本朝廿四考 第四 (奥庭狐火の段)

 

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      イ14-00002-741

 


92(2行目上の段)  (奥庭狐火の段)
     思ひにや こがれてもゆるのべの狐火 さよふけて狐火や 狐火のべ
の のべの狐火 さよふけて 幾重漏くる爪音は 君を設けの奥御殿 こなたは正体涙ながら
アレあの奥の間で検校が 諷ふ唱歌も今身の上 おいとしいは勝頼様 かゝる工の有ぞ共しらず
はからぬお身の上 別れと成も難面(つれない)父上 諌めても嘆いても聞入もなき胴欲心 娘不便と
思すなら お命助けて添せてたべと身を打ふして嘆きしが いや/\泣ては居られぬ所 追手の者は先
へ廻り勝頼様に此事をおしらせ申すが近道の諏訪の湖舟人に 渡り頼ん急がんと 小づま取る手も

 

かい/\゛しく かけ出しがイヤ/\今湖に氷張詰め 舟の往来(ゆきゝ)も叶はぬ由 徒路を以ては女の足 何と
追手に追付かれふ しらすにもしらされず みす/\夫を見殺しに するはいかなる身の因果 アゝ翅が
ほしい 羽がほしい 飛で行たい しらせたい 逢たい見たいとつま乞の 千々に乱るゝ憂き思ひ千年百年
泣明し 涙に命絶ゆれば迚夫の為にはよも成まじ 此上頼みは神仏と 床に祭し法性の兜の
前に手をつかへ 此御兜は諏訪明神より武田家へ 授け給はる御宝なれば 取も直さず諏訪の御神
勝頼様の今の御難儀 助け給へ 救ひ給へと兜を取て押戴き 押戴きし俤の 若しやは人の咎めんと
窺ひおりる飛石伝ひ 庭の溜りの泉水に移る月影怪しき姿 はつと驚き飛退きしが


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今のは慥に狐の姿 此泉水に移りしは ハテめんよふなとときつく胸撫おろし/\ こは/\ながらそろ/\
と 指し覗く池水に 移るは己が顔斗 たつた今此水に 移つた顔は狐の姿 今又見れば我俤
幻しといふ物か 但し迷ひの空目とやらか ハテあやしやととつ置いつ兜をそつと手に捧げ覗けば又も
白狐の形 水にあり/\有明月 ふしぎに胸もにごり江 池の汀にすつくりと詠め入て 立たりし
が 誠や当国諏訪明神へ 狐を取てつかはしめと聞つるが 明神の神体に等しき兜なれば
八百八狐付添ひて 守護する奇瑞に疑なし ヲゝ夫レよ思ひ出したり 湖に氷張詰れば 渡り
初めする神の狐 其足跡をしるべにて心安ふ行こふ人馬 狐渡らぬ其先に渡れば水に溺るゝとは

人も知ったる諏訪の湖 たとへ狐は渡らず共 夫を思ふ念力に 神の力の加はる兜 勝頼様に返せ
と有る 諏訪明神の御教へ ハア 忝や有難やと兜を取て頭(かうべ)にかづけば忽ち姿狐火の爰
にもへ立かしこにも 乱るゝ姿は法性の 兜を守護するふしぎの有様 こなたの間には手弱女御
前始終の様子窺ふ共 いさ白菊の花の番小屋にとつくと関兵衛が 付廻しても神通力
花のまふ/\見へつ隠れつ神さる狐 なむ三宝とせき立つ関兵衛 ねらひの的は手弱女御前
どつさり響く鉄砲の音を合図に遠近(おちこち)より 俄にひゞく鐘太鼓 乱調に打立れば 騒がぬ関
兵衛広庭に二王立 程なく馳せ来る雑兵原 我打取らんとひしめいたり ヤアしらしき有財  ←


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がき 此世の暇取らさんと だんびらするりと抜放し 当る任せになき立て/\御殿をさして 行先の
間ごと/\は しん/\と灯火きへて音せぬは 敵の油断折こそよけれ えぼし素襖も忍び
入 時の用にぞ大広間咎むる人も長廊下長袴の裾指し足に 御座の間近く窺ふ関
兵衛 あやしと兼て勝頼が 透かせど見へぬ真の闇 人こそ有ども身を隠れば こなたも隠
るあなたの一間 立ふさがつたる三郎景勝 やり過してかけ入を 袖引ちぎれば手にさはる下の腹
巻スハ曲物と 組付く景勝小手返し ひらりと付け入勝頼を さしつたりと真の当 たぢ/\
/\と跡じさり 騒がぬ大胆しすまし顔 人を欺く坂東声 大将の御座近く帯剣の武士

