生写朝顔話 三ノ奥 三ノ切 麻耶ヶ嶽の段

 

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    ニ10-00109

 

 58(左頁)

  麻耶か嶽のたん
雲靉靆(あいたい)とたな引し 麻耶が嶽とて津の国と 播磨にまだかる 高山あり峯高うして雲に冲(ひい)り
谷深うし奈落に通す苔滑かなる岨(そは)道の巌は鑿に削るが如く 常に馴たる山賤(かつ)も 足踏迷ふ
険阻なり かゝる深山の懐に 自然(おのづから)なる岩窟(いわむろ)もいつか住家となし初て 住馴したる岩畳岩の屏風
に這からむ 蔦の紅葉さながらに 画きなしたる如くにて しほらしくも又物凄し 此家の主荒妙は


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老の手業の手もたゆく 賤がうみ苧も髻(もとゞり)の 白髪に紛ふ雪の朝 椿山茶花折持て 娘千里は立
帰り 申かゝ様 けふは爺(とゝ)様の祥月命日じやと云しやんした故谷陰で折て来た コレ此花御前様へ供へて下さんせ
と いふに老女は打頷きヲゝそれはよふ気が付たおれがさそふよりそなたの手向か仏へ御馳走仏壇へ立ておじや アイ/\
合点でござんす シタガ申かゝ様 アノマア浮洲(うきす)はまだ戻らぬかいな ヲゝ皆の者と夜山にいたがまだ戻りおらぬエゝテモ遅いこと
では有る 此雪では冷るで有ふ早ふ戻りはしやいでムゝそなたは何て浮洲の遅いを案じるぞと 咎められて気転の
笑ひホゝゝアノマアかゝ様としたことが色々の詞咎召遣ひの人じや物チツトハ案じも仕升ふかいなそれはそふといつやら連て
戻らしやんした女中とは どこへいかしやんたへエゝ娘としたことが様々の根問葉問其女中は此間播州辺のよい様の

所へ奉公にやつたのしやはいの それはマアいとしい事 人も通はぬ此山中 遣ふ物とては荒こましい男斗 折々は若い
女子がくるけれどいつの間にやら皆奉公 分て此間の女中媚(みめ)も心もしほらしそふな人 よい咄し連と思ふたに是
も又奉公とやそれならそふと暇乞でもしていたがよいに 聞ぬ人やと 恨云女同士とてしほらしき 老女は
聞もうるさげにエゝかけも構はぬ他人の事べど/\と云すと早ふ花を手向ておじやと 苦い顔付気の毒と
千里は花を携へて 仏間をさして入にけり 折しも雪道踏分て 立帰つたる三人連縛り上たる里の子に 泣
音を留る猿轡 或は衣類旅荷物 銘々かたげて内に入 ヤア頭精が出升のヲ皆戻つたか チト猟が
聞たかと いふにかんまち猿辷(すべ)り 縄がらみ投出しイヤモ昨日からの大雪で人通りはとんとなく よふ/\と向ふの


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村からうせをる奴(やつこ) ヤこいつよい仕事と稲村かけからヲ/\と呼たが サアふるひ出しくさるしめたと思ひ引捕へたら
八十位の老耄(おいぼれ)め引剥た布子下着帯は小倉の花色縞 まんさらでもなきと 自慢らしけに投出す 次は
山蛭胴八が十二三な小女郎を突出し おれが帳場も人通りがなふて どふやら此かき一疋豆腐買にうせたのを
引とらへて顔見れば小しほらしい顔(つら)付ゆへ 引かたけて戻つたと語れば老女は苦笑ひ エゝ埒の明ぬつまみ銭
シタカコリヤ浮洲 われが仕事はどふじやいやい イヤモ新米の浮洲どふぞ頭の気に入様なよい仕事と思へども 扨
大雪でよい鳥もかゝらずよふ/\山伏めを引剥た兜巾篠懸数珠輪袈裟夫から夜更て長崎飛脚
逃足早ふ逃をるを追かけて引たくつた荷物の内に人参か十四五両珊瑚樹が十二三金が一歩て十五両

