桂川連理柵 信濃屋の段

 

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      ニ10-02409 

 

 

7 左頁

 信濃屋の段
桃の夭々(よう/\)雲も立ち 夏過き秋は嫁入の忌詞をも押小路柳の 馬場に
成る迄も縁長るれや京筋を 結納(ゆいいれ)物の信濃屋へ運ぶ帯屋の男共
先に立たせて入来るは 長右衛門が弟義兵衛 出迎ふ主の後家お石 是はマアお
媒酌(なかうど)長右衛門様の弟御 お手づからお慮外なお使い 男衆もマア/\爰へと挨拶
取々煙草盆 手代がはりは丁稚の長吉 飯焚のりん汲みたてる栄釜
もりん/\賑はしき 義兵衛は手をつき慇懃に 兄長右衛門申します 昨日申上げ


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た通り妻(さい)絹が親里油の小路 仏壇屋才右衛門より遣はしました結納(たのみ)の品々
目出たふお納め下されませ 何角は追付け参つた上 テモまあ御叮嚀なお云伝(ことづて)
隣ながらと申し 連合い治兵衛が居られました時から訳て御懇意 殊に娘お半が事
は ちいさい時から長右衛門様御夫婦のお世話の上 猶々お世話な今度の縁組 もふ
結納も来て私が安堵 心祝ひの雑煮も上げたし 目出たふ一献男衆もサア/\
こちへと挨拶に お辞宜は申さぬ御祝儀と 皆打連れて入にけり 跡に残るは長吉
一人 油の小路へ媒酌は長右衛門 スリヤお娘に心は残らぬしるし 此春石部のぱつちりは

ほんの其場の出来心 お寺様でも神様でも いつしよに寝たら助けちや
置かぬ ガ難儀ない今度の嫁入 どふぞこいつをぐれさして お半様をしめるこん
たん ヤコリヤ気づかひすな長吉 其工面はして置いた エゝヤア義兵衛様か そりや忝い
がどふいふ工面で サア其訳はナ われが兄の本当の五六 爰の内にはづきなしと聞た
ゆへ けふ侍(さぶ)に拵へて ナ 斯々する積り 出来た 夫レでは慥にこちから変改 南無長
吉が結ぶの神様 イヤ/\拝む事はない 此様に働くも舅の礫(つぶて)当てが有る ソレ先(せん)
度ちよつと聞た石部の泊りで すりかへた腰の物 贋共しらぬ長右衛門 研屋へ


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やつて出来上るはもふ二三日 蔵屋敷へ持て往たらえらいしくじり 所でわがみの
?(ゆが)めておきやつた 正真をおれにたもれば 尋ね出た顔をして 我等が持て上つたら
長右衛門はぶち上げられ 御用は鼻が承はる そこでは十分腰入て コリヤ世話をする
/\ 先ず丁稚道の苦しみを遁れさせ お半と女夫にする事請け合 ガまだ一つ
頼む事は お半が方から長右衛門へ 状やらぬ事はよもや有まい 其状ちよいといはし
てほしい 夫レを証拠にお半長右衛門が不義をぶちまき 母者人と二人して兄めを
ぼい出し 跡取は此義兵衛 兄嫁のお絹御前を拙が北の御方様 何とえらいか

/\ よし/\ そり互の為づくじや そんなら脇指を貴様の方へ イヤ/\ 今請取て
逝では目に立つ 六に当分預けておこ 夫レもよいは こんな事も有ふかと 状は
とふにたくつて置いた ガお娘と女夫になる様に サア7呑込だと請合ふ中 ソレ長
右衛門がと云捨てて二人は勝手へ走り行 折から帯屋長右衛門 上下改め一腰は
隣ながらも祝儀の出で立ち それと見るよりかけ出るお半 聞へぬわいな聞へぬと
縋り付たる 恨み泣 フウ聞へぬとは嫁入の事か おれが媒酌した訳はそなたと
此身が可愛から 元わしは捨子て有たを 死なれた爺御治兵衛殿が拾ひ上げ 五つ


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の年迄養育して 幸い子のない隣の帯屋へ 養子にやつて下さつたは 実の
親に勝つた大恩 臨終の枕元へ呼附け 江戸店に居る兄息子の治助より
案じるは妹のお半 年寄ての子は猶不憫な そなたおれに成かはつて 成人さしてよい
聟取 身の片めづきを頼むとの遺言は 子も同然に思はしやつた末期の頼み
お気づかひなさるゝなと 請合た本心に いかなる大魔が入れかはり 心の外も外過ぎ
た 石部の宿の新枕は 時の拍子といひながら 二人が因果か何たる報ひ
コレ爰をよふ聞き訳てたも さら/\そなたを嫌ふではなけれ共 今いふ通りの義理といひ

