仮想空間

趣味の変体仮名

近江源氏先陣館 第三

読んだ本 https://archive.waseda.jp/archive/index.html
      ニ10-01036


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    第三
実に治まれるためしには松に小松の生ひ添ひて枝に枝葉に葉の栄へ 契り盡せぬ源や 御酒
の機嫌も頼家卿昼夜分かたぬ舞諷ひ お傍扈従が笛鼓 白拍子には若狭とて器
量もよしの桜花 恋しき人は君様と 舞にことよせ頼家の膝にもたるゝ品形 よふ濡事の吉
瑞めと 傍からはやす囃子方いや/\どつと誉めにける 大将御機嫌斜めならず いつ見ても美し
い器量に連るる扇の手 どふもたまらぬ若狭の前 此頼家が北の方 ハイ 其お願ひは私
からいつ/\迄も其通り 必替り給ふなと又濡かゝる一奏で 比企の判官御前に出 君にもしろし

召さるゝ通り 片岡諸共鎌倉へ下りし所 心得がたき北条殿の所存 何時合戦有んもしれず
まさかの為の便りにと 味方に招く諸浪人 中にも佐々木四郎左衛門高綱こそ 今の世の軍帥
渠供(かれが)行衛を詮議致し此方の大将とせば 此上や有べきと母上の御諚を受け 世を遁れ住む
佐々木が有家 此程より尋さがす人数の手配り 殊に又 造酒頭が計ひにて北条家
の娘時姫殿と 御婚礼を取結び追付館へ参るは治定 御祝言と有る時は若狭殿
の為にもならず 何と御思案は有まいかと 聞よりはつと若狭が顔色 見て取る頼家 だん
ない/\ 片岡が指図でも そもじを退けて頼家が 妻と定める者はない イヤ何判官 我思ふ所


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存じも有れば片岡出仕致す共 奥御殿へ通すなと侍中へ申付け 堅く禁制たるべきよし
扈従共より申渡せ コレ若狭 構はずと一献酌(くみ)さらりと流しやと大将の 色に心も乱れ糸
縺れかゝりし片岡が 難義と更に白書院 取次の侍罷出 お召に寄て佐々木四郎左衛門高綱お次に
控へ罷り有 通し申さんやと窺へば ヲゝ夫レ待兼し是へ通せ対面せんと仰の下 御前間近く立
出る佐々木四郎左衛門高綱 名にのみ聞し武士(ものゝふ)の行義乱さず平伏す 判官佐々木に打向ひ 対
面致すは初めなれど名は聞及ぶ高綱殿 此程より貴殿の行衛尋求る其子細は 軍
法智略隠れなき佐々木四郎左衛門へ我君密かに 御頼有度一大事の有ての事 よも違背

は有まじと 探る詞に莞爾(につこ)と笑ひ 先君頼朝一天下を切治め 草木も動(ゆる)がぬ今の世に軍
術武辺も益なき事と 跡をくらまし山林に引込だる佐々木高綱 今改て御召出しは
太平の代に武を忘れぬ名将の御心がけ 委細の義御尋申すに及ばず 御頼の一大事
高綱承知仕る 御心安かるべしとよどまず濁らぬ弁舌は水を流せるごとく也 けぶたい
相人にさしもの大将 アゝいかふ遊びがめいつて来た 佐々木を母に目見へさしコレ若狭 其
跡ではしつぽりとサアおじやいのと 大将は長臺(ちやうだい)深く入給へば 然らば後刻と判官に 黙礼
式礼高綱も奥にお供し入にけり 又も奏者が声として 御前より仰られし佐々木四郎


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左衛門高綱 只今伺公致せしと 聞て義員ソリヤ何の事 たつた今目見へした佐々木四郎左衛門
二人有ふ筈はなし ムゝ聞へた 名有る武士共召かゝへ有る時節を考へ 匹夫下郎の衒云(かたりごと)何にもせよ
子細ぞ有ん是へ通せ糾明さして実否(じつぷ)を糺さん用意有侍中と やり戸に身をひそめ
握り詰たる柄の間も 心を配る高綱は 春待ち兼し鶯の初音を諷ふ心地して しづ/\と
入来り 召に応じて佐々木四郎左衛門只今参上仕る 取次頼存ずると 聞きも敢へず判官がそれと指図
双方より 取付く二人を引掴み 何の苦もなく投退ければ同じくかゝるも右左 うんといはして寄せ付け
ねば 諚意也と判官が声にさすがの高綱も猶予(ためらふ)所へ付け込む家来腕を廻せと 追取

