仮想空間

趣味の変体仮名

生写朝顔話 序切 宇治川の段 真葛が原の段 岡崎隠家の段

 

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     ニ10-00109

 

 

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  宇治のだん
武士の 八十宇治川と名に流れ底の濁りも夏川や 水の緑も涼しけに
風吹渡る 宇治橋の往来も繁き五月頃 蛍狩にと来る人の 足休めやら
気ほうしの 花香はこゝか一森や貴賤老若差別なくたぎる茶釜の湯気
に立名さへ出花の通圓が 店は人絶へなかりけり かゝる所へ立派の武士 出家伴ひ
小吸筒割子 肩に打かけ是も又床几をかりの足休め 腰打かけて膝ならべ

何と同心者拙者国元より京師へ上り 儒学修行の内 ふと嵐山にて御意
得しが縁と成今では竹馬の友同然 あれこれと誘ひに預り 始めて見物
する宇治の里 山の姿川の流れ 又格別のながめでござる ヲゝ宮城氏
の仰の通り袖ふり合も他所の縁 イヤモ心隔てず御申有ゆへ愚僧も風雅の
友を得て祝着に存ずる 是より平等院へ参詣し より政(頼政)の古跡扇の芝を
見せ申さん しかし斯く見晴らした景色を題にして一首所望と乞ければ 拙者
おこがましながら ふと浮んたる一首の口ずさみ 腰折れなから御添削と 用意の


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短冊取出し 矢立の筆のはしり書さら/\と書き認め 出せば月心手に取上 エ ナレ
諸人の行かふ橋の通治は 肌涼しき風や吹らん ハゝア面白き此夷曲歌(ひなうた)古今の本
歌を取りしは 秀作/\ 実にも涼しき風薫る 夏なき宇治の夕けしき 類ひ有らし
と打吟じ かたへに置ばさつと吹 風にまかれて短冊は ひらり/\とひらめきつゝ
川辺の舩へちり込けり 月心驚き ヤ是はしたり 折角の秀逸を風に取れ
たり 慥にアノ舩取返さんと立を宮城は引とゞめ ハテ戯れの口号(くさみ)御捨置下されふ
と 留る折しも御座舩の内ぞ床しき薄障子透間漏れ来る三味の音 したひ

きて慕ひよるべの蛍さへ 妹背かはらで逢ふ夜半(よわ)を 重ね扇の風薫る 匂ひを
したふ蔦かづら ながき契やつくも髪 ハテ?(やさ)しい調べ声といひ曲といひ
芸能器量も揃ひし美人ならん アゝ惜むらくは傍に居て 聞かざる事の残
念といふに月心打笑緋ハゝゝゝ日頃の堅い貴所もアノ音声にはなづまれしなヤ
それは格別先達ても申す通り拙僧が和歌の友 秋月弓之助方へ貴所を入家
させ申さんと 兼て咄し置きしが先にも懇望貴所も承知 近々日を見て見合
致させ申さん イヤ是はしたり大事の法用をはたと失念致しや 無礼ながら


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拙僧は 是より直ぐに興聖寺へ参り 後刻菊や方にて御目にかゝるでござふ
然らばかならず旅宿にて相待申す 先ずそれ迄は おさらばと 互に契約月心は
寺をさしてぞ急ぎ行 御座舩は障子引明け申し/\御寮人様 また暮果て
ぬ夕けしき てもきれいなこと チト三味線止めて御らふじませと 何心なく顔さし
出す 舩に以前の短冊乳人浅香手に取上 コレ御らふじませ何所やらから
短冊か舩へちり込ましたと 渡せば深雪手にとり上 諸人の行かふ橋の通路は
はだへ涼しき風や吹らん ホンニやさしい此つらね 墨つぎといひ手跡といひ

誰か口すさみぞ床しやと 見やり陸(くが)には阿曽次郎 思はず見合す顔と顔 互に
見とれる目の中に 通ふ心を岩橋の 渡してほしき思ひなり かゝる折から
川辺伝ひ 浪人めきし二人の酔どれ 何の会釈のあらけなく 舩へ飛込深雪が
傍 尻引まくり大あぐら浅黄はつと深雪をかこひ となたかは存じませぬ
か女斗の此舩へ 何の御用でござり升 エゝ何の用とはさりとは不粋今橋向ひの
料理やで一ぱいきめこみ 橋の上より聞て居ればどふもいへぬ詞ひかたじや
酒の間(あひ)をしてやらふと思ひ思ふて押付客 お娘の盃いたゞかづとすつかり


