増補忠臣蔵 本蔵下屋敷の段

 

読んだ本 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/856422

 

 

2
浄瑠璃は音声の曲節と文章の妙味を
相湏(ま)ちて感興を起さしむるは世の普く知る
所なり 今回発行する此懐中浄瑠璃
五行稽古本は古来の五行本にならひて
特に朱点を附したるは珎しうも新きうへに
体裁いも美しけれは音曲同好の人は更にも
いはす文学を玩ふ人も座右に置かへ


3
便よく小にして大をかなふるものといふへし
されは此本広く世に行はれるは斯道も
益隆盛ならんこと我喜む具編者の
功労を感し拙き一言を述て序に
代ふるになむ

明治四十一年冬 摂津大掾

 (これより本文)

てこそ入にける 人知れぬ
思ひこそのみ侘びしけれ 我
嘆きをば 我身そじる 三
世の縁も浅草の 片はら
町にしつらひし 加古川


4
蔵が下屋敷へ 主人桃の井
若狭之助忍びと見へて
案内に連 直に乗物裏
門より 座敷へ舁込其饗
宴或は美尽し善つくし

有ん限りの饗応なり 御
用透(すき)にや近習井浪番
左衛門 家来引連傍りを
見廻し コリヤ/\家来共 主人
桃の井若狭之助様の妹


5
姫三千歳殿 先達より本
蔵が 此下屋敷へ差越れ
病気保養とは表向 誠は
云号の縫之助殿と 遠ざ
けん為御預けなされし所

今日か迎ひの役目 此番
左衛門に仰付られ 又殿さま
是へ御成なされたは 諂ひ
武士の本蔵を 御成敗な
されふとの事だ カ我兼て


6
三千歳姫に心をかくる所
本蔵めが彼是と妨げなす
何に付ても邪魔なやつだ
今日御成敗相済だ上 日頃
こがるゝ三千歳姫は身が御

供申 屋敷連帰れとある
御上意 何と次節は待たねば
ならぬ物た アハゝゝゝ 大願成就す
るは今日今宵 併る兼て手
剛き本蔵ならば 必油断


7
致すな もし手に余らば
コリヤ斯々と耳に口 ムゝゝ成程
/\ スチヤお姫様の乗物は ヲゝサ
花川戸より御慰みと偽り小
舩を出し 向嶋から野道を

横に某が屋敷迄 首尾能
行ばコリヤ 褒美は望み次第 そ
んなら井浪様 必ずぬかるな
心得ました コリヤ シイ 密に/\と
しめし合して下部共に庭へ


8
廻れば 番左衛門臺子の釜
の蓋取て 兼て用意の毒
薬を懐中より取出し 煮立
釜へそつと入 一人笑みする
一間より 障子をそつと本蔵が

見る共聞共知らばこそ 仕済
したりと釜の蓋元の如に
直し置 ハゝゝゝ本蔵が成敗は扨
置 頓て濃茶の饗応(もてなし)手
前 烈をならべて皆殺し ムゝハゝ ムゝハゝ ハゝゝゝ


