仮想空間

趣味の変体仮名

奥州安達原 第四 道行千里の岩田帯(~一つ家の段)

 

読んだ本 http://archive.waseda.jp/archive/index.html
      ニ10-00558 

 

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    第四 道行千里の岩田帯
傾城の 癪は誠の置き所 世界の客へそら言も ひとりにつく
す真実の 恋の中なる 恋絹が寝姿恥ぬ中となる 其こし
かたの 通ひ路は花車のかげ橋渡り初め 生駒の手綱せき
とむる 轡の関を 打越へて今は女夫の薬売り わらぢにかく
す八文字おろせ頼まぬ日傘さして 行方は陸奥 の国
睦月に出し 都の空 谷の初声 聞初めて 弥生は花の生れ月

うしや桜の顔隠す 霞をはらふ 春風を仇とは誰がいひ初め
て 草のはつかに解く紐の 結ぼれ合し朝寝髪 しんきらしいも
命かや 人目堤に荷をおろし 家伝葛城神霊丹 御用はこざん
せぬか お求めなされ 買ひなされと売り声も 遉それしやの身なれ共
迷ふは木々や草につまこふ 虫の声なくてけはひ はかぜし くれの蝶
とまり定めぬ浮世はなんの 真間の入江を 見渡せば 月は渚に乗りおくれ
浪より雲に 入舟や風に逆櫓のさつ/\さ さつととわたる 鳥の声


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かり金よ其玉章(つさ)はたが舟ぞ 恋の宛名は只一人 越(こし)のしら山
ふる里よりも 月につれたちもてくる文を 花に別れて帰るは
返事 ヲゝ嬉し ヲゝそれ誠我もまた かぶろ立ちから物馴れて
人の やりくり文づかひ 身に白糸をおり出す 滝は流れを立る身に
清き 心をたとふ紙 野辺にそよ/\こちの人さまよ ヲゝよい女
房と戯れの わりなき中も姫君に 未来の契り盃の
井筒にかけし生駒様 我は裏見の たきさしに いつかすかりと捨

られん エゝ去とては浮世ぞや いつそ此身は此儘に 黒髪山
墨染と思ひ 切るにも切れはせで此世斗の女夫とは ほんに結ぶの
神さんも 粋の様にもない事とはかな女の かこち言 妹背のねぐら
夕風にばつと立たる雀の宮 竹に縁ある源を守る 誓ひはたゞ頼
め 標茅(しめぢ)が原のさしもぐさ我一命のあらんかぎりは御あり家
尋 出して大君をふたゝび 都へきつれ川 吉左右(きつさう)清き道
の辺の清水 ながるゝ柳かげしばし とてこそ 「やすらひぬ


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東山道(たいせんだう)の国の果陸奥一国の出入を改め 非常をしめす白川の 関の守りは瓜割四郎
一人権威をつく棒さす股 ことぢに通ふ雁金迄 赦さぬ道の関の戸は厳重にこそ見へにけり
生駒夫婦は 関所共 いさ白川の 番所の前 通りかゝれば下部共 ヤア慮外者めら 爰をどこだと
思ふ 瓜割四郎様の堅めの関所 笠をぬいでかつつくはいどれからどれへ参る者と断つて通りおらふと 留ら
れて恋絹が 瓜割四郎と聞驚き 猶顔隠し行過ぎる ヤア胡乱者遁すなと 立寄下部を生駒之助
アゝ申/\ 胡乱な者ではござりませぬ 御覧の通り我は薬売り 伊達な所を目印に 売り弘むるとは申
ながら あの日がさで顔隠さねば 口上の一口も得申さぬが女コだけ 顔隠すか癖と成て 関所共憚

ぬ不調法 何事も女だけと御容捨なされ お通しなされて下さりませと いひくろむれば 瓜割四郎 聞
届けし女商人(あきんど) 用はない早く通れと赦す詞に二人は嬉しく 笠かたむけ立出る 恋絹が手をしつかと取 イヤ
そもし斗いつ迄も爰に留める 生駒之助に用はない 恋絹置て早く通れと いふに夫婦が恟りし スリヤ
私等を見違へもせず お前はよふ覚えてか 覚えてかとは曲がない 深山鴉も白鷺も我つま鳥は知る物
を 譬へ姿はかはつても 見ちがへてよい物か 爰で逢たは尽きせぬえにし 是から我らが宿の奥様 何と憎ふ
は有まいがと よれつもつれつよねんなく 恥を恥共思はぬ赤頬(つら)い抱き付たは山蜂が 花の露吸ふごとく也
ヤア尾籠至極と四郎を取て突放し 昔は昔今は志賀崎生駒が女房 望ならば汝が首と替へ


