本朝二十四孝 巻下

 

 

読んだ本 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2533132

 

22
本朝二十四孝巻下
(廿)西六條院村孝孫
備中の国浅口郡西六條院村惣十郎市助とて
兄弟あり父をはやくうしなひおほぢなるおき
なと田つくりていたりけるがおほぢ不幸にし
て耳つぶれ目しいて何してもかなひかたし
兄弟に母あり母子三人みなおほぢにつかへて
孝なりおほぢ茶をこのみさけをすけりけん
弟まづしといへどしからくも是をからず農の事
いとまあれば薪を山にとりてひさきて茶酒の
料とせりもしりやうたらずして人にもと


23
挿絵

めかる事あれば人みなおほぢかためにしてをの
が身のためにあらさることをしりてこふにしたが
ひてかしけり朝夕のくひ物おほぢにはくはし
く母子三人がくへるはあらしおほぢ物くふことに
母はしをとりてくゝむけがれのたつたものは
母と兄弟と日ことにこれをとけりそのあし
なへてかはやにも行えざればなり冬の夜の?
たうさむきには兄弟かはる/\おほぢかあと
にけしぬその足をあたゝめんがため也夏の
夜のあるくいづせきにも兄弟かたはらにあり
ていねずして蚊をはらへり帳なければ也


24
よろづにて孝なりけれど母子をかれらが
おこたらんとをり/\いましめおしへていは
くおぢの世におはしまさん事今いくばく
の日とかしるやなんぢらおこたる事なかれ
いさゝかもそりやくにしなば兄弟うせ給ひ
し跡にてくふともかひあらめやと兄弟つゝ
しみうけたまはりてい?/\孝行をそつく
しけるおほぢかれらが母にいひけるはそこ
の孝徳まことにいひやらんかたなし徳かな
らずむくひあり惣十郎市助妻あらん時その
妻そこに出そこの我ををはれめるがごとくなる

べしとよろこべりおほぢ惣十郎に妻もとめ
しむ惣十郎うけ給りぬやがてむかへ侍らぬと
いひてもとめずおぼぢのやみけがれたるさま
したしからぬ人に見らむがつらましければ
なりかくて日数けるまゝにおほぢのやまい
さまかはりて物くるはしくなりぬ此時しも
市助は人につかへてほかにありたり家にはたゞ
母と惣十郎とのみありてひるよるまほり
いてうちもねす母子がこゝるくるしさ
おもいやるべしそれより又ことせばがり
へておほぢをはりぬ母と惣十郎となげきかな


25
しみ衣をくりて葬祭をつとめいとなみ
けるとなん惣十郎が父の跡とふべき月日此
時しもめくり来たりぬされども家に物なけ
れば心にもまかせざりしをそのとしみのら
ずとて国主倉をひらき給ひて国人(たみ)をにぎは
さりければ惣十郎其よねをうけていさゝかも
おのが用とはなさで父をとむらふわざになん
つくしにけり市助も外にありといへと物を送
りて祭をたすけ又母のやしなひに力をそへ
けりそのゝち惣十郎妻をむかへてあひともに
母につかへぬつねにつまにいひけるやうはあなんぢざ

えなきはわがとがむる所にあらずもしすこしも
不孝ならばすみやかに出しやらんあれことばをた
かへじとなむよりて妻もよくつくしめり
されと猶いへの内一つとして夫婦か心にまかせ
す事ごとに母にとひてその云ところのまゝに
す田はおほぢが病にまぎれて久しくちから
もいれざりければ今年はことになりはひも
あしかるべくおもひ居けるにさはなくてよくみのり
て人の田にははるかにましたり是天神地祇の孝
にめでさせ給ふゆへとぞ人はみな申あひける国
主もふかく感じ給ふて母にも子にも物たま


26
ひけり
(廿一)赤穂惣太夫
備前の国岡山紺屋町のこうかき何がしことせ
妻子ありて播磨国にうつり住て母をやしなふて
孝なり妻もよくつかふ母のいふところうけし
たがはずといふことなし母つねにいふ備前の岡山
はわがけるさとなりねがはくはなんぢふうふ
とかへりすまむと惣太夫うけ給りぬとて
そのいとなみをし侍れと家きわめてまづ
しければかてをつゝむよすがもなくて

挿絵


27
力(?)ならず過ゆくほとに母ふと旅のよそひして
けふなん岡山にかへるといひて出ければ惣太夫
夫婦物もとりあへでそゆきける母あしたゆ
げなれば惣太夫をひぬあるく時は妻その
手をひくくい物たらざればふうふはくふまねの
みしてくはずたゞ母にのみすゝめけりすでにし
備前の内かゞむらといふ所につきけりかて絶へ
ぬ母を妻もいたうつかれにければきやうあら
てあたりをき福岡村の実教寺といふてらに
入てくひ物をこひけりあるじの僧か運分(?)はかゝる(?)
さまを見て孝子なる事をしりてはやくそ

