仮想空間

趣味の変体仮名

好色五人女 巻三 中段に見る暦物語

 

先日まで読んでいた「大経師昔暦」のもととなった事件を井原西鶴が「好色五人女」に取上げ脚色したと文楽公演のプログラムにありましたので、翻刻はいくらもありますが折角なので読んでみました。事件は、京都烏丸通り四条下ルの大経師浜岡権之助(後剃髪して意春)の妻さんが手代の茂兵衛と関係し、仲立ちとなった下女の玉と共に丹波で潜伏中に捕らえられ天和三年(1683)九月二十二日に粟田口で処刑されたというものだそうです。西鶴の「好色五人女」は貞享三年(1686)に刊行されました。近松の「大経師昔暦」は事件当事者たちの三十三回忌に当たる正徳五年(1715)に大阪竹本座にて初演されました。

茂右衛門=茂兵衛。

 


読んだ本 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2544918?tocOpened=1

 
2(左頁)
好色五人女 巻三

 中段に見る暦屋物語

    目録
一 姿の関守 京の四条はいきた花見有
二 してやられた枕の夢 灸(やらひ)すゆるよりおもひに燃ゆる有


3
三 人をはめたる湖 死にもせぬ形見の衣装有
四 小判しらぬ休み茶屋 都に見し土人形
五 身のうへの立聞 夜の編笠子細もの有

 

  姿の関守
天和二年の暦正月一日吉書萬(よろづ)によし二日姫はじめ
神代のむかしより此事恋しり鳥のをしへ 男女のいた
づらやむ事なし 爰に大経師の美婦とて浮名の立
つゞき 都に情の山をうごかし祇園会の月鉾かつらの
眉をあらそひ 姿は清水の初桜いまだ咲かゝる風情 口
びるのうるはしきは高尾の木末色の盛と詠めし すみ
所は室町通 仕出し衣装の物好み当世女の只中
広い京にも又有べからず 人のこゝろもうきたつ春
ふかくなりて 安井の藤今をむらさきの雲のごとく
松さへ色をうしなひたそかれの人立 東山に人姿の


4
山を見せける 折ふし洛中に隠れなきさはぎ中間の男
四天王 風義人にすぐれて目立親よりゆづりの有にま
かせ 元日より大晦日(おふつこもり)迄一日も色にあそばぬ事なし き
のふは嶋原にもろこし花崎かほる高橋に明しけふは
四条川原の竹中吉三郎唐松歌仙藤田吉三郎光瀬
左近なと愛して 衆道女道を昼夜のわかちもなく
さま/\゛遊興つきて 芝居過より松屋といへる水茶屋
に居ながれ かふ程見よき地女の出し事もなく 若し
も我等が目にうつくしきと見しもある事もやと役
者のかしこきやつを目利き頭に 花見がへりを待つ暮々
是をかはりたる慰みなり 大かたは女中乗物見ぬがこゝろ

にくし 乱れありきの一むれいやなるもなし 是ぞと思ふもなし
兎角はよろしき女斗書とめよと硯紙とりよせてそれ
を移しけるに 年の程三十四五と見えて首筋立のび
目のはりりんとして額のはへぎは自然とうるはしく鼻
おもふにはすこし高けれども それも堪忍頃なり下に白
ぬめのひつかへし 中に浅黄ぬめのひつかえし上に椛
つめのひつかへし 本絵にかゝせて左の袖に吉田の
法師が面影 ひとり燈(ともしび)のりとにふるき文など見たの
もんだんさりとは子細らしき物好み帯は敷瓦の折びろうど
御所かづきの取まはし薄色の絹足袋三筋緒の雪駄
もせずありきてわざとならぬ腰のすはり あの男めが


5
果報と見る時何かした/\゛へ物をいふとて口をあきしに
下歯一枚ぬけしに恋を覚ましぬ 間もなふ其跡より十五
六七にはなるまじき娘 母親と見えて左の方に付き右の
かたに墨衣きあるびくにの付て 下女あまた六尺供をか
ため大事に掛くる風情 さては縁付き前かと思ひしに かね付け
て眉なし顔は丸くして見よく 目にりはつ顕はれ耳の
付やうしほらしく 手足の指ゆたやかに皮薄ふ色白く
衣類の着こなし又有べからず 下に黄むく中に紫
の地なし鹿の子 上は鼠じゆすに百羽雀のきりつけ 段
染めの一幅帯むねあけ掛て身ぶりよく ぬり笠にと
ら打て千筋こよりの緒を付 見込みのやさしさ是一度

