ひらかな盛衰記 松右衛門内より逆櫓の段

 

読んだ本イ14-00002-696

 (松右衛門内

 

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行く空の 難波潟あし
火焚家(たくや)の 片庇 家居には似ぬ里の名や 福嶋の地はおしなべて世を海渡る
舟長の 有が中にも権四郎とて年も六つを十かhりの 松右衛門といふ通り名は養ひ
聟に譲りやる 門に目充ての松一ト木所に蔓(はびこ)る親仁有 志す日に邊り近所のばゞ
嬶達 お茶参れとて招かれて ナフ権四郎様 けふは志の日じやお茶呑めと およし様の
直きにお使がら共ない忝い 嘸いひ合せて集つたとどや/\内に入ければ よふこそ/\
けふは娘が前の連れ合 此槌松めが本のとゝが三年の祥月命日に当つた故渋い

茶を焚きました 呑でゆつくりして下され 常なら箸でもとらせます筈なれど
しつての通り足よはな娘や孫を引連れて巡礼の長道中 物入の跡何にもしませ
ぬ といへ娘なんぞないか 何ぞと申たら人手はなし此子はせがむ ほんの心斗をばあがつて
御回向頼みますと 霰交りの煎り豆に端香(はなか)持たせて汲み出せば もふ三年に成り
ますか アゝ月日に関守すへざればじやの 今の松右衛門殿はござつて間もなく しみ/\゛
と付合ねば心入れはしらぬいが 死にしやつた此槌松の爺御はてうど此にんじんの太煮の
様に 毒にならぬ人で有たにいとしや/\ 南無阿弥陀 皆回向してお茶参り


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ませ 海麻(ひじき)のおあへ此たんぽ 扨もうましと舌鼓 茶請に咄し噛み交ぜてあだ
口々のやかましさ 皆船頭の女房とて乗り合舟のごとく也 ヤアよい序(ついで)じや権四
郎様お尋申す事が有 別の事でもない此わるさ殿 連て巡礼んあさる迄は色
黒に肥へふとりて 年よりせいも大がらに病気(やまひけ)なふてほんの赤松走らかした様に
門を家と遊びやるを見ては あやかり者じやと羨んだ子が 何として又此様に色
白に痩せこけて 思ひなしか顔のすまいもかはつて 背もひくうよは/\と外へとては
一寸出ず あれが巡礼の奇特か観音様の御利生かと 打寄ては是ざためんよな

事やと尋れば されば其事 ありや前の槌松じやござらぬ違ふた/\ ちがふた訳
思ひ出すものふ恐ろしや 聞て下され 娘よ 何日(いつか)の夜やらで有たな ハテ廿八日の
ヲゝ夫々 又跡の月の廿八日三井寺の札を納めて 大津の八丁にとまる夜 何かは
しらず御上意じやとつた/\と大勢の侍が コレ見さしやれ咄しするさへ身が震ひ
ます ほんの世話にいふうろたへては子を例(?さかさま) どふ負たやら娘が手を引たやら 走
つたやら飛だやら漸毒蛇の口を遁れ 逃て行き先は又狼谷 谷の水音松吹く
風も跡から追手のくる様に思はれ 扨も命は有物かな真黒の夜に四里たらずの


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山道を 息一つつがばこそ 水一口呑ばこそ 命から/\゛伏見へ出て 初めて背なに負ふた
子の顔見ればなむ三宝 相宿の襖ごし 宵に咄しもしたわろが 連れた子と取ち
かへたに極つた 大義ながら一走りいて もと/\へ取かへてきてくれと娘はせがむ ヲゝ尤も取
戻してこふと思ふ程先のこはさ いかな/\一足も行れるこつちやない 今には限らぬ取かへす
折が有ふ 先のわろも子を取違へ 人の子じや迚どろくへろくにはしておかぬ筈 此
子さへ大事に育てて置たら 三十三所の観世音のお力 枯たる木に花さへ咲くじや
ないか 一先ず内へ戻つて 潰した肝をいやしてからの上の事と 昼舟に飛乗て戻る中

乳呑ふと泣く 待合せたを幸いに 娘が乳呑せたら夫レなりに月日も立 名も
しらねば呼付けた槌松/\といや我名と心得 祖父(ぢい)よ/\と馴なじむいた/\しさ 今
ではほんの槌松めも同前に かはゆござるといふ声も咽に つまらす老心 娘
も供に涙ぐみ 時の災難とは云ながら 縁有ばこそ此子が手塩にかゝり 他人がまし
うもする事か 嬶様/\と此乳を 呑みもすりや呑ましもすれ なじめば我子も同し
事 此子憎いでは爰いさゝかなけれ共 けふの亡者の手前も有ならふ事ならてつ
取早ふ もと/\へ取戻したうごさんす語るを聞てばゞかゝ達 夫レで疑ひ今は


