仮想空間

趣味の変体仮名

鎌倉三代記(十段続) 第七(局使者~米洗い~三浦之助母別れ~高綱物語)

 

 

詠んだ本 https://www.waseda.jp/enpaku/db/  ニ10-02434 

 


62(左頁)
    第七 (局使者の段)
時烏 ふる程なけど聞人なく おのが儘なる在の名は 絹川の村はづれ 三浦の助義村が
古郷(こきやう)に残すたらちめの 母は老病みぶら/\と近所隣の見舞人に藁タ屋の軒も賑はへ
り ヤレ/\御馳走のはつたい茶たんと下された マアけふはかみ様も此間にない気のかるさ めで
たふござんす 今いふ通り此おくる女郎はわしをしるべにたつた今隣へ見へた一人住 是から何事に
よらず遠慮なふ頼ましやんせ ハテ夫が相長屋の相互 ハイ/\お埒殿のおしやんす通り御病
人の御不自由なに不調法ながらお手伝ひ申しましよ 久しいお煩ひかしてきついほそり 扨も


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/\御詮議様やの 是はわたしが宿茶のあも 何なと上つて早ふ本復なされやいのと
念頃ぶり 口先でちよつと草津から取寄せましたと油半分油けいつか葎生 主の母は
枕を上 アゝ御深切に忝い 私が息子は主持ち奉公の身は儘ならず 便り音信(おとづれ)も絶へたれど
病気と聞てしほらしい 此間から来ている嫁のお時 孝行にしてくれますれば何不自
由も致しませぬ 長々お世話に成た御近所のお衆 何ぼ御馳走申ても飽がない お埒
様は酒好 一つ上る迚嫁が買いにいきやりました マアゆるりと遊んで下さりませ 何しや酒
是は/\又わけもないいはれぬ事を ホゝゝしたが酒と有れば御病気の直り口こんなめでたい 

折からじやに 口祝ふて帰りましよかい ヤレ/\御造作やの/\ ナコレ/\持病の横に何やかやが
積つての此病 とふで本復は致しませぬ 暇乞やらお礼やら アゝかみ様何ぞいの 此めでたいにそん
な事いふ物かいの まだ腰膝のぬける年ではなし 追付達者に本復の出立酒ヤ 出立
とは御病人にぎえんの悪い事いふたホゝゝ 気にかけて下さんすな 結構なかみ様 ほんに此世か
ら仏顔がするわいな めでたい/\時にと 酒が来たら墓行に冷(ひや)がよかろ ヤ冷とは差合 焼い
てもらを 其間に奥でころりとやらふ ヤレ/\めでたやなんまみだ/\と べり/\しやべりの気
のどくさ 傍から吹出す茶の下ちよつと帰つて参じよと出て行 夏野の千草 踏分けて


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武家のかい取うづ高き 二人の女房戸口に指寄 誰頼んと音なへど諾なければ内に入三浦の助
の母ごぜはこな様かと いふ声に起直り いかにも私三浦が母 何方より何用有てのお出 さればこなた
に北条家の御息女 時姫御前渡り遊ばさる由 則我々鎌倉の奥を勤る讃岐の局 阿波
の局 御迎に指越さる 姫の御座へ御案内頼申と有ければ 騒ぎもやらず打ほゝえみ ムゝ扨は鎌倉か
ら時姫の迎にお出か 遙々の所御苦労やお渡し申さふと申たけれど時姫は三浦が女房わらはか
嫁 暇の状を遣はさぬ間はめつたに鎌倉へは帰しませぬ 譬お逢なされた迚姫も帰りは致
すまい 折角お出なされたに 茶でも呑でお帰りなされと横にころりと取あへず イヤ/\いか体に  

