仮想空間

趣味の変体仮名

鎌倉三代記 (十段続) 第三

 

読んだ本  https://www.waseda.jp/enpaku/db/  ニ10-02434 


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   第三
エゝ小霜殿もふよいわいの 昨日結ふた髪 ちやむちやくにさしやつた程にの サイナ 組敷た故首かく
仕かたに掴んだのじやはいの入?(びん)かして錣はこなたにとゝまつたと 甲乙争ふ女中達かたい中にも色
こもる ヲゝ二人共今の組打 中々勇しい去ながら武具付ると素肌とは又格別の相違有
かゝる時節に武家奉公するからは心かけなふてはならぬ 我迚も和田兵衛殿の妻片岡か妹
雅より見馴聞馴し故そち達に教へるも則稽古をゆたぬる為 軍法のあらましを
語つて聞せんよう聞きややと 上着の裾をつほ折てそも戦ひを用ゆるに 五つの大事

有といふは 謂(いはゆる)道は仁義礼楽孝弟忠信 天は陰陽星宿風雲を考へ 吉凶勝
負を占ふ也 地とは陣取地形の善悪 将は大将たる人は 士卒の得失 賢愚を能弁へ進退自
由我身のことく 法は軍を用る法 忍びを入て虚実を窺ひ希正(きせい)に寄て希正に泥(なづま)す か
け引有併軍は時の運 百度(もゝたび)戦ひ百度勝 善の善成る物にはあらず此品々を悟りなば 夫ぞ軍
の法ならんと 女に希の嗜は遖武家の奥床し 嬪共かんじ入 今に始めぬあなたの御器量 何ても軍
は粋でなけりやいかぬ事 夫故か此道にもまれ切た其人を 軍すいといふ訳しれた 又合戦のかけ
引も夫程御達者になければ 中々あの旦那様の大太刀は受られまいと仇口々 茶の間の信楽


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過ぎ者 イヤ皆の衆そふでないか戦はぬ先の広言は男の癖 サア夜軍には大てい強い勇者でも
女武者の勢にはおんてもない事叶はぬやら 急度鍛ふた名作でも後なまけて刃も立たず 赦せ/\
の手を合せ逃て行衛はなかりけり そふ共/\わしらか取合ふお敵はない あはれ血気の若武者が矢つぎ
早に射かくるを 思ふ存分的に成 受て見たらばよかろぞや イヤ/\有無を云せず引組て上に成下になり
けるか やらぬは首にも手をかけ声肩息汗しみづく もみ合仕廻は女子だけ 取るゝかちであろぞいのと
一度にどつと笑ふ声下城としらす声 されば諌めを拒む時は英雄忽ち散ずとかや 評議の席を立
帰る和田兵衛秀盛 素襖えぼしもふりはづし供の行列庭先迄練込対の挟箱たい笠たてが

さ大鳥毛 数鑓長刀召の駒引もちぎらぬ持弓の 重藤ぬりごめ其数はいざや白木にそは 
黒の 弓に靱にさし羽の矢 居たらぶ若党奴らさ烈を乱さずかつつくもふ 睦し中も武士は
折目正しく妻は手をつき 昨卯の刻より御登城 殊のふお隙の入し事 嘸お労(つかれ)でござりませふ シテ上々
の御機嫌は イヤよからふがあしからふが今日の只今 君臣の約を切たれば火に入めさふが水に溺られふが構
はぬ/\ アゝ根(こん)に叶はぬ軍師より さんすいでも駕舁が大極上 昔にかへるはれ小袖 嗜み盃を取てこい早ふ
/\といらだてに 夫はいか成訳故と押てとはんも日頃の気質 様子あらんと控へる中 笑ひさゞめき嬪しゆ
舁いて出たる破れ駕 広間にぐはつたり アゝコリヤ去とは手あらい女めら 商売道具損じたら身の上で有ふぞよ


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ヲゝ四斗兵衛のからが有ぞ/\ さらば馴染の肌さはりと袴素襖もしやなぐり捨 破れ垢付く古どて
ら すつぽり着かへ帯はせ込 エゝ奥何をうろ/\そちも雲助の嬶でないか 雲井の付合は色紙短冊
糊ごはな洗濯物と着かへた/\ あいと心にさからはず供にもぬけのから紅 色糸縫の裲や上着中着も
脱捨てて木綿布子の当世茶 藍の前垂引しむる コリヤやい家来共 ナイ 凡そ日本唐土も打抜
天竺浪人 刀にかはる息杖一本でわいらを抱て打くらはせる力がない 気の毒ながら暇くれたと いふに
怱々顔見合せ 今など足があがろとは百癩白洲に腰ぬかし投げ首するぞ道理なり 漸に詞をそ
ろへ ナイお旦那雲助様へお願ひがこはりまする 御勝手に付き商売おかへなさるゝ故 時節がらだから