9
味い/\と捻向く障子ぴつ
しやり はつと思へどそらさぬ
体 誰が但して水屋の影
忍んで様子立聞共 形と
しら歯も咲花の 桃の井

若狭之助が妹三千歳姫
慕ひ焦るゝ縫之助に別れ
程経し物思ひ 目には涙
の玉簾 明て一間を立出て
釜の煮へ音耳に留め アノもず


10
やの煮音は 松風に似しと
やら 古へ須磨へ流罪の行平
卿を こがれ慕ひし松風が託(かこ)
ち草 哀に消し憂身とや
ほんに縫之助様と此三千

歳が 身にひし/\と片時も
思ひ逢ふ秋の新枕かはす
互ひの言の葉も 朝月の
まゝきぬ/\に お別れ申て
其後は 爰に月雪花川戸


11
霞が関と引別れ いつか
屋敷へ帰る雁文の便も音
伝も 泣じゃかもめの百千鳥
翅有なら殿様の お傍へ行
たい/\と 人目なければ声

を上かこち給ふぞ労はしき
時分はよしと番左衛門 囲
をそつと傍に寄 申姫君
様 三千歳様 と云にこなた
は涙を隠し そなたは番左


12
衛門 いつの間におじやつた
アイヤ只今参つた イヤナニ姫
君様 今日は本蔵が身の
落着 又お前様には今宵
屋敷へ連帰れと則此番左

衛門御迎ひの役目でご
ざります ムゝ何と云やる 兄
上様が自に 今宵屋敷へ
帰れとかや イヤモ帰るとも/\
肝玉がでんぐり返る俄の


13
御婚礼 何とお嬉しうござり
ませふがな ヤア/\そんならアノ
縫之助様と祝言かや アイヤ
拙者と祝言さそふと有
殿の御上意 エゝ アゝコレ お逃な

さるな/\ マア/\/\お下にござれ
/\ 是はしたり姫君様 さり
迚は難面(つれない)と申物 ハゝゝ お前
様が恋こがれてこさる縫之
助殿は 塩冶判官の弟成ば


14
上への恐れ 御縁組は何とし
て/\ ならぬ恋路に焦れふ
より 男に持て何不足のな
い此番左衛門 又お前さまが
お力になさるゝ本蔵めは

今日殿様の直きの御成敗
何と御合点が参りましたか
コレサ/\三千歳様 何も其様に
すげなふ遊ばす物ではご
ざらぬ 兼好法師は何と


15
申た サゝゝ御存なくば此番
左衛門 ツイちよこ/\と御伝
授致そ と取付く手さきを
ふり放し 主に対して慮外
の戯れ 不礼で有ふそ 穢ら

はしい下がりや/\ ヲツト下つて
裾から手を 入側ぬつと本
蔵が 出る共知ぬ恋慕の
やみ 振の袂を挽臼の くる
/\廻り目に余り 二人が


16
中を加古川と知ず抱付く
番左衛門 井浪氏 コリヤ何と
なさるゝ ヤア加古川氏か ムテモ
悪い所へ 何が何と イヤサ悪
い/\/\ ハゝゝゝ ヲゝそふた 悪いお

