生写朝顔話 宿屋の段

 

読んだ本  http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/856428

参照した本 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/856612

 

 

1
増補朝顔日記
宿屋の段
竹本大隅太夫章
豊竹君太夫筆

 

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2
浄瑠璃は音声の曲節と文章の妙味を
相須ちて感興を起さしむるは世の普く知る
所なり今回発行なる此懐中浄瑠璃
五行稽古本は古来の五行本にならひて
特に朱点を附したるは珎しうも新しきうへに
体裁いと美しけれは音曲同好の人は更にも
いはず大学を玩ふ人も座右に置かへに

 

 

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3
便よく小にして大をかなふるものといふへし
されは此本広く世に行はれなは斯道も
益隆盛ならんことを喜む且は編者の
功労を感し拙き一言を述べて序に
代ふるそなむ

 明治四十一年冬 摂津大掾

 

 (左頁これより本文)

何国にも 暫しは旅とつゞ
りけん 昔の人の 筆の跡
つれ/\侘る仮の宿夜の
襖のすきりて風に ま
たゝく燈し火の影も 淋しき

 

 

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4
奥の間へ 立還る治郎左衛門
何心なく座をしめて ふ
つと目に付衝立の はり
まぜの哥読下し テ心得
ぬ 此張まぜの地がみの

