仮想空間

趣味の変体仮名

妹背山婦女庭訓 第四・第五(井戸替~杉酒屋~道行~鱶七上使~姫戻り~金殿~入鹿滅亡~志賀都)

 

 

 杉酒屋(今西酒造

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読んだ本 https://www.waseda.jp/enpaku/db/
      ニ10-00469  ニ10-02226


70(左頁)
    第四
井戸替の段)引たり ヲウ 引たり ヲツト文月七日例年の 水を新井に繰返す釣瓶の縄も三輪の里 酒
商売の世杉屋が身過の水の内井戸をわけて 祝ひの賑はしき サア/\済だと取々に御酒洗米(あらひよね)備へ
物 皆々汗を入にける 主の母は納戸より運ぶ用意の酒肴 いつにないほや/\機嫌 近所の衆となたも
大義でござんした 嘉例の通り酒盛して 暮る迄ゆつくりと遊んでいんで下さんせ コレ土左衛門さん
年かさにお前から酒始めて下さんせ アゝ又雑作なよしにさんせいで おいらが相借屋で手伝ふのも 年
中爰の井戸の水をつかふ恩返し のふ五洲兵衛どふじやないか ヲゝそふ共/\気をはやつて貰ては術ない


71
是か又いつもの通り賑やかに遊びましよ サア野平藤六 さはごぞや/\ ホンニ夫はそふと コレかみさん
見れば爰にもてらやの様に 七夕様が祭て有な サイノ マア見て下さんせ 愛たてないと思はんしよが こちの
娘のアノお三輪 何やら星様に願が有迚 あの様に内で祭も色々の備へ物 ませた世界じやな
いかいな ホゝそりやマア奇特なこつちや そして此お娘は留主かへ アイちいさい時いたてら子やへ 七夕に呼
れました サア/\ 一つ呑で下さんせ ヤイ小太郎 酌をしからぬか どりや吸物に豆腐でも焚て来
ましよと母親は 納戸へ入ば打くつろぎ廻る盃底なし共 引受/\いつき呑 肴の鉢を引寄せて箸
放さずのめつた喰ひ 丁稚の子(ね)太郎呆れ顔 アゝ扨々 気味のよいとは挨拶じや よつ程下作な呑

様じや 井戸の鮒が水呑様に 口明いてがつぷ/\ エゝ夫では味が知れにくかろ コレ此酒はかみ様がはり込で こ
ちの名酒の大一番 男山といふ酒じやが こな様達は本のむちや呑 此銚子のかはりめから もふ鬼殺しに
してくれふ そしてマアよいかげんに酒呑んしたら いつもの通り騒ごかい こちのお三輪様の三味線と 太鼓
も借て来て置た おつと合点と口利の 土左衛門が眉に皺 夫はそふじやが 此隣へ近頃来た相借屋
の烏帽子折 此井戸がへにも立合ず あんまりなめた奴じやないか 野平何と思やるぞ ソレ/\なまじらけた
顔付で 馬鹿いんぎんな生れ付き 平生ぬかす挨拶も仔細らしい切口上 毛唐人の様なやつ 大かた
ソレ今時花(はやる)早学文といふ本を見て 唐のはめ句をしをるのじや 此井戸がへに出合ぬからは 屹度


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物いひ付てやろと 借屋の内の神様達 御託宣も取々に 夫共しらずのつし/\ 帰る隣の烏帽
子折 辛き世渡りあまいに羊羹色の黒小袖 一腰さした取なりに 浪人とこそしられける 門口より腰
かゞめ 隣家におります其原求女でござります お屋敷方の用事に付き 未明より罷り出只今帰
宿仕る 後室様には弥御機嫌うるはしうござりませふ 後刻ゆるりと御意得ませふと 我家へ入るを
惣々が アゝこれ/\/\待たんせ けふは是爰の井戸がへ 相借屋が寄て居るのい こな様斗来ずにいて
付合が済のかい 但しはおいらを潰すのかと ねだりせりふに求女は恟り上り口に両手をつき 是は/\ お顔
を見れば皆合壁(かつへき)のお旁 是の井戸がへお手伝ひ 曽以て私存ぜず 是と申すも不案内から先

格の作法を存ぜず 段々の失礼真平御赦免下されと 畳に額をすり付る アゝこれ/\ 又子
細らしい事いはんすかいの ハテ勝手をしらにやしよことがない 了簡せいなら夫で済むと こつちも一番いふ
た跡は モウいざこざはないわいの 此土左衛門か呑込だ/\ 然らばあなた様がお取なしで ヶ様に御教訓なさ
れた上は 其いざこざとやら申御遺恨はござりませぬか サアもふよい云はんすな 扨おいらは余程酔
て居る 是からは嘉例の騒ぎじや 調子が合いで面白ない 此石できゆつとやらんせ ハゝ忝ふござりま
すが 私一滴も請(たべ)ませぬ ヲツトそしたら勝手次第 サア是からが騒ぎの趣向此土左衛門に烏帽子や
殿 五洲兵衛に丁稚の子太郎 しめて四人の大おどり 三味線太鼓は野平藤六よいか/\求馬


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様も合点か スリヤ私にも其踊りを ヲイノこな様は此借屋での新面(あらめん)猶踊にやならぬわい 音頭も
おれが二役じや ヤア千代の始めの一踊 先は松坂こへたえ 松坂こへたやつさ 踊はありや/\ハツハヨイヤサ
えぼしや殿はもじ/\と 手持ぶさたにもみえぼし ヤツトサ 爰の娘の柳さび引き立えぼしと折かけた ヤツトサ
風折えぼし見すまして帆かけえぼしと帰らるゝ ヤツトサ 家主もぎ兵衛いつきせき いかに嘉例の祝
ひでも あんまり騒ぎがかさ高なと 門口から声高に わめいてはいれどいかな事 耳へも入れず ヤツトサ ヤツトサ
もぎ兵衛叶はずとも/\゛に 呵る詞も拍子づき ヤツトサ 此家主をそでにして 酒を呑共いわはこそ
ヤツトサ 儕等斗呑喰ひ 近所を構はぬ大騒ぎ ヤツトサ 是程いふても聞入にや 家明け付るが合点か