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いへは浅香興覚めムゝ女斗とあなとつての狼藉か 不肖ながら芸州
岸戸の家老秋月弓之助か息女の遊参 妨げしやると為にならぬぞと おど
せばいつかなせゝら笑ひ ハゝゝゝヲゝ弓之助でも鑓之助でもコウ乗込だらすめでは
いなぬ口の色の云すと娘と酒もり いやとぬあkせば どいつもこいつも縛り上て
念仏講しゃと弱みへ付込傍若無人憎しと宮城阿曽次郎 舩へ立入詞を
和らげ コレハ/\お若い衆酒機嫌でざれ事か此舩は拙者が預りの女中ぎやく
得しれぬ他人と酒宴は致させにくし 余の舩へござれよといへば二人は目を

むき出し ムゝ女斗とアノ幻妻がぬかしたに われが預りの客とは エゝそんな古手なこと
で行のじやないぞよ わるくしやれるとコリヤ斯うと云様 掴む胸づくし逆手に
取てくつと捻上げ ヤア云せて置けば様々の狼藉手向ひ致さば酒のかわり
水くらはぬ内早く帰れと 右と左にもんどり打せ 背骨も折れよと刀の
胸打ち りう/\はつしと打のめせば アイタゝゝイヤモ痛み入たるおもてなし 最早御免と
四つ這いに岡へやう/\這い上り 跡をも見ずして逃げ帰る つゞいて追んとゆく
袂 深雪は押留め アゝコレ申しとなたかは存じませぬが 危い所をあなたのお陰


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何とお礼を申そふやら ノウ浅香 ハイ/\イヤモウ此お礼がちよつきりちよつとは申され
ませぬ 幸い有合お盃 何はなく共酒一つと いふを押へて アゝイヤ必ずおかまひ
下されな戦車も待合す人がござれば早お暇と 立つを浅香は引とゞめ 女斗り
の此舩中 又どの様な狼藉者かこふも知れませぬ ながふとは申ませぬ 船
頭の戻る迄 ムゝ左様に仰らるゝを おして帰るも心なき業 然らば船頭の帰る迄
アレ申し居てやらふとおつしやるわいな ソレ御寮人様ちやつと其お盃をと いへは深雪
は顔打赤め思ふに任せぬ舩の内お慮外ながらお盃をいたゞきましたかいか

斗り お嬉しうとの其跡は岩手の山の岩つゞじ あたりまばゆき風情なり
コレハ/\痛入たる御挨拶 先刻承れば岸戸家の御家老秋月弓之助殿の御
息女とや 我等宮城阿曽次郎と申す者 お馴染の為頂戴と 呑てさいたか
盃に 深雪は嬉しさ押いたゞき 云たい事も一目の関しんきらしけに浅香をば
見やれば呑込通りもの ヲゝ此船頭衆は遅い事 嬪衆と連立て そこら見物
がてら見て参りませふ 阿曽次郎様とやらしばしの間御頼申します 御寮人
様随分と心残りのない様に ナ心一ぱい御馳走を ドレ一はしりと気を通し


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皆々引連れ上り行 阿曽次郎はつぎほなく 見廻す傍に我たんざく ムゝコリヤ
先刻風に取られし拙者の腰折れ スリヤ此お舩へ アイちつて来たのが縁のはし
お慮もじながら此扇に 何なりとちよつと一筆 コレハ/\結構なお扇子 ムゝ金
地に朝顔テ見事 およはぬ我等が拙筆に書汚すは ぶしつけなからと有合う硯
上代やうの走り書き墨の色香に引さるゝ 心深雪は嬉しげに押戴て打詠め
ホンニ御手と云唱歌と云\かはゆらしい朝顔の歌一生放さぬ私の守りと 云つゝ
其身も筆取上用意の短冊取出し 妻を恋歌のもしほ草 墨つぎ

早くと書き認め おはもじながらと指し出せば 宮城も興し手に取上げ ムゝナニ恋慕ふ
心通はす風もがな一目隔つる君があたりへ ムゝスリヤ見る影もなき某を アイ
ふと見初めしが思ひの種 不便と思ふて給はれと じつと寄添ひ抱付き直ぐに障子
をしめからむ 松に這ひてふ藤かづらいか成夢や結ぶらん折からいきせき奴鹿
内 彼方此方とうろ/\眼 阿曽次郎様/\ 阿曽次郎様ではごはりませぬか
国元より急御用と 呼はる声に阿曽次郎 はつと驚き深雪をば なだめ
すかせとつかいと 舩より岸へかけ上り ヤア汝は留主を預りし鹿内あはたゞしく


