仮想空間

趣味の変体仮名

新版歌祭文 野崎村の段

 

読んだ本 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/856461

 

 

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3
 新版歌祭文  上の巻二段目の切 野崎村の段
引立て入りにけり
行に娘は気もいそ/\ 日頃
の願が叶うたも 天神様や

 

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4
観音様 第一は親のお蔭
エゝこんな事なら今朝あ
たり髪も結うて置かう

鉄漿(かね)の付様挨拶もどう
云うて善かろやら覚束鱠(なます)
拵へも 祝ふ大根(おほね)の友白髪
末菜刀と気もいさみ手

 

 

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5
元も軽うちよき/\/\ 切つ
ても切れぬ恋衣や 本の
白地をなま中に お染は思
ひ久松が 跡を慕うて

野崎村堤 嶋に漸と 梅を
目当に軒のつま
供のおよしが声高に
申し御寮人様 彼の人に逢は


6
う斗寒い時分の野崎参り
今船の上り場で 教へて貰う
た目印のオゝ此梅 大
方此所(こゝ)でござりませう

ぞえ
オゝそつと静かに云やいな
う 久松に逢ひたさに 来
事(ごと)は来ても在所の事 目


7
立つて気の毒そなたは
船へ 早う
早うと追やり/\ 立寄り
ながら越兼ぬる恋の峠

の敷居高(しきたか)へ
物まふお頼み申しませう
と 云ふもこは/\゛暖簾ごし
百姓の内へ改つた用が有る


8
なら這入らしやんせ
ハイ/\卒爾ながら久松様へ
内方でござんすかえ 左様
なら大坂から久松と云ふ人

が 今日戻つて見えた筈
ちよつと逢はせて下さん

と 云ふ詞つきなり形常々


9
聞いた油屋の扨は お染と
悋気の初物 胸はもや/\
かき交ぜ鱠俎押やり 戸口に
立寄り 見れば見る程美

しい
あた可愛らしい其の顔で
久松様に逢はせてくれ オゝ
そんなお方はこちや知らぬ


10
余所を尋ねて見やしやん

あほうらしいと腹立声
心付かねば ホンニマア

何ぞ土産と思うても急
な事コレ/\女子衆さもし
けれ共是なりと
と 夢にも其レと白玉か露


11
を帛紗(ふくさ)に包みの儘 差出だ
せば
コレヤ何んぢやえ
大所の御寮人様 /\/\/\と

云はれても心が至らぬ置か
しやんせ 在所の女子と侮
つてか ほしくばお前にやるはい


12
と やら腹立に門口へほればほ
どけてばら/\と 草にも露
銀(がね)けし人形 微塵に香箱
割出した

中へつか/\親子連れ 出てくる
久作
どうぢや鱠は出来たで
有らう 扨祝言の事婆が


13
聞いてきつい悦びぢやハゝゝゝ
が年は寄るまい物 さつき
のやつさもつさで取上(のぼ)せた
か頭痛もする いかう肩が

痞えて来た アゝ橙の数は
争はれぬ物ぢやはいの
左様ならそろ/\私が揉んで
上げませうか


14
ソレヤ久松忝い 老いて子に
従へぢや 孝行にかたみ恨みの
ない様に お光よ三里をす
えてくれ

アイ/\そんなら風のこぬ
様に
と 何がな表へ当り眼こ 門の
戸ぴつしやりさしもぐさ 燃


15
ゆるおもひは娘気の 細き
線香に 立つ煙
サア/\親子迚遠慮はな
い 艾(もぐさ)も癇癖も大掴にや

つてくれ
アイ/\きつう痞えてござ
りますぞえ
さうで有らう/\ 次手に


16
七九をやつてたも オツトこ
たへるぞ/\
サアとゝ様据えますぞえ