おつしやつても お供申て立帰る 先ずお姫様はいつくにぞ アゝ今客が有故時姫は酒買に行まし
た ヤアゝ扨興がる御有様 誠にあれ/\向ふから お帰りなさるがお姫様 誰お迎申ませい アツトかけ
出す歩(かち)侍 二人の局は門口の土にひれ伏シイ/\と敬ひ(米洗いの段)請し奉る 錦閨(きんけい)の花の時姫も 時に連
添ふ夫故前垂たすきかけ徳利 角な豆腐に丸盆のそぐはぬ家来が長柄の日かさ天(び)
鵞絨(らうど)覆ひの長刀持 近習小姓四方を守護しあたりを払つて見へにける 時姫様へ申上ます
御父時政公よりのお使として 両局お迎に参上と述ければ ムゝ讃岐の局 阿波の局無事に
有たな 度々父上よりお召有れど女は夫の家を家とせよと 常々の仰を守る目に今更帰れとは


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父上共覚へぬ 殊に姑御のお疾(しつら)ひ 御介抱の隙なければ再び鎌倉へ帰る心はないわいの 其通申
上てたも 大義と斗あいそなき仰の内より嫁女お時 アイ/\/\又咳がおこつたか 煎じ上りのお薬上
ぎよと詞もいつか下主なれて 埃まぶれの薬鍋も心の水晶清水焼 撫つさすりつ姑に 真実
あつき宮仕へ 局も詮方顔見合せ 讃岐様 阿波様 中々一応で御得心は有まい 譬お帰りないと
ても我々は此儘 お姫様のお傍の御用仰付られ下さりませ 中間は勿論侍たる者御前に叶はぬ
庄屋が方に控へよと 下知にハアツト侍中間皆ばら/\と立て行 局おじや ハア召ますかと手をつけば イヤ
コレ二人共此内にいつならば 館の内とは詞遣ひも違ふぞや 時姫のお姫様のといふまいぞ お時様(さん)どう

なされこうなされと軽ふいふのか此家の格式 よふ覚やつたか ハア讃岐様忘れまいぞ 今からお時
様と申せとの御上意 其御上意がもふ悪い ぶ調法なと云教る 姫も斑の染分けづくし 暖簾
押上げお埒が奥から大欠(あくび)コレ嫁御 此酒はマアいつ呑すのじやいの ヲゝ夫々 お客設て置なからトレ九献
あたゝめてお盆をと立を引留 イヤもふ焼く間は待れぬ マア石で一つ行ぞへと 二つ名の有てんばかゝ
薬茶碗できゆつと呑 アレあなたの詞遣ひ皆よふ聞ておきや アイ/\お下(した)々のお詞は格別 扨
は此お家では盃を石と申ますかへ ホンニ是は自も聞初め これ/\こな様は又しても自ら/\と みづから
や梅干で酒がいける物かいの そしてきつう跡へ寄た もふ夕飯時分じやがしやりは有かへ しやりと


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はへ ヲゝしんきな子や 次前(つぎまへ)が有かといふ事いの ムゝ打蒔きの事でござんすか イヤ粽は嫌ひじや げん
こ取はごんせぬか そりやどんな鳥でござんすへ 是はかゝらむ 幸い爰にさつきの宿茶 一つ宛(づゝ)ほう
ばらんせ サア飯も汁もちやつちやとしかけさんせお時様 アイ/\/\と立給ふ 申/\左様な事を勿体ない
御膳番はぶ調法なれどわたしらに仰付けられませ イヤ/\/\大事のお客 そなた衆に云付ては母様
への疎略に成 わしが直にと膳棚のおむしすり鉢こがらしの 風にも当ぬ育ちにて 絵にさへ見ざ
る賤の業 ヲゝおとましや 摺子木の持ち様もしらずによふ男抱てねやしやるぞ そごな女子衆
も後ろからあふぐ手間で ソレふちを持てやらんせ 摺鉢が逃げあるくわいの ドレおれがすらふと

