生写朝顔話 四ノ口 浜松の段

 

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     ニ10-00109

 


71 右頁

 濱松のたん
思ふこと 儘ならぬこそ浮世とは 誰が古への託ち云 今は我身の上にふる涙の雨の晴間なく 哀れ
や深雪は数々のうさ重りて目かいさへ泣潰したる盲目の 力と頼む物迚は わつかに細き竹の杖

有にかいなき玉の緒の切も果ざる三味の糸 露命をつなぐよすかにと背にわいかけしほ/\と 心の
闇路たどりくる 跡に大勢里童てん手に竹切振廻し ソレ/\朝顔の乞食目くら叩け/\打よ/\と 取廻す
アゝコレ/\目の見へぬ者を其様にはせぬ物じやはいな どれも/\よいお子様や 今度よい物が有たら上ふぞへ
エゝいやじやはい乞食に誰が物貰はふもんで ナア次郎坊ヲゝそふしや/\あたぎたない乞食の物貰はふ
物かい そんな事ぬかしたか コリヤ斯じやと惣々が竹で打やら石打やら育ても下主のわんばく共 よつてかゝつて
さいなまれ アゝコレ/\モウ再び云やしませぬ こらへて下され誤たと 土にひれふし侘ければ ヲゝ泣て誤る
なら堪忍してやろサア皆こいいつもの土手で芝居こと 五郎よ次郎よと呼連て道くさしながら走り行跡に


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深雪はわつと泣 エゝ浅ましや情なや 誰有ふ岸戸の家老秋月弓之助が娘共云れし身が いかに落ぶれ
たればとて 筋目もない里の子に乞食よ非人と打叩かれ 誤りましたは何事と身を抱しめてどふと伏
託ち涙そいぢらしき あら尊(たふ)と導き玉へ観音寺 遠き国よりはる/\と 乳人浅香は浅からぬ嘆きも
身にぞ笈摺の 深雪の行方尋んと思ひ立たる巡礼も辛苦憂き身のやつれ笠露の舎(やど)りも
取兼て杖を力に歩み寄 コレ/\女中卒爾ながらチトお尋ねたいこと 音のふ声に泣顔隠し ヲゝコレハマアとなた様かは
存しませぬが私目界の見へぬ者 カマア何ことのお尋そと 云物ごしのつまはづれとふやら尋る其人ににたと
思へど形かたち是は非人ことに盲目心の迷ひと 思ひ返し ホゝゝゝヲゝわしとした事が麁相な目界の見へぬ

お人に問ふ事はいな物なれど若し此街道を年の頃は十六七 媚容(みめかたち)人に勝れやしき育ちの大振袖 供をも
連す只一人 通られし様子をは もし聞はなされぬかと いふに正しく我身の上と 胸騒ぎしが待て暫し 世の中
に似た声の人にたことのなきに有ずと思ひ返し ヲゝそれはマア笑止な事や往来(ゆきゝ)も繁き此街道女中
の一人旅は幾人といふ限りなし 左様にお尋なされては中々しれふ様もなし ガマア国はうづく名は何と申升へ
サレバイナ国は芸州福岡 名は深雪様といふは弥乳母浅香ヤレなつかしやと云たさも 落ぶれ果し今の身を
われと名乗るも面(おもて)伏殊にそれぞと云ならば連ていなれて父母にとの顔さけてまみゆべき 罪深き
事ながら偽りすかして帰さんと猶も声をくろまして ヲゝ成程慥かそんな噂も聞たれど其女中は


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国を出てより様々の憂目に逢漸のがれ此邊迄は来られしが どふしたことか四五日前に渕川へ身を投て
死しやんたと人の噂たとへとの様に尋てももふ 逢事は成まいと聞て浅香は ヤア/\/\何其女中身を
投て ハアはつと斗に身を打伏前後正体泣居たる 深雪も共に悲しさの 涙かくして傍に寄 コレ申女中様
悲しいはお道理ながら 老少不定の予の習ひ 定まりことと諦めて早ふ国へお帰りなされ跡弔ふてお上なさる
が仏の為 海山かけし長の旅随分怪我のないやうにと 云つゝ立てかけ小やへ さぐり/\て入相の鐘に哀を添
にける 跡に浅香はうつとりと涙ながらの一人言 エゝコレ申聞へませぬそへ深雪様 家出なされし其ときも
一言明して下さつたら仕様もよふも有ふ物アゝおいとしや奥様はお前のことを苦に病て明ても暮て

も泣て斗果は重き病ふの床死る今際の際迄も どふぞ尋て連帰りせめて位牌に無事な顔を
合してくれよと私への遺言夫故忌の明をまたす国々廻る巡礼もおまへに逢ふ斗じやになぜ死では
下さんした わしやお位牌へ云訳を何とせふそと身をもだへ 恨る人は目のまへに有共しらぬくどき泣
声に深雪は身も世もあられす 袖をかみしめ耳をおさへ泣き声立しと喰しばりこらへ/\しくるしさは骨
も砕る斗にて泣よりも猶つらかりし乱る心押しづめ 浅香涙の顔を上 アゝ我ながら愚痴のいたり
いつ迄いふてもかへらぬと此上は菩提の尋打残りたる礼所を廻り 早ふ国へ帰りませう そふじや/\
と立上り小家の君にかけ寄て イヤ申女中様いかいお世話でござりました モウおさらばと夕月に別れを


