仮想空間

趣味の変体仮名

檀浦兜軍記 第一

 

読んだ本 https://www.waseda.jp/enpaku/db/
      イ14-00002-523 


2(左頁)
  檀浦兜軍記 (第一) 作者 文耕堂 長谷川千四
宵に起き肝(ひたけ)て食し 夜半(よは)に念(おもひ) 朝(あした)に行ふ 故(かるがゆへ)に
虞舜(ぐしゆん)の居は三年にして都をなし 仲尼(ちうじ:孔子)の政は
暮月自づから理(おさまる)とは 今此時よ武将の中興 源の朝
臣頼朝卿不断(まつろはざる)を禁(いましめ)に 賞罰を糺し絶たるを
継ぎ廃れるを起こし 民を安じ衆を和す七徳八教
谷(やつ)七郷 賑をふ民の鎌倉御所 大蔵の郷に


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営居有 さしも大小手強かつし木曽の冠者義仲は
江州粟津の泡と消ゆ平家はなき名を文字が関に
残して 治国平天下の功古今に秀で 未だ家に先蹤(せんじう)な
き大なごんの大将 六十余州の惣追補使(ぶし)日本弓馬の
棟梁と成給ふこと 併仏神のおうご也と 神祇を礼し
百霊を懐け給ふ余り 秩父の庄司重忠を以てさいつ頃より
南都東大寺大仏殿を再興あり 既に伽藍成就せりと

本多の次郎近経を以て訴ふれば 根井(ねんい)の太夫希義 岩永左衛門
尉致連(むねつら)其外当日の諸役人膝を屈し相詰らる 又者なれ共
本多の近経 召によつて百分一に移せし伽藍の絵図 御座近く
しつらひ掛け仏閣の高広 荘厳の次第 外に記しさゝぐれば
逐一に上覧有 重忠は仏智にも叶ひしか 我思ふごとく造進
せし某 嬉しや解脱の善根を植たりと 御嬉気に見へ給へば近
経はつと恐れ入り こは冥加に余る御詞 主人重忠造営の功を得


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たりこと 偏に君の拱福(こうふく)によつてなり 太政入道清盛は 伽藍を焼て
衆類を族滅す 君は伽藍を再興有る天地懸隔の違ひ 恐れ
ながら御子孫の繁栄極り有べからず 鎮護国家の御基此上や候
べきと 祝し申せば一同に皆万歳と寿けり 大奥の間の廊下口
鈴の綱音ないて 重忠の奥がた玉房御前座の間近く 手をつかへ
誰そお取次と窺へば頼朝御覧し 珎らしやちゝぶの妻女 くるしからず直に
申せ何ごとぞふと御諚有る いやお願は私ならずみだい様の御使い ただ今

奥にて承れば 此度の大仏くやうかねて君御上洛との御こと みだい様も
御参詣有べき御立願くるしからずは御一緒に御上洛遊ばし度思召侍へば
窺ひ奉れとの御こと也と述にける 頼朝打うなづかせ給ひ 今四海一統
すといへ共 木曽が余類平家の残党 義経錦木戸が討漏らさ
れ 隙を窺ふ此時節 ?(うかつ)に鎌倉は明けがたし 我は皆成就(かいじやうじう)の後上
洛すべし 此度は政子斗上洛しくやうをとげ給へと申せ さあらば玉房付き
添用意せよと御返答有ければ 玉房悦び是は/\お嬉しや みだい様も


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嘸御きげん お悦申す為と勇みておくへ入にける 頼朝重ねて いかに根井
太夫岩永左衛門 両人共に政子が供し上洛し 番卒忽なきやうに心を
合はからふべしとの給へば 根井ははつと当惑顔 岩永左衛門進み出 頭べを
さげ 聊か御諚を背くには候はね共 かゝるめで度き御上洛に 臆病のとば
しりかゝつたる老人と相役仰付られ 心を合供奉(ぐぶ)仕らんこと身に取て
不詳の至り 此義は余人に仰付られ下されかしと 根井の太夫をしりめに
懸け憚りなく言上す 根井の太夫気色をそんじ ヤア口荒涼也岩
 
永殿 あつと申そふやいなと申そふや未だお情もせざる内 臆病のとば
しりかゝつたる老人と相役 不祥也との言上ヲゝすいしたり 我娘白梅を
ふさいに所望しか共 愛甲の前司太郎が子を養子聟の契約
せし故 承引せざりを憤つてのわんざん比興至極とはつたとにらめば ヤア
左様の私の宿意を以て 用を妨ぐる岩永にはあらず 何と成共いはゞいへ 臆
病者の相役には得ならぬ/\ ヲゝそれもすいしたり 彼の倅相州箕尾谷(みおのや)
村の谷影深く生立 熊猪は猫の鼠ともてああつかい かたのごとくかけ鳥


