仮想空間

趣味の変体仮名

男色大鑑 第七巻 

 

 

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男色大鑑 本朝若風俗 第七巻

 目録
「一」蛍も夜は勤めの尻  二丁目
吉田伊織藤村半太夫都の月花
雨夜の竹の小笠問とこたへず
仏前の花誰かはさし替て

「二」女方もすなる土佐日記  七丁目
それの年の噂指切てはれ
茶臼山松茸狩の十盃機嫌
半弥が仕出し扇は風の外


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「三」袖も通さぬ形見の衣(きぬ)  十三丁目
子安の地蔵は偽りなし
おもはくの紋楊枝は口に入る物
正月二日の曙の灰よせと

「四」恨みの数をうつたり年竹(としたけ) 十八丁目
文腰張(ふみこしばり)はたゝらぬ隠れ家
惣じて年ぜんさく殊更若衆
ねだり男髭はむかしになりぬ

「五」素人絵に悪(にく)や釘付け  廿二丁目
京は山難波地引の沖鱠
筑前のうき名境の浦に波
岡田左馬之助人も悪(にく)まず  目録終


 蛍も夜は勤めの尻
身過ぎ程世にかなしき物はなし。萬につけて
おろかなる事もなく。見えわたりたる中も殊更色
道の太鼓もち心永う物毎堪忍つよきかもと
手なるべし。有る時石垣町の大靍屋の座敷に
村山又兵衛座の太夫子吉田伊織藤村半太夫
此ふたりをならべて見しに。先今の世界にまた
あるべき野郎共思はれず。さながら風情は絵に
残せしむかし名をしる美女めきて。時勢(いまやう)粧(すがた)の
舞ぶり見し人是に悩(なづま)ぬはなし。殊更一座客の
こなし調?(たはふれ)しめやかに情けかく。たよ/\として
よはからずうちまかせ身にも心を置ぞかし。伊織は


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床に入てから其敵の好く事のみ申つくして。はや枕の
上にて命も算用もかまはず。客騒ぎ出て興をも
よほせり。又半太夫は床入してより言葉数なく
近寄ず。其客に気を悩ませ身をもだへさせ。少し
はせく心の時一生忘れぬ程の嬉しがる事を。只一つ
小語(さゝやき)/\首尾の仕掛たりとては。外の子共にまた
をしへてもならぬ事。此二人が帥ごかし皆嘘にして
偽りとは思はれず。今の都に太夫子三十壱人同じ値
うちなるに。是に逢せぬは無分別なるべし。金銀のたく
わへあらば此色あそびにつかふたがよいは。何か世に残し
て子にゆづり。自然其子同始末を思ふたはけにて。一代
歌舞妓若衆を買ふ事もしらずして暮し。内蔵の

の片隅につみかさねられ。幾年か此かね世間のおもし
ろき事をもしらず。其まゝに朽果つるを銀(かね)も口惜かる
べし。諸事分けのよき人にはなくて扨もまゝならぬ世
の中と祇園町末社ども是をなげきぬ。さる程に
夜神楽の庄左衛門口笛にもろ/\の太鼓おもひ
/\の芸渡して役者まさりの身振後には笑はれも
せず。腹抱へておかしさも今なり。此座に村岡丹人とて
むかしは何がしの二男萬にかしこく其身持いやしから
ず。大気にして人のにくまぬ生れ付なりしが。世につれ
て先祖の名を埋づみ。下立売堀川の邉りに大橋流の
売手本もはかとらず針立の張り紙しても呼ぶ人なく
世わたりの悲しさに。大臣の慰み者と成てけふも此席に


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連なり膳おそく据はりさへむねんかさなりしに。脱ぎ捨ての小
袖を畳めと足で押出ださるゝ。是もいやとはいはず畳おき
しに灰吹きを捨てにやらるゝ。是非なくかしこまつて居所を
大勢立かゝつて。早縄を掛けられ。鳴瀧の盗人と引れしは
座興にしても胸しづまり兼。縄とひたらば二三人もさし
ころし。物の見事に死ぬべしと一筋に思ひ極めしに。鼻紙
入より長徳寺四五つ蒔散して。先程よりのなぶり賃に
是紅のばつと給はりけるにぞ。其まゝ心がはりてさても
旦那大分見事なはづみと。欲より身の程をわすれて
智恵も才覚もかくして。万事を愚鈍に見せかけて。
生れつきからうとき人にまはされて。けいはくの有程
云つくして。我心ながら恥しき事にぞ有けり。折ふし

かふてもろふ陰子にさへ高をくゝられ。帯とかすまでの
詫言人こそしらね拝まぬばかりなり。又供つれぬ身
の気のどくは草履あづけしもそこ/\にせられて
帰るさにかたし/\取集めて。卸(おろせ)がはや駕籠に付き
て御供を申。都に住めるにも渡世さま/\に有けるこそ
おかしけれ。品はかはれど猶勤め子のかなしきは限りもなし。
きのふは田舎侍のかたむくろなる人に。其気に入相ごろ
より夜ふくる迄無理酒にいたみ。けふはまた七八人の伊
講中間として買はれ。床入はひそかに鬮どりしらるゝ
など。其中に好ける客もあるに。鬮のならひとていや風
なる親仁目に取当てられ。かしらからしなだれ髪のそこ
いるをもかまはず。爪のながき手を打懸けられ楊枝つかはぬ