片肌脱一人ぐはら/\口やかましき隣姑さからへず桶よひしやくよ様々の名も聞き初め天人の
おりいの清水立寄て汲共なれぬ水仕の手品 返り兼たる釣瓶縄 恋路に思ひまいらせそろの筆
より外に持ぬ手に どふかしくやらしらげの米 心斗に果しなき ヤレ情なや夫レで飯に成る物かいの
アゝ貧乏世帯合点がいかぬ ドレ/\そんなこつちや行ぬ/\ 水の汲み様からマア教てやらふ よう見て
置かんせ コレかう/\汲でこふ明けて ぐる/\/\とかうかき廻してこふ流す 是をかしくといふわいの 嫁御
ぜ合点かやつしつし/\ しゝやつしつし 茶釜の下指くべたり しゝやつしつし/\豆腐もとふから切
て有 やつしつし/\ しゝやつしつし/\/\/\/\ 扨も世話な嫁御寮 是からしかけの伝授の段 素人


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の中は真中へ??をかふ立て見て立た所が見ずかげん ヤレ/\呼れて来てほつと草臥れた 息つぎに一ぱい
せう ア悲しや たつた小半(なから)かしてもふ皆に成た マア無がのアゝ是もおれが買に行ずば成まい コリヤ客
じやなふて飛脚じやと徳利片手につぶやき行 跡は主従水いらず 竈の局飯焚(まゝたき)姫香は炊け共
もへ兼る雑木にしんきわくせきと 又母様のお咳がと片時忘れぬ孝行の心は感じ入ながら 阿波様
何と思はしやんす あれ程堅まつたお姫様得心づくでお帰り有まい お心の迷ひに成る 三浦の母
を刺殺し有無なしにお手を取て お供せうでは有まいか そふじや/\思ひがけない裏口から サアござん
せと庭伝ひ小褄りゝしく忍び行 待たお局暫くと声は立派にむさ男 雑兵出立のやくざ

鎧 安物作りの一腰かたげう つかり立たは御堂の前の売残り見るごとく也 ヤア下主の身分
で推参な 侍と留たそちが名は ヲゝ忝くも安達藤三と云て則当座の出来合侍 北條
様より御上使 何上使とは事おかしい 其方が様な下郎に サア御上使の証拠は是と柄にくゝりし袋物
抜ば輝く印の釼 ヤア誠に是は時政公の寝覚と名付しお守刀 扨は割符に遣はされしか
ハアはつと斗恐れ入て押下れば 貫々と打點頭ホウちつとさもあらん上使の趣余の義にあらず
時姫を女房にせい イヤ是はマア跡での事 何じやあろとお姫様を取返しに来たのじや 智謀計略種
々様々有共 こな様方が爰に居ては気が張て仕事が出来ぬ 二人ながらちやつ/\と いなんせとの御


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上意 イヤ/\何ぼ御上意でもお主の傍は動かれぬ 我々も供に加勢イヤサ無用/\ 女童の力を頼む
藤三でない 構ずとちつた/\ そんなら二人は 庄屋が方に控へているに仕損じ召るゝな 気遣せま
い しそこなふたら二つとない鼻そいでやるわい 花は三芳野人は武士局後に逢ふと高慢顔ぬ
かつた形も主人の威光心元なき上使の役目二つに別れ(三浦之助母別れの段)「入相過されば風雅の歌人は恋とや き
かん虫の音も沢の蛙の声々は 修羅の巷の戦ひと身に引しむる兜の緒 若宮口の戦場より 
一文字に取て返す 心は更におくれねど若落人と人や三浦が孝行の念力通す母の軒 嬉しや爰
ぞと気の張弓 初てがつくり門口にかつばと転(まろ)ぶ物音は 胸にこたゆる二世の縁 心時姫走出

見紛ふ方なき武者ぶりの ヤア三浦様かとかけ寄て抱起さんも大男コレ時姫でござんすと い
へ共正気あら悲しや詮方泣間も有合す 幸気付の獨参湯そゝぎかけたる薬水の一滴
五臓にしみ渡り むつくと起て母はいづくに お気が付たかなつかしやと 鎧にひしとすがり付 ムゝ
思ひ寄ぬ時姫殿 爰はどふして問間も惜しや母人に対面せんと行を引留 時姫殿とは聞へま
せぬ 何ぼお嫌ひなされてもわたしはお前の女房じや 夫のかはりに母様の介抱にきたが何のふしぎ
ムゝすりや此程より付添居るか シテ母人の御機嫌は 今すや/\と御寝成てお食はどふじや
アイ何差上てもいやとおつしやるけさは漸粥の湯を少斗 ハア聞しに違はず 夫では御本復覚