遊びが始つて 何が其つか
まへとか申鬼の役 拙者
に仰付られ テ扨迷惑千
万でござるて アハゝゝゝ アゝそれは
御苦労でござる イヤナニ姫


17
君様 ケ様な人非人にお
構ひなく 殿のお傍へ サゝ
早く/\ と進めやり 臺子
の傍に座を構へ 釜に目
を付 気を配る 扨はと気

付番左衛門 本蔵がまへに
詰寄て 加古氏 イヤナニ本蔵
殿 某を人非人たとさみせ
らるゝ 左云こなたが人非
人だはい 日外鎌倉饗応


18
の砌金銀を以て師直に
媚諂ひ 御主人に諂ひ武
士の悪名付たは 不忠とや
云はん イヤサ人非人とや云ん
サゝゝサレバサ 其落度故に先

逹てより御目通り叶ず 此
下屋敷へ蟄居の本蔵
去ながら横恋慕はいた
さぬ ヤ何と まだ申さふか コレ
此釜の湯に ムハゝゝゝ 云ぬぞや


19
/\一命は主人へ捧げるが
臣の習らひ 御直きの成敗
少しも厭はん イヤモ ずんと
恐れ申さぬ と行国が詞
に井浪番左衛門しよげ

り入てぞ閉口す 折から下
部が罷出 御家老本蔵様
を御成敗と有て 急ぎ本
蔵に縄打て奥庭へ引
太刀取は井浪番左衛門に


20
申付るとの御諚でござる
と聞よりはつと驚く加
古川 井浪は得手に本
蔵が 肩衣もき取早縄打
サア本蔵 モウ叶はぬ 御成敗だ

/\ 太刀取は此番左衛門
ハレヤレ気の毒千万 ハゝゝゝ コリヤ何
にもあはてる事はないぞ
ふぉうだふるひが出たか ヲゝ尤
だ/\ ガわりや最前何と


21
云た 一命は主人へ捧るが 臣
の習ひと云たぞよ イヤサ ぬ
かしたぞよ サ迚も叶はぬ
事と観念して 早く立/\
きり/\立ちからふ ととふと

蹴飛し引張れば 手先しま
りて喰入る縄目には泣ねど
心には 是が忠義の仕納めかと
思へば足も たと/\と 主人
の賢慮斗り兼奥庭へ


22
こそ「行水の 上へ流るゝ例し
なく 憂事積る行国か消
る間を待つ庭の面 我を仕
置の芭蕉葉の 広きも
今は恨めしく 人は夫共白

洲なる 御前へこそは引れ
来る斯と知らせに若狭之助
褥の上に座を設け イヤナニ
本草今日の成敗余の義
に有ず 其方家柄と申


23
勤功にめて 先程より家
老職を勤めさせ 知行五百
石を当行ふ 然るに某近(さいつ)
曽(ころ)鎌倉殿中にて高の
師直を只一刀に切捨んと

存ぜし所 きやつ低頭平身
イヤモ存外の詫言 コハ心得す
と思ひしが 汝師直が屋敷へ
抜出 不相応成金銀を以て
媚諂ひし故 師直は討漏らし


24
たり 然る所諸大名の取沙
汰にも 若狭之助は諂ひ
武士比興者 と殿中一ぱい
の取沙汰と聞 其上汝へ
遺恨の次第申聞せし砌

予が目通で松の一枝切取
真此通りと金打(きんちやう)致したで
ないかそちや某を謀つたな
ハゝ恐れながら我君へ申上る
其不可を知て諌めざるは


25
不忠の第一 I諌むればもつて
背くに似たり 松が枝の金
打 何故表裏に仕るべきや
松は常盤木 桃の井に背
きし片枝 君御短慮の木

の変を切て退くれば 公の一
字に恙なく 国家長久祈り
奉る ムゝスリヤ松の木変を切取
しは国家の為 此若狭之助
へ諫言の謎とな ハゝ御賢慮


26
いかゞござりませぐ ムゝ然らば
請し恥辱はいかに ハゝアコハ存
寄さる御仰 君恥しめらるゝ 
時は臣死と申 黙れ本蔵
左云汝が何故に なせ切腹

は仕らん 命を惜みのめ/\
と蟄居致せしは何事 夫
ても武士かイヤサ 家老と云か
既に番左衛門申には 本蔵を
急度御成敗なさらねば


27
御家の家瑾(かきん)に相なると
某へ数度の諫言 ぜひに
及はず 只今死罪に行ふ 
但し違存ばし有かい ハア恐
れ入たる御仰 不忠不義の

本蔵 イヤモ何しに違存申
上ん 只御憐愍(れんみん)の御仕おき
有難く御請け申奉る ヲゝよき
覚悟 併し予を恨むで有ふな
コハ勿体なき御詞 下主下郎の


28
なすべき太刀取 番左衛門に
仰付られ 死後の面目 去
ながら 只一言申上度は臺
子の釜 と云を打消番
左衛門 ヤイ/\本蔵/\ 今に成

て一言も二言もないはい じ
たいうぬ殿様の御遺恨有
師直を討もらし其上 陪臣
者のうせる場所でもない
大広間へ出おつて 判官公


29
を抱留 一つとしてろくな事
をさらさぬやつだ 其様な
馬鹿者を生け置ては 後日
の妨げだはい サア御前 やゝとき
移れば御帰還の妨げ イデ成敗

と裾引上 既に討んと立寄
井浪 アゝコリヤ番左衛門待/\
待と云は先待 イヤサせく事
はない すべて大罪人は長く
生置 苦しめるも仕置の


