斎藤別当実盛 第四

 

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     イ14-00002-331

 

43(左頁)
   第四
出て行 し人はふたゝび我宿に 帰り木末のからすなくかあい/\と思ひ子を 敵に
とられ折からの何かにつけてげにかゝる 六代御前の御命 けふやうしなはれ給ふか
あすやかぎりと母うへの 身は有ながらやましいは若君の御そばにしばしはなるゝ隙
とてもなきしづみてぞおはします 花のゝまへは御そばにひざまつき けさ程清水
寺へ参り四条の橋を渡るとて かも白川の者共が我一とはしり行 ヤレ六原よりめし
うとを引出すはといふを聞よりハツト思ひ立よりみれば こんがきのおとこぬきみのやりを
打かたげ けふの命の過たる事うんのよいことかなと はなししなから南をさして帰りしを


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先嬉しやと思ひ只今下向いたし侍と かたり申せば梅がえはしほ/\と涙ぐみ しはしはのがれ
給ふ共程有まじき御命 した/\゛の申せしは 頂五条の橋の下に竹ざいもくを切ならべ 近き 
うちに断非人の有よし さだめて是は若君をうしなひ奉らんとの用意ならんとさたせし
と いはせもあへず時雨のまへ袖をひかへて エゝいま/\しこゝな人はつか/\と何をいふと事じや
まで 若君様の御事は北条殿をはじめ みるほとの人々うつくしの様子やと いたはりおしみ奉り
本寺方の和尚達 たつて訴訟し給へば大方はながしものにも成給はんと 風聞いたし
候と語るにつれて清州の前 幸の事こそあれ当時藤沢の上人は 鎌倉殿のき
えそうにてゆゝしき大事の訴訟迄 望むにかなはぬことなしと申す人の給へば 御

いとまを給はり藤沢とやらんへ下り ゆるし文を乞うけて早々帰り申さんと 申上れば母
うへはやゝ力つく心地して ヲゝ頼もしや此うへは随分はやくそれ/\と女房達はさしつどひ
笠よわらぢよかれこれと 手々にしたくする所へ小松姫斉藤兄弟伴ひて 是
こそみづからか住家也しばらく爰に待給へ しゆびをつくろひ申さんと立入給へば
母うへは見るよりはやくすがりつきナフそなたは何をしてをそかりしぞ 六代御前はぶし
にとらはれ今をもしらぬ命ぞと なげき給へば姫君はとかうのこたへもかきくれてわつと
きへ入給ひしが 漸心を取なをし アゝうらめしの世の中や かゝる事とはしらずしてなが
/\しき旅の道 さこそ待わび給ふらん 去ながら今度西国行脚の道中にて


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頼もしき侍を同道いたししが ハア此事は何とやら親子の中のはゞかりを わきまへぬには
似たれ共 かゝる節にて侍へば有やうに申也 六代御前のみのため命の仮にも立ぬへき 志
と見しよりも互に夫婦のけいやくの詞を結び給へば御あひなされ下されて さしあ
たりての身のなんぎ御頼候はゝ(とて?) 御ためよろしく候はんとせつなる心を母上げにもと聞
給ひ 然ば其人を先々との給ひてやがて「座敷うしやうぜられ 承れば 御両人の
かいほうゆへ 無事にて姫が帰る事世にも嬉しく存るうへ 末々迄のめんどうをも
見て給はらんとの志 頼もしく存る也 それに付御身の氏すじやうはいか成方にて候
ぞや かう成からは打とけて互の身のうへ申出 うさをもはらし申さんとあれば さん候

もとは平家の侍 斉藤別当実盛が二人の子 ヤア誰ぞとこそ思ふたれヤレみづからを
何者と思ふぞ 汝が母がちぶさにそだてし六代御前が親なるぞや めのとの実盛が
子共なれば代々の家人也 下として主人の姫をおかし 妻やおつとゝいふ事是が先有事
か おちぶれたればけご迄にあなどらるゝか口おしやと うれひにいかりの色をまぜ又
さめ/\゛と泣給ふ 斉藤五はきもをけし せきに手をつきもぢ/\と立も立れずいるもいら
れずかうべをさげ 仰の段々ご尤にて候 しかし某事は東西わかぬ時よりも 武蔵
の国に候ひて今度旅の相やどり 只何となくさがの遠にわびしき母御のましま
せば 便に頼れとの給ひし御詞にほだされて 是迄参り思はずも不忠不道の身と