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などはすれ共 未だ兵法の奥義を知らず 弓矢鍛練の後家をsるべしと 武者
修行に出 過ぎつる源平の戦ひ義経公の御手に属(しよく)し 実父愛甲の名
字は勿論我方へも未だ来たらねば 根井共得名乗ず そだちし箕
尾谷村の在名を取て 箕尾谷善四郎国時と名乗 平家の侍上総
の七兵衛景清に出会 少しみぎわへ引返(しりぞき)しを 弓矢不鍛練の者共が臆
病也と取さたを 聞誤つての思ひ違ひ おかしゝ/\といはせも立ず ヲ其戦ひは
檀浦舩と陸との詞戦ひ俗にいふ川向いの喧嘩にひとしく 箕尾谷四郎

広言放つていたりしが 兵舩一艘こぎ寄せ上総の七兵衛景清とおめいて
かく 始の詞には似ざりけりかいふつて逃て行 景清長刀取りのべて討
ならばまつ二つに成べきを 能々の臆病者刃物よごしなぶり物にせんとや思ひ
けん 長刀小脇にかい込でみおのやが着たりける 兜の髟項(しころ)を取はづしてん
がうまじくらむんづと掴んでうんと引く 身を遁れん前へ引く互にえいやと引
力に 鉢付けの板より引ちぎつてこけつ まろびつ口へらず 去にても汝恐
ろしや腕の強さと云ければ 景清は又みおのやが首の骨こそ強けれと


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敵もみかたも物笑なんと臆病者で有まいかとあざ笑へば膝立直し
其時の軍奉行は土肥の真平(さねひら)みおのやは太刀景清は長刀 手を
砕いて戦しが何とかしたりけんみおのや 太刀打折て力なく少し水際へ
引退く 臆してたるにはあらざる故 御帳面にも其通り記したりとの物語 御帳
面がせうこよ 但貴殿は左様の時太刀打折た軍は是迄 サア首きれとて切
するか かくるも引くも軍の習ひ必竟の勝をかちと云 ことに景清世になが
らへ君を狙ひ奉る風聞有 我倅又景清を付狙ひ恥辱を雪ぐまじき

物ならね共 それは後のさた必々今の詞忘るゝな岩永と 包む無念の目に洩れ
て こぼるゝ涙を袖にかくし御前に向い 先手系図に書きのせ上覧に入れたり
伜行きがた知れず ぶ奉公者の親として歴々に立まじり 座並を穢される恥
かしきに 増てみだい所の御供恐れすくなからず 御諚違背仕るには候はね
共 此義は余人に仰付られ某は本国に浪人の願い 所領を差上ると申す
は冥加なし 倅があんぴを承はり届る迄暫く預け奉り度存候と恐入てぞ
のべにける 頼朝始終を聞召 子によつて親々の名をも上るに 老人の心遣


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不便也 上楽の供を赦し望のごとく所領を預り置く上は かへすことも又望に
よるべし 浪人の住所は心の儘勝手次第逼塞すべし 本多は諸備へ 岩永
は上洛の先手に進み 直ぐに都にとゞまり重忠にくはゝり 万事さたせしむ共
指図に背き 我意のしかた有べからす 就中上総の景清は平家無二
の忠臣国土無双と聞く あへなく討んも残り多しともかふも重忠とはからひ
穏便のさたあらまほしけれ 心へたるか岩永本多罷り立てと 廉中深く入(じゆ)
御(きよ)成給ふ仏共王共此君より 再び栄ゆる秋津国つきぬ めぐみぞ

「月日立 春も漸おはりの国夏になるみやあつたの宮 聞く人は人の国迄もかくれ
名高き御神にて 万の願取分けて悪気役難さいなんを 祈ればきどくを宮づと
の散り敷く花をかきよせて 神の御庭の朝清め散残りたる其木末より 土に春有る
ふぜい也 春の旅 暖かながら寒からで思ひ有る身も折々は 心をひらく白梅は 父にさそ
はれ故郷を出先はあふみの長浜へ長道中を是ぞ此 おはりのあつたと聞からに 態とも
参らまほしかりし いざと付々お供にて乗物つらせ参詣有り やい皆の者 此御社こそ
楊貴妃の有家を尋 唐土の方士が渡りし常世の嶋 蓬莱山とはこゝぞかし き