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束ない サアされ共お気の御実正なは独参とやらの力 薬の験(しるし)は目下今お前の
お気の付たも 扨は母にあたふる薬で 精神すゞ敷成たるも思はずしらず
親の慈悲 ハア勿体なし/\ お休なばお寝顔也と 拝まんと母も我身も
是そ此一世の別れと思ふにぞ 遉の勇気も恩愛の肉身わけしはら/\
と 先立涙案内にて物音ひゞかば驚給はn しづかに/\心しづめて病所の口
立寄ば母の声 嫁女/\ 嬉しやお目が覚めましたか 三浦様のお帰りぞや 義村
参上仕ると明る隔をはたとさし ヤレ此障子明まい/\ そも三浦が帰りしとは

坂本の城へ帰りしか よも爰へくる三浦では有まい 必麁相な事いふまいぞ 嫁
女よふ聞きや 夫平六兵衛殿は先君の御家人 後家の身と成幼少の三浦を
育くらす中 宇治様よりたつての御所望 頼家公の近習とな今より二代の忠臣との
お詞か有難さに 坂本の城中へ奉公に参らす時 わらはも供にと有つれ共
イヤ/\?三浦は人に勝れて孝行深き者なれば 母が傍に付しはゞ まさかの時
に親に引され 未練の心付時は 却て我子が弓矢の名折と 此儘古郷に引
残り別るゝ時もくれ/\゛と 必々親有と思ふなよ 母が事は忘てもお主に忠義忘


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るな 煩ふ共死る共しらせもせぬぞ便もすなと 云聞した教訓を よもや忘れふ
様かない 夫にうか/\戻つてくる三浦ではないそりや人違ひ若し又来たか定なれば 京
鎌倉両家わけめの大事の軍戦場に向ひながら さす敵に後ろを見せる うろたへ
た根性ならば 子でない親でない 母は病に臥しながら日毎に人の取沙汰を 余の名は
聞す我子はいかに 三浦は手柄したるかと仏神に祈誓をかけ 儕やれ早ふ死で
未来の夫に我子の自慢せん物と 今はの楽しみ心の嬉しさ 其未練な?が
有様 何と夫に咄されう 最早此世で顔合す子は持ぬぞ 此蚊帳の内は母が城

郭 其後れた魂で此城一重破らるゝなら破つて見よと百(もゝ)筋千筋の理をこめ
て 引かついたる蚊帳(かちやう)の内 泣音より外いらへなし 母の訓言肝に徹し 其御教訓忘れねば
こそ古郷を出て今日迄 一度便も致さね共御命も危うしとの噂を聞に胸せ
まり今生御無事な御顔をたつた一目拝みたさに眼くらんで侍の道を忘れしぶ
調法 御病気のお気をもます不孝を御免下されかし いで戦場へかけ向ひ 花
々敷高名して追付凱陣仕らん 其時めでたく御対面お暇申すと立出る 時
姫あはて抱とめコレのふ待て下さんせ 折角顔見たかいもなづもふ別るゝとは曲も


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ない 親に背いてこがれた殿御 夫婦のかためない中は どうやらつんと心が済まぬ 短い
夏の一夜さに 忠義のかける事も有まい 是程迄に付したふわたしが心 思ひやつ
てくれもせで心づよやと緋威に うら紫の色深き ヲゝせつ成心は察したれ
共出陣は延されず 夫婦と成は凱陣の後 暫しの間と相待れよ イエ/\夫レでも
ハテ聞わけなし放されよとふり切/\かけ出すを又抱留て 三浦様 追付凱陣とは
偽り お前は今宵討死に行しやんすので有ふがなと 云声高しと口に手を 覆
へど止まらぬ涙声 イヤ/\/\是が泣ずに居られふか 討死の門出には忍びの緒を