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れた 大願立てての西国廻り現世みらいの観音様の引合せ あつちから槌松を連れ
て やがて尋て見へましやぞいのふ 必ずきな/\思はぬがよい サア皆の衆あんまりお
茶呑でけつくおなかも昼さがり いざごされお暇と打連れ出る門の口 櫂の先に
笠かつ付け 打かたげ立帰る聟の松右衛門 ホこりや皆お帰りか けふは前の聟様の三
年忌 内に居て供々御馳走申す筈を 遁れぬ用事で罷り出近頃の亭主ぶり
まそつとゆるりとはなされいで まそつとの段かいのゆるり鑵子(かんす)の底たゝいて帰り
ます 余り茶には福が有 呑でお休みなされやと住家/\に立帰る ハア親父様

今帰りました 茶事の間に逢ふ釜の下でも焚ふと 気がせいても相人はせか
ぬ大名のゆつたり 遅なはつた嘸お草臥れ 女房共大義で有たの 何の大義な事は
ないお前こそ嘸おひもじかろ ぼんよとゝ様お帰りなされたかとなぜお傍へいきやらぬ
どりやまゝ上げふと立上るコレ/\女房 まだほしうない望な時にこちからいをふ 扨申親
父様 大名の中に梶原殿は 取分けの念者と申すが違ひはない お召によつて船頭松右衛門
参上と奥へ云て行 やゝ暫くして御家老の彼の番場忠太殿がお出なされ 先逹
て指し上た逆櫓の事書き一つ/\尋る程にける程に 問殺した其上で其通り申あぎよ


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暫く待 よふ暫くで有ふぞ なゝの三時待せて置て殿が直きにお逢なさるゝ 是へお
出なさるゝと其重々しさ物云のかたくろしさ 船頭松右衛門とは儕よな 知謀軍術
逞しき義理へ 此景時が能存ぜしといふ逆櫓の大事 疎かに聞請けがたし 儕舟に逆
櫓を立てての軍 調練したる事や有夫れ聞んと問かけられ 此度親父様に習ふ
て 逆櫓といふ事初めてしつた此松右衛門 返答にこまるまいか なんぎせまいか ほつと
せしが分別致し 御意ではござれ共売舩(ばいせん)の船頭ふぜい 軍といふ物は夢に見た事
もござらぬ 逆櫓の事は我等が家に伝へ 能存じて罷り有まするなどゝ申て間に

合せを云たれば ムゝさも有なん 然らば汝覚有船頭をかたらひ 今宵密かに逆櫓を
立 舟のかけ引手練して其上にしらせよ 事成就せば御大将の召し舟の船頭は汝
たるべし 御褒美は此梶原が取持 ながく船頭の 司として莫大の財宝をくだ
さりよと有直のお詞 其嬉しさに初めの術なさ打忘れ あたふたと帰りかけ 日吉
丸の船頭の又六灘吉(なだよし)の九郎作明神丸の富蔵 こいらは梶原様のお舟の船頭
幸い三人を相手にして日暮から 逆櫓稽古に此方へ参る筈 御教へなされた
手際を見せ付け立身出世はたつた今 是と申すも御指南のおかげ忝い 坊主よ


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悦べ 結構なべゝきせて持遊びに飽かせうぞ 女房共親父様悦んで下されと
語る聟より聞嬉しさ イヤサぶ器用なやつは千年万年教へても埒ちや明ぬ
まんざら素人のわか様が 入聟にわせられて一年も立や立ず 天下様の弟御
の召さるゝ御舟の船頭する様に成るといふは おれが教た斗じやない 其身の器用が
する事ておじやらしますよめでたい/\ 聟殿の草臥れ休め 娘十二父持て走ら
ぬかい イヤ/\/\御酒も帰りがけに九郎作が所で下された 一生覚ぬ大名の付合 膝は
めつた気骨折る播磨灘で南風(ようつ)に逢た様なめにあふて頭痛まじり

草臥れたといふ段ではない 暮迄はまだ間も有ふ 親父様御ゆるさりませとろ/\と
一寝入り およしコレ見や 坊主めが眠るは幸いとゝが添乳(そへぢ)せん ねん/\ころゝとかきいだき
納戸の内にぞ入にける 娘裾に何でも置たか 出世する大事の體風ひかすな
祝ふて舟玉様へ燈明もとぼせ 御神酒上たい買てくれぬかい 買迄もない是を
お供へなされませと 棚からおろす難波焼 ちろりと用意が有ったなと 老のじやれ
言軽口も 神慮は重き 一対の徳利に余る親心 妻は火燧(ひうち)の石の火に夫の威
光輝けと 油煙(ゆけん)も細き燈明に 心をてらす正直の神や 光りを添ぬらん 