跡はござ/\からくた物帳合を頼み升と一々縁に並ふれば 老女はそれ/\帳に付 ヲゝ出来た/\エゝ猿辷りも山蛭
も嗜め/\ 新米の浮洲に花を取れるは心がけか悪いからじや シタガ仕事はまん物 マア酒でも呑て昼の
内は休め/\ヲツト合点じや マゝコリヤ声が高いわい 常からも云通り 気の叶はぬ娘ゆへ 追剥の人買のと聞たら
虫が出るに寄て 猟師商売といふて有程に わいらも随分知さぬやう 其ちつへいもいつもの鳥やへほり込て
おけ ヲツト合点夜通しに ふるい上つて 陰嚢を 猪(しゝ)雑炊焚熱燗でも 情もしらぬ牛頭馬頭とも泣入小娘引
立て 勝手へこそは入にけり 岩が根の 雪より凝たる関助深雪が行方爰かしこ尋ねさまよひ思はす
も 此岩窟に尋来て 斯と見るより内に入卒爾なから此家の内へ 年の頃は十五六で やしき方の娘御は もし吟(さまよ)ふて


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見へませなんたかと云に老女は心の合紋 扨は由緒(ゆかり)の者成かと 思へど態とさあらぬ顔 イエ/\そんな女中は見請
ませぬ カそれを何ゆへ尋さつしやる さればさ 拙者は芸州福岡の者 子細有て主人の息女 若気の至りに
やしきを出 其又翌日に瀬川で ちらと見た舩の内 呼べど叫べど届ぬ追風 モかいくれに見失ひ それより陸を
方々と尋るに 此梺(ふもと)の里人に問たれば エゝ丁度其格好の娘を六十有余の老女が連て 此山中へ登しとの事
故お尋申 シテ此家より外に家でも厶るかな ヲゝ有共/\ アノ坂を左りへ取十四五丁行ば 猟師の家か有そこへ
往で尋ねさつしやれ コレハ近頃忝い気せきにござればもふお暇と 謀る工みも白雪の 道踏分て尋ね行く 始
終小蔭に窺ふ手下指し足してコレお頭 今の奴が口ぶりは とふやら先途の仕事を ヲゝ眼付おつた様子 しかし家の

ない山中へやつたれば まい戻つてうせるは定 足が付ては面倒な コリヤわいら追付て谷へばつさり ヲゝ呑込たと
猿辷り 山蛭もろ共関助が 足跡したひ追て行 引違て出来る武士 門口に立留り 荒妙殿在宿かと
云つゝはいれば老女は不審(いぶかし) ムゝついに見馴ぬお侍様何方からの御越は 何はともあれマア/\是へと請すれば 会釈
もなく上座へ通り イヤ身共は芦柄殿蔵迚 山岡玄番殿に一味の者 則玄番?密事の使者委細
の義は書面にと 取出し渡せば老女は受取 ヲゝ是はマア/\遠方の所 殊に難所の山坂を御苦労様やと 云つゝ手
紙取出し 封押切て口の内 何か心に打頷き そんならお前も玄番様と ヲゝサ疾(とく)より合体身共は芸州
岸戸家の家中 兼て玄番殿と心を合し謀反の密談然るに駒沢了庵か養子治郎左衛門と云


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やつ鎌倉へ参り 放埓の大内之助を本心立帰らせし猿智恵 此奴いか成術を以て薬王樹を奪
返さんと斗るまだきにあらず 万事に心を配れよとの伝言ヲゝ成程此密書にも其事ちつとも油断は
致しませぬと憚りながら山岡様へヲゝサ心得た ガ身共は外に所用も有ば 最早暇申そふ それは余りおせは
しい 何はなく共御酒一献アゝイヤ/\又重ねてと立上り 出るを見送る互の目礼 老女は一間へ芦がらも 二足
三足立出しが 何思ひけん小戻りし 内を窺ひ小頷き 奥庭さして忍び行

麻耶が嶽のたん  三段目の切
冬ざれは 人目も草も 枯果て残るも淋しき軒の松 枝吹ならす雪嵐 いとゞ寒気ぞまさりける

納戸を出る浮洲の仁三 寒さ凌ぎといろりのそば榾(ほた)打くべて御かき雪 衛士(えじ)にはあらぬ焚火より 恋ゆへもゆる
胸の火の昼も消さる物思ひ 娘千里は母親に心奥より忍び出 ヲゝ仁三郎いつ戻りやつた 夕べはきつい
大雪で 内に居てさへ寝ぐるしさ モウわしやそなたのことを 案じて斗居たはいなと 詞をしほに寄添ば
色をぐくみし 雪の梅山の奥さへ浮世なれヲゝヲ千里様それよふ案じて下さりましたのふ ガこゝへ来て新
米の此私を しなつこらしう云て下さり升ので 陰ながら悦んで居ますはいな しかし夜?(かせ)ぐ爰の商売
雨降る晩や雪の夜でなけれは コレよい鳥はかゝりませぬぞへ ムゝアノ夜さりても鳥を取のかや エゝお前も素
人の娘か何ぞのやうに コレ鳥といふはナ 人アゝイヤやつぱり取じや ハゝゝゝ何が其鳥めが雨や雪が降と