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ずい尊(たつと)き御神様 皆信取てよふ拝みや それに付き此お社のねぎの娘は景清が
妻なれば こゝに隠れ忍びいまい物でなし 我つまのみおのや殿行きがた知れず 親子ふう
ふの名は有ながら 得あはぬも又とゝ様の 知行差上げ住なれし鎌倉を立のいて此ごと
く 旅他国なさるゝも彼がわざ 景清と見るならばかきむしつても恨みいふ心 其
時は誰々も力を付けて頼ぞやいのとの給へば めのとのさは田が御尤々 此人数が一口づゝくひ
付ても景清の一人や二人お気遣遊ばすなと 力をそゆればヲゝ嬉しい/\ 大宮司ととへば
隠れないとや住家はいづく 誰に尋ふぞ あれ/\あそこに人こそあれ 大義ながらうば問て見や

何の大義と立寄て 是物問ませよ ねぎ殿なれば知て有ふ 大宮司殿はいづくぞ教へて下
され ムウ扨は旅のお人か 大宮司と申すは我々がお頭殿 今では二人有御子息は夏茂様とて
今の代(よ)取 社の後な大門作りがそでござる 親御は通夏様近年隠居なされ 海山を
見はらして濱面てに館を立て衣笠と云娘御と一所にあれ/\/\あそこへ 白髪まじりの
そうがみ大小さいて 女中が一人付て見へる あれが通夏様衣笠様 社々拝なされて頓間こゝへ
とおしゆれば お姫様聞てか 聞た/\ 願ふてもない首尾待請て詰ひらかふ ヤイ下々も乗
物もとりいの外にいよ とゝ様お見へなされたらこゝにと申せ まだ見へるには間も有ふが


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其間に白(しら)も いざ神所へと引つれて一礼いはせもふでらる 春色花獏々たる鶯の百囀り
擯俗(ひんぞく)の地無何(むが)の郷(さと)心自得すれば 寿?(はかり)なしと口すんじ 娘を友なひ花にさそはれ 
うかれくる前(さき)の大宮司 そうぢは誰じや福太夫か 此頃あはぬかはることもおりないか アいや
別(べち)にかはることもそれよ たつた今旅の女中がお二人様を尋て参られ 追付此所へお出なさ
るゝと申したれば 其間にお宮へ ムゝ参つてこふと云ていたか ハテ誰じやな見へたらばあふ迄よ休
め/\ 身は折ふしの他国あるき近付きも有り尋くまい物ならず 娘を尋てくる女中は ハテ誰
じやな いや私でござんすと 立出る白梅 イヤこなたなれば猶見知りがないと親子 いぶかる斗也

そなたに御存なされいでも 此方は景清殿と分け有る中 お前のかたに忍び有と折々の文玉章(たまづさ)
に お二人のことよふ知ている 久々顔も見ぬ故にはる/\゛尋参りたり 早ふあはせて下さんせと
心せかせてうら問へば 父は驚く衣笠はわるふ呑込む早合点 其景清殿つれてござんせあは
せふと あいそなけれど云がゝり 衣笠様そりやひけうな 慥にこゝにいる人をつれてこいとはこ
りやりんきでござんすの ヲゝよいがてんさつきにから此胸の内くら/\とにえかへる 本妻じや物
りんきせいでは とてもりんきと見らるゝからはあはせますことふつつりならぬ せんないことに隙入れず
といなしやんせ/\ ムウそんなれば景清殿は実正かくもふて置しやんしたの ハテいらぬ念を入れる


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人 夫が女房と一所にいるが珎らしいか いや珎らしうはない其一言を聞ふ為 サア女子共合
点か 心へましたと一やうに かくしさいたる一こしのつばをならして声々に 遁しはやらじと詰かくる 大宮
司娘を押かこひ ヤア誰だれば女のざいに此体はけうがつたり 遁走りする我々ならず子細を
かたれ名をなのれ ヤアこしやくなといはず共景清をこゝへ出しや 其上ではいやらいでも名
をなのる それはむさい景清は三年此方ありかを知らず いや知らぬとは云せぬと 争ふ半ばへ根井
太夫走り付き娘をせいし付々を押しづめ 大宮司通夏と云は御邊よな 我らは根井の太夫
希義と云者是は我娘 此度鎌倉をお暇申し江州に蟄居する其義は云に及ばず

過ぎつる源平八嶋の戦ひ和主が聟かづさの景清 みおのや四郎と合戦のせうふそれも聞及
ばん 其みおのやと申すは某が養子聟是が夫 其場の恥辱つら恥しくや思ひけん 今以て
行き方知れず 夫を思ふ女心景清にいこんを含み 今日此所通り合せしを幸い 景清は和主が
聟なればかくし置んと我にも知らせず此じぎに及ぶ こと更景清我君頼朝公を狙ひ奉る御
敵 かた/\゛見のがしては通られず かくして館をさがされば 大宮司のふちんたるべしサア景清を
出されよとのつ引させず詰かけたり 扨は聞及ぶ根井の太夫殿よな さいぜん御息女景清
か妻(おもひもの)也と 偽りも問ひ落さん為 とは知らず娘はりんきに取込 拙者は却て御息女に景清があり