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物せんと呼はればせゝら笑ひ ヤア素浪人の分際でしやらくさい女房呼はり 恋絹に己が首 添てこつ
ちへ受取ふと いふより早く切てかゝる 心得たりと身をかはし腕首取て引くり返し 骨も折れよと踏付け/\
踏付けられて半死半生 ヤア主に敵たふ慮外やつ ソレ遁すなと数多の下部 一度に抜て切てかゝる
ヲゝしほらしい蠅虫共 うぬらも主の相伴と 片手なぐりに切まくられ 詞にも似ずちり/\゛に逃るを追って
生駒之助 コレのふあぶない 長追い無用と 呼はり/\恋絹も仰に続いて走り行 一人残つて瓜割四郎 心
はやたけとはやれ共 足も体もぐにや/\と ところてん見るごとくにて 立も得やらぬ有様は目も当てられ
ず 哀れなり かゝる折から売り来る 薬は町中評判の あんぽん丹 御用ござりませぬか 何にきく共きかぬ

共 しらぬ所があんぼん丹 御用とござれば一貝が卅二銭 半貝が十六銭 心見と申が僅か八銭 あんぽん
丹御用ごさりませぬかと売り声聞て コリヤ/\薬や 先ず/\待てと呼とゞめ 身共が事は瓜割四郎といふ
て 此関所の役人成が いかなる過去の報ひにや すは合戦に赴かんとすれば 忽ち五体ぐにやと痿(なへ) コレ此
通りぐにやと萎え 心斗をいらつといへ共 提燈で餅(あも)つくごとくかいもくとんと役に立ぬ なんと体がしやつ
きりと成る 薬があらば求めたしと 世にも哀に問かくれば コレハ/\お前はきつい仕合者 抑此あんぽん丹と
申すは 一名を長命丸と申して 其様に気斗せいて 何の役に立たぬ人に 此薬を用ゆれば 忽ち五体鉄
石のごとく 譬へば強(がう)敵入かはりて合戦す共 いつ共よはみを喰ぬが名方 先ず心見に一貝上つて御らふじ


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ませと 小さい錫の器(うつは)物 取出して手に渡せば 嬉しげに指先に付けて一口呑むよと見へしがむつくり
しやつきりすつくと立て あらふしぎや 此薬我のんどを過るやいなや 忽ち五体ひり/\として 其あつ
き事火焔のごとく 筋骨共に節くれ立たる心地よさ ハアゝ誠や 気は陰にして其色白し
陰中の陰今変易して 紫の色を顕はす事偏に此薬の徳に有 ハアゝ権妙なるふしぎ成と
めつたに虚空を睨み付け諸手を 組で立たる有様 なんと奇妙でござりましよが まだ責め道
具が入るならば 具足なりと兜なりと 鉢巻もござります 申し其かはりに 必ず茶をあがります
な 湯茶をあかると 元の通りにぐにやつきますぞ ヲゝ過分/\と代物渡せば薬やは 箱をかたげ

て別れ行 始終の様子をとくよりも 戻りかゝつて立聞く二人 恋絹が耳に口 何やら囁き生駒之
助 元の所へ立忍べば 恋絹態とおろ/\声 生駒之助様いのふと 呼はり/\ うと/\と尋 さまよひ 四郎
にばつたり ヲゝこは誰じやと立退けbあ しがみ付き イヤこはい者じやない 只居よより四郎じや/\ そもじ
を待て最前から しやきばつて居るはいのと 余念のないを見て取るそれしや ヲゝお前なら恟りはせ
ぬはいな 誰じやと思ふてつかへが上つて あいた/\と胸撫でさすれば 何とした/\ 癪でも痛むか 薬やら
ふと紙入より黒丸子(こくかんし) アゝ申慮外ながら 水でもあらば一口呑して下さりまえ イヤ/\水は毒だ 茶
を呑そふと番所より 茶瓶と茶碗持て出 コレ一口と指し出せば アゝ申ぬるいのやらあついのやら 呑ん


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で見てくれたがよいと 気を持たされて実にも/\ 我等が呑さし呑む気じやの コリヤ忝いとぐつと一
息 呑むと其儘アゝ/\/\といふより早く体は忽ちぐにや/\/\ たはいやくたい並木のかげを立出る生駒
之助 扨ってもきついうつそりめ 儕がほんのあんぽん丹 付けふ薬のないやつと どつと一度に打笑ふ
折から又も追いくる音 とてもの事に跡腹の痛まぬ様にしていこと 上張ぬいててつ取早く
瓜割四郎に打着せ/\ 暫し木陰に立忍べば 引返す数多の家来 ソレ最前の薬やめ
遁すなくゝれと衣裳を目宛 大勢寄て手取り足取り 騒ぎ立たる隙間を考へ 時
分はよしと恋絹夫婦 跡をも見ずして「遁れ行 寒林に骨を打つ霊鬼 深野(しんの) ←