子に持たそふな小娘を そゝなかした道しらずと 世間の人の笑ひ草互いの親々
は元より 女房絹にも何といひ訳 斯いふ色事するからは まんざら子供と云れぬ
そなた モどふも顔は合されまい さすれば人のしらぬ中 おれが事は思ひ切り 油の小
路へ往てたもれば 親立へ義理も逹て 互に名さかは立ぬといふ物 おれが為じやと
堪忍して 腹を立てずと嫁入しや 絹が二親は結構者 聟の才治郎も若けれ
ど 気立はよし男もよし 夫レ故に急いだ媒酌 コレ聞き入れて機嫌よふ 祝言してたも
祝言をと 身を悔みたる涙声かき曇りたる くどき云(ごと) お半も涙の顔ふり上げ


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きのふけふ迄手習ひのお師匠様のおつしやつたは 姫ごぜは一生に夫といふは
誰一人 二人と肌をふれるのは女コではないといふ教へ 今川庭訓に云て有るの
を 忘れなとおつしやつたを覚へて居るソレ 伊勢参りの下向の時堅い石
部のお前をばわるい気にして 初床もちいさい時から抱歩斯可愛がられ
りやいとしうなり 広い世かいによいお方は 長右衛門様より有るまいと思へば 世間
の人様も結構な人 よいかへと聞けば嬉しく適遡(たまさか)に譏(そし)るお人は憎てらしく 物云ふ
事もいやな程 贔屓なお前故ならば嬶様に叱られふが 人が笑をが 構

はねと可愛がつて下さんす お絹様の思はくとお前を人に悪云すが悲しい
けれど何ぼでも わしや嫁入はいや/\とあどない気にも恋の意地膝に身
を投げ泣沈む 不便と思へど長右衛門 いやる所も尤なれど そりやほんの子供
心 よふ物を合点しや 色の恋のとは似たり寄たの年ばい おれは今年三十八
そなたは十四 おとなげないと行き過ぎた 鑑にする人の口の端 かゝらぬ中にどふで
嫁入 サイナ どふも其嫁入の ならぬ訳はと手を取て 腹の脇から内懐 是
じやによつてどふも嫁入は フ たつた一度で此腹のかさ 腹帯迄して居るは やゝ


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じやそふにござんする ホイ はつと当惑長右衛門差し俯いて詞なし お半は背(せな)を撫
おろし 今年始めて新玉の 月の障りの程もなふ伊勢から戻り着文衣
を 過ぎておかしいお腹の様子 袖に隠すも三月(みつき)か四月 梅の実の入五月(さつき)闇
心の闇も隠さるゝ たけはとつらい辛抱を思ひやつてと忍び泣き よしないおれ
故いぢらしい年端も行かぬ身の九郎 可愛や不便と抱きしめ涙に 涙
添へ居たる 勝手に聞へるお石が声 はつと二人は立別れ長右衛門は上り口 コレお半
ちよと御挨拶に来たと お石様へ申してたもと いふ高聲にお石はとつかは 是は/\

長右衛門様 扨マア段々お世話の上 先程は結納の数々 イヤモ時節柄故
心斗 早速縁組調ふて私迄も大慶夫レ故ちよつとお悦び 夫レはマア/\忝い
コレお半 ソレお盃云い付きやと 勝手へ立たせ母親は 娘の恋共皺のびて
心いそ/\打混じ咄しに笑ひを添にけり かゝる折しも表の方 苦み走つ
た侍一人 門口に打謦咳(?しわぶき) 信濃屋お石殿とは此家かな ハイ石と申すは則
私 あなた様はどれからと いふ中おうへに のしあがり 事の長ければかいつまんで申す
といふ別の事でもおりない 油の小路仏壇屋へ 是息女を縁談


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極まり 結納も参つたよし 戻してほしい イヤサ結納を戻し縁組の 変改が
して貰ひたい ヘエゝそりや又どふした様子で変改 サレバサ 仏壇屋才次郎
は 世間へ隠した女房が有る 外の女房に添はしともない 表向きから媒酌して
世間晴れた才治郎が女房にして呉は 武士と見込んで頼んだと 彼女が
泣きしみづき 頼むに引れぬ武士の役 夫レ故縁邊支へに参つた コレ
武士が手をさげる 聞き届けて変改頼むと 藪から傍若無人の侍
合盗(あいすり)の長吉義兵衛 勝手を立出で分別顔 いかさま 頼まれて引かぬ

