本朝廿四考 第四 (道行似合の女夫丸)

 

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      イ14-00002-741

 
69(左頁)
  第四  道行似合の女夫丸(めうとぐはん)
偽りの 文字をわくれば 人の為 身の為ならず恋ならず 心なけれ
ど濡衣がなきつまの名も勝頼にともなふ人も 勝頼といふて
よし有蓑作が ちらしくばりて薬売り けふ立出る此国もかい
しよ有げな 女子のしよてい きどくぼうしに筒きやはん 跡につゞ
いてくすり荷を かつぐひぢ笠の 匂はぬ花のふりつもる
しなの路 さして行く道の泊り/\゛や 宿々へ商ふ物は草の種 命


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の種の生薬 詞につやを濡衣が そも此薬はみちのく南部にかく
れなき 新羅の家の名方 萬の病に用てよし 夫レ薬一粒は たとへ
千金万金にもかへ難き其我夫(つま)は 世をさりて いつの世にかは木曾の
流れの山川に 女浪男浪が扨浦山し 夫婦ならねば つい云事も
かた田舎 情がましい一言はいはじ岩間の細道を あゆみ馴れたるはぎの雪
夫はめいどに我身は爰に 桜花かやちり/\゛に 花かや桜 さくら花かやちり
/\゛にちるにまじはる神心 伏拝み行くうてなが原 道行く人も指ざして あやかり

物とあだ口に浮名立たるも アゝはづかしや 今の我身は中々に恋も 情も
あれはてし 青柳過ぎて宮田の町 とかく浮世は伊勢の濱おぎ
難波の芦とかはれ共かはらぬ物は夫の名と おまへもいはゝ勝頼様
いつの世にかはあい染川の 身の浮しづみ七度(たび)は 氷を渡る信濃
路へ急ぎ行のが 第一丸 此御業も蓑作も もとが新羅の流れ
にてかれよし是よし世の中もよしと浮世を渡る川 心にござず
墨染の 此身の末は天の川 空にも恋があればこそ 雲に浮名は七


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夕のいとくりかへしかへしつゝ 恋の染衣濡衣がむかしを忍ぶ
はやりうた くるり/\と川下を見れば川原やなぎの かげばかりさり
とはかけばかり 川原柳のかげばかり 君を待ち 忍び/\につま戸
へ来れば 月の影さへ 気にかゝるさりとは気にかゝる 月のかげさへ
気にかゝる エゝ逢たやな とふも語るも いく難所 野こへ里こへ
山こへて 爰の一村かしこの宿の軒つゞき薬/\と売声もやさし
しほらし 立ならぶ家居に今宵一やどりと暫く 労(つかれ)を はらしける

のふおそろしや/\ こはい咄しでちりけ元から身の毛がよだつ燈心一筋へすべいと 相州北
条氏時の和田の別所 村上左衛門預つてけふ留主番の中間小者 百物語も親方
の油ねぶりとしられける サア/\今度は術内が咄番だ 又からか 燈心も余程へりうそぐ
らふ成て隅々は見らるゝ 信玄の領分天目山と国並びの此信濃なれば 化物が出べい
わいらもソレ鍔元くつろげておれさ ヲゝ此寒六も冬平も油断はせない若し女の化物が出たら
だん平物で打切より打切買たと思ふて かつえているだん平物に足能さそ サア/\術内
咄せろさ ヲゝサ/\昔甲斐国に悋気深い女が有て 男の心のかはつたを恨み 夜な/\男の


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門に行 声打ふるはして のふ恨しや 妬ましや 云かはしたを忘れはせじ 今こそ思ひしらすべいと 戸を蹴
破り男の咽へくらひ付 生きながら鬼に成たと京大坂の芝屋で 甲斐国の女の鬼と
狂言にしたげな 夫レから其家が毎夜さ家鳴(やなり) フウ是は余ッ程こはい咄だ 声ふるはせずと
咄せろさ コリヤ寒六其様にからがねきへ寄なやい イヤサわれが身共をおすじやないか シテ其跡は
どうか/\ 夫レから二階がめき/\ 裏せどがぐはた/\ アレどろ/\と家鳴がするは 百物語のふしぎ
かと 赤鰯のそり打廻し もつそをきらずでくふごとく 壁を睨んで尻込する 其中にどん/\
と間近く聞ゆる太鼓の音 待て/\ あれはお旦那村上様和田山で獣狩のせこ太鼓 アレ/\近ふ