に花(くは)を供(くう)ずる大人 風漂芒(へうぼう)たる安達が原 隣る家なき一つ家の軒の柱はすね木の松
己が気儘にまとはるゝ草は逆立鱗のことく いづれの工か青龍の形を削りなせしかとさも物
すごき垣生(あばらや)に 住み馴れ居馴れ 手馴れたる かせの車や わくらはに 来る人希の黄昏時 御無心なが
ら煙草の火 一つ借して下さりませと 笠を片手に旅の者 老女は篗(わく)をくり止(やめ)て ヲゝ暮れる迄
あるかしやますは 何ぞ過急の御用か アちつと急ぎのかはせ銀 福嶋迄持て行く者じやが暮れるので
気がせきます 何じやかはせ銀を持て行のじや アノ銀をや ヲゝ此物騒な安達が原追剥に
出合ぬ様に 用心していかしやませと いはれてこなたは恟り顔 アノ追剥が出ますかの ヲゝ出る共


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/\ きのふもてうど今時分にアレ 向ふの森の中で殺された人が有る ヤア といふより身はがた
/\ 申かみ様 我等生れ付て其追剥がきつい禁物 どふぞ今夜は爰の内に泊らして
下さりまえ いやのふ 其様な銀持た人を こちの内に留めてはマア 気が張て夜がねられぬ サアそこ
がお情 お慈悲はかみ様 ハテ夫レ程こはか留てしんぜふ ハイ/\ 夫レは近頃忝いと草鞋(わらんぢ)といて上り
口 ヤレ/\嬉しや是て心が落付たイヤ めつたに落付かしやんな 爰に泊つてもこなたの懐に銀
が有と 又追剥が来おあろもしれぬ 其銀ばゞか預りましよイヤ夫レは ハテ扨悪い事はいはぬと
手を取入て引出す財布 それ渡してはとしつかと握り おばゞこりやわごりよが剝ぎじやの

何のいの預つてやるのしやと 財布持つ手に両手をかけ 引けばこなたも門口の柱を片手にひん
だかへ ひいつひかる力に腕(かいな)すつほりと 抜けて尻居にへたはる老女 コリヤおれを殺すかと よろめ
く旅人を打倒し のつからつて喉(のどぶえ)へ ほうと喰付き喰殺す老女の業ぞ 恐ろしき アゝ嬉しや
と畳を上 死骸を蹴落とし口のはた のごふ血汐の腕取上 エゝしぶといまだ財布放しおらぬ
アゝ儘よ 腕ぐち取て置ふと苧桶(おこけ)の底へ取納め 又くり返す糸よりも頭(かしら)の おかせかき乱
す 草に育てど草ならぬ花は鄙でも都でみ 可愛らしさと憎さげは 跡から付てあんぽん
丹 声かはりのした大前髪 コレ/\お娘 こりやどこ迄連れていかんすのじや 日は暮る幸い人の


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こむ安達が原 此草村でついちよこ/\ 祭の太鼓打仕廻はんといきつた撥の納ばがない サア/\
爰でと鼻息もヲゝせはしな まだ暮れ切らぬ薄明かり 誰そが見たら恥しい 袖の振り合も
他生の縁と 今来る道でお近付きに成り 此片遠所迄送て貰ふたお前 私が使に行
家ももふ爰 ちつとの間門口に待て居て下さんせ つい口上いふて出て戻る 其内には暗ふ
もなり ハテどふなりとお前次第と 跡は得いはず顔赤らめ 袖打覆ふおほこ気に現ぬかして
そんなら爰に待て居る 必早ふ戻ろぞやと 門にすつくり松の木立 娘は内へ入口の戸を押
明けて アイ今帰りましてござんすと いふに主が不興顔 わしにもしらさず出あるいて 日の

暮る迄どこにはいつてござりました 大事の身を持ちながら大胆な一人あるき嗜ましやま
せとつこふども 如在ない気を呑込で サアわしもおまへにいふてからと思ふたれど 又供の人
雇いのと世話に成が気の毒さに 沙汰なしにいて来たはソレ今のナ 御病人の御願やら
何やらかやらの神参り 重ねてから断つて参りませふ もふ堪忍して下さんせと 断り聞て
心も折れ ハテ神参りと有は何の否と申しませう 此様にとが/\いふもお前のお為 人に見られ 
てはならぬ身の上 かういふ中も誰か見まい物でもない 早ふ奥へござりまして 何かに心を
付けてナ 御合点か 用が有ならつい此ばゞを呼しやりませ 必端近に出まいぞやサア/\早ふに