切と聞く 殊更兜に名香のかほるは兼てのお物語 思ひ切た最期のお覚悟
わたしもお前に連添ふからは何の未練にとめやせぬ/\ なぜ白地(あからさま)に打明て
此世の縁は是限り 未来で夫婦に成てやろと 一言いふて下さんせぬ やつぱ
り敵の娘じやと 疑ふてかいの聞へませぬ 父上の事は打忘れ 日本国に親と
いふは奥にござる母様より 外にはないと思ふて居るに あんまり気づよい三浦様 お前を
先ず立 跡にのめ/\生きている時姫じやと 思ふてかいのと身をふるはし つもり/\しうさ
つらさ 鎧の膝に夕立の涙汲出すごとくなり ヲゝよい推量 いか程深切を尽し


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ても 三浦が疑ひは晴れぬわい アノまだわたしに疑ひが ヲゝはれぬ子細云聞せんが
夫も益なしもふさらば イゝエ待しやんせ イヤサ放せ イヤなふ 長ふとめはせぬ との様
に思ふても あのおやつれなされ様 もふ母様はけふあすのお命 何ぼ潔ふおつ
しやつても 討死と聞給はゞお嘆きが思ひやらるゝ 今宵一夜は夜伽遊ばし 同事
なら御臨終の跡で死で下さんせと いふも泣々義村も 父母に受たる身体
膚腑(はつぷ)死目にあはで別るゝかと行つ戻りつとつ置つ 又もや咳の声すれば
是こそ声の聞納めと 思へばよはる後ろ髪せめて暫しはよそながら万分

一の恩報じ御薬なり共あたゝめんと 心の内にくる数珠の 涙忍びのおのづ
から 短か夜(高綱物語の段)すでにふけ渡る 丑満(うしみつ)告ぐる夜嵐の闇を窺ひ立戻る二人の
局 めい/\一腰脇ばさみ見やる傍(かたへ)の薄原 井筒のかはに鍵縄引かけ 下より伝ひ
かけ上るは ヤア富田六郎殿 シイ 高い/\ 姫を奪ひ返す事藤三めに仰付られたれ
ど 心元なく横眼の使 時政公の御指図 兼て覚へし竊(しのび)の術 小松道より半町斗
此井筒迄切ぬかせ 忍び入たる術あ(てだて)の手つかひ 三浦が爰に来りしは鰯網で鯨
の大功 御身達は宿(しゆく)はづれの出口/\に番を付 姫の安否を相待れよ 合点/\と


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點き合づ 後に立聞隣のおくる 人こそ来れ何者と咎むる中にも透かさぬ身
構へ アゝ聊爾なされなお味方の者 ムゝ味方とは傍輩(とうはい?)の女中か おすへか名は
何と イヤ私はけふの役目を蒙る安達藤三が女房 夫に刀を付ん為 とくより
爰へ忍びの女 勝手覚し裏口四方 御案内申ましよ 出かした/\幸(さい)究竟
コレ/\局 我に任してかう/\といふもひそ/\別るゝ局 おくるが案内に富田六
郎裏口「さして忍び入 かくと白歯を 染兼る 思ひに迷ふ時も時姫に見入
た藤三尻付小高の細目して お姫様 何と其守り刀 慥な証拠でござ

りませうが 夫レを印に北條様からお迎に来た藤三郎 サアござりませと手を
取ばふり放し 三浦の助義村が妻の時姫 譬父上ても敵味方 敵の家へ
何の帰らふ 迎ひの人も有べきに名もしらぬ新参者 返事に及ばぬ帰れ
/\ 申そりや悪い思ひ付じやぞへ 鎌倉方の評定には坂本の城は追付落る
お前の大切に思はしやます三浦殿はけふあすの中首がころり 其手筈ちやんとし
て有 何ぼかはいからしやつても首のない男に心中立るは跡の月の冨の札を買
様な物しやぞへ そんなあぶな物より男に持て何不足ない藤三郎 時姫を取返して戻