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成て いひわけん詞もなしよし/\今は是迄也 御前にてせつふく御いきどほりをはらさんと
はだをしぬがんとするを姫君あはてをしとゞめ ヲゝ尤也去ながらみづからとても御身の
かへ さやうの事共聞もせず何故かくし給ふぞと 思ひながしていたる事りやうげち
がひて有けるぞや 心の外のあやまちにしなんとはさりとては たんき成事やろてとゞめ
給ふを 母うへは 弥つのる御はら立 女と思ひあなどつて人そばへをするか ヤレしにたくは
いづかたへ成共出てしね 此屋の内にはかなふまじとせきにせいての給へば 死もやれ
ずすご/\とおもてに出るを小松姫 共にゆかんとし給ふを斉藤五そとより折戸を
しかとをさへ 存ぜぬうちはぜひもなしお主の身として 我等こときの下郎にはおか

まひ有なアゝウもつたいなの御事やといんぎんにもてなせば ヲゝ御うらみはさる事なれ共
おやのいさめ世のそしりれんぼはちえの外なるぞや たとひ野のすえ山のおくあら
きはまべのなみ枕 共々袖はくるつ共はなちはやらじと持折戸の すきより手をとり
かきくどきなげき給へど斉藤五 いちむきにふりはなち太刀ひんぬきてもとゞりを ね
よりふつつとをし切て 御志わするゝにてはなけれ共 母うへ様のお心にたがはせ
給ふふかうのとが 又某は主命にそむき申せしふちうのつみ わきまへもなく東
と其所に御出候はんとは 道にかがひし御心いか程におぼす共 只今かやうにかみを
高野山に住ならば 女人けつかいの所ゆへ今生にてはふつつりと 御めにかゝる


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事あらじ只何事も/\ 夢まぼろしの世の中と思ひあきらめ給ふべし いさむる詞
も聞わけずこゝをちつとあけ給へ たゞ一ことのなごりをといふほどつよくしおりどを
じつとをさへてあけじ 出んとし給ふを 女房達は御手を取てぜひなく内へ入に
けり 斉藤六はばうぜんとしあんにくれている所へ 清州のまへは旅姿ふろ
しきづゝみわやがけて さらばや皆様せつかくまめてこざんせや ヲウ互に/\と かしこ
に出てハアこれやどこの若衆様じや ヤアこな様にちつと斗のむしん有
アノ藤沢といふ所へはどう行ましたがようござる をしへてたべといひければ シテ
其所へは何ゆへの御越候や されはとよ是々の事により 大事のつかひで参也

エイそれならば拙者かしこに下るべし 其藤沢の上人とはしていのけいやく仕
候へば 某が申事よもやいなとはのたまはじと 御前ちかくかしこまり 兄は
無道に候共 拙者においてはおかせるとがも候はねば 御ゆるしをかう
ふり今度の御つかひにくだりたく候と 思ひつめたるしんていを母君つ
く/\聞召 ヲゝ是は汝がいふことくちをわけし兄弟も さもしをろかは有なら
ひ其方にとがはなし とう/\下れ去ながら いふてもほと有道ののり
其間は北条へは何といひてかよからんと仰らるれば斉藤六 ゆびおりして
日をかぞへ 先藤沢まではよい三日が間に参るべし 鎌倉へは半日上下


48(裏面)


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七日は道のほど 御前のしゆびははかられす先よけいをして 廿日の命
をのべ給へとひたずら頼み給ひなば なさけ有北条にてせういんあ
らんはぢゞやう也ヤ かう申も時こそうつれめでたくやがてといひすて
もんぐはいへつつと出るを斉藤五袖をひかへ いづくへゆくぞととへば
さればしか/\の御用にて鎌倉へまいるが みれば御身はかみをきり出家
なされ候な 大かたこしぬけ侍おくびやうものゝへらず口に アゝ世は是
までしや 後世こそは大事ぞとすてもせぬ世にすてられて けさう
斗の黒衣せ??ふひん也 かういふ詞に心つき もしや御身ぶしめい