アツゝ/\えらいぞ/\ ヤえらい

は 翌(あす)が日死なうと火葬は
止めにして貰ひませう 丈夫
に見えてももう古家 屋
根もねだもこれや一時に


17
割普請ぢやアツゝゝゝ
オゝ爺様(とゝさん)の仰山な 皮切は
仕廻ひでござんす ホンニ風が
当ると思や 誰ぢや表を明

けたきりな しめて参ぜ
よ と立つを引きとめ
ハテ善いはいの
昼中に鬱陶しい ナウ久松


18
久松/\コレヤ久松 余所見
して居ずとしか/\と揉ま
ぬかいの
サア余所見はせぬけれど エゝ

覗くが悪い 折が悪い/\/\/\
と 目顔の為方(しかた)
ヤ悪いの覗くのと 足に灸
こそ据えて居れ 何所も


19
お光は覗きはせぬかや
サアアノ悪いと云ひましたは
慥に今日は瘟廣日(うんくわうにち) それに
灸は悪い/\/\と云うたの

でござります
エゝ愚痴な事を 此の様に
達者なはちよこ/\と灸
を据え 作りをするそこで


20
久作 アツゝゝゝ えらいぞ/\/\
やつぱりえらいぞ 何ぢやはい
わがみ達も 達者な様に
灸でも据えるのがおいらへ

の孝行ぢやぞや
オさうでござんす共 久松
様には振袖の美しい持病が
有つて 招いたり呼出したり 憎


21
ていらしい アノ病づらが這入
らぬ様に?(しき)の上へ大きうして
据えて置きたい
アツイ/\/\/\是お光 其処は

あたまぢや/\ あたまに三
里はないはいやい ハゝゝゝゝ
コレお光殿 振袖の持病
のと いろ/\の耳こすり は


22
したない事聞いては居ぬ
ぞや
ホゝゝゝ替つた事がお気に
障つた

オゝ障らいぢや
これやをかしい 其の訳聞こ
ぞえ
云ふぞや


23
と 我を忘れていさかひを
外に聞く身の気の毒さ
振りの肌着に玉の汗
久作も持てあつかひ

アゝコレヤ方も足もひり/\
するがな/\ まだ祝言もせ
ぬ先から 女夫いさかひの
取越かい 灸業(やいとがふ)のかはり喧


24
嘩の行司さすのかいやい
二人ながらエゝ嗜め/\
イエ/\構うて下さんすな
今の様な愛想づかしも

病づらめがいせくさる
何を云ふやら
モウ/\両方共おれが貰ひぢ
や ヨヨ 中直しが直ぐに取結びの


25
盃 髪も結うたり鉄漿
も付けたり
湯もつかうて花嫁御を
コレヤ

作つて置けと打笑ひ無理
に納戸へ連れて行く 其の
間遅しと駆け入るお染 逢ひ
たかつたと 久松に縋り付


26
けば
アゝコレ声が高うござり
ます 思ひがけない此処へは
どうして訳を聞かせて/\

と 問はれて漸顔を上げ
訳はそつちに覚えが有らう
私が事は思ひ切り 山家屋へ
嫁入せいと 残しておきやつた


27
コレ此冬 そなたは思ひ切る
気でも わしや
何ぼでも得切れぬ 余(あんまり)あひ
たさなつかしさ 物体ない

事ながら観音様をかこ
付けて 逢に北やら南やら
知らぬ在所も厭ひはせぬ 二
人一所に添はうなら飯(まゝ)も焚か


28
うし織りつむぎ どんな貧しい
暮しでもわしや 嬉しいと思ふ
物 女ゴの道を背けとは 聞
えぬはいの胴欲と 恨みのたけ

をいふぜんの 振の袂に北時
雨(しぐれ)晴間は 更になかりけり
曇りはちなる久松も 背な撫
でさすり声潜め


29
其のお恨みは聞えて有れど
十の年から今日が日迄 舩
車にも積まれぬ御恩仇で
返す身の徒 冥加の程

も恐ろしいければ
委細は文に残した通り 山家
屋へござるのが母御へ孝
行家の為 よう得心をな


30
されや と いへど答(いらへ)も涙
声 否ぢや/\わしや否
ぢやはいな
今となつてさういやるは

是迄わしに隠しやつた 云
号の娘御と女夫に成り
たい心ぢやの
是非山家屋へ行けならば

 