巻く ヤレ暫くと御声かけ立出給ふ宇治の方 君に別れし玉くしげまだつやゝかな色も香も
障らば落ん袖の露 ホゝ兼て聞得し佐々木四郎左衛門 自こそは頼家が母宇治の方顔合すは
始めなれど昔に返る主従三世 今より頼家が力となり偏に頼む味方の軍師 ハア畏
つては候へ共 左程に迄某を懇望有るに引き替り 御家来中の今のしだら ヲゝ其不審は理りなれど
味方の士卒を靡かす高綱 其手練を見様為 ハゝゝゝゝコハ御諚共覚へず 身不肖の某
なれ共まさかの時の軍師にも 御頼なされんとの御心には引かへ 剣術やはらのわざくれにて
佐々木が器量御ためし遊ばさるゝは 浅はかなる御計らひ 左様の武芸は一人に敵する端武者の


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わざ 軍帥の器量に足らず憚りながら 大将の御賢慮薄く候と 武威を恐れぬ弁舌骨柄
割符を合す 二人の佐々木心一つに奥と口 屹目を付々に 破(わつ)て云れぬ此場の時儀 ヲゝ一言
一句に備はりし軍師の器量 頼もし/\と此上は頼家に目見へさせ事ゆるやかに奥の間
で 主従の盃事 コリヤ嬪共佐々木を早ふ伴へと 仰にはつと高綱も威勢は 雲に立上(のぼ)る
龍に翅や虎の間の御前を「さして立て行 かゝる折しもお庭の内 下れ/\も和らかな嬪
共が口々に 見れば花を商ふ人そふなが 爰をマア何所ぞと思ふ 忝くも源の頼家様の御殿
共憚らず 仲間衆が見付たらたいていの事じや有まい 早ふ御門を出やしやれと 叱る詞も

なまめきし 御免/\と手をつかへ イヤ申女中方 私は近郷の小百姓 畠の隙には此ごとく花を
かついて売り歩行通る度々此御殿 外から見てもきら/\と結構ふくめを見るに付け アゝ内へ
はいつて見たいことじやと 思ふが一図 覗いても叱人(しかりて)なく 這入りかつた御門の内是は何と出られ
ませふ 迚もの事にとつくりと入れさしで下さりませと 云つゝ立て行んあとす 判官声かけヤア
何やつなれば尾籠千万 御前様の御側近く慮外致さば一討ちと 叱り飛され恟りし 籠より
取出す梅の花 判官が前に置き ハイ御赦されて下さりませ 御前様がかる/\と出てござる
とは爰にもしらず アゝ勿体なや/\ お前様の執なしで拝まして下さりませ其代り此梅を


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上ませふ イヤ申売余りではござりませぬぞへ 物は云ねど此花はお詫侘の種の一枝と 云
せも果ず ヤア見かけに寄らぬ胴性根の太いやつ 武士をとらへて嘲弄する憎いほうげた
邪(いが)めてくれんと飛かゝり 目鼻も分かずてう/\と打つ度毎に散る梅の 落花狼藉厭いなく
ひく共せば手は見せぬと 突放されて今更に 返す詞も塵打払ひ アゝいにましよ/\
慈悲専らと思ひの外 さりとはむごいお衆達 何ぼ結構な着物着て 子細らしい顔召れ
ても 斯当てがひどふては御出世は成ませぬ 尊い寺の門前からいんだかましで有た物 はいついて
見たさにいたいめした 命が物種おさらばとつぶやき/\立出る 夫レ縄打てと宇治の方 御