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かを尋んと存る所 いやはやこちらあちらの仕合 長々と返答申すも旅行の妨げ手短に
申そふ 平家の一門滅亡の後景清はかた切て参りもせず便りもせず 此方の娘も
なつかしがり 若し有り所聞出さればお知らせに預りたしと返答す ヲゝ一旦のちんじは尤 能分別して
見られよ 一樹の陰の雨やどり一河の流れをくんでさへ人の情は捨てられず 況や多年の聟舅
女房を預る程の景清 便りもせず参らずといふ共誰がさあらんと思ふべき 鎌倉殿御ふしん
のかゝらん時も其いひ分けで済むべきか よい仕合で歴代の神職もつしゆせられ 子共の
るらうせうし/\ 此理を弁へずかくし通すか根井の太夫わるいくせ有り か様のことせんぎしかゝり

云ずはよしとてかいやりには捨置ず 館をさがそふか但はかくし置ず存ぜぬと云せうこ 当社
明神は云に及ばず天神地祇を驚かし せいごん立るか二つ一つ返答あれ大宮司と ちつ共心赦さぬ
面色 大宮司横手をはたと打 ハアゝ御疑ひ御尤誤り入たり根井殿 聟の不便も娘のかはいさ
子共らがるらうにかへ所領にかへ何しに包申すべき エゝ浅ましや神につかへてもぼんぶ心けふのこと
を知ざりし 平家の一門都落の時此娘 景清と一所に落行んと云しを 舩に浮き波にふし
うきめにあはんふびんさに 預けんと云を悦びて預りし其時 ふうふのえん切らせて預るか取戻さば 今
の疑いは受まじきに よい年をしてちえなしと根井殿笑給はん 恥しや面目なやとはら/\と こぼ


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るゝ涙をおさゆれば なふ私も西国へお供せば一思ひ なま中に預けられ夫は生きて有ながら
二年三年便りもなく捨てられし我命 おしいではなけれ共もしやとひかけうな心から 段々御く
らうさせまする 赦して下されとゝ様とかつぱと伏して 泣いたる 娘泣くな分別有る なふ根
井殿 我先祖はおはりの国造(みやづこ) 明神をいたゞき祭りて千百年 かりにも曲がらず偽らぬ
誠を以て仕へし身の大凡俗とひとしく せいごん立ん口おしとは思へ共 恥も人目も子共らにはかへられず
只今せいごん立申す疑惑の念を祓ひ給へ 清め給へとつい立上れば アゝ暫くと根井の太夫走り寄て
いだきとめ よしなき所望誤つたりもふせいごんに及ばず/\ 今の悔みの御一ごん我しんこんをつらぬいて

貴殿を疑ふは神を疑ふ勿体なし とかく長居も神慮の恐れ早速ながらお暇申す 疑い晴
てござらふか 参る/\大宮司殿 再会必ず期(ご)あらんと娘娘も笑顔を作り ずいぶん御無事で
御達者でおさらば さらばと「立隔つ もろこし人も 仲麿の歌をしるべにふりさけて 今や
見るらん春日なる 御笠(みかさ)の山にいづる月空も 五つになる鐘の世上にひゞく東大寺 大仏供
養もけふあすと諸国の人の参詣を まつや町筋せばしとて山門のかたほとり 取りぶき屋 
根に置く露に月の光もすみる茶の のれんは釜敷に へついの煙たへまなく かふて
行く人 うる人は 女主の顔像(かたち)むつくりとしてうまそふな むし立て饅頭かはしやんせ世間に


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るいは多けれど 歌には青丹よしとよみ奈良まん頭の あんもよし こと更神のちかひ
じひまん頭のむし/\は御笠の山に咽がなり 五重甑(こしき)に立つゆげにかすがの 里は賑はへり
こゝに平家ふだいの忠臣かづさ七兵衛景清 さつま五郎信忠と云者有り 一門御落命の
折から取捨(ともかう)も成べき身の 生(しやう)はかたく死はやすし 長生して主君のあだをほうぜん物と山林
に身を委ね時節を窺ひいたりしがこんど大仏くやうの為 頼朝上洛とほのかに聞て 心
を合せかくれがをいでの玉水日はくれて 急げど初夜になら坂や まん頭うる家(や)の床几
のはし暫く御めんとたゝずめば 是はいづくより御さんけいなされしぞ 夜に入て御くらうや ゆ