聞へるから お帰りに間も有まい こゝら片付け掃除して 化物より恐ろしい旦那のお目玉貰ふな
と 皆部や/\に入にける 見渡せば野も山も皆白妙の和田の山 雪の下伏兎狸猪狐を
狩取らんと 村上左衛門義清狩装束花々敷 山案内の狩人連れ得物をせこに指し荷はせ
和田の別所に立帰り 門開かせて村上左衛門悠々と打通り アゝ冷へる/\ 世上の譬に違はず 犬骨
折てたかの知れた得物 北条殿の此下屋敷を預る某 今日の猪狩も私の遊興ではない 諏訪
明神の神使は年ふる白狐信玄是を信仰して武運を祈ると伝へ聞 何とぞ此狐を狩と
らんと思へ共 神通得たる白狐にて狩人の手に及ぶまじ 去によつて一国の野狐を残らず狩取らば


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神通得ても遉は畜生 万一白狐を射止たらば莫太の褒美 其旨屹度心得よと さ
も押柄に云渡す 近習の侍飯山郡太おくればせに立帰り 某せこの殿(しんかり)を仕らんと引さがり候所
に 高嶋の坂中にて年ふる女男(めを)の狐を見出し 弓に矢をはけ追かけしに 小笹が隈に逃入て
かくれに行方知れず 無念千万仕損ぜしと 薄(すゝき)かや原かき分けて捜せしに 狐に勝りし女の曲者生け
捕りて参上致す ナニ女を生捕たとは 必定敵方の紛者 幸い新身の刀試し切にしてくれん
是へ引と詞の下 引立出るさを鹿の是もつま乞女と見へ 都育ちのぼつとり風 女好の左衛門大口
くはつとよく見れば 恋こがれたる嬪八つ橋 其儘抱付たい所 家来の手前と仁体作り ホゝウ郡太

いしくもしたりな コリヤ女近ふ寄て身が顔を見い ナコレ村上じや/\ おれを慕ふて遙々の所をよふ
おじやつたのふと いふ所なれど爰は主人の下屋敷 アレ声々の家来共がナ合点か コリヤ者共女今
夜身が寝間に引きすへ 新身のだんびら物を以て 臍の下を試し見ん 寝所に土檀の用意急げ
やつと片頬に皺面片頬に細目 コリヤうぬらは何しておる 早くうせふ己もうせいと叱付 邪魔を払ふ
て コレ恋人 そもじの事を明くれに うつら/\と恋こがれ 待に待た念が届いて 今日爰へおじやつた
は是偏に諏訪明神の引合 けふから身が奥 但しはいやか サゝゝどふじや/\としなだれかゝり 抱付け
ばふり放し 私はお主のお行方を尋ね吟(さまよ)ひ 是より東(あづま)の方を心ざして行ねばならず お志は有がたけれど 今


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はかへして給はれと涙ぐめば そりやならぬ 云ふ事聞ねば百万倍で仇する左衛門それレでもいやか 何と/\
といへど答も泣入八つ橋 エゝしぶとい女め コリヤ/\家来共 此女真裸にして氷ぜめ 八重地獄の
苦しみさせい 責よ/\と高声に 八つ橋庭に消入心地 折もこそ有れ取次の侍罷出 甲斐の国
武田信玄の使者高坂弾正 越後国長尾謙信の使者越名弾正 通し申さんやと伺へ
ば 村上驚き フウ長尾は格別武田とは鉾先を争ふ中 其両家の使者 一所に来たとは心得ず 何
にもせよ対面せずばおくせるに似たり ソレ逃走りせぬ様に其女に縄ふつて庭の樹木にくゝし
上い 敵国の使者なれば手たれの武士共次の間に ぬかるなやつと云渡し 其身も衣服改めて

悠々として 座しいたる 程なく入くる高坂弾正越名弾正 刃を争ふ使者と使者 物をも云ず
辞儀もせず 見ても見ぬふり上下のひだと/\もすれ合中 両人刀抜き置て 遥か下つて高坂
弾正 口上の趣きをいはんとするを先ず待て高坂 此越名にじぎもせず 使者の口上マアなるまい トハな
ぜに 門前へ乗込むも一時 玄関へ上るも一時 身が口上申上る迄 すつ込で居よ逃げ弾正 ヲゝ此
高坂逃げたか逃げぬか只今勝負 ヲゝ合点と刀追取袴のそば取 サア/\勝負と立向へば
村上大口明てから/\と打笑ひ 主の使者に立ながら 儕等が威勢を争ひ 身をはたす?(うつけ)武
士 身に対しては無礼と云ふか慮外者 察する所長尾は先達て北条に心を寄する気 武田も