髭めらにお暇下さるはお尤な義でごはりまらすれど 只今中途なれば急に有付も
こはりまらせねば 当分鼻の下がひつ付てこはりまらする 何とぞ御扶持方御さん用
下さらば有かたい義でナイ/\/\ごはりまらするで こはりまらすると 云に天窓(あたま)を剃下奴 頼
は理り去ながら われ達も案内の通去年の夏から取付の俄大名 甚だ払底すかん
ぴん 算用すべい手立がおりない ハテどふがなと眉に皺 合戦のかけ引より借銭の差
引に心をこらし居たりしか 持たる息杖からりと捨 ハテ四百四病といふ迚も貧の病に
劣たなア 先ず差当つて益に立ぬ表道具一つにからげて売払ひ天窓割に配分せ


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よ 是は遖御了簡 忝内助米(しやり)内銭(ちやん)内其外もナイ得心でごはります ホゝヲ早速の会得
大慶是に過ず夫レで心がさつぱりした サア是から見ずしらずの奴と雲助 以後は互に御別懇
ハゝゝゝいやモ五十三次を家にする商売貴様達に睨れてはならぬてや どれへ有付きめさふ共お供先
で小揚が入なら我等を買て貰ふぞや お荷物をかついで成共 気さんじにくらしたいなふかゝ ヲゝ夫レ
々 登り下りの折々は立ながらでも音信(おとづれ)て 渋茶の一つも呑で行んせ ほんに茶よりも酒一つ近付
成によかろぞへ ドレ拵ふと立て入 是は出かしおつたわい ちつとの間でも呑たい酒 こらへて居たは大
きな損 駕舁に成ともふ徳が付た サア/\お客方是へお出 ナイ/\/\と難義な頬付てこは/\゛ながら伸

上るは踏もならはぬ備後表 エゝ此座敷はかいにすべつてあるかれぬ 皆怪家すなと尻へつ
たり両手をつかへ這廻るは 日和あげくの雨蛙餌食に出たることくなり えい/\/\かけ声女子共 引ずり出
る五斗樽 客よりは先亭主が満悦 扨とこふじや さすの押へのは邪魔らしい 何れも各盃(さん)で 肴は
身分相応な 蛛蛸丸で一ぱい充 したる御馳走伊丹酒 御辞(?)義なしにと樽のはた くるりと巻し
長物共鏡打抜引救ひ皆息なしの一刻呑 殊更銭内酒追従 アゝ又昔がすかしだから 切るわい咄せ
るわい エゝあつたらお人をどふ狼狽(うろたへ)て大名にして置いたな 殊に女性は粋だぞい イヤ髑髏(しやれかうべ)だわいとくだ
巻かくれば残りの奴 コリヤやい/\ 己おめでた酒にもふくらひ酔たな 人の内義を髑髏とは ハテにくけがない


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といふのだわい ハゝゝ是は/\お誉に預り面目ない ハア銭内老は女に目を付らるゝからは好物たの楽しむか
恋をするかの富士のお山か ヲゝサ登詰てとんとおり口がしれない 又奴と生れて酒博奕(ばくえき)の三つか疎く
てたまる物か されば世上の仇口にも奴々何するべい お山に抱れて エゝ跡は知た事じやてコリヤ面白い
わいの イヤ面白いとは爰な旦那の畜生め いつその事に口舌手管のこんたん咄聞たいか ヲゝ聞たいはいはふか
ぬかせ ぬかそかと足もたせ合腹這に遠慮なまめく女中の声 宇治の方様お成ぞと 聞て恟り
奴共 成とはせくちいほんかへ下 きつい所でつぼかつき一二四四(しう/\゛)暇乞そこ/\ながら本性を忘れぬ酔どれ
手足をやし頤つき出込上らふ ソリヤ大名のぶんざんじや 先のけひよろ付といや/\道具をかたげて逃帰る

