仮想空間

趣味の変体仮名

檀浦兜軍記 第二

 

 阿古屋は妊娠していた? え゛~~~そうだっけ?

 と思ったら、三段目(阿古屋琴責めの段)でもちゃんと岩永に

  「聞けばうぬは懐胎とな」と云われているのでありました。

 

 

読んだ本 https://www.waseda.jp/enpaku/db/
      イ14-00002-523 


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  第二
清水や大じ大ひの深如海 ちかひを結ぶ御えん日其仏閣の下がはら 菊水の邊
の辻講釈かんそぐんだん三国志 講師関原甚内と紙に記し柱にかけ 紙子の長けも
いきつまりし浪人らしく一こしぼつ込 聴衆を引受けんだいにかゝり本引開き素(そ)読みす
る 此時漢王自ら承相府に至つて迎給ふ大将軍を見れば韓信也 樊?(はんくはい)いろを
失ふて御車の前に拝伏して申けるは 韓信は漂母ぶ食(じき)を乞ひ市に股をくゞりし
者也 今大将軍に拝し給はゞ項羽聞て大きに笑ひ天下の諸候も漢中に人なしと

嘲けらん 必止め給へと申ければ姜維(せうが)走り出 樊?無用の舌を動かすことなかれ 我不才
なれ共丞相の職にいて大将軍をすゝめ こと既に定つたり 樊?を縛て獄に下し
給はずんば 諸大将皆無礼に倣はんと申ければ 漢王武士に命じて樊?を縛ら
せ給ふと 扨昨日の講釈はかんそぐんだん五巻目 張良がわらふを以て蕭何(せうが)曹参
両人が韓信を大将軍になされと進め申した所でござります 今日は其次漢王壇を築いて
韓信を拝すと云下 扨只今素読致いた樊?が人がらは 各々がたの思召すは定めて
色まつかいに頬髭あれ 我儘きずいの大力日本で申さば ア坂田の金時か公平


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抔(など)が様に有ふと思召ましよ 中々強い斗でござりませぬ ちえ第一と云張良陳平にも劣らぬ大
分別者と聞へました 時に分別と云は 此本文(もん)のごとく樊?が韓信を大将軍に
拝なさるゝことは 無用也ととめたる咎 それ縛れといふやいなやがらり後手三寸
なは 牢屋へついとひいて参つた そこで佐さきがもやつき出した あそこではちよひ
くさこゝではぶつくさ なんぞと聞けば樊?殿さへあの通 況や我等韓信を大将軍に
なさるゝこと御無用と云たらさいご だまれ/\と幾千万の大将士卒皆韓信が手
下に付いた なんと我身一人縛られて大勢の口をとめ韓信が下知を聞せた樊?は

力斗でない大分別者でござりませぬか 尤と聴衆(ちやうじゆ)も聞取りよねんなく 心うはなるそら
かきくれ俄に一村ふりくれば やれ大ぶりと夕雨の足もとまらず聞く人の 皆ちり/\゛に逃帰り
残るは甚内只一人 邪魔な雨やと夕立の跡はれ渡る講釈小屋又人よりを待いたる
ふる雨は とてもかくてもしのぎなん 涙の雨ははれまなく凌ぎかねにし衣笠は 父大宮司
いざなはれ親子潜かに故郷を出心さず方そんじよそこと 音に聞つゝおとは山清水を
尋来りしが かたへを見れば講釈小屋に人待ふぜい 幸と立よりて 是物とはふ五条坂
はいづくぞやあこやと云遊君の 所を知らば教てたべ ハア是はおつれも女中方 遊興な


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さるゝでも有まいハテめんよふな人をお尋なさるゝな さればあこやと云女にあはいで
叶はぬ我々故 尾張からはる/\゛尋参つたり はてそれは遠方から御大義千万 是此道
を南へ行当り左へ上る道が有 それを一丁半程いて花扇屋の戸平次と尋 あこ
やと問へば隠れがない 是は/\忝い去ながら 名も家名も覚にくい筆があらばかしてたべ
いや筆は有合せず 其お持なされた扇子をはなへかふおあてなさるれば 花扇つい
思ひ出さるゝと座興も老の律儀に受 此扇をはなへ当ればはな扇コリヤで
きた 講釈なさるゝ程有てとんちはつめい覚た/\ 御礼は重ねて/\と娘をいざなひ尋行く

かゝる所へ取た/\と声高く 権断所のとりての役人ばら/\とかけ来り 講釈小屋を追取
まく思ひがけねど兼てのかくご 甚内床几をひらりと飛後ろの高垣こだてに取り 小
屋の柱のふしまぢかきひね竹取ておしたはめ身がまへ ヤア人たがひか名の誤ちか講釈は
致せ共召とらるゝ覚なし 上を恐れ奉れば刃物に手は懸けね共 子細を聞ぬ其うちは
ないもかゝらずサア わけをいへ聞んと八方にらんで控へたり ヤこざかしき咎上意を背くか
しさいは御前で直に聞け 物ないはせぞ打すへて引くゝれと一ばん手 じつてふり上つゝかくる
さしつたりと飛ちがへゆがめし竹のかた手をはなせばまつかうよりかたはなかけ はつしと


