仮想空間

趣味の変体仮名

新版歌祭文(4) 油屋の段

 

読んだ本 http://archive.waseda.jp/archive/index.html

      イ14-00002-425 

 


42
   油屋の段
難波詠めの 其中に名に大坂の鬼門角 油のしめ木引しめて異見
の種も後家育ち 山家屋へ嫁入の日数せまりし大年の 払ひは宵に片付け
て春を寿ぐ注連飾り松の 盛砂 高盛の飯椀つらりと仕事仕の夕飯
時は賑はしし アゝおさつ殿遣ひ立てました けふは大晦日(つごもり)一年中の仕事納め 早ふ仕廻
て知行米はマア腹へ取込だ 此勘六めはどつちへうせた めんよふ悪い癖で飯時に
飯は喰らはず 又酒買いあにうせおつた あいつは大方さか子に生れおつたであろ イヤ/\

酒喰らひの筈じや あいつは薦(こも)かぶりから成り上つたやつじやげなと 傍に居ぬ
者謗り合ふ口の悪いはかけ徳利提げて外から ヤイ/\/\勘六が事謗り上がつたは長八め
じやな イヤおれじやない久兵衛じや イヤおれじやないぞ/\ エゝやかましい どいつこいつの用
捨はない皆覚悟してけつかれ 人の銭かつては呑むまいし おれか酒呑だらうぬらが足でも
ひよろ付くか なんのいのちつと傍あたりが熟柿(じゆくし)くさいばつかり ぬかしおんな 惣体油
絞りといふ者は襦袢一つで働く商売 取わけておれは寒の師走も日の六月
も 年中裸で暮す故だはの勘六と異名付いた男 此仕事せいでも能(えい)銭


43
を儲けるけれど 打入れ打上げたる身に付けた例しがない 儕らは銭がないから得喰らはぬ
のじや おれが此嗅(かぎ)をかゞしてこますを有難いと思ひけつかれ 一盃入れて跡で飯も
喰のじや 此盛(もり)て有おれが飯にどいつでもほでさいたら腹袋引裂くぞと 何
でもふじつく鬼の面 ほつた腕(かいな)は悪鬼の看板 障らぬ神に祟りなし 仕事の
賃さへ貰ふたら逝で早ふ年取らふ ヲゝどふなと勝手に仕をれ おりや逝なふにも
盆はなし 此酒の勢ひにぐつたりといつそ来年迄一寝入りしてこまそと 裏へ
転(こけ)込む?強者(すねもの)に 構はぬ手間取りお家様へ能やうに ホンニ此九三の小助はけさからとんと

顔見ぬのふ サア夕べの年越からまた戻らんせぬ ムゝ年越からと有れば何所の豆を喰ひ
に往かれた 大かた納屋の下の影裏豆 こちも逝で嬶の煎豆 お福は内
に待て居よと住家/\へ立帰る 木綿でもなく絹でなく せふ事なしの山蛮紬(まひつむぎ)
久三小助が里通ひ勝曼の 栄屋で夕べからしゆつぽく酒の二日酔こその
お山に送られて瓦屋橋にふつと気が付き ヤアこりやうか/\来て早こちの内
じや もふ逝でくれ/\ サア最前からいね/\いひじやけれど 内かたが見たさに
付て来た アゝコリヤ覗くな手代衆が見やしやる イヤ手代共は大事ないけれど


44
女共が見たら悋気する ちやつといね/\ そんなら旦那様かた三日違へなへと ぴんしやん
帰るを待兼て番部屋の物かげで着かへる衣裳繻子の帯 上着くる/\
すつぽりと元の 久三の尻からげ 急がし顔で竹箒 夕べの野等のはきだめを跡 
から拭ふふき掃除手桶の切水ぱつ/\と 浮名は余所に立ぞ共 しらぬ久松
小隠れに 悋気 口舌も声高に いはれぬが苦の世界なり お染様そりや何おつ
しやる 云号のおみつさへお前には見かへぬ私 それに何の上気(うはき)らしい外の色事所かいな
イヤ/\何ぼそふいやつても合点が行ぬ 是見や久様と書たお山の文がさい/\来るは

