本朝二十四孝 巻上

 
文楽・歌舞伎同様の『本朝二十四孝』ストーリーになる絵草子かと思ったら、
親孝行に優れた者の逸話24選でした。中には創作された人物もあるようですが。
孝行者はもれなく領主に誉められ褒美に出世と物質的に報われる。甲斐のあることです。
儒教流布の折も折なんでしょうがそのばねえ孝行っぷりにどん引いたりつっこんだり
しながら最後まで読んでしまいました。
 

 

 

読んだ本 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2533132

 

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本朝二十四孝巻上
天子
(一)仁徳天皇
天皇応神天皇の第四の御子にてつねに父み
かどへ御孝行におはしまし何事もたゞ其御心に
したがわせ給ふ天皇の御兄(いろへ)に大山守のみこと
と申奉るありけりある時父みかと大山守みことゝ
天皇とをめしてなんぢら子をあひするやととわ
せ給ふみことも天皇もひとしく子をあひすと
なんこたへ給ふ父みかど又とはせ給ふいとけなき
としたけたるといづれかいとをしきとみこと


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右頁挿絵
左頁
年たけたるがいとおしきとこたへ給ふ天皇は年
たれたるはすてに人となれりたくおさなきがい
とをしとの給ふ是はちゝみかど御くらいを第五の
皇子宇治のわかいらつこにゆづりまいらせたき
御心のおはしますをおしはからせ給ひてその
こゝろにかなわせたまはむ御ためにこたへまい
らせ給ふなりけり父みかど此こたへをふかくよろ
こばせ給ひて終に宇治のわかいらつこを太子に
たておかせ給ひあけの年かくれさせ給ひぬ時
に太子御位につかせたまわずしてはやく天皇
にゆづらせ給ふ天皇は父の御こゝろざしにたがひたま


5
はん事をふかくおそれてうけひき給はず太子
天皇のひじりの君にまします事をしらせ給へ
ば国のため民のために御くらいにつかせ給へとあ
ながちにゆづらせ給へどてんわうきこしめし
も入られずすでにみとせになりにければ太子ち
からをよばせたまはばみづから御身をはからひて
うせさせ給ひぬ天皇これをなげうせ給ふ事ま
ねぶにことばなしさりとてあるべき事なら
ねば人々おして天皇を御くらいにつけたて
まつるそのゝち世の中ゆたかにて雨風時にした
かひけふりとなしき民のかまどにかはゝぬ所
もなく御世をたもたせ給ふこと八十七年とな
んしるせり御孝行の冥加まことにいとめでた
からずや
(二)顕宗天皇
天皇履中天皇の御孫にして市邊押磐(いちべおしはの)皇
子の御子なり父の皇子雄略天皇にころされ給ひ
けり時天皇いとけなくて御兄億計(おけ)の君とつれて
いなかへのがれ出給ひこゝかしこおちふれさせ給ひ
清寧天皇の御時みやこにかへりいらせ給ひしが
みかどに御子ましまさねば御よろこびあさからで
やがて億計の君をまふけの君となし給ひみか


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挿絵

どは程なくかくれさせ給ひけりしかるところに
億計の君天皇に御いさをしあるによりて御くら
いを天皇にゆづらせ給ふ天皇は御弟なればさる
まじきは事とたび/\かへさせ申させ給へと
億計君いたくゆづらせ給ひてみづからはなを坊
に居給ふ爰に天皇おほせことありてのたまはく
むかしちゝの皇子難にあひ給ふ時われ兄弟いは
れなくてにげかくれしなに御からをおさめし
所をだにしらず今これをもとむれどもしれる
人なしいかゝすべきとて御なみだせきあへさせ
たまはずそのゝちあまねくたづねとひ給ひけ


7
ればひとりのをうなこれをしりてつげ奉り
あふみの国くたわだの蚊屋野の中にありとなん
天皇よろこび給ひ億計の君ともにその所に
みゆきありてはたしてやづねえ給ひ御墓
をひらき御骨を見給ひてなげきかなしませ
給ふことたとへんかたもおはしまさず終にいみじ
くそのところにあらためはふむらせ給ひける
とぞ
(三)仁明(にんみやう)天皇
天皇御母檀林皇后のおわしましたる冷然院に
いらせ給ふにはつねに御階(みはし)にとをくて風輦(ふうれん)よりおり