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何事成ぞ サレバ/\御本国より火急の御状と 渡せば取て封押切 読み下して
大きに驚き コリヤコレ伯父了庵より家督を受け継ぎ鎌倉へ下り殿へ御諫言致し
くれよとの義 ハゝア大恩ある伯父者人の頼み聞捨かたし コリヤ鹿内其方は先へ
立帰り旅宿を片付発足の用意せよ 急げ/\に子イ/\畏まつたと達
者もの 宙をとんで引かへす 引つゞいて阿曽次郎 立ち帰らんとかけ出すを のふ
是待てと深ゆきは舩より欠け上り コレ申阿曽次郎様 云残した事も有 せめて
今宵は此舩にと 取付き嘆けば ヲゝ尤々去ながら 聞かるゝ通り火急の御用

最前扇に認めし 朝顔の唱歌を我と思ひ 廻りあふ時節を待れよ さらば
と斗袖ふり切 行ぁんとするを猶とりすがり マア/\待てととゝむる折しも浅
香は船頭引連て 川辺伝ひに戻り足 斯くと見るより押隔て コレ申し深雪様
浅からぬあなたのお情御礼のたらぬはお道理なれど 人の見る前又重ね
て 御礼申す時節も有ふ イヤ申し阿曽次郎様 主人の名は秋月弓之助 必ず
御出を待升る ムゝ某宅は下川原遠からねば尋ね申さん さらば/\と舩と
陸 別れの涙かなしさに 見返る深雪を無理やりに 舩へ伴ふ其所へ コリヤ


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やらぬはと以前の悪者 あらはれ出て阿曽次郎が 右と左にむしやふり
付 シヤ面倒なと振ほどき 直ぐにざんふと水煙 舩はもやうをとく/\と 漕ぎ
出す舩子妹と背の 遠さかるこそ 「せひもなき

 真葛が原の段                               
我恋は松を時雨の染かねてと 茲鎭和尚が言葉の種真葛が原
の方辺り風炉に常釜かけ床几茶代一服一銭が店は風雅の捨て所
丸山戻り色酒の酔(えひ)をさめしに来る客の 中に目じゆんた京羽二重

見へは作れど懐の薄茶呑いる茶筅髷(わげ)逆に立花桂庵迚 匕(さじ)より
口のよふ廻る 判官このみの弁慶医者 しかつべらしく茶碗さし置 イヤコレ
お由けふは寿貞尼は何所へ趣かれた ハイお家様は大坂のお客で正阿弥へ
参られました ムゝ風の神ではなづて正阿弥へ付けこまれたか ホゝゝ 又桂庵
様の久しい口合 おまへは又どこかへお出たへ イヤ下拙は八百八十軒の病家廻りを
仕舞い余りほつとしたまへ 井筒て一世界芸子共にもりつぶされ おかる
じやないが 酔さまし風に吹れに罷りこした ソレハともあれ此店へ年の頃は


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三十一二 色黒ででつくりろ背の低いお医者が 下拙を尋ねにはわせ
なんだか イゝエそんなお方は見へませなんだ ハテナアもふ来そふなものじやが
ヲゝむかふから来るがそふじや イヤコレおよぼ アノ仁とチト内証の咄しもあれば
そもじは暫く勝手へ アイ/\合点でござんす 用が有なら手を叩いて下
さんせとお由は勝手へ入にける ハテサテ埒のあかぬ歩行(あるき)やうと 見やる向ふへ
萩の祐仙 それと見るより ヲイ/\祐仙様先刻より白鷺が火事見るよふに
首なかふして待ているに去迚は恋路に不精(ぶせい)といふに祐仙腰打かけ

イヤモやつかれも心はせいたれど よんどころなき朋友に出合 端の寮の
書画の会 それから快々堂で下らぬ薄茶一服よふ/\抜けて只今 先
何は扨置兼て尊公に頼た 秋月弓之助の娘仲人せふと尊公の請合
仕拵へ料の三十両 ソレ相渡すと出せば受取懐中し ハア慥に落手先方にも
承知なれど 爰に一つの難義といふは 先方は武家方ゆへ医者を聟にはとら
ぬ様子 元月心といふ出家が 宮城阿曽次郎といふ男を仲人せふと云入
大抵二親の注文に逢たが 下拙は彼の秋月へ立入するゆへ どふぞ阿曽次郎の


