源平布引滝 三の切 綿繰馬の段 (九郎助住家)

 

読んだ本 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/856503 (コマ77表紙)

 

 

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78
源平布引滝 三の切
「出て走行 音しづまれば 葵
御前 太郎吉連て立出給ひ
聞き及ひし実盛殿 お目にかゝるは
初て段々のお情 忘置じと有

 

 

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79
ければ 是は/\御挨拶 某元は源
氏の家臣 新院の御謀反より
思はずも平家に従ひ 清盛の
禄を喰むといへ共旧恩は忘れず 今
日の役目乞受たも危きを救はん

為 然るにふしぎなは此腕 矢橋
の船中にて某が切落した覚有
慥に此手に白旗を持ちつらん 御存
なきやと尋れば 成程/\其籏も手
に入しが其切たと有る者の年恰好は ホウ

 

 

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80
年頃は廿三四 せい高く色白成る女
慥に名は小まんと 聞より九郎助夫
婦共 のふ夫はわしが娘の小まん
じやまんじいやとうろたへ嘆けば御台
も供に 扨こそそれよと骨身に

こたへ 太郎吉は只うろ/\とわけ
も涙にくれ居たる 九郎助は老の逸
徹 息も涙もせぐりかけ コレ実盛
殿 娘が腕は何科有て切たぞ むご
たらしい事仕やつたのふ 此娘には


81
六十に余る親も有 七つに成子も
有ぞや よもや盗みも衒りもせまい 何
誤りで 何科で サア それ聞ふ/\と
せちがひかゝれば 女房も そふじや
/\親父殿 體はどこに捨てて有る 次

手にそれも聞て下され ヲゝそれも
今頃は犬の餌食 当座に死だか 生き
て居るか サア有りやうにいへ 云ぬか 情
じやいふて下されと夫婦が 泣出す
心根を 思ひやつて実盛 扨は其方


82
達が娘よな 聞くも及ばん宗盛公
竹生島詣下向の御船瀬田唐
崎の方へ漕出す所に 矢橋の方より
廿(はたり)余りの女 口に白絹を引くわへ
ぬき手を切てさつ/\と 浮いつ沈みつ

游ぎくる あれ助けよあれ殺すなと
舷(ふなばた)たゝいてあせれ共 折からひえの
山嵐柴舩の助もなく 水にお
ぼれる不便さに三間櫂を投込で
ねんなう御船へ助け乗せいかなるもの


83
ぞと尋る内 追手と見へて声々に
其女こそ源氏方 白旗隠し持たる
ぞ 奪い取ればひ取と 呼はる声を聞きしより
舩に居合す飛騨左衛門飛かゝつて
もぎ取ん イヤ渡さじと女の一念若しや

白籏平家へ渡らば末代迄源氏は
埋も木女か命にかへられずと白旗
持たる腕をば海へさんんぶと切落し 水
底へ深しと 船を汀(みぎわ)へ漕ぎ戻し からだは
陸(くが)へ上置しか廻り/\て此内へ白旗


84
諸共帰りしは 親を慕ひ子を慕ひ
流れ寄たか不憫やと涙交の物語
聞程悲しく夫婦はせき上 道理で
孫が目にかゝり 取てくれいとわんはく
も むしかしらした親子の縁三人

かゝつて放ぬ白旗 心よふ放したは
我子に手柄させたさか 死でも夫程
可愛か 手にとゞまつた一念が物いふ
事はならぬかと 御台諸共取づがり
泣より 外の事ぞなき 涙おさへて太郎


85
吉は ずつと立てヤイ侍 よふかゝ様を殺し
たなと くつとねめたる恨みの眼 自然
と実盛肝にこたへ ホウ健気也たく
ましや 母が筐はソリヤそこにと いふに
かけ寄腕を抱き かゝ様呼で此手をば

體へ接いで下されと あなたへ持行こ
なたへ頼身を投ふして泣しづむ かゝる
嘆の折も折 所の者共死骸を持
込 コレ是の娘が切れて居た 腕が
かたし紛失した 外へまんそく渡し


86
ますと云捨ててこそ立帰る ヤ太郎
吉よかゝが顔 是が見納め見て置け
と いふにかけ寄抱付 コレなふかゝ様
拝みます 無理もいふまい云ふ事聞かふ
物いふて下され 祖父様侘言して

下されと 泣こがるればヤレ侘言に及ぶか
こつちよりあつちから物云たうて成
まいけれど 此世の縁が切てはな 互に
詞はかはされぬ 死骸の有り所をどふぞ
まあ 尋ふかと思ふたれど なま中に