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供に氏時の味方と成 此村上共和睦して 謙信は信玄を亡ぼし信玄又謙信を亡さんとの
頼の使者 違ひはせじと村上に 星をさゝれて詞を揃へ 御賢察の通り御みかた願ひ奉る頼みの使者 
お受なされ下さらば 我々迄も大慶と恐れ入て述ければ ホゝウ我眼力違はざりしな 両家の頼み聞
入ぬも武士の本意ならず 両家の返答依怙なき様に武勇鬮 弓矢打物の勝負にて
勝たる方へ北条村上供に味方 幸い是に山狩の弓矢二手 氷をつみ上あつちとして 一寸二寸
の的は勝負遅し 五尺の的を射させんず ヤア/\郡太 其しぶとい女めこそ屈竟の的 胴腹を
射通させ難面(つれない)心に思ひしらせよ 女め引けと云間もなく 縄目血走る細腕(かいな) 涙ながらに八つ

橋も なく/\引れ立出る あれ見よ両人 此女は足利家の賤の方の嬪八つ橋 我都にて見初め 折がな
時がなと思ひし所に 今日思はずも此村上が手に入共難面女 我が詞を背く故汝等が勝負にて
彼めを成敗 我見る前で胴腹を射通せと 刀を杖につつ立上り眼をくばれば高坂越名 いかゞ
はせんと浪(ためら)ふにぞ 猶予すれば味方はせぬ いかに/\と声あらゝぐれば両弾正 辞するに及ばず 弓
矢手鋏 不憫には思へ共国の為にはかへがたし 心に得と観念せよ サア/\高坂勝負むかるな ヲゝ心得
たりと諸共に 弓と矢つがひきり/\と引しぼり 弓手めてへ身をひらき 切て放す目充は村上 射
かくる矢先両手にしつかとハゝゝゝ 察する所謙信信玄心を合せ和睦を云立此村上を討取ん


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とはおろか/\ 所存も知れざる儕等 弓矢を渡す左衛門が大肝に 己等が矢先が立べきか 家来
共女を引立 きやつばらを搦捕れと 声の中よりせこの者ばら/\と追取まく エゝ欺し寄て討取んと斗し
に 仕損じて高坂 ヲゝ越名無念/\に腮(あご)擲すなと取付くやつばら 右と左へ踏すへけすへ 一度にかゝ
れば信玄流 謙信流の太刀打早業 手を砕きたる働きに 家来もせこもたまり兼むら/\ばつ
と逃入れば めざすは村上遁さじと 双方より切かくるを 引はづし/\重ねて切込む刃と刃 ヲゝ合点と身を
かはし 傍なる火鉢でしつかとおさへ ひかん/\ともがく二人が首筋極ぐると引寄せしめ付られ無念/\
ともがけ共 膝にかためてひつく共動さず 儕等此村上を欺し討に討んとせし 其返報に踏殺

さふか 但しは掴み殺さふか どうしたら腹がいよ ヲゝ夫レよ 当の矢を射返さん 肝のたばねに受取れと尖り
矢二本逆手に取 喉(のどぶへ)ぐつと一えぐり えぐりえぐられ高坂越名 七転八倒五体をもがき あへなき
最期そぜひもなき 女めいづくにおる 早く/\と呼れておづ/\八つ橋が気も魂も身に添ず
此体見るよりはつと斗 袂を顔に押当て そゞろに震ふ斗なり コリヤ八つ橋 おれに敵たふやつ原が 此
死ざまをよつく見たかと 尖り矢引抜どふと蹴飛し 女もおれが詞を背くとまつ此通り いやでも応
でも抱て寝る 寝所へこいと引立行 奥は俄に家鳴震動 庭の植込さは/\と風にあを
つて?燭の 火かげに見れば燭台に目鼻あり/\ 朝顔のあしたに咲て 夕べには 露の命も恋