のうへをすくひ寺のかたへにやどし置て朝夕の
食をあてかはしむられによりて母子三人
食物はたり侍れどやゝ冬ふかく成行まゝに
母の衣うすきをかなしみよる/\は夫婦ひ
そかにをのがころもをひとへづゝぬぎていね
し母が身にくはへけり是をきく人まわれが
りてよねひとたはらとらせければいたうよ
ろこびて衣をうりてはゝにきせけり母きず
していはくわが衣さひはひにうすからずよめか
衣やぶれてうすしはやく是をきすべし
とよめがいはくわれわかく身すこやかなり


28
さむくともやみはせじしうとめもし是をき
給ずはかならずわつらひたまふべしたゞは
やくき給へと母なをきずっしていへる様(やう)われは
かくおひおとろへぬ病もおそるゝにたらずしす
るもおしまずたゞねがはくはなんぢ夫婦つゝがな
からん事をいはにゃ我さむからずいかで此衣をかさ
ねんと云て手にだにふれずよめも猶きざり
ければ此ころもいたづらにぞ有ける人又これを
きゝてさらに衣ひとつを母にあたへければよめ
もはじめて先の衣をきたりかゝる事どもさ
きだちて岡山にきこえければ府君ふかく

感じ給ひてかれ夫婦をあはれめるのみならず
実教寺のあるじ慈悲ふかゝりしことをほめて
よねを寺によせられしとぞ
(廿二)蘆田為助 此侍は弘文院学土(古?)林 春済育つくれり(創作された人物の意?)
丹波の国天田郡土師村の孝子蘆田七左衛門為助
とぞいひける家まづしけれどあつく父母をやし
なへり父母のいふ所したがはずと云事なしさむ
き夜父母いねんとすればまづをのがはだへをも
てそのむしろをあたゝめてのち父母をいねしめある
ひは父母のあしををのがふところに入てあたゝむす
でにしりぞきては又ゆきてやすくいぬるやさらず


29
挿絵

やとたかゞい事夜ごとに二たび三たびにいたれり夏
の日いたうあつきにはすゞしけなる木かげをえら
び床をしき父母をいざなひ行てひねもすその
こゝろをたのしめくるればともにかへり枕をあふぎてぞ
ふさしめける衣食たらずといへととかくいとなみて
父母にはつねにあまりあるやうにのみおもはせけり
さらにおのれがとほしきをしらしめず母いかづちを
おそるゝによりてかみなり日はことにそのかたはら
をはなれず出てほかにありといへどもすみやか
にかへりてうちそひいけり為助妻をまふくその
妻亦孝子なり父母ともに足なへて道ゆく事かな


30
はずゆかむともとむるかたあればふうふかならず
いたきおふて出けり万治三年の夏母みまか
りぬ年八十寛文六年の春父死すとし八十
三為助かなしみにたへずをのが家ちかきところ
に葬り日ごとに墓にまうでぬかみなり声いさ
さかもあればかならず墓に行てなみたおとして
まぼりいけりかゝる孝行どもちかきさと/\に
かくれなかりければやがて福知山にきこえて
城主松平氏忠房ふかくかれが孝志を感し物
たふで褒賞じ給ひぬ為助そのたまはりし物を
兄それかしにあたへけり兄是をうけすはらから

相ゆづりてやまず終にそのものをつみおさめて家
のおもきたからとをり城主かさねてみついをゆ
るし悪(?)だちのぞかれけるとなん偏ありいはく
人のおこなひ孝より先なるはなしさればいや
しがいたりといへど人なり孝ならさればいとやむ
ごとなきといへと人ならず瞬の聖なる曽子の
かしこきみな孝にもとづき給はずや孔子のた
まふわがおこなひ孝経にありと孝経さいはひ
家々にありてよめりよめども孝ならざれば
鴉のなきせみのさはくにことならずしかるを此
為助そのやしなひやんことなき人にもまさり


31
其つかへふしよむ人にもことたりたれかこれ
をほめざらん妻もよくしたがひ兄もゆづれり
為助がよきにならへばなり為助にならふだに
その家みなよし国郡しらせ給ふ人もし身をも
て先たちたまはゞいかばかりの人かそのよきに
ならひてめでたからん世の人是にてしるべし
(廿三)安永安次 此侍は林春幸 犬(丈?)つくれり
肥前国島原加津佐村の津波見名(つばみ)と云ところ
ありそこなる民安永久右衛門安次とぞいふなり
父母につかへて孝なり父名は安平いまたいた
くはおひざれとも安次けかくいたはりて孝に身