どふでも茶屋狂ひ仕やるに極つた コレハ又疑ひ深い 何処のやつがそんな状 誓
文わたしが茶屋へ行たら 西から日が出る東堀 いつこ川筋師走の懸取り 田中屋で
ござります 中払ひの残り拾貫五百文御算用頼みます ムゝ田中屋といふは
覚へぬがこな様何売たのじや イエ私は馬場前の茶屋でござります 久様に
お目にかゝれば御合点 女郎衆の取かへが六貫三百残りは御酒取り肴 アゝ是めつ
そふな 此久松馬場前とやら終に往た事もない覚へない/\ ハテこな様のしつた
事じやない久松様に逢して貰を サア久松はわしじやはいの イヤ久松じやない久と


45
いふは此内の旦那殿 旦那に逢ば分かるこつちや イヤそんな名は爰にはない
ハテ扨コレ 旦那の口から直に聞た おれが名は油屋の久三郎とおつしやつた
久はひさといふ字 そこでこちの嶋では久様といふはいの エゝそんな事こちや知らぬ
しらぬじや済まぬと声高に 見ぬ顔しても居られぬ小助 門から手招き コレ/\/\
爰じや/\ 久三郎是におる イヤアお前は久様旦那様かと 恟りあたふた門口へ
エゝ無粋なやつでは有る内へ這入るといふ事が有物かい デモお目に繋らにや済まぬ
出入り じやがお前はテモ薄いお姿で そして御自身に門掃くとはこりやどふで

ござります サイヤイ 大勢の人をつかふ者は旦那から斯して見せねば廻る物じや
ないわいやい ハア聞へました 時に聞へませぬは日外(いつぞや)からお風が替つて勝曼へお出なさ
るゝげな そして是程の御身上に私が僅の懸けを サア/\やるはいやい ソレマア三歩
取て置け 跡は後ちにこつちから男共に持たしてやる それも面倒(めんと)いおれが直に持て行
そりや有がたいそんなら必 違やせぬはい 是迄算用せずに置たは お山めがいき
方が悪さに肝癪でわざと引ずつたのじや イヤそりや旦那お道理なれど
おやまの肝癪で呼屋を踏むとは大きなつぼ ソレ重ね井筒にもござります


46
踏むな呼屋に科もない 火燵にたんと火をいけて 待て居ます くはつとお立てと こそ
屋はいき/\ 生玉さして立帰る コレ小助殿 此閙(いそ)がしい大晦日に何所へいて居やしやつ
た ヘゝ前髪がなまちよこざい置いてくれ 久三と手代二人前の此小助 請払ひは昨日
しまふ 年越に隙貰ふて戻ると直ぐにはき掃除 此働きが目に見へぬか イヤ/\
そふ斗じやない あしたのせちの椀家具蔵へ行て出してこいと かゝ様の云付 イエ/\
蔵の出し入れは久三の役じやござりませぬ お気に入の久松様 御寮人様と連れ立て行きや
それでは詞に角が有て気の毒今のはわしが云損ひ サアいつしよにと朋輩の機嫌

取る手をひつしよなく ハテ行けなら行くが邪魔になろがな あすは元日 大かた姫始めの取越
お染様の蔵の鍵 明けましてお目出たふござります エゝ同じ朋輩で門口からお礼申す
事さへならぬ 此久三には何が成と けたい悪口朋輩悋気ぶつくさ つぶやき立て行
年一日も くれかゝる 四十(よそじ)の浪も世話による乳母のお庄は久松に尋ね 大坂油屋
の 中戸に音なき 頼みませう どなたと内より出合頭 久松様か 乳母か 能ふ来
テたも蔦マア/\爰へと深切は 替らぬ中の行燈(あんど)の影 男が先へ箱提燈ともし
立てたる礼衣裳 上下ため付け山家屋佐四郎 歳暮のお礼とつゝと入 コリヤ喜八よ 今


47
夜は是で夜が更ける 夜半(よなか)前に迎ひにこい お勝殿は奥にござるか ハイ左やうに
申しませふ 暫くお待とつい立て 行も見送る主思ひの 乳母が気の付くたばこ盆
ほんに幸い能折から 今日もあなたへ参つてお尋申さにやならぬ訳 彼の吉光の守り
刀 アゝ是一昨日も申す通り 其刀は手前質に取たれ共 もふとふに流れました サア
其義は承りましたが 其置き主は 若し鈴木弥忠太とは申しませぬか イヤもふいかい
事の口数 すゞきやら鰡やら 此方覚へは致さぬと 塵灰付かぬ詞の塩 お茶上げ
ませふと久松が 差出す茶碗 引たくり エゝ小じたゝるい丁稚めじやな 手いらずの