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つたらば其褒美に汝が女房に遣はす間 心の儘に抱て寝て 楽しむべしとの御
上意 爺御(てゝご)に急度約束して来たからは殿御といふは此藤蔵 お前への心中に顔に
入痣(ほくろ)してきたわいな アイヤ又美しい物でも有 いやでも応でもかたげて退く サア/\
お出と付まとに寄るな/\推参者 主人に対して慮外の科時姫か手討にする
ぞ エゝイ扨はお前は 首のない男か好じやな いかに下が肝心じや迚胴斗を抱て
寝よとは どうよくな御心底 御免/\と云せも立てず 隠す刀にわつと斗天窓かゝ
へて逃て行 時姫せきくる涙なから 父の印の封剱を打守り/\エゝ聞へぬ父上 此

刀を給はりしは三浦様と縁切る印に母様を 殺して帰れと有難題は 刃の色
に顕はれて 胸を切裂く御給物 尤親の赦さぬ夫思ひ初めた不義の科お憎し
み有ならば お手討に遊ばず共娘とは存じませぬ 夫を捨てて帰れとは お情に
似て情ない 徒者の成敗にあの下主下郎の妻となし 世上へ恥を見せし
めとは余りにむごい御仕置 迚も繋る縁じや物 夫と一所に自害せいと おつ
しやつて下さらば 夫レこそ誠の親の慈悲 恨めしい一杖様 翌を限りの夫の命
疑はれても添はれいでも 思ひ極めた夫は一人 あの世の縁を三浦様必やいのと


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斗にて すでに自害と三浦の助 しつかとおさへ ヤレ早まるまい只今の一言に
て日頃の疑ひ晴たるぞ すりや真実親迚も夫には見かへぬな ホウ神妙/\
コレ時姫 今死る命をながらへ 三浦が最期を見届けた上 夫の敵を討つ気は
ないか ムゝ敵を討つとはそりや誰を ヲゝ外迄もなし 鎌倉の大将北條時政
エゝイ 驚くは理り 誠三浦が女房ならば夫が頼む一大事違背はあらじ 去
年来佐々木高綱 時節を考へ付けねらへ共 中々討つ事能(あたは)ざる 武運
強き北条殿 佐々木が力に叶はねば此討ち人は日本に 御身ならで外に

なし 迎のくるは究竟の時姫 招きに応じて立帰り父に近付き油断を見て
一ト刀 直ぐに其太刀我咽に差貫いて自害せば是親を討つにあらず 時有
て親子主従差違ゆるは武門の常 頼むといふは是一つ 得心なれば未来は
愚か五百生迄誠の夫婦 いやなれば此座切 親に付くか 夫に付くか 落付く道は
たつた二つ サア返答いかに思案いかにとせりかけられ とちらが重い軽いとも
恩と恋との義理詰に 詞は涙諸共に思ひ切て討ちませう 北条時政討て
見せう とゝ様赦して下さりませと わつとさけべば ヲゝ出かされたり遖と天にも


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上る勇の顔色 思ひかけなきこかげより窺ふおくるつつと出 聞人なしと思ふは不覚最前
よりの一大事残らず聞た時姫殿 覚悟めされと云捨て行を透さず三浦の助 小腕
取て引敷けば コレ/\/\六郎様 爰構はずと工の次第を北條様へ御注進心得こなたに富
田六郎 井筒の元に寄るかと見へし 下より突出す鑓先に 虚空を掴で息たへ
たり 三浦の助声をかけ 兼て申合せし計略 今日只今調ふたり 佐々木四郎左衛門
高綱殿いざこなたへと請ずれば 井戸よりぬつと藤三郎 始にかはる優美の眼中
おくるもしさつて式代に 千万人に勝りたる威風備はり見へにける 真中にどつか 

と座し 時姫の不審尤 あれに居るおくるが夫藤三といつしはあ面体我に見ま
がふ斗似たるを幸 値をくれて命を買取 去年石山の陣にて北条家を欺し
佐々木が贋首こそ彼藤三郎僅の恩に不便の最期 女が心思ひやる 龍は
時を得ては天地に棲 鬨を失へば守宮蚯蚓と身を潜 我君の為に軍
慮を廻らし肺肝を砕くといへ共 頼家公の武運の拙さ なす事する事一つ
もならず 此度の合戦は坂本の城滅亡の時 天より亡す主人の運命 ヘエゝ
無念の欝憤止事なく最早計略の術尽果たるせんのつまり 百計の中