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はぢかれ眼くらんでたぢ/\/\徒?(よろぼひ)倒(たどり)引かへす 二ばん手はさすまたを取たとるき出す
ねらひをはづし 沈んで裾をはねさすれば向ふ脚(ずね)をあいたしこ まつさか様にでんぐり
返りすきわらせず三ばん手 つく棒取のべまいてとらんとつき出す 心へたりと身をかはし
つゝと入てすてつへい みぢんになれとしつへいはじきつくぼうからりと投捨ててべつたり
土につくばふたり 一人がゝりは叶はじと大勢四方を取廻し 乱れかゝるをこと共せず脛ぼね
かた骨当る所を幸いに 力有りたけ人有たけのふしをくだき手をくだき心をくだいて
凌ぎけるされ共防ぐは只一人 終に大勢おり重なりおさへてなはをぞかけにける 惣頭半沢

六郎成清かけ付れば組の小頭罷出 双方の働き具に相のべ目通り近く引すゆる 六郎
立寄り面体より形かつかう とつくと見届けびつくりし 扨こそ/\はやまつたることしたり
な 似は似たれ共御尋の者にはあらず人たがひ それないとけと有りければ とり手共きよつと互に
顔見合 ときかねて立かぬればなは付きも共に 驚く斗也 ヤア関ヶ原甚内とやらんなは懸けし
間もなくとけといふさぞづしん立つべし 我主人の相役岩永左衛門殿 夜前対顔の節 和
殿が噂 下がはらにて辻講釈する甚内と云者こそ 平家の侍悪七兵衛景清
に極つたり 月ばんなれ共重忠の手より召とり給へと有し故 某を召され召とり来れ去ながら


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世には似たる人も有りそこつのしかたすべからずと仰を受 実否を聞つくらふ甚内に組
の者共手柄を争ひ此仕合 彼等がそさうは六郎が誤ち手をすり申す宥免せられ
よ 去にても一こしをたいしながら 上を恐れ刃向はざる神妙さ ホウ働きのけなげさ奥
床し 甚内と云が実否かなのられよ ひろうして為あしくははからはじと 立寄てなは
ときほどけば気もほどけ扨はと あんどしてけるが 飛しさつて手をつかへ 是は却て恐れ
入りたる御詫言 日本一の剛の者と聞及ぶ景清に似たる故 御疑いに預りしは身に取て恥
辱にあらず 重忠の身内に誰あらん半沢六郎成清殿 なはといて下さる上何を不足

に 一言の御恨み申すべきこと受身の上御尋 申さねばけつく憚り有るに似たり 関原甚内
と申すは今日渡世のかりの名にて 誠は井場の十蔵一幸(かずよし)と申す浪人者 一人の老母は
ごくみの為 面(おもて)をさらす辻講釈物たべなふとこはさる斗 世に住かひもなき身のうへ お
尋によつて物語御恥しとさしうつむき 涙ぐみて見へにける 六郎下部に持せたる鳥
目十蔵が前に置せ 和殿古き文にも見つらん 龍も地中に有る時はみゝづ類ひを同じう
すれ共 上天の気をうる時は勢ひ宇宙にあふかと見へたり 今浪人の世渡は何をしても
恥ならず 立身出世は頓間のこと随分老母に仕られよ 軽少ながら此鳥目(ちょうもく)老母のかたへ


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進上申す 必々人違ひに渡世の邪魔せし心付けなどゝ思はれそと 聞もあへずいや/\/\ 只今
一せんでも申受ては人違いの堪忍代となり 詫言の料などゝ雑人の口に懸られては 貴公
も我も一ぶん立ず無用也と 戻さんとせしが待てしばし 老母に下さるゝ志つゝかへしては無礼
の至り 申受ては快からず ハテ何とせんかとせんとあたりを見廻し それよ/\是奉るくはんせ音
老母の二世をかごし給へとかたへに立たる清水のさんせん箱へ投こんだり なふ其義心を見
るに付け弥そこつの面目なや 此旨主人にごん上すべし又対面せんいざさらばと 一礼のべ
て立かへるけんいにつのらず誤りを 誤り入たる六郎が すなをもちゝぶの家がらと却て

誉めざる人はなし 十蔵跡を見送りて エゝ花も実も有武士や 万一外の役人ならば
儕がそこつをつゝまんと 何の分けも聞入ず今じぶんは後手にヲすかぬこと/\ こんな
時は早く帰つて母者人のお顔を見るが身の祈祷と 一人つぶやき是は扨 小屋を
こはいに打めいだとちりちろばひし木や竹をひろひ集むる折こそあれ 深編
笠に世を忍ぶ浪人めけ共ひれ有る男 菊水の邊に立やすらひ なふ講釈殿/\と
小手招き ヤ誰ならんと立寄てさしのぞき 是は御浪人様此頃は見へもなされず
けふはくはん音の御えん日定めてお集りなされふと けさから心待致した今御さんけいか