は侍 隠し女房の有る聟に お半女郎をやつてから  純熟(じんじく)仕そふな事でも
なし ナア長吉 成程左様じや 申しお家様 お侍の頼みといひ こりや変改が
よござりましよぞへ 差し出な長吉 媒酌は此長右衛門 嫁入る先は小舅御
一つ家同前でも 他人と他人の義理は格別 お侍様へは気の毒なれど
変改は成ませぬ そりやお袋様悪い合点 気に入た妾(てかけ)の有る聟
折角嫁入りさしてからが 五日帰りに三くだり半 エ若い子をいとしなげに
ナア長吉 サイナ そこを思ふていふけれど ア金言耳に逆らふでごんす 何を


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ませた??(すつこん)で居い ヲイトせふ 申しお侍様 今も申す通り 変改の義
は御赦されて下さりませ イヤサ此刀が目に見へぬか 町人つれに武士
が手をさげ 云出した詞立たぬ迚 其ぶんに帰られふか イヤモ譬へお手
討に合ましても 変改はえゝ致しませぬ 仁義とやらいふ事を 表になさるが
お侍 よもや左様な無理な事も ヲゝ無理な事を云かけて 手討にするは無
理非道 といふて此儘帰つては 身が媒酌も水の泡 消へて行礼金を とらぬ
上に武士が立たぬ 座敷を借りて切腹すると 羽織脱ぎ捨て両肌(もろはだ)ぬげば

驚くお石二人の合盗(あいすり) 夫レは短気マア暫く わたくし共にお任せと 刀持つ手を
引き留めながら サアどふなされますお袋様 此家で腹切りが有たら 嫁入所
じや有まいぞへ ソレ/\ 悪ふ行たら身上は上り物 子飼の此長吉も
二君(じぐん)に仕へるが口惜い じやといふて変改はとふもならぬ 申しお侍様 そちら
でなさるゝ媒酌の お骨折程には有まいけれど 折角お出下された
御苦労休めに御酒なりと お上りなされて下されと おづ/\差出す
金の包み 一目見るより皺面(じやうめん)も 其儘かはる完尓(ほこ)/\顔仁体(じんたい)崩し手を


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もじ/\アゝこれ/\お侍様 金づくじや有まい ナソレ切腹りなされねば
お侍が立ちますまい けれそ そこをどふぞ仕やうもやうは 申しお家(え)様
お前の心たつた一つ 変改せふとおつしやりまあせ そふなければ忽ちべり
/\ アゝ合点の悪いお袋 マア長吉がいふ様に ヤアぶ返事は変改で
ぬな 目くさり金に眼これ 此儘済ます武士と思ふか 最早切腹り爰
放せと 二人を突退け抜放せば お石はハア/\二人は縋り サゝゝゝ 爰が思案
の四つ辻じや お袋 お家様 サア腹切らそふか サア夫レは サア/\/\ /\/\と往生ずく

め 最前より物をもいはず 始終を呑込む煙草をやめ 義兵衛 長吉
ざは/\せずとそこ放せ お石様 此金はマア納めて置かしやりませ
コレ兄貴 爰放したら腹へぐつしやり 長右衛門様 切たら跡はつい癒ぬぞへ
サゝ大事ない長右衛門が呑込だ コレお侍 無理な事でも侍の一言 立た
ねば切腹りするとは尤 サア さつぱりとやらしやりませ ヤアあの其方は
身が腹切るを ついに見た事がない ねらしう見物致そ ハテよふない
事を見たがるなァ えゝ切るまいと思はふが そこが武士だ 墨打なしに 十文


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字に切て見せふ どいつも止めなよ/\ いかな/\ 義兵衛も長吉も とめ
だてしたらほでもぐぞ サア切らんかいの ハテせはしない 身繕ひする間も
有るものと いひつゝ刃物逆手にとり 南無あみだ仏 どふじやとめぬ
か エゝ笑止な 腹の二つや三つ 切るぶんはおしまぬが 畳が汚れて迷惑で
有らふぞよ 南無あみだ仏 エゝ跡で難義をしおらふが 今腹切り留ぬ
か /\ アゝ儘よ 思ひ切て南無阿弥陀仏 /\と何遍も しやくつて
見れどとめ人なし アゝいや/\切られぬ/\ フウそりやなぜに ハテけふは血忌(いみ)