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(挿絵)


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口をちかく寄せられ。木綿のひとへなる肌着身にさはりて
おそろしきに。革(?かは)たいの匂ひ篭りて鼻ふさげば
衆道の分けもしらずしてふんとしとき掛かる。銀が敵と
是非もなく自由させながら。ひみつのすまたを持て
まいり。夜更起き別るゝまでにいかばかり年を寄らしぬ
是みなわが身の徳にはならず。親からの為ばかりに
して。一しほうたてかりき。され共此勤めのせつなき
事を忘れけるは。万人男女共に気をうつし。現なき
風情に姿の自慢。宿に帰れば太夫様/\とあまた
人のそだてつるに。身くたくる事をもしらざりき。是
を思ふに薄命の身に替らず。品こそ違へ遊女に
同じ。有る夜五月雨のふるかふらぬか程に。板屋音も

幽かなる明かたまて。いつもの手組の客まじりに大靍
屋の二階ざしきに冷酒のかぎりもなく今のかねは
八つか七つのせんぎして。さつと立たぬかといふ時虫籠の
のすきまより。蛍二つ三つ飛入しび。又興になりて
見しい此蛍なれて。ひかりを燈とあらそひ。半太夫
が袖にとまれば。蛍も同し身の上と。平安城の道行
を語れば。座中しらけてどつと笑ひ。誠に此蛍も勤
めに尻を照らしけるよと悪口いふて。され共是は夜斗
にして昼隙の浦山し。我はかくありて昼に又舞台
の勤めやるせなきにと。うそのなき心の程をいふに次第に。
蛍乱れしを不思議と人つかはしみしに。闇にまぎれておも
影は竹の小笠をきたる法師の。墨染の袖よりうすやう


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包みし蛍を。ひとつ/\人の慰みになれるやうにはなち
やりぬ。むかし車のうちへなげ入し事の思はれ。何とやら
恋の仕かけめきてやさし。此有様を帰り語りけるに。半
太夫きくに涙をうるほし。さる事こそあれ夜毎に
太夫もとにしのべる道心者有けるとや。若衆いづれかと
思ひしにさては我かようれし。ゆるし給へせめては盃し
てといふ夢聞捨に。足はやに立のきしが。下駄のおと
けはしく。石垣踏はづし。あらけなくいたむと見へしが。
ふりつゝきし雨の高浪つねの浅瀬にかはりて。哀や其
身を沈めをの/\かけつくるまに。かげも形もなくなりて
ゆく水に数の思ひをさせて。大かたならず悔みける。それ
より半太夫心ちうちなやみて。見ぬ人をおもひやりて

うか/\暮しぬ。其後さる御かた様の情ふかくなりて。役
者の見請をあそばし。大仏の辺り紙漉町に住みし
うちにも。彼法師が心入あはれに忘れず。槙の尾にとり
籠りて出家となりける。殊勝さかぎりもなく朝暮(てうぼ)のう
ちに彼法師。夜毎にあらはれしみ/\と語るこそうれ
しけれ。目覚むれば影消へて寝入ば夢ながらたゞしく
見えぬ。其印には山路に咲ける四季折々の草花を手
折り持てきて。仏前にさし捨(ずて)て。心も慰めける。此事
人にかたれど。うたかひて同じ枕に庵室にかりね
せしに。其法師こそみえね生花は毎日かはりたる
事ぞと申き



 女方も為(す)なる土佐日記
道頓堀畳屋町の西北角に。井筒屋といへる新見せ
の扇屋あり。冷(すゝ)しさは生(いき)の松嶋半弥が面影七左衛門と
名をかへ惜や花は盛。月は廿日あまりを若衆の最中(もなか)と
見しに。無分別なる元服これを金剛中間になげきぬ。
此児人(しやうじん)は美道二葉の時より松嶋や小嶋(をしま)の蜑(あま)のむれに
やさしく。情けかく一座。気たかく酒すぐれて呑こなし
文なと是につゞきてまねする子もなし。水仙の早咲
に壺入の客には雪むかしの口を切。春は桜の名残をう
つし絵に。自ら筆を染て古歌のすがたなるを詠じける。
五月雨のしめやかなる夜は初音焼(たき)かけほとゝぎす今に
もと待つ人様の気に入。秋は月をも宵から見捨てずして。書物