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お下向か お聞なされて下さりませ 私を悪七兵衛景清と申して 重忠の
けらい半沢と申す者 たつた今参つて召とらるゝ所人たがひに極り帰りしが 御らんなさ
れ小屋も打くだかれ おこし懸られと申す所がないときのどくがれば それよそながら
見申した なふ其悪七兵衛景清とは身共がことさ エ是は思ひ懸もない其景
清様が何故に 去秋お目にかゝりしより御ふびんを加へられ 今頃払底な金銀を 毎
度/\なぜ下されたと肝つぶせばいやまだ仰に段々有 一時に肝つぶすまい 今日
半沢六郎が召とりに来りしも 御身は形格好此景清に能似たる故 其似たる故某

兼て思ふやう 天下の武将頼朝を狙ふ我なれば 却て我をせんぎもきびしく用心
も又さぞあらん 頼朝に心ゆるさせゆだんを窺ひ討んには 此講釈師をこまづけ
のつ引させず腹切らせ 景清運つたなく切腹せしむる者也と 書置をそへ置かば
すは景清こそ腹切ったんなれと 京鎌倉心ゆるしゆだんは必定 其虚を窺ひ討ん物
と分別し 折々あたへし金銀は 和殿を殺さん命の値とは知らざるかと 聞てきよつ
とし驚き顔の色ちがへば いやきよつとせらるゝな まだ驚くことが有 花扇屋
の あこやが兄の井場の重蔵殿と いへば大きにげうてんし して/\私の本名あこやと


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兄弟と云こと なんとして御存なされたと興さませば 面体格好の似たる貴殿さへ
景清かとせんぎ有る我なればきびしさを推量せられよ 都に足はとゞめがたし一先立の
かんと思ふに付 五条坂へ立こへあこやに出逢ひ 右の段々をかたれば涙をながし 其講釈
師甚内と申すは井場の十蔵と云 我兄也との物語 我も聞て興さめしがかりそめ
ながらなじみ深く 子迄くはいたいせし其中に 今迄それとはなぜ知らせざりし 其心では我こと
も兄には咄すまじと尋れば 大望有御身の上兄にも心置れ 露斗も知らせずと
我をかばふあこやがてい心を聞くに付け 我禍を貴殿にぬらんと其時迄思ひ詰め物語し

我悪念虚(ぞら)恥しく一生あかめぬ此つらをもえ立やうに覚しぞや 知らぬ内はそれもぜひなし
知ては片時も捨置れず こよひ立退くをあすへ延し我心底を打明けえん者の因みを結
ばんとわざ/\是迄参りたり十蔵殿と 思ひ詫たる面色に余りのことにあきれもせず
扨はあこやを不便に思召す方よりと 老母が方へ度々のお心付も貴公よな ハアはつと
斗にさしうつむき暫く 詞もなかりしが エゝくやしや此ことをゆふべにもけさにも存じたら 半
沢が来りし時我こそかづさの景清に成すまして 仕様もやうも有た物おそかりし残
念やと こぶしをにぎり身をふるはし目をすり こする斗也 なふ其心底聞たる故 あは


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で行んもほいなさに是迄は来つたり かまへて/\我ことは心のはしにも懸らるゝな こつがら
と云器量と云 奉公す共安かるべき身なれ共 老母のまづごを見届けんと諸人に面て
をさらし辻講釈 三銭五せんの志に命をつなぎ 恥を忍ぶ親孝行かんじても猶余り
有り あこやがえんにつらなる我なれば 貴殿の老母は我母也七十に余り給ふと聞く 此
世の逗留末近し起伏し心を付られよ 着ふるしたれ共此羽織是を貴殿へ参らする
今迄送りし合力は塵づかに捨る塵ほこり 泥に投ぐる石瓦におとつて 恩にあらず情
にあらず 是斗こそ景清が誠の心を染ばおり 朝夕かたに打かけ一所に孝行頼み入る

心せかずは立寄て老母のおめにもかゝるべきが 世をも人をも忍ぶ身の無礼御めんと
つたへてたべ ずいぶんけんごに又対面お暇申すと立出る袖にすがつてなふ暫く 心はせんまん
とめたけれ共 忍ぶもかつは智略の一つ して/\落行く先はいづく云残されよ されば/\
こよひは上のだいごに一宿し 其行く先は又そこにてのしあん次第と思はれよ ヲ尤々何をいふ
もこゝは途中恐れ有り くはしきことは跡より追付物語 我行く迄は必々逗留あれ 是
かふ/\とみゝに口外には誰も菊水の いどを隔ててさゝやき合い先ずそれ迄はさらば/\ ヲゝ
さらばと互の目礼思はずも移る姿の 水鏡 それ十蔵殿其顔が此つらと なふ


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景清殿其面体が我つらと似たではないか 似た段か 思へば半沢六郎が見ちがへたるは
ハゝゝゝゝ笑ふて別れわかれける 勇者は離別に敵かずとはかゝる ことをや「夕間ぐれ
物のあやめも 見ぬあたり 小家がちにとすさみぬる筆の跡には引かへて 町のもやうも
風俗も えならず見へし五条坂たそかれ 時を恋のひる懸け行灯のほかげさへ 白く
咲きたる軒のつま 花扇屋と隠れなし 家名斗は人めきてあるじをとへば戸平次とて こゝ
ら名うての横着者色と慾とを二道に かせぎあるきて帰り足 表の口よりわめき
声 こりやどいつもみせにかつからぬ たつた今日がくれたにどこへすつ込ふせつておるぞ

