仮想空間

趣味の変体仮名

嬢景清八嶋日記 追善記念谺

 

読んだ本 https://archive.waseda.jp/archive/index.html
       イ14-00002-781 

 


94(左頁)
   追善記念谺(ついぜんかたみのこたま)
然るに二十五有(う)の内 何れか生者必滅の理にもれん 俤も難波(なには)の花
や冬籠り 匂ひは四方にしられたる 豊竹越前少掾藤原繁泰行年
八十四歳にして 此秋九月十三日 黄泉の客(かく)と成ぬ 法号は一音院真
覚隆信日重居士(いちおんいんかくりうしんにちぢうこじ)其追善にもなれかしと語り置きしに 音曲(おんぎよく)を師恩
の為の手向草 しやのくの昔引ならふ 金泥駒にあらばこそ是は手づから
諸手綱舎人もつれず供人も 七十ちかき老靍を ふるすに残し兄弟は


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御狩(みかり)のお供折よしと 裾野のかたへ道いそぐ祐成(すけなり)馬を引きとゞめ 是こそ
は虎が石 暁ごとに此石迄 風の吹くにも雨の夜も 我を送りし朝(あした)の霜
白無垢にひとへ帯して夜の露 花水の橋に鳴く烏 蓬莱寺の
鐘の声 かぶろはあれど提燈なし 海の音やら嵐やら心ぼそさの兼言に せま
りし恋の一念を此石にとゞめ置き 情しりにはうごく共やぼな無粋な男
には 千人力でも動くまじと 思ふ余りの戯れを禿があだの口ずさみ
往来(ゆきゝ)の恋のためし草虎が石とはいふぞかし あすより此石を 祐成が筐共

虎が嘆かん不便(ふびん)やと思ひなやみて見へければ 仰のごとく虎御前の恨いたはしく
候へば 御立寄有て御暇乞候べし 時宗は勘当御免の日限極り わづかの間に大
磯へ立寄る事 天の冥加本望の妨げ空恐ろし 一足も早く富士野へ急ぎ
仮屋の体をも見置き申さん いざさらばと立出る いちゃとよ我迚も 思ふ目
宛は只一つ外に引るゝ心なし去ながら 馬に付けたる筐の品々文迄も 狩場
は事も閙(いそ)がしからん されば雁の翅に文を伝へし例(ためし)も有 老たる馬の道
しるべ故馬北風(こばほくふう)に嘶(いばふ)るとや 馬こそ古郷の道はしれ年頃手馴の此駒


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の 常々のべのはなしがいにも必厩に立帰る 是より曽我へ追帰さば筐も文
も母上の 御手に早く渡るべし げに御断り同じく箱根二の宮も 慥に届け大
礒の 磯に音を鳴く村千鳥 見らるゝも夢 見る人も 夢の上羽の蝶鵆(てうちどり) ひたゝ
れといて 肩にかけ兄弟轡に手をかけて 情(じやう)あらば聞受よ 畜類とても
主従の 別れはさらにかはらね共 是より故郷へ帰りなば譬へば戦場に敵はだ近
く ふと腹射させ討死の供して 死出の山路をのせんよりいくばくの情ぞや
心は文に顕はし置く 筐の数を落すなよ 箙やなぐい弓ゆがけ 靱に添へて

むかばきや皆誰々と書置の守り袋は母上へ 文をば鞭に結ひ付けし 虎少将が
明け暮にすいつけづりつ撫付し髪のしなでも知れかしと 鬢の黒髪やうじ文
せいしは未来へ持ぞとよ禿の情見あふ坂にせきのこま入ばち袋 門番茶や
の夫婦迄虎少将が見計らひなきかげ残すびん鏡三浦の与市のおば君へ 今は
の際の筐也 ほうろく頭巾は和田殿へ けぬき一対朝比奈殿 本田次郎近経に
後の世かけて頼置く 身はさんごじゆの瑕付きて罪重く共軽(かろ)く共回向をなし
て印篭の 重ねて物な思はせそ アゝ此駒よ/\汝には年来読置く普門