ヤツトサ合点じや 是を来て見よかしのへ お家主渡したと 踊拍子の酔機嫌 夢中に成て
立帰る 家主跡にとほんと成 アゝやくたいもないやつら とう/\おれ迄夢中にした婆様内にか 逢
たいといふ声聞て納戸より ヲゝ是はマアお家主様かヤイ子太郎め あなたがお出なされたら なぜおれに
しらせおらぬ ナアニいわんすやら あのお家主様もいんま迄同し様に 踊てゞ有た物 又つけ/\と何云
おる サア/\申 なんぞ御用でござりますか ヲゝ用共/\大事の用 去お侍から頼まれたが 入鹿様の云
付で ソレ鎌足といふわろの息子の淡海 方々流浪して居るげな 夫を見付出したら大金 何
でもマアこちへござれ とつくりといふて聞そ サアちやつと/\/\ ハイ/\/\そしたらお前へ参りましよ ヤイ/\/\


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子太郎よ サア閙(いそ)がしう成て来た もふ日が暮たそふな 火も消して見せ明けい 用心に気を付けい 又
此娘はてらやから戻りか遅い ソレ酒買が来たら擲(たゝき)出せ 盗人が来たら酒はかつてやりおれと 気
のせく儘に間違ひだらけ 打連て こそ出て行 (杉酒屋の段)日と供にいとなむさまも入相の 四方のいちぐら
戸ざし時 子太郎跡を打見やり 灯を上げ表の戸夜の構へのそこ爰と こなたの道より歩みよる
振の袖の香やごとなき面を隠す絹かづき 誰しら絹のやさ姿 窺ふ内に隣の軒 しら
せのしはふきに主の求 今宵はどふして早かりし サア/\こちへと其跡は いわず語らず手を取て 戸口立ち
寄せ入跡に 子太郎は不審顔 隣の門口耳をあて 聞すまして立戻り なんでも隣のえほしめは おれ

とは違ふてよつ程えらい色事仕じやわい あいつが見事なえほしてアノ代物しめおると聞へた こ
ちのお娘に聞せたら 大抵の事じや有まい エゝはし早いやつては有と つぶやく所へ娘のお三輪 寺
子や戻り 足早に門口はいれば ヤお三輪様(さん)戻らんしたか サア/\事じや/\/\大事じや/\ ヲゝあの人はいの
なんじやいのわしに恟りさしやつたわいの さしやつたわいの さしやつたわいの所かいの コレお前に忠義
をいふて聞す 忠義とは何の事じやいの エゝ忠義とは忠臣の事じやわいの サ其忠臣はしつて居
るかの 夫がどふぞしたかや サ其忠臣はの アイ隣のえほしめがな 隣のえぼしとは ムゝ求様の事かいの ヲゝ
求馬/\ 其求の姿からおこつた事 こちのかみ様は家主殿へ用が有ていかしやつた 其跡へ何じやか


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しらぬが 真白な絹をかつき 幽霊かと思ふたら 美しいげんさいが 隣の門口こと/\と叩た そしたら求様
がつつと出て よう早ふ来たナアと 手に手を取て内へはいつた 夫からおれがしつとして聞ていたら
ソレこちへやとふ男共が朝の間に酒桶洗ふ様に シイ/\といふ音がした どふでもありや求様
か さゝらでこすると見へるわいな ナントお三輪様 コリヤだまつて居られまいが ムゝそんなら何といやる
求様の所へ美しい女中様が見へて 其女中様を連立てはいらしやんしたといやるのか アイ そりやマア
合点のいかぬ事 幸かゝ様も留主なれば そなたいて求様を爰へ連て戻つてたも ヲツト合点
呑込だと 走出て隣の門 破(われ)る斗に打たゝき コレ求様隣の酒やから使に来た今のが済だら

印判持てござんせと 口から出次第 求は恟り何やらんと 立出れば物をもいわず マア/\こちへと
無理やりに手を引連て我家の内 夫と見るより娘のお三輪 口にはいはねどあからむ顔 求
様お帰りなされたか ホ是は/\お三輪様 てら屋へお出なさつたげなと 互にあぢな墨付きを子太
郎がひつ取て サアおれが役はもふ是迄 そこへ何かの立引さんせ 爰らで我ら粋を通し夜
食の扶持に有つかふ 両人共後に逢ふ と納戸へ走入にける 跡に二人はつきほなくおほこ
育ちの娘気に思ひ詰たる一筋を いわふとすれば 胸せまり 今子太郎に聞たれば美しい女
中様が 宵からお前へ来てじやげな 定めて夫は隠し妻 是迄お前とわたしが中逢事さへ


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もたま/\に 千年も万年もかはらぬ契りとおつしやつた 其約束はいつわりか浮世の訳
も弁へぬ在所育ちのわたしでも いひかはした事忘れはせぬ あんまりむごいと取付て涙先
立恨云 是は思ひも寄ぬ疑ひ 成程女中は来て居るが あれはソレ春日の神子殿 其
連れ合の禰宜殿の 烏帽子を誂へに見へたのじや 美女はおろか いかな天女が影向有ても
外へちる心はない 和歌三神を誓にかけ いつはりは申さぬと 時の間に合落付せば さすがお
ほこの解けやすく神様迄誓言に 夫でわたしも落付た 必かはつて下さんすなと 立
上つて七夕にそなへ祭りし二つの小手巻(おだまき)持出て前に置き わたしがてら屋へいた時に 師

匠様に聞て置た 殿御の心のかはらぬやうに 星様を祈るには 白い糸赤い糸 小手巻
に針を付け結び合せて祭るとやら ヲゝ夫が則願ひの糸の乞巧針(きつこうしん) ムゝお前もよふ
しつてじやナア 白い糸は殿御と定め 女子の方は赤い糸 それでわたしも此願ごめ てら屋で
見た本の中に心をかけし女の歌 アゝ何とやら ヲゝそれよ 恋渡る 思ひはちゞに結ぼれて 幾
夜願ひの糸の小手巻 ホゝ其男の返しには 逢見ての 後も願ひの糸筋を よそへ乱す
な君が小手巻 アイ/\そふでござんした いつ迄もかはらぬしるし 赤い糸をお前に渡し 白い糸を私
が持ち 契りもながき願ひの糸 夫婦の約束星合に かさゝぎならぬ小手巻を 千代のな


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かだち取かはし肌に付き合ふわりなきえにし 求が内より以前の女歩み出てこなたの門口隣の烏
帽子折様は こなたへ来てござるかな 赦さつしやれと内へ入る姿に求は手持ぶ沙汰 お三輪は
なんの気も付かず アゝあなたが今のお人かへ ヲイノ あれ/\神子様じや それで薄衣着てござる
ナア申 お前様はアノお連れ合の えほしを誂へにお出なされましたのじやナア そふでござりませうがな
サゝゝそふでござりますと 紛らかす 包む詞の絹をもる月の笑顔をぴんとすね コレ申求様
アノ女中はおはしたか 何人でござります イヤ是は此酒屋の娘御 ムゝ其マア隣の娘御と 最
前から久しい間 何の用がござりましたと 問れて求はこたへもなくうぢつくそぶり見て取るお三