竹め林めと呼立る下女も小めろも所ずれ ヲウヲけつこなだんな様 内はおきやくで
てん/\まひお料理よ吸物よと 上を下へとかへしているに 今頃戻つてうちとの者は
なんになれ アレお手がなる アゝイお林ちやつといてたもと 閙(いそがし)がればなんじや客が
とれた 町人か二本かくらひたい物じらふてずいじやないかよ いえ/\れつきとした旅の
お方 お供の衆に問たればおはりの国の去おかた こんど京へ忍びの御ゆさん 内かたのあこや
様を聞及んでのお望 随分馳走申せと現銀のしはらひ きのふのばんの丁子頭
がこんな小判に成やしたと 一包指出せばこりやでかしをつた 天晴忠義と金にあふ


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てはほや/\白い 障子の隙よりおくさしのぞき そふしてあこやはざしきに見へぬが こりや
どこに何している いえ/\あこや様は昼過から ぎおんのさの屋へ送つて それから直ぐにいつ
もの清水参り ほんにきどくなおさんでと云を打けし何がきどく 嬉しがりもしられぬ
くはん音殿へ参らふより 此おれになびきおつたらなんぼ程利生が有づぞ イヤよいこと
を思ひ出した清水へ逆(さか)よせて 戻る所ひつとらへ日頃の思ひはらしてくりよと いひ
捨て出る門へ丁のあるきが申々 何ごとがおこつたやらお代官のお使いが 名主様を会
所へ呼付け目のぬける程しかつた上 花扇屋の戸平次をつれてこいといらたでの口

上 サアちやつとござりませ ハテきよと/\しいあのつらわいの 高がなんぞの云渡し ちよぼ
いちはるな畏つた第一の宿ならぬ心へたと 判さへおせば済むことるすじやとはぬか
さいで どういんぐはな猿松め サアうせおろと先に立ちふくれづらして出て行 白波 ←
の よする渚にあらね共 こゝも流れのかり枕 跡なき夢は ついさめて 送り迎の袖の
露だてにふつ/\ あこやとは浮世にすねし恋のやみ てらすまはしが提灯にそれと
印の花扇 あるじがもとに立かへる おくのざしきに 待つも久敷虚(よひ)の月 あやしの簾かけ造り
障子半蔀(はじとみ)おし明けて 隔てぬ中の親子つれ 前(さき)の大宮司通夏は娘相手のきばらし


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酒 人の気を汲む小めろが酌 お待まされたあこや様今お帰りと知らせるにぞ 国元迄も
隠れなき花の都のお女郎 さあ/\是へと老人のふつゝかならぬ挨拶に 様子有げの一
座と見て取るあこやが胸の中 うはべだての勤めぶり ほんに浮世は味な物こんな侘びた
所さへ 色里の数に入り遠い国迄隠れなく あこやを見よふのよばふのと 心づくしに預るは公
界する身の身に取ては 忝い共本望共万ずのことはさし置きとんでも戻る筈なれど 心
に任せぬうきふしとて立破られぬ先のざしき 断りたら/\゛漸今遅いはゆるしなさんせと
たばこ吸付さし出せば 女中はきせるいたゞきて花も実も有る御仰 先ず盃申さふが

とゝ様とても自も尋聞たい分け有て 心がせけばと指よりて 平家の侍七兵衛景清
殿 過つる寿永の秋の頃御一門の御供し 西国に下り給ひしが御身の上に恙もなく
都に帰りましますと慥な便り聞ながら 終に一度のよすがもなし そもじのことは兼てより
聞て知たる深い中 七兵衛殿のお身の上 ごさり所も御存ならめ姫ごぜは相互 語つて
聞せて給はれと打付け向懸られ 扨はと弥心におさめ 其お尋はなんのこと 七兵衛さんやら
八兵衛さんやら一座流れのお客の名 当座は覚ていもせふか跡が跡迄それがまあ 寺
方かなんぞのやうに過去帳に付けては置まいし わしや知らぬわいな ことに深いの浅いのと


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みぢんこつちに覚のないに そんなこときゝややるせがないとはやり詞でまぎらかす 父
の老人そばよりひつ取りいや是は御尤 世間存ぜぬいなか女 我胸斗がてんしてやぶ
から棒の尋やう なんの有やうを答へ召れふ かく申す拙者はおはりの国 あつた明神
に仕へ申す前(さき)の大宮司通夏 是成娘は衣笠とて彼の七兵衛がつれそふ女 露程も
隔心(きやくしん)ない中 前の大宮司通夏とは兼てさたにも御聞有べし ナアニそんなむつかしい
哥がるたに有やうな 永い名は今が聞初め 衣笠様でも塗笠様でも 知らぬことは
しよことかないとけんもほろゝに云はなせば そんならどふでも我夫(つま)の景清様は知