じやによしにせふ 殊に町人風情の事に 腹切ては名が捨(すた)る そふじや /\
と刃物を鞘 大かたそふで有りそな物 又何ぞに生(しやう)かへて 出なをして
来て見いと 病ひづかされしよげ/\と いぬる侍長吉は 底気味
悪ふ台所 兄貴跡からお暇と 義兵衛もどふやら胴震ひ 跡を
も見ずして立帰る おいしは嬉しく娘を呼出し 思ひがけない災難
を遁れたも皆おかげ 長右衛門様へお礼申しや 悪魔づらにかゝ
つて祝儀の盃遅(おそ)なつた 爰へ銚子も取ておじや イエ/\ 結納(たのみ)


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の祝儀の盃なら もふよしにして下さんせ わしや嫁入は否(いや)でござん
す 是はしたり又かいの わしと差向ひにいふとは違ふ お世話なされた
お方の前で 気随いふては世間が済まぬ 母親育ちのあまいからと 笑はす
のか不孝者 但し嫁入のならぬ様な 色事でも有ての事か ナア申し長右衛門
様 何のそんな事が有ろぞいな 併し其様に 天窓(あたま)こなしにいふては合点が行
まい わしはいんでこちの者おこそふ程に 合点の行やうにと 疵持つ足を
立上る 折から来る女房お絹 何やらもや/\とした事が有て お石様

お心づかひ それでちよつとお見舞に 夫レはマア/\御懇ろに忝い わざ
/\呼ましたに行たい所 サア/\爰へ小あがり口 コレお絹 よい所へよう
おじやつた アレ見や嫁入を否といふて 誤つた稲荷さま見るやうに
仕て居る 得心の行やうに よふ異見してやつてたも 此嫁入がひへ
ては 舅殿へどふも立ぬ そふでないかも云捨に帰る夫に入りかはる お
絹は笑顔ほれ/\と 先度からお石様に そしりはしりを聞いて居る
年の行かぬ中は こはい/\と思ふ斗て 誰しもいやと思へ共 灸(やいと)の皮


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切りと同じ事で 又嫁入さした跡は 案じた様な物じやない 殊に先は
外でもなし わしも当分往て居れば かい/\しい事もない 合点が往
たかとおかしみまぜ 勧める中にもしく/\涙 お前の手前も気
の毒なれど 嫁入はわしやいや/\ 堪忍して下さんせと身を捻
背け衿に顔 フウそふいはんすは 何ぞ物が有はいの ソレ忘れてかへ
去年大坂へ連て往た時 中山文七の芝居で 富十郎八百屋お七
イヤ面白い名人じや 狂言とは思はれぬ いぢらしいと夜船の口々 わしや

一つもいぢらしない なぜといはんせ 得手勝手な色事に引かされ 親
の定める縁付きを 嫌ふお七は不孝者 江戸中を引渡され 浮名
を鳴らした鈴の森 浅ましい死をしたも 親に不孝に有た罰(ばち)
お前はそふではなけれ共 親御の極めた婚礼を 嫌はんすればお七が
手本 不孝の罰で其身斗か 誰が名迄出やうやら そこをよふ思ひ
廻して ナナ これいのふ 是程いふてもかぶふらんすはどふ有りてもいやじや
な ハテそんならもふない縁じや 長右衛門殿が媒酌でも 私が弟に取り


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嫁入 さつぱり変改致します 結納の証は追っ付け取りにと 立上る裾に
取付き 常からお半が爺御共 頼みに思ふ長右衛門様 折角お世話なされ
た縁組 変改請るも娘の気瑞 否でも応でも得心させ 是非
共此子はやりまする 気にさはつたら幾重にも 堪忍して下さんせと
子ゆへに缺(かけ)る義理中を 繕ひし侘び口上 ヲゝ訳もないお石様 わたしや
一つも腹立たぬ 斯した事は何ぼも有り中(うち) すゝまぬ所へ無理にやつて
煩ひでも出ては気の毒 又嫌はれる女房もつては弟も顔が立たぬ