たる所存爪のさきほど有ならば またゝきをせず立すくんでいるとても
何ほどの事あらん 北条が近遠にかくれいて もし若君の御身のうへ
大事に及ばん其時は 命かぎりに切死と所存をきつと持給へと くち
ばやにいけんしてとぶがごとくにゆくあとを はるかに見をくりヲゝよくいふ
たり弟よ 某かうて有からはあとの事はきづかひすな コレヤ/\あまりきを
せいて川々でけがするな くすりなどは持たるかとのびあがりとびあ
がり わかれ/\に成にけり心の内こそ「あはれなれ のきのふれうに
風ふれて 夢路みじかきうたゝねの さむるやうつゝ?るらん 御いたはしや六


50
代君時政の手にわたり ふゆさく花の廿日ぐさ げに一寸のくはういんはさ
りのこがねのごとくぞと 思へばいとゞながき夜も はやふけすぐるともしびの かげ
によりそひ法華経の ひもとく/\と一心にふもんぼんをぞずし給ふ も
とより四郎時政は情あまりて様々に 心をくばりいたはりて やゝ夜のふ
けて候に いまだしづまり給はずやとらうかほどふるあしをとに 御経をよみ
さしさあらぬ体にてざし給ふ 御有様のみやびかにくろきじゆすを手にぬき入 そなたにむきておは
しますかみのかゝる御すがた誠にあてにうつくしく此世の人共思はれず 打とけ
まどろみ給はぬか すこしおもやせ給ふさへいとゞらうたく思はれて たゞ何となく

時政はむねしは/\?こえかれて そゞろに涙のこぼるゝをじつとしづめて座になをり
古郷の母御より文の来りて候と さし出すを御手にとりつく/\゛と打ながめ もと
のごとくにまきをさめたもとにをし入給ひしを 時政みるにいたはしく としごろにも
すぐれたるおとなしき御ふぜい シテ先若君は いくつならせ給ふぞとたつね申せ
ば さればとよあこは十二になり候 ヲゝいとをしの御事や たかきもひくきもおんあいの をや
このなかのあはれみはいふにいはれぬ所有 某もえまの小四郎といひて 十二に成し
男の子鎌倉に残しをき 我身は京に在ながら夜さむをつぐるかりがねの こえに
めさむる折々はアゝ小四郎は何としたるぞ 此ころは世にほうさうがはやるとや 心


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もとなしきづかはしと思ふも親の心にて 東えびすの色くろき子ほどかはゆく
候に まして御身は人にこへ生れ付たるうつくしさ 若木のえだにさく花のつぼめる
うへにをく露の きへかゝりたる御ふぜい母様のなげき若君の 心のうちをとやかく
とをしはかられていたはしく アゝ何とかなして母うへにたいめんさせ申さんと 心にかけ
て思へ共 鎌倉殿をはゞかりてと涙に むせび申さるゝ 六代御前は聞召
誠に過し日頃より何かにつけてあさからぬ 志こそ嬉しけれ 母上様に
あふならばかやうの事をもかたりつゝ 御悦のかほばせを見もしみられん物な
れど 迚みじかき我命なましいなげきをかけんより 片時もはやくうしなはれ さきだち

給ふ父上にたいめんしたく候と 大やうにの給へば時政弥かんるいに あはれさのいやま
さり座敷にもたまりかね むせかへり/\ずんど「立て入ければ若君あたりを見まはし
人めを忍び母上の 御文を取出しよみ返し/\ 忍ぶにあまるこえもれてわつとなき出し
給ふをば 時政は物かげより此よしを見もわかず ハツだうりやなことはりやとこえを上
てぞなげかるゝしよじの あはれと聞えけり 音も更ゆく根子木の数を合せて?のぶし し
とみ遣戸の隙々をきびしくとぢて守りける 然折節斉藤五ついぢのそとにたゝ
すみやうすをためし聞所に 何共しれずしころづきんにかほかくし そろり/\と立よつてためつすが
めつみるふぜい がてんのゆかぬやつかなとかほさしのぞきヤ瀧口入道か されば若君の御ことを 聞とひと