にじや迄 エゝさもしいぞやきたないぞや さすがは娼婦(うかれめ)一夜妻少心に引くらべて本
妻の衣笠がりんきしつとの気もあろかと疑ふてのことじやの 慮外ながらあつたの大
宮司永袖と斗思ふてか 二こしさいて武士の行儀 其娘の衣笠がなんのひけうな
妬が有ふ 夫の噂のやふにもない見ると聞くとのお女郎と 心のさげしみ穂に出れば 猶
も勤めのかたぎを見せ 妬が有ふが鼠が有ふが 知らぬから構ひはせねど素人おなごの
くせとして 流れを立る身とさへいへばさもしいとのみ心の嘲 口へは出ねど顔へ出てはし
たない本妻よばはり 本妻じや妾(てかけ)じやとて夫を思ふに二つはない ヲゝ其思


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やる夫の行衛いやでもおふでも知らさにや置ぬ こりや新しいおかしいわいの めんめの
夫のゆくえを此あこやに無理にしれか アレまだしら/\しいあの顔わい エイ つべ
こべとあの口わいと互につのる女のいぢ たばこのあいそも引かへてふたりかもやす朱
煙管(らう)のきせる かつちかち/\灰吹きの口もさゝける斗也 折しも井場の十蔵は
講釈の場の人たがへ 不慮のなんぎを遁れし上景清か情の程 妹あこやに語らんと
心ざしたる遠の間の 人めにかざす扇屋の内に通れば下女小めろ 是はマア久しぶり
珎らしい御出と いふにあこやが気の配 しりめづかひの簾ごし見なれしはおりの紋

所 兄十蔵とは露知らず顔は背けし灯火の 景清と見るよりもわるい所へうと
ましと 思ふ心に思はず知らず まあ/\こよひはいんで/\とかぶりふる いや此両人罷帰らぬ
夜が明ふが日が出よふが 尋ることを聞ぬ間はいつかなことにじらぬ ヤアえいとこ
なと床の間の木枕取てねころぶにぞ ヲゝいつ迄也ときこん次第勝手次第
勝手に/\さしきへはさし合じやと 心を砕く云廻し十蔵なんの気も付かね
ば 次のざしきに人待顔 アレまだいなずじやエゝしんき 気にくはぬざしきべ
ら/\とは勤めぬと ずつと立て間の障子ばつたりさすがに衣笠は おぼこ育ちの


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気もよはく何と詞をかけ造り 下のざしきと隔てして心を 明さぬうたてさよ
あこやは次へ立やいな 時も時折も折ひよんな所へ景清様と すがりよつてヤア兄様
十蔵様 さつても似たり横顔なら形ふりなら 瓜を二つ其上に此はおり どふして
召てとふしん顔胸なでさする斗也 されば/\似たに付て けふは既にあぶないことゝ
みゝに口よせこま/\゛と驚く語る其内に 垣間見したる前大宮司娘引連れやあ
/\聟殿見付申した お隠れ有なと声かくれば衣笠も後により 是なふ聞へぬ
景清様いか程忍び給ふ共 手づから仕立し此はおり見ちがへてよい物かと 身を引

まはし顔を見てヤアこなたはけふの講釈殿か ハツ恥しとさしうつぶきしばし詞もなかりし
が 此はおり召すからは景清殿のおゆくえ こなたが知てに極りし わしに聞せていはれと
頼みにも又涙なる 十蔵も重ね/\取違へられ気もとまくれ 挨拶しどろにあ
きるれば いや/\兄様合点がいくまいあなたはな 尾張のあつたの大宮司様お娘様の
衣笠様 誠有るおかたとは経常々噂に知たれ共 今の身がらの景清様お為いかゞと心を隔て
時の拍子の云かゝり深ふおかくし申せしが 衣笠様聞てたべ 景清様の御ことは今兄様の
御咄 鎌倉よりのせんぎつよく 都の住居(すまい)も折あしければ 暫く他国に身をかくすと


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暇乞さへ言伝わざ 日陰のお身のおきとしさと語るも聞くも涙なる 父の老人
十蔵に打向ひ 景清ははや京地を立退き ゆくえもさだかに知らぬとな べん/\と
尋あるくも正真のやみに礫 幸いかな其元の形恰好景清に似たる上 定紋
のすはりたる其羽織を着されしは 我神道の一体分身取も直さぬ七兵衛景清
此前の大宮司が逢たい用事外ならず 娘衣笠に暇をくれふうふのえんを切て
たべ 頼申すとさし付けに思ひこんだる一通 聞て驚く衣笠姫とゝ様それは何おつしやる
お心の乱るゝ程御酒は上らずそもやそも 俄に狂気もなされまいが ふうふのえんを