 

 

読んだ本 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/856267

     (福嶋逆櫓の松

 

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2
ひらかな盛衰記 三の切
妻かふ鹿の 果ならで なんぎ
硯の海山と 苦労する墨憂
事を数書お筆か身の行衛
いつ迄果し難波潟 福嶋にきて

 

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3
事とへば門に 印のそんじよそこ
と 松を目当に尋ね寄り ハア御免なり
ましよ 松右衛門様はこなたか お名を
しるべに遙々尋参つた者 お逢
なされて下さつたら忝に御ざんしよ

と 物ごしのしとやかさ アレとゝ様 松右衛門
殿に逢たいと女子がきた ろくな
事では有まいと後先知らて女気
の 早悋気する詞のはし けうがる
たしなめ 松右衛門にあふて姉じやと

 

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4
云ても悋気するか 夫レ程気遣ひ
なら呼込で あはせぬ先に聞たが
よい どなたじや女中 どつからござつた
松右衛門内に居まする遠慮せ
ずとはいらしやれ それはまあ/\

お嬉しやと 笠解き捨てて内に入 お前が
松右衛門様か近付でなければ お顔
見しらふ様はなけれ共 なけれ共なりや
なぜござつた サア申何がしるべにならふ
やら 摂州福嶋松右衛門子 槌松と


5
書た笈摺が縁に成て ヤアそんなら
こなたは大津の八丁で 又跡の月廿
八日の夜の アイお子様を取ちがへた者で
ござんす 道理で見た様な顔じや
と思ふた事 是は夢か現かいのふ

およし悦べ 槌松を取違へた人じやと
やい 此方からも行末尋てもと/\へ
取戻す筈なれ共 何を証拠に
尋て行ふ手がゝりもなく 泣て斗り
居ました 其かはりには取ちがへた


6
そつちの子供衆 兎(う)の毛でついた
程もけがさせず 虫腹一度も痛せず
娘が乳が沢山な故 喰物はあしらひ
斗乳一度あまさせず ヲゝそれよ
風一度ひかさばこそ 親子が大事

にかけたに付テモ 此方の息子めも
嘸御役害(やつかい)お世話で有ふ よふ連れ
てきて下さつた忝い/\ わるまよ我
内を忘れたかなぜはいらぬ いや
門にではござんせぬ エゝ連れの衆が


7
跡から連てお出なさるゝか 嘸御やつ
かい忝い/\はて早ふあいたいな 娘
お礼を申しやいの アゝとゝ様せはしない
此お礼がちやつきりちやつとつい云て
済む事かいな 申此槌松はなぜ遅い

お連の衆が門違はなされぬか 此
槌松はなぜ遅い我子はいかに孫は
いかにと立かはり入かはり門を覗いつ礼
云つそゞろに悦ぶ親子の風情 お筆が
胸に焼金さす今更何と返答も


8
泣も泣れず差うつむき 暫らく詞も
なかりしが お願申さねば叶はぬ訳有て
恥を包み面目を凌いで尋参りしが そふ
お悦びなされては 気がおくれて物が申されぬ
モアア下に居て下さんせと 涙ながらに押沈め 改めて

申すもあぢきなき其夜のさはぎ
手ばしかふ逃隠れなされた お前
方は巡礼の功徳 此方は一人は病人
なり 男迚は有にかいなき年寄
逃げるも隠れるも心任せず 取


9
違へた其子は其夜にあへなく成
給ふと 聞て恟りこは何故にこはいかにと
余りの事に泣もせず 仰天するこそ
道理なれ 人の身の仇なりと兼ては
聞ど其夜の悲しさ よふもけふ迄は

ながらへし 言訳ながらの物語り聞て
恨みを晴てたべ 高には云れぬ事ながら
連れの女中と申すは私の御主人 騒ぎに取
違へしとは思ひも寄ぬ 若君は猶大
切と私がかき抱き 御病人の女中は


10
親が手を引 一度ははたごやの憂目は
遁れ出たれ共 かくる武士の大勢
気は樊?(はんくわい・中国の武将)とふせいでも 何をいふも
老人の云がいなく討死し 若君はばい
取れ気も狂乱の様になつて 女中も