染茶碗 ちよこ/\破(わり)そふな顔付 茶碗のかはりに親方の前で 何もかも
けつ破(わつ)てこます けふは後家に逢てめつきしやつき 嫁入の延るもほうずが有る
結納(たのみ)おこしてから幾月になる 今夜中にお染を渡すか そふなけりや結納の証(しるし)
の脇指一腰金拾両 取戻してこちから変改 其代りに又借して置た百廿貫目 毳(うぶけ)
迄算用して取のじや サア案内仕おれ丁稚めと しやちこばつたる麻袴疵持つ
足の穂に顕はれ 問ぬに夫レとお乳(ち)の人 そんなら和子二階で待て居ます
ぞへと 心残して立て行 蔵からそつと小助が悪智恵 小判の包封押切 先ず拾両


48
忝い 此盗人を久松めに そふじや/\と一人笑み 久に難儀を塗り文庫の 中へ目録
蓋ぴつしやり しめたぞ/\ 時に此金 ちつとの間 何所ぞに奥から小助殿/\と呼
立出る下女のおさつ コレ小助殿今奥で山家屋の旦那様とお家様と 結納(たのみ)を
戻せとやつつ返しつ其中に取交ぜて 結納の金が見へぬといふて 大ていの詮議じや
ない サア/\ごんせ ヲゝ/\そこへ/\ エゝどこへ隠して置き所に 事角(かく)折敷(おしき)飯椀の 高盛へ
つゝ込小判のごもく飯 上から押付けそしらぬ顔 打連れて行く奥から口 目から鼻へ抜目の
ない女主 後家に負ぬは銀の利の かさにかゝつて声山家屋 お勝様結納の証

潔白に戻さふと云はしやつたから 今更否は云れまい サア/\戻して貰ひましよ サア今お聞
まさるゝ通り 大切にして箪笥に入れしつかりと蔵に入て置いた結納の金拾両 今に成
て見へぬといふは コレおかしやれ いひがゝりで戻さふとはいふたれど 結納戻せば百廿
貫目立てにやならぬ 所で何なと引延す てれんはたべぬ 人にこそ寄山家屋の佐四郎
一保(いつぽう)が講釈三年聞た男じや そんな計略に乗てたまる物かいの ガ又嘘でなくば其
結納お出しなされ サア/\何とゝつゝかゝる主の当惑取分けて 気の毒余る久松 私が差
出がましけれど 大まいの銀さへ立ふと有お家様 僅か拾両の金を惜んで 何の真似合


49
おつしやらふ 油屋商売は大勢の仕事仕 毎日入込む事なれば 誰がわざかはしら
ね共失せたには違いひなし 私共も銘々身晴 供吟味して今夜中に 屹度お目に
かけませふ お疑ひ晴されませと 挨拶する程むつと顔 何がな小みづをくり出す
勘六 おうへにどつさり大あぐら コレ丁稚殿 貴様あぢいな事いふの 爰の内に金が
見へにや 仕事仕のおいらが盗んたのか イヤ/\そふではないわいの イヤそふいふのじや
仕事仕が大勢入込yさんなといふからは 絞り仲間を盗人といふのじや 殊におりや
けふ頃日(このごろ)の新面(あらつら)じや 猶以て耳に立つぞ 但し何ぞ証拠が有か ヨ 証拠もないに盗

人呼はり けたいが悪いぞ いま/\しいぞ アゝ是々声高にいやんないの イヤ/\/\とめやん
な小助 あのせんまめ仕様が有る サゝ尤じや/\ わがみの立ぬ様にはせぬ マア/\
待ちやいの イヤとめやんな/\ サア/\よいわいの わがみの立ぬ様にはおれがせぬ やかまし
いやんな /\古(こ)町じやはいの人が立つはいの 勘六正直者じやさかいえらふ立て召さる ハゝゝゝ
イヤコレ久松 ちよとおじや サア云てしまやいの いへとは何を ハテわかみが金盗んた事を
コレ/\小助殿 そりや何いふのじや 覚もない事を ハテ扨もふ叶はぬ事を 其真顔がいや
じやはいの 証拠の出ぬ中 サア奇麗にいふて仕廻ふたが能からぞや サアおれにいや/\