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声山立て人を呼でも イヤサ人を見てもよふ働かぬので モ取よいといふことと 聞て千里は打しほれ いかに
世渡るたつき迚寝鳥を取はきつい罪 もふ是からはそんなこと 止めてほしいと入訳を 白歯娘の気も弱く耳
を押へて差うつむく ハゝゝゝ気の弱い 何ぼ其様にいやがらしやつても 寝鳥は愚か猪(しゝ)狼より恐ろしいことを
する コレ聟様をとらねばならぬぞへ ちつと嗜んたかようござり升と いふ顔しつと打詠め エゝいやらしいそんな事
聞とふない私が好の殿御といふはナコレ仁三郎 日外(いつぞや)かゝ様が連て戻らしやんした女中様 アノ子を頼んで文の
数 返事のないはそりや聞へぬ モ今更いふも恥しけれど 人里遠き此内へ初ておじやつた其時からいとし
らしうてきつとして明暮思ひ増すかゞみ 紅白粉も どふぞして そなたの心に可愛と 思われたさの化粧

水 何と云寄る詞さへ灘の 塩焼く下燃へにこかれ暮して海士衣涙に筆の濡れ文も 恋のいろはの
手習に袖に付てふ住吉の御影の合す手も 嬉しい逢瀬を求め塚生田のもりの 幾渡り 運ふ
心をちよつとでも汲でくれたがよいわいなと 男の膝に取付て 赤らむ顔は夕日照る 麻耶紅梅の色
盛り花も恥らふ風情也 イヤモ見るかけもない者を度々の心遣ひ嬉しいけれとおまへは主なりわしは
家来 いかに商売がらじや迚主の娘を盗む イヤサ主の娘御と忍び逢も否物と有様は遠慮して
居ました カ真実思ふて下さるなら いかにもどふなとしませふが コレお前に無心があるカ何と聞て下さり
ますか アノわしが願ひさへ叶へてたもるならモどんなことでも聞はいのふ ムゝそんならアノかみ様が大事にしていや


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しやる女の病を治す間 そつと見せて下さりませぬか ヲゝそれは安い事なれど アノお守は二重箱に入て錠
をおろし鍵はかゝ様が肌身離さす持て居やしやんすれば 首尾を見合せふ程に アノちよつと奥の
間へハテそふじやと云て昼中に エゝ マアコレちよつとおしやいのと 無理に手をとる笹栗の 我から落て草
の露 濡れに行身ぞわりなけれ 折から坂道いつきせき 駕を舁せて輪抜吉兵衛 遠慮会釈も
荒くれ物雪踏ちらし門口より 婆様内にかちちょつと逢ふと わめけば納戸を立出る 老女はあたり見
廻して それと見るより落付顔ヲゝ誰かと思へば輪抜殿大きな声で何ことぞ イヤ何ことでもない此中百
両で値を極て預ていんた代呂物 なためてもすかしても只めろ/\とほへる斗 勤め奉公はいやじや

どどふばり間がな透がな逃支度 イヤモ顔に似合ぬじぶとい女郎じやはいの入込の内に取逃してはこつち
の大損 事のない内代呂物戻すと 小腕(かいな)取て引出すは 世に秋月が娘の深雪泣はらしたる目の内に溜る
涙の玉の緒も絶す重る憂思ひ 其儘座に泣居たる エゝ又しても/\ 云事聞ぬばいた女郎コレ吉兵衛
殿 折檻(せんかん)して又相談せう 替りには不足なれと夕べ手まへた小女郎め行口が有なら頼ますと 庭の小屋
より以前の小娘縄付の儘荒気なく引立出て見せければ輪抜しろ/\打詠め ムゝ年は往ねとまん
ざらてもない代物相談は跡にして マア預つて逝(いに)ましよと 駕へほり込先に立泣入深雪を白眼(にらみ)付
むだ骨折したとう女郎と呟き/\立帰る 跡に老女が尖り声エゝ何所へやつてもほり戻される しふとい