ほつたらかし 大事の若君取かへさんと
かけ廻る 月なき夜半の葉隠
尋ね廻る笹垣のかげ サア爰にこそ若君は
有ど 取上て見たれば悲しやお首がもふ
なかつた よく/\見れば若君でない証


11
拠は此笈摺 騒ぎのまぎれに取違へし
な 扨は若君のお命につゝがなかりかり
と 一度は安堵せしが 替りを戻さねば
取かへされぬ若君 もと/\へ取戻す種
になる 人の大事の子を殺し 何を替りに

若君を取戻さふ 悲しい事を仕やつたと
夫レを苦にやみ 主君の女中も其
座ではかなく成給ひ 悲しみやら苦しみ
やら 私一人がせたかおふた身の因果 此
笈摺をしるべにて尋参りしは お果


12
なされたお子の事は明らめて 此方の
若君を戻して下さるゝ様の御願ひ
大事にかけて御世話なされたと物
語聞くに付 面目ないやら悲しいやら
あぢなき身の上を 思ひやつてたべ

親子御様とかつぱとふして泣ければ
祖父(ぢい)は声こそ立ね共涙を老に
噛まぜて咽につまればむせ返り
身もうくやうに泣ければ 娘は心も
乱るゝ斗むなしき笈摺手に取て


13
やれ槌松よかくなるは夕べの夢に
まざ/\と 前のとゝ様に抱れて天王寺
参り仕やると見たは 日こそ多けれ
爺御の三年の証月なり 命日の
けふの日に便聞告げてこそ有つらん 夫レ

とはしらぬ凡夫の浅ましさ けふ連れて
くるかあすは戻りやるかと待て斗り
いた物を 大きな災難に合て笈摺に
書たせんもない 是が何の二世安楽
巡礼も当てにはならぬ 観音様も


14
ふがいない恨めしやなつかしや あはれ
此事が夢で有てくれかしと 顔に当て
抱きしめて 声をはかりに身もだへし
前後ふかくに泣居たる 娘ほへまい
泣けば槌松が戻るか よまい言いや二度

坊主めに逢はれるか 兼てぐちなと
ぢいが叱るをどふ聞てと いふ詞に縋り
付き 夫々kふ申す私も女子じやが ぐち
では済まぬ 祖父(ぢ)様のおつしやる通り
いか程お嘆きなされた迚 槌松様の


15
御帰りなされるといふではなし ふたゝび
逢はるゝといふではなし さつぱりと思し召
明らめて此方の若君を御もどし
なさつて下さつたか アゝ有がたい忝いと
悦ぶ私が心がどこへいかふ 槌松様

の未来の為には仏千体寺千軒
千部万部の経だらに 千僧万僧
の供養なされたより 女子だまれ
何顔(つら)の皮でがや/\頤(おとがい)たゝく 恥を
しれやい 我子を我育つるには 少々の


16
怪家させても不調法が有ても
親だけで済め共 人の子にはな ぎりも
有り情も有る 主君の若君のとおいやる
からは 夫レしらぬまんざらの賤しい人でも
なさそふな 此おれは親代々梶

づかを取て 其日暮しの身なれ共
お天道様が正直大事にかけて置た
そつちの子見せふか いや見せまい
見やつたら目玉がでんぐりかへらふぞ
人の子をいたはるは こつちの子をいた


17
はつて貰ふかはり 大抵大事にかけた
と思ふかは コリヤそんなら又なぜ 尋て
こぬとへらず口ぬかそふが 尋ねて
いかにも何もしるべの手がゝりはなし
そつちには笈摺に所書が有けふは

連れてきて取かへるか あすはつれて
きて下さるか あふたら何と礼云はふと
明けても暮ても待てばかり コレ
此襖を見おれ かはいや槌松が下向
にかふといふたを聞き分けず 無理に


18
かふて三井寺さんがい 持てあるいて
嬉しがつた 鬼の念仏に餓鬼げほう
殿のあたまへ 梯子さいて月代そる
大津絵藤の花のお山も買いおらず
げほう殿の絵をかふたは あのやうに

髭のしらがに成る迄 長生きしをるずい
さう 鬼の様に達者でかね持て世
界の人を 餓鬼の様にはいかゝましからふ
吉左右(きつさう)じや めでたい戻りおつて見おつ
たら 嘸悦ぶとはつて置て待たに


19
思へば梯子はげほう天窓(あたま)の下り坂
鬼の傍にはいつくばふ 餓鬼に成て
お念仏でたすかる様に成おつたか 思へば
思ひ廻す程身もよもあられぬ よふ
大それためあはせたなあ それに何

