絵本太功記 六月五日

 

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      イ14-00002-093

 

33(2行目)
   同五日の段
聞(門夕)鱗山揮(ぶんりんさんぎ)一同して風雨烈しき中国の 物騒がしき蛙が鼻 久吉公の陣館 乱杭
高垣幕ゆひ廻し 兵具ひつしとならべしは 事厳重に見へにける 太郎兵衛治郎兵と
呼集め 落葉枯枝(え)をかき寄せて 湿気を払ふ雑兵共 一つ所に寄集り 何と斯した
所は かんしやうゆうの煙かと出かけた ヲゝサ今にも合戦といふたら戦場の切り合 集銭出しの
呑くらい 軍場の小商人の手目上させてやらふ物 何をいふても長の籠城 我身で

我身儘ならぬと 重き口からからぞめき ちんふん勘六智恵有顔 ハゝゝ尤なりいさましし 某
迚も戦場に出立なば 彼の唐土のあぼす東六が奇計を以て 鑓先尖き餅田楽 串さし
ながら掴喰 鬼殺しと見るならば あたり次第に呑ほして 代物といふ大敵には 喰逃 呑逃
早いが勝と惣々が 咄しの耳を突抜鐘 スリヤこそ軍が始まると 達者な物は口斗 足も
しどろに立て行 スハ事こそと加藤正清 一間を出る庭先へ雑兵一人かけ来り 只今遠
見いたせし所 あやしの両人陣中さして参るよし 引とらへて詮議に及び候所 郡高松
両城より使者として女一人僧一人 通しませうやと窺へば ホゝ使者と有は捨も置れず


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案内致せと追立やり 待つ間程なく取次に 従ひ来る葉月の 使者は二八の品形
ふりの袂に名香の高き寺僧諸共に使者の座にこそ 着きにける 正清威儀を
繕ひて 是は/\郡高松両城よりの使と有て珍事の御両人 お使者の趣承はり 加藤
取次仕らん 様子はいかゞと正清が 尋ねに愛持つ玉露が ハアゝ正清様とやらお取次の段御
苦労に存じます 自らは高松の城将清水宗治が使玉露と申者 清水申越るゝ趣きは
此方の家中浦辺山三郎と申お若衆様サア其山三郎不慮に場内を抜出たる不忠者
御かくまひの由承はり 早々使者を以て所望に及ぶといへ共 御帰し下されざる段我々共

不審はれず もしや使の不念不骨なる事ばし有て 武士の意地を立ぬき
お帰し下されんも計りかたし 此度は汝集つて御機嫌の窺ひ 同道して立帰れと有使の口上
以前宜しく御披露と 詞もあやも玉露が 詳らかに相述る 安徳寺詞を正し 玉
露の申さるゝ通り 浦辺山三郎は郡の家人同前故 此方よりも使を立るといへ共
御承引なきによつて あたま役に愚僧が使 とにもかくにも貴所の御執成し偏に頼存ずる
と 頭を下れば加藤正清 何事かと存ぜしに 浦辺に付て何日といひけふといひ 何か
事も有そふなる三家の胸中 軍はわきへ取置て 福原梶田の勇将等馬を出


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さるゝは 此虎之助一切合点参らね共 女義の使出家たる御方を 追返すも
おとなげなし 取次は致し申さんが暫時隙入事も有ん あれなる一間に相待れよ 然らば
後刻と式礼目礼 玉露引連れ安徳寺左右へ こそ別れ行 朱明の空も一面の
雲かけ隔つ浮草の浪に漂ふ山三郎 又降り雨に足音の紛れ出るもしめ/\と いとゞ
うさをや重ぬらん 後のこなたに玉露が 物音窺ひ立出る襖もそつと人目の関
尽きぬえにしの顔と顔 なふなつかしの山三郎様御身にお怪家はなかりしかと 縋り付たる
振袖のならぶ翼や連理の縁 いもせわりなく見へにける 是は思ひがけもなき玉露殿

何故爰へは来られしな サイナ此城中へ入込しも兄様の深き御思案 お前に逢て力を合せ
真柴を討てとくれ/\゛の仰 首尾能仕負せ立帰らば 誰憚らぬ夫婦中 手柄を見せ
て下さんせと 夫頼の女気は胸にやりせぞなかりける ホゝ我もやたけとはなれ共 一かた
ならむ名大将 猿冠者の猿智恵と聞しに違ふ真柴久吉 此軍配に我々式が及
ばんや 所詮すご/\高松へは帰られず 清水殿の申訳 只今腹切相果る 其方は立帰り此
通り伝へてたべ さらばと斗柄に手を かくる夫に縋り付 マア待て下さんせ 姫ごぜ
の身て敵城へ お使者に来るも何故ぞ お前に逢いたさ顔見たさ 死ば一所と