輪 アゝ申 コレ神子様とやらいふ女中様 人をマアおはしたの何のと ひつこなした物の云やう 求様
にはアイわたしが用がたあんとござんす お前のお世話には成まいし 思ふて下さんすな ヲゝ
是ははしたない 其様にいはしやつても そもじなとの用を聞く求様じやないわいのふ サアお
帰りと手を取れば お三輪が隔てゝ イエ/\/\ わたしがまだ用が有る いなす事は成ませぬ イゝヤ爰には
置きはせぬ 邪魔せずとそこ通しやと 手を引立て立出れば イヤ放さじとお三輪も
また あなたへ引けばこなたへ引 訳も渚にたはれる雁 つばさ振袖ふり分け姿 恋を
諍ふ其折から いきせき戻る家の母 ヤア求殿 こなさんには用が有る どつこへもやる


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事ならぬ うごくまいぞと身がまへに 何かはしらずしら絹の姫は外へと出ゆくを
とめる求に又すがる 娘を押わけ母親は求馬やらじと引とゞめ つなぐ手と手
をしがらみの風にもまるゝあらそひに 子太郎立出見まはして これ幸と
母親の帯にしつかりくゝつたる 縄さき桶の呑口に結ひ付け納戸へ逃て入る
こなたはたがひに恋したひ姿乱るゝ 姫百合の手をふりきれば一時に 乱
れて走るを母親が やらじと追へばつなぎ縄 りきむ拍子に呑口抜け酒は
滝津瀬恟りはいもう 三人門へおくれじと同じ 思ひを跡や先道を したふて 

  道行恋のおだまき
岩戸隠れし神様は 誰とねゝしてとこ闇の夜々ごとに通ひては 又帰るさ
の 道もせ気もせ夫レも何ゆへ恋故に やつるゝ所体恥しと 俤照す薄衣に
包めどかほり橘姫 思はぬ人を思ひ侘心のたけをくどけ共 つれなき私の下紅葉こがれ
てたへん玉の緒も殿故ならば捨草も 暫しはいこふ芝村の賤の男が置き手の
のごひて 忍び/\の出逢妻晩にござらばナコレ のんやほんにさ せどの柿の木の枝こへ
て連理をちぎる云の葉は それも恋中爰はまた 箸中村よ一森の長者が跡と


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名にひゞく 釜が口をも出はなれて あゆむに くらき竹のしげれる中を分け行ば
葉ごとの露が ほろ/\とほろゝ打なるきじの声 思ひくらべていとゞ猶 心ほそのに立つくす
にくや かゞしにおどさるゝわれが 姿に又おぢてはつと立行羽風につれて ちり/\
ちるや 柳本流るゝ水にすそぬれて 物思へとや帯とけの 里羨し自は ついに
一度の情さへないて 身をしる 涙雨 ふるの社の御燈のかげか 松の木の間にちら/\
/\と見へつ隠れる 帰るさの跡を求馬がしたひ来て 互にはたと行合の 星
の光りに顔と顔 ヤア恋人か何故に 爰迄跡を追鳥は もしやねぐらの契とも

かなへてやろとのお心かと 胸にはいへど詞にはおもはゆふりの袖几帳 成程節
成心ざし仇に思はじ去ながら 左程こがるゝ恋路にて昼をば何と うば玉の夜斗
なる通ひ路は いとふしんなる名所をきいたる上はこなたより 二世の堅めは願ふ事 あかさせ
給へとひたすらに とはれてげにも恥しのもりて あまれる浮身の上 語るにつらきかづらき
の峯の白雲有ぞ共 さだかならざる賤の女(め)と 思ふてふかい疑ひの 雲をはらして自が 思ひ
もはらして給はらばどんな仰も背くまい 譬草葉の露霜と消ても何の厭やせぬ
是程思ふに胴欲な とけぬお前のお心はあんまり結ぶの神様を 祈り過した咎かや つれな


80
の君やと恨わび 思ひ乱るゝ薄かげ夫レとお三輪は走り寄 中を隔てゝ立柳 立退く
袂 引とゞめ エゝ聞へませぬ求馬様 ソリヤ気の多い 悪性なそもや二人が馴初は 始て
三輪の過し夜に 葉越の月の俤は お公家様やらしれぬなりふりすつきりと
水際の立 よい男 外の女子は禁制と しめてかさねし肌と肌 主有人をば大胆な 断り
なしに惚るとはどんな本にもありやせまい 女庭訓しつけがた よふ見やしやんせ エたし
なみなされ女中様 イヤ そもじとてたらちねのゆるせし中でもないからは 恋はしがちよ我
殿御 イヤわたしが イヤわしがと供にすがりつ手を取て そのに色よく咲草時は 男おんな

になぞらへいはゞ 云れふ物か夕顔の 梅は武士 桜は公家よ 山吹は傾城 杜若は女房よ
色は似たりや あやめはめかけ 牡丹は奥方よ 桐は御しゆでん姫ゆりは娘盛と撫子のナルゾエなると
ならqずとならさかや 此手柏の二人の女 睨めば睨む荻と萩中にもまるゝ男へし 放ちはやらじと
すがり付 こなたが引けばあなたかとゞめ 恋の柵蔦かつら 付まとはれてくる/\/\ 廻るや三つの小
車の花よりしらむ横雲の たなひき渡り有々と 三笠の山も程近く鳴る鐘の音に驚く姫 帰
る所は何国(いづく)ぞと求馬が気転振袖の はしにぬふてふ取かはす えんのおたまきいとしさの
あまつて三輪も悋気の針 男の裾に付る共 しらず印の糸筋をしたひ したふて


81(鱶七上使の段
栄る花も時し有ばすがる嵐の有ぞとは いさ白雲の御座 新に造る玉殿は 彼唐国
の阿波殿 爰に写して三笠山 月も入鹿が威光には 覆はれますぞ是非なけれ 腋
門の方より宮越玄番荒巻弥藤次 御前よき儘高ふ吹 帆かけ烏帽子も一分に のけ
ぞり返り入来る ホヲ仕丁共朝清めな イヤ何玄番殿 此度新に築かれる此山御殿 朝日
にかゝやく所は 吉野龍田の花紅葉 一度に見る共及びますまい ナニサ/\ イヤモ言語に延べ
がたき御物好瑙の梁(うつばり)珊瑚の柱水晶の御簾瑠璃の障子 コレ見られよ 飛
石は琥珀砂(いさご)は金銀 又釣殿に登り見おろせば 春日の杉も前栽の草びら 若草山