見しに脇顔に横に七分あまりのうち疵あり 更にうまれ
付とはおもはれず さぞ其時の抱き姥をうらむべしと 皆々
笑ふて通しける さて又二十一二なる女の綿(もめん)の手織嶋を
着て 其うらさへつぎ/\を風ふきかへされ恥をあらはし
ぬ 帯は羽織のおとしと見たて物哀れにほそく 紫のかわ
たび有にまかせてはき かたし/\゛のなら草履ふるき置き
わたして髪はいつ櫛のはを入しや しどもなく乱れしをつい
そこ/\にからげて 身に様子もつけず独りたのみて行
をみるい 面道具ひとつもふそくなく 世にかゝる生れ付き
の又有る物かと いつれも見とれてあの女によき物を着
せて見ば 人の命を取べしまゝならぬはひんふくと哀


6
にいたましく其女のかへるに忍びて人をつけける誓願寺
通のすへなる たばこ切の女といへり聞に胸いたく煙の種
ぞかし 其跡に廿七八の女さかりとは花車(きやしや)に仕出し 三つ重ね
たる小袖皆くろはぶたへに裾取の紅(もみ)うら金のかへし紋
帯は唐織寄嶋の大幅前にむすびて 髪はなげ嶋田
に平鬠(もとゆひ)かけて 対のさし櫛はきかけの置き手拭 吉弥
笠に四つがはりのくけ紐を付て 顔自慢にあさくかづき
ぬきあし中びねりのあるきすがた是々是しやだまれ
とをの/\近づくを待ちみるに 三人つれし下女共にひと
り/\゛三人の子を抱かせめる さては年子と見へておかし
跡からかゝ様/\といふを聞ぬ振して行 あの身にし

ては親子ながらさぞうたてかるべし 人の風俗もうまぬう
ちが花ぞと 其女無常のおこる程どやきて笑ひける また
ゆたかに乗物つらせて 女いまだ十三か四か髪すき流し
先をすこし折もどし 紅ひの絹たゝみてむすび前髪若
衆のすなるやうにわけさせ 金元結にて結はせ五分櫛
のきよらなるさし掛 まづはうつくしきひとつ/\いふ迄
もなく 白しゆすに墨形の肌着上は玉むし色のしゆす
に孔雀の切付け見へすくやうに其うへに唐糸の網を賭
さてもたくみし小袖に十二色のたゝみ帯 素足に紙
緒のはき物 うき世笠跡より持たせて 藤の八房つらな
りしをかざし 見ぬ人のためといはぬ斗の風義今朝


7(挿絵)


8
から見尽せし美女とも是にけをきれて其名ゆかしく
尋けるに室町のさる息女今小町と云捨てて行 花の
色は是にこそあれいたつらものとは後に思ひあはせ侍り

  してやられた枕の夢
男世帯も気さんじなる物ながら お内儀のなき夕暮
一しほ淋しかりき 爰に大経師の何がし年久しく
やもめ住せられける 都なれや物好の女もあるに品形す
ぐれてよきを望めば心に叶ひがたし 侘ぬれば身を浮草
のゆかり尋ねて 今小町といへる娘ゆかしく見にまかりける
に 過し春四条に関据て見とがめし中にも 藤をかざ

して覚束なきさましたる人 是ぞとこがれてなんのかの
なしに縁組を取いそくこそおかしけれ 其頃下立売烏丸
上ル町に しやべりのなかとて隠れもなき仲人がゝ有 是
をふかく頼樽のこしらへ 願ひ首尾して吉日をえらひて
おさんをむかへける 花の夕月の曙此男外を詠もやら
ずして夫婦のかたらひふかく三とせが程もかさねけるに
明け暮世をわたる女の業を大事に 手づからべんがら糸
に気をつくしすへ/\゛の女い手紬を織らせて わが男の
見よげに始末を本とし 竃も大うくべさせずに遣い帳を筆
まめにあらため 町人の家に有たきはかやうの女ぞかし
次第に栄へてうれしさ限りもなかりしに 此男東の方


