生写朝顔話 四ノ切 宿屋の段 口 (嶋田宿笑い薬の段)

 

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                  ニ10-00109

 


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 宿やのたん 口(嶋田宿笑い薬の段)
行空の 足並早き雲助か?(かせ)き隙なき東海道 傳馬人足歩荷物 吸付歩む煙草さへ 五十三次打つゝく
中に賑ふ嶋田の宿 所名うての内証よし 名さへ戎や徳右衛門 仕似せも廣き十間間に 店は講札講印かけ
渡したる暖簾も 風にひらめく吹付繁昌類ひなかりける逗留客の萩の祐仙一間の内より歩み出


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コレ/\女中衆 ちよと尋たいことが有 外のことでもないが 奥の客人は中国大内家の御用人方であろ ワレなれば萩の
祐仙でござるちよとおめにかゝりたいと申てくりやれ ハイ/\呼ませふと お嬪は立て入にけり 斯としらせに岩代
多喜太 一間より立出れば コレハ/\岩代様 先ず以て健勝で ヲゝ誰かと思へば萩の祐仙 久々対面身共に逢たいとは
いか成と サレハ/\先達ての御状にては新参の駒沢が諫言にて殿には御本心になられ運八殿の最期の由それに則玄番
様?の此御状と 渡せば受取一見し ヲゝ大義/\身共迚も何かに付て 邪魔に成駒沢め何ぞ密かに害せんと昨日海道
にて笆(ませ)久蔵といふ浪人を連帰り 委細の密事申含め奥の間の下やへ忍はせ置たヤそれはよい手筈もし其手で
いぬ時は下拙が手製の コゝコレ此痺薬を 薄茶に交て飲す時は忽ち五体しびれ死人も同前刺殺すに手間

隙いらず 又此丸薬は則解薬これを先へ呑置は少しも酔さる大妙薬 カ時に申さぬとは聞へませぬか 首尾
よふ参れば 御ほうびをハゝずつしりと戴きとふ存しますヲゝ出かす/\ 先ずこれは当座のほうひと差出せば押戴き
コレハ/\忝い何かは後程ヲゝ万事ぬかりのない様と 云つゝ立て岩代は 元のざしきへ入にける 跡に祐仙独り笑み味(うま)いぞ/\
当座のほうびが先ず拾両 さらば是から湯のしかけと云つゝあたり見廻して件の薬を湯の中へそつとほり込蓋
ひつしやり 斯して置て駒沢が戻り次第にふり立て 我等が先へ腹加減解薬の丸子でしらしん駒沢めは忽ちく
にや/\/\/\と 悦び勇む其所へ 奥よりいきせき下女お鍋申し/\お客のお呼なさる早う/\とせり立る
声に恟り祐仙はそしらぬ顔でをくへ入る始終窺ひ徳右衛門そろ/\出て跡打ながめ 最前から様子を聞ば何やら


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怪しいアノ薬 駒沢様へ申上ふか イヤ/\夫では却て当り障りとふでよい思案が有そふな物しやヲゝソレヨ昨日松原で
買て置た笑ひ薬 アノ鉄瓶の湯をかへて ヲゝそふしや/\と手早に懐中の 薬をふり込蓋をしめ 斯して置てま
さかの時は ヲツトよし/\と 心で頷き徳右衛門勝手へこそは入にけり かゝる折から立帰る駒沢次郎左衛門 足音ソツト岩代
多喜太祐仙伴ひ出迎ひ コレハ/\駒沢氏嘸疲れ先々是へ イヤ何祐仙 其方は平生茶好定めて茶箱も用
意しつらん ソレ駒沢殿へ一服立て進ぜませいと云に祐仙空とぼけ コレハ/\岩代様私風情の麁(そ)茶を御所望
とは冥加ない殊にあなた様はヲゝサ是か則駒沢氏 殿御帰国の先触れ宿々の欠引にて只今御帰宿 御遠慮深い
お人 され共元来茶の道には執心用意の薄茶 サゝ所望だ/\ハゝコレハ/\ 中々あなた様へ上升やうな茶ては

厶りませねど御所望とは身の面目苦しからずば何腹成と召上られ下されふと 追従さら/\立上り 茶箱
取出し毒薬の工みの裏?かゝれし共 しらぬ手前のしかつべらしく ふり立て差出せば 岩代多喜太詞を改め
イサ駒沢氏と取次所 ヤ先々暫くと徳右衛門 恐れながらと座敷出 憚ながら旦那様いかゞしい申ことなから数代
お出入の殿様の 御家来たるあなた方私方て煮炊きの物は此爰に限らず吟味に吟味を致した上指し上
ませねば千に一つ麁相か厶りました時は 此徳兵衛が越(をち)度泊り合したあなたのお茶サ御如才の有ふ様は
ないけれども めつたにはナ申と目顔で知せば岩代多喜太 ヤアいらざるうぬか馬(ば)鎌倉身が入魂(じつこん)の萩の
祐仙茶に毒薬ても仕込有かと疑ふて申のか アゝイヤ全く左様でござりませねと ムゝ然らば差留た駒沢殿