じや 思ひ明らめて若君を戻して
下され 町人でこそ有孫が敵 首
にして戻さふぞとつつ立ちあがる のふ
悲しやと取つくお筆を押退けはね退け
納戸の障子さつと明くればこはいかに


20
松右衛門若君を小脇にかい込刀ぼつ
込力士立 お筆驚き ヤアこな様 あの
樋口のコリヤ/\/\女 聞へた 最前帰りがけ下
の樋の口で ちらと見た女中よな 若
君は身が手に入て気遣ひなし いふて

よければ身が名案 合点か 必ず
樋の口を樋口などゝ麁相(そゝう)いふまい
ぞと めまぜでしらせは打うなづき
しづまる女聞ぬ祖父(ぢい) 松右衛門出かし
たりな さつきにからのもやくや寝られは


21
せまい聞たで有ふ そりが為にも子
の敵 其小しびとづた/\に切刻んで
女子に渡せ いやそふはいたすまい なぜ
残すまい サア夫レは 夫とは エゝみづくさい
いはいでもしれた 儕が種を分かぬ槌松

が敵じやによつて残さぬな 其根性
ではぢいが儘にもさしやせまい もふ
やぶれかぶれじや おれが云やうにせぬ
からは親でも子でもない 娘こそら
かけ廻つて 若い者大勢呼でこいと


22
気をせいたり やれ待て女房 人を集むる
迄もなし 親父様 どふ有ても 槌松が
敵 此子を存分になさるゝか くどい/\
ハアゝぜjひもなし 此上は我君もかたり
子細をあかして上の事と 若君をお筆

にいだかせ上座に直し権四郎頭(づ)が
高い 天地に轟く鳴る雷(いかづち)の如く 御姿は
見ず共定めて音にも聞きつらん 是こそ
朝日将軍 義仲公の公達駒若君
かく申す我は樋口次郎兼光よと 云ふ


23

親子はあら肝取られ呆れ 果たる斗也
樋口お筆に打向ひ 扨々女のかい/\敷(しく)
後々迄御先途を見とゞくる神妙さ
山吹御前も思ひよらぬ御さいご 御身が
父の隼人もあへなく討死したりとな

力落し思ひやるそれに付けてもかくて有る
樋口が身の上嘸不審 若君の為には
祖伯父ながら 多田の蔵人行家と
いふ 無道人を誅罰せよとの御意を
受け 河内国大出陣の跡 鎌倉勢を引


24
受け粟津の一戦 誤りなき御身をやみ
/\と御生害とげ給ひし 我君の御最
後のうつぷんすぐにかけ入り 一軍(ひといくさ)とは存せし
かど 思へば重き主君の仇 術(てだて)をもつて
範頼義経を討取り 亡君にたむけ

奉らんと
此家に入り聟し 逆櫓を云立ち
早梶原に近付き 義経が乗船の船頭は
松右衛門と事極まる 追っ付け本意をとぐる様に
なるに付け 此若君の御在所は何国(いづく) いかゞ
ならせ給ふと心くるしき折も折 最前よりの


25
物語障子我に聞に付け 見れば見る程
面やつれ給へ共 まがひもなき駒若君
扨は思ひ儲けず願はずして 所こそ有れ日こそ
有れ 其夜一所に泊り合せ 取かへられて
助り給ふ若君は御運つよく 殺されし

槌松は樋口が仮の子と呼ばれ 御身代りに
立たるは二(ふた)心なき某が 忠臣の存念
天の冥慮に相叶ひ 血を分け子が
子となつて 忠義を立てし其嬉しさ 何
に類いの有べきぞ 是も誰(たが)かげ親父様


26
子ならぬ我を子となされ 親ならぬ
我を親とする槌松 恩も有りぎりも
有る 余所外の子と取ちがへての敵ならば
そこに御堪忍なされふが女房が
よしにと申す共 其敵あんおんに置くべきか

親父様の御嘆き我も不便さは身にせま
れ共 相人(あひて)に取れぬ主君の若君 弓
矢取る身の上には願ふてもないき御身がはり
祖父親の名を上げた槌松 其名を上た
もとはととへば 私を子となされし親父様


27
の御厚恩 千尋の海蘇命露(そめいろ)の
山 それさへ御恩には中々くらべがたけれど
まだ其上に大恩有る主君の若君 孫
の敵迚祖父様に切されうか 我手に
かけて主殺しの悪名が取られふか 花は

三吉野人は武士 末世に残る名こそ
恥かしけれ 御立腹の数々御嘆きの段々
申上ふ様はなけれ共 親と成り子となり
夫婦と成る其縁に つながる定まり事
と思召し明きらめて 若君の御先途を見