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あいゝの 返事しながら表の様子 主の耳へ奥の間の障子押明け入にける 門には何にもしら
鷺の首程長ふ待ち草臥れ うろ/\内を指し覗けば 誰じや どこの人じや小暗がりにうさん
らしい イヤ大事ない者ちつと用が有 て めんよふなもふ出そふな物じやが コレ/\そこな人 出そふ
なとは何が出そふな ヤア/\出そふなといふたのは もふ月が出そふなといふ事じや ムゝ 月の事か
そしてマアうろ/\とこなた何ぞ落したか 尋るのなら火をともしてかしてやりましよ ソレ幸い
の高燈篭 大義ながらおろして下されと いひつゝ取出す火燧箱 こち/\打てばこて/\おろ
す 恋の闇路を照らすとは気当りよしと心で悦び 又引上る 細引きの 長い鼻毛で釣り

かけた 娘はまだかと 指し覗き コレばさま 爰の内へたつた今娘が一人来ましよがの ヲゝ来
たが夫レが何とした サア其娘に もふいなんか待て居るといふて下され ハゝゝゝ いなんかとは
どこへいなんか ありや余所の者じやない こちの内の娘じやはいのヤア あの今来た娘は
爰の内の娘かへ なむ三しもふた ホウ興疎なげな顔わいの けふ氏神へ参つた戻りに
どれやた送つて貰ふたといふたが ムゝ扨はこなたで有たの 是はまあ/\若い人じやが 奇特
によふ送つてやつて下さつた 遠道をあるいた草臥れやら もふ奥にねて居ます こ
なたもいんで休んで下され ヤレ/\大義でござつたと 戸口をびつしやり立出され 物も


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得いはずむしやくしやとにきびたらけな赤ら顔 ふくらかしてもせふ事なく テモむごいめにあはし
おつた 結構な釣者がかゝつたと思ひの外 あちらこちらへ釣られてのけた エゝいま/\しい
けたいの悪い娘め どふするぞ覚て居いと つぶやき/\立出しが何思ひけん立帰り 裏の
藪組押し分けかき分け忍び 入る共白糸の 篗(わく)にくりまく綛(かせ)車 廻る月日の関の戸を
漸遁れ 生駒夫婦 行先とても定まらぬあてなし旅の行付次第 安達が原の
高燈篭心便りに たどりつき コレ恋絹若しも関所の追手がこふかと 気のせく儘に日
をくらし とんと宿を借り損ふた 跡の村で聞た爰が彼安達が原 何と広い野原じや

ないかいの ほんにまあ方角さへ知れぬ所 道に迷ふたらどふせうと 案じてわたしや癪がいたい
何の案じる事が有 気遣しやんな高燈篭が有からは家がなふては叶はぬ筈と 邊り
見廻し有るぞ/\ あれ/\あそこに火の光 こつちへおじやと 戸口に立寄り 案内しらぬ旅
の者 足弱(よは)を連れ暮に及び難儀致す 一夜を明かさせ下さらば上もなきお情と 案内す
れば老女は立出 夫レはまあ/\おいとしや 殊に女中も有そふなに お泊りなされと申たけれど
気の毒は間所モアゝ申し/\ 譬へ牛部屋灰部屋でも 一夜お泊め下さらば生前の御厚恩
ハテ不自由をお厭ひなされずば 成程お留申しませふ 是は/\忝しと夫婦が悦び 杖草鞋


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脚絆の紐もとく/\と 二人を誘ひ内に入 見ました所がお侍どれからどれへのお出ぞや
と 尋に恋絹会釈して アゝ私共は都の者 はる/\゛と此国へ参つたは 幼(ちいさ)い時に別れたる
アゝこれ/\女房 イヤ我々は当国松嶋一見(けん)の為 夫レは格別 時ならぬ高燈篭はお国の
風か但 お志しの常夜燈かと脇道へころばす気転 主何の気も付かず 御尤のお尋 此所は
安達が原と申て 山なり原也道の知れぬ街道 てうどお前方の様に 道に迷ふて難儀す
る人が多い故 あの様に燈篭を燈し 往来(ゆきゝ)の衆の助けにするも 先立たれし連れ合の未来の
闇を照らす明かり 是は/\限りもなき大功徳と 咄の中に恋絹が 旅の労(つかれ)か 苦しむ体 コリヤ