切そふとは国元でおつしやつた お詞とは天地の違ひ わしやつんとがてんがいかぬ ヲゝがてんはい
かぬ筈 都に上り夫を尋つれ帰らんといふたはな 此父が嘘じやわやい 世になき平
家の討もらされに えんをつなぐは身の滅亡 切腹か遠島は鏡にかけていやゝの/\ 義
理も情もせなかに腹と云に悲しさやる方なく 日頃は義理も恵も有る父上と思ひ
くらせしに いつの間に其やうなひきやうなお気に成給ふ浅ましさよとかきくどく ヤア
ぐど/\と叶はぬこと是でも非でも景清に えん切らそふと始めた胸変ぜぬが神道
第一 サア景清の一体分身 娘衣笠に暇をくれめさ 一家の因みが切たいと詞するどに


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こねかくる 十蔵もきよつとせしが につくい心底恥かゝせて腹いんと ヲゝ神道の一体分
身面白し 我世渡は軍書の講釈樊?(はんくはい)をかたれば樊?が魂 張良をとけば
張良が意(こゝろばせ)其理を以て七兵衛景清が性根に成て返答すると老人が頤さき 顔
つき付けてはつたとにらみ 神は非礼を受ずと云に穢れ不浄の魂にて つらのかはのあつさの
かすねぎ そつちから望まいでもこつちにそはぬ女房さつた/\と詞も引ぬに衣笠姫
イヤすいさんな十蔵 沢山そふに人の女房 さつた/\としこなし顔しやほにおかしい よるも/\
気違の有る条此衣笠は相手にならぬぞ 相手にならふが成まいが舅が心見さげし

上は 男のかうけ離別/\ ヲゝ此父が着込からはいかにもさつぱりえんは切たい えゝなんぼ
おつしやつても 景清殿はこんりんざい我妻 かふ云たらてつきりと勘当 親子のえんをき
らふで有ふが 親子のえんを切ふより此首切て下さんせ 夫故にしぬか命ちる共灰共
思はぬ 是程に思ふ景清様の返答は どふで有ふ講釈殿と理に責られて十蔵も 感
ずる心に面を和らめ ヲゝでかした女房共 其心底を聞てはどふも去られぬ やつぱり元
のめうと/\ いやこな男はぐれり/\と心のそろはぬ景清 一たん舅がもらふた暇 いやそふ云
ても約束変がへ ヲゝそふでござんすいつ迄もえんは切らぬ いや此親がぜひさらす いやさらさ


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ぬと三方ろんぎ更にはてしもなき所へ 会所を戻る主の戸平次 いつにかはりてぐんにやり
首十方(とほう)にくれし其ふぜい しあん中戸にさしかゝれば おくには三人せり合声大宮司
景清のと 噂ちらりと聞みゝ立てはな息もせず伺ひいる 内にはおく共しらがの父いつ
迄かくと争ふても せんなきことゝ詞を和らげ 十蔵殿あこや殿 我一通りを聞てたべ コリヤ衣笠も
よつく聞け 惣じてせかいの女の子は生れし親の家を離れ 夫に住す身の上なれば子としても親の
儘ならず 去によつて親のとがを娘にかゝる法もなく 娘のとがは勿論親の見にかゝらぬと 天下一統の
式目 景清を聟に持たるとて鎌倉殿の御咎め 有べき筈はなけれ共こゝに一つの誤りは

景清西国に赴く時節 戦場迄女をぐせんもいかゞ也 預け置んと頼し故 今のなんぎは気
も付かず うか/\と預り置き疑いかゝる聟のえん エゝ一生の不調法くやしいことをしたなあと
わつたる茶碗をついで見るにひとしきぐちに立帰り そゞろに子共のかあいさふびんさ
鎌倉殿の祟りにあはゞいか成うきめにあはんも知らず アゝ怖ろしやと思ふより所詮我
身の義心を捨て 衣笠にえんを切さば三方四方の為よくと 思ひ詰たるそのし
あん臆病者の義理知らずと 笑はゞ笑へ子共の為 弓矢取見にもあらず永袖の身じや
物と 得手勝手に分別極め 生れ付きのかたいぢごかしに是程迄はやり付けしに 娘が誠の心


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底にかんじ入たる今日の景清殿 尤とは思ひながら父が心も思ひ分けて衣笠を去てくだ
されい 恥を捨ててお頼み申すと神に仕ゆる身ながらも 子故の道はふみ迷ひ胸のいはと
を引立て とこやみの夜と知られける 衣笠は猶悲しくお年は扨もよらせまい物 それ程
迄にお心の愚かにも成る物か 親を人に笑わせて子の身として嬉しからふか 思ひやつても下さん
せ ヲゝそれ程のこと弁ぬ某ではなけれどな 儕等が為世話いるに親にもぢかふどうばり
者と 気をもみいらつ老い泣きにたぐり上たる持病の痰火 せき上/\せき入ば それ/\それがお世
話かゝうとましのかたいぢやと 背撫おろしまああれへともとの一間へいたはれば 十蔵兄弟