させ給ひ出させ給ふ時も人とをくてめしけり嘉祥(かじやう)
三年の春れいのごとくいらせ給ふに大皇后ふかき
宮のうちにありてついに君の出入せ給ふよそを
ひを見ず儀式を見せ給へとの給ふ天皇御辞退にかゝ
りたれど大后ゆるしたまはず藤原の良房な
どにいかゞすべきとはからせ給へばたゞ大后のおほ
せのまゝにとなん申すちからおよばせ給はて御
階のもとよりめして出させ給ひにけりその
御うやまひのふかきが御かたちにあらはるゝを見
奉り人々はみな涙をおとしけるとぞ


8
挿絵

人の子のそのちゝはゝをたうとむべきことわ
りからのふみに見えたるはしはらくおきぬ我立田
明神の託宣し給へるは人の両親はすなはち是内
宮外宮の神明なりなんぢら能是につかへすして
なかにいのりもとむるかと又三崎明神ののたまふは人
の家たかきいやしきかならす門外両宮の神まし
ますよくつかへて崇教(そうきやう)をつくさば天神地祇(き)ひるよる
その家に降臨し給はむとこれみな人の二親を伊
勢両大神宮になそらへ奉りてたうとみ申へ
しとおしへさせ給ふなりけりむへこそ猶天皇の冷
然院のみはしより風輦にはめしかねさせ給ひつれ


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(四)後三條院
此みかと東宮におはしましけりころ成尊僧都つね
に御祈祷にまはれりある時僧都北斗をゝがませ
給ふにやととひたてまつりければみかどの給ひ
けるは月ことにこれをおがむされど身のさひ
わひをもとめんと?はあらず?のうちにおそる
る事ありてなりおそるゝ事他にあらず我?に
あらんほどは主上の御在位千世もとこそいのり
てやむべきをやゝもすればわが即位のこと?
おもわれぬるをつみふかくおぼしてさるこゝろ
ならんとてぞ北斗をはおがむとなんの給ふ

挿絵


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成尊うけたまはりもあへずかんかんるいをながしけ
るとぞ
(五)公卿 久我太政大臣
大臣は六條の右大臣顕房公の嫡子雅実なり
母は従二位隆子となん申す大納言源の隆俊の女(むすめ)
なり顕房ある時隆俊と大内をめぐり給ふことあ
りけり大内には子孫の殿と人を具して沓の用
意せざり人ははだして庭をあゆむ所のありを
顕房隆俊さる用意もなかりけるに雅実公まだ
いとけなかりしころくつを二そくひそかにふと
ころにしきたりてかしこにいたりて両人そは

挿絵


11
かせまいらせらりけり又なれば顕房へはさもある
へし隆俊へもおなじさまに心をつけられし
事のいみじさよ隆俊感涙をながしてよろこ
ばれけるとなんしりそきて隆子のもとに
行てこのいとけなくてをのれまでに孝のお
よべることをいひて又もろともによろこばれ
たりとぞ
(六)藤原吉野
吉野は参議正三位糸部卿綱継の子なり
学問してさえかしこくつかへて中納言にいた
れり父母をやしなふて孝なりある時吉野の

挿絵


12
家???けき肉なり綱継人をつかはしてわかち
とらしむをりふし吉野は参内していまだかへ
られずくりや人その肉をおしみてわかたず後
に吉野これを聞て涙をとしてくりや人を
せめそれよりながく肉食せられさりしとな
むくりや人おろかにして肉をわかたでちゝのこゝろ
にそむきし事のかたてさにさるにくを見る
もうるさくやおもくれけんのちついに肉食せ
られざりしとなりこれにくおして思ひ見
るにこの人一生何事を?ちゝ母の心にそむかる
へきいみじき孝子なりけんかし

(七)小野篁(たかむら)
篁は参議峯守の子なり天長九年父にをくれて
かなしみふかくやせつかれたり又よく母につかふ承和
五年もろこしに使ひするとて船をあらそひて心
のごとくならさればやまひにかこちてゆるさりし
時もこゝに篁水をくみ薪をとりて匹夫の孝を
すべしといへりすゝむにもしりぞくにも孝を忘
れざるを見るべしつかへて参きにいたり従三位
に叙せらるたかむらは物しりにてうたなども能
よむ人とはたれもし?ど?孝子なりとはし
らず又下野(しもつけ)の国足利の学校は此人のふみよまれ


13
挿絵

し所といひつたへていまも経書をほく聖像もお
しませば智恵もおこなひも世にすくれて我国
の大儒なりし事うたがひなし墓所はみやこの
北宇林院にあり
(八)紀夏井
夏井は従四位下記吉峯の子也心きよく ざへ
かしこし仁寿のみかどにつかへて右中弁にいた
れり母をやしなふて孝なり母みまかれり夏
井かなしみしたひてしがひをのべにをくらすあら
たに堂ひとつをつくりてそのうちにおさめおき
てあしたゆふべこれに入て母につかふかこといける