叶ひ申さず めい/\詰所の当番大切に致されよと そらさぬ体にしづ/\と猶奥深く行
所を ヤア/\美濃国の住人 斉藤入道道三とゞまれやつと声かけられ 肝にこたへてかけ
戻り 邊をきつと大音声 ヤアラいぶかしや 三十年来跡をくらまし 包み隠せし我本名 斉藤
道三と呼だるは そも何やつぞ対面さんと 広縁先に枯木立 景勝勝頼前後をか
こひ 逃ば切んと詰かくる 後ろの襖さつと明け 武田の忠臣山本勘助 叛逆人の詮議をと
げんと 悠然と立出る 続いて近習諸大名 御殿広間も燭臺に 一度に輝く灯の光り 遁
れん方こそなかりけれ され共ちつ共臆せぬえせ者 ヤア長尾謙信の此城へ 日頃不和なる


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武田の家臣 山本勘助とやらんのさばり来るも心得ず 叛逆人の詮議とは 誰が詮
議夫レ聞ふ ホゝウ匹夫下郎の分として 天下に怨(あた)する汝が本名 知たる子細は此一品 七重
八重 花は咲け共山吹の みの一つだになきぞ悲しき 此蓑覚が有ふがな 諏訪明神の力石 出会ふ
た横蔵珎(めず)らしい対面するなア 此哥は汝が先祖 大田道潅がつらねし一首 みの一つたになきぞか
なしきとは 足利殿に攻め落され 美濃国を切取れし 其欝憤にて義晴公を鉄砲にて
打奉る叛逆人の張本美濃国の道三と 顕はす蓑は身の破滅 最前打たる鉄砲の
術 覚し者は汝一人 我と我身の白状明白 あらがふな齊藤と 大地を見ぬく詞の石火矢

三人中へ取込て 何と/\ときめ付くれば ほく/\と打點き ホゝ遉は武田の軍帥と 呼るゝ
勘助よく見付けた 我先祖道潅は 謙信の先祖上杉が鑓先にかゝつて死たる
怨みの元は足利の武将 たよつて殺さん其為に 北条氏時に賄賂(まいない)し 心を合せやす
/\と 義晴は討たれ共 忘れ筐の松寿丸 けふ此館へ来るは幸い 奪ひ取て人質とし
謙信信玄氏時をも皆殺し 一天四海を掌握する此道三 汝等が手にはいつかな
/\ 義晴を殺した鉄砲で たをやめ御前もぶち殺した 松寿丸を是へ出し 降
参せよと睨め付る ホゝウ根強く仕込し謀叛人 かゝる危き敵の中へ 足利の公達が


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ふか/\と来り給はんや 松寿丸の御入と 偽り来たは此勘助 最前鉄砲にて打たれ給ふ
たをやめ御前の死顔 とくと拝見仕れと 投出す女の切首 追取てよく見れば
ヤアこりや娘濡衣か コハ/\いかにと顚倒半乱 エゝ口惜しや奇っ怪や 数十年の欝
憤を 一時に散ぜんと思ひしに 勝頼が恩に引かされて 敵方へ巻込れ 大望有る此親
に よくも不覚を取らせしな につくい女が死ざまやと 首を打付け歯ぎしみ歯切り そゝ
ぐ涙は諏訪の海一度にとくることく也 ヤア返らぬ諄(くりこと)絶体絶命 尋常に縄かゝ
れと 両人一度に立かゝる シヤ物々し道三が 死物狂ひと立上る 弓手の脇坪は

つしと射る 白羽の矢先は長尾謙信 威風烈しき眼中に 道三どつかと座を組んで
引抜く鏃我腹に ぐつと突立て目を見開き 先祖より遺恨有る上杉が子孫謙信
の矢先にかゝるは 我運命の尽きる所 本国を切取れ 美濃一つだになかりし無念 美濃
尾張両国を従へ ついには国家を握らんと思ひしが 我身の終りと成たるは 及ばぬ望
に足利の 武将を討たる其天罰 信玄謙信中あしく見せかけしも 我を見出す計
略とは 今迄しらざる心の浅はか 最期に魂改むる此世の餞別 北条が城郭の案内は
某具(つぶさ)に伝へ申さん 元来相州小田原の城堀深ふして塀高く 要害の名城なれば?(たやすく)


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は落べからず 霞晴たる時節を窺ひ 箱根山より見下せば 敵地の構へ能知るべし 其時に謙
信が家の軍法細作の犬を入れ置後ろより勘助是にと切て出 放火を相図に甲斐越後諸
軍一度に矢先を揃へ指し詰引き詰射るならはさしもの堅固の城也共 直ぐに乗っ取氏時が首を
巷にさらさんは道三が老後の思ひ出 さらば/\と引廻す 尤も清き武士(ものゝふ)の死ても残す名の誉
家の誉と法性の 今ぞ兜を甲州へ戻す両家の確執も 納る婚礼三々九度
勝色見する紅梅の色有る勝頼勇有景勝道三が仇も恨みも晴渡る 諏訪の湖
歩(かち)渡り夜もしのゝめに明渡る 甲斐と越後の両将と其名を今に残しける