仮想空間

趣味の変体仮名

大経師昔暦 下の巻(奥丹波隠れ家の段)

 

三度目の観劇をしてきました。ばかだよね折角見に行ったのに、ところどころ寝落ちしてしまった。3部制の2部は眠くなる時間帯だし、舞台はずっと薄暗いし、疲れが溜まっているし、今日は寝るな~と思っていたら頑張ったけどやっぱり寝ちゃった。でも気持よかったー! 思い出すのは大阪に文楽を見に行ったときのこと。隣に座っていたおじいさんが幕の開くのと同時に椅子に身を埋め寝始めました。あきらかに確信犯、プロだな~と思いました。きっと長いこと常連さんなのでしょうね、わたしもいつかプロの常連になって堂々と寝ながら浄瑠璃を聞けるようになりたいとです。ひろしです。

 

さて梅龍のした事の動機が知りたい。梅龍を演じるは名手玉也さん。その人形をどなたが持つかで役の重さや傾向がわかることがあります。たとえば子役でも若手の方ではなく玉翔さんだったりすると、この子供は特別な活躍をするのだなと予想がつく。まあこれは文楽に限りませんけど。でも少なくとも文楽にはジャニーズ枠もエグザイル枠もありませんので、突拍子もない配役はないから信頼できる。

 

玉也さんは人物像を描くのがひとことで言って「うまいっ!」です。普通にお芝居はもちろん、手の仕草や歩き方やちょっとしたクセなどの動きを積み重ね、お役の人柄を丹念に示してゆきます。その仕草ひとつひとつが味わい深く、しみじみと堪りません。そして人物を構築する過程で玉也さんのハートが注がれるからでしょうか、玉也さんの持つ人形はみな心の奥に温かさや優しさを秘めています。その表現には直観的な部分もあるのかなと思っていたのですが、プログラムに玉也さん特集が組まれており役作りについて仰っているのはまず「当然ながら先輩師匠の遣われたのがお手本」そして上演する場だけでなく「上演の途絶えた段も含め全段を読み込み」「一番大事な役の性根を掴み」「それを元に場面に応じた表現をこしらえ」「場面によっては人形遣いの法則を少しずらし、より強く印象付けようとすることも」「ここまでは設計図を描くイメージ」かくて役が出来上がったら「舞台に上がる前にその設計図の痕を消す」!これだ、直観的に見えるときがあったのは設計図をすっかり消して「人形が無意識に動くぐらいになるのが理想」の状態になさっていたからだ!でも或るシーンの芝居が好きで何度も見に行ったことがあって、そこではいつも同じ動きをしてらしたし、だから幾度も見に行ったんだし、何が直観的だよあたしの目はアテにならん。

 

このように手間暇を惜しまず時間をかけて段階を踏み、お役の人柄をぐぐっと掴みぐいぐいっと引き寄せ御自身の分身のようにされる名手玉也さんが持つ役ですから、梅龍には何か一筋縄ではゆかぬ背景なり人物像があるか、なにか難しい役どころの筈。梅龍の人となりを推し量るために玉也さんのお芝居がどのようであったか、アテにならんわたくしめの目で見てみます。

 

梅龍は太平記を読んで聞かせる講釈師をしています。真面目な人です。そしてたったひとりの姪っ子を慈しんでいる。玉也さん曰く「講釈師をやるような人は大抵が浪人で一癖あるような人が多かったろうからそんな雰囲気も出せればと」はい出まくって迸ってました!そして終始一貫して梅龍の精神を貫いていたのは「怒り」だったと思います。姪の不運を嘆き、真相を知るとあとはずっと怒り狂っている。理屈をつけては元凶のひとり助右衛門を棒でバッシバシに殴ります。容赦ないです。殴り終わって棒を投げ捨てる、その手がかっこいい!と思う間もなく籠舁の頭にガシャっと当たっても目もくれず。梅龍と玉也さんの背後には怒りの炎(ほむらと読んで)が立のぼっているように見えました。そして昔から血気盛んで瞬間湯沸し器、曲ったことが大嫌いで剣の腕も立ち負け知らずだったであろう片鱗がありありと。その一方で極刑からは逃れられないと知りつつ姪の罪が少しでも軽くなるよう現実的な助言をしたり、梅龍の姪として誇り高く死ぬことを望みもします。愛する者のために真剣に頭を悩ませ考える。

 

 ★ここから下の巻の梅龍さんになります。

 

 

 