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故ならば 儘よてんほの皮巾着 さんごの珠の目をひからし 腰にもつれて寄添ば 村上ぎよつとし
コリヤ何しや フウ聞へたけふ山狩の狐狸 我に仇するにつくい四つ足 目に物見せんと燭台け
とばし こなたへ来る縁がはに又によつぽりと石燈籠 火袋に顔まざ/\と 有明の月の
眉 目元に色を夜目遠目 笠に苔むす手水鉢 やらじととゞむる柄杓の手 跡へ戻れば
青天井がくるり くる/\蛇の目むき出すろくろ口ひらいてすぼめて相合がさの袖と袖 雨や雪
霜ふらばふれ/\ぬらしはせじと一本の足手まどひとなりひさご 瓢箪から駒下駄も庭の飛
石ぐはた/\と 待合の半鐘のうまり くはん/\鑵子(かんす)刀掛地の角軸も 三幅対の竹に虎うせふ

けば風おこり 龍吟すれば雲おこり 炭のおこつた大火鉢 目鼻しかめて這寄れば 戸障子
襖ぐはさ/\/\ 遉の村上気を奪はれ 女を小脇に引だかへ 行共行かれず 戻れど戻さぬ
妖怪に刀を抜て切廻れど只雲霧を 切るごとく腕もなまり五体もしびれ眼くらん
でよろ/\と どうど伏たる村上が 形斗は有り/\と 玄関広間大座敷書院 床の間おなりの
間有つる女も消へ失せて 館と見へしは信濃路の雪ふりるもる和田の山ふゞき斗や 残るらん 
かやせ/\ 迷子の殿様かやせ かへせ/\と高提燈に太鼓鐘 舛(ます)の麁忽(そこつ)な大名の 殿様カヤセト
大勢が 尋吟ふ向ふより えいさつさサツ/\サ 夜道を急ぐ早飛脚 コリヤ/\飛脚物問べい 只今われ


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がくる道で 殿様らしい迷子には逢なんだか イエ/\殿様らしいは扨置 夜の殿にも逢しませぬ フウ
夫レならば金作りの刀脇指で 心中などしてゞはないか 水にはまつて水死はなされぬか イヤそんな事は
見当たらぬ 迷子の子が大君なら忠にくばらしやろも知りますまい ヤア早飛脚が何かといふ間に
遅飛脚随分尋ねさしやませと 道を早めて走り行 家中の者共力を落し アゝおいとしや/\ 大
方狐の業であろ 今頃はてつきりと お召がへの雲雀毛が むさい物を小豆餅じやと思召て
ひつたものあがるであろ イヤ/\案じて居ても事が済まぬ うさんなは此かや原 捜して見よふと足
軽共 そこよ爰よと雪かき分ける萱の影 人こそ有と提燈てん手に見れば見る程 紛ひ

もなき迷子の殿様 申し/\迷子の子の殿様いなふと 声に気の付く村上左衛門 むつくと起きたる其
形(なり)は 筵袴に竹大小反り打廻して大音上げ 夫レへ来るは武田信玄 かくいふは信濃の住人 村上左衛門
義晴か留たやらぬと呼はつたり アゝ申し/\ 私はお草履取のばけ介でござります フウばけか 信
玄ではないじや迄 あれ/\/\ 比興未練の越後の謙信 遁さじやらじと追ふをとゞむるけらい
共 コハ正体なき旦那の有様 人の見る目も恥給へと 抱とむれば漸と狂ひ 伏していたりしが村上
漸心付き やあらふしぎや 今迄和田の館の内 越名高坂を指し殺し 我ながらついに覚ぬ 勇
力と思ひしが 爰へはマアどふしてきた サアきのふの山狩から迷子にお成なされ 一家中が一遍


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三界 皆麓迄お迎ひに集つております ムゝそんならおれが強かつたのは 狐の業か 成程
かのてこざります かのとは誰じや 八つ橋か やれ/\恋し床しとこがれた恋人手に手を取て
帰ろやれ 足元を爪立て ちよこ/\/\とつま立て 行んとするを 家来共よつてかゝつて乗物
に助け乗すれば歩(かち)若堂 乗物集れにはい/\/\ 尋逢たる太鼓鐘 はやし立て/\迷子の
殿様取返した かへした/\お先手をふる迷子 逢てめでたき信濃路の 薄萱原ふみ
分けていのふやれ我古郷へ 立帰る 信濃なる諏訪の湖要害に楯籠りたる
館城 長尾入道謙信は 代々越後の城主として 己が武勇の鉾先に爰も切

