生写朝顔話 四ノ切の続き 大井川の段

 

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    ニ10-00109

 

87 右頁二行目下 (大井川の段

「追て行 名に高き街道一の大井川     
しのを乱して降雨に打交たるはたゝかみ 漲る落る水音は物凄くも又すさましく 夫をしたふ念力
に道の難所も見へぬ目も いとはぬ深雪がこけつ転(まろ)びつ漸爰に川の傍 ノウ川越達駒沢次郎左衛門様
と云お侍 もふ川をお越なされたかまだか聞して/\と いふ声さへも 息切の声に川越口々に ヲゝ其侍今の
先渡つた カ俄かの大水で川が留つた 笑止/\と斗にて皆ちり/\に行過る ヤアナニ川が留つた ハゝア悲しやと張詰し
力も落て伏転ひ前後ふかくに取けるが 又起直つて見へぬ目に空をにらんて 天道様エゝ聞へませぬ

/\/\わいな此とし月の艱難辛苦も どふぞ最一度其人に 逢してたべと片時も祈らぬ間迚もない物を
けふに限つて此大雨川留とは/\ エゝ何ことそいの 思へば此身は先の世で いか成ことを罪せしぞ扨も/\ あぢきなき
こがれ/\た其人に逢てもしらぬ盲目の 此目はいか成悪業ぞや夫の跡を恋したひ 石に成たる松浦
潟ひれふる山の悲しみも 身にくらぶれては数ならず三千世界を尋てもこんな因果が又と世に 有べき
かへとくどき立 拳をにきり身をふるはし泣涕(りうてい)こがれ嘆きしは余所の見る目も哀れなり やゝ有て起直り
ヲゝそふじや/\ 迚も添れぬ身の業因此川水の増りしは 所詮死との事成べし未来で添を楽しみに 爰を
三途の岸と定め 弘誓(ぐぜい)の舩に法(のり)の道 急がん物と 泣くも 夫を恋し小石の数袖や袂に拾ひこみ


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なみだみだ仏の声諸共に既に飛んと其所へ ヤレお待なされ深雪様と声に恟りけしとむ内欠来る関
助徳右衛門 あはてし儘のかちはだし 斯と見るゟ抱留 マア/\お待なされませ イヤ/\誰かはしらねど放して/\ マア/\
待しやれ朝顔殿 ヲゝわしもこなさんの身が気遣ひさに走つて来た コレ関助殿とやらが見へたぞや マア下
郎めてごはりますと 無理に手を取抱退れば ムゝそふいふ声は関助がハゝア エゝ遅かつた/\/\わいの 此年月艱難
して 尋こがれや阿曽次郎様に 折角逢たに目くらの悲しさ それ共しらず別れたれど とふやらお声が気かゝり
戻つて聞ばやつぱり其人 己やれ追付ふと 跡追ふて来たれば此川留 エゝどふせふぞいのふ/\/\ ヲゝお道理だ/\
/\ 拙者めもあなた様の行方を尋廻る内 一昨日の夜の夢に 浅香殿に逢 則あなた様は嶋田の宿

戎や徳右衛門方にごあると云しやると思へば目が覚め シヤ何でもふしきと夜を日に継で参つたかひ有てすつて
のことにあふない所を ヤレ/\嬉しや下郎めがお目にかゝる上はお気遣ひなされますな 駒沢様に添せ申併し浅香殿
は坂東巡礼と成て東海道へ尋て見へる咎 カお逢なされしかなサレハイノ 其浅香に跡の月濱松で廻り逢たが其
夜悪者に出合数ヶ所の手疵死る今際にわしを呼中山の邉には私か産みの親 古部三郎兵衛と云人有此守り
刀を証拠に尋行秋月弓之助が娘と名のつて逢とおしへ可愛やついに死にやつたはいの ムゝスリヤ浅香殿には
最期とや ホイはつと斗驚く打ち始終聞いる徳右衛門 ムゝそんならおまへは秋月弓之助様の御息女様又浅香
と云は我娘で有たか マア私ことは其尋なさるゝ古部三郎兵衛と申者則あなた様の祖父(ぢい)秋月兵部様には三代相恩


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若気の誤り奥女中と忍び合 お手討に成所を弓之助様に助られ 女諸共国を立退き産落せしが女子の
子貧苦の中に育つる内一つの年に母は病死 男の手で育もならす伯母が方へ此短刀を添て養子にやりし
が廻り/\て思はずも親が命を助られし 秋月様へ御奉公死でも忠義を忘れす導きおつたか ヲゝ出かしおつた
な此上は深雪様へ 三郎兵衛かお土産と 件の短刀抜放し腹にぐつと突立れは 関助驚き押留め コレ何でこなた
は此最期死でお役に立ことか訳を聞して下されと いへばくるしき声を上 ヤレ嘆かれなかた/\最前駒沢様
の物語唐土伝来の目薬 甲子の年の男子の生血にて服する時は いか成眼病も即座に平癒と
のこと 某甲子の生れ成は我血汐をもつて件の薬を調合し 早くあなたへお進めなされサ早/\実もと関助

用意の水呑取出し手負の血汐受留/\ 泣入深雪が懐の妙薬取出し差寄れは深雪受取我夫の情に
余る玉ものと 押戴き/\ 只一口に呑干ば ふしきや忽両眼開きありの這ふ迄見へすくにそ深雪が嬉しさ人々も
祝ひ合そ道理也 アゝ嬉しや 最早此世に望なしいつれも さらばと刀引廻し 笛のくさりを刎切て名のみ流るゝ
大井川水のあはとぞ成にけり 跡や枕に取縋りわつと斗に泣深雪 露のひぬ間の朝顔も 開きし此日は
盲亀(もうき)の浮木(ふぼく)うどんけの 花に増りし夫の玉物一つには 我故此世に亡人かと取付嘆くを関助が 勇に亡骸
手舁の輿早明渡る鳥の声 山田の恵弥増り 重れる朝顔物語末の 世迄もいちしるし