かくと聞より牧の戸が衣服裲改めて 出向ふ座敷一ぱいにふんぞり返る高鼾 正体なや
とゆり起し 心をお付なされ 御前のお入なされしぞへ ソレもふ爰へお越なさるゝ エゝ何とせんこふ
せうと気をもみあせる其中に 留木が先へ音ないて早入給ふ宇治の方 つゞいて舁込鋲
乗物 是非なく迎へ参らせて其身は 次に押下る 是は/\思ひ寄ざる御成 定めて大切の
御用ならんに 気の毒は例の持病酔ふして此有様 慮外の段は幾重にもお赦し有て私に
苦しからずは御意なされ下されかしと窺へば ヲゝ誮(やさ?)しい夫思ひ たとへいか程酔ふしても ちつ共魂乱
れぬ/\ 去にし冬の戦ひにも和田佐々木三浦の勲功古参恩顧の人々より遥か勝りし


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三人の勇士当城の誉ぞや 夫故にこそ時政の尖き釼にぶく成 軍をほどき和を結び 少おだ
やかなるといへど 日毎に重なる難題望 とやあらん斯やあらんとなか/\安き心もなく又も破
れは目前といろ/\評議其ザにて我兵衛大庭と詞論争ひ募るも忠節を互
に思ふ故なれば 何れをいづれと自もわきて心を悩ぞと 仰にはつと恐れ入又しても逸
徹斗 云出した事変ぜぬ賢気 其かはりには直るもさつはり 根も葉も残らぬ夫の心と
挨拶半むつくと起 ヤア所詮無益の下の根は動かすまいと存ずれど こらへぬ虫が又つつ
ぱる お家の柱をかぶるくらふ佞人と此和田兵衛を一口の御挨拶こそ心外なれたとはゞ主君

は眼にて家来は手足でござないか 其眼に霞がはり人を見分ぬわろ達と死を同しうす
る事罷ならぬ エゝ是非もなや残念や 凡人ならぬ先君の御工夫有し名城も ついには敵の
馬蹄にかけ礎斗草に残り 末代末世の後迄もはかなき名のみとゞめいはん扨 浅
ましき次第やと拳を握り怒の顔色 宇治の方打しほれ いかにかはりし世なれば迚
沓は戴き冠は下に見おろされたる頼家の 果報の程の拙さよ 斯も成行京家の
運詮なく討死なす迚も 旁を伴はゞ夫こそ冥途黄泉の 闇路を照らす威光
にて 我々親子の美目ならずや 石鉄の楯よりも頼みと思ふ秀盛ぞ 只幾度も/\


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思ひ直して御先途を見届てたべ帰られよと わつつくどいつの給へどちつ共ゆるまず そ
も戦はざる物より 京鎌倉の軍を見れば朝日と夕日 いとしや国をせばめられ五体
をくゞめ暮さるゝが 何ほう笑止に存ずるから招を幸馳加はり 己時政万里の空に
羽打共 只一掴にしてくれんと 腕をさすり歯ふしをかんで勲功を励むといへ共 人気和
せさる味方の族(やから)大庭などのべら坊めら 執権の威をはたばり酢に付粉に付支るを依
怙有こなたの計ひ故なす事する事鶍(いすか)の觜 鑓の身に太刀の鞘反りの合ぬにこり
果た のふいやゝいま/\しいと歯に衣着せぬ荒木綿 染付あしく見へにけり 左程にとひ

切れし上は 千万いふても返らぬ事 併し和田兵衛なきと聞ば敵は募つて味方はおく
れん 其身は出城めさる共名は城中にとゞめ置き敵の心を悩されよ イゝヤ死せる孔明
生きる仲達(ちうたつ)を走らしめしは 己帷幕(いばく)の内に有て軍をつかふの大軍帥(すい) 某こときは戦
場に頬(つら)をさらし 敵を取て刃を銚(ためす)一騎武者 なま中名有て形なきは却て味方の惑な
らん イヤ形ないとはいはれまい 稚けれ共一子有由 夫を二代の和田兵衛とし かはりに籠城
させてたべ ナニサ我等は一代男 家を継べき躮はなし いや/\夫は偽ならん 所詮利潤なき頼
家と末を見越て一子を隠し 成人の後は鎌倉に宮仕へさせん為か 人の鏡の武士も 我子の


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愛には曇りしのふ 朽たる縄のひかへにて荒たり駒は留る共頼なきは人心と 恨かこちの御
言葉 ご尤とは云ながら 夫に限る其様な未練比興の心でなし 是には様子といふを打消し
ハテ扨こしやくな 御心の僻みより人を疑ふ一言 後の栄華を思はぬ某 旦は勇気の妨な
れば 若小伜有共当座に捻り殺して仕廻ふ フゝしかと誠か アゝ偽りござらぬ エゝあた面倒
なと樽引寄 両手に抱へごつく/\息もこたへもせさりける あつたら勇士を深山木の
花とちらすはぼいない事 どふぞ継木を是幸 置花生の若楓 携へ給へば牧の戸も
有あふ鉢植引寄て 武士は此松にて二心の色葉もかへす 雪霜さへも貫く操