に心をうつし。ひとつ/\能き事を見習ひ。萬につけて
いやしからず。殊には其身生れ付きてならべ枕に打とけて
より。人の命をとる程の事ありて。稀に逢ぬる客も忘
れがたくて跡引て明暮恋にせめられ。借銭の堀へはまり
し人かぎりしられず。若紫の帽子は世上の野郎定ま
つての飾りを替へ。浅黄ちりめんの仕出し更に又美
形(げい)なり。不断の衣裳はさのみ色を好まず。肌付きは白むくに
黒きひつかへしの重ね小袖。外の芝居子のかくはなる
ましき事ぞかし。第一大気者にして人のほしかる黄色
にておもき物をも手にはもたず。たもしき事のなきに
又ある太夫子方へ盆節季に見廻けるにさし鯖の代
銀を手づから掛て渡されしてに。秤目せゝる程こそあれ


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四両の内にて。弐分五もんかるいとて肴売との口論見ぐる
し。それさへいやなるに人が見ねばちて勝間の里にて
織し下帯。それも昼にさがりはよごれて。せめて夜な
らばと思ひし。是らに引あはせては勤め子にも扨々
違ひあるものぞ。せはしさゆたかさ。大晦日(おほつごもり)と元日程に
替れり。世に住めばいやな年越と柊兵四郎と語りて是を
笑ひける。有る時道古(どうこ)といへるをもてなしに。半弥物好み
にして難波の茶臼山へまかりけるに。桜かりせし春に
かはりて。秋も又物の哀なるより萬の虫鳴くねにしられ
けれ。南の池ちかく幕うたせて。那古の海の夕日上戸
の顔をあらそひ。酒論さま/\の肴つくして是でも
呑ぬといふ時ちかき里童子四五人手毎に目籠を提げて

見えわたりしに何事が仕業尋ねけるに。松茸を狩ると
いへり。山浅くして有る物かと見しに。露草わけて色なる
朽葉さがせば。笠をかたふけ爰かしこにある程とりて
松煙せて当座焼に。柚酢のかほり是は/\と求喰(あさり)け
るに。それよ一年(とせ)小松半太夫つれて。天野の茸狩の
御酒宴に。髭の半右衛門おたけさんさの一ふし。今もはや
り歌山春之丞も立ざはぎ。いつにかはりておもしろし
是皆亭主半弥が心さしふかし。松茸かぎりもなく宵
より人遣はして植え置きけるとなり。万事おとなしき仕かた
ぞかし。諸芸も思ひ入ふかふして。いや申しと云言葉つ
きまでもにくからず。古今の女かたと申てもくるしかる
まじ。荒木座へ抱へし卯月の初めつかた。半弥大振袖の


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橘かほりて。見物思ひを掛たかの鳥の声めづらしき狂
言の中程に諸人の座せる片隅より。田舎めきたる男の
舞台にあがり。是半弥様我数ならずして。恋たてまつ
りしは。恐れなれども。心中は是ぞと。脇指ぬきてひだり
の小指敷板(いだじき)におしあて。なる程心静かに五引六引
に切落し。紙に包みてなげ出しける。半弥さはがず我
おぼしめしての御心ざし。あだにはぞんぜじ。狂言なか
ばなれば。兎角は楽屋へ御入と申うちに。彼男は見
えずなりにき。我宿へ是非に御尋ね給はれといひ
すてゝ。彼指人手にかけず。血の出る程は洗ひ流し
て。念頃に包みて懐中せしは。さなから情らしくみへ
て。人皆あしからぬ取沙汰にあへり。前代芝居にて

(挿絵)


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はためしもなき事なり。半弥宿に帰りて寝間あら
ためて。袖に焼(たき)しめ。其夜侘びて鉄眼(てつげん)の鐘のなる時
すこし夢むすびける。程なく明わたり人顔のほのか
に見ゆる時。きのふの男友とせし人と二人つれてたつ
ね来たりしにかず/\詞をかさね。たんと嬉しがる事
のみ申せど。其身をふるわしかたじけなしとばかり一
言。其後はさしうつふきていとゞ物哀れに見へける。心程
はあらまし外の人申せし。半弥泪しのびて身をま
かせ。たはふれの程を仕掛手をとれ共。用意の小座敷
にもゆかず。盃事過てから留めてもとまらず立帰るに
ぞ。恋は残れり。又あふ迄の形見なりと浅黄しゆすの
袷に。兼光の中脇指の御物拵へなるをおくりにける。ひ

そかに国里を問ひけるに語り。土佐の者なるが御名残も只
今出舟と。声帆にあげて川口一の州より涙は浪の白
玉に数まさりてん。其日は芦の浦風かはりて三軒屋
といふ所にかゝりぬ。けふの夕への淋しさに。硯の海ふかく。
思ひつゝけて書く事こそあれ。四月五日の宵月さながら
たとへて男もすなる。半弥様のさし櫛かとうたがひも晴
ぬに。村雨俄に思はぬ袖をぬれのはじめ。水鶏(くいな)のたゝくは矢
蔵太鼓かとぞ。爰は難波嶋心は道頓堀をはなれず。蛍も
飛子かと思はれおかしや尻なし川に影うつしぬ。明くれば六月
の朝嵐いかりをあげてとり楫の音。磯つたひを行くに尼ヶ崎
なるをの沖より又風かわして。廣田のやしろを見かけ夢の
浮橋わたるかと。やう/\和田の御崎に寄せてしばし難儀