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のたつた一計 おくるにとくと申含め死たる藤三が名をかつてうふの土民に拵
すまじ 指にも足らぬ端武者共に安々と生捕られ 時政の前に引出されし
は地獄の上の一足飛 いまだ天道捨給はざる印にや さしも明察の北条殿 匹夫下
郎に相違あらじと 此顔に入墨をさゝれし時の其嬉しさ 此印有時は白昼に
往来する共 佐々木と咎むる者もなし 我命だに有ならば 時節を待
て再び京都の籏下にひるがへさんと心の笑(えみ) 折節姫を迎ひの使者
云付られしは是幸 百万の大軍より討取がたき一人を討謀は姫に有りと密か

に三浦へ内通し しめし合せし計略はつれず 姫の心底極る上は大願成就
時来れり 嬉しし/\祝ばしといさめる面色威有て猛く 実名にしあふ坂本の
惣大将とたくひなき おくるも末座に顔を上 わたしが夫は水呑百姓
かつ/\のすきはいさへ長の病気の貧苦の中 不相応な御恩のおみつき 金
銀に命は売ねど夫も元は侍の端くれ 生れ付て臆病で 引事
も叶はぬ非力 我身を悔む此年頃 誰有ふ佐々木様に面さし似たか仕合て
討死の数に入は一生の本望と にこ/\笑ふて行れた顔 今見る様に思はれてあ


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なたのお顔を見るに付 思ひ出されてなつかしうこざりますると云さしてひれふす
畳の目に涙 人の嘆も身にこたへいづれを見ても義理故に 死ねばならぬ
定まりか 開く御運が定ならば討死を思ひ止まつてたべ三浦様とくどき嘆けばおろか
/\ 生は難く死は安し 生残つて大事を計るは軍師佐々木殿程の器量な
くては思ひも寄ず 三浦などが及ぶべきか 一旦思ひ極めし討死 再び返さ
ぬすがたを見よと あくるよろひの引あはせ肌着は染る紅に
雪をくま取数ヶ所の矢疵 姫は悲しさやる方なく 討死の気は付ながら弓矢

の家に生れし身か 是程の手を負給ふとしらぬ女の浅ましさとすかるを
はらひコレ/\おくる 奥へ参つて母人の介抱頼む早く/\ イヤノウ佐々木殿 若宮口の合戦事
急に及び必死の戦場 切死と極めし所に責殿より過急の早打 此謀成
就を見届ずして死するは不忠 一つには母に今一度忠孝二つに命を延
血汐を隠す着がへの鎧 古郷に帰る心の錦とはしらずして敵方に後を
見せしと嘲られん事末代迄の武門の疵 ヘエ思へば無念口惜し 此上の願ひに
は是より又も若宮の森に向ひ 一身五体ずだ/\に成迄切て切死 裸の


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先途を見ず相果るも武士道の意路 まつひら御免下さるべしと思ひ込
だるはら/\涙 ホゝウ尤至極 高綱も心底推察仕る おしむらくは今少し
此謀早かりせばあつたら勇士をやみ/\と討死はさせまい物 残念さよ
去ながら 犬死とばし思はれな 京都の武士に時政の真実面体見覚し
は御邊一人 三浦が首を討取て実検に入るならば 弥我に心を赦し近寄手
立の一つとならん 時には御邊の首を以て 敵の大将討取は最期の大切忠義
の第一 我は元より敵に入 心は佐々木 表は此儘藤三郎 三浦が首は安