挿絵


32
をやすくのみぞあらしめてをのればかりぞ耕作
をばつとめける安平ある時は安次が田つくりてい
たうくるしめるを見て我いまだちからおとろへず
をり/\は草をもとりてなんぢか手すこしや
すめんといへば安次をのれさらにつかれ侍らす
いかで今さら事はし給ふへきといひて耕作の
具手にたにとらせす年ごとにをのが田そこばく
をわかちて力(?)をもちいてつくりなしてこれを
父母がわたくしの用にぞなへけりをのれきは
めてとぼしき事あれども此父母にそなへ
しよねをば外のことには露もちいず年み

のらずして物なけれどもなを父母にはゆたか
なるとのみいひきこえけりあしたにかへりみ
ゆふべびはしづめ夜なかあつきとなく安否を
とふ事つねにおこたらす雨の日など父母の住
ける所いと物さびしげなればかならずおのが
かたにいざなひ来て子むまごさしつどへて其
つれ/\をそなくさめある時もつぎさればほか
にいてずかへれば面を見をすと云事なしい
ちにあそぶ事あればかならず食物のよきを
もとめてかへりてすゝむ人に物えたる時にも先ず
父母にすゝめてあまらざればをのれは用ひず


33
父母共に佛をたうとみてしば/\寺院に
あそぶ安次いとまある時にわらぐつをほくつく
り置て父母が寺院に行ごとに必ずふるきをすて
そのあたらしきをなむはかせけり心をもちゆる
のせちなるおほむね此たくひなりかれが一族
ならびにその里の人々此ありさまをしたひまね
ぶもおほかり事ついに太守にきこえけれは物
を給りその孝をほめ戸租丁役(とそていえき)みなゆるされけり
太守は嶋原の城主松平主殿頭(とのものかみ)源忠房也まこと
あればおのづから天道にかなふものか
(廿四)大矢野孝子 此侍は人見なえ 右(左?)つくれり

挿絵


34
肥後の国天草郡大矢野の村今泉村と云ところに㐂
右(左?)衛門となんいひてよく父母につかふる民あり妻も
またしうとしうとめに孝なりもとより家まづ
しきにちかごろしきりに年あれけれはをのれ
ふうふはくふべき物もなけれど父母の食物のみは
とかくしていとなみぬかのとの酉の年国又大きに
飢饉す㐂左衛門父母にこひて長尾といふ山にうつ
ろひすみてたきゞをとりて人にひさきくづわ
らびをほりて含とすをなじとしの夏父や
まひにけしてあざらけき魚をねがへりふか
き山の奥にしあればもとめ出べきやうあらて

いかゞすべきとおもひわづらひけるに妻ひそかに
山をくだりて海のほとりをまよひあるき人につり
竿かりてつりたれければやがて魚こそかゝり
にけれ見れば鯛と云うほのごとくにしてその色
くろしよろこびて是をもてかへり㐂左衛門にとら
せけりきざへもんすなはち調してちゝにすゝむ
ちゝねがひみてけりとよろこびけりおのこだに
手なれさればつりえがたきを女のあからさま
にしづめしつりばりにやがて此うをのかゝり
きたりけるもふしぎなりまことふかきがいたに所
?(か)父つねにみる月廿日あまりにみまかりぬ㐂


35
左衛門つまともになげきかなしむことあさから
ずしばしは物をだにくわざりけりすでにはふむ
りてのちはいはいを家にまうけあさなゆふな
物をそなふる事いける日ほごとく母は老のゝち
目しいたり㐂左衛門ふうふ是につかへて殊につく
しめり母わがしたしきものゝ方にあそびあるひ
は仏にまうでける時は㐂左衛門又妻かならずお
いてぞゆきけるそのみち十四五町ありけ
りとなむ此天草郡と云も嶋原の城主松
平忠房兼おさめ給へり所なればかの㐂左衛門
嶋原にめして夫婦が孝をほめて白銀にこ

はくをぞ給りける㐂左衛門家にかへりてしたし
きものともをめしあつめてともに此たまもの
をいたゝき是をうくるも又父故にしあればいさ
さかも外の事にもちひばまことにつみふかゝる
べしたゞ父のあととふ料とのみぞ侍らめと
いへば人よ/\感じけり


36
絵師鳥井庄兵衛

元禄十丁丑年正月吉日

平野屋 松倉宇兵衛 開板