声かゝれば義員が 取て引立て無二無三さげ緒たぐつて小手がらみ 権威におされ詮方も 投首して
ぞいたりける 比企の判官取敢ず かやうのやつらが徘徊致し御前様のお身の上悪様にふれ
歩行(あるく)愚人めらへ見せしめに首ぶち放し成敗の 手本に致し候はんと 聞きも敢ず いか
様そなたの云やる通り 下(しも)として上を計ひ 頼家や自が掟を譏る者有らば 假(たとひ)町人百姓
でも 生け置ては政道立ず 仕置の手始めそな者は 自が手をおろし手討にする覚悟
せい イヤのふ義員 斯くも狼(みだり)に入込むは 外面を守る役目の誤り 詰り/\の遠侍に守り厳
しく申付け 供に心を配るが第一 コリヤ嬪共 そち達は奥へ行 自が腰刀早々是へ持来れと


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仰に生た心地もなく 申奥様 今の様に申たのでお腹が立は幾重にも コレ申女中方
侘してたべとおろ/\声 願へどいつかなゆるめぬ判官 スリヤ御前様には自身のお手討 ヲゝ
いふにや及ぶたつた今 そなたは次へ嬪共 早ふ/\と宇治の方 厳しき下知に義員も 其儘
立て入にける かこまれし今ぞ命の置き所 屠所の歩みの羊より響く時計八つも過ぎ 七つ何
とか女子供 きらめき渡る腰刀御前に直し置き 立て入るさの月ならで 花に其日を置く露
の 涙と供にコレ申 殺される此命惜いとは思ひませぬが 今爰で切られたら 跡に残つた
女房子が路頭に立は知れた事 一人と思へど親子三人 見殺しにして何の盃 どふぞお助け

下されと 拝みたふても後ろ手に縛り搦めし有様を 見やる此方も打くもり 清くさせん
と下り立給ひ 歎きしたふは理りながら 助けられぬそちが一命 時移る程思ひの思ひ 源家の
大将頼家が母宇治の方が手にかゝると 果報と思ひ諦めよと すらりと抜たる刀
の光り こは/\そつと顔打眺め スリヤとふでもこなた殺す気か ハア是非に及ばぬ 迚 
も切られる上からは 潔ふ死で見せませふ 其かはり又こなた様にもすつぱりとした刀の
切れ味 サア切しやれと突付る 體のひねりに宇治の方屹目を付け合点と てうと
切たる覚んの手の中 解ける縄目に恟りし ムゝこりや切たのは縄斗 スリヤ殺しやなされ


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ませぬか ヲゝ何のいの 生けて再び自が頼たい事有て 殺すといふたは皆嘘 人前作りし
心を見やと 刀は鞘に納むれとまた納らぬ胸の中 底意いかにと両手を付き 百姓づれの
私に 頼たいとおつしやる訳はへ 其方(そなた)に惚た エゝイヤモけふ程恐ろしい事を聞く日はない 長
居したらどんな目に合ふも知れぬ もふおさらばと立上る イヤいなさぬ 云出すからは金輪際 縦(たとへ)
何れの花にもせよ 其一枝は自に折してたもとしたひ寄り 取る手にすがつて エゝめつそふな 女ゴ
だてら男に惚ると云様な不遠慮な事が有る物か のふ/\こはや醜(おそろ)しやと 振切/\逃まどふ
道をふさいで宇治の方 そんなら手付に合たいか サア夫レは いやな此恋叶へいと のつ引させぬ難

題に返答ほうど行つまり サア/\そんならマアあいでござります アゝお前様もいらぬ物好き
アゝしたがとふでもそぐはぬ色事が当世の時花(はやり)物 あなたも御公家様の娘御なら 我等指
詰いたい腹 必ず切らして下さりますなへ 夫レはそふじやがどふいふお心で惚さしやました 訳を聞して
下さりませ さればいの 君に後れておのれやれ 貞女の道は背かじと思ふに違ふ起き臥しに 契
置きにし乱れ言思い出せし床の中 只一人寝の手枕に深き思ひを打破(わつ)て 云べき人も有なんと
武士町人のわかちなく 入込せしは幾万人数も限らぬ其中に けふといふけふどなたの顔一目
見るより恋草の闇をぬい行く蛍より 憧(こが)るゝ宇治が袖袂 下部水の流さへ 外にはもらす人も


