仮想空間

趣味の変体仮名

嬢景清八嶋日記 道行船路友千鳥

 

読んだ本  https://archive.waseda.jp/archive/index.html
        イ14-00002-781 


56(左頁)
    道行船路友千鳥
世の中よ 身を捨る やぶも有けり小笹原 其竹
の子の親まさり杖にも きりつ一ふしは ねじめ
かなしや糸瀧が親ゆへしづむかはたけを 身のいたづら
と 世の口のさがな さがみの 国を出 日向と斗しるべにて
日かず眠らぬ旅衣 きなれぬ みちにや なづむらん
ちからなき身の力には気の薬もる左次太夫 義(?)を胸


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にたゝみこむ 箱根にならぶ二子山三嶋通ればちよ
とこて招きとまれ/\と 呼かくる 誰におしやれのかの
子の袂ふじのけしやうの水あかとれて都女郎も手を
おきつ あれ/\三保の松原に落葉かくこのひろひ
取 ちらりと父の辻うらの心ばよりになる鐘は八つか七つ
か宇津の山 旅出をいそぐ朝がらす 骨のすがたを其儘に
嶋田に いひし くろかみを とひてナ ほどひてあらい川 こゝに

ゆかりの有ぞとも いさ白浪の 見そぎして あつたの宮
の舟渡しえきろの こまのすゞか山 石部草津の?わけ
て ちゝに大津や あはたぐち都を跡に行あしのはやつの
国につきしかば 大江のきしよりびんせんし かい上はるかにこぎ
出す されば仏も 「しぶおんかうによととかれしは しゆみより
たかきちゝの恩 ぼよく大かいと聞時は母の 恩のふかきこと あ
さきせと見るうなばらや ゆんでもめてもめなれねば


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景おもしろき嶋々や名所/\を慰めの うき時も有かせ
あれて 仇に立浪どう/\/\どうど打てはさつと引き 跡に
友よぶ磯ちどり 沖にてぐりの釣小船 是もうき世を海わたる
我にひとしきたぐひやなふ/\見給へ住ば爰にも住人の ありと夕 
のともしびにくがなつかしく行末も はやちか嶋も打過て 湊/\や
うら/\と舩に たゞよひ浪にふし 月をすこせば日に向ふ 日
向をいそにみやざきのおきに しほまち「やすらいぬ →(三の切)

いちご持まいみめのよい娘 うらの畠が道になるしやうがかへ ゆふべ
したのはひろいとをしやる ひろかせばめよ小しゆすのおび
しやうがえ 茶つみにうたのなまりさへ 日向の国の はながある
きて宮崎のうらさびて嶺の まつかぜわらいそに鳴こを
おのが友ちどり むめと桜と月と日の外はみやこににもやらず
爰にも住ば住なれて 世渡るしづの春仕事 茶えんに 
辛苦をつみにける 中のよいとしどよきあいけふの昼食おそい


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じやないか なべは何していることとぶつゝく向ふのあぜ道を 昼気(げ)かあじ
たづさへてそりやこそ見へたと気もいそ/\待胸さきも昼さがり
金三がはゝこらへ性なし 槌松の姉ちよろ作のかゝや つい爰へ見へたおなべ
がなぜやらこぬわよ ヲゝけふは内のお志の日ぢやはな めくらごやへほう
しや持てがな帯しめてまちやれな まちやれじやおじやらぬ おとゝい
もあのめくらてぼたもち二つへつられた 乞食めくらめおれが咽じ
め喰かたき 昔は平家の侍悪七兵衛景清とやらいふたやつじやげな

今では宮崎中が持余してほつと悪七兵衛の敵と喰物のうらみ
死でも忘れぬとふつゝく所へ 小屋から走ておなべが声 おうひ
もじかろ待どをかろ 休どきいざ皆ござれと打つれ 家ぢに
「松門(しやうもん)独り閉じて 年月を送り みづから清光と見ざれば 時
の移るも弁へず 暗々たる庵室に徒らに眠り ころも寒暖
にあたへざれば 肌は げうごつと 衰へたり 春や昔の春ならん
古郷の空はいづくぞや うきことしげる草の原芽ぐむをな


