仮想空間

趣味の変体仮名

嬢景清八嶋日記 第四

 

読んだ本 https://archive.waseda.jp/archive/index.html
       イ14-00002-781 


72(左頁)
    第四
瀬尾兄弟目に角立て ヤア待て/\何やつなれば頬(つら)を隠し踊りの
邪魔する曲者め 引ずり退けんと瀬尾次郎 取付く腕首しつかと
捕へ アリヤサコリヤサヤツトセイ ヨイ/\まかせておけろともんどり打せばすかさず後ろへ瀬尾
太郎 後ろ矢筈をしつかととる こいつもちつくり上手めと 前へ投こし踏み
飛せば是はと取付く二人の踊り手 ゆん手めてへ投付けられ ソリヤあばれ者
怪家すなと 呼はる声に玉ぎぬをはじめとし女中は残らず逃入ば


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踊りはやぶれ散乱たり 兄弟ほう/\起上り どいつなれば我君の御前
をも憚らずほたへ過たる狼藉者 頬(つら)見ておかんと立寄て頬かぶり引
たくればのり経わらは菊王丸にがり切たる顔付にて すつくと立たる有様
に兄弟兼て手並はしる 小気味わるさにじり/\と尻込してぞ見へ
にけれ 御心にさはれ共詞をやはらげ知章(ともあきら) ヤア心得ぬ菊王が行部(ふるまひ)招かぬ
踊りに物好き姿 我慰みを妨ぐる所存いかにと仰を待ず エゝ情なや 踊りの
やぶれしには御立腹まし/\平家の乱るゝには御心も付ざるか さいつ頃より

数度の出陣にもお立なき故 寄せ手の大将義経 近々大軍責め
来るとの風聞万民の心安からず 然るに昼夜のわかちなく 色と
酒とに正気をうばはれまします故 お家に古き武蔵の有国を初めとし 御近
習入かはり立かはり御諌め申せ共 お傍に仕へる佞人めらがあまき詞に迷はさ
れ 御聞入なきのみならずかへつて御不興蒙り皆分国に引こもる 今に
てもすは御大事といふ時 君の為に一命を露ちりいとはぬ忠臣はコレ御館
に候はず 此御合点も行ざるは天魔の見入れか浅ましやと涙をながしいさ


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むれば ヤアこしゃくなり菊王 汝燕雀(えんじやく)の分として大鳥の心いかてしらん 一旦
千義助児玉党が情にてあやうき命は助かつたれ共 矢疵のいた
み快養の為といはせもあへず おろかなる君の仰 わづかの矢疵を
いひ立て度々の合戦に出陣なきは 玉衣御前の色香に迷ふての事
何とぞ御心を改め一刻も早く出陣有らば父知盛公の御悦喜(よろこび)一門の人々にも
御満足 最前より我君にさからふとはしりながら申上つも国家の
為 早く佞人を遠ざけ忠臣を招き寄せお家長久の基(もとい)を極め給はれと

くり返し/\ 諫言したる若者は十九歳にて討死せし のり経卿の御内に大強
力士と名を得たる其一人の勇士也 気早の大将御気色かはり ヤア諌めを入るるは
家来の役と宥免すれば付き上り 佞人に迷ふとは存外千万必定瀬
尾兄弟が威勢を妬む讒言か 佞人とは儕が事 罷り立て重ねて目通り叶はぬ
と 以ての外の不機嫌にて 御座を立たんとし給ふを御裾にすがり付き コハ情
なき御仰 御目通りへ叶はねば切腹するより外はなし 譬御手にかゝれば迚
申かけたる我讒言 露斗聞入給はゞコレ何か命の惜しからんと 押て諌る忠