るりとお休み遊ばせと挨拶片手にたばこぼん お二人ながらさゝのなりそな御風俗 おい
やかは知ね共所の名物お慰みにとさし出す 饅頭より先女房のえがほぞ一口くは
まほし 景清は只一心に手だてをくふうし返答せず 五郎みせかる追従に 尊い
は門からと申すが そもじの風俗て饅頭の味も思ひやられた 見れば門幌(のうれん)にも行
灯にも書いて有る 家名は十一屋か 此心推量致した 饅頭を十(とを)かへば一つそゆかと
云心で十一屋と付いたのそふか/\ ほんに是もよい御推量 成程左様と申したいがこつち
の心はそふでない 朝七つからみせ出してよるの四つにみせ仕廻 七つと四つの時を合せて


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十一屋と申ます 是も尤 頼朝上洛召れしと聞く付き/\もさぞあらん 其外の参詣諸
国の入込 左程せい出さいでは売とゞくまい なんとか程結構に 諸堂回廊以下再
興し 肝心の此山門斗残したは心有てか 但は始末か 音に聞た程にもない 頼朝は
しわいやつだと打笑へば いや/\此山門はそのかみ 聖武皇帝様と云王様の御こん立な
された也 平家のわか坊主清盛入道が 此大仏をやいた時残つたは此山門斗 能登守教
経と云大悪人が 大仏様へいかけた矢がそれて此山門のたる木に当つた 矢のねやがらが
今に有る昼よふ見さしやんせ いかにこはい者がないわるいことがしたいとて 日本第一の仏

様をやきつくすと云やうな悪人がま一人と有ふか 仏斗かあの堂ては五百人八百人此
堂では千人二千人 人斗も四千人程やき殺した其報ひ 火付けの大将頭(とう)中将重衡 京
鎌倉を引渡され 果は衆徒の手にかゝつて七日さらされ首切られた 其跡が山門の脇
に有る是もあした見さしやんせ さ様に段々と悪行の積りつもつた果は平家の今の
様 主にも家来にも頭を指出す者一人もない 此山門に手も逢ず其まゝ残し
置るゝは 末代平家の悪逆を 人に知らせてたしなません世の見せしてじやとの物語 私が
やうな何も知らぬ者でさへ 尤そふに存ますと それと知らねば女の口歯に衣きせぬ長咄


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よそに聞なす景清が本意なさ悲しさ口惜しさ 胸もくだくる斗にて悪び涙にくれ
ければ なま中のこと問ひ出して五郎も返答あぐみはて 有て過たことには必ず付けつそへつが有る物 なん
の平家斗がそふわるふも有まいと云けせば いへ/\こんなことではない まだ大それた悪事が
有る咄しましよ いやもふ承はるに及ばぬと 聞ぬ先から耳驚かす四つの鐘 ひゞき 渡れば
あれ四郎がなかみせしまひ時 各様も宿取てお休みなされそこのいて下さんせと 云を幸い
過分/\と立のけば くどに水打ち行灯しめし道具一つも取直さず かたへのよしづさら/\と
引廻せば 五郎かねて覚女中 くらへ入れた物も盗み取る世の中 それは近頃不用心 まそつと

念を入れて置れよと気を付ければ いへ/\盗人のはいくはいしたは平家の代の時 今の源氏のじ
ひ深い せいひつな世にそんな気遣ちつ共ないこと 戸さゝぬ御代とは今の時代でござんすと
口も手本(もと)もしやん/\と仕廻て別れ立かへれば よしないことを又いふて 一度の恥に二度の口 ふ
さぎかねてぞみへにける 景清五郎をかたへに招き 聞れたるか五郎殿 賤しき女の口すらかく
の通りなれば 御一門の身の上を世上の嘲弄思ひやる 主君の仇を報ぜんと死すべき命を
ながらゆれば 死に増さる恥を聞く 此山門に鏃?を其儘置ては 末代平家の謗りを
残す 頼朝を討つは是を取捨てて後のことゝは思はずかとさゝやけば 実にも/\口すから伝る


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ことは中絶する折もあり しかに見するは情なしと いふて夜の手わざには取捨も成
まじ 人間(ひとま)を窺ひ昼のことゝ云せも立ずヤアまだるし/\ 一心の眼力を以てさがさば
しんのやみも昼同然 幸い人もしづまつたり 御邊の足是をつかんで指上ば門のかぶ
木に手はとゞかん それを伝ふてこかいへ上り垂木を一々さがして見られよ なふ其段は
御免あれ 御存じの我等け眩暈(げんうん)やみ 高い所へ上れば忽ちおこる 土の働きは何也と
指図には背くまじ アゝ聞てさへふら/\と目がまふやうなと 頭をかゝへ胸押撫づれば
よく/\人は頼まじとわらんづぬぎ捨身をかため 柱を伝ひ上らんと立寄所に