葛籠山はまき石同前 猿沢の池は お庭の井戸に見へますると 咄の尾に付く仕
丁共 アゝ結構な御普請でござります そふして何やらふつ/\と能匂ひが致します ヲゝ
其筈 椽板檻に至る迄皆伽羅と沈(ぢん)シタリ抹香やおが屑とは違ふた物じや
のふ又次 サ 又お学問所は唐を写して唐木じやげなの ハアン 其唐木とは何々ぞ ヲゝ先花
輪 フン 紫檀 フン 黒檀 ホイ たがやさん ホイ うらやさん ホイ 当卦本卦 ヤ 手の筋 ヤ 男女相
性 墨色の考 コレ/\ 失せ物待ち人 コレ/\/\ 書き判の善悪 アゝコレ/\ そりや山御殿ではなふて山伏
しやぞや サア王様も此山でねやしやるによつて山伏じや エゝ人を嘲弄するかな イヤ長者とは


82
坊主の事か イゝヤ女子の事じや そりや女郎しや イヤ如露とは花に水かける物じや エゝ
どふいやこづいづと なんぼ貴様がくずなの弁でもおれにや叶はぬ ワイふるなの弁しや くず
なとは魚じやはやい イヤくずなじや イヤ/\ふるなじや くずなじや ふるなじや /\/\/\ ヤイ/\騒がしい
そりや内事 清め仕廻はゞ早く下れ 皆行け/\と追立やり アレお聞有れ弥藤次殿 我君
此殿へ御移りと見へ 物の音近く聞へ申 いか様左様と威儀つくろひ厳重にこそ 控へ
居る 花にくらし月に明し 酒池の遊びに酔つかれ 御殿/\の通ひ路も 数多の官女が道
楽に君の機嫌を鳥甲 調ふる笛や笙・篳篥太鼓の音も鶏徳に 己が不

徳を押のほる 雲間の深縁燭錦の褥の上 むんつと座せし有様は実類なき
栄華の殿 玄番弥藤次頭をさげ 先達て卿上雲客達より 君の寿を祝し申されし 
数の嶋臺 ソレ女中方 叡覧に備へられよ アツト答て持出る思ひ/\の錺物 何かな君
か寿を祝ふ 靍亀松竹の 影は千鳥の深緑 松と靍亀合せて見れば 一万二千の
齢を君に 譲り寿く 蓬莱山 扨又猿沢の嶋臺は 周の帝の妾(おもひもの)仮の情の弟草実
冠愛(てうあい)の色菊や葉毎を染し其筆の 命毛長き八百歳老せぬや /\薬の名を
も菊の酒 くめ共尽ぬ泉の壺 天上人の方々より御祝儀也と相述る 一入今日に入鹿が


83
悦び ヲゝ百司百官より 下万民に至る迄 我在位長かれと願ふ事めい/\身の冥
加なれば 猶万歳を唱へよと高慢我慢の勅(みことのり)はつと両人階下にひれ伏 我々は申に
及ばず民百姓も野に手を打て舞楽しむ 誠に戸さゝぬ御代と申は今此時に候と めつ
たに追従猩々の 人形に見とれ官女達 コレ/\此猩々か手に持た酌盃も取はつし壺に
は誠の造酒(みき)をたゝへた 是て御酒宴始めふか いか様夫は能お慰み サア/\早ふと取々に手まづ
遮る盃の廻れや/\万代も尽し尽せぬ 寛楽の興を催す其所へ物もふ頼ませう
ととつてう声 撥鬢あたまの大男 御殿間近くほつか/\/\/\着たる木綿の長上下 のり

しやきばつて立はたかり エゝ入鹿殿は爰じやな 内にならあはして下さんせと木で鼻こゝ
るむくつけ詞 宮越荒巻目に角立 ヤア何奴なれは 君の御前共憚らぬ馬鹿者め す
さりおらふときめ付る イヤおりや 難波の浦のふか七といふ網引でこんすが いつやらからこち
の方へ 宿かへしてこんしたお公家殿鎌きりの大身から 雇はれてきた使でごんすといふを
遥に見おろす入鹿 ハテ心得ぬ其鎌足めは首陽山の昔を学び跡を隠せしと聞しに
扨は難波の浦に有けるよな 普天の下卒土の濱王 地にあらさる所なけれは今日
迄飢にも臨す堅固におりしは我恵ならすや 夫レを思はゝとくにも参り恩を謝すへき


84
の所 使を立しは緩怠也 エゝ夫おれが知た事かいの かう見た所が よつ程短気者しや
わいの 併喧嘩はこなんの様にこつきで行のが徳じや 鎌殿も一旦云かゝりて てつぱ
つて見よふと思はれたそふなが叶はぬやら どふぞおれにいて挨拶してくれてゝ 夫は/\
きついよはりいの 大概の事ならもふ了簡してやらんせ懇な中は行て心安立て 間違か
有る物じやてのふ コレ中直りの印しやてゝ きす(さけ)一枡おこされたと刀のさけ緒にゆら/\と
結ひし徳利屹度目を付け いまだ日本へ渡らぬ兵器唐土に有と聞 飛道具の類ひ
成か何にもせよ怪しき物を所持せしそよ旁油断すなと眉を顰めて 身構

たり エゝとつけもない 徳利と見やんせ酒しや/\ コレそこなお手代衆 早ふコレ夫しんせ
さんせ イゝヤ善悪しれたる鎌足より差上し酒ならば 毒薬仕込あらんもしれず奉る事
罷ならぬ エゝまいすは/\ とれおれが毒味してやろ茶碗はないかへ そんなら赦さんせ直
やりしやと 云つゝ徳利の口から口 ヲゝよい酒じやになあ是を呑ぬといふ事か有かしらぬ
とふつて見て ヤヤヤアなむ三 皆呑でしもた エゝひよんな事してのけた ヤコレひよつと鎌殿に
逢んしよと儘おれか呑たと云すに よふ届いたと礼いふて下さんせやと 我武者な様
でも正直者 ましめに成て気の毒顔 アゝまだ何やら云伝つて来たか落しはせぬかと


85
懐さがし ヲツト有るは サア是見やんせと一通を 渡せば弥藤次押披き ナニ/\我不肖たるに
よつて 暫く心を惑はすといへ共 今一天四海御手の内に落入事正しく天の譲り給ふ万
乗の御位 入鹿公に背くは天に背くに同じと 先非を悔て爰に降参を乞者也 今
より臣下に属するの印 君の齢を東方朔にたとへ 此桃花酒を以て御寿を祝し奉る
内大臣藤原の鎌足 謹んで申すと読み上る ハゝゝゝなまくら者の鎌足め 臣下とならんなん
どゝは イヤしら/\しき偽りやつ 何しや鎌殿をうそつきとは 何ぞ慥な証拠がごんすか
ヤア小ざかしき証拠呼はり 彼が心腹いふて聞そふ ドレ聞ませうか 先此入鹿を東方朔