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義の一図 返答もなく立蹴にけやり ヤア兄弟 奥にて酒宴催さん
いざ来れよと云捨てて一間の内へ入給ふ 菊王は余りに興さめて暫したゝず
み詠めいる 太郎次郎はあざ笑ひ アゝ弁へなく出る儘のほうげた 佞人の
悪人のと人をそねむ報ひにて君の不興を蒙りばがらのめ/\生きては
居られまい 恥をしらば切腹せよ 兄弟是にて見物せんと さもにくてい
なる一言にこたへ兼てくはつとねめ付け ヤア儕等が性根にくらべいせいをうらや
む讒言とは奇怪なるあごた骨引さいてくれんずと 飛かゝらんとする

所へ ヤレ待ち給へ菊王丸と声をかけてお次より立出る上総の忠光血気の菊王
大老の詞にめんじ猶予のてい 忠光近々すゝみ寄ヤア菊王 御異見が一
図なる故返つて御前に聞入れない 君踊りを好き給へば瀬尾殿御兄弟よい
年してさへ雀踊 其元もなぜ踊られぬ ハゝゝゝたしなみ召されと兄弟が耳に
釘さす詞に菊王は猶せき立 ナニ御自分迄踊とは踊りが国家の御為に
ホゝゝ成る共/\ もゆる火をけさんとて水をかくれば猶さか立つ さかんなる火を納むる
には 又火をもつてけす道理ナ爰をよく得心あれ 去によつて某も 御


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前にて一踊致さんと存れ共 君の音頭は古風な故彼の道年ふしのへん
づくしがよからふと思ひ付き 日本一の音頭取り五斗兵衛を同道致した コレ此
音頭で踊る時はいか程大きな踊てもだいごを乱さず一致して進退かけ
引心の儘追付け是へ来るべし 君に此事申上はやし方の手配(くばり)せん 其元は帰
宅有踊の用意あらまほし 御前は拙者に任されよと 智勇をかねし
忠光がおしへに菊王胸落付き ハテ驚き入たる踊のさいばい 音頭
取の物好き迄承はつて安堵せり 万事貴公にお任せ申す 何さ/\御前

の踊りは某に 御邊はお宅へおさらばさらばと義者勇者瀬尾兄弟には
目もかけず上総は一間へ菊王は心を残し立帰る 跡に兄弟あんこう烏踊半
へ日の出し心地 コレ兄者人 盛久を初め忠義達てするやつ原大方に押込 残
つたは上総菊王けむたくてならなんだに先ず一人は半片付き 次手に忠光
めも押籠める思案はないか 有る共/\きやつが今いふ五斗兵衛が目貫の
細工人生れ付ての底ぬめ上戸酒をくらへば乱れ出し 二斗三斗の限り
なき底ぬけ故誰いふとなく五斗兵衛 本性を失ひ何の役に立ぬやつ


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それを見込で一つの方便(てだて)五斗めがうせたる時め見へせぬ内酒くらはせ 馬
鹿つくすを越度にしてきやつは勿論忠光めもざんげざゞらに云ちらし 追いま
くつて仕廻ふたらうつそりの大将は 立てふとふせうと我々次第 必ずぬかるな弟
と 人を損ふ悪工み コリヤ上々の御分別 気遣ひ有な拙者に諸事をお
任せと打連れ奥へ入にける 暫く有て五斗兵衛再び花咲会稽の
錦にあらぶ出立ばへ木綿どてらに麻上下藤巻柄の大小を 遉
名高き軍師とは聞しにも似ぬ衣紋付き 細謹(さいきん・細瑾)を返り見ぬ大丈夫 笑ふ

も謗るも何共なく御座の間近く入来る 瀬尾の次郎出向ひ ナニ其元が聞
及ぶ五斗殿 先達て承はれば改め御名は聞に及ばず 手前は瀬尾次
郎と申す者 万事貴公の御引廻しに預りたし 是は/\結構な御挨拶でご
ざります 祈参の某所持此方からお頼/\ サゝお手上られい 先ず貴殿から 
いざ/\と 礼儀半ばへ嬪が銚子盃持出て 是は御前のお盃御頂戴
遊ばせと いふに次郎が打點頭(うなづき)イヤサこれ五斗殿 御邊か酒を好まるゝと聞こし
召し御大将よりお盃ナント一つ参らぬかと 指付くればやけ石の飛付程に思ひし