87
持て戻り顔見せたらたまるまいと
そちかねる迄 待ていた ヘエ男勝りな
女で有ったが それが却て身の怨(あだ)と 成
て死るか可愛やと 悔み涙に女房も
嘸死しなにこなたやおれに 云たい

事が有たて有ろ 太郎吉よ水汲んて
樒(しきみ)の花で手向てくれ イヤ/\おりやいや
じやかゝ様か物いはにや聞ぬ/\とわん
ばくも 夫ばつかりが道理じやと思ひ
やる程いぢらしし 実盛始終手を


88
拱(こまねき) 人々の愁嘆に涙とうかむ一工夫
思ひ付て傍に立ち寄 斯かい/\敷女
譬片腕切たり迚 即座に息も絶へ
まじきが 白旗を渡さじと一心腕に
凝かたまり 五臓に残る魂なし 再び

腕を接ぎ合はさば 霊魂帰り息する
事もあらん 誠に彼の眉間尺が首 三
日三夜煮られても凝たる一念恨を
報ぜし例しも有り 今此村に温まり有りも
ふしぎ 又は御籏の威徳もと切たる


89
腕に白旗持せ 物は試しと接ぎ合はせば
我子を慕ふ魂魄も御籏の徳
にや立帰り息吹返し 目を開き 太郎
吉どこにぞ 太郎吉と いふに恟りヤレ
蘇生ったは爰に居る 爰に/\と取

縋る ナア御台様 白旗はお手に入たか
太郎吉にたつた一言 いひたい事がと斗
にて今ぞはかなく成にけり ヤアこりや
小まんよ コレ小まん小まんやい はあ可愛やな
モウそれが遺言か 云たい事はヲゝ合点


90
じやゝそちが筋目の事であろ何を
隠しませうぞ此者は 二人が中の娘でも
ございませぬ 堅田の浦に捨てご
ざりました コレ御らふじて下さりませ 此懐
に持ております用心合口 金刺しと

いふ銘ほり付け 氏は平家何某か娘と
書付けもござりますれは若し親たちが
尋てこふか 取返ししにこふかと それ
ばつかりを案じて居て 今死ふとは存じ
ませなんだ 生返つたが猶思ひ 余り


91
是はどふよくな ほいないわかれと取付き
てわつと斗りに泣居たる 供にかなしむ
葵御前只ならぬ身にせきのぼす
五臓の苦しみ御産の悩み 実もり
驚き ヤアこりや夫婦の者 泣て

居る所でなし 御台は産の悩みあり
いたはり申せと一間へ伴ふ間もなく
用意の屏風引廻し お腰抱きやりは
やめやり祖父祖母が介抱に 心利きたる
実盛が彼の白旗を押立つれば 実にも


92
源氏を守りの印 若君安々御誕生
初声高く上げ給ふ 父義賢の稚名
を直ぐに用ひて駒王丸 後に木曾
義仲と名乗給ひし大将は 此若君
の事なりし 九郎助嘆きも打忘れ お

生れなされたいと様の 御家来には此
太郎吉 ヲゝそれ/\ かゝるめでたい折なれ
ば 実盛様御執成しと 願へば頷きホウ幸い
/\ 死たる女の忠義を思へば 體は灰に
成迚も 一心の凝り塊りし腕うかつには


93
焼捨がたし 其手を直ぐに塚に築き
太郎吉か名を今日より 手塚の太郎
光盛と名のらせ 御誕生の若君
木曽殿へ御奉公即ち是が片腕の
よい御家来と披露する 御台は気

色を改め給ひ 尤も父か源氏なれ共母は
平家の何某が娘と 九郎助の物語
一家一門広い平家 若し清盛が落し
子も知ず まつ成人して一つの切りを立
た上ても 仰に実盛 ハア御尤至極/\


94
先ず此所に御座有て 若君御誕生と
聞へては一大事 義賢の御生国信州
諏訪へ立越 御家来権の頭兼住に
頼み 御成人の後ふたゝひ義兵を上げ給へ
九郎助夫婦御供とすゝめに任(まか)する

表の方 いつの間にかは瀬尾の十郎
小柴垣より顕れ出 ヤアそりやなら
ぬ/\ おあく有らんと思ひし故 死骸を持た
せ窺ひ聞く 義賢が?男子と有は
見逃しならす いで請け取らんとかけ入は


95
実盛やがて立ふさがり アゝこれ貴
殿も生き通しにもせまい 海共山とも
知らぬ水子 見逃しやるが武士の情け
ヤアいふな実盛 扨は汝二心な 平家の
禄を食んで源氏の胤を見逃す不