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品(ぼん)馬頭観音の悲願によつて畜生界をまぬかれ人界に生を受け 我々も
再びしやばに生れなば 又主従と成べきぞ尽きぬ名残も是迄ぞ 不便や
な此馬の物いはず語らねど 恨みも憂きもしりつらめ 物いふ人の別れより 哀れは
増さる憂き名残さらば/\と涙ながら 轡面(づら)押直せば聞入て 行く足並もし
どろもどろに立帰り 前膝折て耳をたれこぼす涙は道芝も黄
ばむ斗に伏沈み 立上りては立戻り さらばといはぬ斗にて二三度四五
度立帰る 兄弟も猶ふり返りやすらひ佇み行く道も 次第/\に遠ざかり 嘶く

声も幽かなる霞隔てて別れ行 今は我身の筐にも世にも人にも離るれど離
ぬ母の俤に跡へと心引かるれば 冥途の父の床しさに先へも足の急がれて 走り
行き暮いつの間に立や日数も二夜三夜 我身に積る富士の雪浮嶋が
原見渡せば仮屋/\の仮家立て其仮屋より我々がけふの命を引寄て結べば
仮の庵也 とくればあすの野原とや裾野も ちかく 「成にけり 実にや古き
詩に古墳何れの世の人ぞ 姓と名とをしらず化して路邊の土と成る 其
焼香に沈や麝香は炊かね共匂ふてくるは炊き物おはら木/\かはい/\黒木


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召されよ柴召さぬか 夫レはや女郎 安き間の事なり 生国はや女郎てづくでんづでん
とたゝかふずるには ふくべなふてはお笑止や 語るに罪も消ぬべし 語るに付けて恥かしや叶はぬ
恋をする時はこがね虫を思ひ出す 其金(こがね)より玉虫より野辺の錦の機織虫を取
隠したる父憎し 母いとをしと鳴く虫のなくねはなくて 諸共にまねく尾花に蕑(ふぢばかま)誰脱ぎ
捨し妬ましや 花を敷寝に二人が終に夢幻の世の中は 世を空蝉の烏丸かはい/\
と人ごとの声を力に手向草 弟子は師匠の成仏と諸共に数珠車屋町過ぎこし方
も哀さよ 抑(そも/\)此追善と申すは一色一香無非中道の供養も同じ心ぞや 実にや師弟

恩愛の別れの余りには 包むべき一目もしらず 又はふがいなき身の業をも 顕はすにては侍へ
共 別れを悲しむ弟子が身を哀としろし召されなば 弔ひ行させ賜(たび)給へ アラ頼もしや/\
旧里を出し 靍の子の 別れは同じ淋しさよ 迚も老木のいつ迄か 通力薄く成果て 風の
そよと吹だにも すはやと思ふ心ざし 我身の消へなん命をも惜しむにあらぬけふの今 実にや
浮世は夢現かほどめいよの達人も老果てぬればいたづらに 苔の下露消え失せて今は
名にのみわびてしる 前仏後仏の其中に夫レ釈尊を入日に準へ弥勒さつたを朝日
に喩ふ 今こそ夜半の夢の世や きのふと暮れてけふと成 今宵明けてあすと成る


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煩悩ぼだい生死即涅槃 いはんや大悟 身性(しやう)の人においておや いかで其徳軽(かろ)からん
昔在(じやくざい)霊山(れうぜん)妙法花 無常の嵐さは/\と水に逆立ちさはぐ芦 なびく草
木もおのづから皆かさゝぎのはね合せ 未熟の弟子が一節を語り 語るも
法の為 逆様ならぬ手向山 天も感応地も納受 師匠は上品(ぼん)上生(しゃう)の貴賤
群集(ぐんじゆ)の隔てなく 回向をなしてほの/\゛と 君が帰館を松の色千秋楽とぞ納ける