取る諏訪の城 新たに立つる奥御殿 義晴公の御功君 後室手弱女御前 供にお成
を設けの結構 大方ならず見へにけり けふぞ其日と嬪婢忙し中に立集り 何と皆の衆
去年からの御普請で結構に建った奥御殿は 武将様とやらの後室様のお成じや
げな わしらはそんな事とはしらず 此館のお姫様八重垣様の祝言 其拵へかと思ふてい
た ヲゝあの人のいやる事はい 八重垣様にお云号(いゝなづけ)の有た勝頼様は 去年の秋御切腹 それで
其勝頼様の姿を絵に写し お姫様が明ても暮ても泣て斗こざるが そなたの目
にはかゝらぬか けふの拵へは今日本の大将軍のお子様なり 其後室様尋常(よのつね)のお客とは


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違ふ 夫レで此間より国々の名物をお求めなさるれど 今此諏訪の湖に氷が張詰め 舟の
往来も叶はぬ故 何かゞきつい手づかへと 役人衆の心遣ひ 夫程晴ないお若様故 念に
念を入てぶ調法のない様にとの云付け 新参とは云ながら物馴れた濡衣殿 何かの事を
頼むぞや ホゝ是は又人を術(づゝ)ながらす様に 物馴たやら馴んやら 今集りの私お前方に引廻し
て貰はにやならぬと 傍輩中のかれそれも 中能く見ゆる中庭より いきせき出る蓑作
が今は姿も菊作り 花恥しき角額縁先に小腰をかゞめ 奥庭の花壇の菊
かゞむを囲みし延びるをちゞめ 枯葉一枚ない様に残らず手入仕り 漸只今相仕廻ふと いふ顔

うつとり嬪中 扨も見事よい男 こんな男に手入しらるゝ菊の花はあやかり物 わしら
もどふぞあの人の手入で小菊が咲かしたいと 何がな悪口云捨に奥へ行跡幸いと傍見
廻し 濡衣が庭におり立手をつかへ あなたにお別れ申してより此館へ入込わたし 程ふる日
数の明け暮もどふお暮らし遊ばすぞと 案じる中に思ひも寄らず 菊作りと成て此館へ
お出なされし勝頼様 御思案でも有ての事か ホゝ不審尤 此家の主長尾謙信 一子
景勝を討ても出さず剰さへ義晴公の忘れ筐松寿君 御母公諸共けふ此館へ招く
段 心得がたく思ひし故 菊作りと成て入込む業 汝が役目は法性の兜 いまだ奪取便りも


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なきや 濡衣いかゞと有ければ ホゝ其兜の事故に奉公に出た私 微塵も油断は致さ
ねど 何をいふても用心厳しく夫レ故心に任さねど お悦び遊ばしませ 今日の饗と有
て 其兜を上段に錺らして候へば けふを過さずお手に入れん すりや其兜か奥の間に アゝお
声が高いと指し寄て囁き點く二人が相談 夫レと白洲へ立出る 姿一くせ親仁 娘々
コリヤ娘と呼れて恟り飛退く濡衣 ヲゝとゝ様とした事が あの人に花壇の事をいひ
付て居る所を 断りなしに娘々と呼様な あたぶ躾な不遠慮な 何じや断りなしに娘と
呼だがぶ躾じやと こりやおれが悪かつたはい 今度から用が有て呼なら サア娘今呼ぶぞと

先へ断ろ ハゝゝゝこりや前髪 わりや花作る事か上手じやといふて 昨日から雇はれて来
ているが 此花畑は此関兵衛が預り けふのお成のお饗しに成る花故取り分けて大事と思ひ
助に雇ふた花作り もふお成に間はないか 草(のら)斗かはいておつて 夫で仕事が出来るかよと
叱れて手をもぢ/\ イヤモ他の花作ると違ふて 普段手入のして有花壇故 何にも仕
事はござりませず 漸と枯葉を取たり 花形のふりを直すがせいさい 夫故仕事も思はぬ
はかいき 落葉一枚ない様に掃除迄仕廻ましてございます ムゝ夫なれば精が出た 花壇
が済んだら外に用なし 次へいて休息せいと 赦す詞を蓑作が勝手へこそは立て行 ハテ扨