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しく高野より此所にかけつけたれ共 用心きびしく何とすべきやうもなく 先々世上の取
さたを聞つくひていたる也 御辺は忝き事をしつつらめ訊(?)れきかんと云ければ さればか様/\の
しさいにて 斉藤六は藤沢の上人を頼んと鎌倉へ下り はや十五日めに成けるが 先へ行ての
首尾の程心もとなく 若や廿日も過ゆかばあへなくうしなひ申さんかと 今より五日の其ほどが
あんじすごされきづかはし いかゞせんと云ければ瀧口つく/\しあんして ヲゝくつきやうのことこそあれ 先々こ
なたへ/\とかたかげへつれ行 若鎌倉の首尾により 日限過てすでにことえならん其時は はかり
ことをもつて助奉らんと思ふ也 扨其手だては 只今御辺の申されし藤沢の上人の 守り名号に実
名印判すはりたるを某所持致せしが 其印判を別紙にうつし ゆるし文の手跡を似せそなた

は人も見しらねば 上人の五?相侍の代僧といつはつて 若君の御命なんなく乞請申さんと 思ふは
いかゞと云ければ斉藤五まゆをひそめ 尤さやうにいやしては 当分たすかり給ふ事もあらんが
終に偽あらはれて結句後日のためあしき事は有まいかといへば ハアをろか也急成ばゝに
さしあたつて 先一日もいひのばしいづかたへもおちのびん 又それまでもなくあすにても
鎌倉の首尾よくはハテそれこそ何かあらん 先此ちりやくは兼ての用心 をれ次第にせられよ
ヲゝ是は尤々 然ば用意致さんと打つれ 立てぞ「帰るさしらぬ旅衣 /\ 法に
心や急ぐらん 扨も我遊行の利益をあまねくひろめ 六十万人決定往生の御札
を 一切衆生にあたへんと 国々めぐる法の道迷はぬ月も?そふ 心のおくをしら川の関


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跡(?)ときけば秋風も 立夕ぎりに 道たへてしばし たゝずみ給ひける かゝる折節うしろ
より おさなきものゝこえとしてなふ/\いかに御僧様 馬やりませふもどり馬めせや/\とぞ申
める 上人つら/\みせう有 ヲゝのる迄もなしあたひは望にまかすへし 其代りには此所の 名木の
柳を案内せよと仰らる 畏て候と いふや立ゆく子心のすたる馬にはあらね共 御道
しるべ申さんとゆびさす方はほそ/\゛と じんせきたへてあれはつるむぐらよもぎふかるかや
も みだれあひたる涙ちふや袖にくちにし秋の夜 露わけ衣きてみればくち木の柳枝
さびて かげふむ道は末もなくそれとしらるゝ名木の所にいひをく事やあるきかまほし
やと有ければ 童共は一やうに立ならびて語りける ちかく西行上人は世にもい

みじき歌人にて みな月頃のあつき日に此川ぎしにすゞみとる 一首の和歌にかくこと
なん 道のべに清水ながるゝ柳かげしばしとてこそ立とまりつれ と詞の露の玉柳
えんにひかるゝ法の? 非情無心の物迄も仏性有と聞からは まして我々人として
三因仏性ぐそくする 身こそ頼もし有がたしなむや しやしよく帰命ちやうらい 他力の
舟にのりの道 こがねのきしにいたらん事唯一葉の力也 又は貨狄がむかしをも きくや
秋吹風の音 一葉の 上にさゝがにの糸引わたる姿より たくみ出せる舟の道是も柳
の?とかや 其外玄宗皇帝の宮前の楊柳守前の花と 詠たへせぬほまれ有
我日のもとの いにしへの名にながれたる清水の 五色にみへし瀧なみを尋 のぼりし水?に


54(裏面)