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がちやくと思案し アゝいやで候こりて候まだおめ見へも済まぬ内 先々よしに仕らふ
ハテそれは気の毒たつてとは申されぬがすいた物を呑ぬといふは アゝ其元に似
合ぬくちの至り コレしかも此酒は御前の名酒 ナント浦山しうはござらぬかと ぐつ
とのめば咽ぎつくり 又盃てうどうけ穴へ釣込むおしみ呑 傍に五斗は咽
ひい/\唾を呑込だる心根は日照続きに百姓の雨乞するもかくやらん
こたへ兼て盃おつ取ドレちつとすけふとがぶ/\/\ ムゝヤこりやたまらぬ/\押さへ
じや有ふと又ごく/\ してやつたりとながえをすぐに瀧の酒 たへずとう/\

もりつぶし方便(てだて)に乗せた次郎がいさみ やがて銚子をかへに立 武蔵守知章
公五斗兵衛に対面せんと ひたゝれに折烏帽子上総忠光先に立 御広
書院に出給へば 跡に続て瀬尾兄弟異義を繕ひ座に直る 五斗兵衛
はじろりと見て 廻りかゝりし居あんばい 是は皆様ようこそ御出コリヤ嬶よソレた
ばこ盆お茶をもてこいと 我家と心得馳走ぶり 上総ははつと仰天し 扨は瀬
尾兄弟が酒をもりしに極つたと 悟りながらも此場の難義 目顔でしらせ
どじろりくはん大将遥かに見下し給ひ 忠光かすゝめし軍師五斗とは彼が事


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な いにしへ漢の韓信を高祖初めて見し時得たる諸芸を尋給ふ 其例
あれば尋て見ん ソレ/\兄弟聞て見よと 仰に出しやばる瀬尾太郎 コレ/\
五斗殿 六韜(りくとう)三略をそらんぜしか サ明白にのべ聞されよ エ何じや 六韜三略
我等ずんと存ぜぬでえすは何じやしらぬ ホイ見事な軍師の コレ然らば武
芸は武芸か コリヤ又武士の表道具 先ずと弓鑓鉄砲馬乗事 剱
術体術ひつくるめすつきりとしらぬでえすは ナントきつい物か 先ず一たい根が
嫌ひでえす 右の通りの仕合故何をきせても埒明かぬ とかく好きなはコレ /\

れこさじやと 又引かゝへ呑酒を手に汗にぎる五郎兵衛胸をいたむる斗
なる 対象甚だ立腹まし/\ かゝる浮世のすたれ者 我にすゝめし上総が心底
いぶかしと 仰に忠光ハアゝ御尤の御不審 昔より云伝へる智者の一矢と
は此事 酔(えい)さめて後軍術の奥義を尋見給へといひも切らせず気早の大将
こは心得ぬ一言 スハ一大事の場所に成て五斗が酒に乱れしとて 正気に成る迄待
べしと敵が軍を猶予すべきや 言語(ごんご)にたへたる麁忽の云い分 此智章をあざ
けるのか 軍師とは思ひも寄ずアレ引出せと怒りの面色重ねて何の御諚も


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なく 座を立奥へ入給ふはにが/\しくぞ見へにける 瀬尾兄弟えつぼに入 あの
やうなごくだうを軍師じやの何のと目利なされたお方が見事よう合点
の行やうに 誰か有あの酔どれたゝき出してお目にかけよと云捨一間へ入けれ
ば跡に上総忠光は五斗が乱れし体を見て エゝ是非もなや残念や 併いか程
下部が働共きやつらが手にあふ五斗にあらず 万事の思案は館でこそ につ
くきやつは兄弟なれと 愚人を相手に隙ついやし無益の論と誤りを身に
引受て立帰る 下知を受たる下部共てんでにより棒わり竹持ち 何にも

