人と 呼伝へしも 歌の徳 武勇の徳も世につれて


91
憂き目をみそじ一文字や 千(ち)節の綱にからめられ ひかれ出れ
ば下部共早かき上げる牢輿を御台所は見送りて 父の顔
ばせ今一目 見せるも 涙見る涙蔵人夫婦は引別れわつと
泣たる哀傷離別 一世と二世の別れの涙幾重の (袖やしぼるらん)

 

 

 

    鳥羽離宮復元模型(京都歴史資料館)

f:id:tiiibikuro:20170806225654j:plain