50
エゝ知らぬはいの ヤ実正覚へないか エゝ気の毒ながら 証拠出さすば成まいと 久松が手習ひ
文庫引さげ出 こりや是われが文庫 アノ佐四郎様から 結納の証に付いて来た
目録 我部屋の入物の中に コレ/\/\入て有たが遁れぬ証拠サ天命じやの
是でもわかみが盗まぬかと 差付られても覚へなき 身の災難に詞なき
久松が胸(むな)づくし 取て引すへ勘六が イヤばりめ うぬが盗んだ金を人にぬつて よふ
おれに紋付けたな コレ/\勘六やかましういやんな 金の有り所ぬかさねば どづきすへて
云はすのじや エゝぬかしあがれと責せつてう お勝は声かけ小助待ちや エイお家様

なぜおとめなされます ハテ下人といふても人の子 疵でも付たら何とする 殊に其
金の盗人 屹度久松には極らぬ アノ 是程しれた証拠の有に サレバイやい 其
久松が文庫は 明いて有たか錠がおりて有たか 金盗む程の者なら 其目録
は破つて捨る筈の事を 我科のしれる様に わざ/\我文庫に入て置いて しか
も蓋明けて置きそふな物か 但し 又錠がおりて有たをそなたが明けたら 人の箱の
錠捻ぢ切れば盗人の行作サ夫レならそちにも疑ひがかゝるぞよ サそれは 其様に
手荒ふせずと 静にしても詮議は成ると きつくり詞の角屋敷納めた後家に


51
いらつく佐四郎 ヤアそりやお勝殿 贔屓の捌きじや 現に知れた盗人の久松 そつち
で詮議がならずは 町内へ断つて代官所へ引ずつて行 小助しめ上て詮議仕やいの
ハイ/\合点と立かゝる コリヤ主の詞を背くのかと 主命流石うぢつく腕 小助せくな 
此丁稚めは勘六に任せて置けと 久松が前髪引き付け平手でぴつしやり 起き直つてコレ勘六 こ
りや何とするのじや 大ずりめ 小助は朋輩だけて手ぬるい 其日雇はれの勘六
どなたにも遠慮はない 金はき出さにや 商売の油のおり喰らはすぞ 胴性骨
の油糟 絞り出しても云はさにや置かぬと 土間へ引立て踏み落され 髪もばら/\ あら

涙きへ兼て欠出る乳母 マア/\/\待て下され待ていのと 庭に欠おり コレ久松
様 お前の身に曇りのない云訳はわしがする ほんに/\今でこそ町家(や)の奉公 筋
目正しい此和子に そんなさもしい心が有ふか 無念にござんしよ 最前からお前より わしが
口惜ふてならぬはいなアと 背(せな)撫でさすれば ハゝゝゝ何じやけたいなばゞが出た ごくにも立たぬ
云訳せずと 今爰でだはの勘六が 盗人の政道するをよふ見て置け じやが酔ひ醒めで俄
にぐつと肝饑(ひだるふ)なつた 飯一ぱい喰らふて腹丈夫にしてから どふするぞ待ておれと 飯椀引出し
箸取かゝれば小助は恟り アゝコリヤめつそふな/\/\ 夫レはマア何をするぞいやい ヤ何するとは おれが飯


52
をれが喰のに それが何でめつそふな イヤサ 夫レはいかにもわれが飯そふなといふ事 サア
おれが飯じやによつて アゝコリヤゞ/\/\ 其飯喰ふないやい 妙な事をいふ人じや ムゝばりめを行ふ
のに 隙が入るといふのか よい/\そんなら飯喰ひ/\やつてこまそ 一責めせめたら 白状さすは膳の
上の箸と飯椀放さぬ勘六 アゝ是は又情ない アゝこりや/\/\/\マア夫レを下に置け 此飯は
喰はされぬはやい エゝけたいな そりや又何で サイヤイ 金の盗人がしれぬ中は 仕業仕に
も皆疑ひがかゝつて有 ヨウ 若しわれが盗んだのなら 盗人に飯喰はす法が有か 身の
垢を抜た上で 跡で喰へといふ事 ムゝこりや理屈じや そんならこいつかづしごいて仕廻