其潔い木ふりを見込 此若楓をこふ継げば つらき嵐のさはりもなく 松の力に生ひ育てん 是ぞ
誠の若楓としづ/\寄て乗物をひらき給へばずつと出る 月の丸顔にこやかないたいけ盛りの御公
達 夫はしろりと見た斗 妻は其儘抱取 ヲゝおとなしやけ高い御生れ シテ此和子は ヲゝ夫こそ
左中将頼家の惣領 お湯殿の胎内に懐(やどり)給ひし公暁(きんさと)丸 世にも不運は此若ぞや 先君今に
ましまさば初孫よ迚寵愛威勢の程はいかならんに いたはり見立ん我々は蜘蛛(ちちう)の糸に
かゝりし小蝶 死を待迄の命ぞや せめては跡に残し置 末の栄にあらせたい 偏に頼む夫婦
の衆宿世の縁の有ばこそ 偶々に大将の子と生れ来しかひもなく 東西わかぬ其中より苦労


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をさすがいとをしや かはいの子やと引寄て抱しめたる袖袂あこめの絹の色かへて 涙にぬるゝ 牧
の戸も ほさん方なき風情なり 時も玄関多くの人音 敵をとゞめ参らせて 折こそめしや
こなたへと案内にひらく唐紙も 仏も 疎み給ふかと心落葉の松梢 若を誘ひしほ/\と一間の
内へ入給ふ 北條家の近臣横次賀小弥太鞠川六郎 役目の権勢堂々と威儀を正し
て入来り 上使也と呼はれど 答ふる者は夏草に すだける虫の声ならで外に音せん物も
なし コリヤどふじや 何者も居ませぬぞや 其上見れば広々とむさい屋敷 よも是ではござる
まい コリヤ是手跡指南致す家でかなござらふ ハテ扨麁相な門違へと 出んとするを小弥

太押とめ 傍(あたり)隅々眼をくばり アレ御覧なされ あれに下郎と思しくたはひもなき寝姿
きやつめに尋問べしと 両人立寄り首筋掴み引起したる寝惚顔 見るに驚 ヤア是こそ和
田兵衛殿なりと 衣紋繕ひ上座へ座し 天下の御祖父時政公より秀盛へ下さるゝ上意の趣
此度互に和睦調ふたりといへど 又ぞ京方背くの色有り 去によつて間者を入 何事に寄らず
逐一注進 所に貴殿頼家を疎み身退きしと上聞に達し 今ぞ臥龍を得たる也と甚だの御悦び
何卒鎌倉へ来りなば客分として禄に十万石下し置かれんとの厳命 身不肖なれ共横次
賀小弥太 鞠川六郎 御迎ひの為参着せりと 事を慎み述べけれどこなたは何にも白川夜


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舟 礒にも陸(くが)にもつぎほなく 是ではいかぬと柁(かぢ)取直し若しや承知致さずば 五十万石たるべしと
の御事 よく/\に思せばこそわきて御念を入れられたり サゝゝ有難しと早くお受申されよ いか
に/\と息筋はつても 正体なまこふな付くはづみ縁より下へころ/\/\鞠川あはてゝ たそ参れ
早く/\ 承はると従者共 助けおこして砂打はらひ漸座席へ押上れば 只うつとりと気抜のごと
く両使互ににが笑ひ アゝ万事ぬけめなき名士なれど玉に疵 誠に是が智者の一失てご
ざらふ ハゝゝ 是はいか様お二人の御意の通り 先ず譬へを取て申そふなら 掴んだ物落す鷲と算者
の〆違ひ 弘法も筆の誤り 猿も木から只今落ました フゝハゝゝ いやモ是でとんと目が覚

たぞ 性根付きなば早く/\領掌(れうじやう)そりや何をな 御主君の御頼みを エゝ伊勢参宮でも
なされますか 通し駕のお供じや イヤ命を投打戦場の御供 したり冥途へ通し
かなァ こいつは余程大義な物じやわい マア口でいふさへほうばつた十万億土 お前
酒手でもたまる物じやないぞへ イヤ/\此供はよしに致しませう フンすりやまだ心に
叶ひ申さぬか ハテ雑喉(ざこ)鰯付る様にきついおなぶり 然らば豆州甲州の二ヶ国 子
孫永々安堵の御(み)教書 戴きめさとうや/\しく差出す所を引たくりずん/\に
引裂たり なむ三宝と両人は鍔元くつろげぐつと詰かけ ヤア心に入ずは入ぬ迄 御書を