上り大内の松陰より 人声足音高提灯見へ来れば 折あししなふ五郎様 やり過し後又こ
そと打つれ木陰に忍びける 山門の内より只一人長刀を杖につき もつさ/\と来る大名
双方行逢ひそれと見るより ハアゝ岩永左衛門殿候な 御けらいにも仰付られず御大身
のかろ/\゛敷 御自身の御勤め御くらう也と挨拶す ヲゝ大日坊か 身はみだい所の旅館
へ参上し只今退出申す 夜中に只一人いづかたへ参らるゝ 元来和僧は平家のふだいかづ
さの忠清が弟 景清がおちなれば我君のさす敵 とつく誅せらるゝ筈の所を身が
取持 兄弟共に通致し只今は平家のゆかりなし 御疑いはるゝ程の御奉公申上げさせんと


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請合てついだる首 何か打捨平家の余類を尋 一手がらなふては此左衛門迄きよ
ごん者に成る ずいぶん心がけめさ ヤ それに付き和僧かおいの景清 ながらへて此世に有り 及ぬ仇
を報ぜんなどゝか様の時節心がけ 和僧を頼みくまい物でなし さあらば快く頼まれ潜かに
知らされよ 討て成り共からめて成共岩永が 高名にせねば武士道立がたし其いしゆは かげ
清にいこんはなけれ共 みおのやの四郎と云者景清を付狙ふと聞く みおのやに討たせては
根井の太夫が娘を我手に入ること叶はず 景清を我手で仕廻いみおのやにもはな
明せ 根井が娘を我手に入たさ ことを分けて頼申す合点か 是は何より安い御用

ちつ共お心くるしめ給ふな か様な御用有ふとは存ぜず 我等が高名仕らんとくめん
致し置たれ共 そこもとへ奉るあんどなされとくはい中の 一通取出し手に渡せば 提灯もてと
火かげにてらし 見ては悦び読ではうなづき いたゞいてくはい中しできた/\御坊過分 い
さいは其時さらば/\ 提灯参れと夕露の草ふみちらし通りける 後ろに立て景清は始
終とつくと聞すまし立出 貴僧は大日坊にて渡らせ給ふな 我こそ只今岩
永に頼まれ給ひし かづさの七兵衛景清と聞て俄にげうてん顔 イヤ驚き給ふな
こと/\゛く承はる 岩永に御返答は間に合いの偽りか 真実の御所存なれば手はみせぬ 御出


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家と申しおぢおいのよしみを存 下手くろしう念に念を入申すと 云せも立ず扨々々
面目ない 仏祖冥理今の返答が真実でたまる物か いやといへば即座に命をと
らるゝ それ悲しいではなけれ共 ながらへて善果をつまん為間に合い共/\ 御一門の滅亡
聞くとひとしくあんぜしは和殿がこと けんごの対面満足せり こよひこゝへ来りしは深い願
有てのこと 打明て語られよ何れの道にも疎略なしと 無二の詞に心とけ手をつかへ
貴僧の為にも平家は主君 たとへ出家の御身成り共 あへなく頼朝に滅ぼされ給ひし
うつぷんは残る筈 あはれ景清に刀をそへ頼朝がかりやへ忍び入手引をなされ下

されと思ひ かふでぞ頼みける ヲゝ安いこと/\手引せんと抜打にはつしと打をひらりとかはし
其手を取て引かつぎ大地へどうど打付けのつかゝり ムウおぢながら実の入た悪人
じやの かけがへもなき弟の儕をかん当なされ 追はらはれし我親の忠清殿は目水晶
ヤイ親程こそあらず共景清が底の根性見ぬくまいか 最前かくと知たるゆへ
まつ二つにとは思ひしが おぢは親の孝も有り礼儀も有る とかく云内心をひるがへせば
互に主君の御為と かんにんせしももふ是迄 くはん念せよとひしぎ付る ヤア待て景
清 ちつとゆるめて云こといはせい 儕おぢを殺したらば従来がよふ有まいぞ 近い


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せうこはさまの頭義朝が子の源太義平 おぢ帯刀前生(ぜんじやう)義賢を殺した故 悪
源太と異名を付られ 六条がはらで首さられしを知らぬか 儕も我を殺したら 悪
七兵衛と笑はれんよふ分別せよとへらず口 ヲ悪七兵衛は愚かのこと 鬼七兵衛蛇七
兵衛共いはゞいへ なん共ないと顎に手を懸け首捻きらんとする所を さつま五郎飛で出
きゝ腕取て引のくれば すきをあらせず大日坊ゆん手のかひなしつかと取り うんと声かけ
景清が両手を二人が土に捻ぢふせ やい景清 いかに二相を悟る共さつま五郎が此
体はがてんが行まい 大日坊と某終に対面はせね共書状を以て示し合 此度大仏く

