ひらかな盛衰記 初段 義仲館の段

 

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   イ14-00002-696

 

 義仲館の段

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時なれや 九重の空も閑(のどけ)き春の色 霞こめたる桧皮ぶき 美麗を尽し手を尽す
木曽殿の御館には御長男駒若君三つの長生(おひさき)いりはし わけて母君山吹御前 御
寵愛浅からず付添ふ女中御機嫌を 取々賑はふ其中にお傍離れぬお気
に入おふでといふて才発者しとやる手をつかへ 此春は珍らしうお国にかはつて都で年
をお重ね遊ばし 御祝儀申すも漸ときのふけふ 高鞍休める隙もなく又軍の戦ひ
のと心よからぬ世の騒 おあんじも尤ながら 四天王と呼れる一騎当千の人々に巴様も
向はせ給へば十が九つ味方の勝 お気づかひ遊ばすな したがなんぼ大力でも殿のお種

を身に持て 切ッつはつつはあぶな物 出物腫物所嫌はず ひよつと其場でけが
付たか サア自らも夫が気遣 殊更左孕(はらみ)と有ば報ひもない御男子 何事なう平産
あらば此駒若の弟御 今迄此子をかはゆがつて貰ふたかはり 自も心一ぱいいとしぼがりたい
早ふ抱て見たいはいの ホゝそりやしれた事 常さへどちらもお中がよふて お互にだき合ごく
らお情次第根(こん)次第 中に立た殿様もお嬉しからふと打笑ふ 折から告る先走 只今殿
様御帰殿と 呼はる声に家中のめん/\地に鼻付けて畏る 叢蘭(さうらん)茂(もつ)せんと欲すれ共
秋風(しうふう)是破るとかや 朝日将軍木曽義仲 てり輝ける物の具も龍に翼を


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得るごとき 威勢勇美の御粧ひしづ/\と入給へば 山吹御前出向ひ 是は/\思ひの外
早いお帰り そしてどうやら御顔持も勝れず 早ふ様子が聞ましたい されば/\ 兼て御身
も存知の通り鎌倉の討手 範頼義経夜を日についで攻め登れば 宇治の手は楯の
六郎根の井の小弥太を指し遣はし 勢田の手は今井の四郎兼平に固めさせ 猶又巴
も跡より打立といへ共 折悪ふ樋口の次郎は多田蔵人行家を攻ん為 河内国へ立
越(こしゆ)れば 味方は小勢敵の多勢にくらぶれば 十分が一中々?(たやす)く防ぐべき共覚ねば 某
も今出陣し 士卒のかけ引軍配せんと思ふに付 御暇乞の為院の御所へ参りしに 厳しく

門戸をさし固め物音だに聞へざれば せひなくすご/\帰つたり エゝ口惜や浅ましや 過つる
寿永二年砺並篠原両度の戦ひ 平家の大敵を切靡(なひけ)し勲功によつて朝
日将軍に補(ふ)せられ高名誉れを顕はせしに 今又平家に従つて朝敵謀叛
と呼るゝも 皆君の為天下の為心を砕くかいもなく 却て隔て疎んぜられ剰さへ鎌倉へ
追討の宣旨をくだし給はり一門弓箭(きうせん)を合せ 同姓(しやう)勝負を決する事 偏に君の
叡慮浅きに似たれ共 普天の下卒土の内 王土にあらざる所なければ是迚も
ぜひに及ばず 此上は片時(へんし)も早くかけ向ひ 腕限り攻め戦ひ潔く討死せんと 思ひ切たる


9
御顔色見るに悲しき山吹御前 扨はけふの出陣とくより覚悟遊ばして 討死なされん為
なるか さほど科なき御身の上 時節を待てなぜ申ひらきはなされぬぞ 心やすふ討死とお
前ばつかり合点して 此駒若や巴の胎内の お子はいとしう思されぬか あんまり気づよいどう
よくぞや どふぞお心ひるがへし お命恙なきやうの御了簡はない事かとすがり付て泣給へば
アゝおろか/\ 夫程の事弁へぬ義仲にはあらね共 御所に中納言兼雅終理太夫親信
を初め 百官百司も大半平家に心を寄すれば 中々申ひらく時節はなし 分けて多田の
蔵人行家は 某に意趣有中 義仲こそ木曽の山家に育たるぶ骨者 色に迷