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てゝ春ぞと思ひ しほしむ風に秋をしり つれなき月日のみにつも
りくる きのふは北山(ほくさん)に名玉を得 けふは南山にあしきられし
憂世は卞和(べんか)がたま/\も なぐさむことのあらばこそ 牛飼樵者(きこり)
賤の女の 情の食に命をつなぎ 物たねばふとさけばぬ斗 さながら
めくら乞食の悪七兵衛景清と 者の我名を我心に思ふもくるし
足なみや 枯木(こぼく)の杖によろ/\とよろぼひ 岩ほにたどりよる 
首にかけたる袋をひらき取出せば 錦の包にうや/\敷いつきの位牌

両手持 押いたゞき/\石上にすへ備へ合掌かうべを地に付て 南無小松の
内大臣朝臣重盛 浄蓮大居士速両証菩提 唱ふる声もかきくれ
てきへ入斗のひだんの涙 天晴君は三世を見ぬく日本の賢人国家の
棟梁御一もんの北辰治承の空に雲かくれ給ひしより 源平数ヶ度
のたゝかひ闇に険阻の山坂を越るごとく はかることなすこと?(けつまづき)かく申
景清を初難波越中武蔵の有国 河内の判官宗清なんど 一騎当
千の者共何となく心臆し雑兵の手に落命し 御一門悉く終に赤間が 


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せき留ても かへらぬ昔物語 草葉の影より見給はゞさぞ悲しうも 無念
にもおわすらん よし人は兎もあれ 景清一人生ながらへ頼朝が首取て
討れたる人々の教養 欝憤を散ぜんと思ひし一念の通らぬのみか乞食
めくらの生き恥さらし 業に業をはたいても死んと思ふ一心の極らぬは よつ
く摩利支尊天の冥(みやう)かんにも つき果たるか口おしやと 身をかきつめり
こぶしを握り落涙五臓をしぼりしが ハ ハア 不覚のくりごと今日は御
名日 先年仕堂金にわたされし三十両の功徳 もろこし錦山寺に

ては御追善さぞ取々 今日本にて君が為花一本水一滴 供養仕る者
もなく成り果し せめて景清生残つたる身の本懐 旦は御目見への為と存れ共
庵の内は臣が不浄の伏所恐を存 石を七宝の仏壇と観し 御骨を出し此食(いゝ)
を霊供(れいぐ)に備へ奉る 此食色香味(こしきしきかうみ)上供一切仏昔の饗の膳 七五三五々三共
うけさせ給へ とは云ながらいかに世に住わぶる共 手づから煮炊調味してさゝぐる
程の便もなく 匹夫匹婦のかまどをわけし栃の食 木のはの折敷萩の折
箸 是が十善万乗の主安徳天皇の外舅(おぢ)君 内大臣重盛公の霊供か


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大政大臣清盛公の侍大将 悪七兵衛かげ清が 備ふる膳かと斗にて 大地にどうど
身を投ふし 聞人なければ声を上ぜんごもしらず泣いたる 世のせいすいぞ力
なき 誰か哀ととふ人も渚に寄るゝ浪の音 浦山風に声そへて からろの
拍子舩つなぐ声すは人こそと御骨をなく/\ふくろに入奉り さぐりさし
足あたふたと庵にかくれいらんとす かげを見付ておい/\ 申々物とはんと 娘
をいたはり左次太夫 いそぎ舟よりかけ上れば娘は小石をふみくじらし つまづき
よろめき走り寄 是こじき殿 此嶋に平家の侍 悪七兵衛景清様のめくらに

成てましますよし 東国方よりはる/\と行衛を尋に参りし者 有家をしら
ばをしへてたも 頼ぞいのと有ければ 思ひかけなくこはいかにときよつとせしが
色にも出さず 此嶋に去人有とは聞及べど 我とても盲目なれば終に見
もせず 今少し先でとい給へと詞すくなに入んとす なふ其詞の五音(いん)ていた
らく 聞及びしに少しもながはず疑ひもなく御身は父御よ 二つの年にい
き別れ娘の糸瀧 是迄尋参りたり名乗てくだされ父御前と すがり付ば
飛しさり杖をこたてに声あらゝげ めくらの打杖咎はなし 近よつて娘たゝかるゝな


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兵衛でないぞ親でないぞ 当所初てならばしらぬも断 日向一国の習貧
福貴賤の差別(しやべつ)なく 両がんしいぬれば此嶋へすてられ 乞食と成り此世で因果の
業をはたし 未来仏果を祈る故 我等ごときの乞食盲何十人といふかずもか
ぎらず 人の上にも身の上にも哀れを見るが悲しさに 景清が有家しらずといゝしは
偽りよ 爰より奥にさまよひしが誠は去年かつへ死 土になりしとしらざ
るかと我と我みの偽りも 親子火宅のりんえを切けんによも なげに入にける 娘
は去共逢見んの心便りも楽しみも 精も力もよはりはて 夫レは誠か悲しやと