やうを幸い頼朝を討ふ いざいかふ/\と某が進めたは 頼朝を討つでない儕をまつかふ
せん云合 深い工み思ひ知たか なふ大日坊 我が出るを待兼たで有ふの 待兼た段では
ない 景清が名を聞貴殿も御出とは知たれ共 顔みぬ内はいくせのあんじ 書状も岩永
の御めにかけ見へ次第同道申す筈 幸いのみやげサアなは打てつれ行ん尤と 腕捻廻すに
ちつ共動かず 景清くつ/\と吹出し もふぬかすことそれ迄か しびとに成て物はいはれぬ
いふておけ/\ ヤア死人とは誰がこと いふこともふないと汗水に成て身をもがく 云ことなくば是
見よと左右を一どに腕がへし ころ/\ころび打ながら生どりには叶ふまじ 首にしてつれ


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行んと抜合 はさみ立てて切かくるえたりやおふと渡り合互にみがきしやひばの光
月にうそぶくかすが野の飛火をちらして「切むすぶ 大日坊がほうがまち
おとがひかけて切付る其たち風にさつま五郎 一人立ては叶はじと跡をも見ずして逃うせ
ける エゝ大ごしぬけめ討もらせし腹立と 大日坊に乗かゝり 吭(ふえ)のくきりをぐつ/\と つきなら
す鐘の声 一つ二つ三つ四五早七つか 八つ九つも我みゝへは入ざりし 頓間(やがて)みせ出す饅頭屋が
よしずのかげに忍びいて とくより窺ひ見る共知らず衣ひつはぎけさもぎ取 すんぼろ
坊主にはぎむくり一色残さずかきkだき しがいをけちらし忍行くおぢの首切る其

かはり 名字の上総も云切て 悪七兵衛景清とは此時よりぞ申しける 女房よしず
をおどり出扨こそ/\ 景清と見ためはちがはぬ君を狙ふに疑いない かふ云内もみだい様の
御前が気遣 かりやへいかふか但夫に知らせふか いや 景清が落先を見付て置が肝
心かんもん饅頭屋が むし立て見よとしたひ行 あんもよし又しあんよしけなげ 成ける
「かすが山鹿立つみねの朝風に 敵のえいぐはや ちりぬらん かづさの七兵衛景清は こんどの供
養に頼朝を討てもうむをさんぜんと 出立衆徒のにせ姿すはだに きたの藤なはめ しけ
がな物の大鎧 草ずり長にさつくと着上に衣の玉だすき けさをむすんで鉢まきし


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敵をめいどへ送りやる 十王頭の脚当に我身をしゆごの毘沙門小手 重代のあざ
丸 あしお長に結びさげ 跡につゞきし女房の 心しめたる高からげゆだんせぬ気は一
腰の こい口早く抜かけて打従ふ共しらえの長刀 小脇にかいこみ見渡せば回廊
諸堂こと/\゛く 家々の幕兵具をかざりけいごきびしく見へたりける 音せで通ら
ばあしからんと所々に大音上げ けいごおこたり給ふなと呼はつてかけ通る こゝぞ頼朝の
かりいと思しく ひた白の大幕風になびいてやう/\たり サア仕おふせし嬉しやとのつ
さ/\と歩みしが いや/\ 内も用心さぞあらん 千里の馬も跲(けつまづき)侮てふかくをとらば一期の

かきんふてき達は無益ぞと汀のさきの小鮎をねらふ忍び追 待てと一声かけゝれば さしも
の景清びつくりしふりかへる なふ肝の太い景清我君を討ふとは あたゝか饅頭屋の女
房と思やつたらあんの外のくひ違ひ 誠は本多の近経が妻のからあや ゆふべあふた覚
てか 一寸もおくへはやらぬかへせ/\ ヤアこしやく也 女相手にする景清ならず すつこんで
いよと取合ず いや/\ そつちにせいでもこつちに成と ずはと抜て打懸るせんかた長刀
取直し石つきにて受ながしむすんづほどいつあしらへ共 女にきどくの太刀さばき ヤア
隙入めんどう也と 石つき取のべぐつとあてみに本多が妻 めくるめいてたぢ/\/\打すて


