仮想空間

趣味の変体仮名

玉藻前曦袂 四段目 十作住家の段

 

読んだ本 http://www.enpaku.waseda.ac.jp/db/index.html

 

     ニ10-01240


59 左頁  
十作住家の段  后達恐れわなゝき躊躇(ためらい)しは怪しかりける 「次第なり
下野や 那須野の原に つゞきたる 立ち野の郷に住馴れし十作といふ親仁有 元はよし
有る武士なれど主人の暇給はりて 今の世過ぎはますら男の心をすぐに野山狩
鹿の 巻筆する墨の 猟師とこそはしられけれ 娘おやなは此頃より怪しき
姿かげにそひ 物の怪といふ病にて 心つかひzぴゃるせなき 近所の友達
婆嬶か門口から音づれて 十作殿内にか お娘の病気はどふでござる やつ
はり二人居ますかのと わめけば納戸を立ち出る 主十作ほれ/\と 是は深切(しんせつ)


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に忝い 聞かつしやる通り娘が體が二つに成て 物の云ひやうも風俗も どちら
がそふじややらとんとわからぬ こまつた物ではないかいのと聞いて皆々横手
を打ち そりやマアかはつた事じやのふ そんな病が有物かと いへはさし出る五
郎作後家 有るげな/\陰の病ひといふ物で おんばこの二股でくすべる
としれるげな 夫レをして見やしやれと 聞いて伝三が イヤ/\/\ 夫レはてつきり
狐か狸 青松葉か線香屑でくすべたら しれるはいの アゝ何をいやるやら
そんな事でいゝ事なら こつちに如才はないわいの アゝいか様 一人の娘が二

人に成たら 内の勝手はよからふが さし当つて世帯の物入 仮令(けれう)米が安
けりやこそ イヤ其かはりに仙臺銭は遣はれんわいの ヤそろ/\と逝(いに)ませふ
か サア/\ござれと打つれて 深切づくの見舞人(ど)も小気味わづげにこそ/\
と まつけぬらして立帰る  跡に十作只ひとり あたり詠むる折烏帽子
しら張の袖いかめしく 爰らはきしの神道者坂邊の樽彦仲人役 ともなひ
来る黒髪山の 斧六といふ杣木こり 門口から御免あれと 声も高間か
はらひする旦那先とてつつと入 十作見るより 是は/\樽彦様よふござりまし


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たの イヤ今日は六斎日 竃ばらひに参つた次手 ふつと思ひ付いた爰の
お娘 ひとり置かふよりはと幸ひよい聟が有た故 すくさま同道仕つた サ
聟殿 爰へと呼こめば ヲイと返事もぼくじやうなどてら布子に麻上下
まぶかに かづく手拭ひの内 アノ娘御の内はモウ爰かへおりやはつかしいと
よそ目する 十作見るよりあきれながら イヤ申樽彦様 御深切の段忝ふ
ござります が縁づくの事は親のまゝにもなりませぬ 娘にとくといひ聞か
せ跡から返事いたしませうと 聞て樽彦かぶりふり イヤ/\それはわるい

了簡とかく善は急げと申せば すぐに祝言さつしやつたがよからふ 斯ういへば
どうか仲人口のやうなれど 取しやつて損のない聟殿 見らるゝ通り年若
て達者つくり 持まへの鉄砲で兎をねらひ 随分お娘の気に入やう
に のふ斧六 左様/\ 斯くして参る上からは モ何から何迄精出して 親仁さま
にも孝行をつくしませう 真実の息子と思し召されて 宜しく 頼むのあい
さつも おのが手の物木を切て なげ出したるごとくなり 折から又もほそ道
より 逮夜 坊主の道心者 鍋かけの釜蔵ともなひて 頼みませうと