其儘そこに伏まろびもだへ こがれて嘆ける 左次も涙にかきくれながら 吉
野初瀬の桜もふだん咲て有と思ふは不覚 咲からはちる筈生れるからは
死ぬ筈 生者必衰のことはりは釈迦達磨も遁れ給はず 四百余里の海陸(りく)を
凌ぎ逢んと思ひかためた初一念 骨になり共詞をかはさんと思はずか 道理
ながら嘆くはぐち いざ其人のなき跡を尋て見ばや此方へと 肩に引かけ行力も
かいも渚のさよちどり 鳴ておくへと尋行 折ふし里人二人つれ すりちがふて行過ぎる
是々と左治太夫 卒爾ながら物とはん 悪七兵衛景清のさいごの跡はいづくの


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ほおど おしへてたべと有ければ ハゝゝゝ いやはや卒素(そそう)とて是に上こす卒素もなし
かうお出の道に物ふりたるわらやに盲目の乞食はなかりしか 其めくらに
尋てこそ景清死去と聞てそふ それこそ景清盲目なれ ムツ聞へた
となへを憚り名のらぬ筈 さわひ我等参る者引合せて参らせんと 聞を
便りにいそ/\ともとの所に立帰る なふ/\景清お出そい 悪七兵衛やおは
すか物申さんと呼はれば かしまし/\ふる巣にすてし雛靍の親はなけ
れどとや出して千里(ちさと)をかけり尋来て 父よと鳴ど身をはぢて我はこ

たへず夜るの靍 膓(はらわた)をたつとは人しらじ 今は此世になきものと思ひ切たる乞食を
悪七兵衛景清と呼は是にと答ふべきか 其上住家も此国の日向とは日
に向ふ 向ひたるなをば呼もせで情なく捨し梓弓 引はひかるゝ悪心を又お
こさするか腹立やと 隔ての笈(すが)菰引ちぎり杖追取て立出しが 所に住ながら
御扶持有かた/\゛に憎まれ申物ならばひとへに盲の杖を失ふに似たるべし
かたはなる身の癖として腹あしくよしなきいひ事只赦しおわせませ 娘はそ
れぞと聞からに なふなつかしや御身が父上様かいの うばが今はの物がたり 御有家


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を聞ととし遅しと はる/\゛尋きたりしに娘よふきたふびんやと一口いふたら咎に
ならふか さいぜんはなどどうよくにつゝみかくさせ給ひしと すがり付て泣
ければ父も引よせ撫さすり もしやと我子の顔見さげにゆびで眥(まぶた)を
ひつはつてもくらきにまよふ盲目の心のやみにもかきくれてぜんごも
わかず見へけるが 我熱田の大宮司の娘に契り汝をもうく にくし
わるしでなく女なれば足手まとひと 二才の時うばが娘にくれたれば今
では子でなし親でなし むすめ有共思はざりしに血筋程有心ざし 親は子

に迷はねど子は親に迷ふたなあ 糺はいはぬでかしおつた ふびんやうばめも
てこねしか みなし子の年はも行ず誰を力に何とかくらす かきせてくれと
有ければ あいといへどいひかねてわつと泣入斗也 左治太夫めをしばたゝき
我等御息女の御供し 共に御有家を尋し左次太夫と申者御物語申さん
昔の御自分ならば公家高家のれき/\にも御縁組 それは今申て詮
ないこと 時々の花を折といふ世のたとへ 日かげの景清殿の娘御押はれて嫁
には呼人も袁理与あちらこちらいたすうち幸の縁有て則我等仲人仕


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さがみの国で田地持の大百姓へ氏系図をみやげにして去冬婚礼さら
りと相済み 村中の参会にも二番とさがらぬ座並 案じさつしやりますなふ
じゆうなことも何もござらぬ 其元の身の上聟殿の親御か聞及び うら
に隠居所立呼寄てやしなはせまするもいと安けれど 天下の恐れ気の毒
なこつちや 盲人のさぞ便なからふ官をさせましお身を安ふしてあげましや 金
持せて人やりも合点なれど 孝行にもならふお顔見がてら 嫁直に持てい
きやと 何から何迄気がついてあんまり心が付すぎてそばからも涙がながれ