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破るは調伏勝りの大罪人 赦しはせじと云せも果ずくつ/\と吹出し ヤアこりやくな
死人めら もがゝずとよつく聞け 弁舌工に人を化かす北条の狸親仁め 誠和田兵衛を
懇望ならば斯ならぬ中招きはせで すでに両陣刃をあらそひ矢をまじへ 手いたき軍
を見せ付け 血の泡ふかせてくれたればこそ恐ろしさの所望 其勇名をふるふ事は 是
頼家の恩ならずや 夫さへ虫に入ねば仕へぬ 己等が心にくらべ大録を以てなつけん
とは慮外千万 コリヤ国がほしくば鑓先で日本国でも取るわい 其上和田の一族滅亡せし
も彼が讒言 かた/\゛遺恨有る親仁め 命おしくば降参せよ 白髪どたまを撥鬢(ばちびん)

に剃り下げて我古草履を掴ませんと申せよや 儕等も長居せば體は国へ
帰る共首はこなたにとゞまるぞよ 立され 早くなくなれとくはつと睨めたる瞳の光
赫(かく)々として満月の並び出しかと疑はる ヤア入ざる大言切さげんと 双より一度に打か
くる 心得早足の身をすさる 跡へほぐるゝ両人が刀も腕も一握り ぐつと捻わけ蹴上
れば 體は鞠川鴨居に胸 敷居に背骨打砕かれ 即死に見こりず我武者の横次
賀よこぞつへい はつしとはられて半面はかけ飛ながら足踏ため 最前忍びの乗物は 頼
家か小伜ならん いで此通り柱近と逸足出して逃帰る 見捨て和田兵衛一間に向ひ 一旦お


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もひ切たれば ひるがへる所存ならねど 危きを見捨ざるも武士の本意 義を見てせざ
るは勇みなし 今ぞ改め公達と君臣因みの御盃頂戴いたさんいさ是へ はつといらへて
牧の戸が傅き申立出れば宇治の方御悦び コレ公暁(きんさと)そなたよいへい持たぞや ヲゝ嬉し
かろ/\ いよ/\かはらぬ三世の縁も長柄の銚子 酌は牧の戸自らは いで肴せん是見
よと隠し小筒のねらひは空中どふど一声猛火の丸かせ 末は乱れて反翻(へんはん)とたな引
なひく狼煙の籏 追々とかけ入御迎ひ漉し酌かんばん脱捨れば 下に腹巻小手脚当 皆
一様の武者出立 扨も押くる敵の大軍其数はかり知べからず 去によつて 佐々木三浦の両

将より 加勢の軍を出さんと皆籏下に下知を賦(くば?)れば望む所と血気の雄兵我おく
れじと物の具堅め籏よ指物馬に鞍 只今用意真最中と息つきあへず訴ふれ
ば から/\と打笑ひ 幾億万騎寄せたり共臭膻(しゅうたん?)に集る蠅 しかしヶ程の敵兵はなやみ
兼たる某と見こなしての加勢たてか エゝ胸わるし 汝等帰つてせいすべし若いちはらは用捨
はない 味方くるめに皆殺しぞ はつとめい/\舌震ひ早御帰城とせり立る 弥若が身の上
を必お気もし安かれと 女同士は軍場でもしみ/\゛互の暇乞心残して乗物へ移り
給へば?きくる 早く/\と追帰し いで武具せん持ち来れよ 則是にと取出し着する鎧は紺糸威


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上帯高紐てうとしめ力士兜を猪首に着し 遥かさがつて一礼し寄せ来る敵を待ならば
和子は定めて御退屈 イサ御出陣去ながらいかゞして御供せん 誠に夫よ長坂坡(つつみ)にて   
趙雲(てううん)か阿斗を救ひし例を引我等か懐本陣と海老銅の威むんづと引ちぎり
肌にしつかと守り参らせ十文字の鑓小脇にかい込突立たり其間に妻か奥庭より
引出す 馬もばらもん栗毛縁よりひらりと打跨り コリヤ牧の戸宇治の御方恙なく城
中へ入給ひしか心元なし 跡より追付き見届よ 心得ましたとりゝしげに太刀手挟かけ出す馬と武
者との其勢穆王(ぼくわう)龍馬(りうめ)に鞭を打 西天の十万里山河を一時に越たる有様敵の 陣所へ