明いた口ふさぎ兼てぞあきれいる 今迄しほれし戸平次が様子を聞て気はいそ/\ 是はあこや
の兄公(あにき)よい所へよふわせた 二人ながら近ふよりや一大事の談合が有 先高がかふじやは 代官
所の侍が会所へおれを呼付け抱のあこやを此方へ渡せ 景清がありかを責さいなんでいはす
と云た 談合とはこゝのこと あこやよく聞てたも 兄公の前で云にくけれど とふからそなたにほ
れているは 其人をいとしなげに責ふと云所へおつと云てどふやられふ 其上にたつた一人の奉公
人 花代なしにやしきへやつては 口を天井へ釣て置屋の商売がならねば 呼屋の衆も迷惑
そこで味をやつたの いえ/\あこやにそんな客はござりませぬ 其上とふから私が女房に


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引上げ 今で勤めはさせませぬとぬつぺりとやつたが 代官も賢い とかくあこやをつれ参れ直に尋る
と手詰のせんぎ こゝが談合の要所(かなめどころ)よふきゝや 是を幸いにおつと云て女房に成てたもれば
景清がせんぎマアゝそもじにはかゝらぬの 兄公そふじやないか それでも代官が呑込ぬか そこに
一つの上分別こゝが談合の要所 あれ今おくへいた大ぐじが娘 あこやがかはりにこいつをとらへ
て御せんさくなされませと 訴人したらほうびはすくな/\゛銭十二くはん それを元手にめうとづれで
?(きんご)して遊んだら面白かろでは有まいか 十蔵様は小姑妹婿の戸平次が講釈さしても置く
まいぞや サア/\此談合いやかおふか おふなら極楽いやならぢごくどふじや/\と気をいらつ

二人はめまぜにうなづき合 是はだん/\尤の御分別 なんの是が談合所あつと申せ妹 花扇屋のお
内義様とは氏なふて玉のこしときほふて見すれば ムゝウ兄公よい合点 いや見かけに似合ぬ埒
明けじやはいの サアあこやどふしやか さればいなわしじやとて木でも石でも作らぬ身 まんざら
にくふも思はねど兄様や母様の 心を今迄きがねの遠慮 おつと読めた皆迄云まい そんなら
めうとに成る気じやの はて扨兄の十蔵が水入らずのなかふど ほんにそふじやいはふて三人打て置け
しやん/\ シゝイおくのお客を逃さぬやうに 御馳走申しや女房共 たつた今会所へいて
ほうびの十くはんかたげて戻ろと 儕独りが胸ざん用はき違へたる足もとは 草履下駄やら雪


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駄やら心も付かず走り行 十蔵跡を見送つて 是々妹 一寸のぶれは尋(ひろ)延ぶると偽りは偽つたが 宿
の仕廻はしあんが有か アゝ兄様には似合ぬあんじ 此間に衣笠様いづくへなり共おとしまじ 代官所
はいさぎよふ此あこやがとらはれて 責殺されるが責てもの景清様へ心ざし わしもお前の妹
じや物 ヲゝでかしたり神妙也 其心底を聞けばあんど 某はこよひの内景清に追付きくだんを
語り 一時も早く都を遁さん 落付く所はしるべ有てと かたればちやくと両のみゝに手をおしあてゝ
アゝ是々 景清様の落付所わしに聞せて下さんすな 聞くまいと云其心は いか成る火水の責に
あふ共性根乱れぬ其内は かくしぬかふと思へ共 心の底に覚あらば身のくるしさに気もよはり 口

走るまい物でもなし わしやそれが悲しさに 乞求めても聞たい知りたい夫のゆくえうはの空 せかい
の女房の風上にも置かれぬわしはいんくは人 お中にやどした此やゝも能々のごう人 あはれと思ふて下さんせ
と悪ひ涙ぞはてしなき 十蔵も心根を不便としほるゝ気を取直し ヤア最前の詞に似ぬみ
れんの歎きに隙どりて 衣笠殿にあやまちあらば心の操皆むだこと ぬかるな妹十蔵ははや
いくぞと 跡にも心残れ共先も恩有る義理の道立別れてぞ出て行 あこやは思ひの胸押さげ
アゝ我ながらぐち涙 なんとして泣たぞと心に心恥しめて おくの一間を窺へば はや表には提灯の
光もけんいのはい/\/\ 戸平次は先に立ち鬼の首を取たるこゝち 女房共/\あこやはどこにぞ 代官


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様がお出じやおくのお客はなんとしたと とへど返事もうろつく内 庭に入込代官がさも押柄
にいかつ声 あつたの神職前の大宮司通夏はいづくに有る かく云岩永左衛門が家の子荒木
源五と云者 御邊の娘衣笠悪七兵衛景清に えんを組めばお尋者の一るい 尋向き仔細 
有り急ぎ此方へ渡さるべし いはいあらばりふじんにふんごみなは打てつれかへる 返答いかんと呼はつ
たり 前大宮司通夏少しも驚く気色なく 刀ひつ提げ娘をかこひしづ/\と立出 岩永左
衛門の下知として 我娘衣笠を召つれて帰らんとは 景清がありか尋ん為な それならば無
用になされ 西国落に別れてより景清が行衛ずんど存ぜぬ 隙づいえをいはんより立帰つて