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かたらいしわたしをふり捨死ふとは 聞へぬはいな胴欲な わたしを先へ手にかけて
殺してやいの我夫と 命惜まぬ武家育ち 涙色めく婉?(えんれん)の袂は 恋の渕なら
ん 涙隠して山三郎 ヤアいらあざるくり云嗜れよ 敵へもれては互の恥辱 そこ放されよ
と突退る イヤ/\/\ わたしも供にとあらそふ後 ヤレ早まるなと声緒をかけ 立出る真
筑前守久吉 高松より使者に来りし玉露へ 山三郎を返しあたふる 又浦
辺へは此書面 久吉か心を込し清水殿への送り物 此役目仕負せなば抜
群の高名手柄 早々小船にて帰城せよと 差出し給ふ情の賜 其文

章はしらね共 一先ず城へ立帰り其上生死を決せんと 心定めて押いたゝき
足早にこそかけ出れば 夫の跡に引そふて命の親の久吉様と 悦び足も地に
付かず 飛が如くに立帰る 又も聞ゆる陣鐘につれてかけくる女武者 金
石ならねど湯王陵(とうわうれう)万葉(ばんぱ)を乱し都より 夜を日に継いだる阿野の局 久吉公に御
見参とさゝへる組子共せず 広庭つたひ 歩みくる ヤア者共某に逢んと有
女武者 曲者なり共何程の事や有ん 対面して取せんず 者共引と御下知
の 声聞取て阿野の局 ヤア久吉殿かといふを押へてあたりを見廻し 音高し


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/\ 御自分の形相一方ならず 一大事の注進ならば 敵もれては味方の非運心
を付て物語られよ 腹帯しつかと 即座の気付 サゝゝ様子はいかゞ 何と/\ ハアゝ
されば春長には安土を出立まし/\て 都本能寺に入らせ給ひ 中国加勢
の御手配り諸軍を催す時こそ有れ 逆臣武智が夜討の企 フウ何光秀が謀
叛とや シテ/\勝利はいかに/\ ハアゝ明れば二日子の下刻 水さへ音なき真の闇 早洛陽
に乱れ入り夢驚かす俄の戦場 太刀よ具足もとほしき寺内 数万の敵は
甲冑に身を固めたる小手脛当 味方は薄絹綾錦 濃紅の玉襷 自ら始

蘭丸兄弟死地に入たる働に庫裏(くり)方丈も忽に血汐くま取修羅道の巷に
迷ふ築山かけ 射つ射られつ切つきられつ釼の山ハ寒地獄となる鐘は五臓を射抜
君の弓勢 先手の軍兵一筋の?(つのぎ:矢尻)につらなる三人五人恐れをなして引退く シテ/\
君には御安体にてましますか 気を付られよ阿野の局 ハツア 君には御安体にてmし
ますか 心元なしいかに/\ ハツア申も便なき事ながら 運の尽きとて蘭丸殿 田嶋が手
鑓に無念の最期 勝に乗たる光秀方 味方は残らず討死し 春長公にも御腹
召れ シテ三法師君は 若君様は細川殿へ落しまいらせ 二条の御所も一時に亡び


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火中の煙と失給ふ 是ぞ筐のお家の御籏 此上は久吉殿の智略にて 武智を
討取亡き我君の亡魂に 手向てたべや真柴殿と 死る今端の際迄も 君
を大事とはり詰し心の花もがつくりと折てちり行貞心貞死 義女の鑑を残しける
始終の大変聞久吉 身体忽壊敗(えはい)に苦しめ 途方にくれて居たりしか つつ立上り
大音上 ヤア/\旁 我を謀る女が不敵 只今某切捨たりと 諸軍の心迷はさぬ遉智
人の名大将 先立主君亡き人の生死は同じ梓弓 弔ひにこそ入にける 無常に傾く
夕陽(せきよう)は坊主あたまものび欠び 時刻移ると安徳寺 エヘン 恵瓊(えけい)は咳払ひ