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忘れし。され共武庫山の景色にかくして半ば様も
見えず。次第にうたてくおのづから胸を燃して。火宅の車
舟もさはがしく。執心の角の松原須佐の入江ちあく。暮つかた
兵庫の湊にあがりて。風呂炊かせてあらひ髪に半弥様より
是も形見のうつり香。初瀬といへる名の木とめけるに猶また
其人。花ぞむかしのかほど迄はゆかしき。七日夜ばしりけはし
くかり宿に旅きせるなど忘れてほいなし。煙絶て塩屋さ
びしく須真の上野もすいりやうに詠めて。ほの/\のあけに
人丸の社を拝みつけて。明石にかゝれば俄にむら雨のして苫(とま)
葺(ふく)難義。され共ほとゝぎす聞べき便りの雨とてうれしく
もし又若衆様の初音もやと。心は空になりて同じく八
日も所を替ず思ひつゞけて九日十日の朝備前の国唐琴

の泊り。虫明けの瀬戸越ゆる折ふし。彼飛鳥(あすかい)姫の都恋しき
と。書残されし扇も半弥が仕出しの古歌もやうかと
思はれ。浪もたゝめば風なくて。十一日の昼ばしり。備後の
鞆の浦に入て同船をの/\あがれば。我も独りは暮し
兼て跡をしたひ行に。爰の分け里とて女の風俗も素
人女よりは見よげに。上方ははやうとふて仕舞ぬる。春の
山道はさんさなど。今になりてから引て踊りぶりおかしく
是は座にたまられず。さても淫婦の姿にさへ。ふつ/\と
あきはてぬれば。常ならものはことかけにも身の毛立て又
舟に乗移り。くだり日和をうれしく風早の浦。十二日の
暮つかたより。此男の心ちうか/\とうちなやみて。前後
を忘れ。只松嶋が面子(かほばせ)のみ思ひ出して。身をもだへ乱人


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となれば。舟子共あやしく沙汰して磯辺にあげ。濱
びさしのあるじを頼み友とせし人ひとりふたりつき
添ひて。さま/\にいたはりし甲斐なく。次第かに憔
悴なつて我と身燃やして。かなしや今思へは形みも
よしなや。難波を首途(かどで)の時。半弥が送りし脇指
にして自ら命をすて。血は草芥を染なし尸(かばね)は路径に
横たはり。恋よりかくはなり行人の心ざし。日記にしる
して。残り物とて其名ばかり土佐は硯の海あさき
事にはあらず

 

 

  


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2(左頁)
 袖も通さぬ形見の衣(きぬ)
猿に袴を着せて看板出し。えびす橋筋に根本浮世
楊枝とて。芝居若衆の定紋をうちつけ置しに。
それ/\のおもはく其子に枕のかたらひ及びかたき
人。せめては心晴(ばら)しに此紋やうじを手にふれて。口中
琢(みが)ける時は。恋の君が美舌をくはゆる心ちのして。哀や
気をなやましぬ。是程の思ひなれば。身に替てなる
ものならば。命は夜の霜朝を待ちて消ゆべきが。勤め子の
習ひとて。いづれにても花といふ一字にて自由に詠
めらるゝ事なればこそ人死にのなけれ。かゝる面影を江
戸京大坂三ヶ津に生れあはして。明暮見るさへあか
ざりし。遠国の人稀に見て生きて帰るは不思議なり。


3
狂言の番組役付を求めて。其名をあらましに覚え
て。我国かたの夜ばなしの種となるも。かみかたにのぼ
りし徳ぞかし。世に又世をわたる業程かなしきはな
し。道頓堀の真斎橋に人人形屋の新六といへる人。手細工
に獅子笛あるひは張貫の虎またはふんどしなしの赤
鬼太鼓もたぬ安神鳴(やすかみなり)。これみな童子だらしの様々
拵へて年中丹後かよひして。そのもどりには竹の皮
荒布に肩替てしづかなる心なく。元日より大晦(おほつこ)
日(もり)まで夫婦の口過ぎばかりに。さりとはせはしく。橋ひ
とつ南へわたれば常芝居のあるに。ついに見た事
もなし。灯台本油の耗(へる)をなげき。始末心より是なり。
此人ある時道に行暮て。里とをく村雲山も時雨