梅龍はなぜ自らの手で姪の首を討ったのか。ひとつにはおさんと茂兵衛の命を助けるため。これは姪の切なる願いでもあり、梅龍の論理では姪の犠牲の上に二人の命を救える筈でした。もうひとつには可愛い姪の哀れな姿を市中引き回しなどで世間の目に晒したくない思いがあったのではなかろうか。首は晒されるかもしれないけど生き恥よりはましかと。

 

自分の思惑が誤りだったと知った梅龍は頭を抱え地団太を踏んで激しく悔しがります。うおお~~ムッキ--!と叫び(叫んでない)助右衛門を道連れにしようと尚もあがきます。

 

梅龍はマジのガチのブチギレ、勘市さん演じる助右衛門はずる賢いが、やりこめられる姿は滑稽です。勘市さんも抽斗いっぱい持ってらして様々な芝居をなさるテクニシャンです。如何様にも動いて必要とあらばふうっと味も出す。その豊かな様式に驚く時があります。一見どたばたの梅龍と助右衛門の攻防。笑っていいのやら悪いのやら。このお芝居は、おさんと茂兵衛の三十三回忌に合せて上演されたそうです。梅龍が助右衛門をぶちまくったのはおさんと茂兵衛への追善供養、それを見て江戸時代のお客さんは喜んだかもしれないなとちょっと思いました。33年前の不倫事件をみんな覚えてるってすごいよね。

 

 やっと本文です。

梅龍の科白と芝居を中の巻と同じく紫にしました。

 

 


読んだ本 https://archive.waseda.jp/archive/index.html
      イ14-00002-487

 


34(左頁)
   下之巻(奥丹波隠れ家の段)
春たつと 去年の雪げを そのまゝに かすむも山の奥丹波 軒の
つらゝもとけ渡り 谷の水音しッたん/\ぽん/\/\となる鼓 とくわかに
御まんざいと御代もさかへましますありきやう有あら玉や 年立帰る
あしたより 水もわかやぎ木のめもさしさかえけるは 誠にめてたふ候し
京のつかさは関白殿 おりいの見かど日のもくだいり 王は十ぜん神は九ぜん
よろづやす/\ 浦やすが木のもとにて 正月三日の寅の一天たん生


35
まします 若えびすあきなひ神と 顕れ給ひてあきなひはんじやう
まもらせ給ふは誠にめでたふ候ける やしよめ/\ 京の町の屋しよめ
うつたるものはやしよめ うつたる物は何/\ 大鯛小鯛鰤の大いを
あわびさゞい はまくりこ/\はまぐりこうとうつたるものは
やしよめ 京の町のやしよめそこをば打過そばの棚見たりや そば
の棚見たりや まめにあづき 大こんかぶら かゝのごんぼけごんぼ からしのこ
さんせうの粉 からいこせうめさいの やしよめ/\ 京の町のやしよめと

うりためて千ぐはんつなぎたてゝ万ぐはんの御蔵つつしり納めて
家もふく/\ぢい様ばさまとゝ様かゝ様も わこ様ひめごぜ産みならべて
ふく/\ふく/\ ほゝんほんとぞはやしける ヲゝめでたい/\よふいはやつた
とゝ様かゝさま御ぶじなまんざい祝ひましよ 猶御じゆめうは一日づゝみ
ぼんに入てさし出すおさんの顔を不思議そうに ハア是はおくさま
お久しうござりまする 御きげんよふかはつた所で正月をなされまする
アゝつがもない わしは万ざいに近付はないわいの なんの私らを見覚へは


36
なされますまい 毎年お庭で舞ましておまへはおうへにけつかうな
ふとんしいて 腰元衆つらりとならべて御見物なされました
京烏丸大経師のおく様よふ覚えておりまする 田植が御すきで
ござりました なんとひとつまひましよかといへばさおんむねおどろき
めかごのつよひ人じやの 毎年の事でもこちはすきと覚えぬ 必々
いづかたでもさたしてたもんな わしが里のとつさま此所へ去年から
ひつそくしてござるゆへ 此頃漸見廻に来た 此ざいしよでわしは

嶋原のけいせいが 請出されて来ていると 庄屋にも誰にも
いふて置 もし人がとふたり共嶋原で見た女房じやといふてたも
少し様子も有程に今日ではなを沙汰なし 頼むぞや/\さらばまちつ
と祝はふと 銭さしぬいて五六十半紙二枚にもらすなと 家名を
つゝめばおしからず ハアかさね/\おめでたい 二三日中に京へ出まする 烏
丸へも参り御嘉例のごとくお手代衆 助右衛門様茂兵衛様とおさかづき
致しましよ 御ぶじな通り咄しましよと出んとすればなふ是々 その