30
一つ モ」いかにしても憎っくい 
本蔵 余人に討すも残念
身が討捨ん ソレ其刀是へ
持と 優美の顔色 しつ/\
庭へおり立て ムゝ覚悟の

体はまだしも出かした ノウ
番左衛門 アゝイヤ左様ではござ
るまい 今斯成てしよ事
がなさの覚悟と見へます
ヘゝゝ コリヤ本蔵/\ 殿を卑怯


31

者にしなし 大忠臣の某を人非人だの イヤ不義者
などゝぬかした 其天罰で
今此ざま ムゝハゝムゝハゝハゝゝゝ と嘲弄
なじる其内に 刀ひらりと

若狭之助 今こそ最期
観念と 振上る手を振返し
すはと切たる井浪が首 水
もたまらず討落せば 本蔵
驚き コリヤ番左衛門を御手


32
うちアゝイヤ其方迚も同罪と
縄目をすつぱと切はらひ
しづ/\座に着き詞を正し
若狭之助 本蔵/\ 近ふ
参れ ハアゝ 其方が科 今日只

今相済んだ長の暇くれるぞ
スリヤ一命をお助下され 長の
お暇とな ハハハゝ 有難存じ奉る
ハゝゝゝ嬉しいか 嬉しいは道理/\
コリヤ本蔵 妻子を都へ登し


33
由良之助に対面なし 討れ
て死たい心で有ふがなイヤサ
隠すに及ばぬ 判官をたき
留たはそちが誤り 一命捨
ねば娘が縁組は扨置 判官

が位牌へサ云訳立まい 此若
狭之助が為には 身代り同
然の判官 スリヤ我命斗か先
祖へ対し 忠臣義心とは汝が
事 諂ふても苦しうない ナニ


34
諂ひ武士は世間にいくらも
有はい 判官が今有さま後(こ)
車(しや)の誡め ふつつり短慮
とゞまつたもそちがかげ コリヤ
嬉しいぞよ過分なぞよ ヶ

程の家来に暇遣はす若
狭之助が 心の内を推量せ
よ 去ながら 義を見てせざあ
は勇みなし 此上の頼みと云は
三世の縁 未来で/\忠


35
義を尽してくれと 仰云
さして 顔背け 嘆かせ給ふ
御有様 有難し共嬉し共 申
上べき詞もなく かゝる智仁の
名将の御馬先でも死す事か

僅かの義理と誤りに 命を
捨る不忠不義 何と先非を
悔み泣 御顔見上奉れば
殿も見下し御落涙 袖や
袴に雨車軸流れて外へ


36
小柴垣庭に 淵なす斗也
本蔵手を打 誰お次の衆
/\ 臺子の釜を持て来ら
れよ はつといらへて持運べば
本蔵立て釜の酒を柄杓

に移し鉢植に そゝぎかく
れば蓄蘭の枯てしぼまる
釜中の毒酒 先刻番左
衛門臺子にかゝり 皆殺しに
せんと仕込し毒薬 立聞


37
したる本蔵が幸ひ 天目
奉らざるは右の仕合せ ハレ御
運の強き我君様と 申
上れば若狭之助 猶も忠義
を感じける 暫く有て小

性共 何か様子は白木の臺
一重ぐりに並べしは 三衣袋
に袈裟尺八 餞別(はなむけ)とこそ
しられけり ナニ本蔵 其けさ
尺八は汝へ餞別 一人の娘を


38
思ふ親の身は 焼野の雉
子夜の靍 巣籠の一曲又
此一品は 妹三千歳を預け
置たる止宿の一礼 心を籠めし
此一書 由良之助が宅へ土産

にせよと 手づから給はる御
賜 ハゝコハ有難しと押戴 開け
ば高の師直が屋敷の住居
水門下部家侍部家 樹木
泉水居間広間 委しく


39
留し絵図の面(おも) ハゝハゝハゝゝゝ有難し
/\と 戴き直に懐中し
土に喰付三拝九拝 有難
涙にくれにける 若狭之助
四方を打詠め 誠や九枝

燈火尽て 只暁を期すと
かや 名残は尽ず 目出たふ
門出の盃せん 出立の用意
致せ ハゝ君には益(ます/\)御機嫌能ふ
ヲゝそちも無事ではない しゆ


40
びよふ仕負せ 目出たふ/\
未来で逢ふ ハゝア馴れし襖の
夢を貫く寒山寺 ムゝ思ひ
も寄ぬアノ唱歌は 妹三千
歳が余所ながら暇乞と見

ゆるム幸 本蔵そちも一曲 
致せ 苦しうない赦す ハゝア送
る素足の氷のくさび 朝げ
の嵐に暮の雪とうかれし
事も 最早迎ひの駕待


41
ばかり 里の名残りのしば
小船 本蔵 近ふ/\ ハゝ面を上
い ア我卅五年の春秋を あ
したには教訓のきりを払ひ
夕べには講説の星を戴き

昼夜旦暮(たんぼう)の慈しみ 満足
に思ふぞよ 是が此世の見
納成ぞ ハゝゝゝ出立致せ ハゝ 尽
ぬ名残と本蔵が なみだを
隠す編笠の 深き恵みに


42
浅き縁 是のふ暫しと三
千歳姫かけ出給へば若狭
之助 袖の枝折戸袂の関
押かこまれて加古川も笠の
内より御顔を 見奉れば

姫君も いとゞ涙に糸竹の 
未来は一つ一越す断金頓て
黄鐘鸞鐘(おうしきらんけい)は 君に有
臣に君 有は音律音曲の
栄へ栄ふる世の試し筆に


43
伝へて加古川の武名を 永く
     残しける


    豊竹君太夫