哥は 先年山城の宇治に
て 秋月が娘深雪が扇に
某が 又逢ふ迄の筐みにと
書て与へし朝顔の歌 其後
はからず明石にて 船がゝり


5
せし其砌 琴に合じて深
雪がふし付 折節思はぬ
互の出舩 あかぬ別れを
悲しみて 女の手づから我
舩へ 投込し此扇 然るに今

又此家にて思はすも此
張交ぜ ア何者が諷ひ伝へ
て 斗らず東の驛路(むまやじ)に
見るもふしぎと独言その
折からの忍ばれてながめ


6
入たる時しも有 襖押明け
徳右衛門小腰かゝめて入来
れば こなたは扇押隠し
ヲゝ亭主 先刻はテ扨きつ
い働き 危き難を遁れ

しも全くそちが志 サ是へ
/\ ハゝ冥加に余るお詞 エゝ
最前こなたへ参る砌 何か
三人ひそ/\咄し 合点行ず
と忍び聞ば しびれ薬を


7
茶に交ぜて あなた様へ差し
上げんとの アゝコリヤ サア恐ろしい工(たくみ)
エゝ憎さも憎し 直に申あ
げふとは存じたれど 夫レでは
どの様な科人が出来ふも

知れぬと存じ ヘゝ幸ひ先日慰み
に求めました笑ひ薬 ヤコレ幸
ひと しびれ薬と取替えた
を 知らずに呑ださつきの
時宜 此後迚も旦那様 御


8
油断はませぬぞへ ホゝ其
義は某もとく承知致した
マ夫レは格別 此衝立にある
釣魚の唱哥は 何人の手跡
どふ云言がらお身が手に入

しぞ エゝ夫レでござりますか
其哥に付いてアゝ哀れな咄しが
ござります エゝ元は中国へん
歴々の娘そふなが 何やら
尋る人が有迚親元を家


9
出し 夫レより方々と流労致し
果はとふ/\゛目を泣つぶし
跡の月迄は濱松辺に 其
哥を諷ふて袖乞 所にまた
国元から 所縁(ゆかり)女子が尋ね

て来て逢ました ガ其女
も程のふ病死 夫レから又独り
ぼし 此辺迄其嘆を諷ふて
歩き行ましたが 何が目くら
でこそ有 器量はよし声は


10
よし 見る程の者がいぢらし
がり 朝顔/\と云て 其哥
をしらぬ者はござりませぬ
わたくしも余りの不便さに
此宿(しゆく)に足を留めさせ 今で

は宿屋/\のお客の伽 何と
マア不仕合せな者も有る物で
ござりますと 涙片手の
物語りも 心にひし/\こたゆ
る駒沢 もし云替はせし我


11
妻かと 轟く胸を押鎮め
ムゝ夫レは扨哀れな咄し 身も今
宵は何とやら物さびしい
うつさんの為其女を 呼
寄る事は成るまいか イヤモ何

が扨お安い事 只今呼に
遣はしましよ お慰みに
琴の三味 ムゝ何分よきに
頼み入と 云は子細の有
ぞ共知ぬ仏気徳右衛門


12
尻がるにこそ立てゆく
跡へ相役岩代多喜太
のさ/\と座に直り ヤア駒沢
氏嘸御退屈でござらふ
コレハ/\岩代氏 殊の外お早い

事でごさると うはべは解け
ても解けやらぬ 前垂がけの
下女お鍋次の間に手を
つかへ 申々 只今の朝顔殿が
見へました 是へ通しま


13
しよかいな ナニ朝顔とは
何者 アイヤ此道中でこと
三味を弾き 旅の徒然を
慰むる瞽女とやら 拙者
も何か物さみしうござれ

ばちと事でも聞ふと存じ
亭主を頼み呼寄まして
ござる アイヤそりややめに
なされい トハ又なぜな サレバサ
先刻身共が知音(ちいん)たる


14
萩の祐仙 同席いかゞと
云れた貴殿 乞食をば座
敷へは通されまいかい ハテ高
の知れた目くら女 まんざら
怪しいナそ 茶箱もぢさん

致すまいと しつぺい返
にぎつくりと 言句に詰
れどへらず口 左程御所
望成らば兎も角も 併し座
敷へは叶はぬ 庭へ呼出し


15
琴なと三味なとひかし
召れて 速く此場をぼつ
返されよと 飽迄意地持つ
ねじけ者寄らずさはらず
駒沢が 差図にお鍋は心

得て 朝顔殿/\召まする
駒沢殿/\ と呼立る むざ
ん成かな秋月の娘深雪
は身に積る嘆きのかずの
重なりて塒(ねくら)失ふ目なし鳥


16
杖柱共頼みてし浅香はも
ろく朝露と消へ残りたる
身一つを 遉に捨ても縁先
の飛石さぐるあし元も
危ふき木曽の丸木橋

渡り苦しき風情にて やう
/\座して手を仕へ 召まし
たは此お座敷でござりま
すか 拙い調べもお笑ひ草
おはもじやと 会釈する


17
顔も深雪が馴の果 不便
の者やとせぐり来る 涙呑
込み控へ居る 岩代は夫レとも
しらず ヤア見苦しい其ざま
で 我々が目通りへうせたは

ムゝゝ聞及んだ朝顔めな エゝ
きり/\立てうせからふ アイヤ/\
岩代氏 そふもぎとうに仰(ぬかせ)
られな 此方に呼寄られ
ばこそ 思ひがけのふ アイヤ


18
思ひがけなふ来た者を
叱るは武士の情けにあらず
コリヤ女 大義ながら其朝顔
とやらの哥 サゝ早く諷ふて
かせいと 望む心は千万

無量 知らぬ岩代顔(つら)ふくらし
扨々駒沢氏には イヤモきつ
い御執心 コリヤ/\目くら 何成り共
エゝ諷へ/\ サゝ早く/\ ハイ/\諷ひ
まするでござりますと 焦るゝ


19
夫の有ぞ共 知らぬ目くらの
探り手に 恋故心尽し琴
誰かは憂きを斗為吟(といぎん)の 糸
より細き指先にさす爪
さへも八つ橋のやつれ 果て

たる身をかこち 涙にくも
る爪(つま)しらべ 露のひぬ間の
朝がほを 照らす日影のつれ
なきに 哀れ一むら雨(さめ)の はら
/\と ふれかし ムゝ夫を慕ふ


20
音律の 我々が身にも思
ひやられて 思はずとも感涙
致した ノウ岩代殿 いか様 琴
と云器量と云 イヤモ中々
感心仕る イヤナニ朝顔とやら

そこは定めてひへるで有ふ
身共が傍で今一曲 サア/\所望
だ/\ アイヤ岩代殿 もふ赦して
おやりなされい 去迚は駒
沢氏 身共が望むを留めさつ


21
しやるは ソリヤ意地の悪いと
申す物 イヤそふではござらねど
彼も立て労(つか)れませふと
存じて ハゝア然らば曲は止めにして
コリヤ/\女 そちも腹からの非人