9
に行く事有て 京に名残は惜めど身過程悲しきはなし
思ひ立旅衣室町の親里にまかりて あらましを語りし
に我娘の留守中を思ひやりて萬にかしこき人もがな
跡を預けて表むきをさばかせ内証はおさんが心だすけ
にも成べしと 何国(いずく)もあれ親の慈悲心より思ひつけて
年をかさねてめし遣ひける茂右衛門といへる若きものを
聟のかたへ遣はしける此男の正直かうべは人まかせ額ち
いさく袖口五寸にたらず髪置して此かた編笠をか
ぶらず ましてや脇差をこしらへず 十露盤を枕
に夢にも銀(かね)もふけのせんさくばかりに明かしぬ 折節
秋も夜嵐いたく冬の事思ひやりて 身の養生の

為とて茂右衛門灸おもひ立けるに腰元のりん手かるく据
る事をえたれば 是をたのみて もぐさ数捻りてりんが
鏡台に嶋の綿ふとんを打かけ 初め一つ二つはこらへか
ねて お姥から中いからたけまでも其あたりをおさへて
顔しかむるを笑ひ/\跡程煙つよくなりて 塩灸を待ち
兼しい自然と据落して背骨つたひて身の皮ちゞみ
苦しき事暫くなれども 据へ手の迷惑さすおもひやりて
目をふさぎ歯を喰しめ堪忍せしを りんかなしくもみ
消して是より肌をさすりそめて いつろなくいとしや
とばかり思ひ込人しれずこゝちなやみけるを後は沙汰し
ておさん様の御耳にいれどなをやめがたくいりぬ りん


10
いやしかるそだちにして物書く事にうとく 筆のたよりを
なげき久七が心覚へほどにじり書をうらやましく ひそかに
是をたのめば茂右衛門よりは先へ 恋を我物にしたがるこそ
うたてけれ 是非なく日数ふる時雨も偽りのはじめごろ
おさん様江戸へつかはされける御状の次手に りんがち
は文書きてとらせんとざら/\と筆をあゆませ茂のじ
様まいる身よりとばかり引むすびて かいやり給ひし
をりんうれしく いつぞの時を見合せけるに見せより
たばこの火よといへ共折から庭に人のなき事を幸に
其事にかこつけ彼文を我事我と遣しにける茂右衛門
もながな事はおさん様の手ともしらず りんをやさしきと

計りにおもしろおかしきくり事をして又渡しける 是を
よみかねて御きげんよろしき折ふし 奥さまに見せたれば
おほしめしよりておもひもよらぬ御つたへ此方も若ひものゝ
事なればいやでもあらず候へどもちぎりかさなり候へば取
あげばゝがむつかしく候去ながら着物羽織風呂銭身だ
しなみの事共を其方から賃を御かきなされとくいや
ながらかなへてもやるべしとうちつけたる文章去迚は
にくさもにくし世界に男の日照はあるまじりんも大
かたなる生れ付き茂右衛門程成男をそもや持かねる事や有
ことかさねて又文にしてなげき茂右衛門を引なびけてはま
らせんとかづ/\書くどきてつかはされける程に茂右衛門文


11
つらより哀ふかくなりて始の程嘲りし事のくやしく
そめ/\と返事をして五月十四日の夜はさだまつて影
待あそばしけるかならず其折を得てあひみる約束いひ越
ければおさん様いづれも女房まじりに声のある程は笑
てとてもの事に其夜の慰みにも成ぬべしとおさんさま
りんに成かはらせられ身を木綿(きわた)なるひとへ物にやつし
りんふ断の寝所に暁がたまで待給へるにいつとなく
心よく御夢をむすび給へり下々の女どもおさん様の御
声たてさせらるゝ時皆々かけつくるけいやくにして手
毎に棒乳切木手燭の用意さして所々にありしが宵
よりのさはぎに草臥て我しらず鼾をかきける七つの鐘

なりて後茂右衛門下帯をときかけ闇(くら)がりに忍び夜着
下にこがれて肌身をさし込心のせくまゝに言葉かはし
けるまでもなくよき事をしすまして袖の移り香しほらし
やと又寝道具を引きせさし足して立のきさてもこざ
かしき浮世やまだ今やなどりんが男心は有ましきと思ひ
もふ我さきにいかなる人か物せし事ぞとおそろしく重ては
いかな/\おもひとゝまるに極めしも後おさんはおのずから
夢覚ておとろかれしかは枕はづれてしどけなく帯はほど
けて手元になく鼻紙のわけもなき事に心はづかしく成
てよもや此の人にしれざる事あらじ此うへは身をすて
命かきりに名を立て茂右衛門と死手の旅路の道づれとなを