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人品国所を聞合してくれとの頼み コレ尊公の恋のかなふ前表也 シタリ
然る所彼の阿曽次郎は色白く厚鬢の当世男尊公は惣髪此一条に下
拙も色々心を砕き罷り有てや エゝそれが何の心を砕く事 アイ娘ふへなら
元服はおろか坊主に成ても苦しうない 自他とも仲人頼み入ムゝそんなら
祇園邊(へん)の髪結床で急に元服 ヲゝ合点と祐仙は恋に上ずり気も
そゞろ 床をさしてぞ走り行 跡に桂庵思案顔 マア三十両は着服したが
もつときやつをすりおろす妙計が有そふな物と もくろむ折しも下女

お由鍋を片手に立出れば 桂庵目早くヲゝおよしへ其鍋おれに売てくれ
まいか エゝめつぞふな これは内の菜鍋 しかし値打次第で売もせふが何ぼ
にかふてじや ムゝ張込で銀一に買かいめつそうな そんなら弐朱/\ イエ/\もそつ
と買ふた/\ エゝそんならてんぽの皮壱歩/\ ムゝ壱歩なら負ても上ふガ此鍋
買て何にさんす 何にせふとも細工は流々仕上を御らふしと 小柄を抜て丸
盆へ穴のあく程鍋炭こそげ 手早く紙に押包み 是でよし/\サア一歩
必ず此事他言無用マタ外に頼む子細高ふは云れぬコレかう/\と耳に口


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そんなら其鍋炭をふりかけたら惚れたふり コリヤ声高し 内に忍んで
よい時分に 首尾よふいたら又壱歩 ハテ何にもいふなと両人が うなづき
あふて内へ入 そり立あたまの鳥毛立延びた鼻毛を抜出しの髷より
たら/\油汗 いきせき戻る萩の祐仙 桂庵見るよりあふき立 イヤ似
合たり/\とんと片岡我當生写寿妙/\ シタカ少しの難は鼻が獅々舞
目が下り目 是ばつかりが玉に疵 ムゝひよつと彼のお娘が嫌ひはせまいが
ヲツトそこらはぬからぬ 下拙が家伝の惚薬則爰に所持致すナニそれが

惚薬とな中々海に千ねん山に千ねん三千ねん功を経しいもりの黒焼
ぱつ/\と振かけると 小野の小町の様な堅造(かたぞう)でもずる/\べつたり惚る
が妙 然し代金は拾五両 お望なら御手に入ませふ イヤモお娘のほれおるに
違ひなくば 拾五両が廿両でも入用/\則爰に拾五両 ムゝさらば指し上げのしたし
物と 鍋炭残し金請取 相図のしはふき咳ばらひ それとおよしか汲で
出る目元の塩茶指し出せば 祐仙は是幸い惚薬の試みと振かけられて
およしはうつとり ヲゝいつの間によいとのごいおなりたへ つんともふわしや


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あなたを我當かと思ふて 首筋もとからぞつとして わたしや 恋風
引たそふなと傍へより添祐仙が ふと股ふつつりアイタアイタゝゝゝ エゝ何とする エゝ
何じやいな何とするとは下心の悪い 目もとなら鼻付なら どつこに一つ
惚気のあるあた好らしいともたれしは 達磨人形にのら猫の しなだれ
付し如く也 祐仙は薬の利き目と一図に思ふ悦び顔 テ妙薬も有ばあるもの
終に女にかやうな事臍の緒切て覚へぬやつがれ エゝ何じやいな 人に
ばつかり気をもたせ薬の咄し聞きたふない 内太股(もゝ)がうそついてこたへ

られぬといだき付 是はあんまり利き過ぎた 桂庵頼むと逃廻るをやらじと
追て行ふごじり にげる出しりに桂庵も 腹をかゝへて ハゝゝハゝゝゝ「したひ行
   岡崎のたん                                
名ににあふ花の都の片辺り 聖護院の町はづれ風雅を好む一構へ
主は秋月弓之助 元は芸州岸戸の功臣 くらき主君を諌めかね 仕へを辞せし
浪人の身退きたる気さんじは 作りそだつる朝顔の世話に心を慰めける
妻の操は一間を立出 申し我夫早朝より花のお世話嘸お気が尽き升ふ