女房何としたと寄添ふ夫を力草 どふした事やらきつうおなかゞ痛みますと聞て恟り
何じや腹がいたい サア/\事じやとうろ付く夫 コレ申何をマア其様に 腹の痛むは旅労れ
水のかはりで有る事と 落付く主気のせく生駒イエ/\/\ そんな事じやござりませぬ 何
を隠そふ女房は此月臨月でござります 大方其気が付いた物 ヤア何じや 此月が
産み月じや アノ此女中が ハテ扨夫レはと子事の工面 夫はあはて立たり居たり コレ申 どこぞ爰ら
に餅やが有な取上ばゞを味噌汁焚て喰はして下さりませと 何をいふやらうろ/\
きよろ/\ マア/\お前方も こぼれかゝつた者を連れて旅するとは大胆な ドレわしが


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おなかを見てやろと 懐へ手を差入れ イヤ/\まだ 今やちよつとの事じやない 此痛みはつい
直るとそろ/\胸を撫さすれば 恋絹は心地よく ほんにとんと痛みが直りました お
前様はお巧者なと聞て夫も落付く吐息 イヤあんまり落付くまい 何時の知れぬおなか したが
道中の冷えが入て心安ふは出来ますまい アゝ何ぞよい薬を進ぜたい物じやが ヲゝ幸いなこと
が有 此野はずれの庄屋殿に 結構な安神散が有る ありやはやめにも成る薬 わしが
いて買ふて来て進ぜたけれど年寄て夜道は叶はぬ 大義ながらこな様いてと いふても
道の案内しらずで有 いつそわしと二人いて買て来ませふ コレ女中 ちつとの間じや 留主

してござれや あの薬一ぶく呑むと心安ふまめになる 夫レはまあ/\いかいお世話 生
駒様も御苦労ながら あなたと一所におつと合点 我等は先へ生駒之助と口合いたら
/\゛立上れば 老女も小づまおい取て 必ず気遣ひな事はない程に ちつとの間待てごさ
れ わしが留主の内に奥の襖を明けまいぞ サア/\ござれと打連れて 戸口へ出しが立と
まり 薬代がいるが路銀は持てか 成程肌にござりますおつとよし/\ コレ女中 かん
まへて閨の内を覗いてばし見やしやんなと 念に念おす老の坂 道の助けは生駒之
助伴ひ「てこそ出て行 跡には一人恋絹が 心細さに行燈の 火はかき立ててもかき曇る


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空も物かき旅の宿 ほんにまあ 人の行方と水の流れ程定まらぬ物はない 都の者が陸の
奥三界 しかもやゝ迄産む様に成るといふは アゝ思ひ廻せば女ゴ程 あじきない者はないと 打し
ほれしが アゝぐち/\ 譬野の末山の奥でも かはい男と 一所に居るが身の楽しみ どふ
ぞよい男の子を産で 主の悦ばしやんす顔が早ふ見たい したが若し女の子など産だら
機嫌が悪ふは有まいか アゝ儘よ 女子じや迚まんざら捨ふ共いはれまい 二つ取りならよい
男の子を産で 夫婦か中に添乳(そへぢ)の枕 ねん/\ころゝん/\がいふて見たいと女気は
それしやの果でもしどけなき 次第に更くる夜嵐の 身にしみ渡つて物凄き

安達が原の軒もる月 エゝ遅い事では有ぞ こんな広い所にわし一人置て つい
戻つてくれたがよい ほんに今のかみ様が 閨を覗いて見なといふてゞ有たがちよつと
見よふか イヤ/\ 何ぞこはい物でも有たら悪い ア又見たい物でも有りと 気味悪なが
らそろ/\と障子開いて 何やら 白い物が有と手に取てノウ悲しや髑髏(しやれかうべ)じやと
逃退く拍子に苧桶(おごけ)にばつたり ヤア爰にも又人の腕(かいな)と 気も魂も消入る思ひ
がた/\震ひ漸と 表の方へ逃げ出れば後ろにすつくり白髪のばゞ 申/\ コレ申し
と 呼ばる声に又恟り イヤこはい者じやない 主のばゞでござるはいのと 聞て少しは人


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心地 ほんにおまへはおかみ様 いつの間にお帰りぞ 定めて主も一所であろ ちやつと
呼で下さんせと 胸撫おろす斗也 イヤ連れ合はまだ跡に こなたにちつと用が有
て ばゞ一人戻りました 何じや連れ合はまだ跡にじや エゝ又きり/\戻つてくれたが
よい 手が出るやら 髑髏が出るやら どふやら気味の悪い内 どれ迎いにと 云捨て
出るを引とゞめ 其夫の戻られぬ先に こなたにばゞが無心が有る サア其無心と
いはしやんすは 路銀を加瀬といふのであろ わしが肌にはないによつて ちよつと夫を呼
で来て イヤ銀(かね)斗じやない 路銀よりまだ外に こなたの肌に付た物が有る 夫レを