に譬たるが野心の証跡 そりや又なじよに ヲゝ昔漢の武帝が代に 東方朔と
いへるやつ 三千年に一度実を作る桃を 三度(みたび)盗んで喰ひし故 九千年の齢をたもつ
桃に百(もゝ)の縁をかたどり 百敷百官を手を入し入鹿を 盗人也といわぬ斗の底工 につ
くいやつと居尺高 イヤ/\そりや無理じや/\ ヤアうづ虫め 何を知てこしやくやつ イヤ何に
もしらんけど かはりに成て来たおれじやによつて一番いふのじや ヲゝ鎌足がかはりならば
是をもかはるに心見よと 傍なる嶋臺追取て眉間へはつしと打付る 臺はみぢんに
飛ちれど びく共動かず アゝよいかけんにだゞけさしやれ 其厄払ひの代物 東方さつと


86
やらに譬たといふて業わかすのか 年にあやからんせとこそ書ておこさしやつたれ
盗人と書いちやないぞや 夫にそちから色々な講釈を付て盗人ぜんさく 知た同士はすゞ
しいとやらで 盗人の覚へが有かして今の投打 アゝこなんは正直な人さんじやと世間の噂
見ると聞とで大きな違ひ マアそんな盗人と鎌どんを 懇にはおれがさすまいわい
の 仁体にも似合bぬ事さんすの よもやそふじや有まいかの 但覚へがごんすか イヤそふ
かいのと 文盲だらけも理屈は理屈 どふでごはるとやり込れば 邪智の入鹿もにがわ
らひ ハテ口がしこく云まげしな ういやつ出かした 其褒美には 鎌足が実否を正す迄

己は人質 最早籠中の鳥同然 帰る事はならぬと思ヘ ヤア/\玄番弥藤次いさ萩殿
にて天盃を廻らさん 来れやつと引連れて帳臺深く入にけり アゝコレ おれを質に取らしや
ると 着物や道具を違ふて 代物が飯くふぞや 併あの業腹では 大抵で喰しおる
まい ヲゝ すき腹に今の酒でよつ程酔か北来たわい トリヤとこてなと一寝入 やつてこまそ
と伸あがり エゝ腰がおもい筈よ此大小 らつしもない物さゝしておこして あた面倒なと椽
板へ くはたりと鳴は相図かと 突出す鑓はしの薄 構はずころり 臂枕不敵也ける 男
なり 御所より外へ咲出ぬ若きこだちが入かはり男見にくるあいそには お茶よお菓子よたば


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こ盆 銚子かはらけ持て出 コレそな人は何御用で お召寄有しはしらねど 嘸得久しう気
もつきせう 九献一つとさし置ば 體寝返り腹這に ほう杖つく/\打なかめ フン貴様達
は誰じや ヲゝ我々は上様の 身近く召るゝ女共 何じや 短い女子じや ドレ/\成程どれも是
もようにへ込だ者じや わいらは爰な食焚(めしたき)じやな テモけふな前垂しているな エゝつが
もない さればみ事 わしらをとやるそなたの名は ヲゝふか 何ふかとは ハテ商売の夜
網に出りや 沖でも礒でも行当るに よふ寝る故にふか七といふ漁師/\ ヤア 料紙
とは なんぞ書てたもるのか 夫ならば必絵や歌はいやじやぞや 今難波津で持はやす

かぶき芝居の其中でも よう聞及ふた文七や八蔵の紋ならば書てほしいとしども
なき 桜の扇 摺寄てそふして下々は 皆そなたの様な男かや 能男もたんと有て
あろ 地下の女子は羨しい 芝居は見次第能男は持次第 ほんに又此御所女には何が
成る 見るも/\冠装束 窮屈で急な逢瀬の其場でも 衣紋の紐よ 上帯よ
解くかほどくか 大抵では下紐迄は手がとゞかずつい其内には花に風 月に村雲さはりが
出来て ほいない別れをするわいのといふさへ顔に紅葉の扇 中将や少将あたりて恋
すれば あのおひかけが邪魔に成 尻目つかひは出来ぬ/\ 其上悋気いさかひも こつち


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からは桧扇で 擲けばあつちは笏でとめ つつぱりかへつていきつた斗いちふても見ぬさか
ほこの 雫情も受て見ず しんき/\でくらそより いつその事に玉の緒もたへなばたへ
たがましであろ もしもやさそふ水しもあらば いにたいわいのとふか七にひしと二人はいだき付
恟りはいもう業にやし エゝけたいなけんさいめら あつちへきり/\うせあがれと けんもほろゝに
云ちらされ さつてもすげない恋しらす 玉の盃底ぬけ男 不骨者よと不興して ほ
いなく奥へ入にけり あたり見廻し長柄の酒 庭の千草にざら/\とそゝき かくれば忽ちに 葉
立変して枯しぼむ ハゝフゝ フゝゝゝ 最前の鑓といひ 又候や此毒酒 ハレヤレきつい用心と 猶打見

やる庭先へ弓と矢つがひはら/\/\ 追取かこませ宮越玄番 いかにしても心得ぬつら
魂尋問へき仔細の有は 引立こよとの倫言成ぞ 早くまいれ ヲ呼にこんせいても
行のしや 仮初にもびこ/\と ちよつとてもさはるかいな 腰骨踏おりせんきの虫と生別
れさすぞ ヤコレ家来共さんわり様達も其鳥おとし放すかさいごとつつかまへて首引
抜かたはしからぬたにするぞ ヤとりやおれから先へ行やんしよと 事共思はぬ大胆者
胸の 強弓矢襖を引明けてこそ入にける (姫戻りの段)されは恋する身ぞつらや出るも入るも 忍ぶ
草 露踏分けて橘姫すご/\帰る對の屋の障子にばらり打礫 ソリヤお帰りの


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しらせぞと めい/\庭につとひおり開いて入参らせおいとしや/\御前のお庭の内さへも
ついにお拾ひなされぬに 恋なれがこそかちはだし嘸朝露でお裾もぬれん小打着に
召せかへんと立寄て ヤアお振袖に付て有此紅の糸不審と たくりたくればくる/\と 糸
に寄る身はさゝかにの雲井の庭へ引れくる 主は床しの ヤア求馬様か ハアはつと暫く姫よりも
さはきさゝめく局達 扨も見事引寄た 七年物の恋人様 申ようこそお入遊はした ヲゝこ
ちへと手を取ば イヤ手前はつい道通り 此おだ巻を拾ひ上るやいな めつたに引れ参つた者
何にも存せぬお赦しと 出る向ふを立ふさき エゝ手の悪いなされ様 わたしらに御遠慮は内々

