仮想空間

趣味の変体仮名

伊達娘恋緋鹿子(五の巻)

 

読んだ本 https://www.waseda.jp/enpaku/db/  
     イ14-00002-513


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   五の巻
立かはる月も師走の年波や 瀬戸物町に借り宅は十内が侘住居 吉三郎も
此程より 一つ内には住みながら 解けぬお雛が片思ひ 済まぬ心を慰めに近所隣の娘の友
取る対待つの手品能き足曳の山鳥の尾のしだりをの なが/\し夜を独りかも寝ん さつても
嫌ひな此下の句 山辺の赤人田子の浦に 打出て見れば白妙の おふじ様(さん)何じやい
なア又慢勝(まんがち)に 僧正遍照天津風 雲の通ひ路 吹きとぢよ おとめがしやこべび ヲゝ笑止
好ぬ顔な此坊(ぼん)様 お雛様の思はくも 美しい前髪様に 色に出にけり我恋は 物や思ふと

人のとふ迄親仁くさい兼盛が 顔に似合ぬ恋すてふ ホンニ思へば色々と心を尽して大中臣の
能宣(よしのぶ)の朝臣 御垣守衛士(みかきもりえじ)の焼(たく)火の 夜は燃えて 昼は消えつゝ物をこそ 思ふて居る
はわしばかり 右大将道綱の母 嘆きつゝ 独りぬる夜のしんきさは エゝ聞へませぬと奥の間へ
当てこするやら恨みやら おぼこ娘も女ゴの情 三人寄ればかしましき声に昼寝の夢
破る 障子押明け吉三郎 十内はまだ帰らずか 遅い事やといふ事も けんによ向なる挨
拶に お雛が心汲取る二人 吉三様嘸おやかましうごさんせふ 伯父様もお留守そふな 留守事
に日頃の恨み お雛様合点かへ モウお暇申ませふ 又夕方と打連れて粋を聞かして立帰る


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跡片付てもどこやらが 任せぬ読みと哥かるた 重ねて入れる箱入娘 さし向ひにはいふ
事も胸に余れど口へ出ぬ 心鎮めて傍に寄り 年月憧(こが)れて漸と一所に居る斗(ばっかり)
て あいそらしいお詞もないは大かたお七殿へ お立なさる心中か 江戸紫の色含む端手
には写る殿様の心 お胴欲なと縋り付きそつと悋気のいひならひ 娘心ぞ道理
なる 吉三郎は片時も忘れぬお七が縁の糸 吉祥院の別れより何となりしと
山々の 心掛りの其上に釼の詮議取交ぜて 済まぬ色目の気強くも ハテ訳もない
事ばつかり 大切な釼の詮議 百日の内有り所しれねば若殿様も此吉三も 死なねば

ならぬ手詰の切刃 わしが身は厭はねど御主人のお身の上 案じて斗暮すのに
面白さふにじやら/\とそこ所ではござらぬと つんと背ける枝ぶりに 控へる雌松水
際の 立しほもなき折こそあれ 左門之介の隠れ家より立帰る戸倉十内 コリヤお二人
ながら牛の突き合 又お娘の事いひ出しててつきりとりんき喧嘩 お嗜みなされま
せ イヤ申若旦那お悦び遊ばせは お雛様の親御甚太夫様より若殿様へ度々の御状
お心付けの金子にて 花園様の身の代 廓の出入も相済んだれば マア買(?)破りの
何の角のと 内証のいざこざはさつぱりと済みましたが 兎角済まぬは肝心の釼の


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行き端(は) 足手かいさま色々と詮議に愚かはなけれ共 今に何の手がらもなし 其上否(いや)なは
軍右衛門めが此隠れ家を聞出し お雛様を労(かたげ)て退ふと念かける風聞 拙者が宿に居る間
は 微塵も気づかひござらねど 釼の詮議に又手支(づかへ)そこで分別致したは 若殿の
ほざなさるゝ神田の方へ 三人共いつしよにつぼまる御相談 幸いけふは日柄もよし わつ
さり今夜夜(よ)ぬけの積り 諸道具のないはこんな時の大きな助かり 身の廻りや手
道具を持出して置きたけれど 爰に邪魔なは家主め お雛様を妹といふて置たを
真受けにして 妾(てかけ)にくれいの惚れたのと家賃といつしよにせき/\の催促 味(もむ)無い物の