ばゞが貰ひたい ムゝ銀より外にわしが肌に 付けた物とはイヤ外の物じやない こな
たの腹な子がほしい ヲゝあのかみ様とした事が そんな事なら人をびく/\さゝんがよい
お前様のお世話でかたわでもない子を産だら 其時はどふ成りとイヤ産だ子は
役に立たぬ まだ腹に有る中を 子籠りといふて大銀に成る大妙薬 それで其
子が貰ひたい エイ あの胎内に有る子を とふしておまへイヤ心安ふとられる つい其腹
を 擲き割て ホゝゝゝゝ あの子とした事が 何の夫レを震ふ事で ばゞがいたふないやうに
つい一思ひに殺してやる よい子じや爰へちやつとござれ アイはて扨しぶといござれ


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いの すりやわたしを殺して ヲゝくどふ 其薬がほしさに とうから尋ねた孕み女 世間
に沢山に有物なれと 尋る時は意路悪ふない物いの コレぐず/\して隙入れて
下さんな きり/\殺してまだまだ寺参りせにやならぬ 年寄は後生一ぺん南無阿弥
陀仏/\ととなふる口は耳迄さけ 安達が原の黒塚に こもれる鬼といひつべし 恋
絹有にもあられぬ思ひ 私を殺すとおつしやるも銀からおこつた事なれば 路銀
も残らず上ませぐ まだ其上に此衣類はいで成り共助けてたべ つらい命をながらへ
て 陸奥迄さまよふも 何とぞ安ふ産みたい斗 よく/\深い縁なればこそわたしが

おなかを仮初も 十月に及ぶやどり子にせめて此世のあかりを見せ 一日成共
親よ子と互に呼つ呼るゝ迄 命が惜しい 死にとむない 慈悲じや 情じや コレ申し
と 取付き嘆けど 聞かぬ顔 何やらいはしやるそふなが 年寄といふ者はの 此耳が遠
いはいの ドレそろ/\やりかけふと 小つま引上玉だすき 隙を窺ひ恋絹が 逃出るを
引戻し 懐剣逆手に取廻せば 何とせんかた涙声 アレ声が高い サア/\それても エゝ
息の根とめよと突かくる刃先をよけてもよけさせず 付けまはしつ追い廻り なん
なく肩先切込まれ立足さへもたぢ/\/\ 又突かくる白刃の切先両手に


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握つて こりや是程いふても聞入れず どふでもわしを殺しやるの エゝこなたは 鬼か
いの蛇(じや)かいの 死る我身は 因果共因縁共 あきらめても死れふが 可愛や
此子が闇より闇に 迷ふて母を尋ふと 思へば悲しい死とむない 何の因果で
わしが身に やどつて来たぞと身をふるはしもだへ 嘆くぞ道理(ことはり)なる エゝ七めん
どうなよまい言と 懐剣しごけば紅の 血汐に染る手を合せ どふぞお慈悲に
連れ合の帰られる迄 せめて名残にたつた一目 逢て死たい 顔見たいと 延びあがつて
表の方 生駒様いのふ わしや今切られて死ぬはいの 我つまいのふと泣さけぶ 声さへ

いとゞ遠近の空吹く風の音斗 コリヤ世話やくないやい 其連れ合はな 方角知れ
ぬ山中へ 突放して戻つたれば 今時分は猪(しゝ)や狼に 喰殺されておるであろ
其跡へ廻つて 路銀はこつちへしてやるのじや 何とよふした物か 夫に逢たか 早ふ
冥途へやつてやろと たふさ掴んで肝のたばね指し通されて七転八倒
苦しむ體はくる/\/\ 輪乗りのごとく打またがり乳の下より十文字に 腹截ち
破る有様は目も当てられずむごらしき 斯く共しらず生駒之助 山道に踏み迷
ひ漸帰る表口 戸をほと/\とおとつるれば 内には恟り老女がはいもう見


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付けられては一大事と 赤子の血汐をてつ取早く用意の器にしぼり込 見
廻す傍に以前の髑髏(どくろ)ハテあやしや 此しやれかうべにしみ込む血汐と不審
は立てと気はわくせき 女の首にかゝつたる守り袋の紐引切 一つに集め奥
のかた指し足してぞ忍び入 表は猶も打たゝき 女房共戻蔦祖や 恋絹/\ 
と呼べとたゝけど音せぬは ハテふしきなとさし覗き 見れば血に染む女房の死骸
南無三宝と気は半乱 門の戸踏明けかけ入てヤレ女房 何者が手にかけしぞ
恋絹やいといふかいさらになきからを 抱上げて立たり居たり エゝ遅かりし残念/\