しらず軍者呼はり 御知行をしてやろとはのぶといやつ たゝきゆがめて追まく
れと立かゝれば アゝ待た/\ 軍師の商売致すによつていつれもが御腹
立 是からさらりとやめにすると 刀投出し立上り手彫りの目貫が御用な
ら値段付て申て聞ふ 先ず第一の細工物 牡丹に遊ぶ獣(けだもの)は大方四々の十
六貫 月に兎は子持の証拠 三五をかけて十五貫 猫は二四が八百匁 狸
は金で百疋也 つなぎ馬は相場もなくめつたむしやうにたいこ付け 猿は三十
三貫三百三十三文也 紋尽しなら桐のとう 五七両から五三両 毛彫は嬶


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が重宝でお望なれば三百目 其外家の三番叟 お望次第好き次第ぶた
るゝかはりに進上と口に任せて云廻す 欲にふける下部共それは近頃忝い
とてもの事に値の高い三番叟が貰たい そこに持てござるならお見せなさ
れて下されと掴みづらはるついしやう口 何しや三番叟がほしい それは何より
もつて安ふ候 イデお望の三番叟さあらば目貫を参らそふと傍に有り合ふ
踊の編笠ひつかづきたる俄のえぼし しかつべらしく声はり上おふさいを/\
悦びありや/\我此所より外へはやらじと思ふ エイ エイ えい/\えいによは

されて 似せる家来が鵜の真似や鴉飛して「帰りける 請継ぎし武門
の栄へきらめきて 庭の木草の落葉かく座敷廻りのはき掃除箒
かた手にはやり哥実にも上総忠光は館と知れていさましき女ご仲間が打寄り
て 此中から此おやしきへどこやらの牢人迚 女夫に娘三人連れお客/\と大
事にかけ どふでも訳の有そな事 みんなは何も聞やらぬかと尋れば何の
いの どこにあれが牢人衆 元は目貫の彫物師 兵法や軍法が上手な
故 大将に成といの しかもけふはおめ見へ迚旦那様と御同道 それ程軍


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が巧者なら人の見ぬ間の夜軍も大抵の事では有まい なんとそふは思やら
ぬか イヤ/\目貫師なら高がしれた お内儀の穴彫のと馬事するは上
手であろ 本の馬に打乗て切合いは覚束ないと 遠慮会釈もかげ云の
あだ口々ぞやかましし 折から奥より上総が妻高の谷あゆみ出 口さがなや嬪
共 尤是迄職人にて大津の里にお住居なれ共 根が木曽殿の御寄人
氏といひ武芸といひ遖の武士(ものゝふ)と連れ合の悦び 様子もしらいで見苦し
い おかもじや娘御の耳に入たら自ら迄供々に謗るかと さげしまるゝが恥かしい

重ねて屹度たしなめ麁相をいはゞ赦さぬと 叱り付られ尻込は 誤り入て見へ
にける 関女は娘を伴ひて何心なく奥より出 気の毒顔に是はしたり
どふいふ事で奥様の御機嫌がそこねしぞ 少々の誤りなら慮外ながら私
にmじぇんじての御了簡御堪忍遊ばせと我身の上の噂とは しらで取なす
追従まじり そばで聞さへ笑止なり 高の谷も打えみて コリヤ皆の者
けふはあなたの御挨拶 了簡するぞ勝手へ立てと叱り付られあい/\と 皆
打連れて走り入 娘は母の袖を引 申かゝ様 とゝ様は御前へお出 まだお帰りも


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なさそふなと尋れば ヲゝ待ち兼るは尤 イヤ申奥様 かやうに申せば夫の事
申すやうて悪けれど 七八年も連れ添て万事心を付けますれど大酒呑
でたはひのないと 目貫を上手に彫るより外藝は何にもない人 軍師と
やらになさるゝ迚忠光様かいかいお世話 仕付けぬ事を致されたら明けても暮れ
ても仕損ひ ついおあいそがつきやうかとわたしが案じ過ごし 御推量下さり
ませ 殊にけふはお目見へに早々から御同道 きつうお隙か入ますると 気
遣へば高の谷会釈して 是は扨卑下をしての御挨拶 お気遣ひ