でも有まい 身の上咄しも
又一興 咄して聞かせ サゝどふだ
/\ ハイ/\よふ問て下さります
お詞にあまへ お咄し申すも
恥ずかしながら 元私は中国生れ


22
様子有りて都の住居 一年(とせ)
宇治の蛍狩に こがれ初め
たる恋人と 語らふ間さへ夏
の夜の 短い契りのほいない
別れ 所尋る便りさへ 思ふに

任せぬ国の迎ひ 親々に
いざなはれ 難波の浦を船
出して 身を尽したるうき
思ひ泣て明石の風待ちに
たま/\逢ひは逢ながら 誰面(?つれなき)


23
嵐に吹き分けられ 国へ帰れば
父母の 思ひも寄ぬ夫(つま)定め
立る操を破らじと 屋敷を
抜けて数々の 憂目をしのぎ
都路へ 登つて聞けば其人は

あづまの旅と聞くかなしさ
又も都を迷でいつかは
廻り逢ふ坂の関路を跡に
近江路や 美濃尾張さへ
定めなく恋し/\に目を泣


24
つぶし 物のあいろも水鳥
の 陸(くが)にさまよふ悲しさは い
つの世いか成報ひにて重
ね/\の嘆きの数 あはれみ
給へと斗にて声を忍びて

嘆きける テ扨哀れな咄し 併し
男日照もない世界に エゝ
気のせまい女だな イヤもふ
しやんだ咄しで気がめいつ
た 寝酒でもたべ気を晴


25
そふ イヤナニ女 暇をくれるたち
帰れ ハイ/\有難ふござります
左様成ればお客様 もふお暇
申します ヲゝ朝顔とやら大義
で有た 初めて聞た身の上咄し


26
若し其夫が聞くならば 嘸満足
に思ふて有 ノウ岩代殿 左様
/\ ハツア是はマア御深切なお詞
有難ふ存じますと 杖探り
取立ながら 虫が知らすか何と


27
やら耳に残りし情けのことば
名残惜しさに泣々も 心は
跡に探り行 折しも奥より
若侍 最早余程深更に
及び候 御両所共に早お


28
休み いか様明日は正七つの
出立 イサ駒沢氏 お休みなさ
れぬか イヤ拙者は今暫し
用事もござれば お構ひ
なく先ずお先へ 左様なれば


29
お先へふせらふ 御免くだ
されふ と立よりしが胸に
一物心を跡に奥の間へ伴
はれてぞ入にける ゆく間
遅しと駒沢 手をならして

女を呼 コリヤ/\徳右衛門に急々
対面したし 呼でくりやれと
云付やり 旅硯の墨すり
流し 以前の扇押開いて
何か云付用意の金子


30
薬の包取認(したゝむ)る程もなく
廊下伝ひに来ける亭
主 夫レと見るより手を使へ
エゝ只今召ましたは何の御
用でござります ヲゝ徳右衛門

折入て頼み炊度は 先刻の
朝顔と云女 今一度よび
寄てたもるまいか ハイ畏り
ましてはござりますが 彼は
直ぐに清水と申す方へ参り


31
ました 御用事成ば呼びに
は遣はしませふがアゝどふで今
夜はお間には ムゝデ残念至
極 身は正七つの出立 マよく
/\縁の エゝ何と御意なさ

れます アイヤナニ徳右衛門 今
の女に謝礼の為 此三品
を其方にしつかりと預け
置く間 朝顔が参らば渡して
くりやれ ハイ/\ ヲゝこりやまあ


32
おびたゞしいお金 其上結
構な女子扇 お薬迄も
ヲゝサ其薬は大明国秘法の
目薬 甲子の年に出生
せし 男子の生血(せいけつ)を取て

服すれば いか成眼病も
即座に平癒 朝顔に渡し
てくりやれ コレハ/\何から何迄
お心を廻られた下され物
参り次第相渡し 悦ばしま


33
すでござりましよと 情
取る折しも 時計の七つ ムゝアリヤ
もふ七つの刻限 とかぞふ
る内に岩代多喜太 装
束改め旅出立 同勢引


34
連立出て イザ駒沢氏 出立
仕らふと勧むる詞に治郎左衛門