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マアお休みとたばこ盆 夫思ひの真実心 ヲゝ奥よく気が付申した さらば
一ふく仕ふ 何と奥は身が手作りの朝顔見事てはおりないか さればいな
今朝はいつよりも花がたんと咲ました カ申し此朝顔の花に付て気に
かゝるは娘の深雪 もふ時分のきた者を一人置は病気のもととふぞよい聟
を取て 早ふ初孫の顔見よふとは思さぬか ハテそこに如才が有物か 元身
共は岸戸普代の家臣なれど当時の主君お蘭のかたといふ側室(そばめ)に
迷ひ其弟の芦柄伝蔵といふ匹夫を取立て高禄をあたへ剰さへお蘭

の方のすゝめによつて我娘に伝蔵を娶せよとの義 系図正しき娘
深雪 匹夫下郎の成上り者を聟に取か胸悪く 乱邦には入すといふ
古語に従ひ仕を辞退し浪人住居も元はといへは娘が不便さそれゆへ
あれ是と婿を聞き合せしに 立人の医者立花桂庵似合の縁談申し
来りしゆへ得と筋目を聞糺せは 是も元は中国武家の生れ 名は宮城
阿曽次郎とやら 人品は申すに及す万能(まんのう)に達せしとの義それゆへ先客分に
呼迎へる約束致いた今日は吉日ゆへ桂庵が彼の阿曽次郎を同道する筈


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女共に申付掃除万端云付召れと 語る夫の云の葉に操も心落付
て ソレハナア目出たい事 それなればとふからそふとはおつしやらいで 私一人か物案し
女共や乳母も云付て 髪のかざり小袖の色品 問ひ談合もせにやならぬ
ヲゝそれが肝心身は囲ひにて薄茶一ぷく お身も相伴しやれいと夫婦打ち連れ
入にけり斯くと白歯の娘気に こがるゝ人を人よ/\と 思ひつゞけし乱れ髪
過ぎしに宇治のあだゆめも風に破れし 恋衣深雪は居間を立出て傍(あたり)
見廻し独り言 ホンニ任せぬ浮世迚さま/\逢た阿曽次郎様心のたけを云

隙も 情ないはお国の迎ひ周防と斗行先の当所(あてど)しらねば文さへも
言伝てやらん便りなく 是程こかるゝ心根を 直ぐに云たいしらせたい 逢はれる
つてはない事かと 其まゝそこに打伏て 声も得上す忍び泣 娘心ぞ
いぢらしき 始終うかゝふ乳母浅香 納戸の口を立出て コレ申し深ゆきさま
一昨日宇治より戻つてから 何やらしめ/\と思ひありげなお顔持 ちいさい
時から育てた私何の遠慮に及ふもの あかして云て下さりませと真実
見へし言の葉に 深雪は涙押かくし ヲゝ乳母とした事が 何のそなたに


24
隔て心か有ぞいのふ ありよふは蛍狩に ふつと見初めた イヤふつと風に
当つてから エゝモしんきで/\ならぬわいの ヲゝそれは風を引しやんしたので
あろしかも恋風といふおもい風を ヤアそんならそなた知ていやるか
ヲゝしらいで何としませふぞいの 楓にうす/\聞た上おまへの居間に
有た扇 歌の唱歌は朝顔 手跡は宮城阿曽次郎殿 エゝ サ何と違ひは
ござんすまいがな 其阿曽次郎殿を恋こかれそれゆへの物案しt私は
とふから知て居ますガコレお案じ遊はすなお前にいふて悦はす事か有

と いふに深雪は傍により ムゝ私に悦ばす事とはへ サア外でもないかふおまへ
に聟様かござる筈何と嬉しいかへ ヤアわしの聟とはソリヤ何人 わしやそんなこと
聞たふない 云出してもたもんなとねち向くそぶりつく/\見て ホゝゝわけも
聞かずにそりや何事出入の医者桂庵殿の仲人でくる聟がねは宮城
阿曽次郎殿と 聞て深雪は二度恟り ヤア/\阿曽次郎さんがござんすとは ソリヤ
ほんのことかいのふ/\ ヲゝ何のわしが嘘云ませふ ガかふ云内も心がせく ヲゝ
それ/\そんなら髪も結い直し小袖も相談 サア/\ サア来てたもと手を引立