しつ/\歩み独り言 ヤレヤレ此永の日中待せて置 返答もせぬ上に鷹爪(ようそう)はまたな事 皷
屑一ふく志しさへなき大将 主腹斗肥すと見ゆる 餘りな釣付け様私の顔も三家
の使 帰つて此由 申上んと行かんとす ヤア/\安徳寺恵瓊和尚は いづれへござる久吉対
面仕らんと声かけられ ハゝゝいや早愚僧は生れ付たる近飢(ちかがつへ)餘りの隙入に甚だ腹
中窮鼠にせまり一つ鉢(はつ)の御芳志に預り度 勝手へ参るといふを打消 ハテ扨
久吉が志の供養有事を 眼前見捨てて帰られるお僧の心底いぶかし そこ動くな
と真柴久吉 障子をさつと押開き 上段に錺置いたる金鴨(きんあう)の 煙も薫する


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手向草 心惜しと尻目にかけ ヤア大将の詞共覚へず 出家さるゝ我をいぶかり動くな
とは 物をしらざる今の一言 ヤアいふな恵瓊 都の大変立聞して 郡へ注進せんず心底
隠しても隠されまじ 軍勢を引入修羅を導く悪僧 寺領が望か知行が望か
返答聞かんと未前の真柴屈せぬ恵瓊 大口明いて高笑ひ ハゝゝヤアむかしたり猿冠者
愚僧をとらへ悪僧とは何のたは言 儕が主たる春長は伊吹山の鬼の再来 諸
寺諸山迄責苦しめ 仏敵遁れず本能寺の庭においてのたれ死したる尾田おの幕下
主に劣らぬあばれ者 五畿七道でくらいたらず 此中国迄攻下り民家を苦しめ人

種を絶さんとする魔王の根元 亡し絶すが仏の役 希代の名剣請取れと はつしと打つはしつ
かと留 ハゝゝ出家に似合ぬよき嗜 童おこりの坊主が悪口 久吉が耳には入ぬ 誠相手に
成たくば 天地の道理成仏の明かなる事を悟りし上 相手に成て取らせんと 飽く迄きびし
き嘲弄に 奥歯砕くる無念の眼中 つか/\と立寄 眼尻(まなじり)逆立息をつぎ ヤア威勢
につのる人もなけ成今の悪言 当時安徳寺の大寺を踏へる此恵瓊 童劣りとは何をいふや
久吉 ホゝたとへ大寺の名僧たり共 心中に六道の迷ひ有ては 成仏の道思ひもよらす 汝か目
より魔王と見抜し某が 天地の道理をしらせんずと 恵瓊を目かけ打かけ給ふ


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以前の蓮(れん)袈裟 是はいかにとためつすがめつ見て恟り 覚の袈裟は矢矧の橋にて 天下を得
と見付置たる奴殿かと飽きれ果たる斗也 久吉につこと笑はせ給ひ いかに恵瓊老 其時は
たいなしの一文奴 算木書物も当にはならぬと貴僧の詞 後の証と其時に申請たる
其袈裟衣 矢矧の橋にて我相面刀付し貴僧の天眼通 此久吉が望む出世にあらね
共 天より生ずる恵なれば あしくな思ひぞ恵瓊殿 此上は尾田と郡の和を結はるゝが出家
の役 よもや違変は有まじと 名智の詞に安徳寺 頭を摺付/\て ハア理非明白たる御仰
訓狐(きんこ)といへる物は 夜は微塵の虫をも見れ共 昼は大山さへ見る事あたはず 此坊主も真

此ごとく 御身黒どんたる日かげの其時はよく奇相を見分れど今
天下に名を得 武威白昼にかゝやく時は相見あたはず見損せし訓狐
に等しき此坊主に和議の御諚は冥加至極仰に従ひ和談とゝのへ奉らん
ホゝ早速の会得は遉の名僧 一刻も早く急がれよと 仁者の詞にハゝはつと 天
より照らす久吉の威勢に恐れ引かへす 道は道なり明らかな 心てらして立
帰る 跡見送つて久吉公 心をこらす軍慮の庭先 見越の松か枝はつしと
射たる 矢文はいかにと立寄てかなぐりhぎらけば返書の実名 清水が自害