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重色の光さす くち木の柳たちまちに 楊柳観音とあらはれ今につきせぬ跡とめて
あゆみをはこぶ?地也 されば都の花盛 大宮人の御遊にもしうきくの庭のおも よも
とのこかげ枝たれてくれに数有くつの音 柳桜をこきまぜて錦を「かざる諸人の花
やか成やこすの隙 もりくる風の匂ひより 手がひのとらの引つなも ながき思ひにかしは
ぎの えもんながしやえぼしづけ あふ夜も有てあはぬ夜も有明月のつれなくも 雨に
そぼぬれてひ ひつくばふてかいつくはふてつい ついにしたしき中たゆる 妹がかきねのす
みれ草 心の秋に色かゆる 恋路もよしな我々は其日ぐらしをよそめには あさのかたびらあさ
ましく きのまゝころりと丸ねして やえの鳥もばら/\と 手根に髪を取あげて あしたの

原にきりわけの 豹のたづなをうあつくる/\ やつくる/\ くるれは星をいたゞきて 宿の
柿の木にしつかりと/\ つないだつながぬ月日 うつり行四季折々のたのしみもひと
夜の酒にうたゝねの さむるも夢と誠有 をしへうれしくよろこびのまゆはれや
かに青柳のいとま申てほそ/\゛と うたふ小歌のふし柳一じゆのかげのあひや
どり むすぶ清水の浅からぬ他生のえんと夕ぐれに 西ふく秋のはつかぜの手を
合してぞ舞をさむ かゝる折節斉藤六此所へ来かゝり ヤ子共其馬からんと
いひければ馬子共聞もあへず イヤ此馬はたつとき上人様より あたひを給はり
たればもはや休にして 誰様にもかす事ならず 千両でもいや/\といひ捨


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里に帰りけり 斉藤六是を聞ハアかれらが今の詞のはし上人とは誰なるぞと
むかふをみれば桧笠 かしこにぬぎ捨ヤア是は斉藤六か シテ只今の御下向いか
に/\と有ければ さん候かやう/\の次第にて御寺に参り候へば 回国修行に
御出と聞より方々尋わび只今御めにかゝる事扨も/\嬉しやな 只此
上の御じひにへんしもはやく鎌倉へ 御越下され候へと頼み申せば上人 こは
やすからぬ望事かなはぬ迄も申てみん いざ/\と夕月の夜道をわけてぞ
「急ぎける去程に 時政は廿日の程も過ぬれば せんかたもなく若君をろう
ごしにいだきのせ 六条川原に急るゝ前後をかこむけいごのぶし 其外路中路外

よりみちくる人の数々に 云伝へ聞伝へいやが上に立?り かたををさへ首をのべすは今
こそは御さいごぞと 手にあせにぎり心には 念仏申すこえ/\に物のわかちもなかりけり
むざんなるかな若君は今をかぎりの命より 心ぞさきにきへ/\゛とさながら夢のごとくにて あゆ
む共なく敷がはの上に座をしめ御ぐしの 左右のかたにかゝりしをいたいけ成御手にて かき上/\きよげ
成 首さしのべて手を合し念仏となへておはします くんじゆの大ぜい是をみてアゝいとをしの御事や
いまだしやうねのましますか さぞやかなしくおぼさんと袖をしぼりてなく斗
時こそうつれ御さいごをいそげ/\とけぢせられ くどう三郎ちかとし太刀ひき
そばめ若君の 左のかたに立まはりすでにかうよと見えし時まて/\/\きるな


57
/\といふこえに ねぢむけみればむらさきの衣いた?き御僧いきをかぎりに
はせ来り 拙僧は藤沢の上人の代僧なるが 六代御前御命鎌倉殿に
申請 早速是迄参りたりはや/\しよかんを見給へと 出すををそしと時政は預
て「開て拝見し ホウ嬉しや/\めでたやと 裾打はらひ若君の御手を引てこし
の戸を さすがかうなる時政もけいごのものゝふくんじゆの人々一時に 覚へずあつとこ
え立て悦び 涙にくれけるをアゝいまはしや是程迄うんめいつよき六代の君は千世
ませ/\とあふぎたて/\いさみ すゝんで帰らるゝげに 時政の心ばせ 仁あり
義あり礼智有 儘有武士のかゞみやと心を うつさぬ人もなし 
   
 
  

         む~ん読めない字がいっぱいアル。