ますと さし出すさいふと文箱と 胸の内とはしらぬ日の心づくしぞ哀成 かけ
きよ面色筋をいらゝげ ヤア左治太夫とやら ながの海陸(かいりく)いつかい世話 つれ
てきてあはせた一旦の礼はいふ 人うりめ すりめ なぜかげきよが娘土百
性の畠かぢり 土龍(うごろもち)の女房にはなかうどした おさなく共めらう父をみよ
頼朝にしたがは国郡の主となり 活計寛楽をふり捨此嶋のうづ
虫めらが 五器のわけをすゝるも弓矢取身の我(が)といふもの 男も女も義
はおなじ くらいものに尽たらばなぜのたつてくたばらぬ 此金で官せよ


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とは をやまで土くらいのなをけがせか エゝにつくいやつ 打ころそふか踏
ころそふか それも腕よごし足けがれ よい/\自滅のよいものくれんと
さぐり寄て庵のうちより あざ丸の名剣取出しがはと投付 景清がさ
ひぬゆうしの心は此太刀 我てにかゝると観念せよ 立てかへれ佐治つれ
て行け 心に住する身ならばたつた一めにらんでくれたいと見はる眼に
はら/\と こぼるゝ涙をおさな気に誠のしかりと悲しさつらさ せきあげ
せきあげ泣ければ 里人を初左治太夫 跡に心を残させぬ詞の邪見と

心の慈悲 かをと気色に見て取れども わけてはいわれずさしうつむき共
に涙にくれけるが はつちやこはし長居せば又此上に恐ろしや/\
サア娘ご舩にのせてかへりましよ けちらす程いらぬ此かね 残しをくは
国土のついへとひろいあつめ里人に めまぜでわたせばめまぜでうけ
取 ヲゝよいがてんはやふ舩にのらしませ まだふねにのらぬか ほへるか め
らうめいや只一打にぶちころさんとつえふりあぐるを拍子にて
アゝ佐治がのせますと 娘の手を取引立/\涙をのんで立出る 打ころさるゝ


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と父の顔 此世の見おさめしばらくなふとこがれ嘆くもいた/\しく よはる
心の父はなを杖とぼ/\とよろめくすがた それ打ころしにやれくる
はと おどしつすかしつ袖を引立手を引立 いたき乗れば舩人は纜(ともづな)と
いてはせ出す 舩よりは扇を上げ 陸には声のたつかぎり 今しかりしはみな
偽り 人ににくまれわらはれず夫婦なかよふながいきせよ あたへし
太刀をちゝと思ひ肌身もはなさずえかうせよ かさねてあふ  
はめいどで/\ さらば/\といふ声も涙にくもる汐くもり 追

手のかぜの心なく をやを残しておき津なみふねははるかに行過ぬ 里人立
寄たかひの御心中さつしやる 七珍万宝多しといへども 子にまさつ
たるたからもなし 残し置れしさいふと文箱うけ取給へとさしいだせば 扨
はさとく盲目が心を察し金を残し置たるか 文箱とは何やらん 御くらう
ながらひらいて見てたべ 心へ封をきり/\と上包ときほどき ヤア書置
とかいて有 とは何の書置 はやふ聞せてくだされと心そゞろに気を
いらつ 何々ひなの御住ひ それさへ有に両がん迄しいさせ給ふときゝ


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まいらせ候ゆへ あまり悲しさやり方なく 官をあけ御一しやうをやす/\
くらさせ申さんため 我身を手越の遊君にうりしろなしまいらせ候 やれ
其子はうるまじ 佐治太夫殿娘やい おいふねよなふ/\ かへせもどれと声
を上 心見だるゝ足には車 たどりめぐればア是/\ 近頃ひんなき事な
がらふねははるかに帆かげも見へず 思ひ明らめ給へといへば はつといさ
ごに伏よこたはり 涙ひかたのあらいそに 塩のみちくるごとくにて
身もうく斗なげきしが 普代相恩の主君ながら 入道殿の邪けん

ほういつ 仏神三宝に捨られ奉り ほろびし平家のうんめいとはしらずして
仁義たゞしく道を守る頼朝に敵せんと 生がひなき命をながらへ ゆう者の
義を見がく/\と思ひしは皆天道にそむく悪人の方人とにかく弓取は死べき
時に死されば 死に勝る一恥有とは今かげきよが見にしられたり 我身はかく
ても命のつらさ未ちかし つれなの人がいや積悪の餘殃(やうおう)わがこに
廻りむくひきて 君傾城に身を落せし 娘が身の油の値(あたへ)にて老の
命をつがん事直ぐに肉(しゝむら)をくふ同然 孝行却て不孝の第一 但しは人外