もよほして。風は松をさはがせて次第に淋しくなれば。
やう/\子安の地蔵堂に立寄て寒き一夜を明かし
ぬ。既に夜半と思ふ時。駒の鈴音けはしく耳驚かし
旅人かと立聞せしに。形も見えずして御声あらた
にお地蔵/\と呼給ひて。今夜の産所へ見舞給
はずや。丹後の切れ戸の文殊じやとの給へば。戸張のう
ちより今宵は思ひよらざるとまり客あり。役々
の諸神諸仏によきに心え給へといひわかれ給ひ
其夜の暁方に又文殊の声し給ひて。今宵五畿
内ばかりの平産壱万弐千百拾六人。此内八千七拾
三人娘なり。中にも摂津の国三津寺八幡の氏子。道
頓堀の楊枝屋に願ひのまゝなる男子(むすこ)平産せし。


4
母よろこぶ事浅からず大きなる顔して味噌汁の
餅喰ふなど。人間ゆくすえの身の程しらぬは浅まし。
氏子美形にそだちて後は藝子になりて。諸見物に
思ひつかれ。是さかんの時至りて。十八歳の正月二日の曙
の夢と。かぎりの命世間の義理ゆへに捨つる若衆ぞ
と。先を見ひらきての御物語り。あり/\と聞しに。
程なく常の夜も明けしらみ。新六。地蔵堂を起きわか
丹波より難波に帰りて見しに。南隣楊枝屋に
日も時もたがはず男子産み出して。けふ六日とて親
類集りはじめて髪たるゝ祝言より。此子はそなはり
て野郎下地なり。子細は今からさへ鬢付のいろこく
首筋はへぎはまで。此??(なつかし)みならひなき太夫になる


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べしと。なを若児(えいじ)あげまきの頃より。朝暮大事に
掛けてそだてける程に。はや十三より其分けしりにな
つて。かりにも人に悩せ詞震(たはぶれ)の上手。是を恋しのび
寄り。戸川早之丞と名によびて。大和屋甚兵衛座に
出て若衆方の?粧(よそひ)。外にかはりて小取まはしに。諸
藝を藤田小平次にもまれて武道殊更にしこなして。
尾上源太郎が替りにもなるべき者といへり。それのみ
衆道一分たしなみ情ふかく。人の言葉をあだにはなさ
ずして名の出ぬ程よろこばしけるは。其かぎり忘れざ
りき。いつのころより役者中間に念頃分をもとめて。
年月の心つかひそれは/\此におもひつゞけて書くには
たらず。此念者と申かはせしも口惜き事ながら。身の勤

めなれば。世にしれて逢程の大臣は是非もなし。それ
より外なる浮気の沙汰なる人には。狂言の仕組は各
別。是より脇にて人に手を握るゝ事神ぞいたさじと
いひかはせり。何か此心ざし違はず其後は銀(かね)勤め客も
おのづからいや気になりて。彼者次第にかはゆく。酔も
せぬ酒に取乱し。おかしからぬ座敷後には人もたづね
やらず。内証きにとく大節季も近しと異見して
もなをやめず。極月廿二三日頃までうか/\と月夜に
夜の明て其すえ/\は闇になりける。はや初芝居も
程なく。舞台衣装の物ずき色々の美をつくし。天晴
此小袖をかさね。手に入し狂言をして見せ。念者めに
なかしてと。心も浮立春を待ける宵に。こんがう萬の


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心当てにせし。あなたこなたの付届けなくて胸算用は
らりと違ひ。三五の十八十九二十度(たび)つゝも酒呑荒し
て。其気のつかぬ大臣目。大晦日の闇の鬼にかませたし。
され共薬(やく)代花代取にやられぬ物なるに。さりとは悪(にく)しと。
今になつての迷惑。大かたの人には留主/\と二番どりの
鳴までのがれ。兎角ない袖は振られぬといへ共。呉服屋心つよ
く堪忍せず。つれなや松の内には屹度済まする断りも
聞分けず。地衣装も残らず取て帰れば。いふて甲斐なき恨
みむごひ仕形と此上ながら分別するうちに。南のかた
より今宮の若えびす売など。新し雪踏の音人の
姿も心も春になりて。東は高津の宮の松の葉越し
に初日常とはかはりたる気色。何心もなく早之丞打

ながめて。堀江の若水に口そゝぎなんどして。身上を
いわひて歳旦の和歌を吟じける所へ。坂田小伝次
山本左源太大振袖の色香をふくませ。梅か桜か是
ぞ花揃へ。いざ太夫もとへの初礼同じ道にとさそへば。
よろこび冬より着つゞけたる小袖ぬぎ捨。けふの肌着
は浅黄よといはれし時。こんがうまだ隠して御袖ゆ
き違ひて皆々仕立なをしにと申せば。物静に声し
て。我はお跡よりいひやるもうたてし。其日もむなし
く暮て。明れば二日のはじまり。太鼓ひゞきわたり
いまだ人顔も見えぬうちより。諸職人の弟子さま
/\隙を得て鼠色に五所紋の袖をつらね。無
理ばきの革足袋。ふくろぶるを用捨なく。足ばや