のお咄しならどりやお次へと立て行 姫はとかうの詞なく 差うつむいて思案の求馬 フン此御
所の姫と有は聞に及はず 入鹿の妹と橘殿と 云れてはつと恟せまり入鹿か妹と
しり給はゝよもお情は有まいと 隠し包しかいもなふ御存有りしお前こそ 藤原の淡海様と
いふ口ちやくと袂に覆ひ 女なれど敵方に 我名をしれは一大事 不便なれ共助かたし 成程お道
理御尤 生て居る程思ひの種 お手にかゝるきあせめての本望かういふ内もお姿やお顔
を見れは輪廻は残る サア/\殺して下さんせと 刃を待たる覚悟の合掌 心底見へた サ誠
夫婦と成たらば一つの功を立てられよ 一つの功を立てよとはへ ヲゝ入鹿が盗取たるこそ 三種の


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神器の其一つ十握の御釼奪返して渡されなば望の通二世の契約得心なけれは叶
はぬ縁 ナア是非もなや 悪人にもせよ兄上の 目を掠むるは恩しらず とあつてお望叶へね
ば夫婦と思ふ義理立す 恩にも恋はかへられす 恋にも音は撰られぬ 二つの道にからま
れ此身はいか成報ひぞと忍び嘆きておはせしか ヲゝそふじや 親にもせよ兄にもせよ 我
恋人の為といひ第一は天子の為 命にかけて仕果(おほ)せませふ ヲゝ出かされたり シイ又しらせの相図
は何と 今宵御遊の舞に事寄 宝剣奪ひお渡し申さん 笛や鼓の音をしるべ奥の
亭迄お忍び有 然らば我は此所にくるをしばし待合さん必首尾よふ合点でござんす

もし見付られ殺されたら 是が此世のお顔の見納め たとへ死ても夫婦しやと おつしや
つて下さりませ ヲゝ運命拙く事顕れ 其場で空しく成迚も ぢんみらいさいかはらぬ夫婦
エゝ忝い嬉しやと 抱しめたるおし鳥のつがひし詞縁の綱引 わかれてぞ忍ばるゝ (金殿の段)迷ひはぐ
れし かた鶉草の靡くをしるべにて いきせきお三輪走り入 エゝ此おだ巻の糸めが 切くさつた斗
で 道からとんと見失ふた 去ながら爰より外に家はなし 大方此内へはいつたに違ひない エゝ誰
ぞこよかし問やたと見ゆる先より おはしたが被きまぶかにしやな/\と 豆腐箱さげ歩み来る
申々と呼かくれば ヲツト呑込早合点 ヲゝお清所尋るのなら こそをこちらへかう廻つて そ


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つちやの方をあちらへ取 あちらの方をそちらへ取 右の方へはいつて 左の方を真直に脇目も
ふらずめつたやたらにずつと行きや イエ/\私が尋るのは お清殿とやらではござんせぬ 年の頃は
廿三四で 色白にくつきりとした よい男は参りませなんだかへ ヲゝ/\/\来たげな/\ 夫はお姫様
の恋男じやげなの 三輪の里から跡追て来た所を 何かお局達が引捕へ有無をいはせず
御寝所へ ぐつと押込上から蒲団をかぶせかけ/\ アレ/\ 宵の中内証の御祝言が有筈と
暮ぬ内から騒いでじや エゝけなりこちと迄 内太股がぶき/\と卯月あたりのはちけ豆 とうふ
の御用が急ぐにと しやべり廻つて出て行 サア/\ひよんな事が出来てきた ほんに/\油断も

透も成こつちやない 大それた人の男を盗くさつて 何じやいしこらしい内祝言しや 余りな
踏付けやう よい/\其かはりふぉこに居よふと尋出し 求馬様と手を引て 是見よがしにいんで
退けるが腹いせじやと 行んとせしがイヤ/\ はしたない者しやと ひよつと愛そを尽されたら と云
て此儘に見捨てて是かとふいなれふ エゝとふせうぞと 心も空登る階(きざはし)長廊下行こふ女
中見咎て一人が通れば二人立 三人四人いつの間に 友呼ぶ千鳥むら/\と爰かしこから寄に
けり ついし見馴ぬ女子じやが そなたはマア誰しや 何者じや ハイ/\ イヤ私は内方の ヲゝ夫レよ さつきの
お情殿は寺友達 奉公に出られてから 久しう逢ぬなつかしさ ちよつと見舞に寄ました


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是はマア/\よう来た 上れ茶々呑 そふしてたばこ呑 アイお上には あためつそふな御祝言が有
と 聞けば聞程涙がこぼれて あたおめでたい事じやげな ほんに内方の様な能衆の御祝言
との様な物じや己やれ 拝んでなりと腹いよと うか/\爰迄参りました どふぞお前方の
お心で聟様をちよつと。拝まして貰ふたら。忝ふござりまするといふ顔も。恨色成紫
の。ゆかりの女と早悟り。なぶつてやろと目引き袖引き マア/\そちは仕合な。かういふ折に参り
合 お座敷拝むといふ事は 女の身では手柄者 したかこちが呑込でお座敷へは出
す物の 何ぞさゝずば成まいに 何と皆様 いつその事此者に 酌取らそでは有まいか よ

かろう/\ アゝ申 其酌とやらは ヲゝ何の又そち達が知てよい物か 今爰で教てやろ
幸爰に御酒宴の銚子嶋臺 有合の聟君様にあ紅葉の局 梅の局は嫁君
役 残りはかい添侍女郎と 桜の局が指図して いやがるお三輪に長柄の銚子持
せ持ち添 マア盃は三つ重ね 嫁君へ二度ついで 左へ二足 コレ立のじや エゝ何じやいの うか/\せずと
よう覚や 三度めついで聟君へ コレ酒がこぼれるわいのふ 無調法な 是からが乱酒う
たひ物 是も嗜みなければならぬ サア四海浪なと諷やいの エゝ エゝとはいやか そんなら聟
様拝ます事はマアならぬ サ夫がいやなら 早ふ諷やと せつき立てられ是がマア何と千秋万