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門から案内 となたじやこつちへはいらしやませ 然らば御免 サアおじや
と つれ立這入るわか男 是も木綿のわた入にせんだく物の麻ばかま
ふら/\さげた竹の苞(つと) 手づから堀たじねんじよを 参つたしるしとさしいだ
せば 十作はふしん顔 イヤ申し念才様 ついに見なれぬ若い人 ありやマア
どこの人でござります されば 今日参つたは此人の事 つねからねん
ごろな爰の内 お娘に相応な花むこ 同道してまいつたからは
一時も早ふ しうげんさせておち付きたい さいわひけふは日がらもよし サ御用意

なされ下さり ませと相のふる 是はしたり念才さま どめつそうな人に得心
もさせずに おしつけわざのむこいり マアつれていんで下さりませと ちり
灰つかねば アゝそれはわるい合点じや 思ひ立つ日を吉日といへば 早ふ盃さ
せたがよいと 呑こみ顔の取持ちに 神道者はむつと顔 アゝコレ/\けづり廻し イヤ
づくにうめ さいぜんから聞て居れば 仲人じやのイヤむこ入じやのと 出家の
身として不埒千万 爰の娘の聟がねは此樽彦が仲人仕て爰に
居る そちらの聟はきり/\と まくり出して仕廻はつしやれと 聞いて念才む


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くりをにやし ヤイ/\そこなはらひたまへめ おのれが何ぼふ仲人顔しても 此坊
主は先祖代々からの逮夜得意 位牌所の絶へぬやう 愚僧が仲人
に小言はない そちらのむこ殿きり/\いんでもらはふと 詞の尾につく釜
蔵が ヲゝ坊様がいはしやる通り 此むこいりを仕くじつては 友だち中へつら
が立ぬ マアそふおもふてもらはふかいと 腰すへかゝればこなたの聟 コリヤ
おもしろい そつちが顔を立るなら おれも一番腕づくて 此祝言はして
見しよはい ヲゝそふじや/\ 其腰押は此樽彦 イヤ此念才もしり持

と 袈裟木綿だすきkなぐりすて つかみかゝらん有さまに 十作双方おし
しづめ コレ/\ふたりともよふ聞かしやれ どちらを聟にも 肝心の娘が
二人になりましたわいの ヤア何じや娘がふたりになつた そんなら聟二人に丁
どよいじやないかいの サアそれか人間なりやよけれど どりらぞひとりは化
物でござるはいのと 聞いて二人はヤア/\/\ そりやかゝらぬとあきれる仲人 二人
の聟はちつともくつせず コリヤ面白い ヲゝたとへ化物にもせよ 此斧六が正
体あらはし 聟に成て見せるそよ イヤ此釜蔵がてめ上げさせ ほんまの


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お娘と祝言する ヲゝおれも是から奥へいて お娘の容体見て置かふと に
ぢり込だる押付け聟 肩ふりちらして入にけり 二人の仲人はこまり顔 何と
坊様 たとへのふしの宵の程 もふそろ/\と逝ふじやないか ヲゝそれよふ
ござらふ サ禰宜殿ござれとゆふだすき 輪袈裟をこ/\とりちがへ かん
ごんしんそん南無阿弥陀 打つれ我家へ立帰る 十作跡をうちな
がめ アゝこまつたぬし達 モ二人の娘にこりた上 又二人のむこは何事じや
何とせうしよ事がない難義な事とつふやきて納戸へ こそは入にけり

冬の日あしも 傾きて かすかにひゞく入相に 哀れをそふる片山
家 黄昏時ぞ物さびし 納戸の内より立出る 娘お簗(やな)が二人
の姿 互にあたり見廻して ほんにまあさつきにから奥で聞て
居れば 聟にならふの何のかのあたいやらしいと つぶやけば こなた
も同じ不興顔 人の心を知もせず 祝言せふとあつかましい 是と云ふ
も大六様 内へは戻つて下さんせず アゝしんきな事と たばこ盆煙
管持つ手にくゆらする 煙も同じ富士浅間 此まあ夫は今頃は何所