はにやならぬ アゝ是々大事のおれが扶持切米(まひ) 物いひの付た飯じや やつぱり爰に
置て貰を 様々の事で食(じき)どめしられる おれが為には食敵(しよくかたき) 儕には是喰らはすと
割木引提立かゝる 勘六待ちや 家来の吟味は主がする 雇ひ人のそなたが入らざる
差出控へて居や そんあら小助が イヤわがみの頼まぬ ヲゝすりやこな様の直きの吟
味 見物致そとつゝむる佐四郎 いやといはれぬ此場の表 頼みませう 小助表に
案内が有 小助/\ハイ/\/\ ハテどなたじやと出迎ふ門口 兼てやしめし相けんを 互に
見ぬ顔空どぼけ 拙者浪人者でござる 此度有付て国方へ参るに付き 路用の拵へ


53
に手詰り お家を見かけて御無心と申して唯は申さぬ 宝は身の差合せ 売りに参つた
一と所ちよと御覧下されと 懐より取出す一通 コレ浄土宗一向宗にはなければ渡らぬ円光
大師の一枚起請 贋か正筆かは たつた一目御らふじると忽ちしれる お見知りの手蹟 ナ 何と
是斗は買はつしやれずは成まい 天罰起請文の事 此跡を読ずに値を付るが
商ひの秘事 娘御に買うて進ぜられたら 一生の災難を遁れる 守り本尊で
ござらふぞや 但し御所望にないか ナニ夫レにござるお若人 其元にも入用の物じやお
求めなされい 現当二世の起請文 イヤもふ/\有かたい御文章 お望みならばよんで

お聞せ申さふかと 意地くね悪ふ鬼門の肝先 ドレ拝見致すかと 立寄る佐四郎
は金神(てんじん)の 中からお庄が引取て一枚起請(ぎしやう)買ました わたしに売て下さりませ
御不肖ながらと差出す 金包手に取上げ こりや僅か金拾五両 こんな事では サア/\
夫レは当座の手附け ムゝ手附と有れば請取た 値は何程致さふと わたしがアイ
買まする 今年は夫の十三年 此有難い御文章が 何と人手に渡されふ コレ久
松様 お前の親御丈太夫様 預りの御重宝失ふた科 あほう払ひに逢のが無
念さ い覚悟の切腹 夫三平介錯の上 主人の追腹 お前は漸六つの年 兄久作


54
の在所へ預けわしは国にとゞまつて どふぞ今一度相良の跡目相続の願ひ
御家老中へ月々の訴訟 其時失せた殿の重宝 此大坂の質屋に有と
聞たはお主の出世時と 其為に拵へた此金なれど 差当つた地獄の苦
患遁るゝは此一枚起請 其大切な事を何共思はしやんせぬは 親御の恩を仇
に思ふて居さしやるから コレ見やしやんせ 妙養西岸信士 俗名三平 こりやわしが
夫の戒名 片時も肌身を放した事はない お前の親御は 剱樹院等覚居士
其心では命日も 忘れてかな居さしやらふ コレ此位牌の夫三平が忠義の心を

少しでも思ふ気が有なら 未来の約束 忝い御文章を反古(ほうぐ)にして 国へ帰つて命
長ふ 家相続して爺御様に草葉の影からにつこりと笑はしまして下され
と 恨みも異見も十分一時明けて云れぬ百千万 我子の様に 養ひ君思ひ詰たる
真実の母より深い大恩慈悲 誤つた/\ もふ堪忍して/\と嘆けば涙ふいてやる
あまいは乳母の習ひなり 嘆きを余所に山家屋が伸欠気(のびあくび) アゝこりや
盗人の詮議が来年に成そふな イヤコレ御浪人 見た所があの嬶 跡金の才覚
心元ない 手附限(ぎり)の事で有ろ いつそおれ買ましよ イヤ/\/\外へはやらぬ わしが先