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子やの小瀬川て身を投ふとして死る命を助けた上 大まい拾両といふ金迄入 けふ迄養ふた義理を
忘れ 奉公いやかる恩しらずめ 賤しう育たぬやつと思ひ 手ぬるふすれば付上る アノ爰な 糟売女
めがうぬ アコリヤもふそろ/\と痛い療治をせにやならぬはいのと 焼き返つたる囲炉裏の鉄橋(てつきう) 片手に握
つて眼先へ突付 サア艾(もぐさ)いらすの一つ灸其美しい顔へすよふか サアソレハ顔(つら)かまちを突抜ふか アゝコレ申とふそ御堪忍
サアそれ程に悲しくば 丸山へ売て行と 云れて深雪は涙声 ノヲ丸山とやらは聞及ぶ唐土船の湊とやら 情なや
唐国の人に肌身を汚さるゝ君傾城の憂き勤め 是斗は御了簡 アムゝそんなら日向へ奉公にアゝコレ申日向とは夫
よりも遥か遠き日の本の 果と聞ば猶悲しいどふぞ都へ只の奉公 水仕の働きもいとひはしませぬお情お

慈悲と斗にて只手を合せ泣居たる ホゝゝゝエゝ味い事云わろしやはいのふ 水仕にやつてはコレ金にならぬわいの
コレ/\/\よい子じや程に アノ恩返しじやと思ふてナコレ婆に儲けさして下されいのサアそれは但し此鉄橋が喰らひたい
かアゝコレ申いやか/\何の/\何のいやと申ませふ/\/\ サア売れて行うサアそれはサア/\/\いやなら殺すがどふ
じややい ハアゝサア返答せい女郎めと 罵る声は噛付如く肝にこたへて此世から奈落沈む憂き思ひ 悲しさ恐さ
恐ろしさ 涙は胸に陸奥の安達ヶ原の黒づかに籠れる鬼の呵責にも 増るゝ責め苦に堪兼て逃行衿
髪引戻し邪見の皺腕に引すり廻し責せつてふ 見兼て千里は走り出エゝコレかゝ様余りじや
余りじやはいのとしぼなげに此女中を 情らしう助けたの イヤ命の親のと云しやんしても君傾城に売ふ


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とはよふ胴欲に云れた事 売ひでならぬ事なればかはりに私を売てたべと 縋り留るをふり放し コレ娘
エゝそなたの知た事しゃない そつちへ退ていや/\ アゝイヤ何ほふでも此子は売さぬわしと/\と 争ふをエゝ
面倒なと突退て かよはき深雪をてう/\/\ 焼鉄橋の続け打ち アツト一声反り返り其儘庭に倒れ伏
ノウいとしやと泣入千里老女も今更詮方も呆れ 果たる折こそ有 麓の方より手下の眼太息を
切て欠来り イヤコレお頭 大名の金飛脚此麓で追取巻まぶな仕事と仲間の者汗水かけ共手強い
奴とふやらこつちが覚束ない早ふ加勢と云捨て飛が如くに引返す聞より老女恟り仰天浮洲は居
ぬかといふ内も 老のいら立傍らなる心に覚の一腰かい込 裾ばせ折てかけ出るを ノウ情なやと留る娘 引退

/\力足麓をさして走り行 跡に娘はうろ/\とあなたこなたを気遣ふ内 一間を出る浮洲の仁三 千里は見る
よりヲゝよい所へ仁三郎様何やら事が起つた迚かゝ様は今梺(ふもと)へ ガマア差留つて此女中をどふぞ助る仕様はない
かいなァ サアどふといふて外に何にもヲゝソレ/\ 幸ひ頭の留守の間に 今の守をサア/\早ふ アイ/\合点も女房顔
千里は納戸へかけり行 浮洲は深雪を抱抱へ胸撫おろせば手に障る守り袋の中改め ムゝ芸州岸戸の
家中 秋月弓之助が娘深雪ムゝと心に一思案 手早にあ納る程もなく 娘は守の箱携へいそ/\として
立出る サア/\どふやら取て来た かゝ様の戻らしやんせぬ其中に早ふ/\と手に渡せば 箱追取
て恭々敷深雪が額に押当れは守の奇特忽に 息吹返し邊りを詠め ヤアお前は娘御ヲゝ気が