7
に言葉せはしく。早之丞か藝ぶりを見るべしと
つぶやい行。其後式三番すぎて狂言はじまるとて
楽屋より使は来たり。衣装はなし。今はせんかたなくこの
事を語れば。早之丞うち笑ひて。浮世程思ふまゝな
らぬはなしと。二階にあがるを見しが筆はらに其
事にはなく書置して。惜しきは命是は/\とな
げきて帰らぬ若衆。さても死なれぬ所をすこしの
義理につまりて。武士もなるまじき最後すえ/\
の世のかたり句ぞかし。物はあらそはれぬ事子安の地
蔵の御ことば思ひあはすればまことに正月二日の骨仏(こつほとけ)
とはなりぬ

 恨みの数をうつたり年竹
芝居子の一座に用捨すべきは年せんさくなり。秋も
す夜の気色露に時雨の淋しさ程もふらず。昼か
ら西日移りて東山の雲に虹の大筋なる嶋しゆす
を着つれて行は誰が子ぞ。村山座の御太夫琢かずして
光ある。玉村吉弥といへり。今が花の都に思ひ懸ざす
はなし。其日は衣の棚四六と名に立ち児人好きのさそひて。
伏見の城山へ初茸狩にまかるとて。若衆あまたうかれ
男四条河原を出て。はやくも爰櫃川といふ。むかし読
残せし椛桜も紅葉してける。春にまさりて詠めにつ
つくうら枯の藤の森の宮所を過ぎ。山を南にのぼれば
麓に京駕籠をおろして。花紫の帽子姿。松よりほかに


8
見へる人もなければ。編笠とり捨て。うるはしき面子(かほばせ)にして。
乱れし薄を心ありげに分けゆくを。思へは恋の山入すむかよ
り袖はぬれのさかりと。外より見ての浦山敷こそ想し
傾城は床の内。野郎を道中を慰みと色に馴たる人のいへ
り。其日も暮ちかくなりての茸狩。稀に見付けしを手
毎にかざして里ばなれし草庵に入て内をみれば。若
衆の文腰張名書きはむしり捨ててなをゆかしく。目を留め
て見しに。文章みなわけのよき事ばかり。此文ひとり
の筆にはあらず。舞台子の名残そかし。此法師むかし
は只人共思はれず。持仏堂あけてみれば。真言宗
見えて弘法大師に菊萩を手向て。其脇にうつく
しげなる若衆の絵姿を掛て。いと殊勝におがま

れ給ふ。是はと庵住にたづねれば。すぎにし事を語る
にあんのごとく此道に身を捨て。つらき親仁にふそくに
とせあまり爰に山居の夢にも其事をわすれすと。
涙に墨染もはぐるばかりなげきぬ。聞くにあはれさまさり
ておいくつと年をとへば。我わきまへのなき時ぶんにもあ
らず。二十二になりけるとや。それは花はさかりにもなり給
はぬ御身ぞと。一座の子共までも人なみなれば義
理に袖をしぼる。其顔つき大かたは分別らしく見え
ける。いづれ二十二よりうちなるはひとりもなし。その
中に飛子の時を思へばさりとはふるき若衆あり。つ
いてながら年をとへば覚えませぬといふこそおかし
けれ。あるじの法師のいわく。爰に幸ひ年竹(としたけ)とて


9
忘れぬ年の正直にしるゝ物こそあれと。彼若衆
に年竹をもたせて立せおき。子細らしく印を
むすびければ。しばし有て此竹をうちけるほとに。
皆々同音にて数とりける。十七八九までは何心もなく
それよりうへは恥しくなりて。左右の手に力身を
出し随ぶんうたぬやうにしけれ共。不思議やうちやむ
事なく三十八にしてかの竹両はうへわかりぬ。若衆
赤面してまことらしからぬ年竹とかいやり捨られし
を。法師眼色かはつて。諸仏も証拠是に偽りなし。う
たがはしくは幾度なり共うつて見給へといふ。此座の若
衆尻のはげる音をおそろしく。誰がたつ人もなく
座興さめてありける。是から酒なせと初竹しほ

(挿絵)


10
焼にして。をの/\前後を現の枕となしたはふれ
ける。折を見合せ羽織の無心をいふ若衆もあり。六間
口の家の約束するもあり。当座に小柄をもらふも
あり。さても/\手はしかく取あげるこそおかしけ
れ。此おもしろき中へ都にはめづらしき男達(おとこだて)雲の今と
ぎれと我悪名を申。枝折戸に入て小者に長刀をもたせ。
竹縁にさしかゝり。玉村吉弥がうけし盃を是へといふ
吉弥きかぬ顔して有しが此盃は此うちにまいらす
かたがおひとりあるといへば。此男堪忍ならず是非いた
だくべし。お肴は是にと件の長刀をとりまはせは。
いつれもおそれて詫びてもきかず。吉弥打わらひ
にくさも悪(にく)し。只はおかじ我にまかして皆々先へ