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畜類になれとのしわざか ?(どろみづ)をすゝり土砂をくらへばとて 是で官が成
ものか うらめしの金やと大地にかはと投付け打付け苦しみは肝にやきがねさす
見へぬめだまの飛出る斗 押のごひ押こすり 大ごえ上て泣くどく事はり せめ
て哀れなり共に 涙にくれけるが折よしと里人近く立寄 すこしき恥を
悪(にくむ)者は大功をなす事あたはずといへり かばかり善悪をかみわけし
景清 など志を改め頼朝に帰伏せんとは思し召ずや さもあらば息女
の身もけがさず 鎌倉殿にも嘸御喜悦 良禽は木を撰ですみ 忠臣

は主を選で仕ふといふ万世の確言 思ひあたり給はずやと有ければ 耳を
そばたて 今迄はいやしき土民とこそ思ひしに かゝる道理を述給ふおことは誰 ムゝ
ふしん尤 斯申すは天野四郎土屋郡内 鎌倉よりの隠し目付 御辺に付添い起伏し立
居 其日をもつて鎌倉へ告しらせずといふ事なしと 懐中より取出す家形(やかた)紋の錦
の胴服 右大将家の御紋の光傍りをはらつて見へにける アゝはづかしや 嘆きに本心
を見とがめられし 此上は只ともかくもと がを引詰し梓弓 やたけ心のよはるを見て
天野四郎磯辺に立出 悪七兵衛景清志を改め頼朝公に御味方 上洛の


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御舟参れと呼はれば 俄にそよぐ蘆辺を押し分けぬつと出るは三保谷四郎国時 簑笠
脱捨聞た/\ 景清が首取て帰参土産 そこ動くなと詰寄たり 郡内四郎押隔て 我々は上
意を受け景清を預る者 聊爾はさせぬと支へたり 景清聞より高笑ひ ハゝゝゝ 八嶋と云二度三度逃
足早き国時 帰参の土産といふからは扶持放れのうろたへ武士 我も帰洛の門出に捻殺すは安
けれ共年月積る配所の徒然 身を倦(うまし)たる腕試相手に成てくれふ 然らば心に任せんが外に刃物
の用意も有まじ アゝいや/\此枯木の木刀は抑(そも/\)盲目と成しより朝夕を我力と成程共頼だ杖 娘に
あたへしあざ丸より抜群のわざ物 サア三保谷 必ず卑怯を働くなと 声をかくれば土屋郡内 手拭しご

いてサア国時 盲人相手の打物業 是で御邊の目をくり立合するが我々が鎌倉殿へ申訳 則討
るゝは運次第えこひいきのない様にと 直ぐにぐる/\めんない千鳥 是で双方互角の盲人いざ/\勝
負と突放され俄盲の三保谷がぶつゝきながら抜放し 儕景清一討と心ははやれど真の闇
方角白砂さぐり足景清いづくに 国時うせいと声かけ合声をしるべの盲打 天野土屋も左右に
立 勝負はいかにと目を放さず守り詰たるいそべの真砂踏み所定ぬ杖と太刀くはつしと当るを相図に
て 二打ち三打丁々々受ては払ふはづみを見て 只一つきにと付け入刀打落し 大手をひろげ三保谷が首
筋むんづと引掴み引寄んとする力士腰 寄らじともがく争ひは是や兜の錣引きえいや/\の声身を遁


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れんと三保谷かむしやぶり付をふり廻しどふど打付け乗ゝり 首の骨こそ強けれと諷れし三保
谷が ?(しころ・錣)をまつかふ景清が腕の力を覚よと 一引き二引ぐう/\と捻首にして捨にけり 天野土屋は
大にいさみお手柄/\直に出汐の折よりと取々伴ふ渡海作りの召の舟 浦風に吹そらさせ早押
出す棹の哥 四海波風静にて枝もならさぬエイ/\玉の小柳もまれてよられてさとろもんとろ靡き
納り八嶋のエイヤホンホ ホン/\外迄君が代のめぐみの海に情の舟詞の汐に心の満干(みちひ)敵と味方
は追手追風向ふ風 千里一飛一走り一つ涙を昔と今にこぼし分けたる女浪(めなみ)と男浪(おなみ)動かぬ義心の
鉄(かな)碇もひかるゝ輪廻も親子のきづな長き世かけてもしほ草筆のすさみと なりにけり