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付たかへ アゝ嬉しや/\コレ幸ひかゝ様は留守なれば 此間に早ふ行しやんせと 聞て深雪は飛立斗嬉し涙に
くれ居たる コレ/\女中 此坂を左りへ取は御影へ出る近道頭が戻らぬ其内に サアちやつと/\とに手を合せ 忝ふ
ござんする死でも御恩は忘れしと膝もわな/\立兼て漸遁れ落て行 浮洲は守に目も放さず 何
思ひけん有合鉄橋 取より早く守の箱はつしと砕けは驚く千里見向もやらず錦の袋中?出る状取上 ムゝ
扨モ/\ 山岡玄妻の内通の密書又此守こそ大内家の重宝薬王樹扨は主の老女と云は大友の
残党謀反人の同類よなと聞て千里は何と云んす アノかゝ様を謀反人とはへホゝゝ先年玉橋の局
と偽り大内家へ入込 薬王樹を衒り取しは此家の老女 縁につれたるおことなれば妹背の縁も是限り

と詞尖(するど)に云放し 一間の内へ欠入たり 娘は悲しさハアはつと 其儘そこに泣倒れ正体涙の折からに斯とはしらず主
の老女 心も足もいきせきと 我家の内へ欠戻り破(やれ)たる箱を見て恟り ヤアコリヤ娘大切成守の箱 何者が此
仕業サア/\子細はとふじや/\と問詰れ 隠し持たる懐剣を咽(のんど)にかはと突立たり老女は恟り其手に縋り
コリヤ/\娘何故の此最後と抱かゝへて介抱に 娘は苦しき息を継ぎ ノウかゝ様堪忍して下さんせ 語るも便
なき事ながら 恋の媒(なかだち)頼んたる義理を思ふて最前の 女中を助んと 仁三郎様の差図にまかせ大事の
守を取出し 戴せば忽に息吹返す即座の奇特 幸ひ此場を落せしが思ひも寄ず仁三郎様守
の箱を打砕き中に添たる状を見て 情なやお前をば謀反人の山岡とやらが同類迚折角結んた妹背


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の縁切放されし其悲しさ 迚も添れぬ悪縁と思ひ切ても切られぬ因果 斯成事も大切な宝を
失ふ斗りかは 大事を人にしらせたる 云訳なさの此最後と 語るを聞て老女荒妙 眼をいからし声ふる
はし ムゝ扨は浮洲の仁三といふは古主の仇たる大内家の廻し者で有たよな エゝそれともしらす気を赦し折角
手に入宝を奪はれ 現在娘を殺せしも元の根ざしは アノ二才め イデ掴み殺して腹いんと 身繕ひして荒々
敷 一間の障子引明れは 内にすつくと浮洲の仁三 以前の姿引かへて 進賢の冠羅稜の唐腹宝を
守護して立たるは股をくゞりし韓信が 大元帥の位に付拝賀を請ぜじ勢にあれし老女も気を呑れ只茫
然たる斗也強気(がうき)の荒妙高笑ひ ムゝハゝハゝゝゝヤア納過たる汝が振舞 娘の敵宝の盗賊 サア/\/\観念

せよと詰寄ば ちつ共動ぜずはつたとねめ付 ヤア盗賊とは案外なり 得より入込某こそ浮洲の仁三郎
とは汝を斗らん仮の名誠は大内家の随臣駒沢次郎左衛門が弟同苗三郎春次我幼年の頃父了庵に
勘当請成人に従ひ先非を悔て大明国へ押渡り彼の地の醫官と迄成しか共日本に在す父の慕はし
く仕を辞して帰朝せしに父は早病死の跡 思ひ合せばああ近間(さいつころ)多々羅の濱て怪しき老女 慥に薬王樹
の盗賊住家は麻耶と聞きしゆへ大友の残党浮洲の仁三と偽り 此家へ入込興只今紛失せし
薬王樹を奪返せしも娘千里が志難面(つれなき)我に操を立生害せし貞心義烈謀反の余類
と云ながら 過分至極と落涙を 聞て老女は物をも云ず 持たる脇差腹にくつと突立れば