ひ酒に超じ奢りの余り朝家(てうか)を乱す謀叛人と 讒者の口にかけらるれば 迚もかくても
逃れぬ運命 義仲が胸の読みくもらぬ証拠は天道ならで誰かしらん 泥中の蓮(はちす)も汚(けがれ)
ぬ花の栄を見ず 我惣名は後代に残し 身は戦場の土ときへ首は大路にさらされ
て 恥に恥を重ねん事返す/\も口惜しし去ながら 我こそ命を落す共御身は片時
も館を立退き 駒若を養育し 時有らば義仲が罪なき旨を奏問し 再び家名
を雪(すゝが)れよ ふびんや何のぐはんぜなく 是今生の別れ共 しらずはからず我顔を見て
余念なき笑ひ顔いぢらしさよと斗にて 勇気に倦(たゆま)ぬ大将も 恩愛父子のうき


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別れ暫し 涙にくれ給ふ 山吹御前は今さらにとゞむる方も泣くづおれ たつた今迄子の
行末家の栄へ御身の上 千万年も添やうに思ひし事もあだし世の 夢か現か悲しやと 御
身をもだへ伏沈み声もおしまぬさけび泣 見るに身ににむお筆が思ひお道理様やと
諸共に袖を しほるぞ哀なる かゝる嘆きの折こそ有 間近く聞ゆる轡の音 しやん/\
りん/\さら/\ささつと吹くる春風と 名にあづ名馬に打乗て かけ立蹴立つる馬
煙 生付たる大力に馬上も勝れし巴御前 色をゆかりの紫おどし 鎧かろげの女武者
長刀かい込鞭打立 馳付く門前ひらりとおり 扨も此度宇治の戦ひ楯根井が斗

ひにて橋板を引 岸に垣楯川には乱杭隙間なく 大綱に綱を流しかくれば 鴛
鴦(えんおう)などの若鳥も?(たやすく)通るべし共見へざる所に 血気の大将義経が下知によつて 佐々木四郎
高綱 梶原源太景季先陣二陣に川を渡せば ちゝぶ足利三浦の党 我も/\と
打渡つて攻め戦ひ味方敗軍剰さへ楯根井も討死し 士卒もちか/\゛無念ながら引かへし
直ぐに追立勢田の手へ向はんと存ぜし所 既に宇治の手破れしかば 勝に乗たる鎌倉勢
或は木幡醍醐深草月見の岡 思ひ/\に打こへ馳せこへ 都へ乱れ入と聞けば御身の上気づか
はしく立帰り候と云もあへぬに人々ははつと仰天 呆れ果て暫し 詞もなかりけり 木曾殿少しも


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動じ給はず ホゝウさこそ/\ 胸にこたへし味方の敗軍死すべき時に死ざれば死にまさる恥多し
今こそ木曽がさいごの門出巴来れとの給へば はつといへど伏しづむ 山吹御前お筆が嘆き
見れば心も打しほれ 君の先陣を見届ける 死出のお供は一思ひ 跡に残つて便りなき御身
の上はいか斗悲しうなふて何とせふ おいとしぼやとかきくどき しやくり上たる嘆きにつれ 木曾殿
もやゝせきくる涙とゞめ 兼させ給ひしが 心よはくて叶はじとふり切て馬引寄せ ゆらりと召せ
巴御前も泣く目をはらひ 片手にしつかと轡面(づら)取て引立ていさみを付け コレ/\申山吹様
死をかろんするは勇士の道軍のならひ 今我君戦場へ打立給ふといへ共 是又決して

討死共定めがたきは時の運 此巴が付添ふからは 敵何万騎有る迚も我命のつゞかんたけ
片端撫切拝打 くもでわちがひ十文字 十方八方打立追立まくり立ぜひ一方打被
つてかけ通りいづくいか成奥山にも隠れ遁れて時節を待 御本意とげさせ申へし 先ず夫迄は
若君諸共しるべの方へ御忍びと 諌むる詞におふでも嬉しく 夫レはちつ共気遣有な わたしが
古郷桂の里の爺(てゝ)親は 源氏譜代のあむらい鎌田兵衛が弟 同名隼人(はいと)と申す者 年寄
たれ共心は忘れぬ弓矢の家 御主人といひ親子の中 命にかけてかくまはん ヲゝ夫レこそ究竟
偏へに頼む 随分御無事で山吹様 若君様もふおさらば お前も達者で 殿様さらばさらば

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さらばと行名残 のこる思ひははてしなき涙と供に延上り 見送り見返る恩愛いもせ主従
の 嘆きになづみ行兼る 駒の足取諸手綱引わかれ行