衣服繕ひ立出れば 見違
る亭主が暇乞心そぐはぬ
駒沢以和塩打連てこそ


35
出て行 跡見送つて徳右
衛門 ハア同じ侍でも黒白(こくびやく)
の違ひ 意地くねわる
い岩代に引かへ 情深い駒沢
殿 アゝ遖の侍じやな ヤそれは


36
そふと朝顔に 今夜の礼
にはそぐはぬ下され物 ハア
何ぞ様子の有そな事と
思案の折から 深雪は何か
気にかゝり 座敷仕廻ふて


37
うと/\と又立帰る切戸
のうち 徳右衛門目早に見て
ヲゝ朝顔か遅かつた 宵の
お客様が最(も)一度呼にやつ
てくれいとおつしやつたれど

清水へ往たと聞た故お
断り申たれば 今の先お立
なされた 併しマア悦びや 大
まいのお金と扇又結構
な目薬 わがみにやつて


38
くれいとお預けなされたわ
いの 是はマア/\冥加に余る事
お礼申さいで残り多い
が申々旦那様 此扇に何
ぞ書いてはござりませぬか

鳥渡(ちやつと)見て下さりませ
ヲゝドレ/\ エゝ金地に一幅朝かほ
露のひぬ間が書てある
裏に宮城阿曽治郎事
駒沢治郎左衛門と書て有


39
ぞや エゝ アノ宮城阿曽治郎
事駒沢治郎左衛門と其扇に
ヲイアノ ハア はつと斗に俄かの仰天
エゝ知なんだ/\/\はいな 道理
でよふ似た声と思ふたが

そんならやつぱり阿曽
治郎様で有ったか 申々旦那
様 其お客はいつおたち
なされやへ ヲゝ今の先の事
じや ガわがみは又おなじみか


40
エゝ馴染所か年月尋ぬる
夫でござんすはいな 斯う云
内も心がせく 追付てたつ
た一言と行んとするを引
とゞめ アゝコレ/\マア/\待や/\ エゝおり

悪ふ雨もふり出し 此くら
いに一人はあぶない/\ イエ/\/\
譬へ死でもいとひはせぬ サゝゝゝ
夫レはそふでも目くらの身
であふない/\ イヤ/\放して


41
/\と 突退け刎ね退け杖を力
に降る雨も いつかな厭はぬ
女の念力跡を したふて
追て行 名に高き街道  ←(大井川)
一の大井川 しのを乱して

降る雨に打交り成るはたし
がみ漲り落る水音はもの
凄くも又 すさましき 夫を
したふ念力に道の難所
も見へぬ目も いとはぬ深


42
雪がこけつ転(まろ)びつ 漸爰に
川の傍 ノウ川越し達 駒沢治
郎左衛門様と云お侍 もふ
川をお越なされたか ま
だか聞かして/\と 云声

さへも 息切の 声に川越
口々に ヲゝ其侍は今の先
渡つた ガ俄かの大水で川は
溜つた 笑止/\と斗にて
皆ちり/\に行過ぎる ヤアナニ


43
川が留つた ハゝア悲しやと
張詰めし 力も落てふし
転び前後不覚に泣けるが
又起上つて見へぬ目に
空をにらんで 天道さま

エゝ聞へませぬ /\/\わいな
此年月の艱難辛苦も
どふぞ最一度其人に逢して
たべと片時も 祈らぬ間迚
もない物を けふに限つて


44
此大雨川溜とは /\ エゝ何
事ぞいの 思へば此身は先
の世で いか成る事の罪せ
しぞ 扨も/\ あちきなや
焦れ/\た其人に 逢ふても

知ぬ盲目の 此目はいか成
悪業ぞや 夫の跡を恋
したひ 石に成ったる松浦潟
ひれふる山の悲しみも 身に
くらべては数ならず 三千世界


45
を尋てもこんな因果が又
と世に 有べきかはとくどき立
拳を握り身をふるはし泣
涕(りうてい・きうてい)こがれ嘆しは余所の 見る
目も哀也 やゝ有て起直り

ヲゝそふじや/\ 迚も添はれぬ
身の業因 此川水の増さりしは
所詮死との事成るべし 未来
で添を楽しみに 爰を三途の
岸と定め 弘誓(くせい)の船に法(のり)