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なき わしが寝所にこつそりと忍び男と云はばいへ サア打解けてたもいのとひつたりぬるゝ
雨が下 又と有まい此恋路在所育ちの麦飯で釣られし鯉は淀川の 七年物と知られ
たり イヤ申其お心 いつ迄も必違へて下されますなへ ヲゝ何のいの 一旦惚た上からは 武士は勿論
高家でも いつかなふれぬ肌と肌 そなたと合すが互の堅め サアおじやいのと打連れて上る
畳の裏表 片岡造酒頭出仕也と呼はるにぞ はつと仰天こなたにも 人音すれば詮方なく
隠し所も宇治の方裲ひらりと忍びづま 暫しはやどる下影に身をひそ「めてぞ窺ひいる
春の日脚の長廊下板敷の音しとやかに 武士の鑑の大広間 それと見るより

ハゝはつと 座を立隔てて造酒の頭謹んで両手をつき こは御前様只お一人心得がたき館の
構へ 殊に只今侍中が申すを聞ば 片岡御殿へ通すまじとさへぎつて申せ共 某曾(かつ)て合点参ら
ず 御所存いかにと尋る中 ホゝ其子細は某が云聞かさんと立出る 大江の広基(ひろもと)入道東元(とうげん)
頭(かしら)斗は丸けれど角ひし立る眼(まなこ)付き 真中にどつかと座し 御邊一(いち)人奥御殿へ通さぬと云子細
語るに及ばぬ貴殿の胸に 覚有今度の使者 鎌倉へ参りながら 其役目は遅滞に及
び 剰へ時政の娘時姫を頼家公に娶(めあは)さんなどゝ 旁以て心得ぬ心底 去に依て御前
より仰渡さるゝ右の条々云訳有らばいへ聞かんと 席を打て詰かくれば ホゝ夫レにこそ片岡が深


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き所存 此度鎌倉に立越ことの様子を窺ふ所 時政の心底いかにしても其意得がたく 其
儘にて指置ば 終には両家戦いの乱を押さへん其為に 北条殿の差図に随ひ時姫を乞受けし
は 猶御一家の縁深く自然と和談に及ぶは治定 そこをもつて片岡が 三ヶ條の御不審も
只婚礼にて事を納め立帰つて様子を聞けば 宇治の方の御身持 武士は勿論町人百姓 毎
日/\入込ませ 御目にとまりし者迚は 御寝所に引入させ 放埓堕若の御遊びと 聞たる時
は造酒頭 はたとふさがる胸の戸も 明けて一人唯有て 諫言申す者もなきか エゝ是非もなき
次第やと 思ふに任せぬ片岡が 骸(かばね)は泥に埋む共 一心変ぜぬ魂と しろし召れぬ事

ならば 再び生きて帰りまじ 穏やかならぬ鎌倉の 大事を前に置きながら 色におぼれ酒に長じ
世の人口にかゝると云い さむれば夢の跡先に お心付けて只一言 頼家公に御異見の杖柱
共成べき御身 思ひ留つて給はれと 忠に凝たる片岡が 諌める五体に汗雫 袴も
ひたす 斗也 宇治殿気色を替給ひ ムゝ自が身持放埓 町人百姓を引入るとは 跡形も
なき噂を取り上 貞女の道を背きしと なき名を立つる推参慮外 女と思ひ侮つてか 詞
が過るぞ造酒の頭 ハツ/\御心に障りなば 其義は幾重にも御宥免 只返す/\
頼家公へ御祝言の御勧め 此嫁入を変改有らば 最早和睦も叶はずして 乱に及ぶは今此時


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得(とく)と御賢慮廻らされ 時姫君の御事のみ偏に願ひ奉ると 我身にかへて祝言
納まり願ふ四海浪豊かに見へぬ風情也 入道東元声あらゝげ 同しことをくど/\と 主人に向ひ
尾籠の行跡(ふるまひ)ヤア/\誰か有る アレ引立てと呼はる声 畏つたと比企の判官 襖あらはに是
さ片岡 鎌倉方のぬらりくらり 云訳しても返らぬ事 いにはがなふて得立すば 立たして
くれんと立かゝるを 腕首掴んで真様様 見向きもならず擦寄て 譬お咎め蒙る共
厭はぬ/\ 此上は頼家公へ直に御願ひ申さんと いふ間あらせず入道が推参也と打かくる 手
裏剣てうど身をかはせば 小柄はそれて宇治殿の 裲あらはに アイタゝゝゝ小手打込まれし以前の