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歩み行く先の幕をひらりと押上て 打かけもるゝ追取刀 ちゝぶのおく方玉房御ぜん
すつくと立 思ひ懸なく景清は又びつくりして立とゞまる ヤア/\から綾 誰を見て
景清呼はり 其景清どれどこに ハアそれこそと教ゆればいや/\是は所の衆徒 あの出
立が唐綾めにかゝらぬか 景清ならば平家に取ても仁義をかねし勇者と聞く
我君を狙ふ共尋常になのりかけ 神妙の働きこそ有べけれ ひけうなさもしい姿
をかへ 女斗の此かりやへおとなげなふなんとこられふ 必そこついやんな 是坊様 こんどのく
やうに頼朝様は上洛なされず こゝはみだい所政子様のおかりや 坊主のくる所でない

帰らしやれ/\ 但は方角に迷ふてか ヤア/\大衆の馳走人本多次郎近経道しるべせ
よと有ければ はつと答へする/\と立出 か様の御用も有べきかととくより小陰に待受
たり 我等本多次郎近経 頼朝公の御諚を請 大仏くやうの内大衆方の御馳
走 又猥り成しかたあれば禁(いましめ)も我らの役 方角に迷ふて推参ならば道のあない
せん 狼藉ならばはからふ旨有り サア返答を承はらんとそらしらずしてぶちかゝれば
ヤアいま/\しいなんの坊主 像(かたち)をかゆるは一旦の計略頼朝を討に二つはない かづさの七
兵衛景清見て置けと 頭をつゝみしけさかなぐつて捨ければ 扨はと二人の女も詰かけ


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詰かけ眼に気を付けゆだんなし 近経しばしとおくを諌め女房をせいし ヤア景清 我
君を平家の仇主人の敵と 狙ひ奉るは以外のひがこと也 太政入道朝恩を忘れ やゝ
もすれば天子をなやまし民をくるしめし其積悪 後白河の法皇院宣を給はり
平家を亡ぼせよとの勅諚なれば 平家の敵は身のおごり 我身を我身の敵とは
知ざるか 良禽は気を見てすみ忠臣は君をえらんで仕ふ 心を改め只今より 頼朝公
に奉公せよと呼はれば ヤア頼朝に奉公せよとはなんのたはこと 二言とはかばひねり
殺してくれんずとはがみをなし エゝ口おしやこんどのくやう 頼朝上洛したれ共 かく云景清

を初め平家の余類を恐れ みだいと世上へ思はせん為 態と女原を召つれたりとさつま
五郎が注進を 彼が我を誘ひ出す計略とは心付かず 嬉しや本意を達せんと 忠を
一図に像をやつし悪び入り よしなき骨を折たよな景清が 心ざす敵は頼朝一人
臆病風引こんで鎌倉に隠れかゞめば力なし 女原本多ふぜい五万十万切て罪
作り 本望のほの字にもとゞかず 先今度はかへる/\ 時節を待て頼朝が頭は景清が
手理(しゆり)に有り かねてなごりをおしんで置けと伝へよとしんづ/\と立出る所へ手の者引ぐし
岩永左衛門どつと押よせ ヤアふがいなし近経景清をなぜかへす 手に余らば左衛門が


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受取た さつま五郎はなきかあれ討とめと呼はれば 本多は左衛門に打任せ皆々せいして
かりやに入る 身がるに出立つさつま五郎飛で出 なんと景清 五郎が計略段々とこたへる
か 我等岩永殿の御影にて知行にも主付く筈 うら山敷は降参せよ 傍輩の
よしみ取ついで得させんとのゝしつたり 景清眼をくはつと見開き あひたかつたによふう
せた 儕斗には殺生も仏も入らぬ 手並は兼て知つらんと大白黒気の其勢ひ 長刀
柄長く追取のべみぢんになさんと渡り合 百じうの洞(ほら)の内獅子のあれたるごとくにて
はらり/\となぎ立る其勢ひに 岩永左衛門人一ばんに逃失せたり 主人が逃れば手の者

共影さへみせぬ其中に 五郎一人が勝手は知らず度に迷ひうろたへ廻るを引とらへ せずやう
もなき人非人と大地にぶち付け しつかとふまへ一捻ぢねぢてぐつすりと 首引抜てつゝ立
上り 見れ共かりやしづまつて手さす敵もなかりけり よし/\こんどは遁す共我見込
たる一念力 岩にも入り 空にも乗れ 鎌倉山にもこもらばこもれ 山をつんざき岩をわり
終には本意を達せん物と長刀小脇にかい込でしんづ/\と出て行く道 せばからぬ天(あめ)
が下 敵を助くる仁者の道 古主を忘れぬ義者の道 歩むも道の道ながら誠の道は
世々にひく弓矢の 道をしるべにてゆくえ 定めずなりにける