31
覚悟はとうから究(き)めて居
る と 用意の剃刀取直
せば
夫レ短気と久松が 止め

ても止まらず イヤ/\/\
そなたに別れ片時も何
楽しみに生きて居よ
止めずと殺して/\と思ひ詰


32
めたる其の風情
そんなら是程申しても
お聞き分けはござりませぬか
添はれぬ時は死ぬと云ふ誓

紙に嘘がつかれうかいな

ハア達て申せば主殺し 命に
かへて夫レ程迄に


33
思ふが無理が女房ぢや

叶はぬ時は私も一所にお染

久松
と 互に手に手を取りかは
す悪縁 深き契りかや
始終後ろに立聞く親


34
其の思案悪からう
と 云はれてハツと久松 お
染騒ぐを押さへてハテ扨下に
居やいなう

因縁とは云ひながら 和泉
国石津の御家中相良丈
太夫様と云ふれこさの息
子殿 聊かの事で家が潰れ


35
てから わがみの乳母はおれ
が妹 其の縁で十の年迄
育て上げた此の久作は後の
親 草深い在所に置くより

智恵附けの為油屋へ丁稚
奉公 夫レ程に成人して
商ひの道読み書き迄 人並に成
つたは親方の大恩 其の恩


36
も義理も弁へぬは 是見や
先に買うたお夏清十郎
の道行本 嫁入の極(きま)つて有
る主の娘をそゝのかすと

は 道知らずめ人でなしめ サ
これや清十郎が咄ぢやはいの
とうから異見もしたかつた
けれど 丁ど今の様な事が


37
有らうかと 夫レが悲しさ一日
延び 二日延ばしする間 ふつて涌
いた金の揉め事 是云ひ立てに
隙を貰ひ 分けて置くの

が上分別と思ふから 引き負ひの
銀(かね)の工面 どの様にきばつ
ても高のしれた水呑百
姓 僅かの田地着類着そげ


38
お光めが櫛笄迄売り代(しろ)な
し 漸拵へたさつきの銀
なさぬ中でも親子と云ふ
名が有るからは 肉親分けた

子も同然 可愛うなうて
何とせう
コレお染様ではない 此の本
のお夏とやら清十郎を可


39
愛がつて下さるは 嬉しい様で
怨めしいはいの 聞いての通りお光
めと女夫にするを楽しみに 病
苦をこらへて居るアノ婆様

に 今の様な事聞せたら
何と命がござりませうぞ
いの 若い水の出端には そこ
らの義理も糸瓜(へちま)のかはと


40
投げやつてこな様といつ迄
も 添遂げられるにしてからが
戸は立てられぬ世上の口
ぢやはい エゝアノ久松めは辛抱

した女房を嫌うて 身上の
善い油屋の聟に成つたは
コレ栄耀がしたさぢや皆
欲ぢや 人の皮着た畜生


41
めと
在所は勿論大坂中に指さゝ
れ 人交りが成りませうかい

コレ/\/\
爰の道理を聞き分けて
思ひ切て下され申し コレ拝み
ますはいの/\ 是程いうて


42
も聞き入れぬか コレヤ二人
ながら不得心ぢやの
アゝ勿体ない実の親にも
勝つた御恩 送らぬのみか

苦をかけるも私が不所存
から
イヤ/\そなたの科ではない
皆此の身の徒から 親にも


43
身にもかへますまいと 思ひ詰めて
も世の中の 義理にはどう
もかへられぬ 成程思い切り
ませう

オゝよう御合点なされ
ました 私もふつつりと思切
り お光と祝言致しまする
そんならそなたも


44
お前も
と 互に目と目に知らせ
合ふ心の覚悟は白髪の
親父

アノさつぱりと思切つて 祝
言をしてたもるか
何の嘘を申しませう
娘御も今の詞に 微塵も


45
違ひはござりませぬか
久松の事は是限り わしや
嫁入をするはいの
オゝ出来た/\むくつけな

爺(おやぢ)めと腹も立てず よう
聞入れて下されました 晩
の間のしれぬ婆が命 息
の有る中祝言が済んだと


46
聞かせて下さるが 大きな
善根善は急げぢや 今此
処で盃さそ お光/\
と 呼立つる

声聞こえてや病架より」母は
漸探り出で
親父殿 久松もそこにか 待ち
に待つた娘が祝言嬉しう


47
て/\ 此の間にない気色の
善さ 大煩ひの上目迄潰れ
た因果人 仏様のお迎ひを待ち
兼ねたに 難面(つれな)い命が有

たれやこそ 悦ぶ声を聞
くと云ふも 孝行な久松が
影 ふつつかな在所生れ 心に
は入るまいけれど 末の面倒


48
見て下され
頼みまする と云ふ中も
痰火は胸にせき上(のぼ)せば
エゝ此の寒いのに寝所に

やつぱり居たがよござり
ます
冷ゆれば悪い と蒲団
の上 抱きかゝへて久松が介


49
抱如才 納戸より 親子の
中も丸盆に載せた盃銚
子鍋運ぶ久作
コレお婆やつぱり寝ては居

やらひで シタガ嶋臺のないか
はり 世話事の尉と姥も
新しい目の見えぬは目出度
い秀句ぢや ハゝゝゝ エゝ目出た


50
い次手に此の嫁は何所にい
るぞい お光/\と尻がる

立つて一間を差のぞき