とかへし。吉弥はかの馬鹿男にしなだれよりて
けふのおもしろからぬ事町人のまだるきつき会ひ
酒ならばかうした殿こそ呑まれた物ぞと乱るゝも
りかはし。其男の気をとりて。よい程にもつて
まいれば。此たはけ寝もせぬ夢のごとく成ていつ
となく恋を仕かくる時。いかにしてもむさくさと
したお鬚さはりとなりて。口ちかせる事も心にか
くるなどいへば。君の御こゝろにわかぬ物つらに置くも
よしなし。小者まねきて御気に入程にそれと云
とてもの御事に我手にかけて殿ぶりをよきにと。
吉弥剃刀取持て。此男の上鬚は残して。物の見事
に左の方の鬢剃りて。右ばかりありしまゝにすて置


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kうぇう。万事覚えず鼾あらけなき中に爰をあし
ばやに立のき。京人のみやげに此男のつり鬚を
持ちてかへれば。いづれも大笑ひして。さても手に入し
事なり。是を客に酒よといへば。秋田彦三郎即座に
鬚舞とはやし出し。座中に腹抱へさせける。彼男は
目覚して後。剃られし鬚を惜しみなげきかなしむ事
是非もなき身とて。髭見せをとりおき。此事さたなし
にかへりける。其後見れば勧進的(まと)を世わたりにし
て有ける鬚なき事を思ひやられなをこの者
おかしかりき

 素人絵に悪(にく)や金釘
行く春の境の浦の桜鯛。あかぬ形見にけふや引
らん。是は為家卿都には見ぬ。真那鰹飛魚のいきては
たらくに。目を覚して読み給へり。地引の網は春より
折けこそ増されと。岡田佐馬の助といふ風流(やさ)者にさそ
はれ。弥十郎もゆく水。仕過ごし組の五左衛門もうきたつ斗
に。大紋を添へ。単(ひとへ)物を着たる男の。かた骨のつゞくほど
いそがせ行に。人の心も同じ道筋。京の那波屋の誰
か。嵐三右衛門もてなし。山の替りの海自慢。細江の浦
に網をおろさせ。かゝる気色を見せばや。駕籠十八挺
ならべ立しはしばし里あるがごとし。嵐門三郎沢村小
伝次藤田靍松其外もみな子共役者まじり。嵐三例(らんさんせい)


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の大酒。今宵もまた松がねほれて下戸のあらはるゝ
迄の遊興なるべしと。指さして出茶屋の吉が件(もと)に
腰を掛くれば。箪笥の下より。朝顔焼の天目出して。是
まはれのよし。兼てしるべのよしみ迚。いかで其心ざし気
を付てみるに。人様のためにと硯紙など有ける。此女は大
方に手も書きて。歌学の心も有る人の申き。くりしからぬ
酒事にして北の方をみれば。国といふ女の茶みせより。
かはゆらしき手してまねく。上村辰弥嵐今京之助也。
黒の市左衛門付て是も湊と云所に置網引せて見に
まかると亀源(きげん)といふ男連れて行。日も昼にさがり。淡路
嶋に影移るを惜まれ見しに。松影にきて鬢の厚き男立
合て。沓音のしほらし昔日(そのむかし)光源氏住吉詣の時此嶋に

てあそばしけるとなり。又古歌にも花のえに掛けてかそふる
鞠の音の。なづまぬ程に雨そゝぐ也。きのふは廿八日温田虎が
涙雨の名残を。けふも袖はぬれぬ斗に降りぬ。風もいとはず毎
日爰をあそび所。借銀(かしかね)棚賃にて世を渡る人めきて。西
の木陰にだんだら筋の幕の内に。琴のね雲井のやどり
など是はと思ふ内に。逶?(なよやか)なる女の独り二人立出しに
恋を覚ましぬ色黒く足ふとき酢蛤売も前髪あればや
さして見へぬ。世は廣し今もまだ平?かけて。下げ髪のた
るひ姿をようは見ている事とそしりて。我らは男色の道
を分けて笹葺の里つゞき丸雪(あられ)松原朴津(えなつ)を過て境南の
端の旅籠屋に人留る一夜女の立出。水(すい)風呂を見せかけ。もへ
ぎの蚊帳もかしませうとまねく。爰に泊りを定め亭主は楫(かぢ)


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屋の惣兵衛呼出し。いづれも高野参りなれば。つん腥(なまぐさ)き
鍋のうつり香のなきにと云。程なく御膳出しますと
とうふこんにやく竹の子のあへ物。げに旅の習ひ此不自
由さを忘れなと。それより中浜に行ば。今朝よりうけお
ろしたる手繰舟磯ちかく引寄れば。小肴掴み取なり。
生け舩波の下をくゞらせ。大鯛二十四枚はなち掛て生(しやう)
死(じ)の間なく塩焼にして盃を流し。猟師に小歌をの
ぞめば。赤き頭(かしら)を振て。此酒機嫌瀋陽の江の心ちぞかし。楽
天が今見ば。此智恵なしを笑ふべし。沖の方より浮藻に
つれて一尺あまりの桧木板に。児人の姿を模(うつ)し。身に
明所(あきど)もなく金釘を打て見るにうるさし。是素人絵の証
拠には着る物ひだり前に。目鼻せはしく母(をや)指ほそく小指