46
の道 急がん物と 泣々も 夫を
恋し小石の数袖や袂に拾ひ
込む なむあみだ仏の声諸とも
既に飛んす其所へヤレお待
なされ深雪様と 声に恟り

けしとむ内 欠け来る関助
徳右衛門あはてし儘の徒
はだし 斯くと見るより抱き留め
マア/\お待なされませ イヤ/\
誰かは知らねと放して/\


47
マア/\待しやれ朝顔殿 ヲゝわし
もこな様の身が気遣ひさ
に走つて来たコレ関助殿
とやらが見へたぞや ハテ下
郎めでごはります マア/\気

をお鎮めなされませと
無理に手を取抱き退くれば
ムゝそふ云声は関助か ハゝア エゝ
遅かつた /\/\いはいの 此年月
艱難して 尋ねこがれた阿曽


48
治郎様に 折角逢ふたに
目くらの悲しさ 夫レ共知らず
別れたれど どふやらお声
が気にかゝり 戻つて聞ば
やつぱり其人 儕やれおつ

付ふと 跡追うて来たれば
此川留め エゝどうせふぞいのふ
/\/\ ヲゝお道理だ /\/\ 拙
者めもあなた様の 行家(ゆくへ)
を尋ね廻る内 一昨日(おとゝひ)の夜


49
の夢に浅香殿に逢ひ 即ち
あなた様は嶋田の宿 戎
屋徳衛門方にござると
云しやると思へば目が覚め
シヤ何でもふしぎと 夜を日

に継で参つたかひ有て
すつての事にあぶない
所をヤレ/\嬉しや下郎めが
お目にかゝる上は お気遣
ひなされますな 駒沢様


50
に添はせ申す 併し浅香殿は
坂東順礼と成て東海道
落て見へる筈 ガお逢なさ
れしかな サレバイノウ其浅香に跡
の月 濱松で廻り逢ふたが

其夜悪者に出合数ヶ
所の手疵 死ぬる今際にわ
しを呼び 中山の辺(ほとり)には私
が産の親 古部三郎兵衛と
云人有り 守り刀を証拠に


51
尋行 秋月弓之助が娘と
名乗りて逢へと云教へ 可
愛やついに死にやつたはい
の ムゝスリヤ浅香殿には最後とや
ホイ はつと斗り驚く内 始終

聞届る徳右衛門 ムゝそんなら
お前は 秋月弓之助様の
御息女様 又浅香と云は
我娘で有たか ハゝア私事は
其お尋ねなさるゝ古部三郎


52
兵衛と申す者 則あなた様の
祖父秋月兵部様には三
代相恩 若気の誤り 奥女
中と忍び合 お手討に成る
所を 弓之助様に助けられ

女諸共国を立ち退き 産み落
せしは女の子 貧苦の中
に育つる内 二つの年に母は
病死 男の手で袖手もならず
伯母が方へ此短刀を添へ


53
て養子にやりしが 廻(めぐり)々て
思はずも 親が命を助けられし
秋月様へ御奉公 死でも
忠義を忘れずみち引
おつたか ヲゝお(で)かしおつたな

此上は深雪様へ三郎兵衛
がお土産と 件の短刀抜き
放し腹にぐつと突立れば
驚く人々女房は コレ/\何で
こなたは此最後死でお


54
役に立かいのと縋り嘆けば
ヤア嘆くな女房 最前駒沢
様の物語り 唐土伝来の
目薬 甲子の年の男子
の 生血にて服する時は

いか成眼病も即座に平
癒との事 某甲子の
生れ成れば 我が血汐を以て
件の薬に調合し 早く
あなたへお進め申せ サゝ

 

 

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55
早く/\ 実にもと関助用
意の水呑取出し 手負
の血汐請留/\ 泣入深
雪が懐の妙薬取出し
差し寄すれば 深雪請取り

我夫(つま)の情に余る玉物
と 押戴き/\ 只一口に呑
ほせば ふしぎや忽ち両眼
開き蟻の這(ほう)迄見へすく
にぞ 深雪が嬉しさ人々も

 

 

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56
悦び合ぞ道理也 ヲゝうれ
しや最早此世に望みなし
何れも さらばと刀引廻し
笛のくさりを刎ね切て 名の
み流るゝ大井川 水の泡と

ぞ成にけり 跡や枕に
取縋りわつと斗りになく
女房 露のひぬ間の朝
顔も 開きし此目はもう
鬼(き)の浮木うどんげ

 

 

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57
花に勝りし夫の玉もの
二つには 我故此世に亡き
一かと取付き嘆くを関
助が 勇めに亡骸手舁
の輿早明渡る鳥の声

山田の恵み弥増さり 重(しげ)
れる朝顔物語り末の
世までも
     いちじるし