達藤三か討取ぞ ハゝア忝い悦しや 最期の本望此上なし 冥途で再
会/\と互ににつこと顔見合せ笑ふぞ武士の涙なる 涙の中に時姫は
心を定め ヲツヲそれよ親を捨命を捨 主に従ふは弓取の道 夫に従ふ
は女の操 不孝の罰の当らば当れ 夫故にはいくならくの責苦をうく
共厭ふまじ 父の陣所に立帰り仕課(おほ)せてお目にかけふ 一念通るか通らぬ
か女の切先心見せんと縁の鉢石心の目充て 突出す鑓を障子ごししつかと
取て ヲゝ念力見へた まつ此通仕課せよと 脇つぼぐつとつらぬいたり ノウ母様


80
か勿体なや コハ何故と三浦が驚き おくるもあはて立つ居つ血とめよ
気付と立さはぐ アゝ/\何驚く事が有 定業(ぢやうがう)極つた死病 人参の勢力
で 死兼る此母が苦痛を助るとゞめの鑓 女でこそ有侍の母 畳の
上の病死せうより 我子と供に討死と思へば 此切先は名医の針 ノウ嫁
女 是が勿体なふて仕課せる心元ない うみの親御をふり捨て何の
恩もない姑を誠の母と此程の 起臥し介抱心遣ひ 深切共過分共
どふも礼の云様がなさ こなたに功が立さしたさ 三浦が母をしとめたれば

産の父北條殿へ孝行の一つは立 又此母への返礼には 此通の功を立て下
され 親を忘れて義を立る手本の鑓先 ヲゝ天晴手の内 健気の働き
出かした/\嫁女 出かしやつた三浦の助 十人にも百人にも又と有まい忠臣を 子に
持て死るおれは仕合者果報者 迚も果報の有る事なら女夫此世ですへ
ながふ 孫悦ぶを冥途から見るなら何ぼう嬉しかろ 御運ひらくる時あらば三ヶ国
四ヶ国の主となしても惜しからぬ若武者を 此儘むざ/\戦場の土となす
かと手を取て 見かはす顔に義村も 三才五才の其昔 御膝に抱かれし乳


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ふさの恵に人となり 恩を報ずる間もなくお傍を離れて幾年月 御
なつかしさはいか斗 只今母の胎内に立帰つたる心地ぞと膝にひつしと抱付
大声上て男泣 嘆の娘と思召 御にくしみを引かへて重ね/\のお慈悲心
御恩をいかで忘るべきせめて半年添ひもせで 思へば短い親子の縁 コレ
のふ長い別れじやないわいの 最期所はかはる共 我子も嫁もあすは一所に
死出の露 蓮の台(うてな)で祝言の酌人は此母 嫁入の輿を未来で待て
居るわいの 必早ふ追付跡から参りますと三人顔を見合せて一度にわつ

と叫び泣 是ぞ此世の名残なり 佐々木も悲嘆にくれ居しが 四方
をきつと打ながめすでに四更(かう)も過たれば東の陽気は是鶏明(けいめい)南
北西に人気立つは東国の軍勢 坂本の城間近く寄すると覚へ
たり 嘆きをとゞめ出陣の用意有れと云渡し 庭の井筒をしつかとふまへ
古木の松か枝むさゝひの木伝ふことくかけ上り ハゝア寄せたり/\ 東は志賀越へ
辛崎口 伊達の一党奥州勢 勢田か崎迄満ち/\たり 南は横川
比良の口 大将の籏真先に坂本さしてひた寄せに 北へは丹波路亀山


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海道 西は京道淀八幡 皆人ならぬ所もなし 日本一度に寄する共恐るゝ
敵は只一人 勝負の一挙はあすに有 ヤア/\三浦 譬心は剛成共深手によは
り働き得し 後詰の副将城中より加勢 を乞はんはいかに/\ コハ佐々木共覚
ぬ一言 必死と定める三浦の助 ヶ程の手疵に何屈託 ヲゝ/\万夫不当
の大丈夫 早打立んと高綱が励す勇声 せき立若武者暫くのふと時
姫かとゝむる鎧ふり切振捨 是のふ今か御臨終と泣く声跡へふり返る 縁
の切目は蘭奢のかほり 無常の 声や鬨の声跡に 見捨てゝ「出て行