遊ばすな 夫上総忠光も平家の御内にては隠れもない武士 ついに是迄
麁相をいはずしめくゝりがよい故 あっりや真替(まがい)の平打紐 あの人のの云事
なりや慥なと 人の噂に乗る程な堅い侍 見込がなうて世話やく物か 首
尾ようお帰り遊ばさふと いふ間程なく表より殿様のお帰りと下部が呼
はる声に連れいつにかはりて五郎兵衛畳さはりもあらけなく不興顔にて立
帰れば 只ならぬ体気遣ひさ ヤお下がりか我夫(つま)と いへ共何の返答なく一間
へ通れば妻の高の谷五斗が妻子も手をつかへ けふはいかい御苦労さま


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御前のお首尾はいかゞぞやと 尋に上総は溜息つぎ ハツアゝ誠や智者の
一矢とて古語に違はぬ一つの疵 古今無双の侍なれ共酒といふ大病
には扁鵲(へんじやく)が薬も叶はず情なや五斗殿 瀬尾兄弟が計略にのせられ
いつの間に呑れしぞ 又例の大酒 とろつぺきに成ての御め見へ 何をお尋
なされても存ぜぬしらぬと取あへねば御前の首尾はさん/\゛雑人(ざうにん)原にたゝき
出され見ぐるしき行跡(ふるまひ)エゝ今日迄人に笑はれぬ某迄面目を失ひしと語
れば 高の谷興さまし 五斗が妻子も空に成 シテまあ夫はそれよりも

いづ方へ参られしとおろ/\涙に尋れば イヤ外へは行れまい追付是へ帰られふ
エゝ残念千万と立上れば妻の高の谷 よしない人の取次遊ばしおまへ迄御
恥辱 気の痛むにお構ひ無用 ちとお休みと伴ふて一間の内へ入海の汐
の干潟に捨られて親子は跡を打ながめ泣くより外の事ぞなき 酒といふ世
のくせ物にうかされて軍師も今は塵ほこり 箒の先に二升樽くゝり
付け エイ/\エイ/\ 目貫師ナ なんでもせい 箒/\と売ったる親仁 見せの端に
もしばしは休み土の人形や肴を寄せて 二つ三つ四つ五つも六つもたべつ押さへつ


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あひしよとおしよとおしやる 脇より人の見るならばかろまた/\かろまたおかし
かろまたけなりかろ ハゝゝゝ面白いは御前で下されてそれから長者町の池が手
造りを天王寺が所で ごすで給(たべ)たじやて是は見事じやといふて 平又五が
材木程な牛蒡をはさんだ ヲトゝゝゝこりやどふじやといふたら辰巳角(すみ)の金
もめが角呑みにせいといひおる 赦せといふたならんはてゝ いづや山さぶが銅(あかゞね)の
つるかけを出したところを小気味ようきこしめしたじやて ナ 何と 無理か 無理
でなか さらば座敷へ参らふと一間へ通りこは作り たそ居るかお客罷り戻つ

たぞ ヤアえい やつとこなの相伴せうと 又引かゝへ呑む有様 女房見兼走寄り
コレ五斗殿 マア時も時折も折 一世一度の出世の場所 くらいどれの酔どれ
のと 追立られて無念にないか悔しうは思はずやと せりかゝれば コリヤ女房
無念なじやによつて給たじやて ナ サイナフ 其給た故引出され赤恥かい
たでないかいなふ ソリヤ誰が ハテこなたが ハレやくたいもない 御前で瀬尾兄弟がいかい
もてなし きつう酔た程にいんで休めてゝ引ずり出された ナ ナント エイカ コリヤ/\娘よ あすから
われを馬にのせ ナ ナント エイカ 嬶を乗物にのせて ナ ナント エイカ 我が舁くじやて ナ 悦び