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ノウ何故の御最後と 取付嘆く手負の顔 打詠め涙を浮め エゝ是非もなき御運の末 誠御身は
我子に有で御主君大友宗鎮様の忘れ筐菊姫君でござるはいの エゝヲゝ御合点の行ぬは御尤/\
アゝ思ひ出せば二昔御父大友宗鎮様足利の天下を掌握せんと 謀叛の旗を 上給ひ討手遅しと
待所に 案に違はす大内義隆手勢すぐつて三万余騎 豊前の国へ攻下り小倉が城を取囲み 息
をしも継ず揉立る 味方も爰を敗られしと 矢種惜まず差詰引詰射出す 矢先は雨あられ
篠を乱して降ことく 矢庭に城下が死骸の山初度の軍は打勝しが 其後数度の合戦に大将始
数多の軍兵 水の手切て落城す 最後の際に宗鎮様 わらはを近く招き寄せ其方何卒姫を

伴いひ落延て命ながらへ守(もり)育て 成人の後は尼共なし 父が菩提を弔はせよと主命辞する所なく漸
城を落延て毒蛇の口をのかれしぞや 忍び御世に出さん物と海賊人買の悪業もまさかの時の軍
用金又玉橋の局と偽り薬王樹を奪取しは 大内家を滅亡させ二つには祈祷にこと寄媚(みめ)よき女を
見置ては手下に云付勾引(かどわかし)君傾城に売渡せし 其罪科が報ひ/\て姫君の身の仇と成なるは皆
わらはがなせし業 赦してたべと取付て悔み嘆けば菊姫は いとゞ涙にむせかへりノウ自ら迚も仇になしたる
身の徒 そなたの最後も自ら故 こらへてたもと斗りにて嘆けば老女は猶せき上 ヲよふ云て下さつた
翌をも知らぬ老の身の死るは元より覚悟のまへそれに引かへ姫君の恋こがれたる其人に 一日片時


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添しもせず 盛りの花をむざ/\と無常の風にちらすかと 主従手に手を取かはしわつと斗りにむせ
返レバ心を察し春次も不便と見やる両眼にたばしる涙はら/\/\ふり積む雪も一時解けて流れて 谷
川の水も淵なず如く也 かゝる嘆きも白雪の道を蹴立て欠来る関助庭先踊り入 ヤア我を欺き
山路に迷はせ 討んと斗りし狸婆天罰報ふてくたばつたか深雪様を勾引何所へやつた サア正直に
白状ひろげ何と/\と詰寄ば 三郎声かけ先待れよ 我こそ駒沢了庵が二男三郎春次也 とくより此
家へ入込で始終の子細は皆聞た御邊は尋る深雪といふは我兄二郎左衛門と兼て縁邊の契約有こと
某兼て聞及ぶ最前守りに書付有て秋月か娘とは察したる故此家の千里と云合都をさして

落せしと 聞て関助小踊りし ハゝ有難し/\お礼は重ねて心もせけば早お暇と欠行向ふへ芦から
殿蔵飛で出 ヤア聞いた/\ 浮洲の仁三と云は大内家の浪人 此通り山岡殿へ注進と 逸足出して
欠行を エゝイと打たる小柄の手裏剣 たしろく所を関助付入抜ても見せすから竹割 ホゝゝ潔よし/\
山岡玄番か逆意の企て得よりそれと知たれども紛失したる?符尊像奪返す迄荒立がたし
此密書をおとりにして玄番を亡す我術(てだて)堅固て関助と 勇み立たる其有様 手負の老女は
声を上エオゝ遖々 カ只いたはしきは菊姫殿 最後婆が一つの願ひ 此世の縁は薄く共未来を結ぶ
夫婦の盃 声届けて下され春次様 ホ切成老女か願に任せ 尽未来迄替らぬ夫婦 半座を分て待れよと


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詞に嬉しく二人の手負 手を合したる悦び涙 ホゝ其媒(なかだち)は此関助と 心を汲取かいげ杓是や末
期の水盃冥途の旅へ嫁入の儀式をまねぶ三々九度 苦しき中にもにつこりと笑顔は娑
婆の色直し 雪の白髪の尉ならて 姥もあへなく介添の弥陀の浄土へ犬張子血しほの
紅に染てやる野辺の送り火消へ果し草葉の露の玉の輿 哀れはかなき契りなり