28
届けまだ此上に私が 武士道をたて
させて下されば 生々世々(しやう/\゛せゝ)の御厚恩
聞き分てたべ親父様と 身をへりくだり
詞を崇め忠義にこつたる樋口が
ふぜい 兼平巴が頭(かしら)をふまへ 木曾に

仕へし四天王 其随一の武士(ものゝふ)と世に名
を取しも理(ことはり)也 権四郎はたと手を打
て そふじや 侍を子に持てばおれも侍 我
子の主人はおれが為にも御主人 ハゝゝゝサア/\聟殿
お手上げられい 舩玉冥利二度丸額に


29
成て ?食(かしき)する法も有 恨みも残らぬ
悔みもせぬ泣きもせぬ 娘精出して早ふ
又槌松を産で見せおれ 扨は御得心
まいりしか ハアゝ忝や嬉しやと互ひの心
ほどけ合い 千里の灘の漂(うかれ)舩湊見

付し如くにて悦びあふこそ道理也
お筆嬉しく若君を樋口の次郎に
手渡し そこにかくておはすれば此お子
に気遣ひなし 浮沈みは世のならひ わたし
が妹此津の国に勤め奉公すると聞く


30
それが行末も尋ねたし大津で討たれし
親の敵 討て亡者へ手向たし何やら
おかやら事しげき 私が身の上早御暇と
立上れば そふ聞てとめるも不調法
エゝ残念ながら我等身分 力にならふ

共得申されぬ御勝手にお出なされ
聟殿はてもぎどふな せめて二三日
足休め 夫々とゝ様のおつしやる通り
かふ心がとけ合ば 初め何のかのと申した
程けつtく名残有る ひらにととめても


31
とまらぬ気 涙にくれ/\゛若君を頼まるゝ
の頼むのといふ中かいの 本意をとげて又
御出さらば/\と門送り 見送る袂見
かへる袖お筆は別れ出て行 扨々々
武家に育た女中は格別 娘今から

あれ見習へよ こりや爰に七めんどうな
笈摺が有る どこへ成ととつとゝ捨てしまへ
親父様夫は余りな思召し切り せめて仏前へ
直し香華も取り 逆様なる事ながら御回
向なさつて取さつしやれましよ 侍の親に


32
成て未練なと人が笑ひはせまいか 何
の誰が笑ひましよ ハアゝ嬉しや/\ 有様は
さつきにからそふしたかつた 娘納戸の持
仏(ぢぶつ)へ火をともせと 手に取上る笈摺
の 千年も生かさうと思ふたに たつた

三つで南無阿弥陀仏/\ 槌松聖
霊頓証菩提 聟殿ござれ娘も
こいと 見れば見かはす顔と顔 供に
涙に 暮の鐘かう/\とこそ聞へけれ
早約束の黄昏時又六を先に立て


33
富蔵九郎作二人連れ門口から用捨
なく 松右殿内にか 約束の通り参つたと
高呼はり ヲゝ待て罷りおりますと身
軽に拵へ飛で出 御大義/\はいつて
たばこでも参らぬか いや/\大事の

急ぎの御用 一精出して跡での田葉粉
しつぽりと先ずやりませうぞや ヲゝともかく
もと皆川岸におり立て つなげる手舩
の渡海作りとも綱 とき捨飛乗り/\
ナフ松右殿舩で妻子を養ひながら


34
恥しいが終に逆櫓と云事は ヲゝ知らぬ
筈/\ 何事もおれ次第教へてやる サア
九郎作と又六は お毛楫(かじ)とり楫の艫(とも)
櫓を立た 富蔵是へお出なされ おれ
がする様に櫓を立てた 是皆の衆 此

様に舳(へさき)から艫(ろも)へむけて櫓を立る 是を
逆櫓といふはいのふ 惣じて陸(くが)の戦ひは
敵も味方も馬上の働き かけんと思へば
かけひかんと思へば引く事も 自由げに見
ゆれ共舩といふ物は又格別 しつての


35
通り汐に連れ 風に誘われ櫓拍子立て
押す時は 行く事も早けれど 乗り戻さんと思ふ
時は おも楫とり楫の風波(ふうは)を考へ 取楫
づかの手の内舩をぐるりと本の如く 押し廻し
て漕ぎ戻す それさへさす汐引汐にもぢ

かふて 舩に過ち有る時は八万ならくの憂き
目を見いとし可愛 妻子にふたゝび
あはれぬじやないか いかにもそふじや 其
うきめを見まい為の此逆櫓 サア其
艫の櫓を押した/\ おつと心へやつしつし


