生写朝顔話 二ノ口 明石舟別れの段

 

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     ニ10-00109

 


31右頁
  明石舩別れの段
和田海(わだつみ)の 浪の面てる月影も 明石の浦の泊り船 風待つ種のつれ
/\を 慰め兼て阿曽次郎 舳先に立出月かげに 四方を見はらす
気晴しの 田葉粉の煙り吹なびく船路の旅ぞ物淋し そばに
かゝりし大船は 秋月弓之助が帰国の乗船乗り手も水主(かこ)も船草臥れ

前後もしらぬ高鼾娘深雪は只一人 目さへも合ぬ恋人を 思ひこがれ
てうつ/\と 恋に心を 筑紫琴せめて慰むよそがもと かきならし
たる糸しらべ露のひぬ間の 朝顔に 照らす日かげのつれなきに テ
合点の行ぬ アノ諷は過ぎつる宇治の蛍狩に 秋月の娘深雪が扇に
某が書てあたへし朝顔の唱歌 声さへ深雪に生写し ハテいふかしさよと
見上れば あなたも見下すかき立の 顔はまさしく 深雪殿ではないか
ヤア阿曽次郎様 逢たかつたと我を忘れて乗うつるを 抱きとりて


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口に手を当て テ声が高い深雪殿 思ひもよらぬ今の対面何故に此
所に さればいな 宇治でお別れ申てよりモ片時忘す泣暮す内 国元
に騒動起り 父母共に俄かの旅立 所詮逢事叶はぬかと 何ほうかなしふ
思ふたに 爰て逢たは尽せぬ縁 どふぞ此身を何国へも 連て退て
給はれと ひつたり抱き 月の夜の影も隔てぬ比翼鳥 放れがたなき
風情也 阿曽次郎も心を察し ヲゝ嬉しいそなたの志 忘れはおかぬ
去ながら そなたを今連れ退いては 某が武士道立す事に此度伯父

の頼みにて 遁れぬ主用猶もつて 女を同道しがたき入り訳有 縁ならば
添時節も有ふ 斯うして居ては人の咎め サアちやつと元の船へ乗てたも
エゝそりや聞へませぬ阿曽次郎様 添れる時節も有ふとは当座遁れ
の捨て詞お気に入ずは打明けてつゝまずそれといふてたべ もしもおまへに
添ふ事の ならぬ時には渕川へ此身をなげ死まするふたゝび外の夫迎へ せぬ
を誓ひし身のけつぱく さらばと斗り水底へ 既に飛んと立上るをあはて
驚き抱きとめ コレ待た早まるまい イヤ/\放して殺して下さんせアゝ


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ぜひもなし 夫レ程迄思ひ語た娘心 見殺しにマどふせられふ 不義徒(いたづら)
と世の人口 そしらばそしれ連て退く コレ盡未来迄女房ぞや エゝ嬉しう
ござんす忝い そんなら願ひを叶へて下さんすか ヲゝ武士の詞に二言は
ない去ながら 此儘に連て退けば親達のもしや海川へも身を投げたかと
お嘆きあらんは定の物委しい様子をつい一筆 ヲゝよふいふて下さんした
私もそふ思ふて居ます ガどふぞ料紙をかゝして下さんせ ヲゝ心得しと
懐紙腰をさくつて南無三宝 そなたを抱留る拍子海へ何やら落

せし水音 旅矢立をはめてのけたマゝどふしたかよからふぞ ヲゝそれ
なら待て下さんせ 二親始め付々迄旅草臥れの寝入りばな そつと元舩へいん
で一筆書置きしてきませう ヲゝそれよからふ カコレ必す物音させて 親達
の目が覚ぬよふ 心得ましたと立上れば 阿曽次郎は肩車あなたの船へ
乗移す 音に目覚す船頭共 ヲゝ地嵐が吹出した 碇を上げよ 帆を巻けと騒ぎ出せ
ば なふ悲しやとあせる内 船は次第に遠ざかる コハ何とせんかとせんと あせるはづみに
阿曽次郎が 船へ投込扇の別れ 白浪を隔ての船 つながぬ縁ぞ是非もなき