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事に又いたそと樽傾くれば女房興さめもぎ取て 涙をうかめ ヘエゝ浅まし
い 口はそれ程かはいひか 恥を恥共思はぬ酔とれさほどにあろ共思はずに
娘を連れて嫁入し五年余りの辛抱 又しても/\呑過しての仕損ひ
ほつとあいそもつき果た こなたが何の以前が武士 竹のふしか木のふしか
鰹ぶしでも有まいと 恥頬(つら)かゝせどきよろりが味噌 ハゝゝこりや出かした
武士尽の口合どふもいへぬ コリヤ面白いは/\迚もの事に小歌ぶしで一ぱい
しかけよ 君に命をかけ帯の コリヤ伽羅め あいしおらぬか おさへかと

しなだれかゝるを取て突退け エゝこなたはの 迚も其根性て女房子の面
倒を見届ける事は成まい よいかげんに隙おこしや 去り状かくぞと床の間の
硯取る手もこらしめにわざと手づよき詞の角 娘は悲しく申とゝ様 今か
らふつつり思ひ切 酒呑むまいといふてたべ コレ拝みます頼ますと取付きすが
り泣居たり 母は娘を引退けてゆり起し硯突付け サア暇の状をかいて
貰ふ コレ/\どふじやそいのコレ五斗殿 ムゝ返事さつしやれぬは但しは酒を正気
か ヲゝ止まる/\ ヤア何じや酒をふつつり止る気か イヤ今夜は爰に泊る一筆


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かけならおこふかとゆがみすじりに三行半 コリヤかゝよ 是でよいか したが五
斗が隙やるに只やつては一分が立たぬ 半分も立たぬ コリヤ此相口は親重代
三匁五分で買たれど隙やる印じや持ていけと 投出したのも夢現
後もしらずふしにけり 娘はぐはんぜも涙にくれおろ/\するを コレ徳女 是は
母がこらしめ霊見の為に取暇 目が覚めたら常の通りやつぱりかはらぬ女夫
の中 泣事ないと娘をすかし伴ひ出るを高の谷が お内儀待たと走り出
此酔どれを残し置きそなた衆斗帰ろとは そふうまふは成ますまい お連れ

合も引起し連れていんで貰ひましよと 呼留られて五斗が女房 むつと
せき上とつかと座し コレ奥様 イヤ五郎兵衛様のおかもじ こちの男が酒呑
のたはいなしといふ事は最初からしれてある それを爰の御亭主が見込
が有るの取次のと めつたむしやうにそゝり上 住み馴た大津の里 身代をたく
ませ今ではどこも居所ない それに何じやこちの夫はしめくゝりがよい故
上総忠光とはいはぬ 真替の平打紐と自慢たら/\゛是がどこにしめくゝ
り ひよんなお人に見込れてあげくの果に縁切て さられたら他人


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むき かまはふ理屈はない筈 酔どれはあたまから呑込でのお世話 やつ
かい次手にどふ成りと御勝手次第になされませ あた面倒なと出ほう
だい 云たい事をいひ破りサアこい娘と引立てて次の一間へひつしよなく 気づよ
く出るは出たれ共心元なさ気遣ひさ暫し小かげに佇めり 跡にうつとり
高の谷は 五斗が妻にいひ込められむしやくしや腹の立居もあらく 此
上はこつちも意路酔どれめを引起して帰さんと 肩をゆすりつ手足を
持ち引ど正体なかえいしが 酒の匂ひに鼻向けのならぬ上猶高いびき 石仏共

死人共たとへがたなき有様に ほつと其身も精つかし 扨も/\ 何様女房
の思ひ切 是なら道理と了簡付け よい此上は家来にいひ付けたゝき出す
より外なしと勝手に向ひ声高く ヤア誰か有る此酔どれ引ずり出せと
呼はる声 ヤレ待女房用事有と鉄砲提(ひっさげ)五郎兵衛一間の内より立出て
彼が乱酒をしりながら懇望して頼みしには深く見込し所有り 我眼力が
違ひしや 実否を糺さんそこのけと火蓋を切てねらひもなく どうと放
すから鉄砲 ひゞきに五斗はむつくと起き アゝラぎやう/\しや 今打し鉄砲は隠