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告て行過しが何か心に頷きて木陰に忍び窺ふとも 知ぬ目しいの悲しさに思はず小やをまろび出
乳母の行方はそなたぞと 見へぬなからに延上り コレイノコレ浅香今云たは偽り尋る深雪はわしじや
わいの声を聞た其時は飛立やうに有たれどもな 浅ましい/\此形でトウマア顔が合されふ とは云ながら
わしが身をよく/\大事と思へばこそ 海山こへて憂き苦労廻り合は逢ながら 胴欲にもよそ/\しふ
云ていなした心の内マゝゝゝどの様に有ふぞいの只何ことも是迄の約束事と諦めてコレ堪忍してたも/\
や取分て悲しいは是程不孝な此わしをやつぱり子しやと思し召身の徒を苦にやんでお果なされた
母様の 死目に合ぬのみならず御命日さへ露しらずはかないことがエゝマあるかいのふ思へば/\浅ましや

親々の罪斗でも目が潰れいて何とせふ 殺してたべと斗にて こらへ/\し溜涙わつと叫びて身をなけ伏前後
正体なき沈む 立聞浅香も忍び兼わつと一声泣出せば 扨はそこにと深雪が驚きこけつ転(まろ)びつ
逃行を 縋り留て声ふるはし コレマア/\待て下さんせいのふ 姿形かはつても一目にも見違ねども 名のり
かけても中々に明されぬ気しつと知た故 余所ことに云なして 木蔭に隠れて始終の様子 立聞したも尽
せぬ縁 去ながら此年月骨身を砕き漸尋逢た物心憎ふいなそふとそりや胴欲じや/\ 聞へ
ませぬはいなァエゝ其恨は?りながら 今も今迚云通り身の徒で此様に落ぶれ果体(なり)かたち どふマア
それと名乗られふわしが心の悲しさを 思ひやつてかんならす叱りつてたもるな誤つたと縋り嘆けば何の


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マア叱りませう たとへどのやふにおなされても 廻り合たがわしや嬉しい とは云物の是は又 あんまりな
落ぶれやう 日頃の辛苦が思ひやられて わしや/\此胸か裂るやうにござりますはいのふ シタガコレお気遣
なされますな 私が産の親古部三郎兵衛と云人小夜の中山の邉にながらへて居さんすとの事 肌身放さぬ
守り刀それを証拠に廻り逢 阿曽次郎様の有家を訪ねきつとお逢せ申ませよカ何をいふても爰は
街道 宿有方へ急かんと泣入深雪をいたはりて 立上る折こそ有 夜道ほか/\輪抜吉兵衛 よいことかなと蚤とり
眼二人がそふり物ぐさしと傍へ立寄提灯の火影に深雪が顔打詠め ヨウわりやいつぞや麻耶の
婆に百両で直を極た娘 いつの間に乱てかくれにはなりおつたそいしかし医者にかけたら治らぬとも

有まい何分元手いらずの勝負物ドレ拾ふてやろと手を取を浅香は引退気色をかへ ヤア女と思ひ慮外
仕やると放しはせじと 杖追取 仕廻し刀抜かくる其手を押へて ムゝハゝハゝゝとりややい輪抜吉兵衛といふてな日本国を
股にかける人買い商売鰹かきひねくり廻してもひく共する男しやないぼろその下つた乱れせふより
売れて絹のへゝきいと てうける詞聞兼て イヤ推参な勾引(かどわかし)見事売なら売て見やと抜放して
切込刀さしつたかと身をかはし もふ百ねんめと輪抜も 同しく旅差抜放し 観念せよと切結ふ 深
雪はあせれと盲目の何と詮方並木原 二人は打合ふ月明り爰をせんとぞ一いどみあふいかゞしけん
わな抜か石に 躓き真逆様転ぶを得たりと起しも立ずかた背も分らぬめつた切 さし物悪者


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七転八倒のた打廻つて死たるは心地よくこそ見へにけり 浅香はしつかと留めの刀 サア/\嬉しや深雪様
悪者しとめましたと いふ内よりも心のたるみ其傍そこに倒れ伏深雪はこは/\さぐりより いたはる
手先にしたふのりヤア/\/\そなたも手疵負やつたか なふ悲しやと抱かゝへ 浅香いのふ/\と 声を
涙に呼生れは生呼かへし目をひらき ヲゝ深雪様お身に穢我はなかりしがイヤ/\わしは何ともせぬが
そなたの手疵が気遣ひな 気を慥に持てたもと 取付嘆けばアノコレ声が高いわたしはほんのかすり手
気遣ふことはござりませぬ カもしものことが有た時は最前申した古部三郎といふ人に此守りを証拠
に廻り合 今宵の訳をお咄し有て何角(なにか)のことをお頼みあれ必ずお忘れ遊ばすナヤ 誰も見ぬうちお出と

刀を納め深雪が背におわすも涙ふる三味のいつかむかしに かへらふ尾いとゞもつるゝ心をば てんじかへても
手疵のいたみ もうもくならぬ我身さへ杖を力に立上り女心も張つめし 弓はり月の夜半のかね
つくす忠義の一筋道伴ひてこそ「急き行