37
烏丸で猶かくしたい アゝ酒にえふたら忘れてひよつといやれば
わるい 此春はもう烏丸へはいかしやんな 来年めでたふわしが
のぼつて祝ひましよ 烏丸の代に爰で盃出したいが おりしも
酒をきらした是でのんで下されと 二三匁の豆板二つのませぬ樽
の口ふさぎ ハアなんの是で申ませう 本の樽より結句木樽に酔
ましたと うまひめにあふ万歳の舌つゞみうつて出にける おさんも
うき世恐ろしくうつかりと成所へ 茂兵衛もいるあをにして立帰る エゝ

きり/\戻りはせず 此身に成てえ方参り所か たつた今毎
年京へ来る とくいのまんざいが来て不思議立たを につこらしう
うそついていなせ事はいなせたが どふやら爰にもこわけがたつて
ながふいらりよと思はぬと かたれば茂兵衛もあきれはて サア/\盆
も正月も一時に来ました 天しる地しるでこつちこそ見しら
ね 今のまんざいの格で 栗よりの柴うりのと丹波から京へ
出る者は多し あれがいひ是が聞しれたも不思議でござらぬ


38
助右衛門めを始め旦那の家が隣在所に宿とつているげな 其上
にたつた今但馬の湯入をのせて通るかごかきが めいよな事を云ました
大経師のおさんがおく丹波にかくれている様子がしれて 京の
お役所から爰の代官所へ解状(けじやう)がついて 在々を尋る其使ひのはや
かごをのせて おいの坂のおり口から二里の間を壱?(貫)四百 七百づゝあ
あたゝまつたとたつた今いふて通りましたと身をふるはしていひ
ければ ハテなんとしよう今迄がふしぎの命 され共とつ様かゝさまの

歎きの程がおいとしい 一日でもながらへるが孝行 今夜のうちに
のかふでは有まいか いかにも/\かのお心ざし壱貫め二百目つかふて
残る八百目此家ぬし助作に預け置ました 大事のおじひの此銀
をこなたとわたしが屹度だかへてしねばとて 人の宝になす事は
めうがにつきると思ひ今よつて申したれば 追付持ていかふと申 此銀
を腰に付 丹後の宮津に兄弟同前の者が有 そこ迄どふぞのき
ませうそれ迄に運つきて 死ぬる期に極つたらば 日頃申通り悪縁


39
と思ふて下されませ 私ゆへに大事のお身を捨されましたと涙くみ
打しほれて見へければ 又おなじ事斗それはたがひのいんぐはづく
只わすれぬは二人の親 扨いとしいはおさななじみの以春様 こなたも
わしもみぢんにごらぬ此心 いひわけしてしにたいと又さめ/\゛とぞ
泣いたり 家主の助作案内もせずつゝと入 ヤア新六様さつきは御出な
された 預りの八百目只置くよりはと 少し手まはし致し急にはどふもとゝのは
ぬ 一両日待てもらひましよ こなたさまもあんまりな あの様なけいせん殿

請出したうへに 銀つかふといふ様なむかしの心おやめなされと云ければ
いや是助作さん あのさんの入用ではないわいな 皆わしが入用じや勤め
の身はな ぜんせいする程世間がはつてつらい物でごんす 念頃な客
からかつた銀で 今宵中にかやさねばわけが立ぬわいな 其代にあの
さんの勘当がゆりて大坂へいなんしたら 夜るでも夜なかでもいふて
ごんせ 八百貫目や八千貫はせいもんくつされ利なしでやんすといひ
ければ あの通り/\近頃御くらう千万ながらどふぞ頼み存る ムゝいかに


40
も聞とゞけたそれ程急なとしらんだ 七つ過暮迄に屹度持
て来ませう めうとの衆の請取とる必内にござれや ヲゝいごきも
しませぬと約束かたき 銀がかたきとしらざりし身のなるはてぞ浅
ましき 扨ととろりと一はい参らせた 今のけいせいの物まねしばい御
すきの一徳 銀請とるとそのまゝかけ出していそいだら 夜の中に七
八里は心やすいみや津に落付 きれとのもんじゆの法印様に母方の縁
あれば たのむに引はなされまい そろ/\用意と帯しなをし見拵へ