55
約 サア跡金は何ぼでござんす 惣高金は五百両 エゝ安い物じや サア只今請け
取らふと 聞て今更ハツと斗り 当惑顔を見て取お勝 イヤ/\/\無躾ながらそ
りや出来まい五百両なら私が買ましよ 今がらりに渡さふ程に さつきの手附
はあの人へお返しなされ 成程/\そふなふて叶はぬ所 めくさり金で大事の代物
買い取らふとはのぶとい女め 手附金 ソレ返すと投出す包み お勝が取上 お侍
様 こりや最前の手附とは違ひましたな 何が違つた イヤ違ひました 中は
見いでもしれて有 大から是は戎様の贋小判 ヤアゝそりや何か手前存ぜぬ

あの女が イヤおつしやんな こりや最前の金ではないわしがよふ見て置た あの人が
渡した金は反古に包んでござんした 是は是白紙 包が違ふて有からは お前が内
から拵へてござつたふきかへの贋金 正真の金は懐に有ふがな 日外久松が騙られ
たもてうど此伝 是をたぐつて詮議したら 何が出よふもしれまいと穴を見付けた
発明後家 暗い仕業は油屋の 明かりにきよろつく化けのかは イヤ其詮議より
こちらの詮議 ドリヤ起請の正体を顕はしてお目にかけふと 立寄小助を勘六が 取て
突退け起請の一通 寸々に引さいたり コリヤやい/\ 大事の証拠なぜ破つた こつちへおと


56
せと云せも立てず ?(よはごし)どつさり片手投げ コリヤ何しをると 掴み付く 顔(つら)に飯椀菩
薩の罰(ばち) ソレ久松小判が出よふが ホンニ丁ど拾両 そんなら此盗人は ヲゝこいつじや もふ
遁れぬはい 道理で飯おしみ仕をると思ふた 何でも三つ山の約束に 儕一人よい事せふ
とは去とは下心の悪いがき もふ此勘六魂(たま)が返つて 是からは久松が味方 何も角もいふ
て仕廻ふからは 何所へ尻が行ふもしれぬぞ エゝもふ赦されぬと取付を脾腹の当て
身久三郎 きう共云ず目を白黒 一の裏は勘六が みたのかはりに山家屋も
傍杖こはがるたんば色 サア佐四郎様 拾両の金子出しましたぞへ 持てお帰りなされ

ませ 是でも私が盗みましたか 何のいの 正直正路な丁稚殿 有り所さへしれ
たら持て逝には及ばぬはいの ムゝそふおつしやれば娘にも 云ぶんはござりませぬか
何の有ろぞいの そんなら嫁入の日限は 春永に/\ ア長居致した 早ふ逝でいね
つみませふとそこ/\に底気味悪ふ弥忠太も そろ/\/\表へ 侍待た 懐の金
置て行け 但し勘六が引出そふか イヤ/\コレあの拾五両は御文章の代金 深い志
の金 お庄殿へはわしが返す どつこも波風ない様に わざと何にも云ぬぞへ ヲゝサ
身共も何にも云分ないと 強い顔でも胴震ひ肝を菜種に油屋の


57
辻から横に逃帰る お庄はいそ/\ 結構なお家様の御了簡で久松様の
明りも忽ち打てかはつた勘六殿 急に能過て合点が行ぬ コレ気遣ひせまい此勘
六 久松殿の肩持ねばならぬわけは 是見て下され 腕(かいな)に卒塔婆の入れ痣(おくろ)妙
誉西岸信士 ホンニ此位牌の戒名と 合たは不思議 母者人健でござつたの
こな様の子の三之助でごんすはいの ヤア別れたは十四の年 見忘れさんしたも尤
斯いふ髭顔になつた物 いつたいがちいさい時からいけずで有て 陪臣(またもの)の躮の
分で 歴々の家中の子供衆に礫打たり天窓はつたり 手打にもせにやならぬ所を

親父様の慈悲の勘当 間もなふ死なしやつたと聞てがつくり 始めてちつと人
間の魂が出来たれば悲しや體がみだれ同然 親の墓へさへ昼は得参らず
夜の中に写して来た戒名 命日に坊様呼ばふにも 宿なしなれば仏様は猶なし
せめて親の大恩を忘れぬ様に彫付けた 此腕がわしが仏壇 置き所が悪さに
手を合しては拝まれず 毎朝片一方の手でお礼申ますはいの 余所ながら
聞けば御主人丈太夫様 御切腹された元はといへば 紛失の吉光の刀 此大坂に
質物に入て有由 エゝ是を請戻してお家を立つれば お主人忠義 親父様のお位