14
挿絵

世にかはらず三年をへてやみぬるとぞ
世の人父母のいける世には孝順に見ゆるもおほか
れどすでになくなり給へばふた夜三夜とも
とゞめをかずさながらうるさきものをはらひやるやう
に野にまれ山まれをくりすてゝあながちにした
ひきこゆるさまも見えずいにしへもちかき世に
も死して日をへて又いき出たるためしから
やまとにすくるからねばもしひさしくとゝめ
おきなばさることもやあらんにとおもひやるも
いとかなし
(九) 大江挙周(たかちか)


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式部権大輔(たいふ)挙周朝臣は大江の匡衡の子にて母は
赤染の衛門なりたかちかおもきやまひにふしてた
のみすくなかりければ赤染そのおもひにたへず住
吉にまうでゝ七日こもりて挙周此たびたすかり
がたくはすみやかにわが命にめしかふべしと ふる
ひて御幣のしでに
 かはら舞と祈る命はおしからて扨もわかれんことぞ悲しき
とかきてつけてたてまつりけるに御納受やありけむ
たかちか病いへたりあかぞめふかくよろこびてひそ
かにわが死するをまち居ける挙周是を聞ておど
ろきなげきおのれも又すみよしにまうてゞ申ける

挿絵


16
はさきに我死ぬかいのちたすけさせ給ふはまこと
にありかたくおもひ侍(はんべ)れと母のいのちにかへて い
き侍りては何のいきみか侍らむねがはくは母なか
らへてわがいのちはじめのごとくならむとなむ
ふかくいのりかふて京にくりのぼりけりしかれ
どもその?もやまず母もまたつゞかなし扨や
子の孝慈やんごとなきを明神のあわれさせ
給ふにこそと人みなかんじき
(十)養老の孝子
元正天皇の御時美濃の国にまづしくいや
しきおのこあり老たる父をもてりつねは山

挿絵


17
の木草をとりてうりそのあたひにて?をやし
なひけりちゝあながちにさけをこのみけれは
なりひさこを腰につけてわつかの柴のあたひ
にて酒をかひもとめてつねにこれをあたへける
ある時又山にいりて薪をこらんとするに苔ふか
き石にすへりてまろびたりけるに酒の香
しければいとあやしくてそのあたりを見る
にいしのうらより水ながれ出る汲てなむれ
はそのあぢはひかんろのごとくのさけ也いとうれ
しくてくみてかへり父にあたへければよろこ
ふことつねにすぎたりそのゝち日ごとに是を

くみておもふさまにぞ父にすゝめけりみかどこの
事をきこしめして霊亀三年九月にその所
にみゆきなりて酒泉をえいらんありてこれ
則かれが孝ふかきゆへに天神地祇あわれみ給
ふてぞその徳をあらはし給ふとふかく感じ仰
せ給ひやがてかれをみのゝ守になされ其酒の出
る所を養老の瀧と名づけ年号も養老と
あらためさせ給ふとなん
(十一)丹生の弘吉
ひろよしはわかさの国遠敷の郡の民なりいと
けなくて父にはをくれ母といて孝をつ?せり


18
挿絵

其さま人のよぶところにあらず外におればかな
らすまつちゝか墓に遊きて心のかぎりかなしみ
なけき経などよみてさりぬさればその里なり
はひあしき年も此人のつくれる田のみ雨風に
もそこなはれず日でりにもかはかず虫なども入
えざりければこれあきらかに神明の孝にめ
でさせ給ふゆへぞとさと人みな感じあへ里事
やかて上にもれてくらい二階に叙せられぬ貞
観十二年の事となん
(十二)丈部(はせかべの)三子
元正天皇の御時漆のつかさの令史(さくわん)はせかべの


19
挿絵

路の忌守(いんき)石勝つかへのよぼろ秦犬麻呂二人うるしを
かすめたりとてとをきくにへながさるべきに
さだまりぬ石勝三人のおのこあり太郎祖父麻
呂年十二次郎安頭丸九つ三郎乙丸七になむ
なりけるともにちゝがるざいをかなしみうちつれ
て官所にまいりわれら三人ながく官のやつ
ことなりて父がつみあがなはんといひてせちにお
もひいりたるさまなり人々是をそうせられ
しにみかどふかくあはれませ給ひて?の百行
たゝ孝敬をさきとすかれら孝也そのねがひ
にまかせて石勝がつみをなだむべしと?んおほ


20
せ出されければ犬麻呂ばかりぞ配所(?)に?おもむ
きたる

 

    (下巻につづく)