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の手前といひ サ今一言いつて見よ真二つに打放すと ざつぱ廻せば祐仙押留 アゝイヤ先々お待なされませエゝ
貴公様の御立腹は御尤なれと 徳兵衛の申す所も又一理有 ヤ斯致そ下拙が毒見仕り 其上ににて駒沢様へさし
上ませふ 何と徳兵衛それで云分は有まいがや イヤモ御自分にお毒見なされる程 慥なことはござりませぬヲゝそふ
有ふ/\ カ其替り何こともない時は此祐仙か了簡せぬか合点か ヤモ夫はせひに及びませぬ御存分に成升ふ
ヲゝ面白い/\ きつと言葉をつがふたそよ トレ毒味を致そふと 茶碗取寄そこらをきよろ/\見振にて解薬の
丸子そふと呑たあらぬ顔して件の薄茶雫も残さず呑尽し ヲゝヲイ徳右衛門ちよつと出やサ 見たか 此通り
じや徳右衛門是でも別条か有かサどふじやと 己が工みの薬とは 取替有とは夢にもしらず サア徳右衛門

ヤ戎や徳右衛門 えび徳約束じや夫へムゝムゝムゝゝゝ直れ/\ イヤモ段々誤りました 真平御免下さりませ ヤ何じやムゝゝゝムゝゝゝ
御免下されいも気が強いわい ハゝゝゝハゝゝゝエゝおかしなくぞ/\ エヘゝゝハゝゝ コリヤヤイ徳衛門了簡ならぬぞ ハゝゝゝハゝゝゝ 己マア 是なりに
済そふ ハゝゝゝハゝゝゝあまりのことて腹がよれるはい ハゝゝゝハゝゝゝ一体こりや何のことじややい ハゝゝゝハゝゝゝ何じやしらぬがむせうにおかしく成てきた
わい ハゝゝゝアハゝゝゝ 岩代見兼て コリヤ/\祐仙 おかしくもないこと笑はずと早く駒沢殿へ差上ぬか ハイハゝゝゝハゝゝゝ成程/\ ハゝゝゝハゝゝゝ只今
差上升はい ハゝゝゝハゝゝゝ 暫くお待下され ハゝゝゝハゝゝゝハテめんような ハゝゝゝハゝゝゝ笑ふまいと思ふ程猶 ハゝゝゝハゝゝゝコリヤたまらん臍がさける ハゝゝゝハゝゝゝ ヤイ/\
やわけ者め何が其やうにおかしい 身共は格別駒沢殿へ無礼で有ふそ ハイ ハゝゝゝハゝゝゝ 左様にお腹は立られな下拙も笑いたい
ことはないけれと ハゝゝゝハゝゝゝ 何が腹の底から湧き出るやうに ハゝゝゝハゝゝゝ 是では徳右衛門へ押がきかん ハゝゝゝハゝゝゝ アゝ苦しい堪忍して


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くれ誤つた/\ ハゝゝゝハゝゝゝイヤ/\心を取出しモウ笑はん おれも男じや笑んといふたら笑はんおれを誰じやと思ふか萩の祐仙
様じや 何の其何じやいふているは ソンナじやない/\ ハゝゝゝハゝゝゝコレ/\徳右衛門中直りせふ程に ハゝゝゝハゝゝゝ其替り医者を呼んで
ハゝゝゝハゝゝゝ 医者が医者を頼むは卑怯なれど 是はおれが手療治ではいかんわい ハゝゝゝハゝゝゝコリヤ何でも笑癪といふ物
かしらん ハゝゝゝハゝゝゝ コリヤ徳右衛門もふ何にも云ぬ誤つた/\ ハゝゝゝハゝゝゝ早ふ医者を呼てくれ腹が立程おかしいはい ハゝゝゝハゝゝゝエゝ
忌々しいはいハゝゝゝハゝゝゝ肺蔵も腎臓も腹の中で宿替てるやうな ハゝゝゝハゝゝゝ ヲゝイ宿替待てくれ付物の応対も
せにやならん ハゝゝゝハゝゝゝコリヤモウ五臓六腑が チヨイちょい踊初めたと すり替た薬故とはいざしらず 果は茶箱も蹴ちらし
て笑ひ入こそ正体なき姿に呆れ岩代多喜太 はかり戎や徳右衛門おかしさ隠す斗也 短気の岩代くつとせき上

ヤア大馬鹿者の萩の祐仙 笑ひ止ず手は見せぬと 力身かへれば恟りしながら 手を合してもとまらぬ
笑ひ ハゝゝゝめつそふな/\ハゝゝゝ御ヲホゝゝゝ 了ヲホゝゝゝ 簡ムゝゝゝアハゝゝゝ と詫る詞もあやちなく笑ひ薬の効き目とはしらぬ
祐仙息はつませ転(こけ)つ笑ひつ ハゝゝゝ逃て行 案に相違の岩代は 呆れ果たる仏頂面 エゝ様々の馬鹿者にかゝり
湯に入を忘れた ヤ亭主め うぬよく邪魔をヤイきり/\風呂へ案内ひろげと それ共得云ずむしやくしや
腹 席を蹴立て廊下口跡に心を奥の間の 我座敷へと 駒沢も座を立てこそ入にける