男 一座の驚きなま中に 隠しだてして川霧の 顕はれ渡る宇治の方 暫し詞もなかりし
が 恥しや造酒の頭 最前のそなたの異見 面目なさもせつなさも 思はれぬ程可愛は
真実惚た忍び男 女子の因果と堪忍して必しかつてたもんなと 詫るは武将の
御母君 天下はれたる御身持呆れて 何とせん片岡 入道もにが笑ひ 頼家公の御母公
仕たい事なさるゝが武将の威光誰が何と申す者がござらふ 片岡が押付け願ひ 御得心ない
は知れて有れど 身が取次してくれふ 次へ立ちやれと権柄顔 破るは安く守るは片岡 結ぶは早
き恋の殿三つに別るゝ奥の間に 笛のひしぎも大将の機嫌取々鼓の音銀燭台


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の影高く かゝやき渡る斗り也 若狭はそつと奥の隙 出る後ろに東元が聞共しらずひとり言
嬪衆の咄しを聞けばマア祝言はやまつたそふな 是といふも入道様のおかげ エゝ忝い/\ それに引かへ片岡
殿 わしが為には恋の仇 いや其敵は外に有る エゝ外に有とおつしやるは ヲゝ訳をしらねば不審
尤 君を大事と思ひ込れし心さしがせつなる故 入道が語つて聞ん近ふ/\と小声に成り 何をか
包まん そなたの仇と成べき人こそ 館の後室宇治の方 エゝ ヲゝ恟りは理/\ エゝ情なや
武将の母と云はるゝ身が 下主下郎を引入れて アレ寝殿に不義密通の私(さゝめ)言 先君
頼朝の御恩を忘るゝ人非人 鎌倉には頼家公 謀叛などなき名を立るも 皆宇治の方

の不所存から 此人を生け置ては頼家公の御身の仇 家の為天下の為 御身密かに寝
所へ踏ん込み一と刀に討てたべ アゝ是申めつそふな事斗 大事の/\殿様の母君 殺せとは
勿体ない シイすりやこなたは頼家公が大切にはないか 大切ならば後室を殺すのが殿の
お為 よし/\是程の一大事 口外へ出すからは最早暫時も猶予ならず こなたが得殺さず
ば身が手にかけて 家国の禍を払はんと 奥をめがけてかけ入屹相 コレのふ待て入道 御待ち
とはこなたが討つ所存か サア夫レは サア/\どふじやとせり付けられ そんなら宇治様殺しませふ 君に
添たい殿様を大事/\にからまれて 同しお主と云ながら お家の為にはかへられぬ 仕果せて


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おめにかけませふと 口にいふさへ勿体涙 胸にせきくる若狭の水 ヲゝ出かされた遖々 夫レでこ
そ頼家公の北の方 是此刀ですつぱりと アレあの囃子の終らぬ中 時を過ごさず合
点か 心得ましたと脇挟み 気も太鞘の白拍子目釘しめして忍び足 窺ひ/\
入る姿 見やる眼もえつぼに入 邪智を隠せし胸算用 一人點頭き思案の後ろ 奥よりひよか/\
以前の男 思はずばつたり ハア是はしたり御容赦されてと行き過る 待て/\うぬ合点の行ぶやつ 匹夫
下郎の身を持て後室に近寄る不敵やつうぬも生けては帰されぬ覚悟して居おろふ エゝイ
是は又迷惑な 花売りに来たお庭先で後 室様のお目に入たは私がはなの科 こちから仕かけ

