玉藻前曦袂 四段目 廊下の段

 

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     ニ10-01240


56左頁
 廊下の段               窺ひ/\ 「追て行
金瓊(きんけい)の 床の前には 遥かに千歳の松を契り 玉室の臺(うてな)の上には遠き齢(よはい)を
万歳の亀に期す 君の寵愛限りなき 玉藻の前が琴の音に
月卿雲客それ/\に管鼓の楽の澄渡る夜の 御遊ぞ面白き
されば宮中三千の 女郎達はいつしかに音の寵愛おとろへて 独り局


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に捨られし あやめかづらき千歳の前對の屋の 廊下につどひ寄 のふ
千歳様何と思し召 玉藻の前が后と成 君の御心に叶ひ 日々に増しての
御寵愛 妬ましいじやないかいな ヲゝ菖蒲(あやめ)殿のおつしやる通り こちらはとんと
見かへられ 龍顔拝する事さへならず しんきで暮らす局の内 どふで仕様
は有まいか ヲゝそれ/\私ら迚も同じ事 アノにくてらしい玉藻の前 帝様の
お傍を遠さける 仕様は局で云合ふ 皆々こちへ来給へと 恨み妬みは上々も
かはらぬ胸の板敷を 打連かしこへ入給ふ 思ひには ひさげの水も湯と成と

古き例しを今更に 皇后美福門院は 君の叡慮も増す花に見かへられつゝ
うつろひて 月の曇れる面影に 打しほれつゝ 立出給ひ 夜の御殿を
詠めやり 世に恨めしきは玉藻の前 入内せしより此かたは君の寵愛
浅からず 其いにしへはわらはにも比翼連理の詔り(みことのり) かはらぬ契りと思ひしに
いつしか秋の風かへて 独りさびしき閨の内 涙の袖を敷たへの 枕一つの物
思ひ いつそ此身を打捨て 猛火と成て此恨 はらさん物とは思へ共 君に
心が引されて 輪廻に迷ふているはいのふと 恨み涙に紅ひの 十二ひとへ


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に緋の袴膝に淵なし泣給ふ 斯くと見るより后達 ひそ/\奥より立いで
給ひ 門院様夫レにましますかと いふにこなたも顔を上 ヲゝ葛城千とせ
菖蒲の前 最前よりの様子を ハイ是にて残らず聞きました 只うらめしいは玉
藻の前君のお傍を退ける あなた様のお心はと 尋ねに門院制し
給ひ アゝコレ声が高い最前ひそかに神泉苑にて見聞きし様子 正しく
あれは人間ならず 化生の者と極まれば 災ひをなさんもしれず 左は云なが
ら武士をかたらふ時は君へもれ 返つてわらはが身の災ひ いづれも力を合せ

給はゞ 今宵爰に忍び居て 夜の御殿(おとゞ)へ通ふ所 皆々一度に立出て 玉藻
の前を刺殺さんいかに/\このたまへは菖蒲かづらき千歳も供に我々迚も
同じ事 すさめられたる口惜しさ 恨みをはらすは今宵の内 帝の御身国家
の為心弱くて叶ふまじ 女でこそあれ日頃の恨み やはか仕損じ有るへきかと 常に
優しき女臈もねたみの釼とぎ立し 錦の袋とり出し 銘々用意なし給へば門
院大きに悦び給ひ 頼もしき各々の御心底 必ず悟られ給ふなと ひそ/\
忍ぶ長廊下 窺ひ居るぞ恐ろしき 清涼殿には御遊の宴楽 半ばと


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成 時こそ有 頃しも秋の始めにて月も入さの山の端(は)に雲の気色(けしき)もすさまし
くうち時雨ふる風につれ 御殿の燈し火一度にきへかへ燈しをとすゝむる声々
玉藻の前はやう/\と粧ふ姿嬋娟(せんけん)とあやなき闇のくらきにも通ひ 馴
たる長廊下 あやぶむ気色も有らずして しづ/\御殿へあゆみ行 待まふけ
たる后達 火の消たるは天のあたへ 只一刀に刺し通さんと さぐり求る前後ろ 既
に斯よと見へたる所に ふしぎや玉藻が全身よりねつ光(くはう)明月にひとしく
内裏の庭に照り渡り 黒戸萩の戸一面に夜の錦とかゝやけば はつと驚く

十作住家の段  后達恐れわなゝき躊躇(ためらい)しは怪しかりける 「次第なり