58
牌へ 是に上こす手向はないと思ひ立た其日から 金の工面に様々の衒事 日外
座摩で摺かへた 其銀故に難儀さつしやる久松様が 主人の若旦那で有たとは
三宝 たつた今聞て膓がひつくり返つた?的(からくりまと・手へんに秀?)目当のそれも不孝の
罰母者人 堪忍して 下さりませと真実真身の後悔は 昔に返る稚
顔 其気に成たら親子じや物 何の憎かろ よふ健で居てくれたな
母者人 なつかしかつたと 抱付き襦袢の袖を絞りが誠 大づげ涙 殊勝
なり ヲゝ親子の心底感心しました 夫程に二人の衆が 心を尽す吉光の守り

刀は爰に有ぞや エゝそりや又どふして お前のお手に サア縁は不思議と久松の
人がら よし有る人と見た故に尋ねて聞た氏素性 守り刀の入り訳廻り廻つ
て山家屋に有と聞出し お染を望むを幸いに こつちから乞ふて取た結納(たのみ)
の証(しるし) 久松 そなたに是がやりたい斗に嫌ふ娘を山家屋へやらねばなら
ぬも爰の訳 是を土産に本知に帰れば 和泉の御家中相良久松様
いつ迄も油屋の丁稚で居るがみめでは有まい まだ年の明かぬ中と わしへの
義理や何やかや 訳もない事思はずと 早ふ出世さしやんせと 渡す後家


59
鞘ぬけめなき 情けにお庄が忝涙 ふがひない我々が思ひ込だ念がとゞ
いて 嬉しい共 有がたい共久松様お礼を /\ アゝ是 礼は来年ゆるりと
マア行かしやんせ ホンニ母者人 うか/\して居る所じやない 今夜の内に蔵屋敷へお
供して お留主居へお目見へなされずば 帰参の願ひが叶ふまい サア/\/\若
旦那 早ふ/\に久松は お染に引るゝ乱れ髪 撫付ける間もせはしなく 突き
出す鐘は早夜半(よなか)時刻が移ると勘六が 先に押立てかけ出す足首 片
息ながら取付く小助 投込むくゞり戸 後家様おさらば御無事で まめで

と内と外隔つる 一夜大年の鐘は百八煩悩を跡に 見捨てて「急き行
跡にむざんや油屋の お染は一人娘気に思ひ詰たる久松に 別るゝ
様子立聞きに 聞て気もきへ胸せかれ 爰で添はれぬ縁ならば 未来で積る
白雪の庭へなく/\折からに お染/\と母のお勝が声すれば アイ/\/\
と元の座敷へ立戻る お勝はさあらぬ顔色にて あすは目出たい元日
年の終りは寝ぬ物じやげな たとへそふなふても寺/\゛の鐘の音で 寝られぬ
から持病の癪が差込で アイタ/\ちつと爰を押へてたも あいと娘は何気なく


60
手を差入れる懐を明けて夫レとは纈(いわた:ゆはた)帯 障る手先にお染は恟り 嬶様こりや
お前腹帯じやないかいなと 思ひがけなき興覚め顔 娘そなた腹帯と云ふ物
して見やつた事が有か エイいへ/\何のマア 腹帯とやら ついに見た事もないけれど
おなかにやゝを胞(やど)した時此様に巻て置物じやと咄しに聞た斗 ヲゝよふしつて
居やる いかにもこりや腹帯 イヤサア 癪を押へる腹帯 此癪の直る薬をコレ
見や 買ては置いたれど 下女にも男にも煎じて貰ふ人がない わがみ大義ながら此
薬誰も人の見ぬ様にこつそりと煎じてたも アノ嬶様の何云はしやんす 薬