する中に かな棒の音人足しきりに近付たり ヤア気味わるひハア
なむ三宝口惜い 助作めに出し抜かれた おさん様もうのがれぬ
みれんなはたらきあそばすな ヲゝ覚悟した合点じやと 表を見
れば取手の役人 助作をさきに立とつた/\ とつた/\とみだれ入茂
兵衛おくせずつゝと出 見ぐるしいお侍 あひ口一本出さゝぬ町人手向ひは
いたさぬ 世伜の時よりやわらあて身をけいこして すはといはゞ腕は
ほそく共 お侍の五人や七人は慮外ながら きやつといはせてのめらせ様も


41
しつたれ共 もとのおこりは主人のかんき 主人に手むかふ同前と思ひ
手むかひは仕らぬ 此女中に付申わけあれ共それもいらぬ物
不義ならば不義にしてサアじんしやうにくゝれ とつた/\とひつふせ/\
高手小手 顔色変ぜずしばられし男も女もけなげさに 取手のぶしは
我を折て哀といはぬ人もなし おさんすゞしきめの中にて助作をはつたと
にらみ エゝさもしい土百姓 おのれ少しの欲にめでゝよふ訴人しおつたな 申
殿様 あいつに八百目のかねを預け置ました かうなつた身に金銀はいらね共

是は親のなさけの銀 京へのぼして黒谷へ上て下されませと いひ
もきらぬに助作まが/\しき顔付にて アゝ恐ろしい女ね いつおのれ
に粒三文もかつた覚えはない 五十日斗家かして 宿賃の米の味噌
のと算用したらば二三百目もくる筈じや 八百目あづけたとはい
きがたりめと あらがふ所を茂兵衛なは取引立つ 助作が横腹はつたとけ
たおし 是式のめくさり銀 おのれふぜいにいつはりをいはふか よい/\
おのれにくれた 八百目の銀うぬが根性相応に げんぜは長じやと


42
悦んでえんまのまへで算用せいと つらぼね三つ四つふみつけ/\
さらぬ顔にていたりけり かくと聞より助右衛門嬉しべに走り付 私は
此度お願ひ申あげし御領内助作がいとこ 京大経師以春手代
助右衛門と申す者 御くらう千万におさん茂兵衛様からめ下され 我々主従
本望大悦仕る 縄付二人請取早々のぼり申たし お渡しなされ
下されとつゝしんでのべければ 役人気色をかへそいつ引のけ すいさん
至極な縄付を渡せとはおのれにたのまれとりはせぬ 京都より

解状によつてからめとり すぐに京のろう屋へひき渡す
ことにだん/\せんぎ有もの りよぐはいをぬかしたらおのれともに
からめるとしかられて助へもん もみ手をしてのく所へあか松
はいりう はやかごにてかけつけくびおけひつさげつか/\と出
われらはだいきやうじいしゆんがげぢよ 玉と申す者のうけ人
すなわち伯父 あかまつばいりうと申もの 此たびおさん茂兵衛
かけおちの事ゆめ/\両人の不義はなく 此玉がよしなき


43
ことばを聞ちがへしつとの心あまつて 間ちがいのあやまり
にておもはず不義のきよめいをとる事 せんずる所玉めが口
からなすわざとが人は一人 すなはち玉が首うつて参るからは 両人
の命御たすけ下さるべしとふたをとれば玉が首 おさん茂兵衛は一め
見て はや先たつたかはかなやときへ/\とこそ成にけれ 代官の役人
手を打て ハアゝはやまられたばいりう 此両人のめしうとはとがの
じつふ定まらず 京都において中立の女 其玉をせうこに

せんぎあらば事の次第あきらかにあらはれ 両三人ともに
たすかる事も有べき物を かんじんかなめせうこにんの首を
うつて 何をせうこにせんぎ有べきしるべもなし 残念/\
二人のざい人は極つたり くびも一所に京都へわたせ早々ざい
人引ませい うけ給はるとひつ立れば梅龍つゝ立じだんだふみ
エゝはやまつたしそんじた 七十に及ぶ梅龍がでかしだてして一生
のあやまり むだ/\と腹きるもひとり物にくるふに似たり 相手


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がなほしやなあ ヤア助へもんよい相手 おのれを切て人をころした
あやまりと ともにざいくはにおこなはれんとするりぬいて打付れ
ば まつかうをしてやられあけに成て逃たりけり 首をとらずに
おかふかとかけ出るを大ぜい取付 らうぜきさせぬそこつさせぬと
だきとむる らうぜきがてんじやはなせ/\とかけ出すもとまるは
老のちからにて とまらぬものはとが人を引ゆくこまも
めになみだ くつはにかゝるしらあはのあはれを のこす(次第なり)

 

  おしまい。 と思いきや、つづく!