ハテでぐすみをして居るは そ
れでは果てぬ と手を取
つて サア/\嫁の座へ直つた
り/\ エゝ時に一家一門着の


51
儘の祝言に 改つた綿帽
子欝としからう取つてや

と 脱すはずみに笄も ぬ

けて惜げも投げ嶋田 根より
ふつつと切髪を 見るに
驚く久松 お染 久作呆
れてこれやどうぢや と


52
云ふ口押へて
コレ申し爺様もお二人様も
何にもいうて下さんすな 最
前から何事も残らず聞い

てをりました 思切つたと云
はしやんすは 義理にせまつ
た表向き 底の心はお二人な
がら 死ぬる覚悟でござん


53
しよがナ サ死ぬる覚悟で
居やしやんす母様の大病
どうぞ命が取り留めたさ
わしやモとんと思切つたナ

切つて祝うた髪形
見て下さんせと両肌を
脱いだ下着は白無垢の首
にかけやる五条袈裟 思


54
切つたる目の中に浮ぶ涙は
水晶の 玉より清き貞心
に今更何と詞さへ涙呑み
込み 呑み込んでこたへるつら

さ 久松 お染 久作も手
を合せ 何にも云はぬこの
通りぢや/\/\
女夫にしたい斗(ばつかり)に そこら


55
あたりに心も付かず莟の
花を散らせて退けたは 皆お
れがどんなから
赦してくれも口の中 聞え憚る

忍び泣き
アゝ冥加ない事おつしやり
ます 所詮望は叶ふまいと
思ひの外 祝言の盃する様


56
に成ついて うれしかつたはた
つた半時 無理にわたしが
添はうとすれば 死なし
やんすを知りながら どう

盃が成りませうぞい

お光の名にをいやるやら 女夫
になりやるを此の母も 悦び


57
こそすれ何の死の 久松
必ず気にかけて
なもんなやいのと子に迷ふ
暗き盲に夫レぞ友 知らず

悦ぶ母親の心を察し誰々
も泣く声せじと噛(くひしは)る 四人
の涙八つの袖 榎並八ヶの
落水膝の 堤や越えぬ


58

見聞くつらさに忍び兼ね
お染は覚悟の以前の剃
刀 南無阿弥陀仏 と自

害の体
久作剃刀引つたくり
サア/\どう有つても死に
たくば 婆も娘もおれも


59
死ぬる 三人ながら見殺す
気か
サアそれは
思ひ留つて下さるか 但し死な

うか サア/\/\ と三方が
義理と情と恩愛のし
め木にかゝる久松 お染 死
ぬる事さへ叶はぬはいかなる


60
過去の報いぞと前後正
体 泣き倒れむせ返るこそ
道理なれ
久作涙押拭ひ とうやら

斯やら合点がいたさうな
嘸母御が案じてござら
う 大事の娘御慥な者に
イヤ夫レには及びませぬ 母


61
が慥に請取りまっした
と いひつゝ這入れば
ヤア母様ハア
はつ と斗に詞なく差

うつぶけば
コレお染
野崎参り為(し)やつたと 聞い
て餘気遣さ アイヤ気慰み


62
によからうと 跡追うてさ
て何事も 残らす聞いた
夫婦の衆の深切お光女
郎の志 最前からアノ表で

わしや拝んで斗居ましたは
いなう サア観音様の御利
生で怪我過ちのなかつた
嬉しさ 是から直ぐにお礼参り


63
幸ひわしが乗つて来たアノ
竹輿(かご)で コレ久松そなたは
堤お染は船 別れ/\に逝
ぬるのが世上の補ひ心の

遠慮
然様でござりまする共 お
志ぢや乗つて逝にや
娘は船へ


63
と 親々の詞に否も云兼
ぬる 鴛鴦(おし)の片羽のかた
がたに別れて 二人は乗移
れば

兄様お健(まめ)でお染様 モウお
さらば と詞迄早改まるお
光尼 哀れを余所に水馴(みなれ)
棹 船にも積まれぬお主の


64
御恩 親の恵の冥加ない
取訳けてお光殿 斯なりく
だるも前(さき)の世の定まり事諦
めて お年寄られた親達

の 介抱頼む と云ひさし
て泣く音(ね)伏籠の表ぶせ
船の中にも声上げて よし
ないわし故お光様の 縁を

 

 

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65
切らせたおにくしみ堪忍し
て下さんせ
アゝ訳(わっつけ)もないお染様 浮世
放れた尼ぢや物 そんな心

を勿体ない 短気起して
下さんすな
オゝ娘がいふ通り死んで花実
は咲かぬ梅一本花に成ら

 

 

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66
ぬ様に 目出たい盛を見
せてくれ 随分達者で
ハイ/\お前も御無事で
お袋様もお娘御も おさ

らば
さらば
さらば/\も遠ざかる
舩と 堤は隔たれど 縁を引

 

 

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67
綱一筋に思ひあうたる恋
中も義理のしがらみ情のか
せぐひ竹輿に比翼を引分
くる心々ぞ 「世なりける