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歳の千箱(ちはこ)の血の涙声詰らせてないじやくり ヲゝめでたう哀に出来ました 色直し
にはんなりと 梅が枝でも蕗組でも サア/\聞たい所望じや/\ エゝあられもない事おつしや
りませ 山家育ちの藪鶯 ほう法華経も片言斗 上り下りの仇口や 馬士(まご)の歌なら聞
ても居よふ もふ何事もお赦しなされ サア早ふ其聟様に サア聟様が見たくば早ふ諷
や 馬士の歌なら面白からふ 次手にふりも立て仕や いやならこつちも成ませぬ 帰りや
/\と引出され サア/\/\ 何のいやと申ませふ サそんなら諷や アイ/\/\ 諷ひまするとなく
/\も涙にしぼる振袖は 鞭よ手綱よ立上り 竹に雀はナア 品よくとまるナ

とめてサ とまらぬナ 色の道かいなアゝラヨ エゝ爰な ほてつ腹めと此様に 申ますると
打ふせは 皆々一度に手を打て扨もきつい嗜み事 よい慰みで我々が ほてつ腹迄よ
れました 馬士殿大義と云捨てて 行を暫コレ申 わたしも供にと取すがれど ふり放
されてはがはとこけ 寝ながら裾にしがみ付き引ずられて声を上 のふ皆様お情ない どふぞ
私も御一緒に 連れてござつて下さりませ お慈悲/\と手を合せ拝み廻るを擲きのけ しつ
こ 迚も及ばぬ恋争ひ お姫様と張合ふとは叶はぬ事じや置てたも 大胆女のしつ
けをせうと 耳を引やら脇明より手を指し入てこそぶるやらつめつたゝいつ突倒し サア/\是


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で姫様の 悋気の名代納まつた 弥めでたい御祝言 三国一じや聟を取済したしやん/\
しやんと済んだと打笑ひ局々へ入る跡は 前後正体泣倒れ暫し消入居たりしが エゝ胴欲
じやわいの/\ 男は取れ其上に まだ此様に恥かゝされ 何とこらへて居られふぞ 思へは/\
難面(つれない)男 憎いは此家の女めに 見かへられただ口惜いと 袖も袂もくひ裂き/\ 乱心の乱れ
髪 口に喰しめ身を震はせ エゝ妬ましや腹立ちや 儕おめ/\寝さそふかと 姿心もあら
/\しくかけ行向ふに以前の使者 ヲゝそなたも邪魔仕に出たのじやな もふかう成たら誰(たが)
出ても 構はぬ/\そこのきやと 袖すり抜てかけ入裾 しつかと踏まへコリヤ待て女 イヤ待たぬ 爰放

しや放しや/\と身をもがく 髷(たふさ)掴て氷の刃 脇腹ぐつと差通せば うんとのつけに倒
れ伏 刀突捨て辺りを窺ひ目を配る 奥は豊に音楽の調子も 秋の哀なる お三
輪はむつくと起返り 扨は姫が云付じやな エゝむごたらしい 恨はこちから有る物を 知てそちから
殺さする 心は鬼か蛇かいやい ヲゝ殺さば殺せ一念の 生かはり死かはり 付まとふて此恨み
晴さいでおこふか 思ひ知やと奥の方 睨み詰たる眼尻も さけぶこはねもうはがれてさも
いまはしき其有様 じろりと見やり 女悦べ 夫でこそ天晴高家の北の方 命捨たる故
により汝が思ふ御方の手柄と成入鹿を亡す術の一つ ヲゝ出かしたなァ 何といやい此身を


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北の方とは ホゝヲそちがかたらひ申せし方は 忝くも中臣の長男淡海公 エゝ シテ又私が死る
のが いとしいお方の手柄に成て 入鹿を亡す術とはへ ホゝゝ其訳語らんよつく聞 彼が父た
蘇我蝦夷 齢傾く頃迄も一子なきを憂へ時の博士に占はせ 白き女鹿の生血
を取母に与へし其験 すこやか成男子出生 鹿の生血胎内に入を以て入鹿と号 去に
よつて きやつが心をとらかすには 爪黒の鹿の血汐と 疑着の相有る女の生血是を混して
此笛にそゝぎかけて調る時は 実に秋鹿の妻乞ごとく 自然と鹿の性質顕れ 色
音をかんじて正体なし 其虚を計て宝剣を過ちなく奪返さん 鎌足公の御計略

物かげより窺ひ見るに 疑着の相汝なれば不便ながら手にかけしと 件の笛の六穴に
たばしる血汐受そゝぎ/\ 今こそ揃ふ此幻術 此笛こそは入鹿を拉ぐ火串ならん ハゝ有難や
と押戴き いさみ立たる其骨柄 げに藤原の御内にて金輪五郎今国と鍛に鍛し
忠臣也 なふ冥加なや 勿体なや いか成縁で賤の女が そふしたお方と暫しでも 枕かはし
た身の果報あなたのお為に成る事なら 死ても嬉しい忝いとはいふ者の今一度 どふそお顔
が拝たい 譬此世は縁薄くと 未来は添て給はれと這廻る手におだ巻の 此主様には
逢れぬか どふぞ尋て求馬様 もふ目か見へぬ なつかしい 恋し/\といひ死に 思ひの玉の糸切し


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おだ巻塚と今の世迄鳴響きたる横笛堂の因縁かくと哀也 今国不便いやまし
にせめて葬り得させんと 背(せな)にお三輪が亡骸を 追々馳来る荒しこ共 曲者やらぬと
取巻たり 見向もやらす悠々と几帳の綾絹引ちぎり 死骸と供に我五体くる/\しつか
と引結び 死人を取置我等こそ先出来合の坊主役 十念授けてこまそづにもつと
/\には邪魔らしや 一度にかためて授るが うぬらが為には百年めいざといやつと力士立 ヤア
広言なる骨(こつ)仏と 前後双より十文字 鑓先揃へて突出す ひらり早業すつかり素
鑓 ほくれる片鎌踏落せは後をつく棒しつかと取 しりへをねらふは不敵やつ 左様に耳に

さすまたも引たくつて打折たり 手取にせよとつと寄当るを幸砂石のごとくほり飛
され 迎行奴原余さじと奥深くこそ (入鹿滅亡)「行先の 御殿/\に銀燭をかゝぐる戸帳綾錦 
紅葉の殿御簾巻上妹姫の今様を 遊覧せんと入鹿大臣 ヤア女原 そち達姫が殿へ参
用意よくは始めよと云来れよ 早ふ/\といらたての 使重る楼(たかどの)に 橘姫は今宵こど よき折
烏帽子水干の衣紋も はでの舞の袖桧垣の影より淡海公 弓矢つがふて忍び寄 目充ては
入鹿が胸先へ 羽響き高く切て放す 苦もなく掴で大音声 ヤア宿直はなきか早参れ承はる
と弥藤次玄番 是かゝつて打かくる心得たりと切結ぶ 姫は宝剣振袖に押隠す間も阿