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見かけに似合ぬ精出すやつ 兎角人はかげ日向が大事の物コリヤ娘 われも随分精出して
御奉公に私すなと いふも真身の親子の中 ヲゝとゝ様の忝いお詞 稚い時より武田の家に
宦(みやつかへ)に 不慮の事故親里へ戻つて見れば とゝ様も今では長尾の家へ御奉公を幸いに 親
子一所に宦 新参者でも侮られず 傍輩衆にも憎まれぬはお主の御恩とゝ様のかげ
仇疎かには存じませぬ ヲゝそふ思へば冥加がよい 此親も御領分に狩人を商売に かつ/\
に暮した身分 謙信公の見出しに預りお館に置かるゝは 此屋敷に有諏訪法性の
兜とやらは諏訪明神より給はつて 則神のつかはしめ 狐が寄て番をするふしぎの兜 そこ

で又野狐共が其兜を戴けば 官上りするとやらで折々館を徘徊する 見付次第打殺
せと アレ座敷先に家をしつらひ 狐の番が役なれ共 勇気盛んな謙信公何の
狐が来ふ筈もなし 安閑としている隙に仕覚えた花畑 時ならぬ菊を作るが気に入て
狐の事は余所に成 今では菊の花守り親仁 楽々暮すも主人のかげと 互の身の上しみ
/\゛と親子咄の折からに 早御成と騒立奥へ行人戻る人 心関兵衛濡衣も 奥と口と
は別れ行 館の主長尾謙信 衣冠正しき儲けの式礼 角立つ中にさとかほる音もしと/\
女中の手がき 邊り輝く鋲乗物 見るより謙信謹んで 優曇華とやいはん希代の御入来 冥


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加に余る身の面目 直ぐに其儘奥御殿へと 差図に従ひ乗物は 奥へ行跡謙信も 続い
て入んとする所へ 暫く待た長尾謙信 奥方よりの御上意有と呼はる声 はつと平伏頭を垂れ 
待つ間程なく立派の骨柄 長袴の裾けはらし 上座にどつかと異議を正し 先ず以て今日は御幼君
寿君 御母公共に入来の面目恐悦に思はるべし 去によつて母君より 貴殿への御上意余の義
にあらず 先達て申渡せし子息景勝の首 今において討ても出さす事延引にせらるゝ
段必定野心に極れば御前において切腹 を遂げらるゝや但し景勝の首只今討つて出さるゝ
や 返答次第計らふ旨有 謙信いかゝと上使の権威 こは思ひ寄らざる上意と 顔ふり上て ヤア

汝は?景勝と驚く謙信さあらぬ上使 イヤ景勝にもせよ誰にもせよ 一旦?を討べし
と契約有しは諸大名の真中 今において其沙汰なく 剰へ本国に引籠り底の知れざる親人の
所存 イヤサ謙信の心底と人の疑ひ立申す なぜさつぱりと我等が首 イヤサ?景勝の首討て
心底は見せられぬ サア首討か但しはいやか 有無の返答承はらん サア/\何とゝ詰寄は 遉名を得し
謙信も ?を伜が討手の上使 返答何と当惑の口をつぐんで見へにけり ヤア未練の心底 此
上は某爰にて切腹と 指し添に手をかくれば ヤレ暫く 必早まるなと 声をかけて花守関兵衛
何か白洲へ白菊の 花携へて立出れば ヤア汝等ごときが知る事ならず しされやつと景勝の


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怒りにちつ共臆せぬ関兵衛 イヤ下として上の事 指し出るではござりませねど 最前よりあれにて様
子承はれば どふやらかうみいら取がみいらに成様な御上使様 あつたら侍の首切て仕廻ば 再び生らぬ
又此花は何ぼ切ても生くらるゝ ナ切て生かすといふ伝授お望ならば指し上げたいと どこやら詞の一理屈
聞て謙信眉をしはめ ムゝ切て生けるといふ白菊面白し/\ 関兵衛其花所望せん 成程花は上
ませふが 花斗では自由に生からぬ 夫レを生かすは花作り 幸いお次におりますれば 是は呼寄供々に
生ける伝授を御覧有れ 花作りの蓑作御用が有早ふ/\と親仁が呼声菊作 エゝけたゝましい
何事と 此場の様子白洲の内 いきせき出る顔形 ヤア汝は武田勝頼といふをとゞめて アゝ申し/\夫レ