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にどふして居さんする こがるゝわすが心根を 思ひやりもない事か 聞へぬ
はいの大六様 むごい男と諸共にかこち涙や 月の影うつす 鏡が水や空
そらや水やと詠むれど わかちかねたる斗也 こがるゝ思ひ通じけんお簗
が夫大六は 三年以前に在所を出 大臣家に仕へしが 主人道春御最後
より 浪人の身の憂旅に日数重ねて東路や 我古郷に立帰り 様
子窺ふ舅の門口 お簗は見るより ヤアこちの人 大六様 よふまあ戻つて
下さんしたと いふも一時いそ/\と 悦ぶも又同じ事 ヲゝ女房共そなたも

無事で親父様も達者なか アイ/\随分達者にござんする それは目出たい
そふしてそちらの女中は ありや何所のお人しやといひつゝ顔を打守り ヤアそ
なたがお簗じや ヲゝ女房共じや アイ/\何をきよろ/\云しやんす なんぼう久しう
あはぬとて女房顔見忘れてか アゝイヤ見忘れはせぬが そんならあちらは誰
じやいのと じろ/\見やつてヤアやつはりこちが女房じや とふ狼狽て居た事と あなた
を詠めこなたを 見やり コリヤどふじや 面体から髪のがさり 着物帯の色合迄
寸分違はぬ二人の女房 こは/\いかにと呆れ果 暫し詞もなかりける 右と左に


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二人の女房 エゝ聞へませぬ大六様 お前とわたしが其中は 隣在所で思ひ初め あん
な男を持ちたいと 氏神様へ願かけた 念が届いてふしぎの縁 結び合たるいもせ中
よもや忘れはさんすまいと いへはこなたも取縋り 物がたいとゝ様のお目を忍ん
てさゝめ云 とづかかふかと案せしを 仲立入れて世間晴 悦ぶ間もなふ内を出
風の便りも音伝(おとづれ)も泣てこかるゝ心根を思ひやりもない事かと かこてばあなたも
引よせて 久しぶりにて我内へ戻りながらも女房の顔見忘れるとは水くさい 聞へ
ぬはいなと一筋に 男一人に二人の女房 妬む形は嫐(うはなり)の文字を かくやと見へにけり 大六

二人を突のけて最前から見る所形と云物云迄いつでかはらぬ二人の女房 是
非一人は変化の業 ハテどふがなく思案の内納戸を出る舅十作 ヲゝ聟殿よふ
まあ戻つて下さつた 是は/\親父様 私も奉公の望有て長々と他国の
住居 留主の間は何角のお世話 イヤもづ何の世話といふたとて我内の事 こ
なたも内を出てもふ三年余り 便り音伝ないに付き おれは元より娘めは毎日/\待
て斗 ヤそれはそふと今迄どこに居やしやつたぞいのふ されば此在所を出しより
上方へ登り 堂上方へ有付右大臣道春公へ ヤア何道春公へ仕へた 道春


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公に アゝヲゝそりやまあよい主取をさしやつたのふそふして又何故に戻しやつた
サア其義は アゝイヤちと子細有て浪人致し久しぶりにて古郷へ帰つて見れば女房が
アノしたら どふした訳と尋れば されはいの 合点のいかぬ一通りマア聞て下され もふ
跡の月の事で有たが 那須野か原へ猟へ出て あちこちと狩あるき見
付出した古狐 顔(つら)は真白毛は金色 尾は九つにわかれた股何てもこいつよい得
物と 手覚へのとかり矢ねらひすまして射た所 筈をかへして矢は飛ちる 南
三宝と二の矢をつがふ内 天窓(あたま)の上を飛こへてくさむらへいつさん走り