煮へ太り 其又嬶めは拙者に惚たといふて うせる度々したゝるい目つき顔つき
仕送りやの歩市(ぶいち)めは 僅かの銭を戻せ/\と立せがみ どいつもこいつもうせぬ間
に ぽいと退く我等が工面 お二人ながら其お手廻し 御合点でござりますか サア
合点は合点じやが 若しや跡でそなたの難義に ハテおぼこな事おつしやり
ませ 今時の此世界 夜ぬけと分散せぬ者は男の内じやござりませぬ 私
次第になされませ モウ晩から主従ごつちやの相住ま居 若殿様も粋じやけれ
どいふても御主人 何やかやお気が張て じなつきもなされにくひ 日暮といふて間


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もない 吉三様を連れまして大座敷の三畳敷へナ早ふ/\と突やられ 嬉しい半
分恥しさ 袂咥へて行き兼る ハテ物心なと無理なりに 押しやるもしほ唐紙を
明けて二人は入にける サテ是からは夜ぬけの懇丹(こんたん)めつたに心が閙(いそが)しいと そこ
爰見まつべ居る所へ悋(しはん)坊に誰名付けん柿の実(さね)禿げた天窓(あたま) を付け髪
で いこ河内やの福助がずつと這入れば コレハしたりお家主様 今朝からお目にも
かゝりませぬ コリヤ妹お茶持てこいよ マア/\是へといふを打消し アゝおきや/\
其正月詞聞にはこぬ 此間から来ても/\古格な事訳 けふは何でもめつ

きしやつき ジタイ貴様に見込はなけれど 爰のお娘をとふぞして /\/\と
思ふから 家賃を待て 心得た ちよつと銭かせ 心得た あげくに世帯の入用向き 仕送り
屋迄を引付けたは 当てがなふてせふかいの 其事も先度からどふしてたもると咄したりや
拙者風情の妹を冥加もない仕合せ 畏つたといふて置て酢の蒟蒻のと一寸
遁れ モウ明日の明後日はのと紺屋(こうや)せりふ 口も聞く福助を コリヤ地獄のすり
鉢で人をあへ物に仕やるのじやの モウ/\一寸も待たぬでえす 金が済まざ家代(やだい)
かざい 今請取らにや了簡せぬと せりふも形(なり)も天窓勝(あたまかち)ふり廻し/\時吹(じふき)を飛ばす


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わゝり声 十内も揉手ながら 成程お前様のおつしやる通り ふつとお家へ参つて
から 何から何迄皆お世話 何の仇に存しませう 妹めにも時恋(より/\)に申し聞かして置きまし
たが ジタイとふからお前にほの字 心安い友達衆にけふもけふ迚あなたのお
噂 アノ家主の福助様は お年はふけて有る様なれど 目元なら口元なら 可愛
らしい殿御ぶり 其上つむりのいつかいのは 姫ごぜの望む所 あんな殿御と連れ
添ふて 明けても暮てもくれても明けても 六味の地黄飲む様なめにあいたいとの
好み事 あれ程に迄思ふておれど 只今の御立腹では妹めを上げませふと申した迚

御得心は有まい ハテ何とせふ百年め 如在の無い私が性根お望の通り家内の諸道
具 只今お渡し申しませふと 顔色かへて立上れば アゝこれ/\兄貴去迚気の短い/\ 今の様
にいふたのは わごりよの底を突て見たのじや モウ/\/\娘さへ其心で居りや 何十年
でも家賃は取らぬ 又仕送り屋めがぐたつくなら 世帯かた一件(まき)は残らず鼻が請込みじや
何とえらかと爪長も色に目のない欺されぐち 十内わざとむつと顔 いやでござる
声やま立ててわつぱさつぱといはれてから そちに了簡さつしやつても モウこつちに了簡
せぬ 是でも非でも諸道具渡して家賃の算用せにや置かぬぞ サア/\そこ