12
(右頁挿絵)

(左頁)
やめがたく心底申きかせければ茂右衛門おもひの外なるおもはく
違ひのりかゝつたる馬はあれど君をおもへば夜毎にかよひ人
のとがめもかへりみず外なる事に身をやつしけるは追付生(しやう)
死の二つ物掛是ぞあぶなし

  人をはめたる湖
世にわりなきは情の道と源氏にも書残せし爰に石山寺
の開帳とて諸人袖をつらね東山の桜は捨て物になして
行もかへるも是や此関越て見しに大かたは今風の女出
立どれかひとり後世わきまへて参詣(まうて)けるとはみへざりき
皆衣装くらべの姿自慢此心ざし観音様もおかしかるべし


13
其頃おさんも茂右衛門つれて御寺にまいり花は命にたとへ
ていつ散るべきもさだめがたし此浦山を又見る事のしれざ
ればけふのおもひおふと勢田より手ぐり舟をかりて長橋
の頼みをかけても短きは我々がたのしひと波は枕のとこの山
あらはるゝまでの乱れ髪物思ひせし顔はせを鏡の山も
曇る世に鰐の御崎ののがれかたく堅田の舟よばひも若し
やは京よりの追手かと心玉もしづみてながらへて名柄山我
年の程も爰にたとへて都の富士廿(はたち)にもたらずして
頓て消ゆべき雪ならばと幾度袖をぬらし志賀の都は
むかし語りと我もなるべき身の果ぞと一しほに悲しく竜
灯(とう)のあがる時白髭の宮所につきて神にいのるにぞいとゞ

身のうへはかなく兎角世にながらへる程つれなき事こそ
まされ此湖に身をなげてなかく仏国のかたらひといひければ
茂右衛門も惜からぬは命ながら死んでのさきはしらずおもひつけ
たる事こそあれ二人都への書置残し入水せしといはせて此
所を立のきいかなる国里にも行て年月を送らんといへば
おさんよろこび我も宿を出しより其心掛けありと金子五
百両挿み箱に入来りしとかたればそれこそ世をわたるたね
なれいよ/\爰をしのべとそれ/\に筆をもこし我々
悪心おこりてよしなきかたらひ是天命のかれず身の置
所もなくと今月今日うき世の別れと肌の守に壱寸八ぶの
如来に黒髪のすへを切添へ茂右衛門はさし馴し壱尺七寸の


14(挿絵)


15
脇差関和泉守銅(あかね)こしらへに巻龍の鉄鍔それぞと人
の見覚しを跡に残し二人が上着女草履後男雪踏(せつだ)こ
れにまで気を付て岸根の柳がもとに置き捨て此濱の
猟師ちやうれんして岩飛とて水入(すいり)の男をひそかに二
人やとひて金銀とらせて有増(あらまし)をかたれば心やすく
頼まれてふけゆく時待合せけるおさんも茂右衛門も身こ
しらへして借家の笹戸明け掛け皆々をゆする起して
思ふ子細のあつて只今最期なるぞとかけ出あらけな
き岩のうへにして念仏の声幽かに聞えしが二人ともに
身をなげ給ふ水に音ありいつれも泣さはぐうちに
茂右衛門おさんを肩に掛て山本わけて木ふかき杉村

に立のけばすいれんは浪の下くゞりておもひもよらぬ汀
にあかりけるつれ/\゛の者共手をうつて是を歎き浦
人を頼みさま/\゛さがして甲斐なく夜も明け行ば泪に形
見色々巻込め京都にかへり此事を語れば人々世間を
おもひやりて外へしらさぬ内談すれども耳せはしき
世の中此沙汰つのりて春慰みにいひやむ事なくて
是非もなきいたづらの身や

  小判しらぬ休み茶屋
丹波越の身となりて道なきかたの草分け衣茂右衛門お
さんの手を引てやう/\峯高くのぼりて跡おそろし


16
くおもへば生きながら死んだぶんいなるこそ心なからうたてけ
れなを行さき柴人の足形も見えず踏まよふ身の哀
も今女のはかなくたどりかねて此くるしさ息も限りと
見えて顔色替りてかなしく岩もる雫を木の葉に
そゝぎさま/\養生すれども次第にたよりすくなく
脉もしづみて今に極まりける薬にすべき物とてなく
命のおはるを待居る時耳ぢかく寄せて今すこし先へ
行ばしるべある里ちかくさもあらば此浮きをわすれてお
もひのまゝに枕さだめて語らん物をとなげゝは此事おさん
耳に通じうれしや命にかへての男じやものと気を取
なおしけるさては魂にれんぼ入かはり外なき其身いた