何でも爰じやと草を分てさがしたら 大きな穴が有 此中におるに違ひはな
いと 堀穿つて見た所が 犬やウサギの骨ばつかり 形はかくれ見へぬ故 しやう事なし
に内へ戻つたれば 娘のお簗はあの如く いつの間にやら體が二つ する事もいふ
事もとんと瓜二つ コリヤ何でも狐が業じや引とらへと思へ共 どちらが娘やら
狐やらどふ考へてもとんと分らぬ こなたの目にも分らぬかこまつた物と 始終
の様子語るを聞て大六が 今のお咄し聞に付思ひ当りし事こそ有 此頃都の
取沙汰に 三国を伝来せし金毛の九尾の狐 東国に徘徊し 又は内裏に入込


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で障碍(しやうげ)をなすと安瀬の泰成が考へ 其狐こそ件の悪獣 女房に仇なすは奇
怪至極 二人の内に一人は必定狐に極まれば 討て捨るが万人の助け ヲゝそふしやと 刀
するりと抜放えは コレ/\/\こちのくわたしはお前の女房じや あれとそ狐打給へ イヤ/\/\
そふいふからはそなたか狐 イヤそなたが イヤそちがと いづれあやなく見へければさし
もの夫もあくみ果暫し 思案にくれかるが 気を取り直してヲゝそれよ たとへ独りは妻
にもせよ 国家の為にはかへられし 二人ともに手にかくる 必ず恨みと思ふなと 又振上
る刃の下左右の袖に取縋りコハ/\ 情なき心やな お前も今は武士の身で 狐の業を

見あらはす 術に尽て科もなき女房を殺そとは いかに気づよきお心
と恨めはこなたもかきくどき 死ぬる此身はいとはねど跡に残りてとゝ様の
嘆きの程か思はれて いとしいわいなと諸共に 落す涙や恩愛に 刃も
なまるゝ斗也 十作涙押拭ひ 二人共殺そといふ 聟殿も尤じやが 科
なき娘も又不便な 刃の下を恐れぬ悪獣 めつたに正体は顕はす
まい いかさま舅殿の申さるゝ通り 神通得たる古狐 一通りてはあら
はすまい ホゝヲゝ実それよ 某所持したる主君より預りし希代の名剣


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此釼の威徳にて 若し顕るゝ事もあらん いでや釼の徳を見んと 錦
の袋取出し 紐とく/\と抜放せば 釼の光り忽ちに恐れわなゝく一人の女
赦させ給へあらくるしや 我こそ三国伝来せし 金毛九尾の狐なり 其釼
こそ天竺にて獅子王と号(なづけ)し名剣 又もや爰にて我神通 くぢかれたるか口
惜やと 怒れる眼に身をふるはし 立さらんとする所を 大六透さず刃の下
細首はつしと打落せば 十作驚き立寄て ナニ其釼が獅子王とやいか
にも 是こそ主君道春の家に伝へし獅子王の名剣 ムゝハゝゝゝ 工んだり拵

たり右大臣道春が最後より 紛失せし獅子王の釼 汝が所持するいはれなし 最
前そちが帰りし時 道春公へ奉公と云し節 何故古郷へ帰りしと 尋ぬれど返
答せず 扨は釼の詮議に来りしと 某が思ふに違はず 偽物の釼にて 狐と正体
あらはせし 其女も合点が行かぬ あざとい工みと嘲笑へば ムゝスリヤ 此釼は偽物成か おんで
もない事 チエゝ忝い/\ コレ/\/\亀菊殿 そなたの働き女房が一命を捨し故 釼の有所知たる
ぞ ヤア スリヤ今そちが手にかけしは 娘お簗で有たるか いかにも 釼の有り所を見出さん為 是
成る女は津の国の傾城 亀菊と申す者 お簗に面体似たる故 女房と心を合させ 狐の