36
しゝやつしつし三段斗り漕ぎ出す サアかふ
舩をこぎ寄せて 追つまくつつ戦ふ時
謀(はかりごと)に乗せらるゝか敵に荒手がくは
わるか すは負け軍と見る時は 舩押し
廻す迄もなくコレ此逆櫓おし立て

富蔵合点か合点じや/\やつ
しつししゝやつしつし 元の所へ漕ぎ戻す
隙を窺ひ富蔵九郎作櫂おつ取り
松右衛門が諸膝ないで 打たをさんと
左右よりはつしと打 心得たりと踊りこへ


37
陸へひらりと飛上れば 三人つゞいて
かけ上り ヤア比興(ひけう)なり松右衛門 儕
木曽が郎等樋口の次郎兼光
といふ事 梶原殿能御存じなされ 逆
櫓の稽古に事寄せて 絡め捕りつれ

来れと我々に仰せ付けられた 尋常に
腕廻すか打のめして縄かけふか 腕
を廻せと罵たり 樋口から/\と打
笑ひ 推量に違はぬ上は何をか包
まん 朝日将軍義仲の御内において


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四天王の随一と呼れたる樋口の次郎
兼光 儕等ふぜいが絡めとらんとは
真物付けたる一番碇蟻の引くにこと
ならず ならば手柄に絡めて見よ ヤアしやら
くさい広言跡でいへど櫂ふり上 なぐり

立つるを事共せず かいくゞつて引たくり
先にすゝみし富蔵が頭みぢんに打
砕けば 一人ではかなはぬぞ二人かゝつて
手に余らは 打殺せと立別れはつし
と打 さしつたりとひらく身に櫂と櫂


39
とは相打ちに 互ひの眉間あいたしこため
らふ隙につつと入り 櫂引たくつて捨て
たりける 組でとらんとむりむざん取付く
二人を引寄せ/\ 力任せえいうんと踏み
くだく天窓(あたまあ9のさら 微塵に砕け死て

けり さあ安からぬ若君の一大事
何とせん 我身をいかにとためらふ胸に
ひつしとひゞく鐘太鼓 数百人のおめく
声 こはいかに/\と驚く中に心付き
くつきやうの物見櫓ござんなれと


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かけ上る門の松 顔にべつたり蜘蛛
の巣や松葉の針であいたしこ 目ざす
斗はくらからぬしげる梢のおぼろ月
四方をきつと見渡せば 北は海老江
長柄の地 東は川崎天満村 南は

津村三つの濱西は源氏の陣所/\
人ならぬ所もなく天のこがせる篝(かゞり)
の光り 扨は樋口を洩らすまじ取逃
さじとの手配りよな さも有れいかにと
飛でおり 女房共 親父様/\と 呼立る


41
イエとゝ様は納戸のかべをこぼつて どつちへ
やらいかしやんした ヤア壁こぼつうせた
とは ムウよめた訴人にうせたな 財宝を
むさぼつて訴人する 兼ての気質
ではなけれ共 槌松が仇を忘れかね

それでうせたり ハア樋口程の武士が
舩玉の誓言に気を奪われ心を
赦し 飼犬に手をくはれたエゝ口惜や
無念やと こぶしを握り歯をならし
しほれぬ眼(まなこ)に泣く涙 みがき立たる


42
鏡の面 水をそゝぐが如く也 腹立ちは

理ながら とゝ様に限つてよもやそふでは
有まいと 云ながらむる折こそ有 組の
捕手の腰明り武威かゝやかす高
提灯 畠山庄司重忠 権四郎に

案内させて見へければ 娘はそれと見
コレとゝ様恨めしいと云せもあへず 訴人
の恨みかいふな/\ おれが訴人せいでも
松右衛門を樋口の次郎とは 梶原殿が
能御存知なされて 富蔵や九郎作に


43
絡めとらそふとなされたじやないか それ
斗じやない 四方八方を取かこんで
樋口が命は籠の鳥 何ぼ助ふと思ふ
ても助からぬ おれが秩父様へ訴人したは
槌松めが事で サア其槌松が事を

いふて松右衛門殿が腹立て 何の腹
立る事が有 親子といふ名につな
がれて 孫めが親と一所に あつち者に
成かゝふかと悲しさに あれは樋口が子
ではござりませぬ。死だ前の入聟の


44
ナ松右衛門が子でナ合点がいらか ほん
の親子でござらぬからは 訴人いたした
かはり孫めが命 お助なされて下されと
願ふたれば 段々聞し召分けられ 天下晴れて
孫めが命はヲゝ慮外ながら 此祖父(ぢゞい)が