た色事ではなし 畢竟御前様の御悪性様なから 私は何にも ヤアぬかすまい 夫レ斗でない
うぬ最前から何ぞ聞たで有ふがな エイ夫は 聞たでもなし 聞ぬでもなし 夫聞たら赦され
ぬと すらりと抜て切付るを 脇息追取丁と受け こりや何となされます ヤア御前様をた
ぶらかし お家を乱す大罪人 観念ひろげと又切込む 鍔元丁ど打落し脇腹うんとたぢ/\
/\ すかさずかけ寄る比企の判官 主は誰共手裏剣に ぎやつと一と声あへなき最期 見向きも
やらず一間に向ひ 良禽は木を見て住む 大将の器量を撰み 此程民間に名を隠す
近江源氏嫡流 佐々木四郎左衛門高綱 今日只今頼家公の御味方 軍帥となる時


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至れり 家来刀と詞の下 ハアはつと一度に立出る 姿も一戦二人の佐々木 入道が恟りげ
てん 様子はいかにと窺ふ中 さし出す大小追取て 床几にどつかと座したる面体 主従かはらぬ三人佐々
木 三国一の勇士なり 御剱携へ宇治の方 御悦びの声高く 六十余州に一人の軍師 待こが
れたる甲斐有て 今といふ今手に入れば 味方の礎大願成就 頼朝様より伝はりし雌雄の
釼と号たる 二振の太刀 軍帥と頼む上は手渡ししる雄の釼 士卒を靡かす采配ぞと
うや/\敷手に渡し 心得がたきは大江東元 頼朝様の御恩を受け 頼家の師範共付け置か
れし身をもつて 何恨み有て鎌倉へ内通は致せしと 仰に東元起直り 存じ寄らぬ

御疑ひ 鎌倉へ内通とは何をもつて イヤ/\大江殿とぼけまい 兼てより
北条家に心を通はし 隙有らば頼家御親子(しんし)を 害せんとする貴殿の底
意 あらがはれぬ証拠は 最前我手に受とめし小柄の手裏剣 片岡目当に
打と見せて 正真の狙ひの的は宇治の方で有ふがな ハゝゝゝ其時我手に受けず
んば 宇治の方は其座で落命 夫のみならず貴殿の娘を若狭といふ白拍子
に仕立て 頼家公に放埓をすゝむるが 鎌倉内通の証拠 お隠し有なと一言は三寸
生板(まないた)釘打ごとく ムゝ遉の佐々木よく見付けた 淫乱不義の宇治殿を殺さんとはかりしは


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家の為を思ふ故さ 又白拍子若狭を我娘とは 何を証拠 ヲゝ其実否は谷村小藤
次 四宮六郎 主人の下知にて鎌倉の様子を窺ふ忍びの犬 妾(てかけ)腹の娘若狭 藁
の上より扇が谷(やつ)の郷に預けて置かれた事迄 聞ぬいて来たこなたの膓 サア/\白状/\と
詰かけられてさしもの入道 返答ふさがる障子の内 太刀音てうとから紅ひ 白拍子
が首引提 立出給ふ頼家公 しさつて敬ひ奉れば 寛然たる御気色にて 京鎌倉
と隔てりし此頃の人心 はかり兼たる我放埓 今改る手始めに成敗せし此女 他人の手
に長生(ひとゝなり)入道が娘とは今日迄其身もしらず 始めて聞て身を悔み 覚悟の最期

主をはかる天罰 我子に報ふと知たるかと 常にかはしり御諚意に 一句一答赤面し 思へ
ば無念せんかたな 自害と見ゆれば高綱押とめヤレ暫く 仮にも先君頼朝より
若殿の御師範と 名を付けられし大江の入道 心を改め忠勤あらば生害には及ぶ
まじ 一旦内通の貴殿なれば 所詮生けては置くまいと 思ふての覚悟ならんが 佐々木
四郎左衛門高綱 軍帥と成る上は 貴殿ごときが幾万人内通しても苦には致さぬ
お心づかひ御無用と 人を育つる大器の詞 東元始めて生きたる心地 実にも/\
今の命を戦場にて 我君に奉るが忠勤の第一 指し当つて御近習の