上がるに誰に遠慮 イヤ/\人に見せられぬ こりや此癪を押し下げるおろし薬 エゝイ ヲゝ
肝が潰れふ 娘の手前も恥しけれど 太右衛門殿に別れてから 後家は立てても離
れぬ煩悩 嵐三右衛門の芝居に誘はれ 名は云れぬが美しい若衆形をふつと見てから 思ひ
切るにも切られぬ悪縁 それが積つて情ない ツイこんな癪に成るたはいのふ かういふたら定め
てそなたの心では 嬶様の未練らしい わしらがそんな事が出来たら 井戸へなりと身を
投て死で仕廻ふ比怯な命おしむ共思やらふが 夫レで我身斗じやない 世間へおあつと沙汰
に成て油屋の家は是限り わしも色香を知りながら心に好かぬ山家屋へ 嫁入さすも家大切 今


61
の若衆形の事ふつつり思ひとまつた証拠に おなかの癪をおろし薬 思ひ切て煎じ
てたも 折角仏様のお世話で五つ月にも成たもの いぢらしけれど 子を助ければ親が死ぬ いひ
かはした男迄生きて居ぬ気を知た故 三方四方を納るはコレ そなたの思ひ切一つとはいふ物の譬へ
にも 子よりも孫は可愛といふに 初孫に日の目も見せず 水になせとの胴欲を教へ
る母が心の中は コレ鬼じやはいの/\ 男の為親の為 家相続の為と思ふて 気に入ぬ嫁
入してたも コレ一生の頼みじやと 我子を拝む母親の義理の腹帯しめ泣に いかに
も嫁入致しませふ ヲゝ出かしやつた/\/\よふ云てたもつたのふ 其かはりにどふぞして 早ふ

飽かれて戻る様に わしや神仏を祈つて居ると 粋(すい)な親程取分け迫るせつなさ娘の
心 互に思ひやるせなき親子の誠ぞ道理なる やゝ時移り 久松は最一度お染
に暇乞 死ぬる覚悟に立戻り塀の外面に有りぞ共 知らずお勝はヲゝ嬉しや/\ 翌(あす)はめで
たい元日 泣顔ふいて神様へ何やかやお頼申そ サアおじやいのと連て行 見越の枝
に三尺帯ひらりと 内へ久松があはや人かげ見られじと潜む 暗き夜蔵の戸の明いたを幸い
そつと入る 跡から付て見済ます小助 外から戸前をどつさりと鼠落しの仕済し顔 折から
外には小提燈雪の傘(からかさ)差かゝる鈴木弥忠太 跡を慕ふて勘六が息もすた/\ 弥忠太殿


62
/\一遍こなたを尋たはいの 身共に何ぞ用が有か 有段か/\ こなたが盗んで立
退た吉光の守り刀 質屋に有て手に入た故 たつた今蔵屋敷へ持て往た所が 真赤な
贋物 正真はこなたが持て居よふ サア尋常に出した/\ ハゝゝゝ いかにも推量の通り 質
屋めも一ぱいくらはしたのじや 正真はおれが持て立身の種にする 温かに渡してよい物か
夫聞たらもふ能 其刀は大かた爰にと 柄にかける 手をもぎ放し 直ぐにすらりと抜打ちを傘
でぱつしり請身の手だれ 内は妹背の縁がはより庭の井筒に合掌し 南無
阿弥陀仏の声聞取り お染殿か ヤア久松か どふでも死なねばならぬ身の上 未来

はいつしちに手を取て 組合ふ外の暗紛れ 手に障つたる小脇差 探つて見れ
ば九寸五分 扨こそ吉光 夫レやつてはとむしやぶり付くを 踏み飛ばし エゝ忝い 武運
の花の開き時 久松様は何処にござると 夫レと白雪白壁の蔵と庭とになむあみだ
アツと苦しむ一声に 暫くお勝久三の小助 久松めはくたばつたと 呼はり出るを取て引つ敷 
エゝ早まつた御最期と 恨むにかひも百八の鐘も打切しら/\明 かはいの声と
諸共に 年のおはりに明渡る 春を重ねて久松が 名は大坂の東掘今に 伝へて残りける(完)

 安永九年庚子年 九月廿八日


63
浄瑠璃太夫連名
 竹本組太夫 咲太夫 磯太夫 此太夫 卯太夫 光太夫 帆太夫 男徳斎
 三輪太夫 緑太夫 伊知太夫 夢太夫 芳太夫 文字太夫 三根太夫