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が世界のよし不肖じやわいのふ 畢竟此様に催促する こつちに何の如在が有ふ
けふばつかりは用捨して ならぬぞへ/\ 仏の顔も三度といふが三度や十度の事かいの 抑
爰へ来て以来(このかた)ホンニ/\家賃といふては 粒三文いつやつた事が有る 御尤 まだ其上に
米から薪(き)から油から味噌から酢から醤油から小遣銭迄 仕送りやを引つけて
貰ふても ツイニこつちから払ひはせぬぞや サア/\御尤 夫レに何じや 此上をまだ待てやらふ
藁で束ねても借家人 そふ/\踏付にはせぬ物じや どふ有ても了簡ならぬぞ イヤ
最そふ云立られては此家主 返す詞はござりませぬ 七重も膝を八重に折ても

事訳いふが負ふせた不肖 四百四病の病ひよりつらい物は此催促 長ふとは云ぬ爰
四五日 エゝしちくどいヨイ/\此上は会所へ届けて目安付けても済まさにや置かぬと 入る間詞
の間違ひせりふ つぼをかぶつて家主福助 アゝコレ/\ どふやら是はおしてかつてが違ふた
様な ホンニナア 売詞に買詞と拍子にかゝつて お家主とコリヤせりふが間違へた ハゝゝゝ何
事も粋(すい)なお前 万事是から頼上ます 其かはり妹めは一生お前へ上げまする 正真の
初物を他人の手にかけるのが近頃残念千万と 乗せかけられて有頂天 サア/\味(うま)ふなつ
て来たぞ 弥夫レに違やせぬかの ハテくどい事おつしやりませ 嘘か誠は妹めに お逢


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なさるりや知れる事 小舅媒酌(なかうど)早かはり 祝義はずつしり合点で有ふ ソタガ初心な
手入らず者 恥しがるは知れて有る 日暮過ぎにお出なされ 灯を消して置く程にお前は門から猫
の真似して忍んでござるといふて置きます 妹めは又暗がりで取られるといふ心で鼠鳴きして納戸
から 出てくる所をト押へて ジャガお前の血気に任せて跡で検使を受ぬ様 あしらふて
下さりませへ そんなら日暮にくる程に 今の手筈の違はぬ様 娘にとつくりいふて下され
兄貴後にとえいぢかり脵(また) 猿が茸(たけ)の子だかへしごとく さんばい仕かねて立帰る 道引違へて来る
男 にじりかすりで世を渡る仕送り屋の歩市(ぶいち)迚 渋喰た様なせがみ頬 十内殿お宿にか

と 片膝ずつと揚り口 こいつ直には行まいと 俄に作る横柄顔 ヲゝ歩市殿よい所へ 今貴公へ
使いをと 思ふた所幸い/\ 浪人の困窮故是迄の無沙汰の段幾重にも御容赦 先ずお
悦び下されい サテ仕合せといふ物は いつの何時直らふも知れぬ 朋友共に勧められ不図米
相場にかゝつた所 売れば下がる 買ば上る 設る程に/\凡一万三千三百三十三貫三百三
拾三匁 よい時には臍とやらで 慰みがてら入て置た 一の富が落るやら吹付ける仕合せ
貴様の算用も 是迄延びた其かはり 利に利をくはへて晩程返済 暮次第お出な
され 一両日以来(このかた)は 銀(かね)のおくびでこまりますと 取ても付かぬ太平楽 仕送り屋は呆れ


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顔 貴様乱心になりやせぬかへ 是迄何百何十くら 来る度に文字半文(きなか) 内へ入れさへ
せぬすかんぴん そんな売贅(からぜい)喰のじやない 夫レ共済ますが定ならば暮れる迄は間もない
近所へ行て待て居る 灯を燈したら来る程に 違へまいぞと仕送りや 念に念押し出て
行 恋といふ 字に引かされて家主(いへぬし)の 女房お肉はしやな/\と 立臼に菰巻立てる 白髪
の 髩(つと)を鬢張の 鯨で持たすちゞみ髪此家を 目かけくる姿 南無三赦せと十内は
はづすを見付けて走り寄り コレ手の悪いどふじやいな/\ 今更いふはくだなれど こちの借家へご
ざんした 上方風の男つき 色白にきつとして かはいらしい達者そふなと 思ひ付たが