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比企の判官 打とめたる曲者 忠義始めに生捕て御覧に入れんと立端の塩 塩
からいめに大江の入道 唐犬の逃げぼへしてぞ入にける 大将重ねて 佐々木を軍師と招
きし上は 母君諸共日頃の念願 時政に至るは爰 急ぎ士卒を差招き 評議
いかゞと有ければ 佐々木高綱しばしととゞめ 御諚には候得共 北条家には御存知
なき けふの次第を次の間に 窺ひ待たる武士一人 対面致せし上の事と 家来を
近付け ヤア/\両人 そち達は宿所に帰り我身の上を告しらせ 早く/\と追やつて つゝ
立上り高声に 鎌倉よりの付け家老 片岡造酒の頭 佐々木四郎左衛門高綱見参

ぞふと呼はれば 襖をさつと造酒の頭 出る後に組子の侍 追取まくを事共せず 最前かくと
見極めし 我推量に違ひなく 扨こそ佐々木で有しよなと 云間有らせず左右より 捕たと
声かけ寄る所 其手をすぐに引掴み かくも君より御不審のかゝり繋がる鎌倉に 足をとめたる造
酒頭 縦(たとひ)主君の御意成り共 めつたに縄はかゝらじと あなたこなたへどつさりいはせ 臣は臣たる道を尽し
君を守るが習ひといへど 疑ひ蒙る我なれば只此儘に出城して 再会は重ねてと 又も組子が
打かゝる 十手透さず引たくり 眉間真向打わつて 云ぬ互の胸と胸 宇治の方御声かけ
あやまつて疑へば 人と供に亡ぶといへど 意地を磨くは武士の 道にはづれし造酒頭 再び帰り逢坂


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の 関を破ろと破らじと そち一人にとゞめしと 仰の中より佐々木高綱 味方に有ては一方の 籏
大将共成べき御邊 其儘出城せしむる事 虎を赦して竹林に 放すとは云ながら 我又かくて
有る中は 何条事の有べきぞ すは合戦に及ぶ時 何万騎にて寄する共 高の知れたる端武者共
四方に乱るを鋩(きつさき)揃へ かき首梨割鉄砲の 御供はげしき味方の軍勢 君の威勢を真
向に さしも功有る鎌倉方 どつと寄せ手の勢いにて 勇めやかゝれと数多の士卒 諸葛が
術をなす迚も 我方寸の計略にて そこにも佐々木 こなたにも 佐々木/\と名をふらし
爰の森影かしこの堤追ッ詰め/\時政に 泡ふかせんは高綱が 胸に納めし軍の備へ 詞すゞし

く云放せば 造酒頭莞爾(につこ)と打笑み 我迚もまつ其ごとく 君に疎れ君臣の 礼儀背きし上
からは本国に引籠り籏上せんは安けれ共 末代此身の瑕瑾と成る 我悪名もさつぱりと流せば
其名も楯の板 只何(いつ)迄も忠臣の 国二字を忘るゝなと 味方に付く共付かぬ共善悪二つを一道
に 納て帰る造酒頭 さらば/\と高綱も 御親子いざなひ奥と口 東元が裁配にて 造酒頭を
帰さじと 柱(ことじ)さす股ふり廻し 遁さぬやらぬとひしめいたり ヤアしやうこりもなきうざいがき 残らずうせいと
声かくる 物な云すな搦めよと 右往左往に打てかゝる鼓は奥の間謡の拍子 舞延年
の時の和哥 是なる山水の 落て巌に響くこそ 秘術を尽して争ひしが さしもの大勢たまり


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兼 にげちる跡に我武者の二人 ぬき合せて切かゝる かい沈でもんどり打たせ すぐに
腰骨踏付くれば やらじと取付く組子が急所 仕とめしは何者と 見やる後ろの障子
の中 衣服改め佐々木高綱 判官を打とめて 我をかばひし小柄の返礼 受納
あれと高綱が 立る勇者の道々に 奥は安宅の舞謡 とく/\立か弓取の
心赦さぬ造酒の頭 暇申してさらばよ迚 笈にはあらぬ相生の 祝言さへも三々九度
云わけ何と片岡が 虎の尾をふむ毒蛇の口 遁さぬ佐々木が四つ目結ひ
紋に顕はす四天王 其随一と鳴渡る鐘もさやけき 「夜あらしの