25
悦び勇み納戸口のれんの内へぞ入にける 斯くて其日も昼過ぎて 隙
行く駒の夫レならで 岡崎の隠れ家を尋ねて爰に来る人は肩から爪
の立花桂庵 似た山聟の祐仙を 爰じや/\と手招けば 鳥やの戸
明てちやぼとりの 米見付けたる風情にて ぱつぱ/\と鍋炭を まき
ちらしつゝ出来たり ア深雪のお座敷はもふ爰かへ おりや 恥しいとはな
かめば マそんな初心な事では 埒があかぬ道々も云通り 宮城阿曽次郎
を忘れまいぞと 云付置て門の口頼みませうとおとなへは 手襷はづ

さず飛出ず 納戸の内より下女のりんどふれといふも 不性なり イヤ
立花桂庵御見廻 エゝ誰じやと思ふたら桂あんさん恟りしたがの ヲゝ道
理/\顔見たら猶恟りせふ 弓之助殿へ下拙が 宮城阿曽次郎殿を同道
致したとサゝ伝へられて下されふと いふにおりんが心得て 其儘をくへ走行
下女がしらせに弓之助衣服改め提げ刀 操伴ひ一間を出 コレハ/\桂庵老
大義/\宮城氏を同道とや 早速に対面したし イザ/\爰へに表へ出 萩の
氏 アイヤ宮城氏 イサお通りと しかつべ顔返事を何と祐仙が 今更どふか


26
しき高く うぢ/\もぢ/\入兼るを 無理に引張り連れて入 顔を見るより
操はあきれて不審顔 様子あらんと弓之助 ナニ桂庵老 宮城氏は
いづれにござるな エゝ則お目通りにひかへ居られます ムゝアノ其仁が宮城
阿曽次郎殿とや イカニモ/\正真取々ぬく/\の阿曽次郎殿 ソレ宮城氏御挨
拶と いへは祐仙扇をぱち/\ いかにもやつかれか萩野 へゝム/\イヤ宮城阿曽
次郎 此度は不思議の御縁で御息女の聟になし下されふとの事 聞くと
其儘病家も打捨 アゝコレ聟舅始めての対面に余り詞が多過ぎる

アゝイヤ慶安苦しうない シテ宮城氏には 娘深雪を知て居召るか イヤモウ/\知た
段じやござらぬ エゝいつぞや当所清水寺地主権現の花盛り 病家
がなさに見に行しが 薄雪まがひのぼつとり者花の帽子に花の櫛
花の姿の 花やかさ 首筋元からぞつとして 見とれる内に早下向
下向せふとてお姿を目にはながめはせぬ物を 残り多さに見へ隠れ 此岡
崎迄付て来て 親御の苗字お娘の名迄 聞き合す程の心底男聟入り
したら朝寝せず 水も汲たり飯(まゝ)も焚く あんまけんべき針のりやうじ


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料物入ずに仕らふとしやべる度々慶安は 消へも入べきじゆつなさに
冷や汗流す斗也 操は小腹立てながら なぶつて見んと打ほゝえみ コレハ/\
ふつゝかな娘を それ程迄に御執心ならばいかにも縁組致そふが
此方は諸芸師範の家柄 詩歌俳諧茶の湯 其お心がけがござり
ますか 有共/\歌は彼の九は病五七は雨に四つ日照り六つ八つ騒ぎいつも
大風 イヤ申しそりや地震の歌じやござりませぬか いかにも/\自身の
作 四か五かは存せぬが 灰買いよりは糠買いが はるか増さつてはけ口がよふ

扨茶に於ては 薄茶緑茶栗皮茶利休茶こげ茶藍見る茶
こゝらが当世十人向け 香に於ては線香抹香 沈香五種香 御望み次第
薬種やにて 随分利口に買い廻しは手の物也とそしやべりける ヤアだ
まれまいす者め コリヤヤイうぬら武士を嘲弄にうけたかと刀追取きめ付れ
ば祐仙桂庵恟りはいもふ アゝめつそふな/\全く左様な者ならず まがひなし
の阿曽次郎ヤアぬかすなうつけものとは見て取と様子有んと うかゞふ
それがし ヤア/\関助こやつつまみ出せよと 呼はる声にはつと答へ 走り