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障碍と見せたるは こなたの所存を探らん為 それ迄もなく問に落ずして語るに落つる
と 今某が所持の釼を 偽物と見極られしは そつちに誠の名剣を 隠し置かれし
是証拠 サア舅殿 誠の獅子王尋常に お渡し有れと詰寄れば ヤアいはして置けば様
々のたは言 釼を隠せし覚はない ヤア覚えないとは卑怯のふるまい 先逹て安瀬の
泰成が考へし所 此邉りに奇雲立つ事 是全く釼の徳 然るに此度金毛
九尾の野干退治三浦之助上総之助両人に勅命下ると申せ共 彼が神通を
くじくには獅子王の釼なくて叶はず 然るに兄宮薄雲の王子様謀反有て 八咫

の御鏡獅子王の釼 奪ひ取て隠し給ふ 是を詮議なす所 御釼都にあらざれば
察する所我舅は王子の旧臣 那須の八郎宗重なれば 預り有るに相違なし サア
斯く明白に顕れし上は 最早遁れぬ王子の荷担人(かたうど) 那須の八郎宗重殿 早く
釼を渡されよと 星をさいたる一言に 宗重いかりの声あらゝげ ホゝ推量の上は
包むに及ばず 某こそは当国の領主たりし 那須の八郎宗重なれ共 元より
王子に一味もなさず 釼を隠し置いたるなんど 跡方もなきたは言 疑心をいだき
大切の 娘が首を討たる無骨 聟とはいはさぬ娘の敵と 傍に有り合ふ山刀


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引さげて立取れば 大六につこと打笑ひ 聟舅のよしみだけ釼を渡さば助けんと
思ひしに 刃向ひ立は事おかしと 刀に手をかけ双方より サア/\/\/\と詰寄る所に はつし
と羽ひゞき宗重が 左右の脇に立たる矢先 痛手にどつかと尻居に座し
ヤア何やつなれば名乗りもうけず卑怯の振舞 是へ出よと呼はれば ホゝウ王
子が反逆に合体せし那須の八郎宗重に 三浦之助義明上総之助広常
見参せんと 奥口一度に押開き 以前の若者花々しく 初めにかはる狩装束弓矢
携へ立出て 両将手負に打向ひ 我々両人勅を請東国に下るといへ共 獅

子王の釼なき内は魔道をくじく術(てだて)なく 矢田の大六と心を合せ 入聟と偽り
此家に入込密かに様子を窺ふ所 宗重が本心は聟に討れん志と 見抜きし
故に宗重殿不便ながらも手にかけしが とても遁れぬ王子の味方 恨みと
思はず尋常に釼を渡し召されよと仁義を守る若者は 実にも東の両助と 名
に聞へたる勇士也 手負は苦しき息をつき アゝ是非もなき世の成行 悪逆
不道と知ながら主命に従ひて 謀叛に一味なせしより 死ぬる覚悟は極めしが 一人
娘に迷ひ 仇な月日を送りしんび いかに夫の頼にて主人へ忠義といひながら


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不便の最期をとげけるぞや しかし心得かたきはそちらの女中 最前聟殿の
詞には津の国の傾城亀菊といはれしが もしや江口の里明石の刀自といふ老女に
育てられはせなんだか アイ其明石の刀自といふはわたしがかゝ様 ヤアそんならやつぱりおれ
か娘 コリヤお簗か為には兄弟しやはやい エゝと恟り亀菊より 大六も又驚きて 猶
も様子を聞居たる ヲゝつい斯う斗ては合点がいくまい 面体から音声迄似たこそ道理
お簗とは同し月日に生まれた双子 生み落すと母は死る 世間の手前隠さんと
江口の里の刀自が元へ 密に遣はし一生不通 娘にさへもしらさず 廿余年が其