おつしやると物がない 何にもしらぬ白菊の花 其生け様をよふ覚た此花作り 人のふり見て我ふり
直すが第一の伝授事 ナ是さへ御所望 なされば何もかもさつぱりと申訳の立そふな物と 憚り
ながら親仁めは存じますると 蓑作か身の上夫レと白砂に 額摺付け蹲る ホゝ遖の花作り 今より
館に召抱んか わりや謙信に奉公し花の生け様伝授せんや ハイ成程外の事なら存ませねと
花一件(まき)なら生さふと殺そふと我等が得物 夫レを屑(とりえ)にお抱なされて下されふなら 望んで成りと
御奉公仕度お屋敷 ホゝ出かしたういやつ 御上使の御返答申上るはあの蓑作 先ず夫レ迄は暫し
の御猶予 偏に頼み存ずると 余義なき顔に打點き 過急の御上意用捨はならねと 塩尻


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峠に控へ居る諸大名へ申渡す子細有は 我はかしこへ立越ん 有無の返事は塩尻迄 隙とらづ
直ぐに此城取囲ん 追付け有無の御返答 認むる中蓑作も次へ集つて衣服大小 ハア有
がたし/\と勇む蓑作景勝は にがり切たる塩尻へ別れて こそは出て行 跡見送つて関
兵衛は 謙信の前に手をつかへ 花作りの蓑作合点が行ぬとぜしか われが大方ホゝ紛ひも
なき武田勝頼 夫レと見出せし花守関兵衛 下郎に似合ぬ中々器量の有親仁 其
性根を見込み改めて謙信が 頼入度子細有 我に頼まれ得させんや返答聞んと有ければ
是は又改たお詞 元狩人の私 お見出しに預かつた君の大恩譬命の御用でも いやとは申

さぬ我等が魂 ホゝ頼もし/\ 其詞を聞く上は 何をか包まん是見よと しづ/\立て一間の障
子 開けば内に怪しき牢輿 関兵衛ふしぎと指し覗き 牢の内には科人らしき者も見へず
何やら見馴れぬかはつた物 そりやマア何でござりますと 尋に謙信異議繕ひ 未だ日本
へ渡らされは 汝等が知らぬは理 是こそ鉄砲と名付けし飛道具 ムゝ其又鉄砲とやらか盗でも致
せしか 何の為に此牢へ ホゝ科は天下を望む叛逆 さいつ頃武将の御前へ 薩州種か嶋の
浪人 井上新左衛門と名乗り 此鉄砲を献上し 類なき軍機の重宝遣ひ様の伝授
せんと 欺し寄て義晴公を一討に 跡をくらまし其場を逐電 草をわかつて尋捜せど 今


86
に行方知れざる曲者 詮議の手筋は此鉄砲 其所に残り有しが 即ち科人同前なれば 此ごとく
禁牢させ 日毎の拷問手を尽せど 義晴公を討たる敵今日迄白状せざる不敵
の鉄砲 只今より此詮議 汝に申付る間 火水を以て責めさいなみ 敵の有家を白状させよと
鉄砲くはらりと投げやれば 手に取上て呆れ顔 すりや私にお頼有は此鉄砲とうあらを責
いでござりますか 是は又思ひも寄ぬ 拷問も問状もなみ/\の人間なら 及ばずながら責め
も致そふ きせるやの看板か 庵の火吹竹見る様な物 責めいとは御難題 あなた方の手に
さへ合ぬ物 其上何を証拠手かゝりも ヲゝ手かゝり証拠は其鉄砲の遣ひ様 普く世上に

知る者なし 其伝授を覚し者こそ ムゝすりや何と御意なされます 此鉄砲の遣ひ様を覚
た者が ホゝ則武将を討たる敵 スリヤどぐでも詮議を私に 仕損ずまじき汝が魂 アノ此親仁
が性根魂を サア見込んで頼むに違背は有まじ 油断致すな関兵衛と 詞も重き大将の
心残して入給ふ アゝ申し/\ 我等風情にこんな役目 難題も事による 他へ仰付けられいと 跡を
詠めて ムゝ未だ日本へ渡らぬ鉄砲 遣いひ様を覚へし者が 義晴を討たる敵 此関兵衛に詮議
せよとは ムゝ合点の行ぬ謙信と諸手を組で工夫の顔色 アゝいや/\ どふ思案して見ても
我等には似合ぬ役目 やつぱり似合た花の番 鳥おどしの弓矢より 外には何にも白髪の親


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仁 ドレ小家(こや)にいて一休みと ふりかたげたる鉄砲も 胸に物有り明の月もる