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修羅のごとく 楼目かけ懸くる入鹿 支へ隔つる官女共 はらり/\と投落し 飛かゝつてかい掴む
遁ぬ所と橘姫 宝剣下へ投捨れば 取得る淡海支る両人 打合/\いどみ行 見るにハア/\我が
身も鷲に取れし雛靍の 詮方涙震ひ声 ヲゝ嘸お腹が立ませふ 其お怒をさせます
も 皆自らか徒から 赦して給はれ兄上と 歎詫るを はつたと蹴やり ハゝゝ鉛刀(えんとう)に等しきなま
くら物 こと/\゛敷籠置しは 扨をえばに天皇始 鎌足親子もおびき寄皆殺しにする
此計略 誠の釼を安々と きやつらごときに奪はれんや エゝ スリヤ今の釼は偽りとな ヲゝ我帯
せしこそ十握の釼 扨はと立寄肩先を 抜手も見せす丁ど切 折から出す笛の音に

聞入入鹿は酔るかごとく 勇気砕けてかつぱと伏せは ふしぎや釼は拳をはなれ 忽化し
たる龍の形 雲にうねり 雨をさそふて舞下り 松の梢をさら/\/\さつと飛入御溝(みかへ)の
水 白浪さはぎどう/\とゆすりあふる すさましさ橘姫は手疵も忘れ 守り詰しが 夫
よあやしと思ふ心より龍共蛇共見ゆれ共 正しき十握の釼ならずや譬誠の悪龍成共
何か恐れん夫の為 腮にかゝり死る共いとはぬ/\ 再びもとの宝剣と 顕はれ給へと心願し
ひらりと飛込水煙 逆立浪に打立られ 遥に流れ/\くる枯枝に取付身は浮
草 たゞよひ ながら間近く寄は 金龍頭をふり返し 紅花(かうくは)の舌ひら/\/\ひらめくそびら鱗を


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ならし 浪間を分れば続てわけ くゞればくゞり沈めば沈み命限りと追廻せば 又も虚空
に立のほる こなたも峯にかけ上れど 叶はぬ思ひ身をあせり足も空なる雲行を目充
にこそはしたひ行 次第にふくる夜あらしに つれて聞ゆる人馬の音 貝鐘太鼓乱調に
打立/\鯨波の声 官軍随へ鎌足公 薄紫の狩衣に肌は腹巻着込を着し
玄上太郎御供にて悠々然と入給へは 二人の敵を討とめて立出る淡海公 金輪五
郎詞を揃へ 我君御賢察のごとく 入鹿が有様希代の此笛併十握の御釼の義は
ホヲ気遣ひ致すな最早我手に入たるそよ 其子細は兼てより徒党を集るかたらい山 絶

頂によぢ登れば 黒雲俄に覆ひかゝり 一つの金龍我袖に落るやいなや 十握の
御釼と顕はれます 今よりは彼山を龍岳(りやうが)と号(なづ)くべしと 仰も高き多武(たぶ)の峯此大臣の
霊嶽(りやうれい)なり 玄上太郎すゝみ出 ヤア/\入鹿 汝是迄朝恩(てうおん)厚く蒙りながら 王位を犯す
天罰の 只今帰するとしらざるや 見参やつと呼はつたり 眠り臥たる両眼を くはつと見ひら
きうなり声 ヤア事々しや鎌足 我に刃向はんなんどゝは 鶏卵をもつて岩石にあたらんと
するより危き工 目に物見せてくれんづと遥の楼より飛おりたり 玄上太郎金輪五郎双
方より引包んで切かくる ちつ共怯まぬ勇猛力 弓手になぎ捨馬手にかなぐり 追っ立て/\追廻し


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鎌足目かけ飛かゝる 騒がず神鏡手にさゝげ 入鹿が頭(かうべ)に指向給へは 鏡に写る降魔の相和
光のきらめき眼もくらみ 勢ひだへてたぢ/\/\ 隙を窺ふ勇気の両人 腰の番ひをしつかと組
シヤ面倒なと両手に提(ひつさげ)打付く 膝に引敷動かせず 鎌足後につつと寄 神通希代の焼鎌(やいかま)
に 水もたまらずかき切たる 首は其儘こくうに上り火焔をやはつと仕かけ/\飛鳥のことくかけ廻る 一念
の程ぞ醜(おそろ)しき 淡海きつと見口に唱ふる重獣品(ちうしうほん)忽治る朝敵のしげきか本を打払ふ 鎌足
の徳釼の徳 実誉有藤原氏 花の紐解く橘姫 誠をてらす神鏡は 神の御かげの尊く
も 思へば伊勢とお三輪がぼだい 賤のおだ巻くり言をくり返したる言のはを末に伝へし物語

   第五(志賀都の段
逆徒凶賊直ちに退き 年尽新たに春の空 都を江州志賀に移され 今ぞのと
けき大内山主上の叡慮安らかに 猶奥深き玉だれや中央の座には中臣の御
大臣鎌足卿 同じく淡海義士の面々 玄上太郎利綱一子三作諸共に 清
涼殿に居並へば 鎌足の大臣は治国の俸禄沙汰有て 入鹿が妹橘姫親兄に
かへ忠義の貞節 豊代姫と名を改め 淡海が宿の妻と我君の勅諚なり 又
大判事清澄は 暫く敵の臣下となり 四海を治むる智謀の労 詞にも述かたし


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向後(かうこう)武官の司とし三作を養子となし 志賀之助清次と名乗べし 其外に太宰
の後室金輪五郎を始めとし 各々大禄給はりて主上を初め一座の勇み かゝる所へ金
輪五郎残党を搦め取り凱歌をとなへ入来れば 古人となりし清舩雛鳥両人か追
福に 妹背の山とかはれ共 かはらぬ志賀の山桜供養絶へせぬ花の塚 誉を
世々の香に匂ふ折吉川波春の風 幣帛(ぬさ)もて払ふ国の冨 市中屋敷
と所せき月の遠近(おちこち)松の半ば二月の夕部あたかに坂東南海穀(たなつもの)民は至善(しいせん)
平かに秋に米(よね)夏に麦 鱗(うろくず)迄も浮かめる形 千代の並松洛陽に文作(もんさく)

青き若みどり え得の姿満願の 神は伊勢又春日に八幡(やはた)三(みつ)の
恵みも鎮常(とこしなへ)打ばはづさぬ陣太鼓久しき御代を祝しける

 明和八年辛卯年 
  正月廿八日  

 作者連名
  近松半二
  松田はく
  栄善平
  近松東南

後見 行年七十六歳
   三好松洛 

   

 

 

 
苧環塚 

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