ましく又負ふて行程にわづかなる里の垣ねに着きけり
爰なん京への海道といへり馬も引違ふ程の岨(そは)に道
もありけるわら葺ける軒に杉折掛けて上々諸白あり
餅も幾日(か)になりぬほこりをかづきれ白き色なし
片見世に茶筅土人形かぶり太鼓syこしは目馴れし
都めきて是に力を得しばし休みて此うれしさにあるじ
の老人に金子一両とらしけるに猫に傘見せたるごとく
いやな顔つきして茶の銭置給へといふさても京より此所
十五里はなかりしに小判見しらぬ里もあるよとおかしく
なりぬそれより栢原(かやばら)といふ所に行てひさしく音信(おとづれ)
絶へて無事をもしらぬ姨(おば)のもとへ尋ね入て昔を語れば


17
石流(さすが)よしみとてむごからず親の茂介殿の事のみいひ
もらして泪片手夜すがら咄し明くればうるはしき女﨟(ぢよらふ)に
不思議を立いかなる御かたぞとたづね給ふに是さしあた
つての迷惑此事までは分別もせずして是はわたくし
の妹なるが年久しく御所方にみやづかひせしが心地な
やみて都の物がたき程ひを嫌ひ物しづかなる かゝる山家
に似合はせの縁もかな身をひきさげて里の仕業の庭は
たらき望にて伴ひまかりける敷銀も貮百両斗たく
はへありと何心もなく当座さばきに語りける何国もあれ
欲の世中なれば此姨是におもひつきそれは幸の事こそ
あれ我一子いまだ定る妻とてもなしそなたものかぬ中な

れば是にと申かけられさても気の毒まさりけるおさん
しのびて泪を流し此行すへいかゞあるべしと物おもふ所へ
彼男夜更てかへりし其様すさましやすぐれてせい高く
かしらは唐獅子のごとくちゞみあがりて髭は熊のまぎれ
て眼赤筋立て光つよく足手其まゝ松木にひとし
く身には割織(さきをり)を着て藤縄の組帯して鉄砲に切
火縄かませうに兎狸を取入是を渡世すと見えける其
名をきけば岩飛の是太郎とて此里にかくれもなき
悪人都衆と縁組の事を母親語りければむくつげなる
男も是をよろこび善はいそぎ今宵のうちにとびん
鏡取出して面(おもて)を見るこそやさしけれ母は盃の用意


18
とて塩目黒に口の欠けたる酒徳利を取まはし筵屏風に
て弐枚敷ぼとかこひて木枕二つ薄縁二枚横嶋のふとん
一つ火鉢に割松もやして此夕一しほにいさみけるおさん
かなしき茂右衛門迷惑かりそめの事を申出して是ぞ因果
とおもひ定め此口惜しさまたもうきめに近江の海にて死ぬ
べき命をながらへしとても天われをのがさずと脇差
取て立をおさん押とゞめてさりとは短しさま/\゛分別
こそあれ夜明て爰を立のくべし萬事は我にまかせ
給へと気をしづめても夜は心よく祝言の盃取かはし我
は世の人の嫌ひ給ふひのへ午なるとかたれば是太郎聞
てととへばひのへ猫にてもひのへ狼にてmそれにはかま

はずそれがしは好みて青とかけを喰てさへ死なぬ命と
年廿八迄虫ばら一度おこらず茂右衛門殿も是にはあや
かり給へ女房共は上方そだちにして物にやはらかなるが
気にはいらねども親類のふしやうなりとひざ枕してゆた
かに臥しけるかなしき中にもおかしくなつて寝入るを待
かね又床を立のきなを奥丹波に身をかくしけるやう/\
日数ふりて丹後路に入て切戸の文殊堂につやして
まどろみしに夜半とおもふ時あらたに霊夢あり汝等
世になきいたづらして何国までか其難のがれがたし
されどもかへらぬむかしなり向後(きやうかう)浮世の姿をやめて
惜しきとおもふ黒髪を切出家となり二人別れ/\に住みて


19
(挿絵)