間 無事でおるかと朝夕に 案じこがれてくらせしに 此間から傍に居ながら
現在我のとしらずして 化生の者と心得てしたしい詞もかはさばこそ 今際の
際に名乗合 娘か親かと只一度 いふたが直ぐに此世の別れ 薄き契も
日頃から 鳥獣を殺したる 報ひか罪か浅ましやと 親の嘆きに亀菊も
始めて聞いた私が身の上 真実のとゝ様の有とは兼て聞たれど お名もお顔も
しらぬ故 長の日数をお傍に居て露斗なる孝行も尽さぬのみか畜生
の 業とて親をたばかりて心づかひをさせましたは 誠の狐に劣りたる不孝の罪の


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恐ろしや まだそれよりもお簗様一つ所に有ながら 姉よ妹と名乗もせず 顔は
見ながら現(うつつ)なく化生の業は何事ぞ 廿の上迄しらなんだ とゝ様や姉さまに
あふと其儘死別れ はかない事か有ふかとくどき立て/\嘆き 沈めば大六も 舅
殿を謀らんと頼み来りし亀菊が 現在女房の兄弟とは存じよらさる今のお咄し
取り分け不便は女房お簗 夫婦の契りも暫しにて 長々他国に引別れ
たま/\戻ると無体の頼み 親を欺く偽りも夫の為と思ひ詰 狐と名乗り手に
かけ 健気の最期とげけるは 男にまさりし忠臣貞女 でかしおつたと誉むる程

父は猶しも身もよもあられず 日頃から此親を大切にする孝行者 今際の際
に親と子の暇乞さへ得せずに 狐と名乗り死んだ身は いか成過去の約束
にて 未来の程が思はるゝ 忠義といへと此親が悪人に荷担人せし 天の咎めが
我子に報ひ むざんお最後はいぢらしや こらへてくれよヤイ娘 コレとゝ様 聟殿 舅
殿 不便な事をしましたと 三人が首に手をかけて嘆くを見るに 両将も思ひ
やつたる供涙 名にあふ那須のしの原にあられ たばしる如くなり やゝ有って両
将は 涙をはらひ手負に向ひ さほどに後悔召さる上は お簗が存念思ひ


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やり 御釼渡し潔く御最後有れとすゝむれば ヤア思ひも寄らず 一旦主君に頼
まれて預る釼の有ればとて いかで敵に渡すべき去ながら死だ娘の追善と 夫レ成
娘へ今生の置土産に 譲り与ふる物有と よろぼい/\神棚の 内に納めし刀
の袋 うや/\しく取出し 是こそ手馴し山刀 熊猪を仕留めし名作 獅子王の
釼といふ共おさ/\是に勝るべき 長き未来の筐ぞと それとはいはで手に
渡す 心の謎をとく/\と 宝剣取て押いたゞき両将に奉れば ハゝゝゝ忝し/\
御釼御手に入るからは 那須野の野干退治より聞捨がたき王子が反逆 露

顕の上は都に登り 禁庭へ奏問とげ 一味のやつ原討取んと勇み立れば 手負
は這寄り 斯く御釼も御手に渡る上からは 頓(やが)て王子の運命つき 御身の大事
とならん内 御両将の執成にて助命の程を頼入る ホウ気遣ひせられな 天理に
背く王子が悪逆 ついに擒(とりこ)と成る迚も我々が乞請て命は助け参らせん
心置かれず成仏有れと すゝむるも又 義心の功(いさほし) 大六も涙をはらひ 舅殿の
情にて御釼返進有る上は 最早浮世に用なき某 忠義と操に親と子の
最後の別れは善知識 無常と観じえ菩提に入らんと 髻ふつつと押切て


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是より我が名も 玄翁法師と改名し 諸国修行に赴かん 又それなる亀菊
は父の亡骸野辺送り 中陰仏事を営みて頓て都へ登るべし さらば/\と立出
る ホゝ遖々奇特の発心 イデ打立んと両将が すゝんで出る都路や 手負は今
ぞたんまつま 親子つれ立つ終(つい)の道 冥途の 門出や跡に しほるゝ亀ぎくは
尾花が袖や露涙那須野が原の草の葉も元の雫と 「成にけり