助けた それに何じや樋口が腹立てた
ヤイ儕が子でもない主君でもない
若君でもない大事の/\ おれが孫を
一所に殺して侍が立つか 若い其大きな
眼コにも 祖父がくだく心のかず/\゛は


45
見へまいぞ 恨めしいとぬかす儕らが
けつく祖父は恨めしいと気をせき
上てくもり声 よふ訴人なされた
有難し共過分共 云ぬ詞は云百倍
嬉し涙にくれけるが ずつと立て重忠

の傍近く 天晴御邊が梶原ならば
太刀の目釘のつゞかん程 切死に死なん
ずれ共 粟津の軍妹巴が身の上
迄 心ざし有しと聞重忠殿 情に
刃向ふやいばはなし 腹十文字にかき


46
切て首を御邊に参らすと 云せ
も果ず ヤア樋口 死首を取て手柄
にする重忠ならず 迚も叶はぬと
覚悟有らば 尋常に縄かゝれよ いや/\
/\運つきて腹切るは勇士のならひ

縄かゝれとは此樋口に 生き恥かゝせん結
構な 仁義有重忠の詞共覚へず
いや是樋口 木曾殿の御内に四天王
の随一と呼れ 亡君の仇を報はん為
権四郎が聟となつて弓矢に勝る


47
櫓械(ろかい)を取て 大将の舟をくつがへし皆
殺しにせんず謀(はかりごと) 恐ろしし頼もしし
晋の豫譲(よじやう)は主の智伯が仇を
報ぜんと 御邊が如く姿をやつし 敵
襄子(じやうし)をねらふ其心ざしをふかく

感じ 着たる恥の衣服をぬいで
豫譲にあたへ 其衣をきらせて
彼が忠義を立てさせしは 敵ながら
も襄子が情 木曾殿叛逆
ならざる事は 書置にあらはれ


48
御最後今さら悔むにかいなし
主人に科なき樋口の次郎 全く
恥をあたふるにあらず 忠臣武
勇をおしみ給ふ 大将義経の心を
さつし 重忠が縄かくるとつつと

寄て 樋口が腕(かいな)捻わぐればにつこと
笑ひ 関八州に隠れなき勇力の
重忠殿 力づくにはおとらぬ樋口
とられし此腕もぎ離すは安すけれど
智仁兼備の力には及びもない事


49
相手になられず ともかくもはから
はれよと弓手の腕を押廻せば アゝ
愚か々 忠義あつき樋口殿の力に
重忠が及ばんや 大手の大将範
頼公搦め手の大将義経公 両大将

の御仁政 文武二つの力を以て 警(いましむ)る
此縄ぞと かくるもかゝるも勇者
と勇者 仁義にからむ高手小手
縄付きを引立させ こりや女 樋口殿の
血こそ分けね 槌松とやらん大切な

 

 

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子でないか 暇乞をとありければ
およしは泣々納戸に臥たる子を抱き
上げ コレのふ暫し仮初も親子と云し
此世の別れ コレ顔見せてと差し
よれば ハツア槌松に暇乞とは 四

相を悟る重忠の御情 ぢいの願を
聞分け給ひ助けおかるゝ忝なさ 誰
彼の情けも忘れぬ コレ槌松 とゝといは
ずに暇乞 樋口/\樋口さらばと稚子
の たがおしへねど呼ぶ子鳥我は名残も

 

 

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51
おし鳥の つがひ離るゝうき思ひやらん
/\とすがり付 娘よ吼へな 何ぼやらん
/\と商売の舩寄で 留めても留ら
ぬアゝ悲しや たとへ死でも地獄へは
やらん 極楽へやるぐぜいの舩歌 思ひ

切てやつてのけう 汐の満干(みちひ)に此子
ができたとな 孫が身の上あんじるな
ぢいが預りのんえい/\われが かはりに
大事に育ててえいよほん ほゝんほ
ほんに何たる因果ぞと正体 もなく

 

 

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52
どうどふし 涙にむせぶ腰折松余所
の千年(ちとせ)はしらね共 我身につらき有為
無常 老はとゞまり若木はゆく 世は
さかさまの逆櫓の松と朽ちぬ 其
名を福嶋に枝葉を 今に残しける

  

 

 2013年の逆櫓の松。 今はも少し育っているかな?

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 大阪市福島区福島2丁目 ドミール堂島前

 

 

摂津名所図会より さかろ松

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逆櫓松

寿や 千世もさかろの 松右衛門

木の間をてらす 朝日将軍