縁の端 目顔で知らせど相伝茶 ねつから藍気(あいけ)のない返事 文書こふにも無筆也 せめて心の
思はゝをと こちの親父の目顔を忍び 三度の朝夕(てうせき)やさきの廻り 心一ぱい中がさに分葱(わけぎ)をあへた?(とりがい)
の いつしつくりとたんなふを さして下んす心じやと 膝いどつさりふご尻の重きが上のさよ衣 裾も
ほら/\干鰯(ほしか)見世 鼻持ならぬうたてさよ 十内も迷惑ながら 今に始めぬお志 寡住(やもめ)の
不自由な我等 何やかやの心付け 誓文悪(にく)ふは思ひはせねど お家主の御内義様と 色がましい事
が顕はれ 家明け付けられ追出さるゝ 此身の上は厭はねど お前様に悪名付ける 夫レばつかりが悲しさに
是迄難面(つれない)返事 何の憎ふ思ひませふ 人目の関が隔ての垣 胸に書付有るならば 爰が立破(たちわ?)


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見せたいと 丹波与作のせりふ付け なまで遣ふた空涙 こなたは誠と気もぞく/\ 扨はそふした事か
いの 其心を聞く上は世間も何も構やせぬ こちの親父へ聞へても 四の五のいやればぼいまくる
名前も切かへ旦那殿 可愛がつておくれへと ひつたり抱付きすり付けられ しけに合たる舩心地 走る虫
唾を押隠し 夫レは近頃忝い わしも其心なれど昼中といひ奥には妹 お前と爰での睦言を
聞かしてはモウ時分の来たあいつ 煩悩を發しおる 日が暮たら裏道から 廻つて必ず忍んでお出 妹めが
見付けぬ様に 灯も消して待て居る 爰に蒲団も出して置くへ 枕も二つ何ときよといか 忍ぶ相図
は表から猫の真似して我等が来る お前は裏から鼠鳴き 夫レが互の相詞 鼠と猫の忍び

合にやんと能かと乗かけられ 夢中に成て ヤレ/\嬉しや そんなら晩こそ日頃の思ひ 晴して
くれる心かへ 兎や角いふ中モウ日暮晩に必ずかんならず 主様さばへと腰ふな/\帰れ
ば跡は居さし時 寺々の鐘せつろしく心夕陽影くらき 納戸の内より取出す 差類
手道具腰の物 手早にしやんと荷拵へ 漸かた付け塵打払ひ お二人様/\と
呼声に 行燈提て吉三郎 お雛も奥より立出れば 様子はお聞なさるゝ通り 日が暮れ
ると惣々が一時に寄せかける 所をツイと一杯くはし立つ鳥跡を濁して行 サア/\お出と
身拵へ 三人打連れ出行向ふへ 来るは慥に家主めと 灯火吹消し戸脇の影 荷


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物舁込みひそ/\と 隠れて忍ぶ間もなく 暮れるを遅しと家主福助
気は上釣の近?(ちかかつ)へ 表へいこかは来かゝつて はいらんとせしが待て暫し 日頃の嗜み爰成り
と 紙入捜して万金丹 むせうに?(ほうばり)息吹かけ ずつとはいれば真っ暗がり 昼の教への
相図ぞと 帯くる/\と四つばいい這ふて探るはのら猫の さかりかゝつたごとくにて にやん/\
納戸の暖簾から 声聞付けて女房は 十内と心得て 探り出たる恋の闇 鼠鳴
して待かけたり あやなき闇の暗がりに十内お雛吉三も供に 漸出る門の口 内
はむせうに探り合い 声と/\をしるべにて 双方相ざし蒲団の土俵 転けて勝負

は根くらべ 仕済ましたりと三人は跡をも見ずして急ぎ行 斯共しらず仕送り屋 借
銭とらんといつきせき 這入れば真くろ コリヤとふじや 何で灯を燈しやらぬ
ハテめんよふなと小提燈 差出す明りに見合す顔 福助殿か わりや嬶か ハア