嘸我を待ちつらん 可愛の者やいぢらしやと前後 涙にくれけるが 泣く目をはら
ひ疵口に心付 ムゝ腹をあばき 胎内の子迄手にかけしは盗賊のわざ共
見へず 何にもせよ此家のばゞ 我を出しぬき帰りし曲者 引くゝつて詮議
せんと裾はせおつて奥の方 主が寝屋とおぼしき一間あいの戸襖踏
ひらけば 内は朱玉をのべたる御殿 翠簾(みす)巻上げてたをやかに打ふし給ふ稚
宮 傍に従ふ老の身も賤の姿を引き替て 十二単に緋の袴 白髪
額をさげ髪や敬ひかしづく有様に 荒れし生駒もすゝみ兼暫らく ためらひ


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居たりしか ちつ共臆せず大音上 ヤア體に綾羅(れうら)はまとへ共禽獣に等し
き狸ばゞ 妻の敵子の敵覚へが有ふ覚悟せよと 詰寄ればはつたと睨め
忝くも当今の弟君環の宮の玉座間近く尾籠の振舞 かくいふ我は
奥州六郡の司 安倍太夫頼時か妻 情なくも我夫を八幡太郎に亡ぼ
され 無念の月日を送る中 成長したる貞任宗任 環の宮を奪取しは 奥
州の内裏と仰ぎ 諸人をなづける謀叛の根ざし いかなれば此君 我国へ下向
の時より物いひ給ふ事叶はず 一天の君としてかゝる難病世の嘲り とやせん

かくやと医術さま/\ 昔漢の代(よ)に有る人此病を煩ふ 名付けて止声(しせい)病
といふ 其頃耆婆(ぎば)が秘密の家方 孕める女の腹を截ち 胎内の子の
血汐を用ひて立所に平癒す 我是を行はんと普く 産婦を尋る所に
今日思はず汝が女房 天子のお役に立たるこそ類ひ希成る身の冥加 夫レの
みならず人を殺し 金銀衣服を奪ひしも 皆軍用の助けの為と 始終を聞
て驚く生駒 ムゝ貞任の母義と有るからは 手にかけられし女が為にも ホゝ 則母と
いふ事か サア 然らば娘と存知の上イヤしらぬ 娘と知たはたつた今 無念のさいごを


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とげられし 夫頼時の魂魄をいますがごとく此日頃祭り置きたる髑髏
に 女の血汐しみ込みしは 親子の血筋疑ひなしと 捜し見れば此守りに我家
系図書き 扨こそしつたる娘が身の上 往時(そのかみ)の敗軍に親子兄弟 ちり
/\になりし時 乳母に抱かれ別れし後は 都九条へ売られしと聞つれど 尋
とふべきいとまもなく 打捨置きしが彼等が仕合 思はずしらず我娘が君の病ふ
の薬となるは 手柄共果報共此上の有べきか でかしおつたととても
なら誉めてやつて殺そふ物 何にもしらず死おつたがたつた一つ残念なと 鏡の

やうなる両眼にこたゆる涙はら/\/\ 実にも貞任宗任を産み落したる
骨柄なり 生駒之助感じ入 女に希なる大丈夫去ながら 玉簾(だれ)深き若
宮をいかゞして奪はれしそ ヲゝそれこそ宮の御乳人 匣の内侍を頼み
密かに御前を立のかせし いさ匣殿 此御薬を宮様へ とく/\すゝめ申されよと
呼出せば一間より 賤の姿を其儘に 立出給ふ匣の内侍 ヲゝそれをこそ
待ち兼し 宮様の御為には親共姉共 譬へん方なき老女の情 廿日余りの
月かげを移して用ゆる此薬法 いで御薬を奉らんと 空にさへ行く月かげを


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写し取るよと見へけるが 何とかしけん器ばつたり谷底へ 落て血汐に染なす岩
角 こはそもいかにと驚きながら見下ろす谷の岩間より 俄かにうづまく水のあし
清々?々(えん/\)とわき上れば 内侍は水(すい)気に目も放さず 守り詰てあら不思議
や 今産婦の悪血谷底にしたゝれば 忽ち谷水逆まき上つて土中の穢れを
清むる事 誠や水晶はちりを受けず 蓮(はちす)葉は泥に汚れず ヶ程奇瑞を顕
はすは 正しう尋る十握の御剱 此巌中に隠し有るに疑ひなし ハアゝ有難や忝なや
と 女姿もいつしかに引かはつたる変生男子 眉逆立て目の内も威有て