兎角波風ないやうに 何事も是切り/\ お半様 何にも気の毒
な事はない 遊ひにごんせと捌けよく 肌あたりよき隣のお絹 会釈
取々立帰れば 母も娘のしほれ顔 見れば持病の虫でもと気づかひ
半分可愛さに 異見も半分そこ/\に 連れて一間へ入相過ぎ 行燈(あんどう)
提げて下女のりん もや/\とやかましや お半様の屈託も皆色ゆへ
否(いや)やの/\ 色事やめてわしらはましと 門の戸 引き立て台所 夜業(よなべ)の糸素(いとそ)
綿車 舞戻つたる本間の五六 昼仕くじつた侍の形(なり)に引かへ頬かぶ


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此家を窺ひ門口を ぢり/\しめ明け見廻せど 弟が影もあらねの土
辺にはう/\縁の下 身をひそめてぞ待ち居たる お半は有るにも あらぬ
一間そつと抜け出で表の方 こらへし涙一時にわつと泣出す口小袖 当ても漏るる
振袖の脇より つたふ雨まさり 晴ぬ心を押しづめ 長右衛門様夫婦の異見 かゝ
様のお叱りを 無理とはさら/\思はねど 外(ほか)の男は持まいと 神々様へ誓言を
守つて見てもどふしても 思ふ人には添はれぬ身 義理や孝行缺(かく)上に 浮
名を立てられ居よふより 死んで此苦を助かろと しども泣き居る娘気は 突き

詰めたりし鏡台の 引出明けて 取出す 剃刀の刃の薄き縁 長右衛門様堪忍
して下さんせ お前の気に背いて 嫁入がいあやなゆへ わたしや今死にまする
お絹様といふお方が有れば 所詮女夫になられぬ此世 必ず/\未来では
年(とし)穿鑿(せんさく)せずと 女夫に成て下さんせへ お前より先へ死んで あの世へ
早ふ生れたら 老ひ女房と嫌はりようと わたしや夫レを案じます 取訳
てお絹様 是迄のお志しを むそくにした不義徒(いたづら) お赦しなされて下
さりませ 何よりもかゝ様が 嘸や嘆きと是斗りが 黄泉(よみぢ)の障りと忍び


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音(ね)に 泣くや女鹿(めしか)の夫(つま)乞ひて 世を秋風の身にぞしむ 気を取直す
剃刀を 跡よりたくつて其手をじつと ヤア長吉 見赦して殺してたも
ハテ無分別な 死んで花が咲かいの ソレ伊勢参りの下向の時 堅いお
前の石部をば 割て見よふと研ぎ立てた 玄翁(げんおふ)は間に合はず いかに伊勢
参宮じやてゝ 長右衛門様によふお初穂を上げさんしたの アゝこれ夫レを ヲツト
いはぬは いはぬはやつぱりお前が可愛さ コレどれ程に思はんしても 長
右衛門様とは年が合はぬ といふ我等は今年十八 アノ浄瑠璃やさいもんに

も 聞いて鬼門の角屋敷 お前はお染 内の子飼の久松は 左少(させう)ながら此長吉
丁と合ふたり叶ふたり 応なら直ぐに夯(かたげ)て退くサア/\サゝゝゝどふじや/\と引ずり寄せて 面皰(にきび)の頬
摺(ずり) エゝいやらしい放しおれと 突退けても放さばこそ 縁の下より伸び上る 兄が顔見
て まだ早い/\/\/\ ヤイ長吉 早いとは何が早いぞいやい サ夫レは ヲゝ夫レよ 日が暮れて
間がない故 連れて退くにはまだ早いと 云紛らして懐に隠した脇指またぐら
から そろ/\繰り出す縁がはに 心移して手元はお留守 下女のおりんが入かはり
お半を奥へ行燈(あんど)の火 吹き消す跡は恋慕の闇 お半様 こりやどふさん


22
すと いふをしるべに耳に口 囁くりんを喰た長吉 フウ顔見ては 恥かしい
と の給ふも理りかな 其心なら一時も 連れて行ふと手を引て 戸口をさぐる
忍び足 約速違へず門口へ 来たは義兵衛かソレ渡した よい様に頼むと
突きやるりん おつと合点と引っかたげ 長吉よ 器量に似合わぬ此お娘 アゝ
えらふうつぞよ シイとしづめる声聞付け 奥よりお石が差出す手燭
火かげを力に奪(ばひ)取る脇指 長吉アレ盗人が ホイと恟り戸をぴつしやり 投込む砂に
手燭の火 闇を便りと我が恋に あらぬ重荷を軽々(かろ/\゛)と足に 任せて 「急ぎ行

 

  下の巻・六角堂の段 へつづく