ふとくふつゝかなる事のみなり。裏板に書付ありて。筑前
の国福岡本町弐丁目醤油うあの万吉十五歳にしてすぐれ
たる生れ付ながら情しらず目。我執心をかけし甲斐なくお
もふ子細ありとて。文其まゝ橋流に書しるし箱崎の明神への願
文(もん)万里の風波につれて今爰に流れ寄り。上がたにて恥をさら
すこと又海に投捨つるを佐馬助取あげて様子はしらぬ国
の事ながら。先ず此念者おろかなる仕業なり。御存知のわが
身なれながらもふかく思ふ方の心ざしなど仇にはなさじ
増して常なる若衆の其哀をやしらざらんと。泪実(まこと)の袖
に隙なく彼打付けたる釘を。ひとつ/\手づからぬきて
人しれぬ釘の岩ねに隠し。何か科なき身に障りの有べし


14
(挿絵)


15
と大やうなる取さばき。若道の本心入ぞかし。此人の事近き此
絵草紙につくりて加賀の十兵衛と申男は沙汰もなき事なる
に佐馬助相果しとは諸人なげきて日とひ二日は世になりを
静めて此噂聞定めてよろこぶ。過にし弥生のすえに舟
あそびの帰るさに難波の橋柱にて指すこしいたませ血の
出る程にもなきを。引割紙にてむすびしをみて。心中
して切れつるはと能名の立つ事つね/\男女の心玉にのり
て何がなと思ふ故ぞかし勤めとて指切もあり、かためとて
ふともゝに煙管焼するもあり。是皆客のためにいたい
目にあひながら。此事人はしらずなりぬ。佐馬は身に入れ
痣子(ほくろ)ひとつなくて。其情ふかし風俗は上京の町人
の男子(むすこ)めきて。萬江戸手代に任せ。東山の花に暮し

広沢の月に明かし。大晦日をしらぬ顔つき一度もせはしき事
をいはず。人の気を汲みて人の友にもなりぬべき者也。よき事
見出して語るにたらず。濱の晩景を見捨南宗の唐門に入
て殊勝に物さびたる寺内。南の森の陰こそ藻塩草に見え
渡る玉横野西の方に。芦の長池にかけわたしたる橋の上。
どうもいはれぬ所ぞと木間六兵衛にね覚ひらかせみしに自
然と蒔絵に虎渓(こけい)のむかしを書きぬ。法師まじりに是はと横
手を打ていつとなく乱酒になつて前後をしらずなり
にき。ひとりの風流(やさ)男懐より女のさし櫛をとり落しすを見
るにやさしく駿河なる蔦の細道かゝせて。影桜の定紋
是は正しく佐渡嶋やの吉田ではないか。いかにもといたゞくを用
捨なくもぎ取?泥中になぐれば。沈みて跡形もなし。これは


16
国土の費へと?若衆の持給へる楊枝ならは多くの人
を掛て青砥左衛門もさがし出べし。何ぞ遊女の手馴し物
を見るもいやらし。兎角は彼色里をやめぶんと。真顔になつて
異見して。瀬々の浅みを横ばしる。蟹の細かなるを生きながら
肴にして酔ては時を忘れ。一閑坊の案内古跡物語も耳
にいらず。白蔵主(す)の住給へる松林寺の三足狐咄しもおかしか
らず。まつ毛もぬらさず行に。爰乳森(ちもり)の遊女町折ふし
門立(もんりう)時なれば。もし見付られてはと小女郎手の編がさ
を先さがりにかづき。天王寺屋利兵衛といふ揚屋のかと
なる冷や水をもらひ出して。井筒に寄りて面影をみれば。此
所の四天王と名高きよね共はや見付て。禿つかはし
大坂のわるひ人様達とまねく。女には物いふ事も嫌ひに

なりしと笑ひ。夕日かぎりある遊びそこ/\にしてわかれ
濱を見渡せば辰弥は棚無舟に乗うかれ。京之助は磯つたひ
左馬は戎嶋の望み。心/\の夜の道遠里小野油火幽
に今宮道頓堀の野墓の煙に。無常の心玉しばしは
しづまりしが。畳屋町に帰ると又忘れて其夜は太夫
与次兵衛座敷仕組。浪江小勘がうつくしさ。吉川多門か
小歌。上田才三郎がとりなり。小桜千之助がばつとしたる
藝振。吉川源八が若殿三枝(みつえ)歌仙が禿立。中川金之丞
がやつし事。南北三ぶが早口。それ/\の役付けみる人に笑はせ
泣かせ上手をするぞかし。若衆方の常成素顔をみるに偽りな
しに見事なる物を。よい国に生れ合せて自由に成事
に付て遠国の金持一しほ哀と帥(すい)中間にて申悔みぬ 終