猛き 其有様 老女はたけつてうなり声 すりや 匣の内侍と偽りしは 宝剣
詮議の方便(てだて)よな ホゝ御釼失せさせ給ひしは 汝等親子が業ならんと内通の
心を見せ 義家が一つ子八つ若をもつて環の宮と偽り 女姿とさまをかへ付き
添ひ来りし某は 八幡太郎義家が末弟(ばつてい) 新羅三郎吉光と
はじめて名乗る武将の系図 さすがの岩手も驚きに只茫然たる斗なり
生駒之助すゝみ寄り 君は稚き時よりも他家にて育ち給ひし故 かく申す某迄
御顔見しらぬ幸いに 驚き入たる御方便 不審成るは其御種 物いはぬ病


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とはヲゝそれこそは稚き者に 何事有り共物いふな 事顕はれては一大事といひ
含めたる止声病 今日宝剣の有所しれたるも汝が妻が死たる故 莫太(ばくたい)
の功なれば 兄にかはつて勘当赦し 元のごとく主従ぞと情の詞に生駒が
悦び はつとひれふす斗なり 岩手は無念のじだんだ踏み エゝ口惜しや腹立や
現在娘を殺すといひ 是迄心を尽せしも 皆むだ事で有たよな よし此
上は何とせん敵の片われ其ちつぺい ひねり殺して冥途の供につ
れんず物と立上る そふはさせぬとさゝゆる生駒 振切る袂とゞむる袖 放

せ放さじもみあふ後ろの襖を明け 鎌倉の権五郎景政 とくより是
に守護致すと 呼はり出しは以前の前髪肌は小具足に手脛
当て八つ若い抱きつつ立つて 我君の仰を請け 岩手といふおばゞを釣
に 此国へ入りこんだはかういふ時の後詰の役人 叶はぬしゆらくらもや
さず共宝剣出し降参せよと聞より猶も無念の歯がみ 是
までなりとしらぬ刃の切先腹に突立てどつかとすはり とても叶は
ぬわが運命 かゝる方便(てだて)の有り共しらず 夫の敵国の仇 子供に


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対して高名させんと 我慢にこつて邪(よこしま)非道 人を人共思はぬ
天罰忽ち報ふて血を分けし 娘を親がなぶり殺し 嘸や苦しかり
つらん 地獄畜生餓鬼修羅道 其苦しみを身一つに うけし
因果を断ち切て 冥途の旅でいひ訳せん 娘よ 孫よ しば
らく待てと 突こむ釼を口にくはへ 縁先よりまつ逆さま落ては
かなくなりにける 新羅三郎すゝみ立 宝剣は此谷底某向つ
て守り奉らん 両人外面に気を付けよといひ捨谷へ飛こめば 下に

伏せたる隠し勢提燈松明ふり立て/\ 遁さじゆるさじと「いどみあふ
谷には新羅 上には両人投げおろしたる大木大石 壓(おし)にうたれて
あまたの人数微塵に成て死てけり 猶もためらふ山かけより 安倍の貞
任是に有 見参せんと呼はつて 宝剣携へしづ/\立出 かゝる術(てだて)も
あらんかと 母にもしらさず付け置く番人 手向ひせしは彼等が役目 弟宗任
を助けし義家 敵に恩を受けながら軍せんも心よからず 去によつて此御宝
今渡すは宗任が命の返礼 再会は戦場と義家に伝へよと 宝


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釼渡し傍(かたへ)なる母の死骸をいだき上げ 不孝の倅遅参の誤り やみ/\
生害させませし 残念至極と物数をいはねと籠る千万無量 新羅
三郎感じ入り 敵ながらも遖勇士 辞退申さぬ宝剣の納まる所は戦場
/\ 先ず夫レ迄は おさらばと 宝剣携へヤア/\生駒 老女の作れる罪科
も高燈篭の光に有り 其火を消すは汝か手向と仰にはつと立寄て 松の
立木を切倒せば 法の 光も 消へ失せて忽ちしゆらの太鼓鐘 相図に寄せくる数
万の軍勢すは事こそと権五郎 生駒も谷へおり立はヤア/\騒がれな

かた/\゛ 高燈篭は此家の狼煙 消ゆると集まる手筈の軍兵人/\゛
の警固して 八幡太郎の陣屋迄 つゝがなく送り届よと寛 
仁太度の詞にはつと諸軍勢 四方を囲む帰国の供冥
途の供はなき母の死骸を抱く貞任が 胸はおがせとかき乱す糸の 乱
の苦しさをこたへる涙 はら/\に衣の たてはほころびて 裾や袂と別るゝ道勇
新羅権五郎 生駒が背なに 甥の殿 老ぞ籠りし此原を 鬼籠れりと
読みなせし 安達が原の 黒塚の 其古事(ふるごと)を末の代に語り 伝へて残しける