忠 くつとでも云ふて見よ じたい此くだ
はつた女めが 白旗奪ひ取たる故平
家方は夜かねられず 思へは/\重罪
人めと 死骸を立蹴にはつたと蹴
飛し サア生れたがきめ渡せ 異議に


96
及ぶと撫切と飛てかゝるを太郎吉が
母の譲りの九寸五分抜くより早く瀬尾
が脇腹くつと突いたる小腕の力 是はと
人々驚く中 よふかゝ様の死骸をば 踏ん
だな蹴ったなと えぐりくる/\流石の

瀬尾 急所の痛手にとつかと
伏す ヤレでかしやつた/\とほめそ
やしても夫婦共 跡の難儀を
思ひやり胸轟かす斗り也 暫く有て
瀬尾の十郎 何と葵御前是で太郎


97
吉は駒王殿の 御家来にならふかや
平家譜代の侍瀬尾の十郎兼氏
を 討ちとめた一つの切 成人を待たずとも
召つかはれて下さりませ 誠に思へば
一昔部や住の折から 手廻りの女に

懐胎させ 堅田の裏へ捨てたる 平家
の何某は某 又廻り合う印にと相添
置いたる此釼 廻り/\て我體 豁(あばら)を
かけて金刺と成たも孫めが 不憫
さ故 初ての御けらいに平家の縁と


98
嫌はれては 娘が未来の迷いひと云い
一生埋もれる土百姓 七つの年から
奉公せば 木曾の御内に一といふて
二のなき家来 取なし頼む実盛殿 サア
瀬尾が首取て初奉公の手柄に

せよと非道に根強き侍も 孫に心も
乱れ焼き するりと抜て我首へしつ
かと当てて両手をかけ えい/\/\と引
落す 難波瀬尾と平家でも悪
に名高き其一人 最後は遉健気也


99
夫婦も泣々其首を太郎に持たせ
御目見へ 葵御前は若君抱き 初めての
見参に 平家に名高き侍を討ち取
たる高名 主従三世のきえんぞ
と 仰を聞より太郎はつつ立 サア是からは

おれは侍 侍なればかゝ様の敵 実盛
やらぬと詰かけたり ホゝヲ遖去ながら
四十近き某が 稚き汝に討たれなば 情けと
知て手柄に成るまい 若君と諸共に
信濃国諏訪へ立越し 成人して義兵を


100
上げよ 其時実盛討手を乞い請け 故郷へ
帰る錦の袖ひるがへして討死せん 先ず
夫迄はさらば/\ いつれもさらば 家来共
のりがへ引けと呼ばはれば はつと答へて月影
栗毛の 駒を引出す 手綱追取

乗る中にいづくに隠れ居たりけん 矢
橋の二惣太踊り出 ウアア先達て注進
の褒美を無にした其かはり 実盛
が二心で 駒王丸を北国へ下す段々
直ぐに注進 詞つがふたあらそふなと


101
云捨ててかけ出す 実盛透かさず
馬上より用意の鎌縄打かくれば
首にかゝつてきり/\/\ 引よせ
引上ひつつかみ 遖儕は日本一の
大欲無道の曲者めと 鞍の前輪

に押付けて 首かき切て捨ててげり
其後手塚の太郎 母が筐の小
相口 金刺し取て腰にぼつこみ 綿
繰馬にひらりと乗りヤア/\実盛
かゝ様殺して逃ぐるかいぬか もふ

 

 

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102
おれが名は手塚の太郎コリヤ此
金刺の光盛なり いなずと爰
で勝負/\と呼はつたり ヲゝで
かした/\ 蛇は一寸にして其気を
得る 自然と備はる軍の広言

成人して母の怨 顔見覚て恨み
をはらせ イヤ/\申し孫めが大きう
成中ちには其元様は顔に皺 髪は
しらがで其顔かはろ ムウ成程其時
こそ 鬢髭を墨に染め 若やいで

 

 

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103
勝負をとげん坂東声の首取は
池の溜りで洗ふて見よ 軍の場所
は北国篠原 加賀の国にて見参/\
実に其時に此若が恩を思ふて討たす
まい 生きながらへておつたらば 此親父

めか御籏持兵糧焚くはわたしが役
首切役は此手塚 ホウヲゝ/\/\互に馬上で
むんずと組み 両馬か間に落る共 老
武者の悲しさは 軍にしつかれ風にちゞ
める古木の力もおれん 其時手塚 合

 

 

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104
点/\ ついに首をも掻き落とされ ヲゝ篠原の
土と成共 名は北国の衢に上げん さらば/\
と引別れ 帰るや駒の 染手綱隠れ
なかりし弓取の名は末代に有明
月もる家を跡になし駒を早めて立帰る