20
悪心さつて菩提の道に入ば人も命をたすくべしとあ
りがたき夢心にすへ/\は何にならふともかまはしやるな
こちや是がすきにて身に替ての脇心文殊様は衆道
かりの御合点女道は嘗てしろしめさるまじといふかと思へ
ばいやな夢覚めて橋立の松の風ふけば塵の世じや物と
なを/\やむ事のなかりし

   身の上の立聞
あしき事は身に覚て博奕打まけてもだまり傾城買
取あげられてかしこ顔するものなり喧嘩しひけとる
分かくし買置の商人損をつゝみ是皆闇(くら)がりの犬の糞

なるべし中にもいたづらかたぎの女を持あはす男の
身にして是程なさけなき物はなしおさん事も死にけ
れば是非もなしと其通りに世間をすまし年月の
むかしを思ひ出てにくしといふ心にも僧をまねきて
なき跡を争ひける哀や物好の小袖も旦那寺のは
たてんかいと成無常の風にひるかへし更に又なげきの
種となりぬれば世の人程だいたんなるものはなし
茂右衛門そのりちぎさ闇には門へも出さりしがいつとなく
身の事わすれて都ゆかしくおもひやりて風俗いやし
けになく編笠ふかくかづきおさんは里人にあづけ置き無
用の京のぼり敵持つ身よりはなをおそろしく行に程


21
なく広沢のあたりより暮れ/\になつて池に影ふたつの
月にもおさん事を思ひやりておろかなる泪に袖を
ひたし岩に数ちる白玉は鳴瀧の山を跡になく御室北
野の案内しるよしていそげば町中に入て何とやら
おそろしげに十七夜の影法師も我ながら我をわsy
れて折々胸をひやして住馴れし旦那殿の町に入てひ
そかに様子を聞けば江戸銀のおそきせんさく若ひもの
集つて頭つきの吟味綿着物の仕立ぎはをあらためける
是も皆色よりおこる男ぶりぞかし物捨せし末を聞にさて
こそ我事申出しさても同じ茂右衛門めはならびなき美人
をぬすみおしからぬ命しんでも果報といへばいかにも/\

一生のおもひおといふもありまた分別らしき人のいへる
は此茂右衛門め人間たる者の風うへにも置くやつにはあらず
主人夫妻をたぶらかし彼是ためしなき悪人と義理
をつめてそしりける茂右衛門立聞して慥今のは大文字
屋の喜介めが声なり哀をしらずにくさけに物を
いひ捨つるやつかなおのれには預り手形にして銀八拾目
の取替あり今のかはりに首おさへても取べしと歯き
しめて立けれ共世にかくす身の是非なく無念の堪
忍するうりに又ひとりのいへるは茂右衛門は今にしなずに
どこぞ伊勢のあたりにおさん殿をつれて居るといの
よい事をしほると語る是を聞と身にふるひ出て俄


22
にさむく足ばやに立のき三条の旅籠屋に宿かりて
水風呂にもいらず休みけるに十七夜代待ちの通りしに十
二灯を包みて我身の事すへ/\しれぬやうにと祈りける其
身の横しまあたご様も何としてたすけ給ふべし明くれば
都の名残とて東山しのび/\に四条川原にさがり藤田
狂言つくし三番つゞきのはじまりといひけるに何事や
らん見てかへりておさんに咄しにもと円座かりて遠目
をつかひもしも我をしる人もと心元なくみしに狂言も人
の娘をぬすむ所是さへきみあしくならび先のかた見れば
おさん様の旦那殿たましい消てぢごくのうへの一足飛玉なる
汗をかきて木戸口にかけ出丹後なる里にかへり其後は京こ

はかりき折節は菊の節句近付きて毎年丹波より栗商人の来たり
しが四方山の咄しの次手にいやこなたのお内儀様はと尋けるに
首尾あしく返事のしてもなく旦那にかい顔してそれはてこねたと
いはれける栗売重ねて申は物みは似た人も有物かな是の奥様
にみぢんも違はぬ人又若人も生うつしなり丹後の切戸の辺に
有けるよと語り捨ててかへる亭主聞とがめて人遣はし見けるにお
さん茂右衛門なれば身うち大勢もよふしてとらへに遣はし其科の
かれす様々のせんぎ極め中の使いせし玉といへる女も同し道筋
にひかれ粟田口の露草とはなりぬ九月廿二日の曙のゆめ
さら/\最期いやしからず世語りとはなりぬ今も浅黄の
小袖の面影見るやうに名はのこりし