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に離れ陽にはづれ筒に音(ね)有て向ふに音(おと)なし ムゝ扨は玉なきから鉄砲
何者のしはざぞと四方を屹度ねめ廻し勢ひかはつて立たるは実に諺に云
伝ふ 心がけ有る侍は轡の音に目を覚ます たとへを引くもおろかなり 忠光は
つつと寄りいかに五斗 今ひゞきたる鉄砲の 五音の調子はいかに/\ ホゝウ乾(けん)
坤(こん)二つの間をぬけ 離(り)の卦に当つて中切れたり 御兄弟の御中 讒者の
為にたち切て 鎌倉の怒りつよく敵半途迄寄せたるぞ 油断有な上総
殿 ホゝ左程の御邊が何ゆへに瀬尾兄弟が計略の大酒に正気は乱さ

れしぞ ヲゝ夫レこそ病としつてもる酒を呑ずは却て世をへつらひ 禄
をむさぼる族(やから)といはれん 元来(もとより)名利は望まぬ某 一旦の契約なれば
君の心は薄く共 貴殿の忠義厚きにめんじいかで違背有るべきぞ ハアゝ頼
もし/\然らば以前頼みしごとく 一方ふせぎ給はるべきや ヲゝサいふにや及ぶ
いそいで御用意 ヲゝ尤と心とけ合猛将勇将一間の内へかけ入たり
高の谷は二度恟り 目利きした夫も夫 揃ひに揃ひし弓取やと悦ぶ襖
のこなたには五斗が妻も興さめ顔 かほど功有る武士(ものゝふ)としらで暮せし悔し


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やと 先非を悔む去り状に今さら何といひよらん 詞なければおづ/\と
娘が手を引差足にあゆむ畳の目に涙 俄に作るけいはく笑ひ ホゝゝ ヘゝゝ
まあ/\わたしとした事が 七八年も連添ふてあのやうにいさましい男
とは 夢いさゝかも存じませず ひよつとした腹立紛れ おまへに迄いひ過し
行き所もない身の上 常は何程結構でものくのさるのといふた跡 すぐ
に侘びも致しにくい 慮外ながら詞を添られ中なをして下さりませと 手
をつかゆれば突のけてコレ女中 女房の方から隙取て悪口いふたそ

なたが又 あの五斗殿が今ぞ誠の武勇を顕はし大手の大将承り 出
世の身に成た迚 一旦隙を取た身が又添たい 侘言をしてくれい コリヤ
尤じや イヤお道理でござんすはいの したが以前おまへのおつしやる通りこちの
夫忠光目の明かぬ男 其又女房に此侘をしてくれいかへイヤモそふおつ
しやると私は爰で穴へもはいりたい 真実縁を切る心でかゝせて取た去り状
ならず こらしめに異見の為 お侘を頼む奥様 コレ申手を合せて拝み
ますと涙をこぼし頼むにぞ 傍に娘は聞づらくこたへ兼しが最前に五


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斗兵衛が渡したる暇の印の相口を 抜より早く我咽へ南無阿弥陀仏
とつき立る ナフ悲しやと母親があはてふためき取付けば高の谷も仰天し
コハ何ゆへの自害ぞとそゞろ驚く其隙にこなたを開き忠光は纐(かう)
纈(けつ)の鎧直垂 あなたの一間は五斗兵衛 紫裾濃(すそご)のわりこざね 小手
脛当も花やかに金のさい 銀のざい打ふり/\立出て床几にかゝりし
二人が行粧(ぎやうさう)目さましくも又いさぎよし 手負は苦しき息の下父を
見上見おろして嬉しき中に涙ぐみ ヘエゝ浅ましいは母様 いかに是迄世