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一紙の血判つら/\と読終つて表に向ひ ホゝ高松の城主清水氏 真柴久吉が一
書の胸中 射抜しは遖々 此上は三流を切落し諸人を助けあたふべし いざ/\是へに
清水長左衛門宗治 兼て期したる討死の 弓矢打捨庭上にどつかと座し エゝ
天運強き久吉殿 只今射込し矢文の返書 いよ/\御承知下さる上は 味方の助
命頼入ると鎧脱捨腹一文字に引切苦痛 夫の跡をしたひくる 妻は手負
と見るよりも のふいたはしや悲しやな 斯した御最期させまい為郡一家の
人々より わたしを以ての御教訓無になすのみかいたいけな 此子は可愛ふ

ないかいなと夫に縋り伏転び前後もわかず泣居たる 宗治苦しき目
を見開き アア愚かや女房何くり言 郡三家の人々は某が胸中をよく御存知
そち達親子に今生の 暇乞をさせんず為の御情 ハア冥加なや 有がたや
一才の時よりもくらひ込だる大禄の 恩義はいつか謝すべきぞ 夫レに引かへ小知の
銘々主恩に命を捨る 数万人の最期をば助けん為の此切腹 玉露山三が
密書の使心を込めし久吉の書中 味方に取ては盲亀(もうき)の浮木悦べ女房
何ほへる 気を張詰て伜をばよき武士(ものゝふ)に仕立上 主君に忠義を忘るなと高 


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松の良将も 子故にくらむ深手の苦痛 見るに付ても弥増さる夫の最期稚子
の行末思ひやり梅は女の浅い心から 太守の仰は誠ぞと斯した別れしらずしてお
跡をしたいきた物を暇乞さへろく/\に云たい事の数々を いつの世はつの添ぶしに
語らふ物ぞ情なや アレ/\/\何にもしらぬ稚子さへ 虫が教へる寝覚めの愛てうち
/\は父上の 今端を拝む合掌ぞやといだきしめ/\伏転びたる女気を 不便と
察する久吉公こたへこたゆる宗治か恩愛一度にたもちかね清水涌きくるはら/\
涙血水川辺に浪越て土砂吹飛す如く也哀を見捨てて真柴久吉かしこを屹度打

やり アレ/\/\見られよ両人相図を以て川筋の土俵岩石嫌ひなく 切て落せば
あり/\と平地とおさまり城外へ遁れ出た老若の悦びの声鯨波 見
物あれと大将の 教へにはつと心付 エゝ幸い成るかな是に物見と よろほひ/\
腹帯しつかと白布の 高見をつたひよぢ登り 見ひらくまぶたに高
笑ひ ハゝゝゝ女房悦べ 死後の思ひ出此上なし 浮世の夢もけふ限り 昨日
の敵はむれいる白鴎 鯨波と覚へしは 浦風とこそ聞へけり 我はあした
露ときへ清水流るゝ柳かげ しばしが程の世の中に心のこさぬ


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おさらばと 白布とかんとする所へ ヤア/\宗治しばし/\ 小梅川隆景 安徳
寺か理解によつて 尾田家一体水魚の因み 見届けて成仏有と 声
諸共に大将隆景 衣紋改めしづ/\と入来る跡に安徳寺 手にさゝけたる
白臺は 神文とこそ見へにけり 互に和議を取納め 恵瓊は神文押
いたゞき ハアゝ目出たく和談とゝなふ上は拙僧はお先へ帰り 久吉公の御
神文両家へさし上奉らんと 礼儀も足もいさみ立 衣しほつて帰らるゝ
久吉は詞をあらため 両家和順におよぶ上は何をかつゝまん 主君尾

田殿都本能寺において 武智が為に御落命と 声かきくもる一雫
万里にみちて 袖しぼる 驚く人々制する真柴 たるみを見せじと
つゝ立上り 主人の敵武智光秀 都に登り弔ひ軍三家の助力
あるやいかにと 聞より隆景につこと笑ひ ホゝ軍のそなへ有
ながら手をむなしくせし味方の若者 ときたて置たる弓矢の手
前 ねがふてもなき後詰の加勢 隆景采(さい)をなし申さん ホゝゝ頼
もしし/\ 早上京の用意をなさん 者とも早くと御下知に 加藤


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正清始とし人馬せばしと居ならんたり うれひにしづむやり梅を
いさめなだめて隆景公 父に劣らぬものゝふと小梅川が成人
させん 心残さず旅立と こもる情ににつこと笑ふがいとまごひ
此世の念も宗治が 忠義の家名稚子をもうりそだつる仁者
の道 雲きれ空も青々と 天王山のはれいくさ 名をとる
射とる弓矢とる 天下を鳥の声につれ いざや武智を討ん
ずといさむ正清両将も 都をさして 出てゆく