此通り 岩永殿に聞されいはれ御大儀で有たな と嘲り詞にあら木もむうとし イヤ知らぬとて知らせず
に置ふか それ戸平次引立いと云にあこやがいや/\/\ あなたが御存ないと云せうこにはわしが立
かんまへてれうじせまいぞ 親方の戸平次殿と云にびつくりけうと息 こりやどふしや女房
共親方とはなんのこと うろたへたか女房共/\ エイいやらしい女房とは誰こと 五条坂のあこやは
景清が妾(おもひもの)とせけんに隠れない中を人聞のわるい女房呼はり置いてもらを イヤ其筈じや有る
まいがな花扇屋のお内儀様 打て置けしやん/\を忘れたか なこどの兄はどこへいた兄公/\とう
ろたへ眼 源五にばつたり行当りをはつたとねめ付け あこやを女房とは大きな偽 儕とても


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遁さぬやつ 此上は二人の女つれ帰つてがうもんする サア/\大宮司娘を渡され 忝くも鎌倉殿の御
代官 岩永左衛門が下知を受け向ふたる某 身不肖の侍と侮てあごくひ違へ後悔せらるゝ
なとけんいに任すりくつ詰 返答もせず黙然としばししあんにくれいたる ヤア人に耳物いはせ
うん共すん共答ぬは 注意を嘲とが人其方とても遁しはせじと 詞あらゝに責かくる 老人
ほつと息をつぎ 膝を打てホゝウそふじや ぐちに帰つた老ぼれ今めがさめたと持たる刀
娘の前に投出し 儕も前の大宮司が娘ぞよ 父が今迄立てぬいた片いぢむだことにせぬ
やうに がてんしたかうろたへなと いぜんのみれんに引かへて詞も涼しき目の色に 衣笠刀押戴

親のゆづりのかたいぢ 受つぐは娘の役其かたいぢを見て置けと すらりとぬいて戸
平次がかた先ずつと切さぐれば うんともつけに伏ながらたゆまぬ剛気にむしやぶり
付く 源五もさすが武士の役 刀に手をかけさゝえんふぜい父はすかさず押隔たり ヤアさはがれな
お侍 其元の相手には此しは腕とつば本くるとげ ぬかばきらんずいきほひに気を呑
れてそひかへいる 戸平次深手ながらしがみ付んと身をもがく おこしも立てずのつ
かゝり ぐつとさいたるとゞめの刀女わざにはかひ/\゛しく 大宮司声を懸け 父が譲りのかた
いぢ是迄は見届たり して其跡はなんと/\ アイ此跡はかやうにと持たる刀のきつ先を


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咽(のんど)にがはとつき立る さなくては叶じゃぬ筈 死そこなふなりつぱにせよと またゝきもせず守り
いる 衣笠顔をふり上て アゝ有がたや父上の みれんのお心ひるがへり勇(けなげ)のお顔見て死ぬれば
親子のえんも切ぬと云 大宮司が娘こそ景清が妻也と 末世末代いはるゝは我身の上の諸願
成就 神の教の高天が原 仏の道の極楽浄土に今ぞ趣く嬉しさと くるしみつゝむ笑い顔あこやは
せんかたうろ/\涙 手負は次第に息よはり今こそしやばのたそかれ時 終にはしぼむ夕がほや
五条あたりの白露と消行く身こそはかなけれ 父は歎きの色めもなく 口論によつて戸平次を討て
捨たる娘の衣笠 しがいしたればさん用をすんだり 此上にも云ぶんあらばとにがり切たる面色に ハテ相手

どし死ぬる上は此方に構はぬことゝ 歎に沈むあこやをとらへ物をもいはせず引立行く 大宮司はほい
なげに跡見送つてしがいにより ヤレ娘でかしてくれた去とてはよふしんだ エゝうぬ/\戸平次め よふ
訴人しおつたな よいきみなめにあひおつた 去とてはよふ切たぞ殺したぞ 此親が老にほれ子に
迷ひ 埒もない分別ちがひ恥の有たけ吐出したにおことが死でくれたので魂がさつぱり 景清
殿のおきゝやつたら嘸嬉しかろほうびであろ 今のりつはなさいごの体を見せぬが残り
多いわい けな娘を持たと思へば心がいそ/\するはやいとしがいをしばしおし動かし ほん
にそなたはしんだもの いきている者のやうにくよ/\とよまいごと まだぐちみれんが直らぬと


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しかつてくれな笑ふてくれな もふどふもこたへられぬ一生のみれん納め心のたけをなかせて
くれと たゝへ/\し涙の溜り わつとさけびてどうど座しぜんごふかくに見へけるが ハツアそふじや
誠にそふじや 娘がさいごの一ごんに我身の納を知らせしな 浮世のちりに交りて神に仕ゆる
よはひもなし 神道より仏道に趣く手本は聖徳太子 今より法の修行に出四天王寺
参詣し 諸人に観化をすゝむるこそ娘がぼだい我身の為 有がたし/\と指ぞへむいて髻打切
末打断ちて立出る か程涼しき仏の道何とてあつたの神垣と 隔てはあらじ此世の迷ひ 波羅拝玉意(はらいたまい)
喜余目出玉(きよめでたまふ)も利益は同じ なむあみだぶの六字は 六根清浄?さとり 行く身ぞ頼もしき