渡りの貧しき煙に苦しむ迚 なぜ夫レ程に心迄さもしうはならしやんした
たつた今迄父上をくらひどれの酔どれのと おまへはようもいはしやんした
東(あづま)にござる兄様のお耳へ入たら嘸腹立 其上無体に去り状かゝせ 望んで
暇を取し身が 御出世の姿を見て又添ひたいとの侘言を 聞入なき奥
様頼み 見苦しい追従 今では本のかゝ様より他人のとゝ様がいとしい 侘す
る手間でさつぱりとなぜ死で下されぬ わしやあんまりの恥かしさに
おまへのかはりに死まする 先だつ不孝は赦してたべ 申とゝ様 母様とは縁


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きりよ共わしはやつぱりおまへの子 娘といふて下さんせ 思ひ出しては
折々の御えかう頼み上まする 是ばつかりが此世の願ひモウ物いはして下
さるな 苦しいはいのと斗にてもだへ 嘆くぞ哀なり 聞に関女は気も
狂乱 コレわしも五斗兵衛が妻 恥をしらいで何としやう 最前自
害と思ひしが跡でそなたの流浪が悲しさ 顔押ぬぐふて叶ぬ詫び
いつそ其時死たらば今此憂目は見まい物 思ひすごしが結句あだと
悔み涙に正体なく前後もわかず泣しづむ 五斗も目に持つ涙を

はらひ 親の未練を面目ないと思ひ詰て健気の最期 不孝
ではない大孝行 やつぱり子にして下されとは ヲゝよういふた 嬉しいぞよ
未来永々大事の我子 心の迷ひ打はれて成仏せよと跡いひ
さし 涙を見せじしらせじとこたゆる胸を忠光夫婦 推量しての貰
ひ泣 袂をしぼる斗なり 今はの徳女は目を開き 其お詞聞く上は最早
浮世に望はない とゝ様さらば かゝ様さらば 東にござる兄様にも御息
災でと伝へてたべ 忠光様ご夫婦 もふお暇申します おなごり惜や


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と斗にて 刀をぬけば玉のヲ緒のきれてあへなく成にけり わつと斗に母
親は 死骸にひつしと抱付き声を限りに泣つくす 涙をはらひ押直り
とても娘がさげしみは百千万の言訳も此世ではかい有まじ 我も供に
と刃物追取既に自害と見へければ五郎兵衛声をかけ コレ/\内室
娘と供に自害とは恥のみしつて義理にうとし 誠貞女の道あらば
東へとられし兄大三 奪ひ取て夫へ手渡し貞心の顕はさば 是に増したる
事有まじいかに/\と制すれば 高の谷も力を付け 其時は我々夫婦二

度(たび)結ぶ妹背の仲人 早とく/\とすゝめられ はつと嘆きの死を留り
いかやう共御夫婦の御差図は背くまじ 只此上は何事もよきにと嘆きと
押包み涙はらふて出行くを ヤレ待て女と五斗は呼とめ 生死(しやうじ)不定(ちやう)の躮大三
切腹するか但し又 頼朝の手にかゝりむなしくならば何とする 胸を定めて
赴けと はけます詞に走り寄り 上総が最前打ち捨し鉄砲に小脇にかい
はさみ 御尋に及ぶべき いづれの道にも我子の大三 相果しと聞なら
ば其時こそ 頼朝は我子の敵妹背の仇 たとへ年月ふるとても鎌


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倉に徘徊し 鎌倉武士は色好み 筒と出かけて口薬 咽の火蓋の鐉(かけがね)も
はづれる様なうまみを見込 ぽんといはする二つ玉やはか仕損じ申すべき 気遣
有るな我夫といさむる体にこなたもいさみ でかした行との一言がすぐに門出
の餞別(はなむけ)や 心はやたけにはやれ共 娘の別れにうしろがみ 引きは返さじ
弓はりの尽きぬ嘆きを押包み 出んとしてはふり返り 見るも見するも
なき玉よばひ 無常の風のはげしくも吹ちらしたる会者定離(えしやぢやうり)
愛別離苦を今爰に 残して出る都路や東の 空へと いそぎ行