28
出たる奴関助 ヤア/\さま/\゛の馬鹿者めら きり/\立て失せおらふ 長居
ひろがばぶち放すと 刀の柄に手をかくれば コリヤたまらぬと祐仙桂庵
命から/\逃帰る 弓之助はにが笑ひ ハゝゝゝハテ扨々世にはうつけたやつも有ば
有る物 たわいなしめにかゝつてほつと退屈 関助休みやれ ドレ一休みと立
上れば操も共にたばこ盆提げ一間へ関助も勝手へこそは入にけり 寝
ぐされの つとのおくれときながら もつるゝ思ひくし/\と 深雪がむねの
乱れ髪 たれに云べき方もなく 涙に小袖もぬれ縁の朝顔の花打

詠め どふした事のえにしやらふつと見初めた阿曽次郎さま 御国元から
急用との使いは恋の障りの雲 晴間の星のたま/\も けふ逢るゝと
思ひの外 待ちこがれたる甲斐もなく あられもないしらぬ人 ほんに思へば
あじきない 暫し別れのかたみにと 書てもらふた朝顔の歌の唱歌も
我袖に 涙の露のひぬ間なき 嘆きせよとの歌占か 宇治の蛍と
なるならば あくかれ出て夫の傍 飛て行たい顔見たいと かたみの扇身
に添て 抱きしめ/\忍び泣き 日影待間の朝顔の雨に しほるゝ風情也


29
うしろに立ち聞くめのと浅香 それぞと察し立寄て コレ申深雪様 桂
庵殿の粗忽ゆへ あほうらしい今の時宜 しんきなは道理/\ シタカお気
遣ひ遊ばすな 此浅香が奥様へお咄し申す 阿曽次郎殿をきつとおまへにお
添し申します くよ/\思ふて病気やなど出たら 親御様へ大きなふかう
気をしやんと取直して縁と月日を待つが肝心 マア/\奥へと諌められ少しは
心晴かけし 袖の時雨のおやみして 夕日てり添ふ蔦紅葉 顔かからめて
入にけり 折から表へあはたゞしく せきにせいてかけ来る武士 音なふ間

もなくずつと入 弓之助殿/\弓之助殿御在宿かと 呼はつて 尻居に
どふと倒るゝ息切何事やらんと弓之助 追取刀に走り出 見れば覚への
古朋輩ぬるみ汲とり用意の気付 口に含ませ気転の活けムゝト斗りに
気の付く若者 ヤア弓之助殿 ホゝ瓜生主水が舎弟勇蔵 あはたゞしき
体心得ず 子細はいかに 様子は何と はつと勇蔵気を取直し されば候
国元には お蘭の方の威光をかり 成り上がりの芦柄伝蔵 御前よきまゝ
下々へ過役をかけ 金銀を貪りしより事起り 御領内の民百姓 一揆


30
起こし我一と 袖が浦の城廓へ押寄/\追取巻 無二無三に責立る 去に
よつて御家の騒動大方ならず 早大乱に及はん気色 此騒動をしづ
めん者 弓之助より外になし 主君の後悔頼みの御状片時もはやく
帰国有て賢慮を廻らしお鎮めあれ 我は此儘国元へ心もせけばと云
捨て 元来し道へ引かへす 弓之助は大いに驚き状押開き読下し 誠に
殿の御自筆 先非を悔みし頼みの文体 ハゝア勿体なし/\ 主家の大乱見
捨ん様なし ヤア/\女房娘も帰国の用意関助参の詞の下はつと答へて

欠け出る奴 お旦那何の御用でござります ヲゝ火急に国元より御召の
御状到来せり今日中に家内を片付 今夜直ぐ様伏見迄発足せん
心得たるかと云残し奥をさしてぞかけ入たり俄かの帰国に周障混雑
気もいら/\と関助が 何からせんと心のもんちやく 斯く共しらず阿曽次郎
帰国の暇余所ながら 深雪に一目合の戸を それ共さすが明かねしが
思ひ切てそつと入頼みませふと音なへば エゝ此せはしいに何者じや イヤ
宮城阿曽次郎と申す者と 半分聞かずヤア又うせたか 大馬鹿者と


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夕暮時 顔さへ見ずに突出し 戸を立切し人違へ 様子しらねば阿
曽次郎 いぶかしながら詮方なく 跡の嘆きの種ぞとはしらず 知れす「別れ行